中沢新一
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中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の人類学者、思想家、宗教学者。
元中央大学総合政策学部教授。
明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。
多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。
「宗教から経済、科学から芸術にいたるまでの広大な領域でおこっている心の活動」をみずからの研究主題として、超域的観点から人文諸科学の知を再編成することを目指す人類学者。
クロード・レヴィ=ストロース、フィリップ・デスコーラ、ジャック・ラカン、ジル・ドゥルーズ等の影響を受けた現代人類学と、南方熊楠、折口信夫、田邊元、網野善彦等による日本列島の民俗学・思想・歴史研究、
さらに自身の長期的な修行体験に基づくチベット仏教の思想研究などを総合し、「対称性人類学」という独自の視点に基づく人類学を提唱する。
NHKで放映された『NHKスペシャル チベット死者の書の脚本も担当し、評判を呼んだ。 中沢新一は東京大学文学部宗教史学科で柳川啓一のゼミに所属。
ゼミでの柳川は、宗教の中心にあるのは、人は儀礼において「聖なるもの」を体験することで子どもから脱して大人になることができるという「イニシエーション」であるとしており、宗教学者は本を読むだけでなく、イニシエーションを直接体験しなければならないと主張、
柳川ゼミでは、聖なるものを体験させてくれる宗教を見つけて「潜り込み」調査をする、自ら信者になって体験するということが行われていた。
柳川啓一は、島田裕巳の指導教官でもあり、東京大学文学部宗教学研究室では、中沢は島田の先輩にあたる。 今さら中沢なんて。
もう数十年前の昔の人。
よってスレ終了。
今、人気ないでしょ、スレ主は中沢関係のビジネスで利益あげたいわけ? チヅヲが〆られたことについて何かコメント出したん? オウム擁護
島田裕巳は断罪されて
中沢新一はなぜか大してお咎めなし
この差は何なの? >>13
島田の方が(顔面)偏差値が低いからだと思う。 中沢と同じ旗頭だった浅田彰が本をすぐに書かなくなったのが残念。
吉本隆明も死んでけっこうたつもんなあ。
ニューアカブームも1990年代までだし・・・ ボスト構造主義の立場から宗教体験を語っても、オウム信者からは粉飾の核になってる部分が丸分かりなんだろ。
坂本事件の頃、オウム擁護に回ってしまったミスは、中沢がしょせん坊っちゃん育ちで、育ちの悪い松本智津夫の思考の根底まで見抜けなかったんだろ? 中沢と同じ山梨出身の林真理子によると、中沢さんは旧家の坊っちゃんだそうな。
父親の中沢厚のテーマの丸石神研究を自分の本に入れてる本意って? その昔、阿含宗の桐山さんが中沢さんを後継者にしたがってた時期があるって本当? 南方熊楠について、中沢の本は表現がスマート過ぎる。水木しげるの「猫楠」の方が生の熊楠っぽい。 レーニンに関する本は、まさに「マルクスその可能性の中心(柄谷行人)」の中沢版
新左翼から見れば、悪意の本らしい? 父親の研究テーマをまとめる良い子の中沢新一氏。
一方の松本智津夫さんは、父親について苦い思いしかないんだから・・・ 吉本隆明は、「言葉の沃野」の中でさりげなく中沢さんを皮肉ってるよ。
この微妙な本作りに気づいているのは俺だけでないのか? 丸石神のテーマ曲は、姫神の「峠」がピッタリでんな。 >>22
吉本隆明の言葉の沃野の中の江藤淳の中野重春に関する批評と中沢新一への批評は、父親に関する件で通底していたような気がする。 やはり30才近くまで親の世話になりっぱなし・・・というのは、うらやましくもアリマスな。中沢新一氏のことよ。 丸石というと、荒俣宏の深沢七郎の死に方に関する文章を思い出す。
中沢も同郷の深沢七郎について、その川筋気質を肯定的に書いてるね。
それが日本史における「悪党的思考」につながり、オウム事件にもいやが上にもつながってしまう訳だな。 保元の乱、平治の乱、226事件、オウム事件エトセトラエトセトラ >>25
新仏教の鎌田東二との対談で、ケツンサンポグルに出家を進められたけど、逃げ帰ってきたとある。
ダライ・ラマも出家に肯定的でないらしいけど、オウムを肯定するのは半端な立場で無責任であったな。 このスレは頭の悪い奴が立てたので、もてあまし気味だったのを少しはマシにしてやったら、ウイルスを仕掛けて腹いせしてくる。
愚か者はどこまでいっても愚か者だ。
最近、宗教板に不自然な全然宗教らしくないタイトルのスレがボウフラのように急増してるが、もしや??? >>29
「ブッダの方舟」で、宮崎信也(中沢の弟子にして、真言宗の住職。オウム世代でもある)が、原始仏教の僧伽のありかたについて推理してる。
釈迦の弟子たちは、修行の専門家ではなく、半ば仕事についていたという説。 釈迦の時代のインド人の人口は何人ぐらいだろう?
2500年前から10億人もいたんか?! 文化人類学そのものを否定していた外国の学者が昔いたけど、誰だったかいな?
そもそも日本の民俗学の柳田國男ですら、当初は学問として認められていなかったんだから。 詩人として出発した柳田國男は、吉本隆明と似てなくもなく、吉本の「共同幻想論」もベースに柳田の「遠野物語」にしてるし。 ボツになった愛知万博のテーマ
初期プランに採用されるはずだった南方マンダラの思想 スキゾとパラノ
ポスト構造主義はスキゾ型の未来を志向していた。
中沢のオウム批判はパラノ型のオウムの時代への遠近法が転倒してある点にあった。
一神教なんて、いかにもオウム内部に長年いた奴の視野でしかない。 深沢七郎なんてのもパラノ型でないの?
生きた化石気質に同調する仕方も胡散臭い。 中沢初期のテクストの一文に「胎生の科学」というのがある。
生物が胎生してくるプロセスの目の形成段階についてチベット密教式に述べた一文。
多分これはドゥルーズの「ミルプラトー」の中で図入りで解説してある哲学的な目の形成段階を理科学的に移して解説したんだろうけど。
昨日、又吉直樹の学者質問番組で、目が生物の器官として原初に発生したメカニズムで、植物プランクトンが媒介した説にひじょうに驚かされた。 目の形成が何故必要だったのか、地球上の生物史の中で何だったのか?
生物が地球と自分とを自と他として区別するための器官としての目玉。
又吉直樹の推理も結構深くて鋭いものがあったなあ。 そういや「火花」と言えば、エックハルトの表現もあるし、中沢の「チベットのモーツァルト」のウィルソン霧箱の喩えもあるよな。 片目の魔王・・・北一輝のアダ名らしい。
一方の目は外部に向けられ、もう一方は内省に・・・とでもいうか、
このアダ名に向いた人物が、最近までいたね。 南方マンダラの使い方の可能性
ああした複雑なものを使いこなせる人間がいても、物作りする人間にはしょせん敵わないのではないか? フレキシビリティ(柔軟性)、アンビギュイオス
(曖昧さ)
かつて中沢さんが文中で使用したキーワードである。
そうしたハンパナイって姿勢が、このスレを立てた人にも印象強いのだろう。 チベットから帰国したばかりで、日本の論檀デビューしたばかりの頃、ビシュヌの化身だとか、龍樹の生まれ変わりだとかチベットあたりでも言われたと自慢してたわね。
しかし・・・・・・ 登山家に「死の匂いのする場所」と呼ばれるエベレストの頂上。
シヴァ神と関係深いとか?
宇宙の維持神ビシュヌ神。
荒涼とした空間に対して山麓の森林地帯。
1990年代初期に、「森のバロック」を上梓したばかりの頃NHKの中沢の番組。
富士山の青木ヶ原と都市部を重ねて併せた映像・・・・ パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」にも登場するスーパースターのマハーアヴァター・ババジ。
ヨガナンダの師匠スリ・ユクステワが出会っても、地元インドの人々にさえ
「高山の酸欠のせいで見た幻覚だろう」
呼ばわりされてた。
ヨガナンダの本は単なる神話作りのロマンなのか? ヴァギナってシヴァ神やヴィシュヌ神と関係あるのですか? >>41
チベット密教だけでなく、ウパニシャッドにも中陰のプロセスに胎生、卵生、の他に火の中から生まれるものとして蜂の例が挙げられてるが、全く不可解ではあるねん。
もう1つバルドーの形態があったけど忘れたなあ。 >>51
そういや、蜂が出現する夢の絵ってサルバドール・ダリのにもあったな。
レーニンの本にヤーコプ・ベーメの神秘力の得方として、スプーン投げをやっていた・・・とあり、シュールレアリストの芸術家達もそれを真似たんだろか? カンガルーの前世話で、チベットのルンゴムパの話が添えてある。
それをオウムの小宮という人が瞑想体験で自分も前世で見た・・・などと・・・・・ >>52
五島勉のノストラダムスのある本に、ノストラダムスが未来ビジョンを垣間見る技法として、スプーン投げをしてたとかなかったっけ? フラクタルという語を数学以外で使用した中沢さん。
これもカルトにつながる発想ではあるねん。
粗雑次元物質世界以外のアストラル世界の存在をほのめかしているんだから・・・・ モーツァルト作品を手掛けることの多い、とあるヨーロッパのマエストロとTV対談してた中沢氏。
モーツァルトを主として演奏して、他の作曲家作品を手掛ける時、
「渦を巻いているのです。大きな渦小さな渦。・・・・・・」
てな具合に、中沢の思潮表現に合わせてきたマエストロ。 螺旋状の渦を巻いていると言えば、バッハのフーガ、カノンが全くそのものみたいだ。
大バッハ作品も極めて数学的みたいだし。 ゲームフリークスはバグを繰り返す・・・という初期テレビゲームの論理構築世界に潜むバグシーンに、グレゴリーベイトソンのWバインド理論を人間の内面に重ねる中沢氏。
禅宗仏教のメカニズムの暗示。 >>61
チベットのモーツァルトのイントロにもある。
ケツン散歩グルの
「それ(茶碗)は何か?」
という問いかけ。
生活用品が、習慣で認識成立させられているという。
全く異なった文明人ならば、茶碗が違った使われ方をする道具・・・・・・ >>62
江川紹子がこの一説をオウム批判の為に引用していたが、仏教が本来内包している手法を社会学的常識で云々するのはお門違い!
