■■■臨死体験■■■

1神も仏も名無しさん2018/04/30(月) 19:24:42.63ID:Niy6fbCF
これって、何なの?

580神も仏も名無しさん2018/10/26(金) 14:00:51.19ID:KA2lKs+t
神への道と輪廻への道
  
人生を苦だと感じる人へは、神への道が用意されている。
狭い道だが、あきらめずに探せば、神も霊魂も見つけることができる。
神が命であると知れば、小さな命でも大切にするだろう。
命を大切にすれば、宗教の戒めなど自然に守れるようになる。
 
人生を楽しみ、欲望を優先させて生きる人へは、
輪廻への道が用意されている。輪廻の道は広々としているが、
神を否定する人に対する神の落とし穴である。
輪廻の恐さを知れば、悪いことを自然に控えるようになるだろう。
 
人生は苦 → 神(命)や霊魂への道
人生は楽、欲望優先 → 輪廻への道、畜生への道

581神も仏も名無しさん2018/10/27(土) 08:07:35.26ID:LWAjncpF
神(命)は地上を目指している
 
神は、荒涼とした大地を命の楽園にしたいのである。
それが神の意志だから、人間は神の意志を自分のものとし、
神の戦士にならなければならない。
 
神が地上を目指している証拠は、
人間の感覚や器官が外の世界を対象にしていることにある。
それらは、外の世界に向かって生きろ、と指示している。
 
それ以外の意識や精神は、問題が生じた時の非常用である。
ーー 苦とは非常ベルのようなものだ。^^

582ポッタン師2018/10/27(土) 11:39:00.22ID:L1D5J/GP
581.それは迷信である。バカ丸出し、である。大爆笑である。

583神も仏も名無しさん2018/10/27(土) 13:34:28.28ID:f+WNuCLf
爺の身体の9割以上は過去に近所のスーパーで売られていたものだが
誰もその様に爺を認識しないのは 爺の意識・生命主体が存在するからw 👴

584神も仏も名無しさん2018/10/28(日) 08:16:09.48ID:zOfbjfiY
>>583
そう言われてみれば、なるほどーですね〜
ユニークな発想に笑いました。^^

585神も仏も名無しさん2018/10/28(日) 09:25:29.04ID:zOfbjfiY
釈尊の教えは厭世的だと言われている。それは確かにあるが、
インドの四住期に関係するのではないだろうか。
カーストのシュードラを除く上位三つは、子孫を作れば出家して遊行、
解脱を目指すことになる。孤独な老人の乞食生活である。
 
そんな状況だから、想受滅で死ぬのは望む所ではなかったか。
病院も老人ホームもないから、まだ動けるうちに死にたい。
日本風に言えば、老人が雪山に昇って凍死するようなものである。
 
彼らは、解脱し、安らかに死ぬことだけを目的にしている。
魔境や想受滅の危険性など何も教える必要がなかったのだろう。
そんなことから、仏教はどうしても厭世的にならざるを得ない。
お年寄り向きの宗教だと言えるかもしれない。

586神も仏も名無しさん2018/10/29(月) 10:23:41.77ID:K2GBnqXq
人間が「輪廻」する可能性は限りなく大きい。 
ーー 霊魂が不滅ならば、霊魂の行き先がなければならない。
  
行き先としては、スピ系の霊界通信が語る「霊界」がまず考えられる。
ーー これは昔から、黄泉の国として語られてきたものである。
ーー 霊界の存在は、死霊を実際に見た人々にとっては事実である。
  
想受滅から霊魂体験をすれば、「霊魂の墓場」にも気がつくだろう。
ーー ここに落ちると、想受滅状態で死んだように永遠に生きる。
 
霊界の死霊のうち、物質への執着が強い霊は物質界へと「輪廻」する。
ーー 輪廻については、古代エジプトでも古代インドでも信仰されている。
ーー 最近では、前世を記憶する子供たちも見つかっている。
 
