>>686神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad
>原語が「入定した」という意味ならば、解脱の意味など無いのです。

安那般那念経で、桐山さんが15種類の呼吸法を
説いているという爆笑解釈をした件も、あれは、
どんな呼吸をする時も煩悩に囚われないようにしろ、という意味です。
長い呼吸も短い呼吸もと並べているのは、同じ言葉を何度も
並べて強調するためで、この場合は、「どんな呼吸の時も」という意味です。
これを15種類の呼吸法と解釈したのだから、まるで幼稚園児です。

釈尊は具体的な瞑想法も呼吸法も説いていない。
だから、桐山さんは呼吸法を弟子に秘密に伝授したなんてインチキ解説をしていた。
釈尊は教師の握り拳(秘伝)はないとはっきり宣言している。

阿含経に呼吸法すらないのを見れば、釈尊が呼吸法など説かなかったことは
あまりに当たり前です。
瞑想をしていたにもかかわらず、具体的な瞑想の技法もありません。
だから、三十七道品の中にも「定」はあるが、瞑想(禅)はありません。
他の信者さんたちは不思議に思いませんか?
実際の阿含経が桐山さんの話とかなり違うことに少しは気が付いてください。