とやってたが、まさにその通り。
ただし「噂の真相」によると、中沢のオウム批判が生半可なのは、自分が依拠するチベット密教の暗黒部分に触れるから・・・
と皮肉ってたな。 島田裕巳の「中沢新一批判」にはおぞましい事が書いてますよね
p37
「ね、高橋君。オウムのサリンはどうして(犠牲者が)十人、二十人のレベルだったのかな。
もっと多く、一万人とか、二万人の規模だったら別の意味合いがあったのにね・・・」
p38
「一万人、二万人規模の人間が死ねば、東京の霊的磁場が劇的に変化する」 >>65
オレはこれは知らんが、この考えだと広島、長崎に原爆が投下された後、現象レベル以外で何がが起きたと言いたげだな?
中沢が恐ろしく節度のない面を持ち合わせている事は確かだろう。 チベット密教
現ダライラマはまともだが
その前のダライラマなどの高僧は
自分うんこを丸めて乾かして薬であると
信者に売ってたくそである。
中沢も同じくそであろう。
人を殺すまたは人をして人を殺さしめるものを悪という
悪人こそ仏の正しい客である。 ニンマ派で修行すると中沢さんみたいなキャラと化すらしいな。
あるオウム信者で、有名なヤーさんも前世でニンマ派だったなどと。 ボクなんかニンマ派だから最低よ・・・などと衒いをこめて誰かと対談してたな。夢枕莫相手だっけ? 中沢さんの表現の軽さは、1980年代のポストモダン状況とも関係ある。
昭和軽薄体の流行、週間本の発刊など、今となってはレトロと化した風景。
平成もあと少しで終わるのに・・・
各出版社は平成史全集の刊行を予定してるんだろな。 チベットのモーツァルトは、渡辺和博のベストセラー「金魂巻」でアカ難とレッテル貼りされた。
ニューアカと本の表紙からのイメージだが、旧左翼の埴谷雄高のクロ難、みすず書房の哲本の表紙シロ難に対するニューウェーブとして、最難解本として思想の最前線に躍り出た訳だ。 あの当時は、メルロポンティの身体論などに対する新・身体論とも解されていたチベットのモーツァルト 宝島30 元オウム信者・高橋英利の手記 より
「宗教とは狂気を持っているものなんだ。高橋くんは気づかなかったの?」
「歴史的にみてもいろんな戦争を起こしているし、宗教って、そもそもそういう凶暴性を
秘めているものなんだよ」
「ね、高橋君。オウムのサリンはどうして(犠牲者が)十人、二十人のレベルだったのかな。
もっと多く、一万人とか、二万人の規模だったら別の意味合いがあったのにね・・・」
「僕がちょっと聞いた話なんだけどね。坂本事件の犯人は、あれはオウムじゃないよ、高橋くん」
「宗教というものは、もともと危険なものなんだよ。高橋くんはついに宗教の入り口にも到達できなかったんだね。
クリシュナムルティを気取るのは10年早いよ。」
「高橋くんは事件の前にスルリと逃げてきちゃったために深い考えができないんだね」
僕は、中沢さんに「僕のグルはサリンまでまいてしまった。グルイズムをそのまま賛美すれば、中沢先生のついたグルは
温和なグルだったから、たまたまこういった事件にはならなかった、ということになってしまうんじゃないですか」
と言いました。「私にすべてまかせなさい」とグルに言われて中沢さんはついていったけれど、最後にはグルはポンポンと肩を叩いて中沢さんを解放してくれた。中沢さんからは、その問いについての反応は何もありませんでした。
たぶん怒らせてしまったんだと思います。何度かその話はしました。直接会って話しているときは、中沢さんも
笑いながら聞いていたのですが、同じようなことを電子メールに書いて送ったら、次の日に電話がかかってきて、
ひとこと「絶好だ」と言われました。 出版業界企画
「栗本慎一郎と陽気で過激な仲間たち」
浅田彰の「知のガジェット」
なんてのもあったな。
柄谷行人の「批評とポストモダン」
とか、 吉本隆明とフーコーの「世界認識と方法」
という本も・・・・ 1960年代の五月革命以後の思想潮流の構造主義革命が、日本の1980年代に遅れて輸入された。
浅田彰の「構造と力」は、思潮の最前線まで紹介した優れた本。
サブカルレベルでは、あんなものか?
中森明夫が柄谷行人に馬鹿にされて、ひどく悔しがってたなあ・・・ >>75
こんなこと言ってたの?
何となく吉本隆明の「最後の親鸞」絡みの思考があるような気がするなあ?
中沢さんもエラソーな言い方してるけど、実はハンパモノだと思う。 宝島30 30’s news chatより(高橋手記とは別)
後にポストモダンと呼ばれるようになるこうした「80年安保」の思想がバブル時代の都市の若者の行動規範を
つくっていったのである。定住よりも遊牧を、安定よりも逃走を説く浅田彰の「構造と力」がベストセラーに
なったのも、まさしくこうした時代を背景としている。
1980年当時、「現代思想」と「遊」は文字通り、双子のような雑誌だった。そして、こうした流れの中から
生まれたポストモダン思想のヒーローが浅田彰とするならば、精神世界のヒーローは、言うまでもなく
若き宗教学者・中沢新一だった。チベット密教を通じて精神世界の中に”ほんとうのもの”を発見した中沢氏の
デビュー作「チベットのモーツァルト」は加速度的に進行する相対主義の中で、
もはやどこにも信じるに足るものなど残されてはいないと考えていた「80年安保」世代に大きなショックを与えた。
終わりなきニヒリズムを生きるか”ほんとうのもの”を探す旅に出るかの岐路に立たされていた若者たちの中に、
中沢氏の著作に触れて、精神世界に新たな生の可能性を求めるものたちが生まれた。 >>78
「最後の親鸞」は読んだことないから分からないけど
「今に生きる親鸞」にはそんなに過激な事は書いてなかった。↓
親鸞は、悪いことをしても、ちゃんと救済されるというのが浄土教の理念である、と言っています。
だから、悪いことをしたからといって、それはダメで、善いことをしたからそれはよいなんて少しも言ってません。
どっちでも同じだ、悪いことしても、善いことをしても、人間のやる「善悪」なんかたいしたものじゃない。
だから、悪いことしても浄土へ往ける。もちろん善いことをしても浄土へ往ける。そう説きました。
しかし、それは、悪いことをすすんでやることを意味しません。あるいは、善いことをすすんでやることがよい、
ということも言ってません。 「今に生きる親鸞」を読む限りだと吉本隆明は悪行(例えば殺人)を否定も肯定もしていない。
むしろ、”「どうやったら私は救われるのか」と迷う衆生に対して
「阿弥陀如来を信じて念仏すれば救われる」と親鸞は言っている”という説明を
強調しているだけに思えます。(衆生は悪いことをしたら救われないのではないかと迷っている)
一方で中沢新一の「虹の階梯」は求道心の強さを求める例えがいくつもでてきます。
足を切らせたり、高い塔から飛び降りさせたり
自分の身体を犠牲にしてかえりみないほどの心構えを求めるお話がでてきます。
ただこれは殺人を肯定しているのではなくあくまで求道心の強さを計っているだけで
マシなレベルです。>>65の殺人を肯定する程の論理は虹の階梯にはでてこないです。
秘密集会タントラレベルのお話は中沢新一の著作には出てきませんが本人は隠し持っているのではないかと思います。 何となく六師外道のサンジャヤみたいな、ウナギみたいにヌルヌルした方便だこと・・・
一時期の吉本隆明の文体を思いだすなあ。 「虹の階梯」にほんの一行ほのめかし程度のオウム的タントラヴァジラヤーナ的詩句があるなあ。
「雪片曲線論」の2つのジェネレータの章に虹の偕梯の修行の為の捕捉レクチャーが載ってる。
中沢さんも恐らくは、駆け出しの文化人類学者としてのフィールドワークのチベット探訪だったんだろう。
大学時代は、九州の甑島の民家にお世話になって、文化人類学のレポートしてたと「ボクの叔父さん網野善彦」にあるもんな。 ずっと後年オウムアレフをやめた幹部が、1980年代的風潮について自分が関わった事件の裁判の法廷で言ってたみたいだ・・・
吉本とフーコーの「世界認識と方法」は、マルクス主義に依存からの離脱方法をめぐる対談だった。
こうした状況を皮切りにして、1980年代は展開してた。
昔、吉本の思想に依拠してた団塊が、吉本に裏切られたみたいなブーイングの嵐してたもんな。 吉本隆明の「重層的な非決定へ」は、吉本自身のその年代における博物学的思想であって、相当な深さを抱えた労作だろう。
多方面に及ぶ思考。 「重層的な非決定へ」の中の「中沢新一を真っ芯で」という一文に、チベットのモーツァルトの書き方をめぐる様々な思惑が展開してる。
今一度読み返してみるか・・・・
一方の中沢さんは、「日本人は思想したか」の鼎談の中に、後年展開している?日本の土壌への宗教的参入の仕方を切り出していたな。 詳しいですね。
斜め読み程度だったので再度読んでみようと思います。 ミッシェルフーコーの「ことばともの」への吉本隆明の評価は並々ならぬものがある。
一方の中沢新一は、ジュリアクリスティバの記号論を超える試みとして、
チベット密教の修行体験を特権化しつつ本を続々と書きまくってきた感がある。 「ことばともの」の中にニーチェがベースにあるのを見抜いた吉本と
「森のバロック」で熊楠が南紀の山を下りた姿が、ツァラトゥストラに重ねられる。 サブカルの話が出たので、ついでにもう一人の重要な表現者のマンガ家の白土三平と、中沢新一の関係性について考えてみたい。
野生はエレガントか?!
