「二千三百の夕と朝」とは紀元前445年にペルシャ王によるエルサレム再建命令の時から計算するものではない(七十週預言の起点だからだ別物だ)
二千三百日ではなく夕と朝に1日二回捧げられるいけにえのこと「二千三百回」と取るべきで三年と五十五日 全く1844年など出てこないのです。