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仏教の教えや輪廻転生に詳しいやつ教えてくれ
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/26(月) 07:03:01.34ID:aQm/7+Qv
現世が前世の業を消化して人間の苦しみを耐えて生きなければならないって所は納得できる。
けど、普通に生きてていきなり一生分のこの世の苦しみや恐怖を与えられて殺されて行く人間はどうやっても納得がいかない。
仏の教えではこう言う人にはなんて納得させるのさ?
0177神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 01:43:02.32ID:LEQXS5IL
善意菩薩(ぜんいぼさつ)が言います、
「「輪廻転生」と「涅槃」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「「生」と「死」は、実は同じものであり、かつ、存在するのでも存在しないのでもない」ということを知りました。
言い換えれば「生死の区別は存在しない」ということです。
「生死が存在しない」以上、「煩悩の束縛」も「解脱」も有り得ません。
つまり、「輪廻転生」を脱した時、「涅槃」の境地もまた消滅するのです。
これを不二法門に入るといいます」

(維摩経)
0181神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 19:40:41.57ID:SV3ndIt/
輪廻が無ければ涅槃も無くなる
いや元から無い
そりゃそうだ
0182神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 20:58:47.82ID:LEQXS5IL
>>179
生死即涅槃というありがたい教えです

龍樹も中論25章において

19 輪廻は涅槃といかなる違いもなく、涅槃は輪廻といかなる違いもない。

20 涅槃の完全なるものとは輪廻の完全なるものと同じだ。両者の間には極微細な違いさえない。

と述べています
0183神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:10:19.39ID:CP9KHWOE
解脱の見地から観れば輪廻も涅槃もひったくれも無いという事でしょうな。
0184神も仏も名無しさん
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2018/12/06(木) 21:13:03.48ID:CP9KHWOE
ひったくってどうすんだw
へったくれね。
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:36:12.82ID:SV3ndIt/
輪廻も涅槃も無いとは何時でも何処でも寸分のズレも無く常に一つになってしまう
その一つになった事も認識不能という事だ
0186神も仏も名無しさん
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2018/12/06(木) 21:52:23.29ID:Xi6Z87GE
自分には糞と味噌混ぜてるようにしかみえない

タイの阿羅漢の述懐では
>>それは法と煩悩との永遠の分離であり、相対的実相の世界
>>と、絶対的解脱の世界とが、最終的に分離した感覚なのである。
といってるね ここ間違うと危ういのでは
0187神も仏も名無しさん
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2018/12/06(木) 21:59:48.57ID:6lMvG5vu
言葉の定義からすれば無常なものと恒常なものは決して交わり合うことはない
0188神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:08:41.89ID:SV3ndIt/
最終的に分離した感覚があるといってるならまだ途中なんだろうね
何処にも中心が無いのだから分離した感覚は残らないはず
0189神も仏も名無しさん
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2018/12/06(木) 22:49:46.58ID:LEQXS5IL
中論第25章 ニルヴァーナの考察

【反対者いわく】
一 もしもこの一切のものが空(J註:=無)であるならば、【何ものかが】生起することも無く、また消滅することも無い【筈である】。何ものを断ずるが故に、また何ものを滅するが故に、ニルヴァーナ(涅槃)が得られると考えるのか。

【中観派が答えていわく】
二 もしもこの一切のものが不空(J註:無or有)であるならば、【何ものかが】生起することも無いし、また消滅することもない【筈である】。何ものを断ずるが故に、また何ものを滅するが故に、ニルヴァーナが得られると考えるのか。

三 捨てられることなく、【あらたに】得ることもなく、不断、不常、不滅、不生である。―――これがニルヴァーナであると説かれる。

四 まず、ニルヴァーナは有(存在するもの)ではない。
  【もしそうではなくて、ニルヴァーナが有であるならば、ニルヴァーナは】老いて死するという特質を持っているということになってしまうだろう。何となれば、老いて死するという特質を離れては、有(存在するもの)は存在しないからである。

五 また、もしもニルヴァーナが有(存在するもの)であるならば、ニルヴァーナはつくられたもの(有為)となるであろう。何となれば無為である有は決してどこにも存在しないからである。

六 また、もしもニルヴァーナが有(存在するもの)であるならば、ニルヴァーナはどうして【他のものに】依らずに存するであろうかしからばニルヴァーナは(他のものに)依って存することとなる】。
  何となればいかなる有も【他のものに】依らないでは存在しないからである。
0190神も仏も名無しさん
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2018/12/06(木) 22:51:53.24ID:LEQXS5IL
七 もしもニルヴァーナが有(存在するもの)でないならば、どうして非有(無)がニルヴァーナであろうか。有が存在しないところには、非有(無)は存在しない。

八 またもしもニルヴァーナが無であるならば、どうしてそのニルヴァーナは【他のものに】依らないでありえようか。
  何となれば、【他のものに】依らないで存在する無は存在しないからである。

九 もしも【五蘊、個人存在を構成する五種の要素を】取って、あるいは【因縁に】縁って生死往来する状態が、縁らず取らざるときは、これがニルヴァーナであると説かれる。

一〇 師(ブッダ)は生存(J註:原語で有の意もあるとの事)と非生存(J註:原語で無の意も)とを捨て去ることを説いた。それ故に「ニルヴァーナは有に非ず、無に非ず」というのが正しい。

一一 もしもニルヴァーナが有と無との両者(有にしてかつ無)であるならば、それでは解脱は無でもあり、また有である【ということになるであろう】。しかしそれは正しくない。

一二 もしもニルヴァーナが有と無との両者(有にしてかつ無)であるならば、それではニルヴァーナは【他のものに】依存しないで成立しているのではない【ということになるであろう】。
   何となれば【有と無との】両者は【他のものに】依存して成立しているからである。
0191神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:52:39.58ID:LEQXS5IL
一三 ニルヴァーナがどうして有と無の両者でありえようか。
ニルヴァーナはつくられたのではないもの(無為)であるが、有と無はつくられたもの(有為)であるからである。