である。 知る人ぞ知る白土三平は、マンガ家にして思想の巨人であり、吉本隆明と同じく1980年代に思想的表現を変貌させた人である。 白土三平の「影丸伝」は戦国時代の架空のヒーローの話だが、鎌倉時代の悪党武士に近いが、特殊な存在でもある影一族の設定の中に、中沢−網野善彦の日本人史観を感じるのだ。 「三万年の死の教え」を読みなされ。
実を言うと、ワシもあれはまともに読んだ事でないのよ。 「はじまりのレーニン」の思想の核になってるグノーシス教義と、チベット密教の重なり具合について・・・・・か。 自然界の万物について、数学的秩序があることを見いだすマニアックな人がいた。
動植物や鉱物にいたるまで、フラクタルな立方格子を見いだすのは、神の摂理に触れるのに等しい・・・などと。 野生の本質は暴力的であり、それをスマートにエレガントだなどという表現で全てを丸くくりするのはいかがわしい。 野生とはグロテスクでもある。
白土三平の残酷劇画を見てる比較すると、中沢の「悪党的思考」がやけにキレイゴトそうに暴力シーンを描写しているように感ずる。 イマニエル・カントの「判断力批判」という本がある。
美意識や趣味は個人の嗜好性てな事が書いたる本だ。
カントの三批判書の中で、誰でも分かり易い内容の文書である。 チベットのモーツァルトには、カントの「純粋理性批判」の圏内をすり抜ける・・・てな断りも書いてある。 >>83
>「虹の階梯」にほんの一行ほのめかし程度のオウム的タントラヴァジラヤーナ的詩句があるなあ。
すみません、何ページ目か教えてください
僕が持っているのは改稿版です 久しぶりに読み返したが、記憶に残ってた部分が出なかった。
ただ内容的には、大乗の慈悲ではなく、金剛乗の慈悲心を表すものだった筈。 仏教での慈悲とキリスト教での愛は何が違うのですか? 考えたことないなあ・・・
仏教だと輪廻する魂に対して仏道に入れない人、魂を憐れむとかかな?
それに対して発菩提心を起こすプログラムが、チベット密教には組み込まれていると。
キリスト教というと、パラマハンサ・ヨガナンダの本にキリストの魂とマハーアヴァターババジの魂が、救済者てしてシャンバラ?から飛来する話があったっけ。 中沢さんは、南方熊楠の研究対象だった粘菌のライフサイクルに輪廻との関わりを見いだしてたっけ?
ところで、キノコは好きですか? ニンマ派の修行に、別の生き物になった擬態のパフォーマンスを何種類かやらなきゃならないらしく、グルから与えられるとか。 こうしたところが、カスタネダの「未知の次元」に重ねられてるんでしょ? チベットの密教行者はニヨンパと呼ばれていると中沢師
狂気の表現をするらしいが、一体どんなことするんだろ?
岐阜県にいる同じくニンマ派という林久義という毛坊主さんがいるけど、中沢さんと違って発言はオーソドックス。
この違いはどうして出るの? ディバインマッドネス
「ピンクフラミンゴ」というアメリカのC級映画があって、あの映画にディヴァインという女が出演してたが、観てて嫌になる糞映画であったな。 >>107
大概のキノコは原爆雲のような爆発的発生をする。
クンダリニヨガ的メタファー 「日本人は思想したか」の中で、毛坊主にやけにこだわる中沢、梅原猛。吉本隆明 >>105
中沢新一がもたらした「慈悲」の理解は、生活倫理の影を全く背負っていない。それは意識と無意識のあるひとつの状態を意味する。身体と意識の関わりを修練によってひとつの状態(報身)にもっていったとき、
あたかも意識が「光の微粒子」ねように砕かれて、無限に放散されてゆく・・・それが世界に満ち溢れた状態が「慈悲」の本質とされる。 >>116
オレは中沢さんの新作は長年読んでないが、少なくとも愛読してた時代は、全著作に一貫して流れている部分があると思う。 >>105が対他存在に「慈悲したい」執着があるのに対し、>>116は即自存在の慈悲ということだろう。
俗に言う八方美人の前兆・・・つまり中沢さんの生き方でしょうな? >>79
「現代思想」はよく読んでたが、「遊」はないなあ・・
その代わり。詩の領域として「ユリイカ」も読んでた。
途中から「imago」なんて新雑誌も出たけと。
中沢の活躍場所は主に「現代思想」に感じてた。 チベットのモーツァルトの方法、つまりフランスポスト構造主義に依拠した方法は、
インド−中国を経由してきた日本仏教の方法にとっては、外在的な思考だということだ。
おれもたぶん仏教についておなじことをしたいのだが、インド−中国経由で日本に受容された仏教は「三経義疏」以来、
どうしても倫理的(君らの言うキリスト教的)という本性を拭えない。
おれが中沢とおなじことをやったとしても、この内在的倫理の問題を捨象しないでやることになるから、
中沢のようにはならないさ。
つまり、親鸞像がキリスト教的になることには、中沢がポスト構造主義に乗り移って
視ているよりは、はるかに根拠があるということさ。
吉本隆明/状況への提言)抜粋 ●バルド
チベット密教などにおいて、輪廻転生において、死んだ後、次に生まれ変わるまでの期間をバルド(中間状態、伝統的な仏教用語では、中有または中陰)と言う。最長49日間で、再生する世界によってその期間は違う。
チベットには、バルドについて説かれた教典「バルド・トドゥル」があり、日本でも「チベットの死者の書」として知られている。
「バルド・トドゥル」では、死後のバルドは時間経過に応じて、[死の瞬間のバルド(チカイ・バルド)]、[存在本来の姿のバルド(チョエニ・バルド)]、[再生に向かう迷いのバルド(シパ・バルド)]に分けられている。
[チカイ・バルド]では、存在の本質であるクリヤーライトと呼ばれる原初の強烈な光(光明)が現われる。続いて[チョエニ・バルド]では、寂静尊として五仏が登場する。その後、憤怒尊が現われる。
光明、寂静尊、憤怒尊のいずれかに溶け込むことができれば、解脱できるが、ほとんどの魂はそれができずに、最後の[再生に向かう迷いのバルド(シパ・バルド)]に移行することになるとされる。ここでは、生前のカルマに応じた幻影が生じ、再生へと向かう。 僕はネパールへ行って、チベット人のところで仏教の勉強なんかしてますけど、そこでもやっぱりチベット仏教のな 僕はネパールへ行って、チベット人のところで仏教の勉強なんかしてますけど、そこでもやっぱりチベット仏教の中の毛坊主に当たる人を先生に選んでしまうくらい、毛坊主の存在は、僕にとって重要なのです。
お寺できれいに頭を剃って、清僧として暮らしている人たちよりも、最初から僕の関心を惹き付けるのは、毛坊主的な密教行者たちでした。
(日本人は思想したか) 中沢さんは非政治的みたいだ、
小学生時代、地元の金丸信候補者が、
「信ちゃん、信ちゃん、シンちゃん飴は!」
といって街宣カーが、ウルサく小学校近くでやったので、自分もシンちゃんと呼ばれていた中沢さんは、飴を配る街宣に嫌悪してたとのこと。 シンちゃんと言えば、もう一人のシンちゃん石原慎太郎は、高校時代に「ジェット機のシンちゃん」と呼ばれてたとの事(文芸評論家の山本容朗説)
体育の柔道の授業の時、投げられるとひじょうに勢い良く飛んでいくので、つけられたアダ名だそうだ。
(毎日新聞社/昭和文学作家史より) >>127
政治家になりたがってたオウム教祖をパラノイア呼ばわりしてたのも、中沢さんの先天的素質の違いからでしょうな。 ID:e6MhN5a8
ID:e6MhN5a8
ID:e6MhN5a8 山田詠美と共に、村上龍を小学生のウンコたれ呼ばわりした中沢さん。
(ファンダメンタルな2人より) 村上龍って山田詠美と仲がいいんだと思ってたw
その本ちょっと興味あるけど絶版なんだね >>131
この本は、坂本弁護士事件が発生した頃の対談で、オウムの血のイニシエーションについての言及もあるねん。 オウムの頃ならちょうど村上龍がある団体の超能力にはまってた時期だからそのことかな? 新一「村上龍ってお坊っちゃまくんがハナ垂らしてるみたいでしょ。授業中にうんこなんかしちゃって、それを見てギャルが「まあ、かわいい」と言ってるようなものだから。」
詠美「そういう子には、やあいうんこたれ、とか言っていじめる小がいないとさ。」
新一「そういう子は、いじめてあげたほうが、伸びるんです。だから、やあい、ウンコたれ(笑)。 ぼくだってチベットの友達に、龍樹菩薩の生まれ変わりじゃないかという噂を立てられたことがあるのです。もっともっとこれはすぐに立ち消えになった噂でしたが、
仏陀や菩薩ぐらいになると、一人に生まれてこないで、口は誰、心は誰、身体は誰って、分割して生まれてきたりするの。だから日本に生まれてきてもおかしくないよ。(中沢) >>136
オウム教祖のセガレが、チベットの高僧の生まれ変わり説があるが、向こう(チベット)にも同一人物の生まれ変わりがいる訳で、中沢のこの考え方からすると、あながち矛盾はしない事になるなあ・・・・ ID:iZRoPZnT
ID:iZRoPZnT
ID:iZRoPZnT インドのヴァーラナーシーのガンジス川の沐浴シーンを見ていた村上龍
インドのサドゥーの苦行を見ていたそのまんま東国原さん。
そのサドゥーはペニスを数倍に引き延ばし、棒にぐるぐるに巻き付けて、数回ねじる苦行をしていたのだった。 まことは、修行を検索しているが
悟りと一致しないと嘆いているのじゃ インドに蛇使いの村があって、毒蛇の毒に耐えられる大会をしていたのだった。
キングコブラなどの猛毒に耐えながらも、最後に残った男も、終わりにはひっくり返って失神していたのだった。
