【イエス】 これはわたしの愛する子 Part97 【キリスト】
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わたしは、新しいいましめをあながたに与える、互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 13:34
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
(ガラテヤ人への手紙 3:26)
メインライン(日本基督教団 日本基督教会、聖公会)
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1557958866/l50 回転寿司?
それもなかった。
しかし、ITの時代は常に「想定内」かどうかが問われたのだ。
「男女の出会いの場を与える」「王室サロン」
これですべてを説明できるのだろうか?
ルイ16世の系譜には考えがあった。
「想定外の中の想定外はカントだろうが!」
コンピューターやITすら上回るのが「風俗営業と性病の治療であるはずだ」とし、
ITの時代を「我らの時代」に含めようとしたのだ。 小野光太郎による、ルイ16世とカントの拡散は?
それはドゥオーキンのせいだ。
ドゥオーキンは「アンシャンレジーム打破」のために「スピードは速めた」が
はたして、それでルイ16世に勝ったかどうかは人間活動である以上、明らかではない。 IBMは「Think」(エクスタシーを感じろ)と言って、ドゥオーキンの側についた。
それはカントの側ではないのか?
「カントが想定外なのであって、お前らではない」
これがルイ16世の系譜の考えだった。
これが「我らの時代」と呼ばれる議論だった。 あのな、人間、何をしようがかまわないが、ルイ16世が「最後の王」だったとみとめろよ。
これが「天皇制支持」の議論の基盤となっている。
ルイ16世にとって想定外だったのはカントだけであり、それでフランスとドイツは
世界から体制保障がもらえるだろ。
日本の天皇制もドイツとフランスが続く限りは存続できるだろう。
天皇制廃止論はドイツとフランスを滅ぼしてから言え。 人工知能?
ああ、北朝鮮か。
自分をわざと低く見せて情報を集める連中ならアンシャンレジームにもいたよ。
朝起き会?
地方自治を優先させる奴ならオーストラリアを作っただろう。
ルイ16世は、「結論として、処女を大事にした王であった」という結論だけは出ているようだ。
フランスの最後の王である。
https://www.youtube.com/watch?v=1j_I5jhKHb4
ドゥオーキンほど「フランス革命」を正当化するために尽力した哲学者はいなかったが、
どこまで「我らの時代」「天皇制打破」に成功したかは明らかではない。 お上が決めた「卒業」はあまりにも悲しくないですか?
いじめから自由になるために必要なものだろ。お前だって逃げるように卒業しただろ?
https://www.youtube.com/watch?v=bvWOONDXd1w
「夏休み」の終わりは悲しくないですか?
成長ってもの、約束ってものが分かるようになるだろ?
https://www.youtube.com/watch?v=9bh39aHeVjg 私、昨夜光太郎先生の事を思って泣いてしまいました。
今も涙が止まりません。
光太郎先生はこのスレで静かに講義をされていさえすればご機嫌よく
されていますね。何をも主張せず愚痴を言わず批判せず悪口を言わず
誰をも傷つけず・・・(TT
ある意味で神様のみ使いかも知れないと思いました。
そして光太郎先生の存在感は大きいのです(TT 「法規裁量」(風俗営業支持・性病の治療支持)から「便宜裁量」(男女の出会いの場を作る・王室サロン)へ、
という政治学とも行政法ともつかぬものが、朱子学においては「四つの書」という形で、
「季節ごとに経営戦略が異なる」とされ、顔の美しさを作った仏教や、音楽作品を作った道教
を合わせる形で、朱子学は「喫茶店経営の司令塔」として寺院に資金を集めた。
仏教が作った「美しい男女」や、道教が作った「音楽作品」がなければ朱子学は夢が見れなかった。
あとは「季節」に溶かし込むだけだったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=e068ZuNrP50
朝鮮、ベトナム、日本にまで「季節の問題」は持ち込まれ、それはつまり「星座占い」
であった。
テトラビブロスのことを「四つの書」というのではない。
朱子学と喫茶店の学問をそのように語ったのだ。
「階級社会の象徴」
それが喫茶店であり、星座占いによって女たちはその店に入るかを決めていた。
https://www.youtube.com/watch?v=TVkjotw8du4
誕生日が近いと「みんなが祝ってくれる」という現実的な理由も「星座占い」には
存在した。
みんなが祝ってくれるということは「お金がある」という意味であり、
女子高生にはあんがい喫茶店の敷居は高い。
ブルジョア男は「季節などお構いなし」「誕生日などお構いなし」に喫茶店に行っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=I9xdmKDuuGo 「血のつながったもの」しか誕生日にお金をくれなかったため、儒学においては
「ファミリーライン」というものが重要であるとされた。
誕生日の前後とはそれほど女子高生には縁起のいいものだったのだ。
女子高生は誕生日の前後しか「出会いの場」を広げる機会がなかった。
誕生日をお祝いする習慣と喫茶店を結びつけた音楽作品はけっこう多い。 からだを売らない女子高生という意味合いもこめられていたのだ。
「意味が分かるか分からないか」
それは、女子高生によって異なるだろう。 法律を作るのには仲間が必要であるし、議会構成を作る投票というのも
「誕生日」以上に、お金になるときである。
お金のある存在が法律を作るのであって、それは「政府提出法案」の場合は
各省庁の予算請求が通るかどうかにかかっている。
各省庁は「仲間作り」を成功させたら予算の請求が認められる。
ローマ法とは「イエスキリストの仲間作り」「お金」によって作られたものだ。
イエスキリストの仲間作り・お金によって作られたのではない「ゲルマン法」とは
このように区別される。
選挙の日は「外食できる」というのはローマ法の立場である。
https://www.youtube.com/watch?v=-3RyqCAJkRU コモンローはすべて、ローマ法の系譜に属するものである。
ドゥオーキンは「憲法マネーを柱として法律を作った」とし、コモンローの「マネーによる階層化」
を提示した。
ドゥオーキンは「ファミリーと水とさえいえばどんな法律でもできる」としており、
憲法マネーの源を「ファミリーと水」に求めた。
さらには、ファミリーには女子高生になる女の子もいた。
ドゥオーキンの「ルイ16世批判」は、「憲法を作った」ということからもアプローチ可能だ。
https://www.youtube.com/watch?v=nkRujTebII4 この世のことばを使えば使うほど、自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行きます。
御言葉を使わない者が神様の遣いですか?
