仏教はそもそも諸法無我といって霊魂は無いという立場なのに
一部の新興宗教では「御魂(みたま)」といって
あたかも霊魂が輪廻転生しているかのような教義となっており
なおかつその教義を仏教用語で援護するのは論理的に破綻しないのか不思議です

また仏教は創造主のような神の想定も無いはずですが
やはり一部の新興宗教では仏教用語を駆使しながら
その魂も創造主のような絶対神が作ったかのような教義となっていて
そこにも矛盾を感じます

仏教が否定した霊魂の存在を仏教用語を使って肯定する、
そんな矛盾をどうやって両立させているのかワールドメイト会員に説明していただければ幸いです