何かという「力」に頼る、という性癖のある人は、このように幼児期に
力で支配され続けたからです。
そういう目でここにいる二人の信者を見てください。
宝生創価さんも1.5来補さんも、八正道が解脱の道だと何度説明しても、
これをオシエにすぎないと嘲笑っている。
この二人の反応は桐山さんと同じで、宗教とは「力」だと思い込んでいるからで、
いくら八正道がそれだと説明されても理解そのものができない。
それは彼らの成長期と深く関係している。

宝生創価さんは、何か神秘的な「力」によって人を救うのが宗教だと主張し、
批判側から仏教はそうでないといくら説明されても彼は受け付けない。
今回も、その力を得る方法を示せと>>486でユビキタスさんに迫ったつもりなのです。
仏教は別なのだと受け入れればいいだけなのに、
彼は仏教もまた力を得ることなのだと頑迷に主張する。
こういう「力」に異様に頼る二人を見れば、桐山さんと同じで
成長期に力で支配され続けたのだろうというのがわかります。
三人ともかなりの暴力を受けて育てられ、知性さえも歪んでしまったのです。

信者さんたちは宝生創価さんと1.5来補さんが批判側の反論を
完全無視して、同じ自説をくり返していることに気が付いているでしょう。
ちょっと異様な光景です。
成長期の影響で知性が歪んでしまい、普通の読解力すらもないのです。
歪みは治せないから、桐山さんがそうであったように、後の二人も
釈尊の説く教法を理解できないまま死んでいくのでしょう。