それを奨励する者は、その穴掘りを一緒に深く掘る者である。
人間の行く先は死である。 専制主義的に作ったゲルマン法は、ルイ16世やカントによるものであったが、
イエスキリストと憲法にその根拠を見出したのがローマ法である。
大陸法と英米法は、ゲルマン法とローマ法の対立であり、
専制君主と、イエスキリスト・憲法の対立だった。
当然、大陸法にも憲法というのはあるが、憲法マネーという発想がなく、
なかなか「選挙の日に外食する」という英米法的な発想は身につかなかった。
日本の「押し付け憲法」というのもそのような側面が見られる。
「憲法は法律を作るためのマネーの柱」という発想は英米法特有のものだ。
「胸」「セックス」「女」
これらをイエスキリストは巧みに用いた。
ドイツでは「結婚」という言葉が、「風俗営業支持・性病の治療支持」を背景に
人気を集めた。
ルイ16世にとって「想定外だったのはカントだけ」とされており、
「結婚」という言葉と「ファミリーと水」という言葉がどのように関わっているかは
「想定内」「想定外」の議論となる余地はあるだろう。
日本でも「結婚は憧れ」とされているが、ルイ16世の想定外であり、
「ファミリーと水」と、「結婚」の関係も、「男女の出会いの場を作る」「王室サロン」
とどのような関係にあるかは「ルイ16世のアンシャンレジーム」「天皇制支持」
の立場から、おのずと、ルイ16世とカントという二名の王の顔を立てながら
詰めていかなければならないだろう。 こんばんは
>>764
まちこさん、ご存じの様に光太郎さんは病んでいるのです。
未だクリスチャンになっていません。
でも彼の存在するのを神は認めておられるのです。
彼には尊い使命がある筈ではないですか。
例えここに居るだけで使命を果たしているのかも知れません。
現に彼は私を慰めてくれています。
その様な厳しい言葉で他人を裁くものではありません。
彼は誰をも傷つけてはいないではないですか。 み言葉なら雑談スレにでも溢れています。
あらゆるところに溢れています。
しかしそのみ言葉は人の手により穢されてしまっています(TT
他人を厳しく批判したり裁いたりする武器としてですね。
まちこさんもお気を付け下さい。 光太郎さんは誰をも攻撃しない。
別の意味で神様の御心に適っています。 この世ののクリスチャン達は神様の尊い御言葉を武器に
他人を傷つけてしています。恐ろしい事です。
最後の審判とは言いません。
しかし必ず神の時に彼らは裁かれるでしょう。 >>766
バルタン星人さんいつもありがとうございます。
あなたのご紹介の場所は私の愛する人と何度も通った場所なのです。
あなたを感謝します。 >>764まちこ ◆y8/TfGY26o 2019/06/25(火) 17:41:49.06ID:7UEtqHXj>>768
この世のことばを使えば使うほど、自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行きます。
御言葉を使わない者が神様の遣いですか?
それを奨励する者は、その穴掘りを一緒に深く掘る者である。
人間の行く先は死である。
☆まちこさん、こんばんは。
まちこさんは、光太郎さんのことを言われているのでしょうか?
違いますよね。
御言葉を使うとは、ご自分の欲や盲目に奉仕させ使役することでなく、
御言葉を自分が生きるということですね。 褒め言葉がいい加減です。
ロムしている人を惑わさないでください。 >>774
光太郎さんが、どうということでなく、
シャロンさんは褒めるにしろ、貶すにしろいい加減である。
ですね。 >>775
なぜ、光太郎さんが神様からの遣いなんですか?
