世尊よ。如来蔵は法の蔵であり、法身の蔵であり、世俗を超越する蔵であり、本来的に清浄な蔵です。
この本来的に清浄な如来蔵は、外部から心に付着する煩悩(客塵煩悩)と、他の現在に勢力ある煩悩(上煩悩)に汚されることのない、如来のはかりしれない境地です。
なぜでしょうか。
善い心は、瞬間的に存在し、煩悩に汚されません。悪い心もまた、瞬間的に存在し、煩悩に汚されません。煩悩は心に影響を及ぼしません。また、心は煩悩に影響を及ぼすことがありません。
では、本来的に他から影響を受けない心は、どのようにして汚されるのでしょうか。
世尊よ。煩悩は存在し、汚された心も存在します。
本来的に清浄である心に煩悩が存在するという事実は、理解し難いものです。
真理の眼と真理の智慧を持ち、法の源泉であり、法を熟知し、真実の法のよりどころであるブッダのみが、この真理を理解することができるのです。」

勝鬘夫人が[本来的に清浄な心にある煩悩を]理解することの難しさを説明すると、ブッダは大きな喜びとともに、彼女を賞賛しました。