インド人は、日本人には常識外れに思うていたが、こないだ日本国内で、スズメバチの巣の売買の大会があって、みんなスズメバチに刺されまくりのテレビシーンがあった時、インドの話を思い出した。 >>141
ここはそんな目的のスレじゃねーんだよ馬鹿。
何を気取ってるんだ? 中沢「ぼくは実は修行で2度ほど豚にさせられたのです。
最初の段階の修行というのは、とにかく豚と一体になることが大事なんですね。
つまり輪廻転生の問題と慈悲の問題を結びつけようとする訳なんです。(中略)
それでラマはぼくを屠殺場につれていく。そこで豚や牛が殺される状況に立ち会わせる。
その時は、毎日そういうことを言われてますから、ぼくもいい年こいて、ちょっとおかしくなってくる。」
(思考のパラドックス/柄谷行人VS中沢) 南方マンダラにあっては、象徴行為の真の中心は、またしても象徴の構造自体の中にはなく、精神が現実界に開いた小さな窓であるところの、「事」に見いだされると、考えられているのである。
「心界」と、生命システムがそのものとして触れることの出来ない現実界である「物界」とが、接触しあう境界面上に、そのつど「事件」として、発生し続けているものだ。 >>144
もう一度豚になったのは、もうちょっと修行の階梯が進んでからです。
さあ、これから最後の段階へ入っていくというときにやるんです。
それまでは、六道輪廻している生き物は時間の流れによって捉えてきていた。ところが今度は、それを空間性にしてくるんですね。
つまり意識体というひとつしかないんだ。
ところが心の構造性という限界づけによって、それぞれの世界をそれぞれの生き物がちがうように見るようになる。
と考えていくんです
(思考のパラドックス) 南方熊楠は、幽霊の実在を信じていた。彼は那智の原生林に籠って、植物の研究に没頭
していた時、実際に何度も幽霊を見ている。
「かくして小生那智山にり、寂しき限りの生活をなし、昼は動植物を観察して図記して、
夜は心理学を研究す。
さびしき限りの処ゆえいろいろの精神変態を自分に生ずるゆえ、自然、変態心理の研究に
立ち入れり。幽霊と幻(うつつ)区別を識りしごとき、このことなり。
幽霊が現れる時は、見る者の身体の位置の如何に関せず、地平に垂直に表れ申し候。
しかるに、うつつは見る者の顔面に並行してあらわれ候。
(森のバロック) 話は飛ぶが、マイケルハートの「ドゥルーズの哲学」はひじょうに参考になる。
中沢新一の思想とは違うものだが・・・
中沢さんもジル・ドゥルーズをベースにしていた部分が多かった感じだ。 森のバロックの中の結論
来るべき自然哲学の章について・・・・云々 中沢さんから以前に聞いた話でよく印象に残っているのは、竜樹が二人いて、時代は
何世紀も違うんだが、中観派の竜樹と密教の竜樹が二人いて、これがチベット密教では
同じ人物だと考えられている
という話てすね。
つまり論理的に徹底的な否定性という側面と、逆に直観的で徹底的な肯定性という側面が
ひとつになっていることが、チベット密教の理想像なんだということを聞いて、
それですごくうれしかったんですけどね。
ぼくがゲーデルの問題をやっていて、自分自身が「決定不能性」に追い詰められてしまったような
状態でいた訳です。
しかし、ゲーデル自身は実在論者でしょう。したがって一方にすごくプラトニックな実在論者
がいる。片一方ではまったく破壊的なやつがいる。しかも、それは同じ人物なんですよ。
(柄谷行人/思考のパラドックス) カスタネダに関するあなたの論文を読んだけれども、そこにも中沢さんが考えてきたプロセスが
よく出てるように思いました。
たとえば、ガーフィンケルのエスノメソドロジーについて、それを一種の現象学的な還元という態度変更
みたいなものとして捉えていますね。
さらに、それを突き抜けるものとして、カスタネダを読んでいる。
ぼくの考えでは、現象学というのは、基本的に構造主義であり、あるいは論理主義
だと思うんです。それらを合わせて突き抜けるという課題を、カスタネダの文脈に積極的に見出していく
という感じですね。
(思考のパラドックス/柄谷) 戦前に知識人が転向して自己の思想を捨てたという時に、親鸞の思想が支えになったのは、ひとつにはその逆説性の一面がストレートに入ったからなんだと思います。<悪>ならばなおさらいいのだ、救済の契機があるんだと、いうことが、ストレートに見に染みてくる。
それが転向につながった・・・
(最後の親鸞/吉本隆明) ゾクチェン哲学では、「リクパ」と「イェシェ>という、ふたつの概念を使って、そのことが説明されています。
(東方的/中沢新一) 「虹の理論」の中の、バリ島の呪術師による生命のシステム理論と、「東方的」のチベットマンダラ「キルコル」の図示の関係性・・・・ エランヴィタールというベルグソンのキーワードもあったけど、ドゥルーズ思想を構成してる一要素 「東方的」の「脳とマンダラ」の章には、ずいぶん沢山のチベット密教用語をふんだんに使用して、キルコル(マンダラ)の重層的構造が解説されてるな。
こんなところでは、フォローしきれんわ・・・ 王権の内在しているもうひとつの側面、「魔術王」としてのヴァルナはそうではない。
人々にとって彼は信頼の出来る「友」などでさない。
彼は恐るべき「縛る人」「束ねる人」なのである。
ヴァルナは時には道徳的な基準などおかまいなしに、相手の身動きをつかなくさせたうえで、その自由をひもで縛り上げることによって、支配をおこなう。 しばしば彼は一つ目の怪物としてあらわされる。
その一つ目によって、対象とのあいだに距離を作り出し、それを理性的に判断する2つ目ではない、煌々と光る恐ろしい一つ目によって、にらまれ、見つめられるだけで、相手は金縛りにでもあったように動かなくなってしまう。 ガンダルヴァの民。「魔術王」がそれを捕獲し、組織する。その力は一丸となって「法治する王権」がつくりだす生における「仕切られた空間」に挑みかかった。
古代的なるものがそれを境にして決定的に解体していく。
しかし、その中から、新しい超コード化を行う近世的な権力空間が殻を食い破るようにして、生まれてきたのだ。
解体をもたらし、敗北の中に沈んでいったそれらの力の体現者たちを、ぼくたちは「悪党的なるもの」と呼ぶことにしよう。
「悪」とは、この時代にあっては、「自然」と極めて近い意味をもった言葉であった。 >>159
この「悪党的思考」の記述部分は、まるで白土三平の忍者劇画の、とりわけ「影丸伝」の世界にそっくりなのだ。
これを平成現代に移し換えると、まさにオウム・・・・・ >>157
片目の魔王というと、近代では北一輝がそうらしい。
226事件の首謀者 ポストポスト構造主義なんて言葉が今あるのか?
長年この手の本読んでなかったからなあ。
松浦寿輝が、1990年代に嘆いていたな。
フーコーやドゥルーズが死に、思想潮流が消滅してしまった観がある。
他の中沢関連スレ見たら、思想の生き延び方について少し分かった気がする。
もともと中沢さんは、南方熊楠に取り組んでたから、脳と意識の問題を通じて、したたかに生き延び易いのだろう。 「はじまりのレーニン」の中でも、マルクスからヘーゲルを還元させるような記述もあるけど、ヘーゲル思想がこの21世紀のご時世にポストポスト構造主義思想群の中でも生き延びている・・・なんてのは驚きだ。 昔の構造主義というと、フーコーの言表(エノンセ)、アルシーブ(英語のアーカイブ)、エクリチュールなんて言葉が、代表的なキーワードだった。 中沢「ぼくは現実に垂直に切り込んでくるものが理性だと思う。理性には2つの種類があるんじゃない。現実をつくる理性とそうじゃない理性と。人間の理性と自然の理性と、ふたつの理性があるんじゃない。」
網野「おいおい、理性は一つに決まってるだろう。」
中沢「一つだけど、ふたつなんですね。」
網野「いや、一つで十分だよ。」 中沢さんの、この奇妙な理性に関する考え方は東大生時代のものらしい。
自然の持つ理性って何か?
神の摂理か?
何となくスピノザにつながりそうな・・・・ 西洋哲学で言う論理的思考による知性と
東洋の特に仏教で言う思考によらない直感知だよ 中沢さんは東洋と西洋の知の体系の違いに着目してたよな
東洋の知、悟りってかなり訓練しないと理解できないんで
他の人には解らない世界を持ってる しかも訓練の仕方が瞑想とかになるからね
普通の人は知らないよね 直感知なんて、外れる事は幾らでもある。
理性による吟味があるから、真偽なども把握できる。
ドゥルーズの「カントの批判哲学」は、フランス流の「差異と反復」によるカント的概念の形成性について熟考したスグレモノ論文。
カントの概念は、数学や論理学から先に導き出した哲学文だと柄谷行人。 カントによれば、物自体は永久に把握しきれない訳で、そのカラクリを詳しく表したのが南方マンダラということになるらしい。 そういえば、カントの「純粋理性批判」の序文が、理性自身の悩まされる運命について指摘した極めて難解な文章であったな。
あの人間離れした視点から思考した、人間の為の理性批判 >>168 >>169
この「僕の叔父さん 網野善彦」の中にも、それにつながる中沢&網野の会話の中に散見できる。(P.22)
すでに後年構築していく中沢理論の萌芽があるねん。 直感知なんて、まともに全面的に信用したりしないだろう。先ず。 直感知を全面的に信用すると、ノセラレダマサレル・・・・・・・ ま、直感は外れる事も多いが
画期的なインスピレーションは
理屈から生まれるわけじゃないんだな
色々実例見ると 梅原猛が、若い頃から一番多く繰り返し読んでた本がデカルトの「方法序説」だったっけ?