褒め言葉が、いい加減すぎます。 シャロンさんは今まで、人と仲良くするために、いい加減すぎる褒め言葉ばかり使っています。
人を喜ばす言葉ではなく、神様を喜ばす言葉を使って欲しいですね。
聞いている方も喜べません。 もっと「噛み砕いて」表現しなければ理解できないかもしれない。
ルイ16世の立場は「男女の出会いの機会を与えるのが民法」であり、「王室サロン」
において「便宜裁量」(痴話喧嘩の自由な判断)が行政法においては可能であるとした。
また、ルイ16世は「ITなどというものはすべて想定内、カントだけが想定外であった」
としている。
ここで、カントは「結婚」という制度を構築した。
「結婚に愛がともなった」とされるラブレボリューションはカントが作ったものだ。
ラブレボリューションに対して、ルイ16世は「想定外」として、フランスとドイツの共存
と戦争の歴史を繰り返した。
ドゥオーキンは「ファミリーと水さえあればいかなる富も生み出せる」とし、
ルイ16世の系譜・天皇制を打倒しようとした。
カントもルイ16世も「専制君主」であり、大陸法・ゲルマン法を作った。
ドゥオーキンなどの英米法・コモンロー・ローマ法は、「選挙の日に外食する」
ほど選挙は市民にとってはお金であるとした。
ドゥオーキンの「ファミリーと水」は、カントが作った「結婚」の中に含まれるのか(ルイ16世にとって想定内)
だったのか、それとも「天皇制打倒に一部成功したのか?」が問われる。
「ファミリーと水」が必ずしも「結婚」だけでは説明できず、同性婚や「小室ファミリー」
などというものが成立するのであれば天皇制打倒は一部成功したことになる。 なお、所有(セックス)というものが、ローマ法においては「ポッセシオ」(愛の下にあるもの)
とし、ゲルマン法においては「ゲヴェーレ」とされ、「愛がなくても」とされていたのが
印象的だ。 フランスのラカンなんてのは「愛がなくてもそもそも気持ちいい方法」を探求している。
不思議の国のアリスのように、お母さんのもとを離れて「猫に見守られながら」
穴に落ちるアリスという「一連のシーケンス」をアニメにしたものだ。 >>777
はい、そういえばピッピさんは病気なんです、を思い出しました。
そしてピッピさんに、経験と頭の良さで、素晴らしいクリスチャンになると
言われていましたよね。。。。 >>764 :まちこ ◆y8/TfGY26o :2019/06/25(火) 17:41:49.06 ID:7UEtqHXj
>この世のことばを使えば使うほど、自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行きます。
>御言葉を使わない者が神様の遣いですか?
>それを奨励する者は、その穴掘りを一緒に深く掘る者である。
>人間の行く先は死である。
御言葉を使わない者
自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行く者
↑コータローさん
御言葉を使わない者を神様の遣いという者
穴の中に落ちて行くことを奨励する者
その穴掘りを一緒に深く掘る者
↑シャロンさん
(そういう)人間の行く先は死である。
↑コータロー&シャロン また、ドイツのゴッホは「掘る」という絵画において「女にとってはこう見えるよね」
ということを探求している。
ラカンにせよゴッホにせよ「愛のないセックス」を探求した節がある。 >>773 :いさな :2019/06/25(火) 19:51:48.34 ID:itAQNTdE
☆まちこさん、こんばんは。
まちこさんは、光太郎さんのことを言われているのでしょうか?
違いますよね。
>>775 :いさな :2019/06/25(火) 20:01:05.93 ID:itAQNTdE
光太郎さんが、どうということでなく、
シャロンさんは褒めるにしろ、貶すにしろいい加減である。
ですね。
>>781 :いさな :2019/06/25(火) 20:42:49.35 ID:itAQNTdE
はい、そういえばピッピさんは病気なんです、を思い出しました。
いさなさんは、コータローさんを病気だからと免責して、
まちこさんがシャロンさんだけを批判していると
思い為そうとしている。 「法規裁量」つまり「クラスメート」「一見さんお断り」の世界がまず存在し、
この世界においては、「お店のルール」がすべてという側面がある。
一方、「便宜裁量」つまり「従姉妹」「喫茶店」の世界においては、「男を立てることを知り、
みんなが親戚のような存在」であり、街で見かけたら挨拶できるというものである。
この、ゲルマン法・大陸法の世界は、カントとルイ16世が作ったものであり、
「法規裁量から便宜裁量へ」というキャッチフレーズは、すべての女が
「猫に見守られながら穴に落ち、穴を掘る人を想像する」という政治活動を
意味している。
みんなが「親戚」であり、「ファミリー」であるという意味では、君主の力量次第で
「天皇制打倒は困難」だと考えられる側面がある。 いさな
(まちこさんは、コータローさんを批判していない。
批判されるべきは、憎っくきこのシャロン一人) 453 :神も仏も名無しさん :2019/06/22(土) 03:26:48.70 ID:e2kwVCAt
いさなさんは
自分が気に入った人には
より良く
自分が嫌いな人には
より悪く
思い為す、
そういう心の癖があるようです。
455 :いさな :2019/06/22(土) 03:33:03.87 ID:+HmyMZTJ
>>453
そんなことは、ありませんよ。
よりよくもよりわるくもありません。
その人が話している内容から、わかりますやん。
わたしは好き嫌いはない。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1560955514/453-
そんなことは、ありありじゃんか!