一四 ニルヴァーナのうちに、どうして有と無の両者がありえようか。この両者は同一のところには存在しえない。それは光明と暗黒とが同一のところに存在しえないようなものである。

一五 <ニルヴァーナは無でもなく、有でもない>という想定は、無と有が成立してこそ成立しうるのである。

一六 <ニルヴァーナは無でもなく、有でもない>ということが成立するならば、<無でもなく、有でもない>ということが何によって表示されるのか。
0192神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:53:20.88ID:LEQXS5IL
一七 <尊師(ブッダ)は死滅したあとでも存在している>と解することはできない。尊師は死後に<存在しない>とも<存在しかつ存在しない>とも、また両者でもない(<存在しかつ存在しない>のでもない)と解することも出来ない。

一八 (一)<尊師はいま現に存在しつつある>と解することもできない。(二)<尊師はいま現に存在しているのではない>とか(三)<尊師はいま現に存在しつつありかつ存在している>という両者であるとか、(四)またその両者でもない、と解することもできない。

一九 輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。

二〇 ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なる区別もない。

二一 如来(ブッダ)は死後に存在するかどうか。世界は有限なものであるかどうか、など、世界は常恒なるものであるかどうか、などというもろもろの見解は、ニルヴァーナと【死後の】のちの世界と、【生まれる前の】未来の世界とに依存して述べられている。

二二 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないのであろうか。

二三 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(無常と常恒)ではないのか。

二四 【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 15:13:53.94ID:f+1HRDGU
三世因果は信じているけど
前世の宿業を利用して人の弱みに付け込んで高額なツボを売ったり、宿業転換できるとタラし込んで書籍や新聞などの長期購読をさせたりして金儲けしている輩、
こういう人達は悪業を積んでいて来世を含む未来にその報いを悪果として受けるとも信じている

風水で字画が悪い判子の素材が悪いと脅して高額な開運判子を作らせたりする怪しげやな人達も同類
悪業を積んでいると思う
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 15:23:27.68ID:HKFPcCqZ
龍樹はお釈迦様の本質を引き継いでるから問題ない

問題なのは初期仏典だ
たとえ対機説法だとしても理解不能な正反対な教えが沢山あるのだ
これは実際にはお釈迦様の言葉だけではなく多くの弟子達のそれらしい言葉がお釈迦様の言葉として加えられてると言われている

だから原始辞典と言えども全てお釈迦様の言葉として受け入れるのは危険なんだよ
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 16:18:37.21ID:DGXk7gRc
盤珪曰く
『又、生死即涅槃という事がござる。是また、生死に預かった事でござるわ。 生死の上、取りも直さず涅槃という事でござらぬか。
いかにと云いまするに、人々親の産みあたえられました仏心が、 今日一日事を不生で調う事、合点が参らぬでござるは。
文字言句に預かりて、外に生死涅槃を求めて、せんさくしまする故、 不生の仏心を生死起滅の念に替えて、二六時中、
生死の上の働きなれば、誠に一日片時も安穏な日のない事を思いまして、 笑止な事でござる。仏心が不生で万事調うて居ますれば、
生死も涅槃も知りませぬ。不生の場から、生死も涅槃も、 皆跡の詮議と云う物でござる。こうした事ゆえに、 昨日までも、
示しに預かった人にても今日よりして、 よく其の非を知って、不生の仏心を三毒に仕替えず、 生死涅槃に預からず、不生の仏心で居て、
四大分散の時も、 其の分散に任せて、頓着せず死にまする人を、生死即涅槃の人という、 又、生死自在の人とも云いまする。』
0199神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 22:18:19.84ID:klajecVX
>>196
>問題なのは初期仏典だ
>たとえ対機説法だとしても理解不能な正反対な教えが沢山あるのだ

そんなことはないと思いますよ
無記について如来の死後について答えなかったのを人の死後と誤植?したりしてるのでそういう印象を持たれてしまったのでは?
とにかく正反対というほど明確に違う教えが混在しているほどとは思えません
0200神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 02:26:22.19ID:/J82c1DA
「ヴァッチャよ、『沙門ゴータマは三明者なり』と解説すれば、私の所説を〔正当に〕説く者となり、私を不当に非難せず、教法について、道理に従って解説し、
また、誰であれ、〔その者と〕道理を同じくする種々の説を有するものが非難されるべき状態に至らないということになります。
なぜならヴァッチャよ、私は、望む限り、種々の宿住を随念することができるからです。
たとえば、たとえば、一つの生、二つの生……
そのように私は、具体的かつ詳細に、種々の宿住を随念します。
なぜならヴァッチャよ、私は、望む限り、清浄で人間を超えた天眼をもって、死んでは再生する有情たちを見、優劣、美醜、幸不幸〔なる種々の境涯〕に……
……業に従って趣く有情たちを了知します。
なぜならヴァッチャよ、私は、漏の滅尽により、漏なき心解脱、慧解脱を現世で自ら知り、悟り、成就し、住しているからです。
ヴァッチャよ、『沙門ゴータマは三明者なり』と解説すれば、私の所説を〔正当に〕説く者となり、私を不当に非難せず、教法について、道理に従って解説し、
また、誰であれ、〔その者と〕道理を同じくする種々の説を有するものが非難されるべき状態に至らないということになります」

このようにいわれてヴァッチャ氏族の遍歴行者は世尊へこういった。
「尊者ゴータマよ、いったい、在家者でありながら在家の繋縛を捨てずして、身体の破壊より、苦の終極をなす者(解脱者)は、誰かいるのでしょうか」
「ヴァッチャよ、在家者でありながら在家の繋縛を捨てずして、身体の破壊より、苦の終極をなす者は、誰もいません」
「しからば尊者ゴータマよ、いったい、在家者でありながら在家の繋縛を捨てずして、身体の破壊より、天界へ至る者は、誰かいるのでしょうか」
「ヴァッチャよ、およそ在家者たちでありながら在家の繋縛を捨てずして、身体の破壊より、天界へ至る者たちは、
百のみならず、二百のみならず、三百のみならず、四百のみならず、五百のみならず、さらに多く存在します」  