もはや「輪廻」を認めない宗教は完全に破綻している。
悪いことを考え、悪いことをやっている悪人たちの宗教なのである。

587ポッタン師2018/10/29(月) 11:29:12.60ID:EEAzm6ZX
586.バカ丸出し、である。大爆笑である。

588神も仏も名無しさん2018/10/29(月) 14:00:38.59ID:hHvjGW1W
>>584  思いのほかウケて良かったばぃ 😄 w

589神も仏も名無しさん2018/10/29(月) 14:41:40.97ID:hHvjGW1W
爺の身体のほとんど全てが
過去に近所のスーパーで売られていたものだが
自他共にその様に認識しないのは
爺の意識生命主体が存在するからである 😄

590神も仏も名無しさん2018/10/29(月) 18:01:00.99ID:K2GBnqXq
>>589
傑作ですねー。吹きそうになるので要注意。
口の中に、飲み物・食べ物が入っていると悲惨なり。TT

591神も仏も名無しさん2018/10/29(月) 18:59:22.94ID:K2GBnqXq
無や無我の思想は根本的に誤っている
 
この宇宙はビッグバンによって誕生した。
「無」が物質と反物質に爆発分離することで、物質が宇宙になり、
反物質は次元を移動させて「命」となり、「神」になった。
 
これが宇宙の始まりだから、「無」はどこにも存在しない。
人間は常に「有」の世界を生きているのである。
世界は常に変化しているから、「無」ではないかと思うのも当然だが、
常住なるものが、物質を超えたところを貫いている。
命や霊魂や意識は常住であり、宇宙が消滅しない限り「有」である。
 
人間は「霊魂」であり、神でもなく物質でもない。
それは「中道」であり、「無」ではなく「有」なる存在である。

592神も仏も名無しさん2018/10/31(水) 10:30:43.96ID:Ht4QF9R4
☆彡 霊魂の墓場は → 霊魂誕生の場所かもしれない ☆彡
 
我々はどこから来たのか 
我々は何者か
我々はどこへ行くのか  by ゴーギャン

593神も仏も名無しさん2018/10/31(水) 12:02:37.65ID:Ht4QF9R4
イエスとニコデモ 〜 ヨハ3:3-8
 
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
「誰でも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」
「あなたがたは新たに生まれねばならない。」
 
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

594神も仏も名無しさん2018/10/31(水) 15:47:49.20ID:EDDXKThi

595神も仏も名無しさん2018/11/01(木) 13:44:50.17ID:RUnliawb
ゴーギャンの問い >>592 → 想受滅から霊魂体験をすれば解決する。
ーー この問い自体は、グノーシスに起源ありという説もあり。
 
イエスとニコデモ >>593 → これは聖霊体験の話になるのだろう。
ーー 水と霊。水は悔い改め、霊は聖霊を意味する。
 
霊魂が見た霧の世界は、ライプニッツのモナド説に近いかもしれない。
ーー ウィキを流し読みした程度なので確かなことは言えないが。

596神も仏も名無しさん2018/11/02(金) 09:24:19.27ID:DUXGpucg
宗教の功罪
 
完全なる宗教はない。どんな宗教も真理と虚偽の混ぜ物である。
仏教もキリスト教もユダヤ教もイスラム教もそうである。
 
そんな宗教がいったん信者を増やして社会的勢力になると、
その宗教は組織化され、教団を導くリーダーばかりでなく、
政治家や学者やマスコミなども巻き込んで活動するようになる。
こうなると教義や組織が硬直化、簡単には修正できなくなる。
 
なぜなら、何かを変えようとすると、それに反対する利害関係者に
潰される恐れがあるからである。その宗教で地位や金銭を得、
それで食べている以上、その宗教に反対できない道理ではないか。
 