いさなさんは好き嫌いがありあり過ぎ! いさなさんは、ちゃんと書けないが、ちゃんと読めてもいない。
だからいけしゃあしゃあと、こんなことが書けるのだ。
>よりよくもよりわるくもありません。
>わたしは好き嫌いはない。 こんばんは
神様は私達をどんなに愛して下さっているか、。
どんな小さな事も探し出して褒めて下さる。
感謝ですね^^
まちこさんといさなさんに主の平安と祝福がありますように^^ あなたはサティに似ていますね。
観察する能力が人に対しては、ぐんと落ちます。
ではピッピさんは病気だ、と言いながらも、
当時シャロンさんがピッピさんを褒めていた時の状況を話しましょう。
私にシャロンさんはレッテルを貼り始めました。
そして、ピッピさんは、私に今も治っていないところはあるのですが、
手塚治虫や歌謡を用いて立体的に話しをするたびに、
ことごとく、GLAだとか、幸福のか科学だとか言い募りはじめ、
まったく、私が知らないそれらの宗教組織を、ピッピさんは
不気味な言いがかりをつけるのを辞めることができない、
それこそ病的な有様で、
そのピッピさんの言いがかりを、シャロンさんは利用して、
一緒になって、ピッピさんを後押ししました。
いくら丁寧に何度も説明しても、話を逸らしながら捏造、作話、嘘
で、陥れられました。
(つづきます) まちこさん&いさなさんへ
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、
義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯
でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
マタイ10:41ー42 こんばんは、カムイさん^^
>>790
神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された
創世記 1:27 創世記 1:26
神はまた言われた、
「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、
これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、
地のすべての這うものとを治めさせよう」。
創世記 2:7
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
そこで人は生きた者となった。 かなり、長期でしたので対処なくかなり辟易しました。
ところが、何かピッピさんが聖書の勉強をされはじめてまもなくしてから、
シャロンさん(ナルミさんも)に対して、目が覚めたと言わんばかりの
批判的な意見を言い始められて、
同時に周りからも、ピッピさんが徐々によい方向にあることを
評価されました。
私も、最近までえ〜っ、もう辟易だと感じていたのですが、
新生を喜び、普通の交流が少しでもできるかな、のところまできました。
私にとってではなく、私は事実に添います。
シャロンさんは、イエスとの性的な思いに苦しんでいる時でも、
持ち上げていたのですが、
そのことについても、態度が急変しました。
無責任で、我よしで、いいかげんです。 >>788
私は、光太郎さん、ピッピさんというよりも、
シャロンさんの、褒めるにしても、賎しめるにしても
同じ、いい加減さを見て、言ったのです。
まちこさんは、光太郎さんの話で、返されたかもしれませんが、
やはり、いいたいことは、
シャロンさんの、いい加減さに対してでしょうし、
個別の人の話でなく、その点が分からないと繰り返されると
思い、ピッピさんの時も同じであった、と言えば、
狭い話にならないと思い、意見しました。 >>796
シャロンさんは、
ピッピさんが私(いさな)に言いがかりをつけているとき、
一緒になってピッピさんを後押ししました。
ピッピさんが聖書の勉強はじめて、シャロンさんに批判的な意見を言うと、
(シャロンさんのピッピさんに対する)態度が(悪いように)急変しました。
(結論、シャロンさんは)無責任で、我よしで、いいかげんです。
ということですね。 神様はその時々に必要に応じて人を天使として用いられます。 病気だとして、庇うのならば、相手が自分の都合に合わなくなっても、
一貫して庇い続けなければ、おかしいではありませんか。
つまり、自分の為なら、病気という言葉さえ偽善で利用する。 >>798
いさなさんだけでなく、まちこさんもまた、
シャロンさんの、いい加減さを見て、言った
ということですね。 >>801
(シャロンさんは、コータローさんのことを)
病気だとして、庇うのならば、
(ピッピさんのことも自分が批判されようが)
一貫して庇い続けなければ、おかしい。
つまり、(シャロンさんは)自分の為なら、病気という言葉さえ偽善で利用する。 >>768 :シャロン ◆5FFwGGftRM :2019/06/25(火) 19:01:32.08 ID:4Y3WDll3
>まちこさん、ご存じの様に光太郎さんは病んでいるのです。
>>801
シャロンさんは、コータローさんのことを病気だとして庇ってますが、
もうひとつ、
>>770 :シャロン ◆5FFwGGftRM :2019/06/25(火) 19:13:02.09 ID:4Y3WDll3
>光太郎さんは誰をも攻撃しない。
