諸法実相ですが、サンスクリット原典に尋ねると、本来は諸法というのは教法として限定されたものだったのですが、鳩摩羅什〜吉蔵に亘ってその諸法の解釈が一切にまで拡大されている事が分かります。

つまり本来は、一切法を空じられ般若の知見得られた仏様の視点からの実相という主旨なんですが、いつの間にかWありのままが真如の現れW的に解釈されてしまったという事のようです。

ここら辺は、後々の中世天台本覚思想まで尾を引いているってところでしょうね…、つーか、このスレのありのまま教の方々にも今だに影響があるって事ですw