阿含宗という宗教300
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過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
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https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544433675/ >>32 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 14:41:52.19 ID:c0Nl1eCh
>いや、別にユビくんが四禅を涅槃と言った、とはレスしていない。ただ、これまで、四禅定の内容が解脱を示している、と長年誰かさんたちが論争していたでしょう。だから、大局的に見たら、釈迦が四禅より深い非想非非想処定を涅槃ではないと言っているわけだからが結論。
ペテン大作さんと深山さんの話ですか?
だからどにらもそんなこと言ってませんよ。
だからあなたが出した結論など何の役にも立ちません。
何が議論の課題なのかわからない時は沈黙していた方がよい。 桐山新書のP131に、正しい四向四果の説明があります。阿羅漢向(阿羅漢へ向かう人)・阿羅漢果(阿羅漢になった人)、とありますね。これで深山くんの阿羅漢向=阿羅漢=阿羅漢果、という考えの間違いに気づくでしょう。向かう人となった人が同じわけがないのです。 >>33 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 14:54:43.30 ID:c0Nl1eCh
>議題にした四双八輩の、仏陀の真実の教えを説く下巻の遊行経には、「得須陀温 不過七生必尽苦際」とある。必尽苦際は涅槃のことである。釈迦仏教の涅槃は煩悩滅だけでは不完全で、すべての束縛から解脱しないといけないわけですね。だから煩悩解脱は小解脱です。
煩悩解脱が小解脱に過ぎないという桐山説がどうしてこの向シュダオン、 預流向の扱いの話の中で唐突に出てくるのだ ?
本当にあなたの頭の中って 考えがまとまってないのですね 。
あなたの主張とは、向シュダオン、預流向はまだ三結を完全に断ち切っていないから 聖者でないということです。
ところが桐山さんの煩悩解脱は小解脱だというのは、三結を断った 得シュダオン、シュダオン果、預流果に限らない 。
なぜならまだ よく欲貪と瞋恚の煩悩をも残しているからです。
三結、五結、五下分結、五上分結これは全て煩悩です 。
煩悩以外のものはありません 。 なぜなら結とは煩悩の別名であり そして四沙門果の条件は この結という煩悩がどれだけ断たれているかそこしか指標はないのです 。
そして五上分結の煩悩をも断った者が阿羅漢果です。
ならば桐山さんは阿羅漢果は小解脱に過ぎないと言ったことになる。
そこにあなたがシュダオンに限った話を持ち出すことは、全くのピント外れと言うか 桐山説もわかっていないことになります。 >>35 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 18:03:17.81 ID:c0Nl1eCh
>第二、第三のチューダバンダカという例えは、釈迦のサンガにはユビくんみたいな弟子も居る。それをチューダバンダカに例えたのです。学習障害者だとて、私は差別しませんよ。ユビくんも学習障害者ですからね。サンガには聖者になる前のバンダカみたいのが沢山居るのよ。
それは例えが適切ではありませんね。
あなたは年間に1日だけしか修行しないとか年間に5日しか修行しない者などあなた自身を思わせる
怠け者を聖者と言えるかなどと書いたが、 チューラパンタカは 物覚えは悪く言葉による理解力も人よりも劣るけれども 、
それでもおにいさんと一緒に 真面目に修行に励み、そして 課せられた掃除をすることによって、本当の修行とは自分の心の汚れをなくすことだと悟ったわけです。
それは仏教の悟りそのものであり、彼は阿羅漢果にまでなったのです 。
心の汚れも単に理解するだけでなく、ちゃんとなくしたのでしょうね。
そういうチューラパンタカを たとえに持ってくること自体が間違いです 。
やはりあなたは理解力が乏しい 学習障害の面でしか彼を評価していないのです。悟りを開く前ね。 >>37 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 18:19:35.95 ID:c0Nl1eCh
>己は須陀温向だと分かれば三結を無くす修行に一生懸命になる。すると桐山師の教えがよく理解出来るようにもなる。深山ユビくんは三結、特に身見を無くす修行をしていないから、桐山師の教えを、間違えて解釈していることが多いのです。そして誤った修行をしてしまう。
身見をなくす修行をしていないのはあなたでしょうが。
そもそも身見の意味を取り違えています。
それは世間で言う我見、独りよがりの独善的解釈という意味ではありません。
あくまでも霊魂のような永続なるものが自分を形成しているという考え方、これが有身見という間違った考え方であり、
ここを理解するように努めねばならないのです。 >>39 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 18:28:32.12 ID:c0Nl1eCh
>桐山新書のP131に、正しい四向四果の説明があります。阿羅漢向(阿羅漢へ向かう人)・阿羅漢果(阿羅漢になった人)、とありますね。これで深山くんの阿羅漢向=阿羅漢=阿羅漢果、という考えの間違いに気づくでしょう。向かう人となった人が同じわけがないのです。
だから深山さんはそんなことを書いたことは一度もないのです。
書いたと言うならば引用してみなさい。
とにかくあなたは議論の相手が何を 主張しているのかが全く理解できていません 。
まずは読解力を身につけなさい。
小学校からやり直した方がいい。 >>35 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 18:03:17.81 ID:c0Nl1eCh
>ユビくんも学習障害者ですからね。
これって実際に世の中にたくさんいる学習障害者に対する侮辱だということをあなたはわかってますか ?
世の中には分からず屋とか偏屈者とか そういう意味での理解の乏しい奴らがいますよね。
私がそうであるどうかは別として。
だからそういう者を学習障害者と一緒くたに決めつけるのは、これは学習障害に対する理解がない証拠であり、
彼らを侮辱しているのです。 私は学習障害者もこよなく愛していますよ。それの何が侮辱かな?
釈迦が最初の弟子にするときの五比丘にかけた言葉は、「修行して苦滅を得るがよい」です。次のヤサの友人を弟子にするときも、カッサバ兄弟を弟子にするときも同じ言葉です。 木連や舎利子を弟子にするときも、ことごとく、かけた言葉は「苦滅を得るがよい」であって、「煩悩を無くすがよい」ではない。これは釈迦仏教の悟り=涅槃は、苦滅であるからです。煩悩滅はその大きな条件の一つに過ぎない。深山ユビくんはそこを理解していない。 >>45 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 19:14:53.63 ID:c0Nl1eCh
>私は学習障害者もこよなく愛していますよ。それの何が侮辱かな?
釈迦が最初の弟子にするときの五比丘にかけた言葉は、「修行して苦滅を得るがよい」です。次のヤサの友人を弟子にするときも、カッサバ兄弟を弟子にするときも同じ言葉です。
そうであるならば言葉には気をつけた方が良い 。
私のような議論の相手をして学習障害などと 決めつけることは、私に対する侮辱ではなく、
学習障害者に対する誤解を与える発言なのです。
だからよくよく考えて発言しなさいということです。
それからあなたは 悟りを開く前のチューダパンダカみたいな人を 聖者ではないとした。
しかしチューラパンタカは悟りを開いた後も学習障害は変わってないんですよ 。
もし学習障害を克服して知能が高くなったというのならば、そういうことも経典に示すはずです。仏教の修行の功徳として。
しかしそういったものは説かれていない。
学習能力が低くても、心が汚れてさえいなければ仏教の悟りは得られるのです。
逆にどんなに学習能力が高く頭のいい奴でも、心が汚れていればそいつは落第です >>46 神も仏も名無しさん 2019/01/10(木) 19:23:01.35 ID:c0Nl1eCh
>木連や舎利子を弟子にするときも、ことごとく、かけた言葉は「苦滅を得るがよい」であって、「煩悩を無くすがよい」ではない。これは釈迦仏教の悟り=涅槃は、苦滅であるからです。煩悩滅はその大きな条件の一つに過ぎない。深山ユビくんはそこを理解していない。
ならば一つテストをしてみましょうか。
あなたは煩悩滅を苦滅の大きな条件の一つとした 。
じゃあなんで煩悩を滅すると苦が滅するのですか?
その原理メカニズムを書いてみなさい。
これが正しく書けるかどうかであなたの理解度がよく分かります。
繰り返すが、チューラパンタカは学習障害というハンディはそのまま残しているのです。
それでも彼は苦滅を成し遂げたのです。
どうして成し遂げたのかその原理メカニズムを論じてみなさい。 >>34神も仏も名無しさん2019/01/10(木) 16:53:55.18ID:BBOJU1wP
>貸与された物は売っちゃいけませんな。
十三仏大曼荼羅の件はどうなったのだ?
適当なことを口から出まかせで言って、嘘がばれても
恥じることもなく、ぬけぬけとこうやってまたお説教を始める。
150万円の大曼荼羅は、京都のT社のUさんという彫師が彫った作品で、
全部で290しかありません。
阿含宗の法施はチンケな夜店のガラクタが多い中、大曼荼羅だけは
仏教美術品としてはまともな作品です。
宝生創価さんはこういう事を何にも知らないで書いているのでしょう?