>別の意味で神様の御心に適っています。
誰をも攻撃しない、とも言っていますね。
ピッピさんが自分(シャロン)を攻撃してきたから、病気でも除外、
となったんじゃないですか? >つまり、自分の為なら、病気という言葉さえ偽善で利用する。
偽善というよりも、
病気であれば、どんなことをしても庇う、というルールではなくて、
自分を攻撃しない限り、という条件が付いていたのですよ。 >>802
私はまちこさんではないし、まちこさんもわたしではありません。
もちろん。
けれど、シャロンさんと(神学とかでなく)まちこさんのやり取りが
ながらく腑に落ちないところがあり、それが氷解し始めたのです。
まちこさんは、牧師的な立場の方ですから、
いつも、遠慮と言うのか、忍耐されてきたというのも見えてきました。
ここは、言っておかなければは、まちこさんも今回のようにあるのですが、
やはり、オブラートがあって、分かり難い、になってしまいます。
そして、他の人は知らない事を、実際に交流したまちこさん、
りんごさんは、知っている。
まあ、ここまでにしておきましょうか。 >>806
実際に交流したまちこさん、りんごさんは、(シャロンさんのことをよく)知っている。
その二人が二人とも、シャロンさんとトラブルになっているのですから、
シャロンさんがどんなにいい加減な人なのか、わかろうというもの
ということですよね。 >>792
私があなたに言いたいことは、いい加減な褒め言葉を辞めて、聖書の御言葉に沿った一貫した愛ある言葉で、ピッピさんやミルナさん、光太郎さんやデオさんを褒めて欲しいです。
これは、私がずうっと言いたかった言葉です。
以上この件は終わりです。
✝まやかしの証人は滅びる。
しかし、よく(神の声を)聞く者はいつまでも語る。
箴言21:23 >>805
はい、そうですが、病気の人を庇うというのは
少し別の要素もありますからね。 >>809
他人を裁く為に聖書を用いてはなりません。
多少オーバーでも人を鼓舞する為に褒める方が余程良い。
私はそう信じていますし、褒める言葉は神様から来るのです。
反して裁く言葉は全てサタンから来るのです。
まちこさんに神様の御心がなされますように、平安を祈ります。 夜遅く霧の立ち込める山中で突然目の前に現れた白いセダン。
ゆっくり走るテールランプの赤い光に誘導されて広い道路に脱出しました。
あれは神が与えられた天使だったと今も信じています。 >>814
あなたもそのようにして、みなさんを正しい道に導いてください。 6月初め、同窓会に出席するために故郷の街を尋ねました。
同じ日に近くにある母教会を○十年ぶりに尋ねました。
牧師は歓迎して下さいました。これは現教会から転籍を勧められての
必要に迫られてやむなく行ったのです。でも牧師はニコニコ笑顔で
帰って来るならいつでも受け入れますと。 また転出の事務手続も簡単
だからと。ただ問題はあなたの心がどうか、ですよ、と言われました。
教会には愛があります。愛とはこういうものだったかと今更ながら心に愛の
思いを抱きしめています。 伝道の書
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
3:8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
アーメン 光太郎さんと普通の会話をしています。
光太郎さんを導こうと等とは思っていません。
早く会話が出来る様になればいいな、とそれだけ。
伝道は神様がされる事です。 このスレッドを閉鎖するわけには参りません。
光太郎さんがここを尋ねて下さる限り。 「ルサンチマン」
人間が恐れられる条件とは何だろうか?
「他人の心の定義が正確であること」(ルサンチマン)。
これだけである。
女性の基本はこの四曲だと思っていい。
女の子は、茶色とともに成長して、緑とともに真面目になり、
赤とともに男と向き合う。
三原色がそろって世界が明るくなると同時に、おちんちんがないことを悟り、明るい世界に、鬱な存在としていきなければならなくなる。
この「難しい年頃」を理解してくれる大人はいるのかしら。
男は賢い方がいい、女は美しい方がいい。
それならば「父と娘」はその条件を満たしてしまう。
しかし、お父さんにはお母さんがいたから、クラスメートの男子に助けを求めた。
https://youtu.be/-2JgPiIDqHQ
別れた男は「友達よりも遠い人」だった。
しかし、彼の「心の風景」が忘れられないことがある。
私のからだは他の女とどう違うのかしら?
大して顔もからだも変わらない。
彼が愛したのは「幻」というしかない。
少年のようにもっと素直なら。
https://youtu.be/ZwQs0_gcU9s
女は他の女と「顔とからだ」が大して変わらないため、
「なぜ彼が私とセックスしたがったのか」を自分なりに説明している。
男に比べて女は「問題の少ない愛」を知っている。
すべてを「過去形に変えてみたいだけ」
それは「幻を愛した」「少年のようにもっと素直なら」などの、「言葉の豊かさ」
と関わるものだ。
女の失恋は男ほど尾を引かないのだ。
https://youtu.be/-BNEBSLcQUA
雨の日は、男女ともに傘をさしたり雨に降られない場所に身を置いたり、
男が女と同調行動をとってくれる。
つまり、雨とは女の勝利だった。
でも、梅雨時ってどう思う?
