「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適用し、不動なものとなると、かれ(修行者)は、(次のような)理解動作に対して心を傾け、(心を)むけます。」
森祖道訳(『原始仏典1 長部経典T』春秋社、96頁)

他の信者さんたちは意味がわかるでしょう?
「心が安定」以下、すべて煩悩からの解放、つまり解脱のことです。
ペテン大作さんは視野が狭いから、心の安定しか見えないようだが、
心の安定以下、清浄、純白、汚れなく・・・不動なもの、
これらすべてが解脱の意味です。
というよりも、解脱をこのように表現している。

解脱とは阿羅漢という資格を得るという意味ではなく、
煩悩に囚われない状態を「保ちつづけること」で、
保ち続けている人を阿羅漢というのです。
到達点は確かにあるが、生きているかぎり、いつでも転落する可能性がある。
だから、解脱に到達した人たちも一瞬も気を抜かずに、煩悩に囚われまいとして、
気を逸らさず(念)、集中し(定)、それを常に持続する努力をした(精進)。