律法の下にとどまっていたいと思う人たちよ。
わたしに答えなさい。あなたがたは

律法の言うところを聞かないのですか。

そのしるすところによると、アブラハムに
ふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、

ひとりは自由の女から生れたのです。

女奴隷の子は肉によって生れたのであり、
自由の女の子は約束によって生れたのでした。

さて、この物語は比喩としてみられます。
すなわち、この女たちは二つの契約をさします。

そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産むのです。

ハガルがそれです。ハガルといえば、アラビヤでは 
シナイ山のことで、今のエルサレムに当リます。

なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからです。

しかし、上なるエルサレムは、自由の女であって、
わたしたちの母をさします。

すなわち、こう書いてある、

「喜べ、不妊の女よ。
声をあげて喜べ、産みの苦しみを知らない女よ。

ひとり者となっている女は多くの子を産み、
その数は、夫ある女の子らよりも多い」。

兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子です。

しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって
生れた者を迫害したように、今でも同様です。

しかし、聖書はなんと言っていますか。

「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、
自由の女の子と共に相続をしてはならない」とあリます。

だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、  
自由の女の子なのです。