>>686神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad
>原語が「入定した」という意味ならば、解脱の意味など無いのです。

これも何度も何度も私からも、ユビキタスさんからも
くり返し説明されても、まだわからないのでしょう?
賛成しろと言っているではなく、相手の説明をまず理解してから
反論してはどうかと言っているのです。
あなたはこちらの説明を理解できないから、無視して、
ひたすら自説をくり返す。
そういう点は>>679-681の1.5来補さんのタワゴトとそっくりです。

ペテン大作さんや1.5来補さん以外の信者さんたちに説明します。
受け入れなくてもいいから、まず説明を理解してください。
釈尊は瞑想の技法で解脱したのではなく、瞑想の時も
煩悩に囚われないようにしたから解脱したのです。
瞑想だろうが、飯だろうが、トイレだろうが、
煩悩に囚われない状態を保つのが解脱なのです。

定の一つである瞑想の技法で解脱するなら、アーラーラ・カーラーマなどの
二人の師匠の瞑想の技法だけで解脱したはずです。
彼らは瞑想の技法としては最高レベルです。
釈尊は彼らの瞑想の技法を採用している。
だが、瞑想の技法で解脱したのではなく、どんな瞑想をするのでも、
煩悩に囚われない状態を保つこと、これが解脱だと説いたのです。
どんな食事をする時でも煩悩に囚われないようにすること、
これが解脱だと説いたのです。
瞑想で解脱するのではなく、日常のすべてにおいて煩悩に囚われ
ないようにすること、これが解脱です。