その結果、いくら批判されても簡単には誤りを訂正できなくなる。
これが功罪のうちの罪を産み続けている。

597神も仏も名無しさん2018/11/02(金) 12:21:27.42ID:65nmBvSU
>>555根源人種には 第1から第7まであるが、

何の根拠があってこんなデマ言うんだ?見て来た様なうそを書くな
この考え方降伏あたりが言っているデマの亜種だろ

598神も仏も名無しさん2018/11/03(土) 07:33:57.80ID:h4MIgo7q
信仰をやめよ 〜 自灯明法灯明
 
自分で体験したことはウソをつかない。
謎の果物Xを食べたことがある人は、Xを知った者になる。
 
ところが信仰は違う。
信仰とはだれかの言葉を信仰するわけだから、
それが真実かウソかは明確ではない。
言葉はウソも語るからだ。
  
だまされてからでは遅い。即刻、信仰をやめよ。
信仰をやめることが悟りへの第一歩だ。

599神も仏も名無しさん2018/11/03(土) 13:09:33.90ID:h4MIgo7q
二大宗教の根本的欠陥を指摘しよう
 
キリスト教 〜 人間にはもともと原罪などない。
それなのに、原罪ありと妄想するところに根本的欠陥がある。
天使のような赤子を罪人にするなんて頭がおかしい。
本当にそう思うなら、子供を作らないのがスジではないか。
そうすればキリスト教は自然に滅びてしまう。(^^♪
  
空や無我を説く仏教 〜 人間の究極は空や無我ではない。
いったいどこのだれが、それを確認したのか。
確認できたら、空や無我ではないことになる。
念のために言うが、竜樹の『中論』は詭弁だから証拠にならない。
空に基づく大乗も上座部もチベットも全滅、空になる。(^^♪

600神も仏も名無しさん2018/11/04(日) 07:10:07.22ID:bhZ3CObQ
終わりの日がやって来る
   
キリスト教徒は、終わりの日を待ち望んでいる。
その日、神とイエスの裁きが行われ、人類が滅び、地球が滅び、
自分たちの天国が出現することを夢見て疑わない。
かれらには人類破滅願望がある。
 
かたや仏教徒は、空や無我を信じ、
人類や地球が滅びようがどうしようが、どうでもいい。
 
いまや人類の将来は風前の灯ではないか。
キリスト教徒の罪は重い。天国どころか地獄に落ちるだろう。
その罪を問われたくなければ、何をなすべきだろうか。
すぐにキリスト教から遠ざかったほうがよい。

601神も仏も名無しさん2018/11/04(日) 14:34:43.18ID:bhZ3CObQ
聖書自体に原罪を否定している個所があったwww ^^
  
子供を祝福する 〜 マタイ19:14
イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来る
のを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
 
各人の責任 〜 エゼキエル書18:20
子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。
正しい人の正しさはその人だけのものであり、
悪人の悪もその人だけのものである。

602神も仏も名無しさん2018/11/04(日) 16:18:14.77ID:KOqk5FTH
時間機序 空間機序 可能機序 法則機序
摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序

↗ これら 不可知体が 現象基本原理だから
神秘領域を否定する論理は存在し得ない 🙋

603神も仏も名無しさん2018/11/05(月) 08:33:09.06ID:vCndpiwU
人間は、愛される側から→愛する側へと成長しなければならない。
子供時代は愛される側でよい。そうでなければ育たない。
しかし、思春期にもなれば、愛する側に成長する必要性が出てくる。
子供時代とは正反対の役割が要求されるのである。
この転換は、人間だけでなく、あらゆる動物の宿命でもある。
この転換がスムーズならば、まずは順調に社会適応したと言える。
 
そうでなければ、自分と社会との間にズレが生じ、そのズレに悩む。
これは人間存在における本質的な問題である。
愛する側にならなければ、社会の一員になれないのだから。
人間の苦悩は、究極的には愛の問題しかない。
生か死か、それが問題なのだ。(^−^)

604神も仏も名無しさん2018/11/05(月) 13:55:15.50ID:WiSIFuWC
極一部にウケてる様なのでもう一度 🙋 w

爺の身体を構成する素粒子群の殆どが
過去に近所のスーパーで売られていたものだが
自他共にそんな気がしないのは
爺の「意識生命主体」が存在するから 🙏

605神も仏も名無しさん2018/11/05(月) 18:05:01.57ID:vCndpiwU
>>604
読むたびに、それはないだろ〜 おいおい^^と思うのですが、
そこがおもしろいですねえ。

606神も仏も名無しさん2018/11/05(月) 18:30:26.84ID:vCndpiwU
人間にとって究極の問題が愛であるなら、
愛とは何かを徹底的に考え抜くべきではないだろうか。
 
