511は昨日私と妖怪ヨル公さんとの対話の中で 、コンダンニャの悟りの内容としての三法印を、私が諸行無常、一切皆苦、諸法無我 としたのに対して、
ヨル公さんは 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静が正しいと指摘しました 。仏教辞典にそう書いてあると 。
これに対して私はそれは確かにそうなんだけれども私の説いた 三法印も決して間違いではないと示しました。
いや私の問いた三法印という言い方は正しくありません。実は私が書いたことはちゃんと根拠があるのです。
その根拠をこちらのリンクで示しましょう。
http://blog.livedoor.jp/taktag555-0216/archives/18820850.html

コンダンニャの 示した 三つ詩句たる三法印は 諸行無常、一切皆苦、諸法無我であるとしています。
これは 広辞苑の三法印分類とは矛盾しており、広辞苑の方が錯綜しているのではないかと
これを書いた人は書いているようですが、 そんなことはなく 三枝先生が示した経緯が正しいのです。
実はそもそも三法印という分類自体、 部派仏教時代にアビダルマ論師が制定したようです。西暦200年くらい。
釈尊の説いた 言行録を示した経典にはその考え方はあってもそんな用語はなかったわけです。
しかしこのアビダルマの分類が間違っているとは言いません。
アビダルマはそれを示すことにより仏教がより分かりやすく整理しやすく伝えることができた点は
やはり評価できるわけです。
ただ三法印といい四法印といい、 経典の記録の歴史から行くと、 涅槃寂静を説くよりもまずは無常・苦・無我が説かれていたわけです 。
だからといって涅槃寂静を説かなかったと言っているのではありませんよ。
アビダルマは最終的には諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つを三法印とし、これに一切皆苦も加えるという形を示したが、
最初は諸行無常、一切皆苦、諸法無我に涅槃寂静を加えたのが四法印だったわけです。
どちらでもいいではないかと言われるでしょう。
ええ、そう思います。 私もどちらでもいいと思います。
ただ私がコンダンニャ三法印分類は決して間違っていないことを証明するものです。
だからと言って妖怪ヨル公さんが間違っているとも言う気はありません。