(日本人は思想したかより)
あれだけ怨霊を信じてる人も、思考する時は、カントを応用したりしてるし。(聖徳太子関連) >>168
「僕の叔父さん網野善彦」の中で、中沢氏が言うところの自然の理性とは、歴史学分野でいうところの、時代を急展開させる動因を指しているように思う。
これを生物学レベルで考えると、進化を(取り分け大進化を)もたらす遺伝子レベルの内因という風に・・・・
例えばツングースカ大爆発の跡地に、目まぐるしい大進化が付近の生物にあったと、立花隆が書いてたが、これこそ自然に内在する理性ではなかろうか? 人間の理性は、せいぜいそういった物事を検証する能力という風に・・・・ 淘汰するための力働
これが自然=神の摂理、理性かな? 20代の女性患者の夫を脅迫した疑いで医師(48)逮捕、女性に好意か 愛知・蒲郡市(中京テレビNEWS) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181210-00010001-ctv-l23
女性患者の夫を電話で脅したとして、愛知県蒲郡市内のクリニックの院長・岡本規博容疑者(48)が脅迫の疑いで逮捕されました。
警察によりますと、岡本容疑者は先月、20代の女性患者に電話をかけた際、対応した女性の夫を「ぶち殺すぞ、てめえ。お前らの会社ぶっつぶすなんて簡単なんだよ」などと脅した疑いが持たれています。
岡本容疑者は女性に好意を寄せていたとみられていますが、「脅すなどはしていません」と容疑を否認しているということです。 150151
とある元オウム幹部のブログ見てたら、>>150 >>151 と同じ数学的概念による諸事象の捉えようを書いていた。
あれは苫米地が最初ではなく、柄谷、中沢あたりの方が先駈けてるの。
苫米地よりも、オウムに近いチベット密教や東大の旗頭そのもの御大方の仕事を知らないのかねえ? 縁起と圏論は似ているという論考があったけど仏教の知識も圏論の知識もないから読むのを諦めた インターネット掲示板に書き込まれている事を都合よく曲解して
名誉毀損だなんだって言い掛かりをつけて見境なくスラップ訴訟を仕掛けてきたら
かなり危ないカルト教団かな?
例えば
元信者が過去の教団の様子や行事を
当時を思い出しながら書き込む
↓
都合が悪いと思った
教団シンパかスタッフか盲目的狂信者が
コピペ荒らしでスレッドごと丸々潰す
これを数ヶ月に渡り延々と繰り返す
↓
元信者が
「コピペで荒らしたりスレッド丸ごと潰すのはよほど都合が悪いからだ
議論させたくないからだ
いつまでもそういう態度だとお前の所属する教団は反社会的カルトだとみなされても仕方がないぞ」
と書き込む
↓
教団の顧問弁護士、
元信者の件の書き込みを都合よく切り取り編集して
「当団体を反社会的カルト教団と名指ししましたね?
名誉権の侵害に該当します
つきましては訴訟して損害賠償を請求しますので個人情報の開示をプロバイダーに請求します」 >>192
こんな事、このスレとは無関係でしょ?
中沢氏にせよ、ここでしばらく書いてたオレにも?
中沢氏について書くには、オウムとの重複部分も出るけど、反オウム的、非オウム的要素も併せてやらないとダメだと思う。
むしろ、旧オウムがチベット密教をご都合主義で曲解展開した点が問題であって、そんなことは散々メディアで取り上げられたから、今さらだと思う。
よほど若い世代の、何も知らない若僧ならいざ知らず・・・ アレフだかが、公安の立ち入り調査で、旧オウムと現在の自分らの修行及び日常が、もはや破防法の適用とは無関係と主張するんなら、問題ないでしょ?
そもそも、ここは中沢新一氏をわりとマジメに論ずるスレなんだから、お門違い! >>65
p38
「一万人、二万人規模の人間が死ねば、東京の霊的磁場が劇的に変化する」
これは本当の事だろ。
東京の霊的磁場が改善されていないから、日本の荒廃が止まらない。 オウム信者の死刑がたったの13人だったのは何故なんだろうねえ?
これがもしオウム信者全員が死刑になったら、日本の霊的磁場も劇的に変化しただろうねえ? もしもオウム信者が全員死刑されたら、>>195のような荒らしも、このスレに出現したりしないだろう。
元オウム衆のダベリングの集いスレも消滅して、問題の少ない宗教板になるハズだ。 島田も本当は分かっているのに、
迫害されるのが怖いから中沢叩きに逃げた
信仰と迫害はセットだ
分かつことはできない 中沢さんの本がつまらなく感じるようになったのは、別因。 あなた方オウム信者に、言いたい事は山ほどあるが、あえて言いません。
ただし、チベットのグルであなた方のグルみたいに、あそこまで言う人はいません。
てな事を週間ポストでページを借りてメッセージしてた中沢氏。
中沢氏が、山ほどある言いたい事を全て吐き出したら、どんな言葉がでるんだろう? ずっと昔、筒井康隆が「チベットのモーツァルト」に関して、それと同じ事を述べてたねん。 中国政府は、原爆実験してチベット辺りも被爆させかねない状況にした。
法輪巧に大圧力をかけて、信者を幽閉しているという。
共産主義大キライの代表オウマーが、毎日狂ったように反共避難を繰返している。 >>205
反共非難が〇
カンボジアでポル・ポト派が猛威をふるったのは、国状に合わない思想をフランスから持ちこんだからだっけ?
中国も、トウショウヘイ時代までは、かなり後進国だったが、資本主義を混入することで発展しだした。 黄昭堂という人の「滅亡へ直進する中国」という本が出た頃、中沢さんも誰かとの対談で、この本の主張する中国の分割案を肯定していた。
旧ソ連のようになるべきと。
同じ頃、オウムもまた「滅亡の日」という本をばらまいていたっけ。 >>205
原爆に関してはキリスト教徒のアメリカが日本に投下した事例しか無いよ。
赤ん坊、子供、妊婦、老人、身体障害者ら民間人をモルモットにしたのは
共産主義と戦ったアメリカキリスト教徒だよ。
アメリカじゃ大日本帝国は共産主義だと言われている。
>>207
そのまま残せばいい。
共産主義と言うが、正確に和訳すれば共同体主義だよ。
共同体を大切にするなら天皇を奉るのは当たり前。 チベットつながりで
中共が中沢叩く工作してるから
ややこしい ソルジェニーツインの「収容所群島」について、1980年代に吉本隆明が誰かと対談してて、絶望的な感想してたと、新左翼系誌の「流動」だかで間接的に知った。
「収容所群島」のあの長大な文章をまともに全容を読んだ知識人はいないんじゃないか?
と、対談者が述べていたな。 自分の場合、ザミャーチンの「われら」は読んだ。
これも旧ソ連を皮肉ったSFだが、ある時代にある未来幻想独特な文体で、好きな作品ではある。
ソルジェニーツインのような悲惨さはない。 「収容所群島」って、かつてのオウム教団の敷地内の現状に似ているかもな? 42 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 7585-gy0Q)[] 投稿日:2018/12/30(日) 08:38:31.67 ID:N4s4Fr7R0
(´-ω-`)「さて共産主義ならどう考えるか?コミュニティの力」
(; ・`д・´)「自分と兄弟だよ。仲間だよ」
(´-ω-`)「他人を奴隷にして低賃金で介護させようなどという考えは仲間という考えがあれば思い浮かばないものなのです」
(; ・`д・´)「さよなら平成。あけまして共産主義」 そういや中国式使い分けだと、同志、朋友、先生などであったな。 外国人を他人行儀に先生と呼ぶ中国式は、何となく卑屈さも感ずる。 人によって評価は違うのだろうか?
オウム信者のカウンセリングの仕方・・・
ある意味、中沢よりも苫米地催眠術師の方が、重宝がられるのかもな。
難しい仕込み料理よりも、インスタントの方が便利な時も。 「日本人は思想したか」の時に、中沢新一が、吉本隆明と梅原猛の間に入って、中間的スタンスから鼎談を上手く成立させたように(中間子理論の喩え/中沢)、
ジャックデリダのような、複数の哲学テクストを掛け合わせて、中間項産物を多数産出させる哲学戦略テクストを中沢新一と苫米地英人の間に作れば面白いと思う。 >>222
ジャックデリダの「弔鐘」というテクスト方法は面白い。
あんな風に戯れ的に書くのが、1つのあり方かいな? 苫米地や養老猛の言ってることを全面的に肯定したら、仏教やキリスト教の核心部分が損なわれて、宗教に本質的な未来は亡くなるのではないか? 苫米地英人と養老孟司は表面的なことしか言ってなくて内容が薄っぺらいんだよね 苫米地氏は、若い頃と比べてかなり容貌が変わり、まるでクンダリニ行者のような変わり方?
「洗脳原論」によると、オウム信者のカウンセリングすると自分もカルマを受けて、おかしくなる・・ってーな事書いてたけど、思考回路のソフト部分だけでなく、霊的覚醒までしてしまうのかしらん?
まあ、嫁さんがクンダリニヨギなんで、こんな面でも役得かいな? 苫米地さんは、「虹の階梯」を元オウムに薦めたエガショーに忠告したそうだ。
オウムとほぼ同等なんだから、元の木阿弥・・・で、元オウムは、教団に戻りやすいと。
幹部のMには、「虹の階梯」にもある、グルの絶対性や、試練をくぐり抜けさせるプロセスに、非科学性や不条理がありすぎる点を、月刊誌「潮」の中で、批判させてたからな。 それはともかく、別本の「虹の理論」のファルマコスの島の話は、本当にあった話なんかな?
