キリストがすでに現れた祝福の大祭司

としてこられたとき、手で造られず、

この世界に属さない、さらに大きく、

完全な幕屋をとおり、

かつ、やぎと子牛との血によらず、

ご自身の血によって、一度だけ

聖所にはいられ、それによって永遠の

あがないを全うされたのです。

もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、

汚れた人たちの上にまきかけられて、

肉体をきよめ聖別するとすれば、

永遠の聖霊によって、ご自身を

傷なき者として神にささげられた

キリストの血は、なおさら、わたしたちの

良心をきよめて死んだわざを取り除き、

生ける神に仕える者としないでしょうか。

それだから、キリストは新しい契約の

仲保者なのです。

それは、彼が初めの契約のもとで犯した

罪過をあがなうために死なれた結果、

召された者たちが、約束された永遠の

国を受け継ぐためにほかならないのです。

(ヘブライ人への手紙)