愛を考えるのは愛の欠落を意識するからであり、
愛を探すこととイコールでもある。
 
その問題意識を「自分の何が悪いのか」と問うことは、
手袋をひっくり返したような問いかけになる。
愛を自分自身の問題として一層引き付けることになる。
わたしが成功したのは、このひっくり返しにあるかもしれない。

607神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 08:52:32.80ID:dZvm34hQ
☆彡 自分の何が悪いのか ☆彡
 
キリスト教で言えば「原罪」を考えることになる。
しかしそれは、「原罪」ではなく、「神の衣」創3:21なのである。
神が用意した子供用の衣、すなわち体の殻・心の殻である。
 
生き物の子供はすべて、神に守られてこの世に誕生する。
そして体が成長し、体の殻が破れた時が、心の殻も破られる時なのだ。
愛される側から→愛する側に巣立たなければならない。
 
この巣立ちがうまく行かない人は苦しむことになる。
どうしたらいいかと探しても、間違った教えがまん延しているから、
どこを探しても答えは見つからない。自分で考えるしかない。
その糸口が、「自分の何が悪いのか」という問いにある。

608神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 12:52:03.51ID:dZvm34hQ
わたしが見つけたものは自分自身の「欲望」だった。
死ぬほどの苦労をしたからこそ、それを一瞬で根こそぎにできた。
そしたら、目を開いているのに目が見えなくなり、頭の中、
眉間の辺りに「命の雫」がほんの一滴落ちて来た。
それが神であることはすぐにわかった。  

これまで宗教とはまったく無関係に生きてきたが、
慌てて聖書を読み始めた。まず福音書を読み、次に旧約の最初から
読んだ。全部読むのに三か月ぐらいかかったと思う。

その中で印象に残ったのは、山上の垂訓とエデンの園だった。
特にエデンの園が自分の体験にピッタリ重なっていた。

体験だけでは、自分が何を体験したのか十分にわからないものだ。
宗教書はウソも多いが、体験を理解する手段として役に立つ。
自分に体験があれば、宗教書の真偽を区別しながら読むことができる。

609神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 16:53:46.93ID:7Lvu0ROm
それでそれが何なの?
いつまでそんなことに固執してるの?

610神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 17:55:06.08ID:dZvm34hQ
善悪を知る実を食べると・・・・
その人の欲望によって善か悪かの色分けがなされるから、
欲望に支配され、自分中心に生きることになる。
しかし、これが許されるのは子供時代だけだ。
 
子供時代を卒業するには、欲望を支配しなければならない。
欲望を根こそぎにできれば、神に出会えるし、欲望の支配もできる。
ーー 欲望を少しづつ減らして行くのはかえって難しいと思う。
ーー 苦しくても、苦悩が熟して自然に落ちるのを待つべきかも。
 
欲望を根こそぎにすべきことは釈尊も説いている。
おそらく釈尊もまた、神との出会い、神霊体験をしたのであろう。
神霊体験→想受滅・霊魂体験の順序から言っても妥当である。

611神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 19:48:36.40ID:dZvm34hQ
神の罰は、エデンの園以来、現在に至るまで何も変わってない。
   
女は男を求め、男は女を支配する。
女は苦しんで子を産む、
 
男は生涯食べ物を得ようと苦しむ。
土に返るときまで。
 
こんなこと、生きている以上、当たり前の話だと思う。
イエスの十字架から現在に至るまで何も変わってないから、
贖罪説はパウロの作り話だったということになる。
ーー 信者は、救われるどころか、キ教犯罪の遺産相続者になる。
ーー そして地獄行きの巻き添えを食らう。逃げろー (^^

612神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 20:36:57.97ID:dZvm34hQ
人間はエデンの園を追放された時、神の罰をすでに受けたのだから、
イエスが贖罪する必要などまったくない。
 
それに永遠の命は、欲望を根こそぎにした時に得られるものである。
イエスを信仰すると逆に得られなくなるだろう。
 
耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
おのが信仰はやめよ。 by 釈尊

613神も仏も名無しさん2018/11/08(木) 08:45:55.99ID:9WxnvwYr
原罪に対する神罰
   
神は「女」に向かって言われた。創3:16
 お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
 お前は男を求め、彼はお前を支配する。
 
