横から。

>>846>>854
後にまた触れるかもしれんが、
たとえば隠居の如く、たとえば紐の如く、たとえば過去哲板の最高位の如く、
或いはその他、極々一般の多くの人の謂いとして、(或いはデカルトか・・?)
 「ほら、≪私(我)≫って言ってるじゃん。」
 「≪私(我)≫が、〔そこ〕に、〔居る〕じゃん」
 「≪私(我)≫が無かったら、思考も、発言も、行動(行為)も無いじゃん」
 「貴方の肉体がそこに有り、まさにそのように貴方が〔感じ〕〔思考し〕〔発言し〕ていることが、
  『≪私(我)≫がある』 ということの証拠である」
という意見を斥けねばならないからなんだけどね。
そのように社会の中にある時は、
「その社会の中の一員として」、「大勢居る中の誰それ」、ということが
「互いに」「特定」できなければならないので、
その為に、自称するし呼応するのだ、と。
けれどもそれは、絶対永遠ではないよ、と。


※上の「肉体」を「魂」や「霊魂」或いは「識」或いは「アストラル何ちゃら」、或いは「真我」、
 などと言い換えても何も変わらない。
 >「貴方の○○がそこに有り、まさにそのように貴方が〔感じ〕〔思考し〕〔発言し〕ていることが、
 > 『≪私(我)≫がある』 ということの証拠である」