https://blogs.yahoo.co.jp/triratnachandra/14812822.html

>多くの現代人にとって,大乗仏教に対する心からの信仰を生み出すために乗り越えなければならない困難な障害の主要なものの一つには,
大乗仏教が拠り所としている種々の大乗経典は歴史的存在である釈尊の言葉ではなく,後世になって何者かによって創作されたものにすぎないという批判があります。
>これは大乗非仏説の主な根拠であり,大乗仏教誕生当初のインドからずっと主張され続けているものですが,特に歴史学の発達した現代に生きる私たちに対して強い影響力があると考えます。
>実際のところ,上座部仏教の実践者の中には,この点を強調して,大乗経典は捏造されたものであり,まったく無価値なものであると断言している人もいます。
 
>一方で,一部のチベット仏教の師たちのように,現代に到るもなお,あくまでも大乗経典は歴史上の釈尊が説いた教えそのものであると主張する人もいます。
>このような人たちは,そのように主張し自ら信ずることで,大乗経典を尊重することができ,その結果として大きな利益を得ていると私は考えています。
>したがって,大乗仏教を信じる人のうち,大乗経典は歴史上の釈尊が説いた教えであると心から信じている人には,以下の検討は不要となるでしょう。実際,近代以前の人々にとっては多くの場合不要であったと思います。
>しかしながら,科学的知識が発達した現代を生きる私たちにとっては,歴史学が明らかにした事実に内心不安を感じながら見て見ぬふりをするだけでは,大乗仏教に対する心からの信仰を生み出すことはできないでしょう。
>したがって,歴史学が明らかにしたように,現代において大乗仏教に信を置く者は,大乗経典は歴史上の釈尊が活躍した時代よりずっと後に現れたものであることを,まずは正面から認めなければなりません。