つぎに、こう考える。真理は、この宇宙に満ち満ちている。しかし人間だけは、この真理とまるごと一体化することができる。それは、素晴らしいことで、人間としてもっとも価値あることである。

※省略

 すると、どうなる。実際に、瞑想(パフォーマンス)を実行するしかない。

 瞑想は、労働ではない。真理に接近するパフォーマンスは、訓練が必要で、時間もエネルギーもかかる。
選ばれたごく一部の、特権階級のひとしかできない。これが、バラモンだ。

 バラモンは、サンスクリットで書かれた本を、たくさん読む。神々の祭祀も、行う。けれども本当は、「真理に接近できる特権をもった人びと」のことなのだ。

 そうでない人びとは、この世界に必要な、さまざまな業務を分担する。政治・軍事を分担するのが、クシャトリア、ビジネス全般を担当するのが、ヴァイシャ……、という具合に。
彼らは、バラモンより、地位が低い。「真理にアクセスしたければ、輪廻してバラモンに生まれるのを待ちなさい」である。

 カースト制は、差別である。社会的威信(プライド)が、不均等に配分されている。下のほうに位置づけられたら、生きる気力が失せてしまいそうだ。

 これに抗議の声をあげたのが、仏教である。

 ゴータマ青年はクシャトリヤの生まれ。宗教活動をしに修行の旅に出るのは、カースト制のルール違反だ。ゴータマ青年は、命懸けで、

 (d)「カーストに関係なく、誰でも真理にアクセスできる」

と主張したかったのである。

努力の甲斐(かい)あって、覚り(さとり)をえた。ゴータマは、覚った人(ブッダ)となった。弟子を集めて、教団(サンガ)をつくった。
どんなカーストからも参加できる。同じ服を着て、共同生活をする。托鉢(たくはつ)してもらった食べ物を、一緒に食べる。人間として平等。
差別の厳しいカースト社会の反対の、理想の空間がそこにある。 仏教は、これみよがしの、アンチ・カースト運動である。(続きはソース)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190929-00030102-president-soci
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190929-00030102-president-000-1-view.jpg