バリ島というと、中村雄二郎の「バリ・ランダ考」という、文化人類学の本が先行してあって、あんな風な呪術世界にまで学者が踏み込みでいく話を小説のように書くという・・・ 公案のシステムについて言えば、柄谷さんがお書きになってるように、一種のダブルバインド状況に弟子を追いこんでいって、
システムの根拠をシステムの内部に求めることはできないのだ。
というところまで追いこんでいく。
ホフスタッターは、そこのところをハッキリ書いていますけどね。
けれど、もう一方には、禅というのは、一種の連続体直観みたいなのがある。
だから、禅者はけっこう自信をもってゲーデル問題に取り組むわけですね。
(思考のパラドックス/中沢) 禅の中で、あまり強調されてないけど、密教につながってくることで、「笑い」の問題があると思うんですよ。
禅は、笑いをどう捉えるかという。(チベットのモーツァルト)
簡単に言ってしまうと、システムが無根拠だという時に笑う。
それをクリステヴァに引っかけて言うと、ウワウワウワと動いているリゾーム状態に、1つの句読点が打たれることから、意味世界の構築というものが始まる。
ウワウワウワと動いている無限の多様体に、点を打って固定した瞬間にパッと沸き出してくるような、
そういう笑いなんですね。
禅者の笑いは。 僕は禅の笑いについてまで考えていなかったのですが、それに近いことを考えていた気がします。
一般的に笑いについてやる人は、フロイトかベルグソンなんですね。梅原猛の「笑い」論も、それに基づいているんだけど、アルフレッドスターンという人がいて、これは、価値による笑いなんですね。 そういう文藝の中で一番面白いのはフロイトなんです。
ただし、それはジョーク論ではなくて、そこから省かれたユーモアの問題なんですよ。
ユーモアというのは、決定不能な状態なんですね。
笑いの問題は、もっとも本質的な問題だと思います。(思考のパラドックス/柄谷) >>234
故水木しげるは、誰かの葬式の真っ最中に突如ゲラゲラ大笑いしたという。
水木しげるの狂気の笑いは、戦時中の悲惨な体験に根差しているというし・・・
水木しげるは、ユーモアの人で有名だった。
中沢さんも、水木しげるマンガの「猫楠」やら、貸本屋時代の水木しげる文庫本に解説してもいる。 >>228
このレス見てて、「アルプスの少女ハイジ」の32話、33話連想しちゃった。
ハイジが、夢遊病にかかる話。
精神分析のシーンが出てくるからね。 http://sp.nicovideo.jp/watch/sm5916667
これなんかも精神分析、夢判断、フロイトなんて出てくるね。ラストシーン。
wwwww >>232
相変わらず抽象的で回りくどいね。
正木晃が「チベット人は理論的だが日本人は感情的に仏教を構築する」と言ったとおりだ。
インドやチベットのような大陸は欧州との接触があったからだろう。
日本のような隔離された島国(英国は欧州に近いし、豪州は元はアングロ)は
論理から最も遠い民族だ。 これは人文系の学者同士対談なんだから、こういうペダントリーがあって当然。
逆に単刀直入に言うことの素っ気なさは、ゲイが無いとバカにされる。
言うことの仕方は、本の調律に似ている(ハイデッガー)
このエピグラムが、中沢さんの初期の本にある。 記号論って、禅病のメカニズムを分析するのに便利ではないの?
論理の飛躍の中にある落とし穴って、危険なものがあると読んだことがある。 ポスト構造主義って、哲学知の集積を文学的書法で綴るタイプの文体ばかりだから、困惑するよね。
デリダのテクストも、そんなのばかり。 養老孟司によると、論理的思考力を支えているのが、情動なのだそうだ。 ホッフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」などにも「無門とゲーデル」という一章がある。
禅の「無門関」を使って、公案禅とゲーデル問題が共通性を持っているんだと書いていますよね。
それからここにも出てきたジョン・ヒックというのは、現象学的な芳香からくるんですけども、もちろんゲーデルを意識して書いてますから。
(思考のパラドックス/中沢) 森敦「アレクサンダー大王は、ものすごい勢いでインドをやっつけましたね。
それでバンダリズムを行う。ところが、後から宣撫工作を行うんです。
何を持ってきたかというと、アリストテレスの論理学を持ってきた。
その為にインドのお経に因明学というものがあるんです。
それによって初めて、今まで小乗教だったのが大乗教になったんです。
(思考のパラドックス/柄谷との対話) 森敦「大体これが西へ行くと、アリストテレスの論理学があって、そして今度は神学というものができる。
だから、そういうものが成り立とうと思えば、何か強烈な論理がなければならぬ訳ですよ。
強烈でなくても、誰でもわかっている論理がわからなくちゃならぬ。
ぼくは、因明学というものを読んで、これは甘く考えからダメだ。
彼らは、もう何百年も前から、もちろんゲーデルみたいな思想に達してた訳じゃないけども、そういうものを志していたんだと。 セックスと呪殺がチベット仏教の真骨頂だ。
従ってニンマ以外はゴミ。 チベット仏教はマリア崇拝だよ。
観音菩薩はマリア像だよ。
セックスして、酒飲んで、肉食べて、
敵を呪い殺すのがチベット仏教。
チベット密教や阿含宗の
影響受けてるのが
オウム真理教。
麻原彰晃の死刑執行がダライ・ラマの誕生日だったのは
何か意味があるのかな
神の力か、自民党がわざとやったかだな。
わざとなら賢くない。
こういう符号の一致は信者に活力を与える。
神の力だとな。
ダライ・ラマの誕生日に執行したからな。
輪廻転生を意識したとしか思えん。
信者は活発になるぞ。
麻原を処刑したら記録的大雨で日本中が沈没しているね。
えらい執行日を選んだもんだ その頃、東北でも数十年に一度の特別な現象が観測された。
https://i.imgur.com/U6ix13c.jpg
もしね、わたしが死んだら。権力に...殺されたら!
つま...つまり。今も毒ガスの攻撃をね...受けてるんだけど。
もう体がぼろぼろなんだね。
それで...死んだら!
大異変が起きるので。
まず天が泣いてねぇ...ものすごい大雨が降って洪水になるだろう。
それから、わたしの怒りは...怒りで大地震を起こす!
そうだね。祟りだね。
それを合図だと...思ってね!
強制捜査前々日 上九一色サティアンでの法話(録音テープは遺失)
麻原を処刑したら、大雨が振って、天皇が崩御寸前になった。
神は見ている。 そんな事書くなよ!!
ここは中沢新一先生の為のスレなんだから、オウムと混同させる為に、麻原だけの言説を入れるのはルール違反。
麻原の言葉は幼稚であって、小学生レベルにも分かる仕組み。
つまらん。 どうも妄想のひどい患者のまんまの人がおるね。
さっさと、そんなの卒業しろや!!
もうじき平成も終わりだし。 チベット仏教について10年以上個人的に調べている者です。
多くの曼荼羅について見てきましたが、以下のダーキニーのみから構成される曼荼羅の出典をご存知の方はいらっしゃいますか?
上に本初仏、カパーラを持つ大きなダーキニー達と蛇のような生き物が二体(煩悩を表す鳥と蛇でしょうか?)周りを取り囲み、曼荼羅内には女陰を強調したヨガポーズを取るダーキニー達、そして中央にもダーキニー。
秘密集会タントラにある、世尊が女陰に住したとあるような表現のように、勝義の世界の真理を表してる曼荼羅なのでしょうか?
https://i.imgur.com/1hXkqCX.jpg
ニューエイジ、共産主義、カルト。
それがチベット密教の本質。
麻原処刑後、天変地異が続くね。
最後は南海トラフで日本壊滅だ。 逝かれたテルマについては、「ブッダの方舟」で中沢師が一端を紹介しちょるわ。 死の命令を下すアンカーは、幹部だけに埋められている特殊な種類のもののようである。
それは末端信者たちにはなかった。
しかしまれに、脱会したはずのサマナクラスのオウム信者が、何の前触れもなく命を断つことがある。
これは死をオーダーする何らかのアンカーが作動し、自殺はオウムで禁止されているものの、やむにやまれずそうしてしまった可能性もある。 >>254
ネット拾い画像?
ならば、CG作画だろう。
チベットの絵師によるタンカではあるまい。
人をおちょくっとるね? 確かに、ディベートが中途半端に身に付いた為に、現実の世界においては、人の命などを相対化してはいけないものがあることを忘れ、あらゆるものを相対的に判断してしまう問題は、
ディベーター個人の人生を大きく誤らせる結果となるばかりでなく、
もしもそのような立場をとった場合、「現代日本社会にとって大変危険なこと」と批判されてもやむをえない。
(洗脳原論より) オウム幹部早川紀代秀の「市民ユートピアの原理」という本に引用されてある、昔のアメリカの議員候補ポスターに
sex,sex,sex・・・・
と大量に落書きされてある陰謀論を、少年マガジン掲載のカルト漫画が、早川の記述そのまんま引用して、予言マンガを成立させてやがったのにはウンザリさせられたわ。 1990年代に流行ったランバダという躍りは、もうやってないの?
