そこで他の信者さんたちです。
桐山さん、1.5来補さん、宝生創価さんと同じように日常的な暴力や
強制で支配されながら成長した人には無理でも、
普通に育てられた人なら、釈尊が解脱するのに「力」など説いていないと
説明されたら、理解しますよね?

すると信者さんたちから、神通があるではないかと言うでしょう。
だが、神通で解脱するとは釈尊は説いていない。
そんな文言も描写も一つもありません。
あるはずもない。
神通で解脱するのではないからです。
桐山さんから神通をメインにして解脱するかのように教えられているが、
神通は釈尊が道を説くために、他から持ってきた内容にすぎない。
その証拠の一つが三つの神通を表す三明という言葉です。
どうして六つの内の三つだけを持ってきたか不思議に思いませんか。
理由は簡単で、三明とは釈尊が作った言葉ではなく、バラモン教から持ってきたものです。
バラモン教から三明という言葉だけ拝借して、当てはめただけです。

釈尊が良く使う手で、世間で広く使われている様々な言葉をそのまま用いて、
中身を自分の教法に入れ替えて使う。
梵行という言葉もそうで、バラモン教からの拝借です。
世間の人々が受け入れやすいように、世間の人々が使っている言葉を用いたのです。
神通も同じで、だから、六通の中で重要なのは漏尽通だけです。
だが、漏尽通とは、煩悩がないことを確認すること、です。
これのどこが「力」なのだ?