「01年1月、色川氏は35歳の誕生日を迎え、ショック
を受けた。これまで桐山氏に仕えてきた、が、年齢的に
結婚(再婚)するならこの年がラストチャンスだと思
い、「お嫁に行きたい。二度と電話を掛けてこないで
ほしい」と桐山氏に申し入れた。
同氏からは「千景がいないとさびしい」という意味
の言葉が返ってきたという。
色川氏の妹にも「さびしい」との電話を掛けてき、直後
の3月、2回目の脳梗塞で倒れた。」
(『週刊ポスト』2009.11.20号、51頁)

信者さんたちはこんなのはE川さんの作り話だと切り捨てるのは自由です。
だが、これが違うというなら、桐山さんは反論すればよかったのに
ついに一言も反論どころか、言い訳さえもなかった。
仏教では出家が異性関係を疑われた場合、沈黙はだめです。
釈尊がその模範を示し、彼は2度疑われたが、2度ともきちんと
自分の無実を証明した。
これが模範ですから、周囲が信じようが信じまいが、疑われたら
きちんと釈明する義務がある。
だが、桐山さんは一言もなく、愛染明王という空想上の神仏に
ひたすら祈り、信者が忘れてくれるのをひたすら待った。
こういうのを卑怯者というのです。
だから、ペテン大作さんは桐山さんの愛弟子です。
女がいないとさびしい、これが有余依涅槃の聖者をすでに宣言していた
桐山さんの発言です。
性欲すらも律することができない者が解脱者であるはずがない。