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■■■臨死体験■■■
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0001神も仏も名無しさん
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2018/04/30(月) 19:24:42.63ID:Niy6fbCF
これって、何なの?
0371神も仏も名無しさん
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2018/08/04(土) 09:32:05.63ID:sry9hoq0
マニ教 〜 やはり「自分という一元論」
 
開祖マニ(AD216-277)。その教えは、ゾロアスター教を母体に、
ユダヤ教・キリスト教・パウロの福音主義(律法主義を排斥)・
グノーシス・ギリシャ哲学・仏教など、諸教の総花的なものだった。
 
教義の核は、光と闇、善と悪、精神と物質という二項対立にある。
始原宇宙は、光と善と精神、闇と悪と物質(肉体)に分かれていた。
救済は、この始原(光と善と精神)に回帰することで達成される。
ーー 恣意的な二項対立でしかないから → 自分教
  
ゾロアスター教の場合は、生が善、死が悪 → 現世肯定
マニ教の場合は、物質(肉体)を否定する → 精神的・厭世的
0372神も仏も名無しさん
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2018/08/04(土) 10:08:37.78ID:sry9hoq0
アケメネス朝ペルシャ BC559-331 ←アレキサンダー侵略
ササン朝ペルシャ AD226-642 ←イスラム侵略
 
・ゾロアスター教は両朝の国教
・マニ教はササン朝を中心に布教されたが迫害されて国外流出
3〜6世紀にかけて拡大衰退 ← キリスト教・イスラム教の迫害
西〜メソポタミヤ・シリア・パレスティナ・エジプト・北アフリカ
 イベリア半島・イタリア半島
東〜中央アジア・インド・中国など
 
アウグスティヌスが一時マニ教徒だった。
ローマ、297年、マニ教徒迫害勅令。
0373神も仏も名無しさん
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2018/08/04(土) 17:19:07.85ID:sry9hoq0
ミトラ教 〜 キリスト教によって破壊された宗教
 
ミトラ教は「牡牛を屠むるミトラ神」を信仰する宗教であるが、
ローマ帝国がキリスト教を国教化するなかで徹底的に破壊された。
従って、その教義内容はほとんど明らかになっていない。
 
しかし、アーリア人が牛を崇拝することから、
ミトラ教がアーリア系の宗教ではないかと推測することができる。
インドのバラモン教しかり、ペルシャのゾロアスター教しかり。
 
ゾロアスターはBC1000年頃、牛の供儀をやめさせることを目的に
宗教改革を行い、ゾロアスター教の開祖になったとも言われる。
ということは、ミトラ教は改革前の、古い宗教だった可能性もありえる。
 
そうだとすれば、ミトラ教はゾロアスター教と似ているだろうし、
バラモン教の『リグ・ヴェーダ』も参考になることだろう。
0374神も仏も名無しさん
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2018/08/05(日) 06:46:38.10ID:8+skDASy
なぜアーリア人は牛を供儀するのか
 
(広義の)アーリア人は中央アジアのステップ地帯を出身地にする。
ここには広大な草原があり、牛の放牧に適していた。
放牧によって生活が成立したから、牛を大切にし崇拝することになる。
  
このアーリア人に何らかの理由で「神の観念」が生じたとしよう。
ーー イランやアフガニスタンなどの高地は大麻やケシの産地である。
ーー これらの麻薬が神の観念につながった可能性は濃厚だ。
 
さて神の観念が生じたとき、その神を崇拝するために何を捧げるか。
自分たちが大切にしている「牛を捧げる」のが自然だろう。
崇拝する神に、カエルやサソリやトカゲを捧げはしない。
こうして牛を神に供儀する祭式が成立し、アーリア人共同体に広がる。
逆に、これがアーリア人であることの証左になった。
0375神も仏も名無しさん
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2018/08/05(日) 11:05:39.28ID:8+skDASy
牡牛を屠むるミトラ神は → 救世主として崇拝されていた?
 
神に牡牛を捧げるが、その供儀をミトラ神が中心で行っている。
つまり、神と人間との仲保者がミトラ神だったということだ。
ミトラ神はキリスト教におけるイエスの役回りだった。
 
パウロはミトラ教をヒントにキリスト教を構想した。
しかし、ミトラ教が残っていては、キリスト教の独創性が損なわれる。
そこで、民衆に人気があったミトラ教を徹底的に破壊した。
イエスを最初で最後の救世主にするために・・・
 
なーんだw キリスト教にはがっかりした。 (TT)
0376神も仏も名無しさん
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2018/08/05(日) 15:23:10.94ID:8+skDASy
バラモン教 〜 カーストのための輪廻思想?
 
インドには救世主の発想がない。
カーストが大前提であって、救世主がいたら困るのである。
 
そのため、インドの哲学テーマは輪廻からの解脱ということになるが、
解脱という発想自体が輪廻思想を前提にしている。
ほんとうに輪廻があるのかどうかははっきりしない。← ここ重要!
  
用語的には、輪廻からの解脱を「悟り」と言う。
釈尊は悟りを開いたと言われるが、意外に輪廻を強調しない。
それどころか、輪廻の結果であるカーストを否定する。
0380神も仏も名無しさん
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2018/08/06(月) 08:14:24.58ID:H5XM55/W
(カーストとは無関係に)輪廻を肯定する主義主張
@ インド先住民のヨーガ 〜 輪廻思想の萌芽が存在?
A スエデンボルグ 〜 霊界日記に輪廻した人の話が出てくる。
B 霊界通信 〜 全般的に輪廻を肯定している。
C 前世を記憶する子供たち 〜 1990年頃から研究が進展。
D 神の正義から 〜 過去世の不幸な死を輪廻が救済する。
  
かりに輪廻があっても意識できない 〜 ヨーガ・スートラ
現在の意識は、現在の生活のために現在の肉体に宿っている。
過去世の肉体は存在しないから、過去世の意識がよみがえったら、
現在の生活に混乱をもたらすので許されていない。
0381神も仏も名無しさん
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2018/08/06(月) 10:27:40.51ID:nmGMZzik
輪廻も死後世界の有無と状態も
万人共通ではなく 百人百様の可能性が高いと思われる 🙋
ある意味 それゆえの宗教教義とも言えるのだから 🙎
0382神も仏も名無しさん
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2018/08/06(月) 19:59:24.88ID:H5XM55/W
アラヤ識(過去世)を捨てることで解脱する。>>349
 
霊魂体験(自分との出会い)については何度か書いたが、
坐禅中の魔境に、見たことのない自分が三途の川を流れ落ちて来る。
これが生きている死体、沈黙するアラヤ識(過去世)である。
 
