慈悲の瞑想をやれという話でもないのだけれど
何らかの形で慈悲に触れることはマインドフルネスにとって必須のことだ

マインドフルネスと慈悲は両輪のようなもの
慈悲の現れていない状態に気付きもない
それはマインドフルネスではないよ

禅だろうがテーラワーダだろうが、単にメソッドとしてのマインドフルネスだろうが
どんな師匠だろうがこのことを教えない人は居ないだろうと思う
居たとしたらそいつはインチキなので忘れたほうが良いな