>神ヤハウェはイスラエルの民に言った。 「エジプトの地からおまえたちを連れ出したの
>は私である。 私以外のどんなものも神としてはならぬ。 どんな像も作ってはならぬ。 ど
>んな像も礼拝してはならぬ。 私は、私を憎む者には、その者の四代目の子までをも罰す
>るような妬み深い神である。 私は、私を愛して契約を守る者には慈しみを与える。…そ
>のとき、神ヤハウェはモーゼに言った。 「イスラエルの民にこう言え。 『銀の神々や金
>の神々を作って、主なる神と並べてはならぬ。 土の祭壇を作り、平和の生け贄と小さい
>家畜と大きい家畜の生贄を供え、燔祭を行なえ』」。

>(批評・・・「私以外のどんなものも神としてはならぬ」。 これが、「唯一絶対の神ヤハウ
>ェ」 と言われるときの 「唯一絶対」 の意味である。 創世記の作者や出エジプト記の作
>者は、世界には神ヤハウェ以外に様々な神々や神に類する天人がいることを知っている。
>しかし、創世記の作者や出エジプト記の作者は 「イスラエルの民は神ヤハウェだけを礼
>拝しなければならない。 イスラエルの民は神ヤハウェ以外の如何なるものも礼拝しては
>ならない」 と言っているのである。 このような教えが一神教というものである。 一神
>教に対して、多神教は多くの神々を礼拝することを許す宗教である。 出エジプト記の作
>者は神ヤハウェをして 「どんな像も作ってはならぬ。 どんな像も礼拝してはならぬ」 と
>言わせるほど、神ヤハウェに妬み深い性格を与えた。 また、十戒に従えば、ユダヤの社
>会ではどんな彫刻もしてはならない。 従って、ユダヤの社会には彫刻という芸術はない
>ことになる。)