過去世に執着するのではなく、過去世を捨てることで解脱する。
これが解脱の順番だから、解脱後は解脱する以前より
宿命通・天眼通とは無縁になる。むしろ六神通の逆現象が生じる。
ーー 前世を記憶していた子供たちは解脱していたのか? 否。
 
アラヤ識(過去世)を見た以上は輪廻を否定できない。
しかし、それを捨て、過去世への興味を完全に失ってしまった。
わかったところで、それは輪廻した汚れた識であり、
何も得ることはない。だから積極的に肯定するわけでもない。
0383神も仏も名無しさん
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2018/08/06(月) 20:19:41.41ID:H5XM55/W
輪廻があれば、神の正義が貫徹される。
そういう意味から言えば、輪廻はあるべきだろうと思う。
 
何で輪廻があるとわかったのか。
恐らく先住民のヨーガ体験からではないだろうか。
ーー わたしもその一人であるが。^^
  
アーリア人は、先住民のヨーガに注目し、ヨーガに救済を期待した。
その流れが「救世主」思想を終わらせたのではないだろうか。
輪廻はたぶん、アーリア人独自の思想ではないね。
ヨーガは草食で平和的だが、アーリア人は肉食の戦闘民族だから。
0384神も仏も名無しさん
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2018/08/08(水) 08:38:19.50ID:nV68Ks0f
神一元論→→救世主思想
 
この二つは対になっているのかもしれない。
全能の神が造ったのに、地上には不幸や災害が満ち溢れている。
この矛盾は、グノーシス的な解決か、救世主思想によって解決される。
つまり、救世主思想は、神一元論からの必然的な帰結なのだ。
 
他方、神一元論を否定する解決方法もある。
「多神教」である神道やバラモン教には救世主が不在である。
ーー 役に立たない神は、民衆から見捨てられる。
「神と物質の二元論」は、神から不幸や災害を切り離してしまう。
0385神も仏も名無しさん
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2018/08/08(水) 09:20:30.27ID:nV68Ks0f
神一元論の由来 〜 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など
 
民族同士の対立が深刻であれば、民族の団結や統一が重要である。
古くから宗教はそのために積極的に利用されてきた。
領土が拡大すれば、多様な民族が同じ国家に集うことになるから、
より普遍的な宗教が求められ、それ以外の宗教は弾圧された。
神一元論は、国家同士の対立と競争と戦乱が作り上げたものである。
 
その由来からして、神一元論には排他性が組み込まれている。
信者は洗脳され盲信しているから、相手を理解する前に否定する。
それは相手を反射的に否定し、攻撃し、絶対に認めない。
0386神も仏も名無しさん
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2018/08/08(水) 10:33:41.63ID:nV68Ks0f
ユダヤ人にとっては、ユダヤ人をバビロン捕囚(586-538)から解放した
ペルシャのキュロス2世が救世主思想の原点なのかもしれない。
 
旧約にある救世主思想の展開を調べるとおもしろそう。
ーー キュロス(559-530)はその後、戦いに敗れて斬首されている。
ーー ダリオス1世によるペルシャのオリエント統一 BC525 
0387神も仏も名無しさん
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2018/08/10(金) 01:15:51.63ID:fF5kdQak
多神教から → 神一元論へと進化した
 
国家が宗教を利用するときに神一元論が出現する。
ローマ帝国、キリスト教諸国、イスラム諸国、ユダヤ(イスラエル)など。
神一元論の極北に「全知全能の神」という妄想が誕生した。
そんな神は誰も知らない、何も語れないのがミソ。
  
日本は幸い、権力支配が不十分だったので神・儒・仏が共存できた。
宗教と国家権力が結合するとき、国民は宗教奴隷にされる。
憲法20条(信教の自由)は絶対に守らなければならない。
ーー 創価と公明党の癒着はどうなんだろう?
0388神も仏も名無しさん
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2018/08/10(金) 01:41:01.50ID:fF5kdQak
全知全能の神から、その力と栄光を受け継いだのがイエスだとか、
ローマ皇帝だとか、ローマ法王だとか、王権神授説だとか、
あんまりにも虫が良すぎるよね。^^
「全知全能の神」をバカにするのもいい加減にしなさいwww
0389神も仏も名無しさん
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2018/08/10(金) 08:02:24.71ID:fF5kdQak
創世記には、神は「言葉」で天地を創造したとある。
ヨハネ福音書には、初めに「言葉」があったとある。
 
ここで疑問が湧いて来る。神は何語を使って天地を創造したのか。
まさか日本語じゃないだろうが、ヘブライ語なのだろうか。
それに、それをいったい誰が聞いていたというのか。
神が「言葉」で天地を創造したという証拠は何か。
そんなもの何もないではないか。
 
だがしかし、ローマ皇帝やローマ法王にとっては好都合だ。
自分の「言葉」を、神の「言葉」だと妄想させることができるから。
かれらは、それに公然と反対する者がいれば弾圧した。
0390神も仏も名無しさん
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2018/08/10(金) 09:06:04.22ID:fF5kdQak
神は「命そのもの」である
 
神の一元論ではなく、神を「命そのもの」と定義し、
神と物質の二元論にすれば世界を合理的に説明できる。
そのうえ、命を神だと思えば十戒を自然に守ることもできる。
    
それなのに、なぜそうしないのだろうか。
@ 神=命を体験した人がほとんどいない。→ 神霊体験の難しさ。
A 権力者は神=命では困る。→ 反対勢力を抹殺できない。
B 犯罪は減るだろうが、国家のために戦う兵士がいなくなる。
C 牛や羊の牧畜業が不成立。→ カインは憎まれ、アベルは愛される。
D 肉食が否定されてしまう。→ 神=命を本能的に拒否する。
E 神父や牧師が失業 → キリスト教会が大反対する。
F 聖書が売れなくなる → 出版業界などが大反対する。
ーー それが真理でも賛成できない理由 → まだまだたくさんある。
ーー 個人的に学び、個人的に実践する以外にない。
0391神も仏も名無しさん
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2018/08/11(土) 08:42:02.78ID:RyncCT/y
 
神とは何か → 命そのもの、形のない命
  
人間とは何か → 霊魂、アートマン、神の分霊、形のある命
  
0392神も仏も名無しさん
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2018/08/11(土) 11:20:32.40ID:RyncCT/y
A 神は命そのものである
 