他に書きようもないから、何も関係ない河口慧海など出して、
いかにも自分の知識はすごいとハッタリをかけたつもりです。
ただのハッタリだから、いつものように、日本語としても意味不明。 >>34神も仏も名無しさん2019/01/10(木) 16:53:55.18ID:BBOJU1wP
>貸与された物は売っちゃいけませんな。
貸与だとどこに書いてあるのだ?
入信する時の文面のどこにご宝塔は貸与だと書いてあるのですか?
勝手に桐山さんがそんなふうに言い出しただけです。
貸与という契約だというなら、はっきり文章に書き、
読み上げて、本人に同意を取り、サインをさせるべきです。
宝生創価さんは行歴が長いわりには
ご宝塔を返せという桐山さんの本音を理解していないようだ。
宝生創価さんて本当に桐山さんのことを何も知らないのですね。
霊的な理由で、ご宝塔だけは返せと言っていると信じているのですか?
桐山さんには、宝生創価さんと同じで、霊能力なんてない。
彼の「エイッ」はただの気合いで、中身は何もない。
ご宝塔を返せというのも、何か霊的な力があるように見せかけるためです。
あなたと同じでハッタリです。
別な、現実的な理由がある。 >>34神も仏も名無しさん2019/01/10(木) 16:53:55.18ID:BBOJU1wP
>貸与された物は売っちゃいけませんな。
ご宝塔を返せと始まったのは、辞めた人たちを仏罰(法罰)で脅かすためです。
桐山さんは辞めた連中が憎い。
自分を見捨てられたことが悔しい。
彼はものすごく自己愛の強い人で、ちょっと傷つけられると
痛みを十倍くらいに感じるエゴイストだった。
信者を辞めるとは桐山さんを否定することです。
彼はものすごく傷つくから、何かで復讐したかった。
「このご立派なオレ様を捨てるとは、キサマら、今に吠えヅラかくなよ!」
というのが桐山さんの本音です。
そこで、ご宝塔を捨てたら仏罰が当たると脅かした。
悪因縁や霊障で人々を脅かすのと同じです。
疎水にご宝塔を投げ込んだ人が一人は自殺、もう一人も
三年以内に病気で死んだと布教用のパンフレットに書いた。
阿含宗を立宗して、コンピューター導入などといかにも科学的、
近代的な宗教であるかのようにみせかけたパンフレットに、
古色蒼然とした仏罰による脅かしを書いた。
この話は古い機関誌にもあって、桐山さんは適当に話を膨らませるから、
書くたびに話の内容が違っていた。
桐山さんは自分を見捨てた連中に復讐するために仏罰で脅かした。
それがご宝塔を粗末にしたら、タダでは済まないという脅かしです。
ご宝塔を捨てた人たちは、仏罰の話に「もしかしたら・・・」と
怯えるのを桐山さんは期待しているのです。 >>34神も仏も名無しさん2019/01/10(木) 16:53:55.18ID:BBOJU1wP
>貸与された物は売っちゃいけませんな。
桐山さんの作った宗教でも小説でも、基本は、
・オレ様はものすごくエライという自己評価の異常な高さ、
・社会的にもエラクなるのが当然だという強烈な出世欲、
・才能を認めるどころか、刑務所に放り込んだ世間への激しい復讐心、
この三つの組み合わせです。
この三つのゲロを素材に密教や阿含経を粉飾して作り上げたのが阿含宗です。
だから、ご宝塔返却の件も、元をただすと、桐山さんの強烈な復讐心から出ている。
もちろん、ご宝塔を捨てても仏罰なんて下りません。
なぜなら、あれはただの金属と石ころでできたモノにすぎないからです。
だから、これを読んでいる信者や元信者で、ご宝塔に何か力があるのではないかと
内心思っている人がいるなら、ぜひ釈尊の教法を思いだしてほしい。
釈尊が物を拝めとか、物にオミタマがあるなんて説いていますか?
ご宝塔に何か入っているとすれば、それは上記の三つの桐山さんのゲロです。 >>34神も仏も名無しさん2019/01/10(木) 16:53:55.18ID:BBOJU1wP
>此処で閑談 創価の天敵は阿含宗でございまして、猊下が1977年刊行密教入門に説いた
天敵??
相手をやっつけてこそ天敵と言える。
桐山さんがいつどこで創価をやっつけたのだ?
桐山さんは『霊障を解く』で反論して、それでどのような効果があったのだ?
創価が衰退しましたか?
阿含宗から信者がオウムに流出したことは知っているが、
創価から阿含宗に来たなんて話は聞いたことがない。
桐山さんの創価への反論も、いかにも創価からの攻撃に反撃したかのように
見せかけているが、先に手を出したのは桐山さんです。
1979年に「運気と運期」と題して週刊誌に連載した中で、
大作さんを取り上げて、彼のような初年運は、
「五十歳代に入ると凋落する。五十八歳以後は悲境に沈む。」
(週刊新潮、1979年5月3日号、72ページ)
と書いた。
桐山さんが創価に喧嘩を売ったのです。
桐山さんはたしかに教団批判はしていない。
だが、教祖を悲境に沈むなどと、教団批判よりももっと悪質な個人攻撃をした。
どうしてこんな事をしたのか、その理由を桐山さんが法話で話していたのを私は聞いた。 >>34神も仏も名無しさん2019/01/10(木) 16:53:55.18ID:BBOJU1wP
>此処で閑談 創価の天敵は阿含宗でございまして、猊下が1977年刊行密教入門に説いた
桐山さんによれば、有名人に攻撃を仕掛けることで、そうでない人が
自分を売り込むというのです。
桐山さんは法話で他人の事として話したが、
有名人とは大作さんのこと、そうでない人とは桐山さんのことです。
知名度も教団の規模も桁違いです。
巨大教団を率いる大作さんに初年運とインネンを付けることで、
対等の力があるかのように自分を売りだしたのが桐山さんです。
宝生創価さんが阿含宗を創価の天敵というのと同じ手法です。
あなたも創価にはかなわない。
そこで、いかにも自分が創価に勝利をおさめたかのように
阿含宗を天敵などと名乗って虚勢を張った。
それで、結果はどうでした?
天敵は創価を滅ぼして勝利を得ましたか?
阿含宗は衰退し、W田さんに乗っ取られ、一方、創価は相変わらず
政権与党に入り込み、権力をものにしている。
天敵にしては創価に小さな傷一つ負わせられないではないか。
その信者の宝生創価さんも創価から叩き潰されて、
逆恨みして私を創価信者と決めつけて八つ当たりするしか能がない。
私は信者時代、創価の信者を論破しました。
宝生創価さんみたいに口先とハッタリだけの無能で、
教祖の本も買わない礼儀知らずとは違います。 >>1さん、スレ立てをありがとうございます。
>>8さん、いつもご苦労様です。 ちなみに私は退会をした時は法施グッズなどはすべて道場の納札箱に納めました。
まあいわば教団の指示通りにやったということになるが、これは別に 粗末にしてはならないとかそういう意味ではありません。
ゴミを引き取ってくれるんだから、ありがたい話だからです。
私は大昔、中学生の頃、黒い宝塔を叩き割ったことがありました。
これは自分が当時の桐山密教をばかばかしいと思って叩き割ったのであれば良いのだが、
そうではなくもう自分自身がどうなってもいいという自暴自棄の気持ちでやったものです。
そういう過去があるから、今度は本当に健全で明澄な気持ちでやめるのだから そんなことをする必要はない。
ちゃんとゴミを引き取ってくれる納札箱に納めれば良いと思ったわけです。 最初地区道場に行って 退会の手続きを取りその場窓口で宝塔を三基、打ち敷きとともにお返ししました。
残りの法施グッズは納札箱に汗をかきながら入れたものですよ 。
そもそも登山用の大きめのリュックサックだけに収まらず、その他に大きめの鞄に入れて持ってきたものです。
電車で移動するのは大変だから車で来て F 市の市役所の駐車場が日曜日は無料で利用できるので、
そこに停めてそこから歩いて地区道場に行き納札箱に納めるまで一汗かくわけです 。
まあでもその程度のことでゴミを引き取ってくれるのだから、これでスッキリして帰りました。 で十三仏大曼荼羅を 売った方はこれはもちろん退会した人でしょう。
いくらで売れたのかは知らないが 、売れるのであればお金に変えた方が得なわけです。
それはこちらの自由と言って良いわけです。 >>58丹波哲郎さんに聞いてください。
あ?死んでるか(笑) >>58
まず、阿鼻野街道を通ります
そして、賽の広場に到着します。
三途の川でそれぞれ地獄餓鬼畜生に
振り分けられます。
広場でブラブラしてると
100年に一度大洪水があり
みな流されます
その中で
阿含宗のシュダオンは
三途の川や阿鼻野街道を見ることなく
高速で冥界まで飛んでいけます
そして冥界にある
阿含宗の冥徳福寿墓陵で一休みしてから次の生に転生していきます。
阿含宗の墓を購入していないと
冥界に行っても休憩する場所がありません
墓を購入しましょう❗w ちなみに桐山さんの新著に対しては、私は前スレ、 さらに前々スレからいくつも批判点を書き続けてきました。
ヨル公さんなどは その一つ一つについて覚えてもいないでしょう 。
私が書いたのだけでも70レスぐらいあるかなあ?