(〔『中部』「中分五十篇」「遍歴行者品」〕第一〔経〕「三明ヴァッチャ経」より)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmjp/mn08/mn08c02.htm
 
                 
0201神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 02:30:15.62ID:/J82c1DA
>>200の経典の略文

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ヴェーサーリーの、
クーターガラなる講堂に、止まっておられた。
そこに、ヴァッチャが訪れ、このように尋ねた。

「世尊よ、仏陀は、すべてを見る者であり、
すべてを知る者であると、私は聞いています。
これは、正しい見解ですか、誤っていませんか。」

「ヴァッチャよ、その風聞は、誤っている。
仏陀や、三つの明知を、具えている者である。
これなら、正しい見解であり、誤まっていない。」

「遊行者よ、仏陀を証明する、三つの智慧。
仏陀が、具足している明知、三つの明がある。
それでは、この三つの明とは、如何なるものか。」

「第一の明とは、過去の智、宿命通である。
一、十、百、千の、過去世を思い出すことで、
如何なる業が、如何なる命を宿すか、証知する。」

「第二の明とは、未来の智、天眼通である。
一、十、百、千の、未来世を透し見ることで、
如何なる業が、如何なる生を課すか、証知する。」

「第三の明とは、現在の智、漏尽通である。
一、十、百、千の、漏煩悩を見て取ることで、
如何なる業が、如何なる漏を生むか、証知する。」

ヴァッチャは、仏陀に対し、このように尋ねた。

「ゴータマよ、仏陀の、在家の信者の中で、
在家の束縛を切らず、涅槃に赴く者が居るか。」
「在家に居て、涅槃に赴く者は、一人も居ない。」

「ゴータマよ、仏陀の、在家の信者の中で、
在家の束縛を切らず、天界に赴く者が居るか。」
「在家に居て、天界に赴く者は、五百を越える。」

「ゴータマよ、異教の、外道の信者の中で、
外道の束縛を切らず、涅槃に赴く者が居るか。」
「外道に居て、涅槃に赴く者は、一人も居ない。」

「ゴータマよ、異教の、外道の信者の中で、
外道の束縛を切らず、天界に赴く者が居るか。」
「外道に居て、天界に赴く者は、一人だけ居た。」

「ゴータマよ、それでは、その異教の法は、
天界に至るまでは、正しいと言えるのですか。」
「ヴァッチャよ、その法は、天界までは正しい。」

これを聞いた、ヴァッチャは、歓喜し実践した。
0202神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:19:31.34ID:Ub76Ud5a
>>201
在家の信者は涅槃に行けないとブツダに言わせてるけど在家の上座部信者は無意味なのか
あなたは出家してるのかな
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:30:34.00ID:lcetWn3G
身体の破壊より、苦の終極をなす者 → 阿羅漢
身体の破壊より、天界へ至る者 → 不還果
涅槃 → 煩悩が完全に滅尽した状態。悟りの瞬間。
有余涅槃 → 阿羅漢
無余涅槃 → 阿羅漢の入滅
0204神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:39:54.94ID:/J82c1DA
ポイント:上座部仏教は現世で功徳を積むことで来世の幸せを願う「来世信仰」

世俗を離れ出家して僧侶になり、悟りを開いた釈迦によって定められた「戒律」を厳守し、厳しい「修行」(経典の学習や瞑想)を行うことで心の執着を断って、
「苦しみ」の原因とされる「輪廻転生」から解脱して「涅槃」に到達することを究極の目的とする。
僧侶以外の信者は「在家」と呼ばれ、輪廻転生を信じ、より良い来世のため、現世で良い行いを重ねて功徳を積むことが一番大切なこととされている。
在家の男性は一生のうちに何度か仏門に入って(最低3日から数か月)戒律の中で僧侶と同じ生活を行う。
功徳を積むための方法は、僧侶への托鉢やお寺や僧院への寄付などが一般的。
最大の功徳は、
@仏塔(パヤ−)の建立で、以下、
A得度式の主催。
B僧院の建立。
C僧院へ井戸や釣鐘を寄進。
D僧侶を招いて行う共同の食事の主催。
E僧侶への布施。
F一般の人に対して行う親切。などとされる。
上座部仏教が伝わって以来、バガンで仏塔や僧院が次々に建てられていったことからも功徳を積むことの大切さ証明される。
http://centralpark-travels.com/?page_id=1870
0205神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:55:46.52ID:cMJ622VJ
在家は来世のためねぇ
ダメだこりゃ

人生は一度切りだよ
まあ当時の修行僧同士でも話が纏まらずに何度も分裂してるんだからこんな所で何言ってもだが
0206神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:56:15.22ID:BbLR5mNd
高級車
0207神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:12:59.72ID:/J82c1DA
>>201
改めて確認したらこの略文は間違ってますね。

>>200の続きは

「尊者ゴータマよ、いったい、アージーヴァカ教徒にして、身体の破壊より、苦の終極をなす者は、誰かいるのでしょうか」
「ヴァッチャよ、アージーヴァカ教徒にして、身体の破壊より、苦の終極をなす者は、誰もいません」  
「しからば尊者ゴータマよ、いったい、アージーヴァカ教徒にして、身体の破壊より、天界へ至る者は、誰かいるのでしょうか」  
「ヴァッチャよ、この時よりの、その九十一劫〔の間〕、およそ私が憶念しても、天界に至ったアージーヴァカ教徒を、一人を除いて誰も憶えていません。 彼もまた、業論者、行為論者でした」
「尊者ゴータマよ、そのようであるならば、この外学の依処は、〔般涅槃どことか〕天界に至るまでですら、空虚なものなのですか」
「ヴァッチャよ、そのとおり、この外学の依処は、〔般涅槃どことか〕天界に至るまでですら、空虚なものなのです」
世尊はこう仰った。
心に適ったヴァッチャ氏族の遍歴行者は、世尊の所説に歓喜した。  
〔『中部』「中分五十篇」「遍歴行者品」〕第一〔経〕「三明ヴァッチャ経」おわり。  
https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmjp/mn08/mn08c01.files/sheet001.htm
                     