神はアダムに向かって言われた。創3:19
 お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。
 お前がそこから取られた土に。
 塵にすぎないお前は塵に返る。
 
これが神の罰であるが、これらは罰と言うよりも、
人間を含めた、地上の動物たちの宿命ではないだろうか。
地上で生きる以上、そう生きざるを得ないのである。

614神も仏も名無しさん2018/11/08(木) 09:35:43.87ID:9WxnvwYr
「命の木」の謎
 
いやそうではない。永遠の命、これを失ったことこそが、
エデンの園の最大のテーマではないのか。
これについては不思議なことが書かれている。
 
アダムとエバを楽園から追放(創3:23)した後、← ☆
命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと
きらめく剣の炎を置く(創3:24)。
 
まるで、地上の人間がそこに到れるかのような記述ではないか。
これでエデンの園の謎が解けた! 神の話に仮託しつつ、
じつは永遠の命に到る方法を教えていたのだ。
ヒント → 善悪を知る木

615神も仏も名無しさん2018/11/08(木) 13:51:30.09ID:9WxnvwYr
パウロは、原罪から十字架による贖罪説を思いついた。
贖罪説を信じる者は、死んだ後、天国で永遠の命を受け、救われる。
これがキリスト教だが、まったくの妄想であり、空手形だった・・・
ーー まだ終わりの日が来てないから、天国はいまだ存在しない。
ーー 死んだ人は今も墓場や野原で眠っている。
   
パウロの主張がウソだった証拠 〜 一テサ4:15〜18
主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより
先になることは、決してありません。うんぬん〜〜
ーー それから2000年が過ぎたが、いまだにやって来ない。^^
 
パウロは気が狂っていたのかもしれない。by 使徒27:24
「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎでおかしくなったのだ。」
 
いずれにしろ、パウロの、十字架による贖罪説は妄想である。
贖罪説が妄想であれば、すべてのキリスト教が誤りになる。全滅。

616神も仏も名無しさん2018/11/08(木) 14:15:07.93ID:svaZAWAh
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。 j

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです f

備考 その他の入ってはいけないランキングです
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)

617神も仏も名無しさん2018/11/09(金) 11:33:44.72ID:4YfvMZyA
🐵 エデンの話を簡単に要約しました 🐵
 
@ 原始、人間は動物と同じように生きていた。→ 原罪などない。
A 女は産みの苦しみ、男は食べ物探しに苦しんでいた。
B そして苦しながら、よくわからないうちに次々と死んで行った。
C そんな時、たまたま神(命)に出会った人間が現われた。
D 彼は、自分中心の、善悪の判断が根本的誤りであり、
E それを砕けば、神(命)に出会えることを人々に教えようと考えた。
F 彼はどう教えたらよいかを考え、話をひっくり返すことにした。
G 最初に神の話を置き、最後に命の木を置いた。→ 命の木の謎
H こうすれば、神を必要とする人間だけが神を知るだろうと。
I これはサルどもに、神を冒涜させない配慮であった。

618神も仏も名無しさん2018/11/10(土) 17:11:35.26ID:Jx4+Do5k
「善悪の知識の木」からその実を食べると、
自分が善であることを知り、自分以外の他人が悪であることを知る。
この自分本位、自分中心主義が無明なのである。
 
それゆえ釈尊は、悟るために縁起の道理を教える。 
「善があれば悪があり、善がなければ悪もない」という道理である。
自分を善にするから、他人を悪にしてしまう。
 
自分を善にしなければ、他人を悪にしなくても済む。
こうすることで自分の真実が見えて来る。
この道理を会得しなければ、自分の悪が見えて来ない。
 
このような縁起の関係は、ほかにも真偽・美醜などがある。 
これらは、時間の経過に伴って姿を現わす因果関係とは異なる。
苦集滅道の因果関係だけでなく、縁起の道理を知らないと悟れない。