@ 人間はまず真っ先に神を探さなければならない。
A 神=命。「全能の神」は作り話であってどこにも存在しない。
B 人間は命を生きている。→ 探して見つかるのは命しかない。
C 人間の不幸や苦しみはそのためにある。→ 試練
D 神との出会いは、欲望が根こそぎにされたときに生じる。
E 言い換えれば、心が砕かれたときに出会う。
F それは気づきであって一瞬の出来事。
G 逆に言えば、自分があるうちは神に出会えない。→ 無我?
H 神 〜 「命の雫」が頭の中、斜め上方から落ちて来る。 
0393神も仏も名無しさん
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2018/08/11(土) 13:52:23.05ID:RyncCT/y
B 人間の究極は霊魂である
 
@ Aの神霊体験の後に、坐禅による霊魂体験に挑戦しよう。
A 非想非非想処 → 魔境 → 想受滅 → 霊魂体験
B 神霊体験がなく、いきなり坐禅を始めるのは邪道。→ 死ぬかも。
C 空海の求聞持法は危険だし、神霊体験が不可能になる。
D 神霊体験があれば短期間で霊魂体験ができる。→ 急がない。
E 百聞は一見に如かず。→ 仏教の迷路で遊んでも不毛。
F 霊魂は透明な丸い球であり、絶対に壊れない水晶玉のようでもあり、
すぐに壊れてしまいそうなシャボン玉のようでもある。
その霊魂の中に必要に応じ、触覚視覚聴覚などが即座に生じる。
その感覚の繊細さは日常意識の何千倍もありそう。
G 神霊体験、霊魂体験ができたら → 解脱ですよ。 🎊 
0394神も仏も名無しさん
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2018/08/12(日) 09:21:10.95ID:b6i8CnAA
六神通のうち 〜 漏尽通(ろうじんつう、自分の煩悩は尽きて、
今生を最後に生まれ変わることはなくなったと知る力。)
 
わたしは宗教知識がないとき、いきなり霊魂体験をしてしまった。
何か不思議な体験をしたことはわかったが、自分が何を体験したのかは
わからなかった。そのため霊魂体験をした後も、坐禅を平常心で継続
することができた。そのお蔭でさらに天使体験もした。
 
振り返って思うに、宗教知識がなかったこと、六神通(漏尽通)を
知らなかったことが幸いしたようである。宿命通・天眼通もそうだったが、
漏尽通も不要な知識なのかもしれない。
自分が解脱したと思えば、霊魂体験で終わってしまったことだろう。
 
霊魂体験の後に、天使体験、守護霊体験、死霊体験などもした。
どれもこれも捨てがたく、かけがえのない神秘体験である。
予備知識はあってもいいが、あまり信じない方がベターかもしれない。
0395神も仏も名無しさん
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2018/08/12(日) 11:45:47.79ID:b6i8CnAA
釈尊は、非想非非想処を超え、想受滅を体験したという。
この想受滅を体験したことが釈尊の功績らしい。
しかし、想受滅を体験していれば、「霊魂体験」もしているはず。
さらにそれ以前に、「神霊体験」をしていなければならない。
神霊体験と霊魂体験がそろえば解脱である。🎊
  
いまの坐禅は、神霊体験を欠き、魔境を恐れて
ほの明るい場所で半眼でやるから、いくらやっても悟れない。
やってもムダ、時間の浪費でしかない。
0396神も仏も名無しさん
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2018/08/12(日) 12:26:12.25ID:b6i8CnAA
坐禅の流れは「九次第定」として定式化されている。
@ 四禅(初禅・第二禅・第三禅・第四禅)
A 四無色定(空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処)
B プラス 想受滅(滅尽定) → 合計 九次第定
ーー たぶん魔境を意図的に削除 → 安全な半眼禅に導くため?
ーー 古くから魔境の恐ろしさが認識されている。→ 坐禅不可
  
無間禅 〜 順を追って修得する。
超定 〜 飛び越えて解脱する。不時解脱のアラカン。
ーー わたしの場合は自己流の超定になる。まったくの無師独覚。
0397神も仏も名無しさん
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2018/08/12(日) 19:14:50.52ID:b6i8CnAA
正しさの判定基準 〜 三証(文証・理証・体証)
 
@ 日蓮の三証(文証・理証・現証)ではない。
日蓮は、蒙古襲来という未来予測から三証を使っている。
しかし、未来予測から法華経の正しさは立証できない。
法華経の排斥 → 蒙古襲来の因果関係が成立しないからである。
 
A ゆえに「現証」ではなく、体験を意味する「体証」を用いる。
体証・・・体験したことは当事者にとっては事実である。
その事実を第三者に主張するために、理証と文証を補助的に使う。
重要性の順番は当然、体証>理証>文証である。
 
B 「文証」の値打ちは三証の中でもっとも軽い。
経典にこう書かれている、聖書にこう書かれている、という主張は、
その根拠を体証と理証によって補強しなければならない。
そうでなければ、根拠なき主張・仮説として却下すべきものである。 
0398神も仏も名無しさん
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2018/08/13(月) 13:55:37.08ID:hzFJgcpE
瀕死体験ならおます 🙋  
ある意味不なイメージに圧迫され続けた様な意識(精神)世界でしたw 🙌
0399神も仏も名無しさん
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2018/08/14(火) 06:47:13.53ID:aVjzs14I
どんな体験にしろ、体験することが重要です。
 
とはいえ、なんだか不気味で恐ろしげな体験のような  ( ノД`) …
0400神も仏も名無しさん
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2018/08/14(火) 09:25:22.49ID:Aj2upPwE
瀕死と言っても意識はあったが (臨死に掛けただけゃw 🙋)
衰弱が酷くて目の前の人が親指位に小さく見えてた 👴
文学的に表現すると - -;
天空から「いぶし黄金色」の重厚な「重力柱」が降り立ち
「神秘楼閣の間」で絶え間なく威圧され続けていてた 🙎  分らんたぃ? 🙌 w
0401神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/14(火) 09:42:41.95ID:Aj2upPwE
その抗い難い威圧感の正体を唯一推測出来たのは
実に奇想天外な想像だが
胎児の私が感じた 妊娠中の母の性交渉に拠る男根の圧力だったw 🙌
0402神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/14(火) 10:13:55.74ID:aVjzs14I
>>401 
それでイメージできました。
胎児にも意識があるという話を聞きます。→ 胎児教育
新しいタイプの臨死体験かもしれませんね。^^
0403神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/15(水) 11:25:54.98ID:cykvAqFO
あくまでも 瀕死体験ですw 🙋
0405神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/15(水) 17:50:59.18ID:ERxpWcfr
善悪二元論の誤り
 
善悪は判断基準であって、世界の説明原理ではない。
善と悪は相互依存の関係だから、善があれば悪があり、
善が無ければ悪もない。→ これが釈尊の縁起の理法である。
 
創世記では、天地の創造物を極めて良かったと、神自身が言う。
ここから神は善なる存在になるが、善なる神は単独では存在できない。
善があれば悪もあるから、悪なる神も存在しなければならない。
つまり、聖書は最初から、善なる神と悪なる神を想定しているのである。
 
