マインドフルネス Part14
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
当スレで採用するマインドフルネス瞑想の定義については、Wikipediaをご参照ください。
マインドフルネス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/マインドフルネス
『マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。
マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。』
マインドフルネス瞑想は、その源流となった仏教瞑想を越えて、広い範囲でマインドフルネスの名称が冠される状況であり、宗教、健康法、心理学の各分野に今や広い裾野を持っています。
当スレが話題の対象とする「マインドフルネス瞑想」は上記定義のものですが、それ以外のマインドフルネスを冠する技法や、
瞑想一般の話題、呼吸法、マインドフルネス状態を喚起する瞑想以外の方法についても、禁止ではありません。
過剰な発言量にならないよう程々に情報交換しましょう。
また、感情的なレスのやり取りは周りにも迷惑ですので控えてください。
前スレ
マインドフルネス Part14
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1536855706/l50 >>950
もぐらたたき派の人は、実際リストラされ、出家し修行に専念しました。
そして人間を超えた楽しみ、涅槃解脱を体験しました。もう二度と煩悩に苦しむことなく、おだやかに死を向かえました。
共存派の人は、給料をたくさんもらって財産を蓄えました。出世しました。
やがて年をとり、病気になり、いよいよ死ぬことになりました。財産や仕事の事が気になり心は落ちつかず、生命の本質もよく分からないので、
死ぬのが不安でしかたありません。悩みながら、苦しみながら、後悔しながら死を向かえました。 言われてるそばから同じ過ちを繰り返してくスタイルw
こういう人って、頭の中には「真理」で一杯になっていて
死に際に「仏の教えとは何だったのか辛い、苦しい、寂しい、悲しい」
って思うんだろうな そういう自分と違う人の自分と違うという存在の仕方も受け入れたり無常と思えばいいじゃん
他人を自分の思うとおりにしようとしなくてもいい そうだね、何か途方もないアホな人見るとつい下に見てしまう
これは悪い癖です
下に見てしまうと、思う通りにしようとしてしまう自我が働く
そこに苦痛が生まれるという事なんだな 不安とともにいて、排除せず、不安があってもないのと同じことになる
森田療法なんてそのままですね
「不安や神経症はあるがまま、異物視せず、今必要なことをやる」
その結果、「治らずして治る」のだそうです。
つまり、不安があってもそれに苦しまない。
あと、森田療法には最初一週間くらいの何もせずに横になってる期間があって、
その間は気を紛らわせるようなこと(読書など)は一切しないで自分とともにいる期間だそうです
これって瞑想なのでは
創始者の森田正馬さんは、当時の心理学用語では解説しきれず仏教用語を多用されてました >>953
無我を悟ると、死ぬのは怖くなくなります。
私は初めから無かったのだから、私が死ぬという事も無くなります。
肉体は死んで腐って、焼かれたりしてバラバラになりますが、初めから私のものだという認識がないので、
肉体の死に関しても何とも思わなくなります。 >>943
人間は気づきがないと、無意識的に苦を何とかしようとして「苦痛」になってしまう、
という理解でよろしいでしょうか?
手動瞑想などは、定は深めず日常の動きに気づいたその中で思考や感情もウェルカムという
ようですが、それもまた一つの手法として効果的ですかね。あなたは定をサマタで深めた上でと語られているが
まあ、頭でっかちで怒られるかもしれないですが、見解としてどうでしょう 東大理三目指して25浪という女性がいたが、それ思い出すよ
彼女は理三目指してるから自分は偉いんだと言っていて
他の医学部に入った人や医者をバカにするわけです
「理三から逃げたくせに」とね
20浪以上もして分数の通文も平方完成もできず九九も間違える偏差値20なのに
彼女は理三出の医者もバカにするわけ
なぜなら、彼は医者しかしていないからで
彼女はモデル(事務所に登録されてるだけ)で作家も目指してるから
涅槃となったら理三どころじゃありませんから
そりゃ、目指してるんだから偉いんでしょう、正しいんでしょうなあ
ワッハッハ たとえなので言葉の遊びでもありますが
一般的なマインドフルネスは、出てきたもぐらを受容して、もぐら退治で畑を荒らさないようなことですね
で、もぐらは納得するか飽きて去っていく
一方、もぐら叩き派の方の>>900のやり方、これは臨済宗の公案で自我が殺されるようなやり方では。
あるいは、一神教では苦悩の果てに自我が死んで他力に目覚めるということもあるようですね。
エックハルトトールもきっかけはそうだったようです
手法的にはマイルドではない、危険を伴うやり方かもしれませんが、全否定するものでもないのかと 連投失礼
新スレ立てました。このスレは立てたときに15を14にしてしまっているので、次スレはPart16となります
マインドフルネス Part16
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1540367149/l50 別にどの方法でも信じてやれば良いんだよなー 苦しみを明らかにして少しづつ実感しながら進む泥臭い人間臭い観察の道でも良いし そういうのをすっ飛ばしてダイレクトに自分と真実を一致させる方法でも良いし
自分が気になる方法で行き詰まるまでやれば良いと思うよ 行き詰まったらまたそこで方向転換すれば良いしね
ある方法で上手くいった人は自分の実体験からそれを勧めるだけのこと 悲しいことに上手くいってしまった人はもう2度と他の方法で試してみることができないんだよね この業界(?)では だから色々と派が別れる 逆に言うとどれでも良いんじゃん ということになる
ただ真実にダイレクト系の方法は人を選ぶような気がするね 人間は脳だけじゃなくて、大雑把に言うけど身体があって空気があって重力があって他者がいて細菌もあって色んな生き物もいて太陽があって…etcという縁起の中で生きている
思いと共存するというのは、シンキングマインドがシンキングマインドと共存するという意味ではなく、上でいったような「縁起」「全体性」「青空」という視座から発せられる言葉 >>958
その理解で良いんじゃないかと思いますけど
どうにもならないことはどうにかしようとせず、やがては去ってゆくもの
つまり無常であることの一端を観察して理解することが苦痛を軽減すると感じてます
これは頭で言葉で理解してもそうならないんですよね
手動瞑想はどんな風に進んでいくのか実際のところは俺にはわかりませんが
お釈迦様は弟子に歩行瞑想良いぞ、サマディが深い、と言ってたそうですね
自分も黙想を休んで歩行瞑想だけやってみると、平常状態で気づきを得られる状態がしっかり続いてる様に感じます
ここんとこは言葉での説明が難しいけど、黙想の時に何も写ってないスクリーンに例えたレスがありましたが
全身、意識がスクリーンのまま生活するということです
だから、動きのある瞑想だから定が浅いとは俺は思いませんよ
手動瞑想でも手の感触や位置などの変化が感じとられ続けるならば、浅くはないのではないでしょうか
仮に浅くても観察が進めば深くなります
ウェルカムというのはものの言いようでは
手の動きでひたすら雑念を振り払うのが手動瞑想ではないですよ、という程の意味かと想いますが
実際にやってないことなのでそのくらいでしょうか
ただ、個人的に言えることは黙想の瞑想と、動きのある瞑想、両方やるほうが
そこに対比と共通項とが見えてきて理解がしやすいんじゃないかと思います
もし誰かを指導するなら黙想からやらせますが >>963
青空であろうが何であろうが、煩悩と共存するのはどうなんでしょう。
なぜ苦しみと共存したいと思うのか。よく分からないです。 >>965
苦しみに執着するということではないから
それは薄れたり流れたり消えたりする
変化しないものなんて何もない
あなたの前提となってるものは、思いは確固とした存在で絶対に消えるものではないという思い込みではないですか >>967
シンキングマインドの世界しか知らないからかと >>966
強烈な怒りが現れたとして、なぜそれと共存するのかという話です。
ブッダは怒らないことによって怒りに打ち勝て。とおっしゃられてますが。
煩悩、悩み苦しみは無い方がいいでしょう?
怒らないように、悩まないように、苦しまないように生きればいいと思うのですが。
ちなみに思いも無我ですから実体は無いですね。放っておけばいいです。
煩悩、悩み苦しみ、怒り、嫉妬など、放っておいてはいけないと思うのですが。 怒らないことによって怒りにうち勝て
の解釈の違いということになるのかな
一照さん的な例えでいうと、狭い部屋の中で暴れる人がいたら大変だけど
地平線まで見渡せるような広い場所のどこかでポツンと暴れる人がいても
ほっとけばエネルギーが切れてやがて静まる
これが怒らないことによって怒りにうち勝つことになる 理屈ばかり考えてたら、いつまで経ってもシンキングマインドから離れられないよ 煩悩、悩み苦しみ、怒り、嫉妬が無常でないと?
お釈迦様の仰ることを否定なさってるけど、良いのそれで? >>973
無常でないとは言ってませんよ。
お釈迦さまがいうのはすみやかに煩悩を全て滅ぼし、涅槃に入れ、ですよ。 日に10分、1ヶ月瞑想したらこんな出鱈目な解釈にならないでしょ 怒りに関しては、
「身体に入った蛇の毒をすぐに薬で消すように、生まれた怒りを速やかに制する修行者は、
蛇が脱皮するように、この世とかの世をともに捨て去る。」
とも。 体に入った毒を消す練習をしない人が
速やかに煩悩をすべて滅ぼし涅槃に入れるかな どこまで行っても言葉に縛られてシンキングマインドから離れられない 「多少不満があってもそれなりにうまく日常生活(世俗)が出来ればいいと考えて瞑想している人」と
「輪廻転生から出る事を考えて瞑想している人」では話が噛み合わないと思いますよ。
魚川氏の比喩を使うなら「上海を目指している人」と「ニューヨークを目指している人」同士が
目的地とその行き方で議論しているようなものです。 まず苦がなんなのかすら誤解していたじゃないか、さっきまで
隅々まで行き渡ったその思い込みが毒なんだよ?
まずそれを滅したらどうだろうか?
観察をするとよくそういうものが現れたもんだが
一回で大分少なくなるが、二回三回とやらないとならないだろうな
なんせ一切皆苦と考えて考えて過ごしてきただろうからね
まあ、じっくりやりなよ スマナサーラ師もいつかおっしゃってましたけど、怒らないようにしていても怒ってしまう。欲張らないようにしていても欲張ってしまう。
煩悩というのはどうにもならない、それこそ一切皆苦だから、悟るしかないんだと、そこで心が悟りに向かうらしいです。
自分もそうでしたけど、煩悩はどうやっても無くなりません。瞑想しても無くなりません。共存してももちろん無くなりません。
悟ることで初めて無くなります。 不安とか、それを単なる体の反応として感じられるまで、ものすごい集中力を持って見る(感じる)やつとか
なれると中ぐらいまでのものならスパッと落ちるし、少し大きめのものでも、五分もかからず落ちるから良かったよ。
一番大きなものは無理だったけど。避けたい、遠ざけたいと思うタイプの感情によさそうだった。
エックハルト・トールも「身体の全細胞の力を使って見る(感じる)」とか言っていたけど(たしか)
あのやり方だと集中力が大事そうだった。 悟ってるスマナサーラ長老ですら怒っておいでだからなぁ >>964
すごく参考になりました。レスありがとうございます。
>>983
エックハルト・トール、侮れないですよね。
読んでてうならされる
ツイッターのbotで発言集を読んでますよ >>985
えっ、本当ですか、よかった(プラユキさん風に喜 >>984
澤木興道老師もよく怒ってたらしいですよ。
道元禅師も一回ブチキレて弟子を追放しましたよね。 >>982
話はもとにもどるんですが、もぐらと「共存派」の言ってる共存は、たぶん単に怒りや欲望に振り回されるの
ではなく、気づきによって怒りや欲望と距離をとり振り回されないようにするというニュアンスだと思います
そうやって、気づきを保っていれば、もぐらも去っていく(無常なのだから)。
しかし、もぐらと戦ってしまったら、もぐらも出て行かないのでは?
でも、つぎつぎでてくるもぐらには、その都度繰り返し根気よく気づきで対応しなければならない。
あなたのいうもぐらたたきも、他の人の言う共存も、内実はさほど変わらないのではないでしょうか。
あなたは悟りで怒りや欲望から離れた境地を目指す話をされていると思いますが、それには異論はないです。
言葉の問題という気がするな もぐら=どんな方法であれ最終的には煩悩を滅尽
共存=最終的に煩悩が滅尽されなくてもよい
と解釈していたのですが違いますか? >>989
もぐらは去っていきますが、また新しいもぐらが来ますよ。それは強力なもぐらかも知れませんし、弱いもぐらかも知れません。
常にもぐらに終わりは無いです。
もぐらと戦います。もぐらが出ないように頑張ります。限界までくるとそれは不可能である、と諦めて悟ります。
その瞬間に自分が出ていくんです。無我になります。自分が無くなればもうもぐらは気にしなくてよくなります。 チベット仏教のペマ・チュードンさんが、知野弘文師に「恐れがきたらどうしたらいい?」と
聴いたら「ただわかったよ、わかったよ」といえばいいのです、と返事をされたとか
観て気づかなければ「わかったよ」とはいえないですよね
そして恐れに振り回されてしまう
怒りも欲望も同じだと思う
より深いレベルで気づくためには瞑想の実践が大切ですよね
歩行瞑想してこよう >>992
悟っていない人は、自分の心身、五蘊を自分のものだと執着します。
それを五取蘊といいます。
元々は自分のものでないものを、これは自分のものだと勘違い、執着することが問題です。
それは悟らない限り無くなりません。 >>991
出てこないように戦う→不可能の壁にぶつかる→自我が死ぬ
ってことですね。
面白い。
そういう悟り方は聞いたことがあります。
神谷美恵子さんが病気からの回心体験や、斉藤啓一という作家の絶望からの悟り体験
エックハルト・トールのウィキにも悩みからの変容がありましたが、
あなたの場合はそれを自覚的に行われているということでしょうか
やはり公案で自分を追い詰めるやり方を連想するなぁ >>990
もぐら=煩悩として
もぐらたたき=煩悩と徹底抗戦
もぐらと共存=煩悩を受け入れ観察する
みたいな解釈でした。自分は >>994
そういうことに執着してるからお気持ちが自分自身だと思っちゃうんじゃないの
ちょっと瞑想すりゃ、色んな気持ち・思い・イメージは脳が勝手に産み出してるものだと分かるだろうに >>997
すごいですね。ちょっと瞑想して無我を悟ったんですね。 >>996
その定義だとID:T4c17vy7 さんはもぐらたたき派でもあり、もぐらと共存派でもあるんじゃないでしょうか?
もぐらを観察して、もぐらを消そうとしているのだと思うので>>921 >>999
私は妄想しないように頑張ります。
スマナサーラ長老の指導通りに。 このスレッドは1000を超えました。
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