女くさくて仕方がないわ。
神・男の完全性を議論すると爽快感がある。
梅雨の晴れ間の爽快感は男がくれるものね。
https://youtu.be/V1g-_MfEcQ4
ワーグナーの音楽作品にはもちろん「詩」が存在したが、ニーチェは「ワーグナーを激怒させながら」
哲学の腕を磨いた。
ルサンチマン(人間の心の定義の正確性)が他人を恐れさせる。
このスレの皆さんも誤解しあっているうちは、もちろん「誤解ではなくお金の問題」であっても、
他人の心は正確に語らないといけない。 >>820
おお、光太郎さん、
今夜もお元気で何より。
少し心配していましたよ^^
お騒がせしましたね。 ワーグナーのサウンドは純粋そのものだったし、詩も純粋だった。
しかし、純粋な音楽作品ほど「罪深い記憶」を歌っていた。
「人間、あまりにも人間的過ぎる」
これが、ルサンチマン(他人の心の定義の正確性)の正体である。
「どうやって女になったのか?」
これを「純粋な」サウンドで、正確に理解する必要がある。
「知らぬは男ばかりなり」
そう信じていたのに、あまりにも切ないサウンドでワーグナーは女の人生を歌った。
「女の人生を知ることが必要」である。
「いい女」は嘘をつかない。
男が、その女の考え方を解説する限りにおいては。
ワーグナーのサウンドは女たちをひきつけるのに十分すぎるほど切なかったし、
カントが「口説き文句」のために考えた言葉は、ニーチェにとっては「ルサンチマン」(他人の心の定義の正確性)
のために用いられた。
ニーチェは、「他人の心の定義の正確性」から、他人に恐れられた。
カントのように「女を口説く」のか、デカルトのように「恋の対象になる」のか、
それとも、ニーチェのように「ルサンチマンが恐れられるのか」の三つのパターンがあった。
ただ「純粋な音楽作品」を提供したかったワーグナーの逆鱗に触れたのがニーチェだった。
ニーチェは女たちと話すことを「アフォリズム」と呼んだ。
女たちが泣くこともあった。
ルサンチマンをアフォリズムによって、女の「涙」に変えた時に、「女の涙は千年の媚薬」
と呼ばれ、ニーチェ以降、千年王国の到来が高らかに謳いあげられた。
ニーチェが「権力への意思」を誕生させたのは、他人の心の定義の正確性と女たちとよく話したことによるものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=icgEbPjLvHk ここで、あえて「シャロンさんとは何者か?」について例を示したい。
法学部出身。
パートナーより背が高い。
子供がいる。
温泉が好き。
いつも太ももが痛い。
上半身をゆすっている。
男装をしている。 さらに補足。
ネットを一時期やめた時に太った。
戻ってきたら適正体重になった。 ばーさんたちのキャットファイトが見れるのは5chのキリスト教スレだけだよね?w おはようございます(^^)
サンアロハは、カレーが美味いお店。
https://i.imgur.com/oOsu2Rp.jpg >>807
人と人とがトラブルになるのは様々な要因がありますが、大雑把云うと
「思いがある」から、トラブルとなります。
その思いを乱暴に善意と悪意とに分けると
1.りんごさんとうしお君は、シャロンさんに悪意があり
シャロンさんを否定しようとするからトラブルとなります。
2.今回のまちこさんとシャロンさんは善意ゆえのトラブルです
自分の信条からくる確信から相手の為によかれと思って発言されたのですが
その信条がそもそも共有されてないために相手にとっては迷惑となつたわけです。
それで私は今まちこさんに迷惑とは何か、聖書に基づき実地してあげています。 おはようございます。
光太郎さん
いつもご講義だけでは無くレスはちゃんと読んで下さっているのが分かり
とても喜んでいます^^
>>824
法学部出身。 ○ミッション系○文科出身
パートナーより背が高い。 ○ 低いよ
子供がいる。 ○
温泉が好き。 ○
いつも太ももが痛い。 X
上半身をゆすっている。 X
男装をしている。 Xスカート&ワンピ
^^)
ってかこれ光太郎さんの事ね^^ >>827
ばーさんじゃ無いです。
奥様と呼びなさい、みんなそう呼びますよ。 >>828
次回横浜に行った時に是非行って見たいな^^ フェミニズム第一の波(ブルジョアと結婚したい)のときはまだルサンチマンの真の意図は
知られておらず、ニーチェは「あいつも誤解している」と語っていたが、
フェミニズム第二の波(私たちも仕事がしたい)の時に、女性の社会進出が進み、
ルサンチマン(女心の正確な定義をすること)が、男にとっても職場で恐れられる
秘密であったことが明らかになった。
パートナーに寝ている間に暴行されたことがあるため夜眠れないことや、
家庭に縛り付けられ、夫が子育てにも無関心であること(搾取)、
朝、起きたら二時間でとった行動で自分のフェティシズムが分かること、
など、本来、デカルトが「恋する条件」に女心に詳しいことを挙げていて、