この悪なる神が、やがて聖書に「悪魔」として登場する。 
こうして信者は、善悪は世界の説明原理なのだとカン違いしてしまう。
ここにキリスト教の最大の誤りがある。
0406神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/15(水) 18:45:00.34ID:ERxpWcfr
アダムとエバは、善悪を知る木の実を食べてエデンから追放された。
しかし善悪とは、愛憎・苦楽・明暗・軽重などと同じ評価基準でしかない。
評価基準は、この地上で生きるために必要な能力である。
 
たとえば、AさんにとってはBさんは善だが、Cさんは悪になりうる。
状況が変われば、AさんにとってはBさんも悪になる。
善と悪とは状況に応じて変化する相対的な評価基準なのである。
 
つまり、Aさんは自分の善悪でBさん、Cさんを評価し判断している。
Bさん、Cさんも、Aさんとまったく同じことをしている。
これでは全員が「自分教」の信者でしかない。
 
では、どうしたら公平で客観的な判断ができるだろうか。
「自分」という枠組みがなくなればいい。→ これが釈尊の苦集滅道。
0407神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/16(木) 09:08:47.53ID:AJgGUXp1
「自分」という仕組みは簡単には壊れない
 
わたしは10歳の頃から生きることに疑問を抱いていた。
・ 自分の何が悪いのか。
・ 人間はなぜ生きているのだろうか。
ただ、今考えてもわからないから、大人になってからやろうと誓った。
 
それから20年間、やることなすことすべてが裏目の連続、
苦労し過ぎて精神的にボロボロになった。
極度のストレスで精神的に不安定になっていたある日、
人間は利己的でしかなく、人間には愛がないことに偶然気づいた。
その時ふと、ならば自分の命をそのために使おうと思った。← ☆
その瞬間、昼間なのに目が見えなくなり、命の雫が頭の中に落ちて来た。
ーー 心が壊れるぐらいの苦労が必要なのかもしれない。
ーー なぜか既成宗教には関心がなかった。
0408神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/16(木) 12:50:37.51ID:iWm2c8+t
致命的困窮に陥ると内界に超常事象が生じる事は
多側面的にも合理説明可能である 🙎
0409神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/17(金) 00:21:32.71ID:RiqBSBEH
kamiとは 究極の創発主体 つまり神秘主体と言って良いかと 🙋
0410神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/17(金) 12:38:42.99ID:RiqBSBEH
kamiは可能原理であり創発原理であり定義外の神秘原理なんょ 🙌  → 不可知
0411神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 18:46:13.51ID:dqYmENIH
聖書は間違っている 〜 創世記の冒頭にウソがある! 
 
聖書の神は全能の神であり、善なる神でもある。創1.1-2.4
それゆえ、地上には「善なる生き物」と「善なる植物」しか存在しない。
アダムとエバが何を食べようがそれによって害されることはない。
それにも関わらず、死罪を宣告され、園から追放される。創2.16-3.23
 
話しの流れ 〜 神は全能であり、善なる神であると設定するが、
実際の現実は不幸と苦しみに満ちている。その矛盾を説明するために
エデンの園が語られ、その全責任を人間の側に転嫁してしまう。
ーー 神を全能にしないか、善なる神としなければ合理的に解決する。
ーー 神を全能にしない → 神(命)と物質の二元論
ーー 神を善なる神にしない → 聖書の神は悪なる神(グノーシス)
0412神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 19:28:48.63ID:dqYmENIH
キリスト教は、人間を最初から「罪人」だと見なす。
そんな人間の救いは、イエスを神だと信じることだと主張している。
しかも実際に救われるのは死後、それも今の天地が消滅し、
新しい天地ができてからになるという。
 
「なんだい、死んだ後の話かい」と笑い出す人もいるだろう。
それどころか、今の天地が消滅した後の話なんだねwww
罪人だとか、死後の救いとか、天地の消滅とか、
キリスト教はとんでもなく暗〜い話なのであった。TT
  
かってノアの箱舟があったが、今度はイエスの箱舟なんだろう。
聖書の神は、何回天地を滅ぼせば気が済むのか。
全能なる神、善なる神とは、とてもじゃないけど言えないね。
0413神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 20:48:42.84ID:dqYmENIH
創世記の誤りを指摘できれば、
創世記を共有している唯一神教、ユダヤ・キリスト・イスラムの
誤りを指摘したことになる。簡単でいいね。

この三教は同じ創世記に基づいているが、相互に対立している。
唯一神教の排他性は、日本人には理解できない恐さがある。
安易に信者になってはいけない。
 
イスラム教の信者は離教すると死罪にあたるらしい。
ーー 政教一致で国民選挙が基本的にない!
キリスト教は白人の宗教であり、黒人など有色人種は差別される。
ユダヤ教も白人系アシュケナージでないと差別される。
0414神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/20(月) 21:17:06.82ID:nx549fow
>>413
なんだこの盛大なスレチ
臨死体験と何の関係があるんだよ
0415神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 05:36:34.87ID:+YLqUma+
梵天懇請 
 
わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、
絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところであ
る。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに
耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。 
さて執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを
嬉しがっている人々には、<これを条件としてかれがあるということ>
すなわち縁起という道理は見がたい。またすべての形成作用のしずまる
こと、すべての執着を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、
止滅、やすらぎ(ニルヴァーナ)というこの道理もまた見がたい。
だからわたしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々がわたし
のいうことを理解してくれなければ、わたしには疲労が残るだけだ。
わたしには憂慮があるだけだ。
0416神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 05:47:48.43ID:+YLqUma+
苦労してわたしがさとりを得たことを、
今説く必要があろうか、
貪りと憎しみにとりつかれた人々が、
この真理をさとることは容易ではない。
これは世の流れに逆らい、微妙であり、
深遠で見がたく、微細であるから、
欲を貪り闇黒に覆われた人々には見ることができないのだ。
 
釈尊がこのように省察しておられるときに、何もしたくない
という気持ちに心が傾いて、説法しようとは思われなかった。
0417神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 06:04:53.93ID:+YLqUma+
そのとき釈尊は梵天の懇請を受け、生きとし生ける者へのあわれみ
によって、さとった人の眼によって世の中を観察された。・・・
見終わってから、世界の主・梵天に詩句をもって呼びかけられた。
 
耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
おのが信仰を捨てよ。
 
梵天よ、人々を害するであろうかと思って、
わたくしはいみじくも絶妙なる真理を人々には説かなかったのだ。
 
(中村元訳『サンユッタ・ニカーヤU』第Y篇梵天に関する集成より) 
0418神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 10:44:15.76ID:HfwTnPQd
>>414
ageてくれるだけでも良くね?w 👴
0419神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/21(火) 11:28:46.48ID:RWHcYyv8
>>1
医学的な検証もされた具体的な臨死体験と言えば、
特に下記のHPの後半で紹介した「喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)」という世界45か国でベストセラー・高評価になっている本は、
ある女性が4年に渡りガンで苦しみ→末期ガン→昏睡状態→臨死体験→数日で完治、という世界でも珍しい例ですが、
末期ガンが完治した事のみでなく、死・死後の状態・世界を正確に知らせてくれた事で、
正に万人に(医学や科学を超えた)救済を与えてくれたことです。
このような素晴らしい救済本が意外と日本ではマイナーなのは本当に勿体ないことだと思います。

万人に対して、「魂は不死であること」を「医学的な奇跡・検証」で証明してくれた本です。
この紹介HPは、もちろん無料です。
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
0420神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/26(日) 18:13:22.37ID:nxq7XpaU
残された良心 〜 その起源はいったい何か?
 
良心はどこに残されているかと言えば、
人間の判断基準の中に残されている。 → 真偽、善悪、美醜など
真とか善とか美とかを選ぶことが良心ということになる。
 
真善美は「神」に由来している。
やはり神に由来する人間の「霊魂」がそれを良いものと感じ認識する。
これに対して偽悪醜は「物質」に由来する。
0422神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/27(月) 13:44:00.61ID:1UjnV0cL
良心の強弱は → 夜の夢で判定する
 
荒唐無稽な夢に翻弄されているうちは未熟である。
自分の行動により、夢の内容を転換できれば強固なものである。
夢という、無意識の状態の中で「良心」を貫くのだから。
0423神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/27(月) 14:02:01.39ID:1UjnV0cL
夢は念ひの発動する所なれば、聖人も深く心を用るなり。
周公の徳を慕ふ一念旦暮止まず、夢に発する程に厚からんことを
希ふなるべし。夢寐の中、我の胆動揺せざれば、必驚懼の夢を
発すべからず。 by 西郷南洲遺訓 補遺二
0424神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/27(月) 14:45:58.73ID:1UjnV0cL
坐禅は危険だ! 〜 死ぬ可能性がある
  
坐禅という行法は、夢を転換できる程の能力がないと危険だ。
魔境しかり、想受滅の後の霊魂状態しかり。
 
非想非非想処の次に魔境に入るが、この時、その場に応じた適切な
行動ができないと、二度と坐禅できないような恐ろしい体験をするか、
あるいは発狂してしまうことだろう。
 
かりに霊魂状態に達しても、坐禅中の身体に戻れなくなる。
爽快で清浄な世界を猛スピードで走る霊魂は、その世界に満足し、
まったく反省しない。→ 霊魂には反省という機能がない!
そのため、そのまま何日も走り続け、やがて身体の方が死んでしまう。
0425神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/27(月) 15:23:06.65ID:1UjnV0cL
<坐禅を急がない> 
神霊体験(神との出会い)→霊魂体験(自分との出会い)が順序
 
@ 集団の坐禅なら心配ない。→ しかし非想非非想処も怪しい
A 半眼で、仄明るい場所で、一人坐る。→ 非想非非想処が上限
B 神霊体験によって心眼が開いてから坐る。→ 霊魂体験も可
ーー 心眼が開く・・・夢の内容を意識的に転換できる。
0427神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/28(火) 12:37:54.79ID:DC/Puzzd
>>426
記憶に無いか意識に上がらないだけかと - -;
0428神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/01(土) 18:23:30.48ID:zj5ndLsK
釈尊は、想受滅(滅尽定)を体験している!
スッタニパータ 1071-1072
 
ウパシーヴァさんがいった。
「あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のもの
を捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、ーーかれは
退きあともどりすることなく、そこに安住するでありましょうか?」
 
師は答えた、「ウパシーヴァよ、あらゆる欲望に対する貪りを離れ、
無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>
において解脱した人、ーーかれは退きあともどりすることなく、
そこに安住するであろう。」
0429神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/01(土) 20:04:21.71ID:zj5ndLsK
釈尊は想受滅から地上に生還している!
だから想受滅について語れるのだ。
  
坐禅をして想受滅に入ると、認識対象が完全に消えてしまうため、
そのまま想受滅から脱出できずに死ぬと言われる。
それにも関わらず、釈尊は想受滅から脱出して地上に生還している。
 
わたしの場合は、想受滅→霊魂体験→白い霧の世界を走る→
その世界に地上のマナ識が疑問を感じる→その疑問が雷のように轟く
→霊魂が急停止→マナ識に意識が戻る→明星(満月)来影す。
 
釈尊の場合も似たような経過だったのかもしれない。
霊魂体験の前に、神霊体験をして置けば生還できることだろう。
神を信じきって、神に自分を委ねきるのが一番よい。 
0430神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/01(土) 20:47:23.60ID:zj5ndLsK
空海は「求聞持法」で霊魂体験をしたと思われる。
ーー 谷響きを惜しまず、明星来影す 『三教指帰』
 
臨済宗の夢窓国師も霊魂体験をしているかもしれない。
宮中で行われた、禅宗側と旧仏教側との宗論で、
「如何なるか。これ教外別伝の禅」と問われ、
「八角磨盤空裏に走る」と答えている。
ーー 出典 碧巌録四十七則「雲門六不収」の著語 圜悟克勤の作
ーー 圜悟克勤(えんごこくきん)は碧巌録の編者 ← 霊魂体験者かも
 
大乗仏教は教義上、霊魂を認めないので記録が残っていない。
想受滅をしないと霊魂体験できないが、
基本、生きて地上に戻れないので記録に残らないのかもしれない。 
0431神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/01(土) 23:33:19.71ID:ynO4NkGl
一瞬死んで魂が抜けた、その魂を見た。
そんな感じでしたね。
0432神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/03(月) 08:21:02.56ID:vTWNBqgB
普通 横たわっている自分を見るが
「魂を見た」は初めて
0433神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/04(火) 18:20:33.78ID:eQqFuXuH
悟るには二つの体験が欠かせない。
二つあること、これが悟りを難しくし、悟りの話を難しくする。
 
神との出会い → 自分との出会い
あるいは、神霊体験(命の雫) → 霊魂体験(満月)
 
釈尊 〜 甘露(不死)の門 → 坐禅修行における想受滅(満月?)
ーー 梵天勧請 >>415-417 想受滅 >>428
ーー 梵天懇請より、梵天勧請が一般的なので訂正する。 
 
十牛図 〜 第三図 見性(牛) → 第八図 人牛俱忘(満月)
空海 〜 (欠落) → 霊魂体験(明星来影す)
夢窓国師 〜 (欠落?) → 霊魂体験(満月?)  
0434神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/04(火) 21:10:12.20ID:eQqFuXuH
霊魂体験は、満月なのか、明星(金星)なのか?
 