ジュリ穴TOKIOも、自己満足して閉店してしまったし。
世紀末ブームは、期間限定的退廃現象だったか・・・・ ダーキニたちはもともとアニミスティックなインドの先住民たちの世界に育った、女性性のもつデーモニックな側面をあらわす女神として恐れられていました。
吸血鬼の一種だとみなされ、墓場に棲んで人間の生き肝を食らう恐ろしいデーモンとみなされていたのです。
(黄色い狐の王/中沢) しかし、タントラ仏教の体系の中に取り入れられるようになると、ダーキニの性格に大きな変化が生ずるようになりました。
彼女の身体に抱えていたアブジェクションに強力な昇華が施されるようになり、特有な破壊性は、むしろ人間の無意識の中に潜在して一切のイリュージョンを作り出している二元論の構造に向けられるようになったのです。
彼女を通してこそ仏教的な解脱に、一足飛びで近づくことができるのだ。
と考えるような一群のタントラ仏教の行者たちさえ現れるようになったくらいです。 >>7
敵が多いからだろ
チベット仏教が評価されると既存の日本仏教のインチキがバレるから
中国共産党も敵だし 後は日本は敗戦国として隠されたコントロールが沢山されている
何もかも明らかにして行こうとする思想は都合悪いんだよ 日本の国体が傀儡だから
中枢も合理性が通用しない
自民ネトサポみたいな不合理で国を塗り固めてる
この国を動かしているのは知性でも良心でもない 国民を如何に都合良く騙すかがこの国の原理
中沢さんみたいな人は評価させない 梅原猛氏が亡くなりましたな。
聖徳太子関連の本を読みませう。
観念的な本だが、志が高い。
「仏教の勝利」なんかどう? 昭和から平成に移る時、国体を批判してたのは、浅田彰と立花隆だけだったと「噂の真相」がやってた。
中沢新一は、どこまでいっても曖昧。
旧保守と大して変わらない結末。
思考のプロセス用語群が際立って特殊なだけ。 見えない部分を見えるようにするのが、文化人類学者の仕事だと、中沢氏の師匠の山口昌男は言ってたな。
中沢さんは、家系的にそういう仕事につくよう運命づけられた人なんだろう。
ただし、政治的な力を持ちうるとは・・・ 梅原さんと僕(中沢)は、一部の仏教学者からすごく批判されてるんですよ。本覚論に対する批判なんですよ。
比叡山に本覚論というものがあって、これはある意味で法然や親鸞の思想の母胎になったものです。
天台教学の日本的展開としては、ひじょうに高度な展開とも言えますが、仏教の正統思想からの明らかな逸脱だとも言える。
(日本人は思想したか/中沢) 本覚思想自体が、如来蔵の考え方に近いのですが、これはもともと衆生全てに悟った如来が「ある」という考え方ですね。ところがこの「ある」と言った時に、
真如を言葉にしちゃう問題に際どいところで接近していくことになります。
如来は「ある」んだと言うわけですから。 仏教の正統の考え方だと、「ある^というのを否定していく論法を駆使して無とか、空とかの真如を表現しなくちゃいけないはずなのに、如来蔵とか本覚思想では、仏性は「ある。というふうに言っちゃう。
そうすると、仏教が異端の道に踏み込むきっかけをつくる。 ところがそういう本覚思想が比叡山の横川の教学として発展してきた。
法然も親鸞も最初はそれにひじょうに惹き付けられて勉強し、のちにそれを否定していく型で山を降りていったわけですから、
比叡山を否定したというよりも、むしろワンステップとして本覚論ののりこえという主題の方が大きかったわけです。 フーコーから見ると、世界は解釈されるためにあるのではなく、変えるためにあるのだというマルクスの方法は、十九世紀の時代の
知的な構図のなかに、すっぽりはまってしまう。
まったく安全な思想にほかならなかった。
フーコーのこの考え方は、わたしに衝撃を与えずにはおかなかった。 私たちはフーコーに、ロシアマルクス主義とまったく独立に、はじめて世界を認識する方法を見つけだした思想家を見て、心を動かされ、その次の展開を見つめてきた。
だが、勝手な思い込みを言わせてもらえば、フーコーは自分の啓示した世界認識の方法の意味の大きさを自分で恐れるかのように、個別的な分野の具体的な歴史の追及に転じたように思われる。
フーコーの後に、ロシアマルクス主義に張り合う力を持ち、それにまったく独立な世界認識の方法を見つけだすことは出来ない。
(ミッシェルフーコーの死/吉本隆明) >>282ー283
は、吉本隆明とフーコーの対談本「世界認識の方法」で、吉本がしきりにフーコーから聞き出そうとした、マルクス主義をどう葬送するか?という主題で、フーコーの「ことばともの」が果たした意義の深さを、フーコーの追悼文にしたもの。 サルトルの思想が、翻訳の網の目を通して私たちの眼の前に現れた時、すでにその歴史観を、ロシアのマルクス主義に負い、歴史への接近の仕方についてフッサールとハイデッガーの影響を負っていた。
史的唯物論は恒久的に人間の外側にあり、
人間は政治的党派や権力の規範に強制でもされない限り、歴史に入り込むことが出来ない。
(死のサルトル/吉本隆明) サルトルは私たちをハラハラさせながら、その都度ロシアマルクス主義に対する自己の位置を修正し、修正する度に絶望を深め、
絶望を深めることによって、次第に単独で(つまりロシアマルクス主義とその現実的な勢力にいささかも依存せずに)
世界を、引き受けるところの孤立に到達しようとしていた。
(同/吉本隆明) サルトルは私たちに宿題をいくつか残していったと考える。その1つはマルクス主義ではなく、マルクスの世界像は今も可能で正統かを徹底的に検討しつくすことである。
現実に世界に存在するマルクス主義の国家、制度、権力、諸党派の位置をそれらの外から浮き彫りにすることになる。 かつて空間と時間はいずれも二元論構造を備えていた。この神話をもって当初の出発点としたい。
空間と時間の二元論はどこから帰結するのだろうか。
人間存在の根源にある過剰からである。
ここでは精神分析的な角度からその再確認を試みよう。
(クラインの壺 あるいはフロンテアの消滅/浅田彰) 精神分析は、人間が過剰を孕んだ存在である、狂った本能、即ち欲動を持つ動物であるという認識から出発する(←岸田秀?)
中略・・・・
ところが、欲動に突き動かされる人間は、互いのうちにあらぬ幻を見ては狂おしく求めあい傷つけあってやまない。 回りくどくゴチャゴチャ言っても、やった事はサリン撒いた
キチガイの応援だけだからな 中沢氏はオウム信者に対して、水戸黄門のテーマソングみたいな言葉をかけてるねん。
人生楽ありゃ・・・っていうヤツ 水戸黄門主題歌
https://youtu.be/a63EHyL5PiA
これはかなり古いシリーズですな。
自分的には、うっかり八兵衛が一番好き。
うっかり八兵衛のいないシリーズは、つまらん。
中沢氏の師匠の山口昌男のキーワード「王と道化」というヤツ。
長年シナリオを書いてた葉村彰子が、複数人の合成ペンネームだと知ったのは、わりと近年。
ショーコ ショーコ ショコショコショーコ
じゃないけどさ。 2代目黄門さまの西村晃が、阿含宗の桐山さんに似ていると、元アゴン宗の人に言ったら、嫌な顔をしたな。
何故だろう? 中沢が鬱陶しいのは中身が無いくせに
ハッタリ文章で自分を大きく見せるところ。 胸のチャクラに観想したフリーという真言の文字を頭上に観想したアミターバ(無量光
)の胸めがけて、何個も何個も飛び出させていく訓練が行われます。
頭頂部の肉は盛り上がり、そこからじくじくした液体がにじみ出ます。
頭頂部に「マハームドラーの扉」という穴がうがたれた証拠です。
その時、チベット人の修行者は頭頂部の穴から草の茎を数センチも突っ込んで見せます。
私の知り合いのチベット人修行者がちょうどポワの修行をやっていて、それが成功したと
分かった日に、頭に草の茎を突っ込んだまま、誇らしくツォ・ペマ中を歩き回って
見せていました。
(雪片曲線論/中沢新一) 宮台なんか、ただの凡夫でしかないわ。
霊的覚醒を導く手法なんか何一つないわ。
ただのキレた非常識社会学者。
苫米地のように改心させる能力もなけりゃ、江川紹子のような正統性もない、最も役ただずの人。 >>302
>苫米地のように改心させる能力
えっ!? トイプードルは、なめた犬だから、真冬の外飼いをオススメします 中沢は言っている事は正しいが野口悠紀雄のような理系では無い上に、
オウムでの失態、共産主義国家が英米自由主義に惨敗した事によって、
自らの主張を曖昧にするようになった。
そうして彼は胡散臭い評価をされるようになった。
しかし、中沢の言っている事は正しい。
欧米での社会民主主義ブームはまさにニューエイジ思想だ。 >>308
中沢がどんな風に正しいのか
教えてくれないか? 内田樹みたいなパチもんと違って、中沢は本物のキチガイ。
そこに魔力がある。 甲府盆地の鯉のぼり
太宰治の「新樹のことば」の序にある、すり鉢の底に、小さな小さな旗を立てたような・・・・
という形容を思い出す。
中沢さんの故郷である。
それにしても、同郷の林真理子もずいぶん出世したもんだ。新元号の選考委員にまでおなりあそばしたもんな。 コミックキャラ化された中沢新一というと、
松本零士の「まほろば」の怒国大統領ヘルゴースト(地獄の幽霊)があるね。
怒国なんていうと、憤怒尊を想起さす。
国土は雪片状の積み重なりの3D構成ポートブロック。 中沢新一をキャラ化しそうな人というと、水木しげるがやっていそうだが?
立花隆を「オナラ真理教」でキャラしていたが。 林真理子さんの実家の林書店?で、中沢さんは新刊書を注文したことがあるそうでつ。
学術書らしいが。 「ナウのしくみ」という泉麻人のエッセイが昔あった。
週間文春から連載を干されて久しい泉麻人。
中沢さんもトレンドウォッチャー呼ばわりされてた。
浅田彰みたいに時代の寵児扱いされるのが鬱陶しくなって、リタイアするみたいに書かなくなることもない訳だ。
「ナウい」というのは、短期間流行した俗語で、少し後に「イマい」がはやっていたのか? トレンドウォッチャーとして、旧ソ連崩壊の少し後に、NHKでモスクワ?などのレポーターしてたな。カルトの流行するソ連。
で、その後は「森のバロック」上梓後に、富士山の青木ヶ原樹海を未来的文明の在り方とか言って、イメージ作り画像流してた。
しかし、愛知万博の実際は古いスタイルの万博だったんだろ? 横尾忠則のインドの本に解説してた中沢さん。
中沢さんのお陰で、インドチベットの神秘のメカニズムが分かりやすくなったから?