ということで、外教・異教の法は天界までは正しい、ではなく天界に至るまですら空虚(suññaṃ)なものである、と。

・『註』はこの「一人」を過去世の釈尊とする。
とありますが、アージーヴィカ教は六師外道の一人にして釈尊と同時代のマッカリ・ゴーサーラを開祖としているのでそれはあり得ないかとw


マンガ「六師外道」マッカリ・ゴーサーラ、「無作用の宿命論」
https://buddha.pink/buddhas-manga/55/
アージーヴィカ教の開祖マッカリ・ゴーサラについては上のサイトのを参照
0208神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:21:40.57ID:/J82c1DA
「世の中で 、節約を説教する物惜しみで病んでいる人がいます 。
沙門 ・バラモン (出家修行者 )に衣食住薬を布施しない 。貧しい人に 、必要とする人になにもあげない 。
このような性格を変えないでそのまま死ぬ人も地獄に堕ちて苦しむのです 。
人間界に生まれても 、貧困の旗を上げて生まれるのです 。収入を得る努力をしても 、財産はおびえて逃げてしまう 。貧困に生まれる理由は物惜しみなのです 」

(中部経典135「小業分別経」)
0209神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:09:19.02ID:QPRHkmBN
今貧乏な人は前世が節約家だったからなのかい
しかも前世が節約家なら今生の努力も無駄と言われちゃ救われないなあ
0210桃太郎
垢版 |
2018/12/08(土) 13:40:47.77ID:OO2A/hmH
>>204

上座部仏教(一般的に小乗教)といわれるものは、今の世に修行しても何の価値もないのです。
むしろ自利に執着し過ぎるので、今世は無駄な人生を過ごし来世は地獄です。

最高の経典である法華経で釈尊が「法華経以外はいったん全部捨てろ!」と説いているにもかかわらず、執着しているから不幸になる。

天台、伝教によって何度も「法華経」以外は木っ端微塵に論破され、当時の他宗派の高僧やその弟子は皆、天台、伝教の弟子となって改宗したにもかかわらず、
時が経ち、忘れ去られたころに低い教えである小乗教を「釈迦の真の教え」などと持ち上げて信じるゆえに不幸になる。

末法の衆生はそのように愚かで浅はかであることは「法華経」にハッキリと説かれてある。
そして、末法に於いて法華経は信じ難く、もし人がこれを広めるならば、「必ず三類の強敵によって迫害されるであろう」とハッキリ予言され説かれてある。

ゆえに自行化他の「法華経」は信じがたく、自利中心の低い教えである小乗教は信じ易い。
0212ポッタン師
垢版 |
2018/12/08(土) 14:59:26.50ID:OnoA2jgo
210.法華経バカが言う、ことである。大爆笑である。
0213神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 16:20:17.63ID:rO6/mqmx
こういう念仏宗は自分が頭破七分だということも分からないほど頭が割れに割れきってるということか
もはや法華経すら理解出来ないまでに貪瞋痴で頭の中いっぱいなんだろうね
0215神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 21:18:38.99ID:/J82c1DA
>>209
舎衛城に難陀と云う女の人があって、其の日にも困る生計で人に貰って生活して居た。
或時、何処かで物貰いして居ると長者が色々の物を捧げて供養して居た。
これを見た難陀は、こうして同じ人間と生れながら自分の現在の境遇と引比べて、余りの差違のあるのをなげいた。
漸やく一銭を得たので油屋や行った。
油屋の主人は「そんな位買って何になさるのか」を問うた。
難陀はそのわけを話すと主人は感心して二倍も三倍もまけてくれた。
早速それを祇園精舎に供えて供養した。
丁度長者も居った。
「願わくば此の功徳を以って来世には明るい仏智を得て多くの人の無明を照し給え」と。

夜が明ける様になったら長者や他の人のは消えてもこの難陀の捧げた燈のみ消えなかった。
神通第一とされる目連がそれを吹いても消えない。三度吹いても消えない。
お釈迦様は皆に云われるには
「難陀は大菩提心をもってしかるには、四大海水をもって覆してもあかりが消える事がない。」
とて難陀の心をほめられたり。
ほんとの大菩提心を得て……… その金も………
長者の万燈より貧者の一燈とは此処より出しならん。



日本でも平安時代の昔より万燈籠を行う一方で、長者の万灯よりも貧者の一灯と言われ続けてきました。
0216神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 03:15:39.20ID:yjFsrdUt
上座部はコーカソイド臭がする
ガンダーラで作られたものじゃないだろうか
0218神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 21:48:59.71ID:iV312zAY
>>209
節約家じゃなくて吝嗇家だね
0219ポッタン師
垢版 |
2018/12/09(日) 22:03:10.45ID:Y5lLTbbm
215.迷信である。バカ丸出し、である。大爆笑である。
0220神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 22:28:26.98ID:iV312zAY
>>218
自分の贅沢にはお金を使うけどお坊さんや貧しい人にお布施はしないケチ、みたいな

>>209
これはスマ長老の法話か何かで、「小業分別経」じゃないね
0221神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 22:46:39.54ID:VfB+j7vv
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となりません。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ貧しい者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、貧しい者へと至らしめるのです。すなわち、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者とならないことは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ多財な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、多財な者へと至らしめるのです。すなわち、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となることは。
0222神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 00:13:20.98ID:qq5PxDlx
布施・寄進というのは比丘僧侶寺院側が在家に対してさせてあげられる修行の中でももっとも優れたものだからね
なぜなら人間の苦しみは執着を根本原因とするのが仏教だけど、布施で財産を手放すというのは執着を捨てる修行になるのだから
大乗仏教でもメインの修行の六波羅蜜において布施波羅蜜は一番目に位置してることからいかに布施というのが仏教で大事な修行であるのかというのが解る
在家は物惜みせずに布施・寄進をすることで苦を滅する修行ができるし、その施すという善行の功徳は来世まで宿業として持っていける
布施・寄進は優れた修行だよ
0223神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 00:35:02.21ID:sn3CsHDT
手塚治虫のブッダで本人の魂を探さずにその辺の魂を入れて蘇らせてたのは納得いかない
あれじゃ魂でも残留思念でもなくて生命エネルギーだろう
キン肉マンの超人エネルギーの玉と変わらんじゃんか
0224神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 07:47:17.08ID:zhPxjPuF
>>222
いやいや
221に書いてあるように来世に金持ちになるために布施寄進するんだってさ
お金に対する執着は尽きないねぇ
0225神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 09:16:24.09ID:Jas84pjZ
布施は菩薩の心だよ。
布施(お金とは言っていない)をせずにはいられない。慈悲の気持ちを起こさずにはいられない。
無分別の善行の現れです。
御利益思想は改悪念仏邪宗が広めた紛い物の布施(悪行)ですね。
0227神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 10:46:15.01ID:pB7TVaC+
■パーリ中部135経 小業分別経