南伝仏教は、釈尊の誕生日・成道日・入滅日をすべて「満月」にする。
おそらく釈尊の悟り内容に基づいた伝承ではなかろうか。
  
北伝仏教は、釈尊は実際の「明星」を見て大悟したと説く。
しかし、釈尊が想受滅に入れば、肉眼で夜空を見るのは不可能である。
空海の場合も同様、そのうえ求聞持法は岩屋内での行法だから、
実際の「明星」とは無関係だったと考えなければならない。
 
わたしの場合、昼間、真っ暗にした空間で霊魂体験をしている。
もちろん「明星」ではないが、その大きさから「満月」のように見えた。
わたしに体験できたのに、釈尊に体験できないわけがない。
 
ーー 結論。釈尊は「満月」、すなわち霊魂体験をした。
ーー 明星の話は、異教に影響された作り話なのかもしれない。
0435神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/05(水) 08:55:53.12ID:w8fdCuij
釈尊の悟りを「明星」にする経典もある。← たぶん偽経
中国に伝わった最古の仏伝『修行生起経』には、「明星が出た時、
釈迦は確然として大悟した。」とあるらしい。
 
空海の「明星来影す」の「明星」はいったい何だろう?
本当は「満月」だが、本当のことを書くとマネをする偽者が登場する。
そこで、それを見破るためのフェイクである可能性が高い。
 
碧巌録 四十七則 〜 公案 >>430 参照
僧雲門に問う、「如何なるか、これ法身」
門伝く、「六不収」  → (意味) 六根六識には収まらない
ーー 著語(短評) 八角磨盤、空裏に走る ← 霊魂のことだろう!
0437神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/06(木) 18:42:15.04ID:BIer1+le
>>430 の訂正
夢窓国師と大燈国師を混同しました。m(__)m
わたしが読んだのは夢窓国師の『夢中問答』であり、
禅宗と旧仏教との宗論ではなく、天皇と夢想との対話でした。
そこでは、「如何なるか、典外の法」「八角磨盤空裏を走る」だった
かと思う。手元に本がなく、変だなと思いつつ間違えました。
 
0438神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/06(木) 20:48:38.92ID:BIer1+le
<公案禅はやったことがない> 
わたしは、自分の何が悪いのか、人間は何で生きているのか、
をテーマに10歳から20年間、ひどい苦労をしている。
その甲斐あって、30歳の時に神秘的な体験をすることができた。
  
・唯物弁証法 + フロイト心理学 → 神との出会い、神霊体験
・数息観による坐禅 → 想受滅 → 自分との出会い、霊魂体験

わたしが自らに課したテーマは、これを解かない限り、前に進めないと
思っていたから、諦めることなく、執拗に追求できたのだろう。
それにしても、宗教知識がないのに、釈尊の縁起の理法と苦集滅道を
実践し、神霊体験をやったことになる。
 
逆に言えば、釈尊の教えが宗教と無縁の合理的なものだからこそ、
結果として釈尊の教えに合致したのかもしれない。
0439神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/06(木) 21:25:07.08ID:BIer1+le
・隻手の声を聞いてこい ・犬に仏性有りや無しや
・父母未生以前の本来の面目を見てこい ・・・ などなど 
 
公案禅の問題は、
公案がその人にとって切実な問題にならないことだろう。
その人の苦と離れたら、釈尊が教えた苦集滅道の出る幕がない。
縁起の理法もまったく無用だ。
これでは釈尊の教えがまったく役に立たないではないか。^^
 
かりに公案禅を認めるにしても、
それは十牛図での第三図 見牛(神霊体験)を対象とするのであり、
第八図 人牛俱忘(霊魂体験)ではないのではないかと。
0440神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/07(金) 06:51:11.09ID:8PalxAnO
それとも公案禅は、いきなりの霊魂体験をめざしているのか?
 
坐禅をしながら公案に没頭、ひたすら考え続ける ・・・ 
答えのない公案を考え続けるうちに → 想受滅に入ってしまう。
そして霊魂体験(満月)をしてしまう。<解けた!!!> 
という思いが、白い霧の世界に雷のように轟き、地上に生還する。 
 
これだと夢窓国師のような、神霊体験なしの霊魂体験になる。
禅者にとっては、この霊魂体験が強烈な自信になるのかもしれない。
求聞持法の空海と似たような体験だとも言える。
0442神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/08(土) 15:11:23.07ID:hHKlZzCa
五蘊とは仏教において、人間の肉体と精神を五つの集まりに
分けて示したもの。→ 色・受・想・行・識
 
色 〜 物質的存在 ← 触れる → 受想行識の発生
受 〜 感情 〜 感受作用
想 〜 知覚 〜 表象作用
行 〜 意志 〜 志向作用
識 〜 意識 〜 認識作用 ← 「わたし」という主体の働き 
0443神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/08(土) 15:52:27.75ID:hHKlZzCa
坐禅の目的は、意識の正体を追及し、発見することにある。
意識は物質ではないので、坐禅以外の方法では発見できない。
 
坐禅を重ねると、意識は次の四つの層に区別できる。
日常意識 〜 目覚めている時の意識。
マナ識 〜 寝ている時、夢の中に現れる自分の意識。
アラヤ識 〜 坐禅中の魔境に現われる、過去世の、沈黙の意識。
霊魂(アートマン) 〜 究極の「わたし」。これが意識の正体。  
0444神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/08(土) 16:41:00.74ID:hHKlZzCa
五蘊仮和合説 〜 個々の事物は、因縁によって五蘊が仮に集まって
できたもの。従って、我として執著するような実体は無い。
仏教における無我説の根拠のひとつ。三法印(諸法無我)。

五蘊仮和合説の誤り
@ 「わたし」という意識は、識にのみ存在し、五蘊の仮和合は不要。
A 坐禅体験がなく、意識が四重構造であることに無知。
B 五蘊仮和合説〜BC2世紀後半の「ミリンダ王の問い」に出てくる。
0445神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/09(日) 11:02:39.22ID:79Z9D4j5
ミリンダ王の問いに、車のたとえ話が出てくる。
 