それを貼ることも可能ですが、それを一気にやってしまうと連投荒らしみたいになるので、それをやる気はありません。
必要に応じて、その一つ一つを貼っていくこともあると言っておきます。
ヨル公さんも一つのネタにこだわると そればっかり書きますが、私の批判点は いくつもあるのだということを覚えておいてください。
その一つ一つに対して反論することができるか?ということですね。
別に挑発してるわけではありませんが。 >>60
質問をばとりあえず一つ。
その斉の広場にいるわけですが、いわゆる子孫に対して 悪影響を与える霊障というのは、 その斉の広場で起こしているものなんですか?
それともここに来た人は霊障にはならないのですか ?
それから大洪水が来ていよいよ地獄の底まで流されてしまうと霊障というものはどうなるんでしょうか?
消えてしまうのでしょうか ?まだ残るのでしょうか? >>62
子孫ね、
時間とか空間とか
距離は関係ないでしょ
本体がいなくなっても
影?が残るとか
後遺症だっけ?
なんでもいいよ
なんか跡に同じようなのが残るらしい
だからどんどんいくらでも増えてくw
影でも臭いでも後遺症でも一体の霊障として10万円で成仏させるんだって
桐山管長。 >>63
まあ本人が生きていても、霊障の不成仏霊にされちゃうわけですからねw >>54 創価学会ねぇ、もう終わりが見えてますよ。
かなうとか、叶わないのレベルじゃないですね。
正味の会員が20万人程度ではやっていけないでしょう。
折伏という自転車操業が止まった、是が終わりの始まりなんです。
アレの一件は会員が口を噤んでますが、とっくにばれている。
全体主義が一番良いと公言する御教祖は不要のゴミ。 私が四向四果に拘っているのは、四向四果は阿含教学の基本だ、と桐山師が言っているからです。その基本を間違えている深山ユビくんとは、他の議題で議論したくないわけです。先ず基本を理解してからにせよ、と言いたい。煩悩滅がなぜ苦滅につながるか?もしかり。 煩悩滅がなぜ苦滅につながるか?
経典をよく読むと、苦には大別して二種あることが分かる。新苦と古苦です。古苦とは既に為した悪業による業報苦のこと。新苦とは古苦以外の苦です。煩悩滅は新苦を無くすのであって、古苦=業報苦、を無くすわけではない。 しからば古苦=業報苦はどのように無くすのか?これは三段論法、四段論法を理解する知恵がないと理解出来ない。だから先ず預流向が聖者ではないことを理解せねばいけない。八輩=サンガ、であることを理解せねばいけない。新書の遊行経で桐山師は僧伽と訳してますね。 八輩が聖者たちであると言っても、須陀温向が聖者だと言っているのではない。金山に入って大きな金塊を見つけ、「金だ!」と叫んだとしても、金塊すべてが純金でないことは大人なら知っている。金塊を溶かして不純物を除き純金に仕上げる。八輩聖者も同じことだよ。 深山さん、ユビキタスさん、知っていたら教えていただきたいのですが。
まだ道場に通っていた頃に、宗務局の職員から桐山さんの法話を聞いて
行きなさいと見せられた法話ビデオがありました。
その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
もっと高額だったかな?はっきり覚えていません(笑))
だまされてお金を持ち逃げされたとの話をしてました。
「あれ?桐山さんて大神通力をお持ちのはずでは?
何故自分をだまそうとしている詐欺師の心の中を透視することが
できなかったのかな? もしかして、桐山さんは神通力もってないんじゃ・・」
という感じで、私の洗脳にヒビが入ったわけですけど(笑)
情報が少なくてすみませんが、上記のような事件の詳細を知っていましたら、
詳しく教えて欲しいです。
よろしくお願い致します。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
>もっと高額だったかな?はっきり覚えていません(笑))
詳細は他の人のほうが詳しく、その方の書き込みをまとめるなら次のような話でした。
また聞きであることを前提としてお読みください。
阿含宗顧問という肩書で阿含宗に入り込んでいたのがM野氏です。
彼のM野建設が阿含宗の土地売買のいっさいを取り仕切っていた。
M野氏が阿含宗の「数十億円」を持逃げしたという人物です。
桐山さんは彼が海外に逃亡したと言ったが、真っ赤な嘘で、
品川区の御殿山にあるТ橋氏宅にいた。
つまり、犯人の所在がわかっているのに、阿含宗は何もしなかった。
Т橋氏もまた阿含宗に関わって、桐山さんの警護をしていた人たちは
このТ橋氏の部下です。
その警護の一人のТ石氏が拳銃で武装していたのを職員が目撃しています。
Т橋氏の父親は右翼のボスで、Т橋氏もまた一時期、桐山さんの秘書のように
桐山さんに付いてまわったことがありました。
M野氏とТ橋氏は日大時代の親友です。
つまり、この二人が組んで、阿含宗から数十億円を持ち逃げした。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
桐山さんの警護の人については次のような書き込みもありました。
ある時、桐山さんの警護のТ石さんの元気がない。
Т石氏はТ橋氏の部下です。
理由を聞くと、Т石氏の所属するТ橋氏の組の若い衆が、
暴力を取り締まる新法で、みかじめ料を出さなくなったパチンコ屋に銃弾を
撃ち込んだので、組の存立が危うくなり、Т石氏の元気がなかったという。
この話からも、Т橋氏やТ石氏がヤクザであることは明らかで、
こんな人が桐山さんの警護や秘書までしていたことに
読んで私はショックを受けました。
警護のТ石氏は桐山さんのそばにいたこともあり、
姿を覚えていますから、あの人がその種の組の人で、拳銃まで
持っていたなんて、ゾッとする話です。
この話で思い当たるのが、暴力団を取り締まる法律ができて、世間がホッと
している時、桐山さんが「ただ取り締まれば良いというものではない。
彼らの生活も考えてあげないといけない」などという奇妙な発言をしたことです。
聞いていて、とても違和感がありました。
しかし、法話をする桐山さんの壇上の隣にヤクザがいたのですから、
筋が通ります。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
騙された金額は30億円を超えていたという書き込みもあります。
この金額には説得力があります。
銀座ビルを売却したことです。
数億円程度なら、当時の阿含宗の体力なら、銀行から借りることもできたでしょう。
だが、30億円となると、もはや銀座ビルを売るしかなかったのでしょう。
桐山さんは銀座にビルを持つのがステータスだったから、
よほどの理由がない限り、売却するなどありえない。
数億円程度の持逃げなら売る必要もなかったが、
巨額の穴が開いたから、泣く泣く売却したのでしょう。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
30億円持逃げ事件は単なる詐欺事件ではなく、
・阿含宗が深くヤクザなど裏社会と関係していた、
・阿含宗は30億円を犠牲にしてでも隠したい悪事をしていた、
という点が重要です。
読んでいる信者さんたちにも考えてほしいのだが、
どうして阿含宗は多額の詐欺にあいながら、警察にも届けず、
裁判にも訴えないのかという点です。
桐山さんは犯人が海外に逃亡したからと言ったそうだが、
仮に海外に逃亡しても、警察に訴えることはできます。
しかも、実は犯人は逃亡などしておらず、桐山さんも良く知っているТ橋宅にいた。
なぜ訴えないのか?
訴えたら、むしろ、阿含宗側にとってまずい事になるからです。
持逃げしたM野氏などは、阿含宗の悪事を知っているから、
弱みを握っており、阿含宗が訴えないのを知っていた。
だから、堂々と東京の友人宅にいられたのです。
阿含宗の土地関係の仕事をしていたというから、
裏の汚い仕事を一手に引き受けていたのでしょう。
つまり、阿含宗の裏側を全部知り抜いている。
こんな連中を訴えたら、全部ばらされ、逆に阿含宗が
違法行為で制裁を受けます。
だから、泣き寝入りするしかなかった。
30億円を泣き寝入りしたのだから、ものすごい悪事だということになる。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
信者さんたちにこの件をもう一度良く見てほしいのです。
30億円も持逃げされても黙っている理由は何ですか?
一発殴られたら、10発殴り返すと公言するほど強気の桐山さんが、
30億円も騙し盗られて、なんで泣き寝入りしているのですか?
