>>686神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad
>だから「心の安定」という訳語に執着して、
>他の経典で解脱の意味で使われているからといって、三学経典でも解脱であるということにはならないのです。

先に言うが、あなたの議論はスレ違いで、私は答えるべき義務はない。
ペテン大作さんは、中村博士は他の経典で「心の安定」を解脱の意味として使っているが、
彼の沙門果経の和訳は「心の安定」ではなく「心の統一」だから、
解脱の意味ではない、と言いたいのですか?
中村説 「心の安定=解脱」「心の統一≠解脱」
と言いたいのですか?
わざわざあなたの言いたい事を確認するのは、毎度何を言っているのか、
自分ばかりわかったような書き方で意味不明なのです。

「心の安定 その原語(samadhi)は三昧と音訳される。心を統一して思うこと。」
(『ブッダのことば』中村元、217ページ)

中村博士は「心の安定=心の統一」と述べているのです。
あなたは、中村博士は両者を別な意味に使ったかのような
言い方だが、同じ意味に使っている。
あなたの主張は根拠のない毎度の屁理屈、イチャモンです。
だから、私が昨年引用した経典の心の安定は、沙門果経の心の安定や
心の統一と同じ意味です。
釈尊は心の安定、心の統一を解脱の意味に用いているのです。
また、他の学者たちが心の安定と訳そうが、心の統一と
訳そうが、意味は変わりません。
十年間の議論を見ればわかるだろうが、私は両方用いている。
なぜなら、あなたと違い、両者は同じ意味だと知っているからです。