619神も仏も名無しさん2018/11/12(月) 11:09:50.76ID:WLDzP2j7
神(命)は地上を目指している
 
ファーストステージ 〜 神探し
人は生きることに苦しみ神探しを始める。神が見つかれば苦が消滅する。
苦が消滅したら生きることに徹すればよいのに、なぜかそうしない。
まだ何をしたらよいかわからない状態なのである。
  
セカンドステージ 〜 自分探し
神に導かれて坐禅をするようになり、想受滅から霊魂体験をする。
人は神と違うことをこの体験で理解する。
違うことはわかったが、いまだに何をしたらよいかわからない。
 
サードステージ 〜 龍神と出会う
坐禅中、非想非非想処から魔境に入り、龍神の試練を受けた。
幸いパス、龍神の背に乗って三途の川を見下ろし、あの世を見る。
あの世を熱望したが、龍神が固まってしまい拒否される。

620神も仏も名無しさん2018/11/12(月) 11:58:47.39ID:WLDzP2j7
死霊と守護霊に出会う
 
これは夢だが、三途の川、広くて深い濁流に橋が架かかっていた。
そこを死霊(私の親族)と守護霊が並んで歩いて来る。
死霊は恐い顔をして「こっちに来るな」とテレパシーで伝えて来た。
私はすぐに了解し、これ以後死にたいと思うことはなくなった。
 
そんなことより守護霊が気になってじっーと見つめていたが、
身体が輝き、その光が強くなったり弱くなったりして顔がわからない。
誰なんだろうと考えているうちに目が覚めてしまった。
周囲を浄化するような光に高級霊を感じ、
いまでは守護霊だったのではないかと思っている。
  
ここでやっと、「神は地上を目指している」ことに気がついた。
最初の体験からしてそうだったのに随分鈍感であったとは思うが、
その代わり、いろいろな神秘体験ができてよかった。(^−^)

621神も仏も名無しさん2018/11/12(月) 16:44:33.91ID:WLDzP2j7
刑具の十字架を拝んだり、人間イエスを神にしてみたり、
人類を罪人にしてみたり、人肉食のマネゴトをしてみたり、
終わりの日、人類が滅びる日を待ち望んでみたり、
「あっ、これは洗脳宗教だ」と気づかなかったらどうかしている。
 
シルバーバーチは、キ教の最大の誤りは贖罪説であると批判する。
キ教の悪事は霊界でも細かく記録されている。
キ教徒は悪事を相続し、天国どころか地獄に落ちることだろう。
 
こんなものは邪教も邪教、史上最大の呪われた宗教である。
こんなバカげた宗教は即刻やめてしまおう。
やめ、やめ、やめー、やめるぞ、やーめたっと (# ゚Д゚)

622神も仏も名無しさん2018/11/12(月) 20:52:26.68ID:ujPwACkl
辞めるもなにも元からあなたはキリスト教徒ではないでしょう。
宗教を信じるんじゃないの。
キリスト教徒とはイエスキリストの掟を実行する者。

623神も仏も名無しさん2018/11/13(火) 08:38:55.51ID:t9reXEXq
新約の『ヨハネの黙示録』で明らかなように、
キ教徒の信仰と希望はこの世の滅びと最後の裁きに置かれている。
かれらはその先に天国があると信じ切っている。
 
しかし、それが神の意志でないとしたら、どうなるのだろうか。
神に反逆する勢力として地獄に落とされるだろう。
 
神と共に歩むとは、神の思いに従って生きることをいう。
神に反逆するとは、神の思いに逆らうことをいう。  
神が地上を目指しているのか、
神が滅びを目指しているのかでは180度の違いがある。

624神も仏も名無しさん2018/11/13(火) 13:06:24.40ID:t9reXEXq
エデンの園は単なる神話にすぎない。事実じゃない。
こんな話で原罪や贖罪を主張することは通常無理でしょう。
 
パウロは、信じなさい信じなさいと繰り返し言っている。
信じなさいと繰り返すのは、ペテン師の常套手段であり証拠ですね。
じっくり考えられたら、ウソがばれてしまうからです。
  
神父や牧師は、口先ひとつで金儲けをする商売人なのです。
聖書は商売道具であり、本人は自覚していないかもしれないが、
実際には神を売り物にしている悪徳商人なのです。
自分の魂を売るような因果な商売ですね。

625神も仏も名無しさん2018/11/13(火) 18:42:39.42ID:t9reXEXq
シルバーバーチなどの霊界通信によれば、
死んだキリスト教徒の中には、最後のラッパが鳴るのを墓場で待ち続けて
いる人がいるという。何を言っても耳を貸さないから援助できずに、
本人の気が変わるのを待つしかないらしい。
 
空や無我を盲信していた仏教徒、自殺者、刑死した人なども同様であり、
本人の気が変わるのを待つしかないらしい。
 
こういった霊界事情を知れば、宗教組織などには関わりを持たずに、
できるだけ早く、人生の究極の奥義に到達しなければならない。
その他のことは二義的である。

626神も仏も名無しさん2018/11/14(水) 10:45:29.15ID:IQV0aEow
キリスト教徒もネットで「十牛図」を検索しよう
 
「十牛図」をどう解釈するかで、自分の精神レベルがわかる。
図だけを眺め解説は無視しよう。間違った解説ばかり。
参考のためにポイントだけ示して案内とする。
 
第一図 尋牛 〜 神探しスタート
第三図 見牛 〜 自分の中に牛(欲望)を発見する
第七図 忘牛存人 〜 欲望を根こそぎにする → 神との出会い
第八図 人牛俱忘 〜 坐禅開始 → 自分(霊魂)との出会い
第十図 入てん垂手 〜 神(命)は地上を目指している

627神も仏も名無しさん2018/11/14(水) 19:24:25.84ID:IQV0aEow
ネットの解説では、牛を「真の自己」にするから全部間違い。
どう見ても、牛は「欲望」の象徴ではないか。
第七図 忘牛存人 で牛が消えたのは、牛を心に内在化させたから
ではない。心の中から、牛(欲望)が消えたのである。
 
もともと第一図から第八図までは、心の有様が描かれている。
心に内在化させたなら、牛は第七図の中に残ってしまう。
 
それに十牛図が描かれている「円」にも注目しよう。
第八図 人牛俱忘 は仏教の「空」を表現していると解説されるが、
そんなことはない。これは想受滅の後の霊魂に他ならないと思われる。
仏教の「空」は円形とか球体なのか。んなバカなw

628神も仏も名無しさん2018/11/15(木) 07:15:59.16ID:yeep3m3m
第九図 返本還源 (へんぽんかんげん or へんぽんげんげん)
悟った後は、心の世界から現実世界へと折り返す。
これは孔子がいう耳順であり、自分という色メガネが消え、
対象を素直に、ストレートに感受できるようになった境地をいう。
周囲がよく見え、周囲の声がよく聞こえるようになる。
 
第十図 入てん垂手 (にってんすいしゅ)
これも現実世界のことである。太鼓腹の坊主が描かれているが、
欲望に溺れて気ままに生きることではない。
孔子で言うなら、「心の欲する所に従えども、矩を超えず」である。
好きなことをし、自由自在に生きているにも関わらず、
それがそのまま「神と共に生きている」ような境地のことである。
各地を遊行している釈尊のようなイメージだろうか。

629神も仏も名無しさん2018/11/15(木) 10:24:10.90ID:yeep3m3m
釈尊は、神(命)と共に歩もうとしたのか。
 
まず梵天勧請。これは梵天が釈尊に生きろと言っているのに等しい。
次に命への慈しみ(Sn.145-151)。命ある者への共感を語る。
さらに『ブッダ最後の旅』(Mhp.3-2)では、自分の遊行を振り返り、
・アーナンダよ。ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい、
・ゴータマカ霊樹の地は楽しい。・・・ などと言っているから、
釈尊は解脱後、この地上を楽しみながら生きていたことになる。
 
これらから、神と共に歩んだという表現は適切ではないだろうが、
結果としてそう生きたと言ってもよいかもしれない。
 
真の解脱者であれば、いずれそのことに気づかないはずがない。
人間だけでなく、あらゆる生き物が生きようとしているのだから。

630神も仏も名無しさん2018/11/15(木) 15:32:11.09ID:sVNL0eZV
如何なる意識にも
意識原理は解明出来ないという摂理 略不可知 🐼

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