一方の中沢さんは、宇宙人のチャネラーが理解出来ないそうだ。(ブッダの方舟より) 1Q84に登場する女性の大塚環という名前は、
中沢新一のアースダイバーを参考にしている 簡にして要を得た指摘↓
>中沢先生とか浅田先生って、カッコつけて知識ぶりたい馬鹿な男性たちにモテはやされていただけなのでは
>王様の行列に、あのオジサン裸じゃあ〜ん?と言っちゃうギャルとかオバサンには通用しない、ドヤ顔目的のファッション学問
>馬鹿が権力を持てる知識業界の力が、彼らにサリンを撒かせたのでは
ttps://twitter.com/yachin_gengaku/status/1123826799547420672
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 旧態依然とした思想用語を一新させていく上で、大きな声で役割を果たしたのであろう。
思想・哲学の最前線は1980年代に、いつのまにか未知の領域と化していた。 それと団塊以後の世代やら、新左翼からの転向を果たすための用語、理論武装が
必要だったからかも。
何も考えないお気楽なただの生活者に、不可視の領域を分析する<知>は不要だしな。
中沢新一は、ただの生活者でしかない者を相手にしないから。 ドゥルーズ=ガタリの「襞」の日本語版が出たのが、「森のバロック」より後だから、フランス語が出来ないモグリとあっては、元ネタの一つも知りはしない。
ナウとかヤングでは、さらに野暮ったい。 浅田彰の登場の仕方は、ドゥルーズ=ガタリの「ミルプラトー」を翻訳前に誰よりも先んじて詳しく解説したがゆえに、斬新だった訳で
海外思潮を翻訳前に、さりげなく自分の文章のベースに入れるのが、日本人の古来からのやり方な訳で、つきつめると日本人は無思想でしかないという事になってしまう・・・・ 「日本人は思想したか」というタイトル。
マルクスの資本論の前に「掘っ立て小屋を建てている。それでも何も作らない日本人よりはマシだ・・・と言っていた吉本隆明。
梅原猛にも同じような業績があるらしいが、無思想からの脱出みたいな気負いは、鼎談者たちにあるみたいだ。 日本人は世界最高の母性原理民族なんだよ
それを自覚しなかった者が
吉本隆明
内田樹
高橋源一郎
西部邁
西尾幹二
竹中平蔵
野口悠紀雄
大前研一
小沢一郎
宮台真司
だ。
中沢新一と河合隼雄と村上春樹である。 中沢新一と河合隼雄と村上春樹である。
→ 自覚できた者は中沢新一と河合隼雄と村上春樹である。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) トイプードルを飼ってる方は、トイプードルを飼ってる自分って可愛いでしょ感が強い方が多い
そういう人間は信用できない、よって飼い犬がトイプードルの時点でマイナス要素ww >>344
麻原彰晃を出口王仁三郎と比較していた中沢さん。 昔は「噂の真相」が時々、文化人相関図を入れてて、面白くてためになったね。 少女マンガのBL物だの、腐女子だのというのは俗語であって、中沢さんみたいにギムナジウム物と言った方がカッコいいのである。 よくわかりませんがネギ置いておきますね
/7へ,、 /7へ,、 /7へ,、
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えr' えr' えr 文化人類学者として・・・
大月隆寛なんて下らないな。
昔の朝まで生テレビで、オウムと幸福の科学論争のハザマにいたけど、物分かりが悪過ぎてさ・・・・ 吉本隆明をして「理解魔」と言わせしめた大塚英志が文化人類学者のなりそこねで、大月隆寛が文化人類学者なんておかしな話だな。 ||. 。
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と と ノ
と と ノ
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゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T | l,_,,/\ ,,/l ,/ 名古屋城の解体工事が延期になったらしい。
かつて中沢さんがまだ10才の時に、網野義彦叔父さんが、置き忘れた鞄を一緒に取りに戻った名古屋城天守閣。
どえりゃあ市長が、大わらわぞなも。 ババ 鳥インフルエンザ ゲリラ豪雨 ババババ
バババ ∧_,∧ ババ ∧_∧ バババ
∧_∧バ( ´・ω・∧_∧ (・ω・` ) ∧_∧
民主(´・ω・)=つ≡つ);;)ω(;;(⊂≡⊂=(・ω・`) 自民
(っ ≡つ=つ (っ ⊂) ⊂=⊂≡ ⊂)
/ ) バ∧_∧|日本 ∧_∧ バ ( \
( / ̄∪バ ( ´・) ∪ ̄∪(・` )ババ ∪ ̄\ )
ババババ/ ) バババ ( \ ババババ
バババ `u-u'. バババ ババ `u-u'
東電原発 台風 >>360
北朝鮮が入れてないよ。
どんな立場の人物が描いたか、この点からも浮き上がってくるーーーーーっ!? 蓮実重彦は元東大総長
蓮池透は北朝鮮拉致被害者の〇〇 ,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
/::::::::::::;ゝ--──-- 、._/::::::::::::::|
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l , , , ● l おい、>>173
` 、 (__人__丿 、、、 / やる気あんのか?
`ー 、__ /
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l |\ ノ |
. | ヘ |`ヽ二 ノ
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`ー‐' `ー‐' こういう時は、チコちゃんの顔にするのがナウい。
中沢さんだってポケモンの本を出したんだから。 ヨガは第三の眼を開くためにするんだよ
そして、麻原は眼を開いた
その結果、天命を受け核兵器で人類を救済しようとした
麻原がいなくなって日本はおかしくなった ロバートリフトンの麻原分析を読むと
究極兵器の核により、信者以外の人類全てを殺害しようとしたのは異例中の異例
アメリカの核は広島長崎だけ
ナチスはユダヤだけ
しかも、アメリカもナチスも自民族まで虐殺しようとはしていない
麻原は世界初の事例、怪物だったと分析している
アメリカ上院議会で、オウムはアメリカから核を手にする3歩手前まで
辿り着いた事に驚愕していた
アメリカのセキュリティシステムに引っ掛かり、オウムは核兵器を手にできなかったが、
日本の信者1万人程度の信仰宗教団体が3歩手前まで突破しただけでも前代未聞だった チベット文字
たったひとこと無職株ニートを指摘されていきなりブチ切れたWM信者の自己紹介w
↓
ワールドメイト本家スレッド ・
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537627920/756
756 名前:神も仏も名無しさん :2019/10/13(日) 01:46:08.29 ID:417tllw6
>>749
うんうん、君みたいな下級国民は定年まで奴隷のようにコキ使われながら働かされて可哀想だよね。それでいて才能も運もないから出世もできない。オマケにブサイク童貞だから結婚もできなくて将来は孤独死と決まってるもんね。
なんかさ、君みたいな人生負け組が必死で5ちゃんねるの宗教板なんかで毎日必死でアンチしながらたった一人で書き込みしてると、この国の闇を伺い知ることができて楽しいよね。
それでさ、君は人生楽しそうじゃないからさっさと樹海でも行って吊って来たらどうだい?どうせ友達もいなくて毎日必死でアンチ書き込みしてるだけが生き甲斐の元会員の惨めな人生なんだからさ。あはははは。 緑色の服が、どんどん真っ赤に染まってくる・・・・・
恐ろしいことが起きました。 ●マヌケオナニストって?
WM副支部長、win オタ、株ニート(継続中)、草加学会信者、KK信者、自称霊能力者、ヤクザ、ダンプ運転手(?)、川本追っかけ、
霊視スレ住人、ケケケ妖怪、自演という手のひらの上でなキリッ、拾い食いして腹痛、親不孝者、
再び草加学会信者、株式板追い出された、不細工でどこにでもいる顔、
通りすがり、最強最悪の粘着嫉妬地獄霊界住人、一心不乱オナニー
しばらく行方不明
……
GWも一日中ごちゃん
その後ブーメランを連発し自爆、言い負かされ再び一心不乱にオナニー、
またブーメラン、そしてまた言い負かされてブーメラン、さらにまたブーメラン&オナニー自己紹介投稿連投、またまた言い負かされて火病オナニーコピペ連投、
ヤバイ書き込みを指摘されて慌てふためいてスレ流し、
「アンチは数百万円貢いで何のお陰も無かった“被害者”」という仰天主張w
またまた言い負かされてスレ流しオナニー火病再発、悔しさのあまり泣きながら一晩でコピペによるスレ潰し、
「早く議論しろキチガイ」などと喚きながらまたコピペ荒らし、「キチガイ晒しスレ」のキチガイとして晒される、
「狭い犬小屋の中だと強がり吠えられてカッコイイっすねーw」、
グロ画像貼りコピペ荒らしの末、なぜか麻原彰晃&オウム幹部死刑執行にショックを受け現在逃亡中行方不明
最近は時々5ちゃんねる宗教板に現れては自己紹介>>376をして去っていく様子が確認されている←NEW! 雪片曲線
雪片曲線
3グナ
トレンドウォッチャーとしての人気・実力はいとうせいこうとどちらが上だったのですか? 日本は呪われてる
真敵・職人気質が格差の根元である。
ヤンキー、過激思想、サイコパス等の成れの果てが職人・職人気質です
その職人・職人気質が新たなヤンキー、過激思想、サイコパス等の悪種を生み出すのです。
職人、職人気質が格差をつくり、イジメを生み、犯罪を生み、戦争を生み、地域振興を阻害し、治安が悪化し国力が低下する。
職人気質を廃してこそ日本は平和かつ生産的かつクリエイティブな国家になれるのだ
職人気質は存在自体がパワハラです。緊急事態です。
職人気質は悪しき文化
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1573270987/755
dle 俺の知人でナウというダサすぎる名前の店をやってた奴がいたが、かっこ悪すぎる
と思ってた。
諸外国語を色々調べてから、名付けるべきだと思う。
命名することはすごく大事なことなんだ。
南方マンダラの解説の中にも、その端緒があるねん。
ナウという言葉が流行ってたのは、江川る、コバるの少し後だったっけ…
口にするのも恥ずかしい言葉。 中沢さんってチベット密教はどのレベルにまで達してるの?
虹の身体になったの? 中沢さんと永沢哲ではどちらの方が修行レベルが高いの? + 8 1 0 5 3 1 - 4 5 - 4 9 0 0 中沢の新刊
未来のルーシー ―人類史のその先へ― 2020/2/22
中沢新一 (著), 山極寿一 (著)
https://www.am%azon.co.jp/dp/4791772520 中沢新一は今頃野性の思考とか古いんだよ。いまだにナウいとでも思ってんのかね? この人についてはあまり語りたくないのだが一つだけ言っておきたいことがある
それはこの人の志賀直哉解釈及び批判は絶対に間違っているということだ >>394
そしてこの志賀直哉解釈及び批判がこの人の考え方の典型となっている >>7
チベット仏教≒インド後期仏教≒ヒンズー教≒ヨーロッパ≒ユダヤキリスト教
なんだけど、中沢は西洋への劣等感から、
「いや、チベット仏教はユダヤキリスト教と正反対である。つまり、それは日本文明の高貴さだ」と、
やっちゃったわけ
西部邁や西尾幹二や内田樹と同じだね レヴィ=ストロースの『野生の思考』なんてもうとっくに時代遅れなんだけどねえ。今頃何やってんだか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています