「仏陀の真実です教えます説く 下」声聞品桐山解説批判A

1日おきに書こうかと思いましたが、二夜連続となります 。
当初八関斎に対比して桐山三善根、三福道経典を出すので、この取り扱いは違うと指摘しようと思いましたが、
それは後回しにして 、今日は 別の話。
83ページに「横変死者をも救う戒の力」と題して論じられています。
これはこの経典の5人目の頭蓋骨で人に殺されて死んだが死後は何と天上界に生まれていると ミガシラバラモンは 透視し、
釈尊もその通りであると認め 、どうして殺された人間が天にまで行くのかと尋ねると、
戒律を守ったからだと 答え、その通りであるとさ釈尊が認めるわけです。
5人目は人に殺されるとい変死の因縁で亡くなった男性でしたと書き出します。
変死者をも救う戒の力という小見出しといい、 横変死の因縁といい 阿含宗の信者にとってはあたかも横変死の因縁を切ったかのように
錯覚させようとしているのかどうかは知りませんが、それを間違える人はいないでしょう 。
そもそも 人に殺された者の頭蓋骨を見たわけですが、横変死の因縁なんていう考え方はありません。
それはそういう運命だったとすらも経典は書いていません 。
阿含宗において横変死の因縁を切ると言ったら殺されても来世に天に生まれるということではなく、
現世において殺されるということをも回避するということのはずです。
その辺はほおかむりしているわけです。
また考えてみてください。
殺されるはずだった人間が殺されずに済んだなんて話はどこにもありません。
むしろ運命なのかどうかわからないけれども殺されても来世は悪い所に行っておらずむしろいいところに入っている 。
これを説くだけで あることに 本当の仏教と桐山阿含宗の違いをよく考えてみてください。
またこの経典の細部を読むごとにに運命なんて本当に定められているのだろうかと思われる表現もありますが、
それはまた別の機会にすることとして。
今夜は短い 指摘ではありましたが、これにて終わることにします。
気をつけて行ってらっしゃい。でなくて。おやすみなさい。
おんさらばむにゃむにゃ