車を分解して部分に解体したら、いったいどこに車があるのか。
車という実体などないではないかと。
 
この話のトリックは、車を造った人、車を解体した人のことを除外する
ところにある。その人が実体なのに。
 
五蘊の場合も同じ。色受想行識の「識」に実体がある。
それなのに、その「識」を頭から「空」にするところにトリックがある。
0446ポッタン師
垢版 |
2018/09/09(日) 11:11:43.46ID:/zZj6n+Q
445.意識、は人間存在である。
それを否定したものとは何か。そこが問題である。宗教の誕生である。
0447神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/09(日) 16:40:33.30ID:79Z9D4j5
「般若心経」は空や無を説いている。
たぶん中国の偽経なのだろう。
この経は、日蓮宗、浄土真宗以外で現在使用中。
  
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。・・・・・
 
>>446
何だと思いますか?
0448神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 17:27:10.66ID:ZsqkSJV7
世親(200-300頃)の『唯識三十頌』
すべての事物は、心が作り出した表象に過ぎない、という主張は、
世親の死後も事物が存在したことによって否定される。
ーー これで唯識を否定したことになると思うが、どうだろうか。
 
そこで唯識から借用した用語や意味などを整理しながら、
意識の四重構造を定義し直したいと思う。
 
・日常意識 → 変更なし(欲望をここに入れる)
・マナ識 → 「無意識」(夢や魔境における識、本能をここに入れる)
ーー 無意識がカルマ識に執着するのは唯識説と同じ
・アラヤ識 → 「カルマ(業)識」・・・過去世が異熟したもの
・霊魂 → 変更なし 
0449神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 18:05:01.31ID:ZsqkSJV7
相互の関係は、霊魂を中心にした四個の同心円になる。
イメージとしては、小さな円を大きな円が包み、覆っている。
(日常意識(無意識(カルマ識(霊魂)カルマ識)無意識)日常意識)
 
この関係から言えば、霊魂自体は清浄そのものだが、
過去世の汚れた識であるカルマ識が覆い尽くしていることになる。
従って、このカルマ識を捨てることができれば解脱する。
 
カルマ識を捨てると想受滅に入り、霊魂体験をする。
解脱後の意識構造は、霊魂→心眼の開いた無意識→日常意識に
なって非常に鋭いが、2〜3週間もすればかなり鈍くなる。^^
0450神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 18:27:39.42ID:ZsqkSJV7
わたしの印象から言えば、
カルマ識(アラヤ識)は過去世で解脱できなかった識であり、
汚れた識にしか見えなかった。だから、自分だとわかった瞬間に
見捨てることもできた。でも善か悪かは不明。有覆無記。
 
無意識(マナ識)は、解脱前はカルマ識に執着しているから、
カルマ識の汚れに影響されて汚れに覆われる。
しかし、解脱後はカルマ識がなくなり、清浄な霊魂に執着するから
汚れも消える。そういう意味では、無意識は執着するものに影響され、
その本体は汚れてないのかもしれない。無覆無記。
0451神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/10(月) 20:58:33.72ID:wxfX/Rbf
識か
死ぬ前の楽しみとしてとっておこう

生きてるうちは、普通の識でいよう
得体の知れないものにつきまとわれたくないんで
0452神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 09:24:58.27ID:qEUR5bLH
マナ識 → 「無意識」より「潜在意識」の方が意味的にピッタリする。
そこで早速だが、「潜在意識」に変更したいと思う。
 
★ カルマ識を見捨てると想受滅に入る
その理由は、潜在意識はカルマ識に依存するだけでなく、カルマ識に
包まれ、覆われている霊魂にも依存している。そのため、カルマ識を
見捨てたら、同時に霊魂も見捨てることになり、その結果として、
潜在意識の存立基盤が完全に失われるからである。
 
ーー 霊魂は神に依存し、神が人間の、最終的な存立基盤である。
ーー だからこそ、神霊体験 → 霊魂体験の順序になる。
ーー 想受滅自体、神イーシュバラへの絶対帰依によって成功する。
0453神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 10:01:53.95ID:qEUR5bLH
坐禅中に天使を見たことがあるが、天使は霊界生き通しの存在であり、
そのため過去世がなくカルマ識を持たない。それゆえ、
天使の精神構造は、霊魂 → 潜在意識 → 日常意識になっている。
 
人間を始めとする生き物は、霊界から地上にやって来たのだから、
その精神構造の基本は天使と同じでなくてはならない。
地上生活をするようになって、カルマ識が誕生したと考えられる。
・天使の構造 霊魂 → 潜在意識 → 日常意識
・人間の構造 霊魂 → カルマ識 → 潜在意識 → 日常意識
 
この由来が、カルマ識が有覆無記、潜在意識が無覆無記の理由だ。
潜在意識(マナ識)の方が、カルマ識(アラヤ識)より清浄になる。
ーー 命が地上に根付くには、カルマ識の方が重要である。
ーー それでいて、解脱の可能性が最初から用意されている。
ーー 利己的なカルマ識が固定されていたら、人間は確実に滅亡する。
0454神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 10:34:59.89ID:qEUR5bLH
悟ると欲望(食欲・性欲)がなくなる? そんなことはないw
カルマ識を落としても、潜在意識に本能があれば問題ない。
それに、生活していると再びカルマ識が芽吹いてしまう。^^
悟後の修行が欠かせない理由でもある。
 
もうひとつ重要なお知らせがある。
キリスト教の悪魔の正体は → 人間だった、ということ。
霊界生き通しの天使は、物質的な欲望がゼロだから、
悪魔になりたくも悪魔になりようがない。
昔から今に至るまで、悪事を働いて来たのは人間だけだ。
 
キリスト教徒は、自分の悪事を悪魔のせいにし、
悪事を働いてはならない。
0455神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 11:46:29.72ID:I+K7GOB1
「潜在意識」に変更したいと思う。 ← 「背後(メタ)意識」ならもっと良いw 🙋
0456神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 11:56:41.64ID:97XnYwo3
キリスト教徒は悪魔の正体は悪欲だと知っとるわ!(笑)
0457神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 18:00:02.18ID:qEUR5bLH
>>455
ぜひ採用させてください。
マナ識は一義的でなく、幅のある名前の方がベターですね。
   
日常意識 → 「背後意識」 → カルマ識 → 霊魂 
0458神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/11(火) 18:47:31.30ID:qEUR5bLH
さて天使が登場したので、ついでに天使の話にも触れよう。
 
わたしは坐禅中、龍神様に出会ったことがある。
非想非非想処を超えた、魔境という世界での出来事である。
 
龍神様はわたしを乗せ、三途の川に沿った形で、
そのはるか上空に停止した。わたしは向こう岸の草原に魅かれ、
行きたくてたまらず、行け行けと龍神様に言っている。
しかし龍神様はピタリと停止、微動もしない。何で行かないのだと
じれったくなると禅定が緩み、乗ったままで坐禅が終了した。
 