カントが「女を口説く」方法として考えた言葉を、「女心の定義」(政治)に用いたのがニーチェだった。
ニーチェは「ルサンチマン」(女心の正確な定義)を「アフォリズム」(女たちと話し合う)によって、
女が涙(千年の媚薬)を流したことがあることから、権力への意思というものを思い知った。
ニーチェによって「政治」は誕生したのであり、また、「文学」も誕生した。
「イエスと言えば”たぶん”、たぶんと言えば”ノー”、これが外交官であり、マルかバツか
というのは外交官ではない」
https://www.youtube.com/watch?v=bI8Tc8YUwNc マルクスは「思春期の女心」を女性たちに語って、しかも、それをいかに「精緻化」
するかを考えた。
「十代で人生は決まる」「今となっては”そういう夢を見た”というお話」を狙ったのだ。
音楽作品ならば山ほどあった。
ようするに、寝る前に「バイブル」を読むとよく眠れた。
「女になれた喜び」をネットで語る人もいれば、ゲイやレズビアンなどの性倒錯もいた。
「抑圧」を受けているから、一日中ネットをやっている人が多く、胸を大きく開けた
服を着ていたり、男ならパンツ一丁という人もいた。
夜、よく眠るためにネットをやっていたのであり、それはつまり自由恋愛をも意味した。
なかなか異性が「釣れ」なかったときは夜中までネットをやった。
「私の心を教えて?夜、よく眠れないの」
それだけが女の目的であり、抑圧というものであった。 十代の頃の恋愛論のことを「パラダイム」と呼び、それを知ることは「マルクス主義者である条件」
であるとされた。
女性たちは「今となっては夢のよう」な経験談であり、それに詳しいマルクス主義者に
シンパシーを感じた。
ニーチェの言う「ルサンチマン」(女心の正確な定義)を「十代の頃の記憶」に限定
したのがマルクスであり、音楽作品は常に「若者の世界」を歌った。 1970年代に、昭和天皇が書いた「源氏物語」が、自由民主党だけではなく
若者にまで広く知られるようになった。
この時に「新左翼」(自由民主等の犬)は生まれた。
三島由紀夫は、新左翼に「天皇とさえいってくれれば君たちとも組める」と言って
源氏物語の境地を「生涯の憧れ」としていた。 人生に「抑圧」がなければそもそもネットなどやらない。
さらに、作家すらやらないだろう。
「創作意欲」というものはここから来るし、組織のリーダーが受ける抑圧は
「常務会」に由来するものだ。
常務会のない「ああ無常」という世界ではなんら創作意欲は湧かないのだ。
天皇がなぜ「源氏物語」を書くことが出来るのか?
自由民主党および新左翼に影響を与えることが出来るのか。
それは「日本丸」という巨大組織の頂点に立ってみなければ分からないだろう。 作家としての「生命の連続性」がなければ、昨日来た人に「天皇」も「首相」も
務まらない。
この作家としての才能に抑圧を与えてやれと言って「日本丸の舵取り」を委ねるのだ。
つまり、文学という名の「通達」を出させると言う意味である。 三島由紀夫は「金閣寺」を書いた時に、天皇は金閣寺、しかし、その影にある銀閣寺こそが
美しいとし、自衛隊(銀閣寺)の支持を得るために市ヶ谷に向かった。
自らが天皇に即位するのが目的だった。
強烈な「常務会」の存在を持ったり、ルサンチマン(女心の正確な定義)を身につけるため、
そして、アフォリズム(女たちと話をする)の環境に恵まれたかったのだろう。 「訴訟」
訴訟の背景には、「他者への憧れ」がある。
憧れの人の真似をすることを「モンキーシー・モンキードゥ」というが、
それを「請求し、確認し、形成する」という「請求」「確認」「形成」という三つの「訴訟」がある。
女子高生の支持が根強かったために芸能人生命を長らえたアーティストは多い。
すべて、みんなが自分のまねをすればいいのにという「請求」「確認」「形成」を踏まえたものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=jTJa5K-K9PI
「分かりやすい」「モテる」
これが、訴訟の背景にあり、人間活動は常に「訴訟」である。
本当の「裁判沙汰」になるのは「私の真似をしなさい」という「請求」「確認」「形成」が
失敗した時である。
人間は「賢く」なりたがっている。
なにしろ、電車やバスの中で泡を吹いて倒れたくないからだ。
このことが訴訟の背景にあり、「モンキーシー、モンキードゥ」こそが、暮らしを
快適にするのだ。
行政法においては、「アイドルの人気」を背景に下される「処分」を争う「抗告訴訟」
が知られており、アイドルの人気を批判する訴訟として知られている。
また、アイドルの人気を基盤にしていないとする(処分性がない)のならば、
形式的当事者訴訟を用いて、「あなたはアイドルの物真似をしていたのか?」
を職権証拠調べまで用いて判断することもある。
土地区画整理事業の「青写真論」というのがあるが、行政官の「処分性」が
安室奈美恵以降、認められるようになり、抗告訴訟が起こせるようになった。
しかし、これを「荷が重い」と判断し、形式的に「当事者訴訟」にしようという動きもあった。