相手に弱みを握られているからです。
阿含宗が後ろ暗いからです。
30億円ものお金をあきらめるしかないほどの後ろ暗い弱みを握られていた。
世間にばれたらまずいような悪事を桐山さんはしていたことになるのです。
桐山さんが脳梗塞になり、夫人が死に、阿含宗がガタガタなのを見て、
沈みかけた船からネズミが逃げ出した。
信者が知らなかっただけで、船の底にはたくさんの小汚いネズミどもが巣食っていた。
しかも、勝手に入り込んだのではなく、桐山さん自身がネズミに餌を
与えて、持ちつ持たれつの関係を保っていた。
この小汚い船の上で、何も知らない信者は霊的浄化と称して焚火をしていた。
いや、今でもしている。 >>67 神も仏も名無しさん 2019/01/11(金) 08:52:15.72 ID:1gIgwsdm
>煩悩滅がなぜ苦滅につながるか?
経典をよく読むと、苦には大別して二種あることが分かる。新苦と古苦です。古苦とは既に為した悪業による業報苦のこと。新苦とは古苦以外の苦です。煩悩滅は新苦を無くすのであって、古苦=業報苦、を無くすわけではない。
ちなみに私の予定していたシナリオによると、ヨル公さんから何らかの回答を頂いた後、
「ボーッと生きてんじゃねーよ!!」
と大喝した後、森田美由紀さんにご登場いただき、次のように語っていただく。
ここで全ての日本人に問います。
煩悩と苦の関係、または煩悩がなんであるか?苦がなんであるか?どうして煩悩をなくすと苦も滅せられるか、
という理由がわからない人がいかに多いことか。
それもわからないでいて、
やれ「もう、お父さんったら子煩悩なんだから」だの、
やれ「人生楽ありゃ苦もあるさ」だの、
やれ「おまえと苦楽を共にしたい」だの、
やれ「余は苦しゅうない。近う寄れ」だの、
言っている日本人がなんと多いことか。
しかしユビちゃんは知っています。
ということで、再度私の登場となり、
「煩悩を滅すると苦も滅することになるのは・・・・
煩悩そのものが苦だからー」
と書くつもりでしたが、あなたから予想外の回答が来ました。
それ自体はなかなか良いことを言っているなと思いつつ、
しかしこれだと桐山さんを否定することになるので、それを教えてあげねばなりません。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
桐山さんはずいぶんと汚い人で、ヤクザとのつながりは噂されていたが、
ここまでズブズブで、しかも、弱みとして握られるほどの悪事まで
なしていたとなると、話は別です。
拳銃で武装した警備員に守られていただけでも、反社会的な行為です。
さらに30億円を捨ててでも隠したいことがあるのです。
どうやら、想像以上の闇が阿含宗にはあるらしい。
この件と関連しているのではないかと思われるのが、教団の相続です。
本来、桐山さんの子孫に相続することが宗規でさえも決まっていたのに、
親族でもないW田さんが引き継いだ。
しかも、平河出版社の社長の椅子まで長女は明け渡した。
たぶん、関連会社はすべてW田さんに明け渡したのでしょう。
僧階と教階を見ると、長女はまだそれなりの位階をもらったが、
次女の婿殿は下っ端です。
金銭的なメリットを明け渡し、阿含宗での名誉さえもろくに与えられていない。
だが、堤一族がW田さんと戦争しているという噂もない。
なぜ、正当な相続権のある堤一族がおとなしく引き下がったのか、不思議です。 >>70探究者2019/01/11(金) 09:15:10.48ID:1aqyxSBX
>その法話ビデオの桐山さんが、詐欺師に3億円(ぐらいだったと思いますが、
堤一族がおとなしく引き下がった最大の理由は借金でしょう。
「教団の巨額の借金を、さあ、あなた方は引き受ける覚悟はあるのか」
とW田さんに迫られたら、誰もやりたがらない。
もう一つはこのヤクザの件でしょう。
阿含宗は30億円を失っても秘密にしたい闇を持っている。
それをW田さんに示され、「教団を引き継ぐ者はこの犯罪行為の責任も
引き継ぐことになる」と言われたら、誰もやりたがらない。
普通の人はヤクザと関わりなんか持ちたくない。
だから、あっさりと全てを明け渡すしかなかったとみれば説明がつきます。
こんなふうに詐欺事件は、単にお金を盗まれたという単純な話ではなく、阿含宗が、
「魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する伏魔殿(ふくまでん)」
であることを示す、氷山の一角です。
こうやってたまたま漏れた薄汚い情報を見ても、桐山さんて、ある意味、
常人の想像をはるかに超えた人、やはり超人だったのかもしれません。 >>67 神も仏も名無しさん 2019/01/11(金) 08:52:15.72 ID:1gIgwsdm
>煩悩滅がなぜ苦滅につながるか?
経典をよく読むと、苦には大別して二種あることが分かる。新苦と古苦です。古苦とは既に為した悪業による業報苦のこと。新苦とは古苦以外の苦です。煩悩滅は新苦を無くすのであって、古苦=業報苦、を無くすわけではない。
というのは桐山さんは因縁解脱を説きますよね。
桐山さんの説く因縁とは運命の星とのことです。
そしてその運命を決める因縁とは前世からの自分の悪業の報いなんだと言う。これを横の因縁と言う。
また先祖から受け継がれるもので、これは縦にの因縁と言う。
縦横結び付いたのが自分だという阿含宗の因縁教学です。
つまり過去の悪業の報い、業報が悪因縁としているのです。
そして阿含宗は悪因縁解脱を説きます。
業報たる悪因縁を滅して不幸な運命を回避して幸福な人生にしようというものです。
例えば桐山さんのお祖父さんが幕末に信州の18人の革命の志士たちを上意討ちで斬り殺した。
この報いというか武士たちの怨念により、お祖父さんの子孫は非業な運命にさらされたという。
桐山さんもそうで、刑獄の因縁を持つようになり、事実偽ビールで逮捕された。
しかしシャカの成仏法により、そういう霊障含めた悪因縁を滅してしまえば、もうそんな悪い運命は起こらないというものです。 >>67 神も仏も名無しさん 2019/01/11(金) 08:52:15.72 ID:1gIgwsdm
>煩悩滅がなぜ苦滅につながるか?
経典をよく読むと、苦には大別して二種あることが分かる。新苦と古苦です。古苦とは既に為した悪業による業報苦のこと。新苦とは古苦以外の苦です。煩悩滅は新苦を無くすのであって、古苦=業報苦、を無くすわけではない。
もっとも桐山さんでも例えば肉体障害の因縁が発動してしまい脚を切断指したとしたら、さすがにその脚が
また生えてくることはないが、しかしまだ発動する前であれば、脚を切断するような事故に遭わぬうちに
過去世からの業報でもある肉体障害の因縁を滅して、脚は切断することもなくて、事故にも遭わないとしたかのです。
つまり運命を転換した。
そこであなたに質問だが、まだ脚は切断する事故には遭ってないが、しかしこの因縁ある限り
必ず脚を落とすはずの因縁を切れば、将来も脚を落とすことはないというのが
貴女の言う新苦に入っているのですか?
古苦とはもう切断されてしまった脚の話で。
こういう桐山因縁解脱をあなたは肯定しますか?否定しますか? 例によってところどころ誤変換すまぬ。
スマホはふにゃふにゃしていていかん。 脚を失うという肉体障害の因縁は古苦です。新苦とは将来犯すであろう悪業によって造る苦のことです。煩悩ある限り、悪業は避けられない、よって新苦を造ることも避けられない。釈迦のいう苦滅を達成するには新苦と古苦の両方を滅しなければいけない。 古苦を無くすといっても、脚を切断する肉体障害の因縁が発現してしまっている場合、その不自由苦を無くすという意味ではない。発現する前の悪しき運命の星=因縁、を無くす意味です。例えだが、因縁が発現してしまっても、慢性疾患みたいなものは無くすことが出来る。 オウム真理教事件前後最中で
桐山猊下の例祭時
必ずそばに体格のガッチリした
スーツ姿の男性がガードしていました
あ〜猊下もこの物騒な時期
独自にシークレットサービスを雇って
ガードしてもらっているんだな〜と
思っていましたが
そのザ・ガードマン、ボディガードの男性の上着のスーツの胸元にちらつく拳銃を見たことがありました
当時はあまり深く考えませんでしたが
警察官に警護されてる訳でもないのに
拳銃持ってるって?
まあ、時期が時期だけに拳銃持ってるボディガードならとても頼もしく心強かったのでしょうけど。
いろいろな意味で持ちつ持たれつの関係だったのでしょうか
https://i.imgur.com/jGSnpTm.jpg 桐山師が阿含教学の基本だという四向四果を、ユビくんは正しく理解出来たかな?新書の遊行経解説を読めばより分かるでしょう。一来向(一来に向かう人)・一来果(一来になった人)と説明があるでしょう。深山くんは、(一来に向かう人)=(一来になった人)というのです。 ユビくんも、(一来に向かう人)=(一来になった人)だと、無茶を主張して深山くんを応援しますか?それは本当に応援かな。いつまでも深山くんを笑いものにするだけではないのかな?チューダバンダカが聖者になる前は須陀温向なのですよ。分かり安い例でしょう。 ユビくんは四衆を分かるでしょう。比丘・比丘尼・優婆足 前レス失礼、席を立つ用があって。
四衆は、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、で、釈迦の弟子は全てこの中に収まるわけです。
同じように、釈迦の弟子は全て四双八輩に収まるわけです。その一番下の位のヨル向が聖者だと思いますか?という問題なのです。 >>87
流石の桐山大僧正もオウムのポアは警戒したんでしょう。 仕事がやっと落ち着いたのでお礼のレスをします。
深山さん、87さん、どうもありがとうございました。
私が想像していたよりも、阿含宗と桐山さんはヤバイことになっていたのですね。
ということは?
全国の信者さんが納めたお金のほとんどが、〇ク〇に盗られ・・・・。
中国の残留孤児の養父母への寄付金のお話や今回の搾取事件のお話、
このふたつの、お話だけでも充分ですね。
阿含宗と桐山さんを理解するには。
早めに詐欺に気がついて退会して、本当によかったと思います。 >>58 孔子さんは御答えしないで終わらせた話、しかしながら一通り知っておくべき。
簡単に言うと、生きていたこの世での行いが反映される場に落ち着く。
落ち着かない御仁は『不成仏霊と言うが実は浮浪者や精神病患者の類』になって
我々生きている人間に迷惑を掛ける。
死後、必ず指導霊が現れて第一番にキツク注意する事、お前は生きている人間に触るな、
という掟。
生きている間は、十善戒を守り、人助けの修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教を実行すると
必ず良い霊界に到る。
このスレで今トヤカク言い合っている、自浄其意をやりもしない、オッサンがすったもんだの最中。
兎に角も人生で悪いことはするもんじゃ無い、人の恨みは怖い物だという実例をしばしば見受ける。
霊障は案外簡単に処理できるが、念障害を引き起こす生きている人間の心は実に怖い。
是がいわゆる念力という現象。
さて最初の人は死んだらドウナルカの問い?HO✖DAのオートバイでダンプに頭から豚小屋に突っ込んで
これが最後でも生前の心がけ次第と言う事に落ち着く。
生前ヤクザの方々は、其れが解っていたらあんな稼業はしていないと申される。
詐欺、泥棒を生業にした方は、次に再生する肉体と精神は不自由極まる物件を貸与されると
覚悟されるが宜しい。
そうでした、今生きているこの肉体はレンタル契約物件で指詰禁止、入れ墨も駄目。
だから自殺すると契約義務違反で処罰される。
人は皆、それぞれが希望し順番待ちでこの世に生まれ落ちるのであります。
その時にものを言うのが前世の行いによる因縁なり、とこうなる訳です。
一々具体例を挙げると差しさわりが有り過ぎるので書けないもの、
この辺で手一杯で御座いますな。 >>94
知ったかを永遠にやってろ 能無しw
十三仏お曼荼羅の事も知らねえゴミ屑w
地獄に行っちまえよ基地害w >>85 神も仏も名無しさん 2019/01/11(金) 16:12:48.04 ID:9ilv8I18
>脚を失うという肉体障害の因縁は古苦です。新苦とは将来犯すであろう悪業によって造る苦のことです。煩悩ある限り、悪業は避けられない、よって新苦を造ることも避けられない。釈迦のいう苦滅を達成するには新苦と古苦の両方を滅しなければいけない。
だから桐山因縁、桐山因縁解脱というのは 過去になした悪業の報いから逃れることなんですよ。
あなたがそれはできないと言っている。
そうです。 仏教では そもそも 事故に遭わないだの 病気をしないだろとそういうものを祈ったり願ったり しないものですが 、
あなたの言うとおり これから悪いことだけはしないわけですだから、アングリマーラなども 過去は 人をたくさん殺したが仏弟子になってからは 一切危害を加えないわけです。
だからといって報いがなくなるほど 世の中は甘くありません。
しかし少なくともあなたの言うとおり これからな為したことの 報いは受けないというよりも、これからは悪いことをしないから
悪い報いがありませんよね。 まあ事故や病気なんて当たり前にあることだから私はこれが報いだなんて思いません。
しかし悪いことをしないから刑務所に入るようなこともなく、いわば刑獄の因縁は作らないというような結果にもなります。
ただし横変死の因縁とかガンの因縁とかそういうものは別ですね 。
それは自分の今の行いに 関係のないものですから。
報いばかりを気にするのが仏教ではないけれども、あなたの言っている方が桐山さんより正しいということです。
桐山さんは 過去になした悪業の報いによる因縁、運命、これから逃れると言っているのだから 。
あなたはまさに桐山さんを否定したことになります。 >>89 神も仏も名無しさん 2019/01/11(金) 18:58:10.19 ID:9ilv8I18
>ユビくんも、(一来に向かう人)=(一来になった人)だと、無茶を主張して深山くんを応援しますか?それは本当に応援かな。いつまでも深山くんを笑いものにするだけではないのかな?チューダバンダカが聖者になる前は須陀温向なのですよ。分かり安い例でしょう。
チューダパンダカに限ったことではなく、仏弟子が千人いたら千人ともシュダオン向からスタートじゃないですか 。
あなたの主張とはシュダオン向は まだ聖者でないというものです。
つまり仙人の仏弟子がいたら千人とも一番最初の頃は 聖者ではないというのがあなたの主張です 。
それがあっているか間違っているか、お釈迦様はそう説いたか説かないか、桐山さんはそく
説いたか説かないかそういう議論は別としても 。
だったらここにチューダパンダカを引き合いに持ってくることがおかしいんです 。
やはりあなたはチューダパンダカの障害の部分、能力の劣る部分だけを見て差別したも同然なんですよ 。
あなたにそういう意識がなくても 、そのような発言はそのように受け止められてしまうのです。
だから発言には注意しなさいとアドバイスしたわけです。 >>66 神も仏も名無しさん 2019/01/11(金) 08:42:25.63 ID:1gIgwsdm
>私が四向四果に拘っているのは、四向四果は阿含教学の基本だ、と桐山師が言っているからです。その基本を間違えている深山ユビくんとは、他の議題で議論したくないわけです。先ず基本を理解してからにせよ、と言いたい。煩悩滅がなぜ苦滅につながるか?もしかり。
こだわるのは勝手だが私はこれからもそれ以外のネタでどんどん批判しますよ。
と言うよりもこの1ヶ月あまり新著の批判を、その問題については批判しなかったけれども、他の問題をいくつもいくつも批判したのです 。
もちろんあなたは それには反論しないでこの問題だけにこだわっていれば宜しいかと思います 。
反論なしということで。 なるほど、また出たわ大僧正猊下お得意刑獄の因縁!笑w
>>99 ユビくんは、弟子のスタートは須陀温向だと認めたのですね。ならば話が早くなる。釈迦は三結断じた須陀温から聖者としているから、須陀温向は聖者ではないことになるのです。もしも、釈迦が煩悩を無くす修行をしている者は聖者だというのならば話は別ですけどね。 ユビくんと私とでは桐山因縁論の捉え方が違う。桐山師はまだ発現業報告を 桐山師はまだ発現していない業報告=因縁、を無くすことが出来ると言っているのであって、既に発現している業報告を無くすと言っているのではない。但し、発現してしまった業報告でも、慢性疾患みたいなものは無くす、あるいは軽くすることが出来るわけです。 新苦と古苦は私が造った語ではなく、漢訳阿含経に出ている語です。苦滅を達成するためには、その両方を無くすことが必要です。アングリマーラは業報告を無くしたから、修行を全う出来たのです。本来の業報ならば、死刑100回でしょう。 桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。 >>58>>94
お仲間ありの自作自演劇場とすぐ判るwww >>105
無上止息とやらを体得もしないで よく言えるなボケ。
認めてほしいのなら、おまえは今すぐ宗務局にいくんだゴミ屑w
いいか、こう言うんだぞ!
「わたしめは5ちゃんねるでヨル公と異名をとる者です。
ヨル果を得ているので分かるのですがヨル向は聖者ではないと
宗務局でお認め頂きたい。
それから無上止息を体得理解しているので狂団でお認めください。
和田中僧正様にお取り次ぎください。」
分かったな妖怪ヨル公の基地害野郎w
氏示! >>103 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:04:38.56 ID:OO+EYVi+
>桐山師はまだ発現していない業報告=因縁、を無くすことが出来ると言っているのであって、既に発現している業報告を無くすと言っているのではない。但し、発現してしまった業報告でも、慢性疾患みたいなものは無くす、あるいは軽くすることが出来るわけです。
業報は変えられないとは、発現のことを言っているのではなく、 その悪因縁とやらをいつ作ったかということを問題視しているのです。
前世に作った悪業の報いが そうであるならば 、その方法は変えられない避けられないと仏教は言っているのです。
ちなみに桐山因縁とは そういう過去になした悪業からの業報です。
だから因縁解脱なんて言葉は無く、またおかしな言葉なんだが、 あえて言うと業報解脱の方が 意味だけは通るのです。
もちろん解脱には業報解脱なんてものはありませんが 、そこであなたの出し古苦と新苦です。
既に作ってしまった悪業の報いは 避けられません。これがあなたの言う古苦ですね。
ところがこれから悪業を作らなければその報いは受けることはありません。これが新苦ですね 。
例えば これから罪を犯さねば 牢屋に入るなんてことはありません。
当たり前ですよね 。ところが桐山さんは 刑獄の因縁というものが元々その人にあって、この人は悪いことをして 刑務所に入れられるということは運命だと言っているのです。
それはそういう条件を過去世から作ったと言っているのです。
つまり桐山因縁とはあなたの言う古苦であり 、古苦解脱を 説いたのです。 それはあなたも否定したはずなんです。 その方法は変えられないと仏教は言っているのです。
↓
その業報は変えられないと仏教は言っているのです。 >>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。
止息経読んだことがあります?
短い経典ですよ。
その経典の文脈に従って その表面意識、 潜在意識 、深層意識 についてどう語っているか 作文してみなさい。いや、訳してみなさい。 ちなみに桐山さんは止息経を4つの呼吸法を説いていると述べています。
しかしこの止息経は短い経典であるにもかかわらず、 原文を示して 現代語訳を示して解説などしたことがありません。
本来ならば アゴンマガジンで解説して、 仏陀の真実の教えを説くの著書にも載せておかしくない経典のはずなんですけれどもね。
なんで載せないんでしょうかね(笑) >>94神も仏も名無しさん2019/01/12(土) 00:34:50.59ID:zVfudQqR
>生きている間は、十善戒を守り、人助けの修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教を実行すると
宝生創価さんは自分では十善戒を守っているつもりなんですね。
あなたが上記で引用した釈尊の言葉に相当する内容を私が毎回示しても、
食堂の食品見本だと小馬鹿にして、「代案を出せ」と始まる。
あなたが引用した言葉が仏教の全てだから、「是諸仏教」なのです。
見過ごせない間違いがあるから、一つ注意しておきます。
宝生創価さんに注意などしても何の意味もないのは知っているから、
読者の他の信者さんたちのためです。
くり返すが、宝生創価さんのためではない。
×「修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教」
○「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」
あなたは自分では記憶力が良いつもりで、記憶だけで書いたのでしょう?
だから、文字の間違いはともかく、順序を間違えている。
この釈尊の言葉の順序はちゃんと意味がある。
あなたは言葉の意味も仏教も理解していないから、順序を間違えるのです。
「諸悪莫作」が最初に来るのにはちゃんと理由があり、
この順序でなければいけない。 それではヨル公さんが、桐山さんの遊行経解説で出てきた表面意識、潜在意識、深層意識に着目したので、私が前スレにて論じた
遊行経桐山解説批判を貼りましょう。
608 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:04:21.80 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判
それでは新著の批判を再開しますが、この遊行経に関しては声聞品のように いくつも批判点をあげるのではなく、一点に絞って批判したいと思います。
批判点がそれしかないというのではなく、声聞品と同じようにいくらでも指摘はできるのですが、
私はこの遊行経に関してはこの点を特に重視して批判したいと思うところがあります。
それは桐山さんの得意とする表面意識、潜在意識、深層意識と 分けて 物事を考えているところです。
遊行経は 大パリニッバーナ経、大般涅槃経と同じ内容構成ですから大変長いのですが、桐山さんはその中の一部を抜粋して示したわけです。
どの部分を抜粋したかと言うと、ナーディカ村において病気で亡くなった在俗信者に対して 12人がアナゴンとなって天上界に生じている、
50人がシダゴンとなっている、500人がシュダオンとなっていると示したところです 。
これら死後の行き先は法の鏡と言う 道標があるのだから これに照らし合わせればよいと阿難に示すわけです。
そこの部分の抜粋で 、十結煩悩の解説、 四沙門果などについて解説をしていくわけです。
私が問題視するのは 桐山さんがこの表面意識、潜在意識、深層意識の三つの意識を使って、勝手にシュダオン、シダゴン、アナゴン、阿羅漢を 分類しているところです。
これについて批判する前にまず桐山さんの特処の三つの意識を示したいと思います 。
したがって、阿含宗の心の分類ではこうなります。
表面意識=意識している心
潜在意識=幼児期に生じた無意識
深層意識=生まれる前の無意識
人間の心はこのように三層に分かれているのです。
ところで、さきほど、古代仏教もまた無意識の意識を発見しており、それを「随眠」という名でとらえていたと申しましたが、
(166ページ) 609 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:20:13.01 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判
この桐山さんが人間の心を三つの意識無意識に分類できるとして物事を考えようとしたことに対する批判をよりも先に、
桐山さんがこの三つの意識に基づき、シュダオン、シダゴン、アナゴン、阿羅漢を独自に分類した表を示しましょう。(170ページ)
●シュダオン
・表面意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている
・潜在意識の欲貪・瞋恚→一部断ち切っている
・深層意識の欲貪・瞋恚
→残っている
●シダゴン
・表面意識の欲貪・瞋恚→なし
・潜在意識の欲貪・瞋恚→残りが薄らいでいる
深層意識の欲貪・瞋恚→薄らいでいる
●アナゴン
・表面意識の欲貪・瞋恚→なし
・潜在意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている
・深層意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている
●阿羅漢
・表面意識の欲貪・瞋恚→なし
・潜在意識の欲貪・瞋恚→なし
・深層意識の欲貪・瞋恚→なし 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」
(『真理のことば・感興のことば』中村元、36頁)
漢文で覚えないで、上記の普通の日本語で覚えたらどうか。
宝生創価さんは漢文で書いて、自分は漢文を空で覚えているのだと、
自分の教養を示したつもりなんでしょう。
だが、宝生創価さんのは中身のないハッタリだから、こうやって馬脚を現す。
そのハッタリぶりが桐山さんや1.5来補さんとそっくりです。
1.5来補さんも経典を漢文で記憶したつもりで、何度もここに引用したが、
次のように、引用するたびに漢文が違っていた。
「四双八輩是聖賢之衆」(55章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(55章633, 7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(56章7、8月6日)
彼の持っている平河本には和訳が書いてあるのだから、現代文を書けばいいのに、
漢文を書いて、自分が漢文の素養があるのを誇示したいのです。
上記のように引用するたびに違う漢文を並べられても、恥じることもなく、
また記憶に頼ってデタラメな漢文を書いた。
この信者たちのハッタリは桐山さんが模範を示していた。 610 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:45:36.06 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判
>>609の 桐山分類表は三結断のシュダオンでも実は欲貪や瞋恚は 表面意識のそれは 断ち切っていることを示したものです。
もちろん経典にはこんな話はありません。
桐山さんが勝手に自分の考えを添えたとしか言えません。
そもそも経典では無意識だの潜在意識だの深層意識だの説いていないからです。
そんなことはない随眠があるではないかと言うかもしれませんが、実は随眠は無意識のことではないんです。
そのことは後で詳しく述べていきたいと思うが、 三結とは身見、疑惑、戒取であるが、 この三結を断じた者をシュダオンというのだが 、
じゃあ欲貪や瞋恚はどうなっているのかと言うと、一部切れているのだとした。
ヨル公さんは 欲貪や瞋恚なんてものは シュダオンになってから初めて考えればいい話だなどと戯けたことを書いていたが、
桐山さんはそれを否定している。
桐山さんは身見を因縁因果の道理がわからない ことだとしているので、因縁因果の道理のわからないことに基づく欲貪や瞋恚は
もう表面意識上ではなくなっているとしたのです。
桐山さんの勝手な理屈の前に、私はこれは切れているかどうかはともかく 、ある程度そういうことは言えるなと思います 。
なぜならば 三結が切れているけれども 、欲貪や瞋恚が丸ごと野放しに残っている奴なんているはずがないからです。
仏教を信仰することを表明して貪ってはならない怒ってはならないと教えられたからには
皆それを守ろうと意識して努力するからです。
実は意識をそこに置くということは非常に大切なことなのです。
それだけで改善されるものがあるのです 。
例えば昔はゴミのポイ捨てが当たり前で、分別ということは全く 考えずにひどいものでした。
ところがゴミの分別、ポイ捨て禁止を 呼びかけるようになりました。
私の父などは当時そんなエコロジーだの説いたところで と馬鹿にしていました。
ところがどうでしょう?
それから十数年何十年も経ってこれはかなり浸透してきました。
その父もちゃんとゴミの分別を守り、タバコのポイ捨て、ゴミのポイ捨てなんてことはしなくなったのです。
もちろん一部の人は守らず根絶したわけではないけれども、かなり改善されたと言えるのです。
それほど言葉による教えと言うか意識を持つということは、実はすごく効果のあることなんです。
だから仏道修行者が欲貪や瞋恚を野放しにしているなんてことは考えられないのです。 611 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:02:03.98 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判
そこで>>609の桐山分類表は経典には何の根拠もない話だということながら、 欲貪や瞋恚に関して言うならば、シュダオンでも実は かなり制御されていると見るべきだと だけ言っておきます。
問題としたいのは、 表面意識、潜在意識、深層意識の三つの意識に分けて物事を考えようとすることです。
実は仏教には 経典にはそんなことは説かれていません。
言うならば常に表面意識と言うか意識の中に置いてだけ 注意をしていくということしか説かれていないのです。
無意識なんて説いていない。
唯識などは阿頼耶識だのそういう深層心理学的な方向に釈尊の考えとはよそに
暴走していってしまったが、 釈尊の仏教では あくまでも意識の努力しか説かないわけです。
随眠ですか? これは深層心理学的な無意識とは違うのですよ。
例えば私が今石鹸という言葉をここに書きます。
皆さん方はそれまで石鹸のことについて頭の中にはなかったでしょうが、私が石鹸という言葉を書いたことによって 石鹸のことを思い出すでしょう。
じゃあ皆さんは皆さんの頭の中に石鹸ということがなかったのかと言うとちゃんとあったわけです。
それは眠っている状態だっただけです。それが思い出されたということに過ぎません。
だから桐山さんは自分が聖者のような 気持ちで法話を 話していた。
この時の 彼の気持ちの中には 得意満面のおごりはあっても 怒りというものはなかった。
ところが突然おばちゃん信者が管長猊下は嘘つきですと言ったことによって、桐山さんは 怒りが彼の心に芽生えたわけです。
そしてキサマ!キサマ!を連発し つまみ出せ、このバカ!とその怒りを爆発させた。
これは桐山さんの中にある 眠っていた怒りが呼び覚まされたという話です。
これの説明するのに 無意識、深層心理学は必要ありません。
そしてこれこそが随眠という考え方なのです。 612 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:19:48.50 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判
だから随眠という言葉は煩悩の代名詞です 。
煩悩というものは 常に意識下にあるものでもないが、 油断していると出てしまうものなのです。
それを随眠という名で警告しているのです。
ちなみに自分の中の赤の他人が自分の表面意識とは関係なしにおかしな選択行動をしてしまうなんて話ではありません。
随眠という煩悩に対処するには常に意識しているということが大切なのです。 油断をしないということです。
眠っている煩悩、随眠が表面に現れたことを纏といいます。
纏もまた煩悩の代名詞です。
ならば随眠が纏となって現れ出た時を見逃さずにこれを意識的努力で抑止するということが大切なわけです。
自分の中の赤の他人だの、 わかっちゃいるけどやめられないなんて言い訳は許されないのです。
わかっちゃいるけどやめられないのではなく、わかってないのです。
わかろうとしたくないだけです。甘ったれてるだけです。
生まれる前の無意識って何ですか? そんなわけのわからないものは説かない。
そうではなくちゃんと自分の中で分かるものしか釈尊は説かないのです。
寝ている間に見る夢はどうか という質問が スマナサーラさんに寄せられたことがあります。
スマナサーラ老師はこう答えました。 夢を見ている最中が その人にとっては(表面)意識なのだ。
だったらそこにおいてそれを注意するのだと。
これが寝ている間も自己観察を怠らないということです。
つまり無意識の意識なんてものは考えずに常に自分が今面している意識のみをに注意を払うのです。 613 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:29:22.31 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判
そこで、この本の中でも解説されているフロイトの無意識の意識を説く人がいますが、実はフロイトの精神分析なんてものは
現在においてそれは科学などと認められていません。
皆さんはフロイトの心理学をこれは科学だと信じているかもしれませんが、現代におけるそれは単なる一思想に過ぎないのです。 文学といってもよい。
だから無意識の意識の存在そのものを疑問視する 心理学だってあるのですよ。
もちろん記憶というものは 膨大なものですが、自分の中の赤の他人みたいな無意識なんてものは否定する人は否定するのです。心理学者であっても。
皆さんは 桐山さんが示したからといっていつまでもそんな時代遅れを科学などと しない方がよいですよ。
フロイトを否定しているのではなく、 フロイトの説いた思想をこんな形で活用して 何の利点がありますか ?
それって単に自己責任を回避する言い訳に過ぎないではありませんか?
だったらフロイトなんて捨てた方がよい。
繰り返しが釈尊の説いていることは常に意識的努力だけです。
煩悩の制御を示す仏教に対して、潜在意識だの深層意識だのわけのわからないものを導入して、
訳の分からない話にしようなんて策略に乗ってはなりません。 「人を殺すに眼をさっせざる底の英霊漢なるべし」
(『師の一言』76ページ)
これを桐山さんは『碧巌録』から引用したと書いたが、
原文にはそんな文章はありません。
自分で原文を引用しているのだから、確認すればいいのに、間違っている。
つまり、頭が良いつもりで見ようともせず、記憶に頼って適当に文章を書いた。
宝生創価さんや1.5来補さんと同じです。
抜群の記憶力を持つはずの桐山さんが、自分の書いたわずか6ページ
ほどの文章でさえも記憶できず、整合性のない引用をしてみせた。
ここに桐山さんの頭の中がそのまま出ている。
・抜群の記憶力があるという根拠のない自惚れを持っている、
・原文を確認しようともせず、記憶だけで書くくらい愚か、
・実際の記憶力はいい加減だから、実際に間違っている。
もう一つ、
・自分は碧巌録のような難しい本も読んでいる教養人である、
と自慢したいのです。
簡単に言えば、頭が良いと自惚れているが、シッポが出ていることにも
気が付かないくらいの脳味噌です。
1.5来補さんや宝生創価さんの模範を示しているが、
教祖様だけあって桐山さんの仏教無知はこんな程度ではない。 応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)
阿含宗には「応供の如来」という奇妙というよりも、恥ずかしい如来がいます。
信者さんたちの中で、普通の知性と普通の恥じる心を持っているなら、
応供の如来なんて言葉は使わないほうが良い。
なぜなら、仏教の無知と無教養がばれてしまうからです。
応供の如来は二つの意味で桐山さんの仏教無知と無教養ぶりが
ばれてしまった事例です。
一つは、応供も如来も同じ仏という意味だということを知らなかった点です。
応供の如来なんて言ったら、如来の如来、仏の仏、なんて
変な意味になってしまう。
こんな基本的なことも知らない仏陀の智慧の持ち主は、
応供の如来というキャッチコピーを作り出した。 応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)
二つ目の桐山さんの無知と無教養は、応供を「供養に応える」などと、
「レ」点をつけて読み、自分が漢文が読めるのだと自慢したことです。
中途半端な漢文知識を自慢するのは1.5来補さんや宝生創価さんとそっくりです。
仏教辞典を引けば、すぐに応供には供養に応えるなんて意味ではないことが
わかるのに、知ったかぶりをして、「レ」点つけて読んで、教養人のふりをしたかった。
応供は、岩波仏教辞典にもあるように、供養を受けるにふさわしい
くらいの意味で、供養に応えるなんて意味はありません。
教祖の無知と慢心が阿含宗の教義になってしまったのだから、爆笑です。
阿含宗がいかに知性の低い宗教かをわざわざ示している。
信者さんたちは、供養に応える、などという解釈はさもしいと思いませんか?