それが何だったのか。ずいぶん考えて来たが、最近、
龍神様と出会ったのは、「梵天」のいる場所であることを知った。
もしかすると「梵天」だったのかもしれない。
0459神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/12(水) 10:57:02.83ID:pMtho3k4
背後意識・カルマ識・霊魂  ← 爺的には区分け定義不可の不明世界領域 🙎; 
0460神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 17:53:28.39ID:PXFCPnJF
梵天を理解するための予備知識
  
仏教は、宇宙を器世間(自然界)と有情世間(生物界)に区別する。
有情世間は、下は無間地獄から上は非想非非想処に至るまで、
さまざまな生存状態で存在する。
 
この有情世間に、欲界(貪欲に束縛された世界) → 
色界(清らかな物質からできた世界) → 無色界(ただ精神的なもの
のみが存在する世界)がある。
 
欲界 → 地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天(六欲天がある)
色界 → 深まりゆく禅境を天(十六の天)に喩える。初禅〜第四禅
無色界 → 禅定が四つあり、その頂点が非想非非想処である。
0461神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 18:41:49.30ID:PXFCPnJF
梵天は色界の初禅天に登場する。 
初禅天の下から、梵衆天・梵輔天・大梵天になる。
大梵天が自在神イーシュバラであり、ヒンドゥー教のシヴァ神である。
そして宇宙の創造神、ブラフマンでもある。
 
梵天は欲界(貪欲に束縛された世界)を超えてはいるが、
色界(清らかな物質からできた世界)の最初に登場する生物である。
坐禅を開始すると初禅に現われる。
ただし、初禅から第四禅までは観禅であり、止禅(サマタ)ではない。
ーー 参考文献、三枝著『世親』講談社学術文庫

観禅(瞑想禅)であるところがミソ。
頭の中だけで、梵天との会話が可能かもしれない。
ーー 空想なのか真実なのか、はっきりしない。
0462神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 19:26:10.71ID:PXFCPnJF
わたしの場合は、数息観の止禅(サマタ)だけで非想非非想処に到達。
色界の四禅も、無色界の三定も知らず、まったく省略した。
そして、非想非非想処から魔境に入り、ここで龍神様に会っている。
 
わたしが見た世界は、清らかな物質からできた世界だったから、
そこは色界になるのだろう。しかし、非想非非想処を超えているから、
無色界でもなく、この世の世界ではないことになる。
ではどこなんだろう? たぶん「霊界」ということになるのだろう。
 
うーん、梵天が龍神様である可能性を探ってみたが違うようである。
しかし、霊界生き通しの天使であることはまちがいない。
天使には愛らしいイメージがあるのに、巨大な龍神様が天使とは!
ーー ヨブ記に出てくるレビヤタンが天使だったんだね。TT
0463神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 07:32:11.24ID:4kP86yFW
では梵天とは何だろうか。
梵天は、欲界を超えた色界の最初の初禅天を居場所にしている。
色界は観禅(瞑想禅)の世界である。ということは・・・
 
わたしの最初の神秘体験は神との出会いである。
その時、あることをテーマに脳みそを絞るようにして考えていた。
そしたらその謎が解け、命の雫が一滴、頭の中に落ちて来た。
今思えば、集中して考えていたので自然と瞑想状態に入ったのだろう。
 
この体験なら、梵天が自在神イーシュバラ、ヒンドゥー教のブラフマン
などであることも理解できる。・・・ 梵天が神と言うことになる。
0464神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 08:15:56.19ID:4kP86yFW
しかしこれだと、梵天勧請の梵天にイメージが重ならない。
梵天は釈尊に、教えを説いてくださいと合掌・敬礼して頼んでいる。
神なら自分でやればいいのに。それとも神ではないのか。
 
ーー そこまで言うなら、やってやろうじゃないか。 
釈尊は梵天に、「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。」
と呼びかける。by サンユッタニカーヤU、第W篇
 
ここの梵天のイメージは、行け行けと言っても三途の川の上で
ピタリと停止した龍神様のイメージに近い。
経典や諭書などでは、イメージが混乱している可能性も考えられる。
 
体験的に整理すると、
色界「初禅天」の梵天 → 神のごとき存在、命の雫
梵天勧請の梵天 → 龍神様
0465神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 11:31:39.09ID:Bipt/94Z
たとえば 放射線とかは汚い物質なん? - -;
0466神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 11:34:30.79ID:Bipt/94Z
汚い物質は汚い心を育てるとか? - -;
0467神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 14:37:31.27ID:4kP86yFW
>>465 汚いですね。
>>466 汚い心が汚い物質を育てます。
 
神霊体験をした直後、大地のオーラが見えたよ。
太陽光線はまぶしかったのに、それよりも厳かで穏やかな光が
大地や建物を覆っていた。
それは透明だったが、明らかに太陽光線が背景に退いていた。
 
えっと思って改めて見直すと、道行く人の周囲は逆にへこんでいた。
ただし、気にしないでいたら、いつの間にやら見えなくなった。
0468神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 15:18:16.66ID:4kP86yFW
🐍 と 🐉
蛇はかっては崇拝されていた、という説がある。
  
蛇は、地上を這い、水中を泳ぎ、樹木を登り、木から木へと飛ぶ。
小さな穴があればどこまでもしつこく追いかけ、
毒牙で相手を倒し、丸呑みにし、その後何日も食べないでいられる。
雌雄の性交も身体をシメ縄のようにエネルギッシュに絡ませる。
その上さらに、神秘的な脱皮までやっている。
 
人間は蛇を忌み嫌い、恐れながらも、
食と性に特化した姿や生き方や、蛇の生命力に畏れの念を抱く。
しかし、蛇に愛情を抱くのではなく、敬して遠ざけていたのではないか。
興味は抱くが、愛情をもって信仰していたわけではないだろう。
0469神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 15:46:48.35ID:4kP86yFW
🐍 と 🐉
東洋には古くから龍神信仰がある。
 
龍神様は、蛇をベースにした想像の産物だという説が主流か。
実際に見たことがなければ当然である。
 
しかし、坐禅の中で龍神様に会えるとしたらどうだろう。
坐禅の伝統がある東洋では、龍神様を見た人が少なからずいた、
とすれば、龍神信仰が東洋にあっても不思議ではない。
 
釈尊をコブラの集団が護っている石像もある。
これなんかは、蛇信仰であって龍神信仰ではないだろう。
0470神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 16:03:24.78ID:7fmDqTxL
臨死では酸欠の妄想に過ぎん
せめて脳死でも体験して来い
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