このように私は聞いた。あるとき世尊はサーヴァッティーのジェータ林、アナータピンディカ園に住しておられた。
ときにトーデッヤの息子スバ青年が、世尊のもとへ近づいた。近づいて、世尊と挨拶した。
喜ばしく記憶すべき言葉を交わしてから、一方へ坐った。一方へ坐ったトーデッヤの息子スバ青年は、世尊へこういった。

「尊者ゴータマよ、いかなる因、いかなる縁あって、人である者たち、人の身ある者たちのうちに、諸々の劣り、あるいは優れた状態が見られるのでしょうか。
尊者ゴータマよ、短命な人々が見られ、長命な者たちが見られます。多病な者たちが見られ、健康な者たちが見られます。
醜い者たちが見られ、美しい者たちが見られます。無力な者たちが見られ、大権勢ある者たちが見られます。
貧しい者たちが見られ、多財な者たちが見られます。低い家系の者たちが見られ、高い家系の者たちが見られます。
悪慧の者たちが見られ、有慧の者たちが見られます。
尊者ゴータマよ、いかなる因、いかなる縁あって、人である者たち、人の身ある者たちのうちに、諸々の優劣なることが見られるのでしょうか」と。

「青年よ、有情たちは、業を自己のものとし、業の相続人たちであり、業を起源とし、業を縁者とし、業を所依とする者たちです。
業は有情たちを仕分けます。すなわち、劣り、あるいは優れた状態へ」。

「私は、尊者ゴータマの、この簡略な、詳細には意味が解釈されなかった所説の詳細な意味を了解できませんでした。
なにとぞ、尊者ゴータマは私へ、私が尊者ゴータマの、この簡略な、詳細には意味が解釈されなかった所説の、詳細な意味を了解できる、そのように法をお示し下さい」。

「しからば青年よ、それを聞き、よく作意してください。私は語ることにしましょう」。

「そのように、尊者よ」とトーデッヤの息子スバ青年は世尊へ応えた。
0228神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 10:46:48.32ID:pB7TVaC+
「青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、殺生者となります。凶暴な者、血塗られた手の者、殺戮された〔獲物〕たちへ執着する者、生類、生物に対して憐愍なき者です。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ短命な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、短命な者へと至らしめるのです。すなわち、殺生者、凶暴な者、血塗られた手の者、殺戮された〔獲物〕たちへ執着する者、生類、生物に対して憐愍なき者となることは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、殺生を断じ、殺生より離れて、杖を置き、刀を置いて、恥を知り、憐愍にいたり、一切の生物生類を哀愍して住します。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ長命な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、長命な者へと至らしめるのです。すなわち、殺生を断じ、殺生より離れて、杖を置き、刀を置いて、恥を知り、憐愍にいたり、一切の生物生類を哀愍して住することは。
0229神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 10:47:20.90ID:pB7TVaC+
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害ある種類の者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ多病な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、多病な者へと至らしめるのです。すなわち、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害ある種類の者となることは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害なき種類の者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ健康な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、健康な者へと至らしめるのです。すなわち、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害なき種類の者となることは。
0230神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 10:48:10.04ID:pB7TVaC+
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、忿怒あり煩悶多き者となります。
些細なことを言われただけで、不機嫌になり、怒り、瞋害し、頑なになり、憤怒と瞋恚(しんに=憎しみ)と不満とをあらわにします。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ醜い者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、醜い者へと至らしめるのです。すなわち、忿怒あり煩悶多き者となり、些細なことを言われただけで、不機嫌になり、怒り、瞋害し、頑なになり、憤怒と瞋恚と不満とをあらわにすることは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、忿怒なく煩悶多からぬ者となります。
多くのことを言われても、不機嫌にならず、怒らず、瞋害せず、頑なにならず、憤怒と瞋恚と不満とをあらわにしません。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ端正な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、端正な者へと至らしめるのです。すなわち、忿怒なく煩悶多からぬ者となり、多くのことを言われても、不機嫌にならず、怒らず、瞋害せず、頑なにならず、憤怒と瞋恚と不満とをあらわにしないことは。
0231神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 10:48:54.81ID:pB7TVaC+
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、嫉妬の意ある者となります。
他者の利得、恭敬、尊重、尊敬、礼拝、供養に関して、妬み、憎み、嫉妬を結びます。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ無力な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、無力な者へと至らしめるのです。すなわち、嫉妬の意ある者となり、他者の利得、恭敬、尊重、尊敬、礼拝、供養に関して、妬み、憎み、嫉妬を結ぶことは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、嫉妬の意なき者となります。
他者の利得、恭敬、尊重、尊敬、礼拝、供養に関して、妬まず、憎まず、嫉妬を結びません。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ大権勢ある者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、大権勢ある者へと至らしめるのです。すなわち、嫉妬の意なき者となり、他者の利得、恭敬、尊重、尊敬、礼拝、供養に関して、妬まず、憎まず、嫉妬を結ばないことは。
0232神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 10:59:56.31ID:pB7TVaC+
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、強情な、過慢ある者となります。
敬礼されるべき者へ敬礼せず、立礼されるべき者へ立礼せず、座に値する者へ座を与えず、道に値する者へ道を与えず、
恭敬されるべき者を恭敬せず、尊重されるべき者を尊重せず、奉事されるべき者を奉事せず、供養されるべき者を供養しません。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ低い家系の者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、低い家系の者へと至らしめるのです。
すなわち、強情な、過慢ある者となり、
敬礼されるべき者へ敬礼せず、立礼されるべき者へ立礼せず、座に値する者へ座を与えず、道に値する者へ道を与えず、
恭敬されるべき者を恭敬せず、尊重されるべき者を尊重せず、奉事されるべき者を奉事せず、供養されるべき者を供養しないことは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、強情ならぬ、過慢なき者となります。
敬礼されるべき者へ敬礼し、立礼されるべき者へ立礼し、座に値する者へ座を与え、道に値する者へ道を与え、恭敬されるべき者を恭敬し、尊重されるべき者を尊重し、奉事されるべき者を奉事し、供養されるべき者を供養します。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ高い家系の者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、高い家系の者へと至らしめるのです。
すなわち、強情ならぬ、過慢なき者となることは。敬礼されるべき者へ敬礼し、立礼されるべき者へ立礼し、座に値する者へ座を与え、道に値する者へ道を与え、
恭敬されるべき者を恭敬し、尊重されるべき者を尊重し、奉事されるべき者を奉事し、供養されるべき者を供養します。
0233神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 12:03:38.51ID:l610tpld
くどいな
一つ貼ったら同等の繰り返し部分は省略してくれ
0234神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 12:13:31.14ID:5STlpJeT
>>233
■パーリ中部135経 小業分別経 のまとめ

トーディヤの息子であるスバが「なぜ人は、寿命、健康、容姿、権力、貧富、身分、智慧が違うのか」と問う。その釈迦の返答。

・寿命
殺す人は、悪趣(地獄などの悪いところ)か短命に生まれる
殺さず、慈しむ人は、天か長命に生まれる
・病気
生き物を苦しめる人は、悪趣か多病に生まれる
苦しめない人は、天か無病に生まれる
・容姿
怒りっぽく、不満を現す人は、悪趣か醜く生まれる。
怒りっぽくなく、不満を現さない人は、天か美しく生まれる。
・権力
嫉妬深い人は、悪趣か権力のない者として生まれる。
嫉妬しない人は、天か権力ある者として生まれる。
・貧富
修行者・宗教家に物をあげない人は、悪趣か貧乏に生まれる。
修行者・宗教家に物をあげる人は、天か富裕に生まれる。
・身分
傲慢で、尊敬すべき人を尊敬しない人は、悪趣か卑しい家に生まれる。
謙虚で、尊敬すべき人を尊敬する人は、天か高貴な家柄に生まれる。
・智慧
修行者に善悪や利益不利益を聞かない人は、悪趣か愚かに生まれる。
修行者に善悪と利益不利益を聞く人は、天か賢明な者として生まれる。

「学生さん、生ける者たちは、自分の業(行為)を持つ者であり、業の相続人であり、業を孕む者であり、業の結びついた者であり、業の行き着く場所なのです。
生ける者たちを分別して、この優劣の差を引き起こしているのです」
0235神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 12:22:05.34ID:l610tpld
>>234
つまり上座部は来世に
寿命、健康、容姿、権力、お金、身分、権力を得るための宗教なのか
執着が強すぎやしないかい
0236神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 12:44:37.69ID:0pnE72oN
ただ善因善果、悪因悪果を説いているだけ。
利益を求める貪りの心は悪因だから、悪果を生む。
利益を求めない布施の心は善因だから、善果を生む。
0237神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 13:11:53.55ID:l610tpld
広島長崎の原爆という悪果は市民にどのような悪因があったのかな
0238桃太郎
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2018/12/10(月) 13:13:33.21ID:YVALvNtR
>利益を求める貪りの心は悪因だから、悪果を生む。

だとすると、世俗を離れ山林に籠って乞食のような生活でもしない限り、人類は皆地獄に落ちることになる。

利益を求めることは、知性をもった人間ならば自然の事であり、悪因とはならない。
仏法では自利に執着し利他を顧みないから不幸になると説くのです。

したがって、自他供の幸福、社会の平和、世界の平和のために様々な知恵を出していくことはむしろ善因となるのです。
小乗教を重んじる人は「現世利益」間違いだと勘違いされている人もいますが、人が仕事に精を出し豊かな生活を得ることは、悪因とはなりません。

諸法実相であり、「治生産業は仏法と背せず」なのです。
大事なことは、自利に執着しするあまり、人の不幸の上に自身の幸福を築くなということでしょう。
0241神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 15:32:38.35ID:pB7TVaC+
>>235
そういったものは利益ではなく功徳といいます
まあ利益でもいいですがその利益を得るためには善い行いをしなければならないのです

また利益を求めるのと貪るのとでは違います


403 ウポーサタを行なった<ものごとの解った人>は次に、きよく澄んだ心で喜びながら、翌朝早く食物とを適宜に修行僧の集いにわかち与えよ。

404 正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」
0242神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 15:34:11.03ID:pB7TVaC+
「落ち穂を拾って修行している人(出家者)でも、
妻を養っている人(在家信者)でも、
乏しき中からわかち与える人は、
法を実践することになるであろう」
(相応部経典1-42『もの惜しみ』、中村元訳前掲書)
0243神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:05:00.36ID:0pnE72oN
>>238
>だとすると、世俗を離れ山林に籠って乞食のような生活でもしない限り、人類は皆地獄に落ちることになる。

落ちますよ。今までも長い輪廻の中で何度も地獄に落ちてきたでしょうし、
これからも長い輪廻の中にいれば、悟らない限りは、いずれは地獄に落ちるでしょう。
だからこそ輪廻は恐ろしい、急ぎ解脱しなければいけない。

ちなみに自利利他はブッダの定義だと、自分も貪瞋痴を無くすよう修行し、他人もそのように導くことのようです。
http://naagita.hatenablog.com/entry/20090205/p1
0244神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:08:48.09ID:VOs2+7X4
>>237
それはわからない。
ただ仏典では釈迦を輩出した釈迦族は琉璃王によって滅亡させられてしまったが殺された釈迦族の人々は死んだ後に天界に生まれたと思った。
0245神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 16:13:51.27ID:zhPxjPuF
>>243
君は山林で乞食のような生活を実践してるのか?
乞食しててもネットは出来るのか?
0247神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 18:13:11.65ID:DDD3e9Wn
地獄界は多分ウイルス、菌類、微生物の世界なんだよ
生命に生まれ変わるとしたら大半がそこにいく
もし人間に〜なんてありえないからね
0248神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 19:30:07.37ID:0pnE72oN
>>245
在家は乞食しない。
ただ戒を守り、禅定を修し、智慧を開発する。
生活の全てを脇に置いて、悟りを目指す。
0249神も仏も名無しさん
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2018/12/10(月) 20:44:31.38ID:rB+WOROq
>>248
在家なら地獄に落ちるという事になるな

243 ?? 245: 神も仏も名無しさん [] 2018/12/10(月) 16:05:00.36 ID:0pnE72oN (2/3)
>>238
>だとすると、世俗を離れ山林に籠って乞食のような生活でもしない限り、人類は皆地獄に落ちることになる。

落ちますよ。
0250神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 20:53:59.71ID:0pnE72oN
>>249
在家でも出家でも、悟らない限りは地獄に落ちる可能性はある。
強烈な怒り、瞋恚が生まれる可能性はある。
0251神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 21:05:11.87ID:rB+WOROq
>>250
話をすり替えてるな

世俗を離れ山林に籠って乞食のような生活でもしない限り、人類は皆地獄に落ちるとの誰かさんの言葉に対して 落ちますよと君が答えたんだよ
でも君は在家だから乞食しないという
なら自分で言った通り地獄に落ちるという事になる
0252神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 21:08:59.92ID:0pnE72oN
>>251
乞食しないと落ちるとは言ってない。
悟らない限りは落ちると言っている。
出家の生活は悟りに近く、在家の生活は遠い。
在家も頑張れば悟れるし、出家も真面目に修行しないと悟れない。
0254神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 21:54:18.71ID:0pnE72oN
例えば、ニュースで無差別殺人をしたり、親や家族を殺したりする犯人を見て、
「バカなヤツだ。俺は絶対そんなことはしない。」
と何故言い切れるか。自分も同じような環境に追い込まれたら同じような事をする可能性はある。

悟った人なら大丈夫。無常、苦、無我をしっかり理解しているから。
無常である現象に、苦であり空である現象に、腹を立ててもしょうがない、
私にも実体は無い、あなたにも実体は無いのに何に腹を立てるのか。
悟った人は人間、天界にのみ生まれ変わり、最終的に解脱に達する。
0256神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 22:59:32.43ID:qq5PxDlx
>>246
釈尊は三明者であるので天眼を使えば殺された釈迦族がどこに赴いたか確認できると思う。
0260神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 08:12:16.22ID:Zza2z5Iw
釈迦族が天界に生まれたからってそれが何?
いずれまた人間に落ちてくるし、それ以降は他の生命と同じく六道輪廻。
悟らない限りは六道輪廻。
あの人は上、この人は下なんていう差別は無い。
0261神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 08:48:52.76ID:Zza2z5Iw
原爆で亡くなった方の中にも、たまたま広島に旅行に来ていて被爆した人もいれば、
たまたまおつかいで広島を離れていて助かった人もいる。
何らかの因縁が生死を分けた訳だけども、その因縁は自分で作ったものだろうか。
自分の意志で広島に行った人もいるし、広島から離れた人もいるだろうが、
何がその意志を引き起こしたのか。
結局全ての因縁も、意志も、私が管理できるものでは無く、無我であるから、
六道輪廻の中で私だけは特別だ、安心だ、地獄には落ちない、などと言うことはできない。
0262神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 09:53:45.55ID:JRhi1Z73
>>258
オカルトではなくお釈迦様がそう宣言されているからでしょうね>>200

>>260
あなたも>>200
解脱したいのなら出家することをお勧めします。

また
『正法眼蔵 出家功徳』
仏法の中で出家の法は、先ず第一に修め難いものである。
これについて、バラモンの閻浮呿提(エンブカダイ)が舎利弗に尋ねている。
バラモン、「仏法の中では何が最も困難ですか。」
舎利弗 答えて、「出家することが困難である。」
バラモン又問う、「出家の人には どのような困難がありますか。」
舎利弗 答えて、「出家の人は、心の平安を得ることが困難である。」
バラモン、「それでは、心の平安を得れば、次には何が困難ですか。」
舎利弗、 「多くの善行を修めることが困難である。これらのことにより、是非出家をしなさい。」
http://www.dogen-shobogenzo.com/syukkekudoku2.html

私は人生は苦であるという悟りがまだないので在家のまま輪廻し続けてもいいと思ってます。
もちろん悪趣は嫌なので悪業を成さないように気をつけないといけないわけですが。
0263神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 10:36:33.17ID:6KFnSvj8
出家=解脱は大きな間違いです。
煩悩即菩薩、境智冥合を説いた教えが今の仏教なので。解脱どころかますます
解脱出来ません。
解脱目的なら凡夫のままでいいかと思います。
0264神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 11:21:58.69ID:KZUUN4OC
自分は人生がいくらか楽しい
まだ死にたいほど苦しいこともない
以前座禅が好きになって
禅寺に厄介になって雲水だったこともあったけど
それも楽しい思い出

その後外歩いて座って食べ物もらって
歩いて歩いて神奈川から四国まで歩いたり
お遍路とかも何度かしてみた
死ぬまで続けられたらかっけえ人生だなと
思ったけど同時にとてもつまらなくなって
このまま死ぬような人生が嫌だなともおもったら

とても友達が欲しくなったので
結構必死で友達作りをしたら
20年近く続く友達ができた

外を歩いて食べ物もらったり
田舎の道歩いてると農作物が落ちてたりするので
拾って食べて歩いてると
空を屋根にしてこの世界に住む感じが
普通に心に浮かんでくる

出家に対して話してるようなことは
空を屋根にして人生を終えるような人の生き方を
前提にしてる人に話しているのだと思う

もちろん個人的な考え
0265神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 12:20:08.73ID:Gj4dnHzv
>>262
> オカルトではなくお釈迦様がそう宣言されているからでしょうね

お釈迦様はそんな事一言も言ってないよ
それと出家と解脱は関係ない
0266神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 12:24:49.01ID:JRhi1Z73
>>265
その二行とも>>200の三明ヴァッチャ経で違うということが分かります。
0267神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 12:45:26.68ID:Zza2z5Iw
在家なら不還果まで悟れる。
不還果は死後梵天界に生まれ、のちに解脱する。
というか預流果に悟っただけでいずれ解脱することは確定。
戒定慧を実践して、無常、苦、無我を一瞬だけでも体験するだけ。簡単な話。
0269神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 13:05:50.44ID:6KFnSvj8
>>264
正法時代は安穏な日常であったから、素直で綺麗な心を持った人で溢れていたのだと思います。
しかし、末法の今では法華経のみを信心しなさいという、我々に課せられた教えがあります。
生きる苦から逃れる為に、様々な楽に転じたが故に、苦に対峙する根本となる智慧が衰えた人で溢れ、互いの安住を求める言動は争いになり、世は地獄へと姿を変える。
もう人というよりも、当たり前のように浅智慧と悪智識を持った餓鬼畜生が多く蔓延る世界として見てとれる気がします。
全ては自分と誰かの楽の為にあるのですから、何故法華経が在るのかを正しく知る者も少なくなっていくでしょう。
末法の先は説かれていません。まるでこの世の儚さを悟っていたかのようです。
あとは立正安国論が末法における現証を予言し、後世の寂光土を祈願し、それを我々に託していますね。
0270神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 14:31:12.55ID:JRhi1Z73
>>268
 そのように大王(マガダ国王阿闍世)よ、心は清浄に帰し、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも厭離して、
心身柔軟、いつでも活動できる状態にあり、しかも、安らかに住して不動の状態にある時、
いまや、比丘は、心を人間の死生の智に傾注する。
そして彼は、人界を超絶した天眼をもって衆生を観察し、衆生の死してまた生まれるのを見、衆生のなしたる業に応じて、
賤しきと尊きと、美しさと醜さと、幸福と不幸とを証しみるのである。すなわち
<みなさんよ、これらの人々は、身口意の悪業があって、聖者をそしり、邪見を抱き、よこしまの業をなした。
彼らは、その身壊れて死して後には、悪しき生を得、悪しきところに赴き、地獄に生まれた>
<みなさんよ、これらの人々は、身口意の善業があって、聖者をそしらず、正見を抱き、正しい業をなした。
彼らは、その身壊れて死した後には、善きところに赴き、天界に生まれた>と。
そのように、彼は、人間界を超越した清浄なる天眼をもって、衆生を観察し、衆生が死してまた生まれるのを見、
衆生のなしたる業に応じて、賤しきと尊きと、美しさと醜さと、幸福と不幸とを知るのである。
 これ(天眼通)もまた、大王よ、沙門の現生における果報として、さきのそれ(宿住通)よりも、さらに殊勝・微妙なものであります。

(パーリ仏典経蔵長部「沙門果経」より引用)
0271神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 14:33:38.12ID:JRhi1Z73
>>269
その末法思想というのは法華経では説かれていないですね。
だれが最初に説いたのでしょうか?
0273神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/12(水) 01:56:17.17ID:5ruL+No2
>>259
> >>257
> 悟りにそんな機能は無い
じゃあそもそも仏教なんてものはないな
悟り=輪廻を感覚的に知ることであり、過去生を知ることなんだよ
0274神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/12(水) 08:26:25.67ID:f/owKdEo
具体的に自分の過去生を思い出すのは宿命通で、神通力だが、
阿羅漢全てが持っている訳ではない。
阿羅漢は因縁、因果について完全に了解してるんだろうね。
だからもう最後の身体だという自覚はあるんでしょう。
もう執着、渇愛は無い。業を作らない。だから生まれ変わらないと。
0275神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/12(水) 09:02:36.73ID:m3XFRP/o
>>273
お釈迦様は想いからの解脱だけを説いたんだよ

古代インドで定着していたバラモン教などにより当時の人たちの生まれ変わりに対する恐怖や不安は相当なものだったんだろう

でも輪廻というのは「種々の生存に対する妄想」にすぎない

バラモンなどでは輪廻は実在として語られていただろう
がお釈迦様は方便として使った

輪廻は妄想に過ぎないから想いからの解脱において解脱してしまった「沈黙の聖者」にはそれを測る基準がないという事だ

お釈迦様は輪廻に関しては認識論的に答えている
存在論的には無記だ

輪廻など忘れなさい
0276神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/12(水) 09:16:13.07ID:GNrSQlZN
>>275
中部「サンダカ経」まとめ

★四種の清らかならざる行い。

1、 布施に果はない。行為にかはない。父母に仕えることにかはない。あの世はない。などと思い、生きる。

2、 悪の行為の報いはない、と思って生きる。

3、 生けるものたちの汚れや浄化に、因はなく、縁はない、と思って生きる。

4、 輪廻や運命は決定されていると考え、「私はこの戒により、または自制により、または苦行により、または清らかな行いにより、いまだ熟しいていない業を熟果させよう、またはすでに熟した業を徐々に消滅させよう」と考えない。

★四種の安息を与えない清らかな行い

1、 自分を悟った勘違いし、間違った苦行を行う。

2、 伝承にもとづき、伝承を真理とする。伝承には、正しい記憶もあり、間違った記憶もあり、正しいこともあれば間違っていることもある。

3、 理論にとらえられ、理論ばかり。正しい理論もあれば、間違っている理論もあるし、理論は正しいこともあれば、間違っていることもある。

4、 愚昧、詭弁。

★正しい実践

十善戒、少欲知足、六根防護、サティ、禅定、五蓋除去、過去世を思い出す、死生智、四諦についての漏尽智。
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