如来に供養して、その見返りをもらいたいという桐山さんの餓鬼の心が
そのまま出ている恥ずかしい解釈です。
如来など清浄の比丘たちに供養しても、何もくれません。
三福道などという言葉も教義も釈迦仏教にはありません。 応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)
桐山さんは信者さんたちにとって反面教師です。
それは間違いは誰にでもあるが、間違いに気が付いたら、撤回して
修正しないともっと恥の上塗りになるという点です。
桐山さんは応供の如来を教学試験に出した。
すると信者の一人が、応供も如来も仏の十号の一つだと、正しい答を書いた。
正面からではないが、桐山さんの間違いを指摘したのです。
ところが、桐山さんは応供の如来は違うと自分の餓鬼解釈をまた並べて、
間違いを認めなかった。
一切事経の八法十六法の話も同様で、桐山さんは八法の数え方を間違えた。
例祭の講義の後、信者から、法次法向は一つと数えるべきではないという質問が出た。
この指摘が正しく、桐山さんの数え方が間違っていた。
だが、桐山さんは間違いを絶対に認めないから、ついに本にして出してしまった。
間違い指摘されると、居直るという桐山さんの人生では珍しくない反応です。
信者から指摘された段階で修正していれば、教団内の話で済んだ。
ところが、せっかく、間違いを修正するチャンスがありながら、
自分の非を認めず、頑迷不屈に主張するから、そのチャンスを逃し、
ついには本にまで書いて世間に公表してしまい、大恥をかいた。
しかも、桐山さんは大恥を書いたとさえも気が付かなかった。
この桐山さんを信者さんたちは良く見てほしいのです。 信者さんたちに、この桐山さんが、1.5来補さんや宝生創価さんと
そっくりであることに気が付いてほしい。
「預流向=聖者」であることは、経典にも、仏教辞典や学者の解説でも、
そして桐山さんも新刊で認めている。
だが、1.5来補さんは私が書いてもいないことを書いたと難癖を
付けながら(>>89)、今でもまだ「預流向≠聖者」と書いている。
何をどう示されようが、頑迷不屈に他人を非難しながら、自説に凝り固まっている。
宝生創価さんは「深山=創価信者」と頑迷に主張し、絶対に譲らない。
相談者さんの書き込みに、他宗の坊さんと喧嘩しているなどと
ピント外れなインネンを付け(前スレ915)、それを指摘されても素知らぬ顔で、
今度は知りもしない十三仏大曼荼羅を護摩木の法施でくれたなどと言い出した(>>12)。
その間違いを指摘されても無視して、今度は阿含宗は創価の天敵などと始まった。
どこが天敵なのかと反論されても、創価がどうのこうのと関係ない話をして逃げた(>>65)。
二人とも頑迷に自分の間違いを認めないという点では桐山さんとそっくりです。 宝生創価さんと1.5来補さんに共通するのは、間違いを指摘されても、
絶対に認めず、頑迷不屈にどこまで主張し続けることです。
桐山さんとそっくりです。
では、信者さんたちはどうか。
信者と元信者の間違いは、桐山阿含宗を宗教や指導者として
選んでしまったことです。
桐山さんの口車に乗せられて、阿含宗こそが真実の仏教であり、
オシャカをこの日本に蘇らせ、因縁を切り、超人的能力を体得して、
新しい人類を作り出す、なんて宣伝文句にまんまと乗ってしまった。
だが、現実の桐山さんは美食飽食を繰り返し、愛人を囲い、信者を騙して、
他人の不幸を踏み台にして、社会的な成功を得るためにお金を集めて
名誉を買い集めただけだった。
大作さんとそっくり。
しかも、大物俗物の大作さんにはるかに及ばない小物俗物だった。
桐山さんが亡くなって何年もたつのだから、冷静に過去の自分の信仰を
振り返ってみてはどうでしょう。
行歴の長い信者なら、因縁切りや超能力開発を目指した若者が
どのような姿になり果てたか、鏡をしっかりと見てはどうでしょう。
言われたくはないだろうが、ある意味、1.5来補さんや宝生創価さんの
醜悪な姿こそが信者さんたちの姿を映す鏡です。 >>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。
てかこの人は まず 私が四つの止息は同じものだとレスしたと言っているが、 どう同じなのかということを 書いてみなさい と言いたい。
つまり相手が何を 述べたかを正しく理解しているか が大切なわけです。
私はあなたの主張、すなわちシュダオン向は まだ三結を断っていない状態だから聖者ではない。
だから1000人の 仏弟子がいたら1000人とも最初はシュダオン向であるはずだから 1000人とも最初の段階は聖者でないと書きましたよね。
これはあなたの主張を理解したからです 。
もちろんその内容は否定しますが、しかしあなたが何をどう主張したか、そこだけはちゃんと理解しているのです。
だからあなたも同じように 、こちらの止息経の桐山解説が四つの呼吸法としたことが間違っている、 これは呼吸法などではない、
この四つの表現は こういう意味なんだ ということを 私らは示しています。
その私たちの 示した内容をあなたは正しく自分の言葉で 書けますか? >>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。
桐山止息経解釈は止息法として、これは四つの呼吸法を説いたものだと、ここであなたに教えたことは、
私の早まりのミスだったかもしれませんね。
あなたはその呼吸法であるという桐山主張すら覚えてないかもしれないからです。
私らは○○の止息を説いたものだとした。
もしあなたが止息の正しい意味をこちらの書き込みから学んで覚えていたとしたら、
あなたは今回の新著の桐山表面意識、潜在意識、深層意識を読んで、○○の止息も表面意識、潜在意識、深層意識を駆使した
四種類あるのだと解釈したのではないですか? https://s.webry.info/sp/98874787.at.webry.info/201503/article_1.html
止息経には九次第定も書かれていますね。
初禅から始まる九次第定の各々が何を止息できるか書いてあります。
勝止息、奇特止息、上止息、無上止息と4つの表現で形容される止息も、何を止息するかも書いてあります。 ちなみに出入息止息も出てきますよ。呼吸ですね。
でもこれが出てくる場面を比較してください。 釈迦も、桐山師新書も、預流向を聖者だとは認めていない。ただ八輩をひとまとめに聖者たちと表現しただけです。預流向は聖者予備軍であって、三結を断じたら聖者預流になるのです。深山くんも、金塊の例えを考えてみなさい。
金山の金塊は全て純金、というわけではない。 桐山本上巻には、「わたくしたちは聖者に向かって修行しています。これを須陀温向といいます」と、書いてあります。これで須陀温向は聖者でないことが分かるでしょう。これを理解した人は、下巻も正しく読めるのです。字面だけ単純に追うな、と桐山師が言っていますよ。 ユビくん提示の大念住経も読んで見たのだけどね。私が二十年程前に、スリランカの僧侶から聞いた七覚支解説ともかなり違うね。まぁ、今回の大念住経に似たような訳は他にも読んだことがあるけどね。考えて見れば、夢遊病者でもない限り、自分の行動には気づいているよね。 桐山新書の念覚支解説は、念を強めることと四念処観修行の二つとしているね。これは輪廻する葦本の七覚支解説とほぼ同じです。輪廻する葦本にも七道品経が提示されているから、ユビくんは確かめてみなさいよ。四念処の結論は、空観を悟ることだから桐山解説で善しだね。 ユビくんは、念を強める、を大げさに考えているのでは?気づきの瞑想だって、注意力は必要でしょ。ボーと観察するのでなく、注意力集中力を強めることは必要なのでは。別に力んだりしないでさ、肩の力は抜いてさ。その延長線上に念力ゴマあっても悪くないでしょ。 たぶん深山くんは、四向四果の聖者を考えるとき、向と果の一対でひとつの聖者の位と考えた。イメージとして青年を例に挙げよう。15歳から25歳までを青年と定義した場合、二十歳未満を青年向、二十歳以上を青年果と名づけたら、青年向も青年果も同じ青年だからさ。 ↑そのようなイメージで、うっかりミスをしたのだろう。そして後に引けなくなった。 しかしね、ユビくん提示のネットの大念住経の訳など、どこまで信用出来るのだろう?中村元師や増谷文雄師やその他高名な学者先生の阿含経訳に、なぜ気づきの瞑想法がないのかね?ユビくん説を聞かせてたもれ。 >>132 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 14:40:37.81 ID:OO+EYVi+
>ユビくん提示の大念住経も読んで見たのだけどね。私が二十年程前に、スリランカの僧侶から聞いた七覚支解説ともかなり違うね。まぁ、今回の大念住経に似たような訳は他にも読んだことがあるけどね。考えて見れば、夢遊病者でもない限り、自分の行動には気づいているよね。
前スレの最後に貼った 大念住経(大念処経 )をちゃんと読んだのですね。えらい。
それから相応部経典の覚支相応も貼って、ちゃんと七覚支が出てきて 、その中の念覚支とは 四念処 であることが書かれていることを示しました。
でその四念処については大念処経を読めばこれは観察のことであると分かるわけです 。
そこであなたがこの経典の訳に疑問を感じようが信じまいが、実はこういう経典があるという事実を見て欲しかったわけです。
というのはあなたはスマナサーラ氏の 念処解説についてあれは彼が勝手に考えたものだろうとしているけれども、
それは大変な侮辱であり、ちゃんと昔からこういう経典があるから経典に根拠のあることを説いているわけです 。
それだけでもわかったんじゃないですか。
それまでの自分の不勉強を恥じるべきです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています