>>686神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad
>原語が「入定した」という意味ならば、解脱の意味など無いのです。

「定」を瞑想だと解釈する人たちがいるが、違います。
くり返すが、その証拠に三十七道品には瞑想(禅)は出てこない。
日常坐臥、出家は常に定を保つのです。
定とはそのままの意味で、定まったまま動かないことです。
これは一般的な意味ではなく、
「煩悩に対して動かず定まる」のです。
私たちは常に煩悩の誘惑にさらされ、右往左往している。
煩悩具足という言葉があるように、煩悩と一体になっている。

釈尊は、煩悩を観察し、決別し、影響されないようにしなさいと説いた。
煩悩から左右されないから定まり、安定し、不動になる。
これが釈尊のいう解脱です。
これを瞑想の時だけでなく、飯を食っている時も、
歩いている時も、風呂に入っている時も、他人と話をしている時も、
常に一刻も気を抜くことなく、定の状態を続けて、絶対に自分の身口意の
三つの行為(カルマ)の中に煩悩が漏れ出ないようにする。
これが釈尊のいう解脱です。
他の信者さんたちはこういう目で釈尊の次の言葉を読んでください。