アイドルの影響力を背景にしていたのは同じであるが、「影響力を持ちたのか」(抗告訴訟)、
「物真似をしたのか」(当事者訴訟)の違いが学説に生じた。
判例は、抗告訴訟に含めるようになっている。
偶像崇拝がなければ、そもそも、訴訟というものは生まれなかった。
真似をされると右腕の力が落ち、字が汚くなり、パーキンソン病の恐れがあるとも言われる。
大事なことは「マンガのように分かりやすい」ことであった。 民事訴訟の世界では「男女の出会いの場を増やす」「性病の治療をする」「子供に職を与える」
などの世界で「私がモデル」であることを求めて訴訟というものは行われるが、
行政法は「偶像崇拝」の世界である。
民間人同士で真似をしあうことを「民事」と呼び、偶像崇拝を背景にしたものを「行政訴訟」
と呼ぶのだ。
アイドルの真似をさせることを「行政訴訟」と呼び、姉妹や自分についてきた女を東大生が
利用する「処分」と「抗告訴訟」や、抗告訴訟は負担が重いとし「真似をしていたかどうか」
を判断する当事者訴訟などは、すべて偶像崇拝を背景にしているのだ。
芸能界との深い関わりが行政官には存在し、そうでないのならば、民間人同士の
民事訴訟の世界を生きることになる。
「読モ」というのは民事訴訟の世界だと思われる。
https://www.youtube.com/watch?v=-7YJkt-4R1A&t=208s プロスポーツ選手が用いる「技術」はつねに「真似をする対象」とされ、行政訴訟である。
アイドルの影響力を用いた「処分」でも、物真似をしたかどうかを判断する方向に誘導する
形式的当事者訴訟でもなく、プロスポーツ選手の物真似をしたかどうかは「実質的当事者訴訟」
である。
オンエアされるかどうかで「行政訴訟」と「民事訴訟」は区別され、いまだに地上波の
影響力はもっとも強い。
訴訟(他人の物真似)は、みんなを賢くさせるためにあるものだ。
女子高生でも「セブンティーン」「ポップティーン」「ランズキ」などを読んでいる。 なんか、まちこがらみでややこしいのかな?
ネタはない。
阿弥陀仏の空間的光明について・・・探求中なのじゃ・・・・。 ノーマン・マルコム(マルコムX・1968年)が黒人に与えた影響は強かったし、
チャールズ・テイラーなども「映像の世紀」を存分に活用した(1964年)。
真似をするだけで目的が達成できることが必要であったし、
その業界は「物真似」「影響力」で作られていた。
みんなが賢くなるのが「訴訟」の目的であり、「裁判沙汰」とは異なる学問なのである。
特に、女性やマイノリティを「賢くさせる」政策を、アファーマティブアクションと呼ぶ。 部落民をどのようにしたら「テレビを見ただけで、賢くさせる」ことができるのだろうか?
「母ちゃんが男を作った」
このような子供をどのように賢く出来るのかは非常に難しい。
アファーマティブアクションというのは非常に難しい学問なのだ。
2003年や2016年にアメリカ連邦最高裁が問題にしているが、
つい3年前にも「難しい問題」として議論されていた。 >>844
デオ君久しぶりです。
もう来ないかも、と思っていました。
まちこさんといさなさん、そして名無しの攻撃が悲しくて悲しくてTT
彼女たちは他人の痛みなど知った事じゃない。自分の正しさを主張できれば
それで良いのです、過去のスレから引っ張り出して何度も貼り付けてスレを
汚します。邪悪だとか嘘つきとか捏造とか、ありとあらゆる罵詈雑言。
まちこさんは悪口は言いません(キリっ、と言い放ちますが私の悪口だけはしっかりと。
私はそんな悪人ではありません、偽預言者でもありません。普通の家庭婦人です。
何故あの様にしっかり他人を傷つけておいて何もなかったように笑ってられるのか、いくら
クリスチャンと言えど限度があります。本当に悲しくて悲しくてTT
糖質さんを褒めて鼓舞したら褒め方が悪いと。
糖質(光太郎)さんが御言葉を使わないのにおかしいと。一方的に。そこに
いさなさんが応援に駆けつける。名無しさんも加わり過去スレを貼り付けてまるで
魔女裁判よ。
反論すれば待ってましたとばかりにトラブルメーカーだと。
距離を置こうとしてもダメなんです、必ず攻撃はまちこさんといさなさんから。 もう
早く神様が助けを、公平な裁きを、と夜も寝ずに・・・ >>848
キリスト教布教作戦はとりあえず終了したので、ネタ減り気味なのです・・・・・・。
布教対象者は、その人が行っている教会で優れた人とイエス様におまかせなので・・・・・・。
阿弥陀仏の謎の探求にはまりまして・・・・・。
浄土宗とお坊様と話をしてきた笑。道端で・・・・・・・・。 >>848
ま、天上の霊的な主の世界と、
イエスとの深い関係が、悩み困難の解決に至ると・・・・。
布教対象者に言ったなあ・・・・・・・・。
あ、これ、ネタやな。
ま阿弥陀仏の謎にはまり過ぎて出てこなかった笑。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています