■■■臨死体験■■■

1神も仏も名無しさん2018/04/30(月) 19:24:42.63ID:Niy6fbCF
これって、何なの?

436神も仏も名無しさん2018/09/05(水) 22:06:05.50ID:NSmnlMoA
>>434
私は天国だと思いました。

437神も仏も名無しさん2018/09/06(木) 18:42:15.04ID:BIer1+le
>>430 の訂正
夢窓国師と大燈国師を混同しました。m(__)m
わたしが読んだのは夢窓国師の『夢中問答』であり、
禅宗と旧仏教との宗論ではなく、天皇と夢想との対話でした。
そこでは、「如何なるか、典外の法」「八角磨盤空裏を走る」だった
かと思う。手元に本がなく、変だなと思いつつ間違えました。
 

438神も仏も名無しさん2018/09/06(木) 20:48:38.92ID:BIer1+le
<公案禅はやったことがない> 
わたしは、自分の何が悪いのか、人間は何で生きているのか、
をテーマに10歳から20年間、ひどい苦労をしている。
その甲斐あって、30歳の時に神秘的な体験をすることができた。
  
・唯物弁証法 + フロイト心理学 → 神との出会い、神霊体験
・数息観による坐禅 → 想受滅 → 自分との出会い、霊魂体験

わたしが自らに課したテーマは、これを解かない限り、前に進めないと
思っていたから、諦めることなく、執拗に追求できたのだろう。
それにしても、宗教知識がないのに、釈尊の縁起の理法と苦集滅道を
実践し、神霊体験をやったことになる。
 
逆に言えば、釈尊の教えが宗教と無縁の合理的なものだからこそ、
結果として釈尊の教えに合致したのかもしれない。

439神も仏も名無しさん2018/09/06(木) 21:25:07.08ID:BIer1+le
・隻手の声を聞いてこい ・犬に仏性有りや無しや
・父母未生以前の本来の面目を見てこい ・・・ などなど 
 
公案禅の問題は、
公案がその人にとって切実な問題にならないことだろう。
その人の苦と離れたら、釈尊が教えた苦集滅道の出る幕がない。
縁起の理法もまったく無用だ。
これでは釈尊の教えがまったく役に立たないではないか。^^
 
かりに公案禅を認めるにしても、
それは十牛図での第三図 見牛(神霊体験)を対象とするのであり、
第八図 人牛俱忘(霊魂体験)ではないのではないかと。

440神も仏も名無しさん2018/09/07(金) 06:51:11.09ID:8PalxAnO
それとも公案禅は、いきなりの霊魂体験をめざしているのか?
 
坐禅をしながら公案に没頭、ひたすら考え続ける ・・・ 
答えのない公案を考え続けるうちに → 想受滅に入ってしまう。
そして霊魂体験(満月)をしてしまう。<解けた!!!> 
という思いが、白い霧の世界に雷のように轟き、地上に生還する。 
 
これだと夢窓国師のような、神霊体験なしの霊魂体験になる。
禅者にとっては、この霊魂体験が強烈な自信になるのかもしれない。
求聞持法の空海と似たような体験だとも言える。

441神も仏も名無しさん2018/09/07(金) 13:12:04.37ID:pEzU8k2P
>>440
ああ、霊魂体験の満月ってキリストのことね。

442神も仏も名無しさん2018/09/08(土) 15:11:23.07ID:hHKlZzCa
五蘊とは仏教において、人間の肉体と精神を五つの集まりに
分けて示したもの。→ 色・受・想・行・識
 
色 〜 物質的存在 ← 触れる → 受想行識の発生
受 〜 感情 〜 感受作用
想 〜 知覚 〜 表象作用
行 〜 意志 〜 志向作用
識 〜 意識 〜 認識作用 ← 「わたし」という主体の働き 

443神も仏も名無しさん2018/09/08(土) 15:52:27.75ID:hHKlZzCa
坐禅の目的は、意識の正体を追及し、発見することにある。
意識は物質ではないので、坐禅以外の方法では発見できない。
 
坐禅を重ねると、意識は次の四つの層に区別できる。
日常意識 〜 目覚めている時の意識。
マナ識 〜 寝ている時、夢の中に現れる自分の意識。
アラヤ識 〜 坐禅中の魔境に現われる、過去世の、沈黙の意識。
霊魂(アートマン) 〜 究極の「わたし」。これが意識の正体。  

444神も仏も名無しさん2018/09/08(土) 16:41:00.74ID:hHKlZzCa
五蘊仮和合説 〜 個々の事物は、因縁によって五蘊が仮に集まって
できたもの。従って、我として執著するような実体は無い。
仏教における無我説の根拠のひとつ。三法印(諸法無我)。

五蘊仮和合説の誤り
@ 「わたし」という意識は、識にのみ存在し、五蘊の仮和合は不要。
A 坐禅体験がなく、意識が四重構造であることに無知。
B 五蘊仮和合説〜BC2世紀後半の「ミリンダ王の問い」に出てくる。

445神も仏も名無しさん2018/09/09(日) 11:02:39.22ID:79Z9D4j5
ミリンダ王の問いに、車のたとえ話が出てくる。
 
車を分解して部分に解体したら、いったいどこに車があるのか。
車という実体などないではないかと。
 
この話のトリックは、車を造った人、車を解体した人のことを除外する
ところにある。その人が実体なのに。
 
五蘊の場合も同じ。色受想行識の「識」に実体がある。
それなのに、その「識」を頭から「空」にするところにトリックがある。

446ポッタン師2018/09/09(日) 11:11:43.46ID:/zZj6n+Q
445.意識、は人間存在である。
それを否定したものとは何か。そこが問題である。宗教の誕生である。

447神も仏も名無しさん2018/09/09(日) 16:40:33.30ID:79Z9D4j5
「般若心経」は空や無を説いている。
たぶん中国の偽経なのだろう。
この経は、日蓮宗、浄土真宗以外で現在使用中。
  
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。・・・・・
 
>>446
何だと思いますか?

448神も仏も名無しさん2018/09/10(月) 17:27:10.66ID:ZsqkSJV7
世親(200-300頃)の『唯識三十頌』
すべての事物は、心が作り出した表象に過ぎない、という主張は、
世親の死後も事物が存在したことによって否定される。
ーー これで唯識を否定したことになると思うが、どうだろうか。
 
そこで唯識から借用した用語や意味などを整理しながら、
意識の四重構造を定義し直したいと思う。
 
・日常意識 → 変更なし(欲望をここに入れる)
・マナ識 → 「無意識」(夢や魔境における識、本能をここに入れる)
ーー 無意識がカルマ識に執着するのは唯識説と同じ
・アラヤ識 → 「カルマ(業)識」・・・過去世が異熟したもの
・霊魂 → 変更なし 

449神も仏も名無しさん2018/09/10(月) 18:05:01.31ID:ZsqkSJV7
相互の関係は、霊魂を中心にした四個の同心円になる。
イメージとしては、小さな円を大きな円が包み、覆っている。
(日常意識(無意識(カルマ識(霊魂)カルマ識)無意識)日常意識)
 
この関係から言えば、霊魂自体は清浄そのものだが、
過去世の汚れた識であるカルマ識が覆い尽くしていることになる。
従って、このカルマ識を捨てることができれば解脱する。
 
カルマ識を捨てると想受滅に入り、霊魂体験をする。
解脱後の意識構造は、霊魂→心眼の開いた無意識→日常意識に
なって非常に鋭いが、2〜3週間もすればかなり鈍くなる。^^

450神も仏も名無しさん2018/09/10(月) 18:27:39.42ID:ZsqkSJV7
わたしの印象から言えば、
カルマ識(アラヤ識)は過去世で解脱できなかった識であり、
汚れた識にしか見えなかった。だから、自分だとわかった瞬間に
見捨てることもできた。でも善か悪かは不明。有覆無記。
 
無意識(マナ識)は、解脱前はカルマ識に執着しているから、
カルマ識の汚れに影響されて汚れに覆われる。
しかし、解脱後はカルマ識がなくなり、清浄な霊魂に執着するから
汚れも消える。そういう意味では、無意識は執着するものに影響され、
その本体は汚れてないのかもしれない。無覆無記。

451神も仏も名無しさん2018/09/10(月) 20:58:33.72ID:wxfX/Rbf
識か
死ぬ前の楽しみとしてとっておこう

生きてるうちは、普通の識でいよう
得体の知れないものにつきまとわれたくないんで

452神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 09:24:58.27ID:qEUR5bLH
マナ識 → 「無意識」より「潜在意識」の方が意味的にピッタリする。
そこで早速だが、「潜在意識」に変更したいと思う。
 
★ カルマ識を見捨てると想受滅に入る
その理由は、潜在意識はカルマ識に依存するだけでなく、カルマ識に
包まれ、覆われている霊魂にも依存している。そのため、カルマ識を
見捨てたら、同時に霊魂も見捨てることになり、その結果として、
潜在意識の存立基盤が完全に失われるからである。
 
ーー 霊魂は神に依存し、神が人間の、最終的な存立基盤である。
ーー だからこそ、神霊体験 → 霊魂体験の順序になる。
ーー 想受滅自体、神イーシュバラへの絶対帰依によって成功する。

453神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 10:01:53.95ID:qEUR5bLH
坐禅中に天使を見たことがあるが、天使は霊界生き通しの存在であり、
そのため過去世がなくカルマ識を持たない。それゆえ、
天使の精神構造は、霊魂 → 潜在意識 → 日常意識になっている。
 
人間を始めとする生き物は、霊界から地上にやって来たのだから、
その精神構造の基本は天使と同じでなくてはならない。
地上生活をするようになって、カルマ識が誕生したと考えられる。
・天使の構造 霊魂 → 潜在意識 → 日常意識
・人間の構造 霊魂 → カルマ識 → 潜在意識 → 日常意識
 
この由来が、カルマ識が有覆無記、潜在意識が無覆無記の理由だ。
潜在意識(マナ識)の方が、カルマ識(アラヤ識)より清浄になる。
ーー 命が地上に根付くには、カルマ識の方が重要である。
ーー それでいて、解脱の可能性が最初から用意されている。
ーー 利己的なカルマ識が固定されていたら、人間は確実に滅亡する。

454神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 10:34:59.89ID:qEUR5bLH
悟ると欲望(食欲・性欲)がなくなる? そんなことはないw
カルマ識を落としても、潜在意識に本能があれば問題ない。
それに、生活していると再びカルマ識が芽吹いてしまう。^^
悟後の修行が欠かせない理由でもある。
 
もうひとつ重要なお知らせがある。
キリスト教の悪魔の正体は → 人間だった、ということ。
霊界生き通しの天使は、物質的な欲望がゼロだから、
悪魔になりたくも悪魔になりようがない。
昔から今に至るまで、悪事を働いて来たのは人間だけだ。
 
キリスト教徒は、自分の悪事を悪魔のせいにし、
悪事を働いてはならない。

455神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 11:46:29.72ID:I+K7GOB1
「潜在意識」に変更したいと思う。 ← 「背後(メタ)意識」ならもっと良いw 🙋

456神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 11:56:41.64ID:97XnYwo3
キリスト教徒は悪魔の正体は悪欲だと知っとるわ!(笑)

457神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 18:00:02.18ID:qEUR5bLH
>>455
ぜひ採用させてください。
マナ識は一義的でなく、幅のある名前の方がベターですね。
   
日常意識 → 「背後意識」 → カルマ識 → 霊魂 

458神も仏も名無しさん2018/09/11(火) 18:47:31.30ID:qEUR5bLH
さて天使が登場したので、ついでに天使の話にも触れよう。
 
わたしは坐禅中、龍神様に出会ったことがある。
非想非非想処を超えた、魔境という世界での出来事である。
 
龍神様はわたしを乗せ、三途の川に沿った形で、
そのはるか上空に停止した。わたしは向こう岸の草原に魅かれ、
行きたくてたまらず、行け行けと龍神様に言っている。
しかし龍神様はピタリと停止、微動もしない。何で行かないのだと
じれったくなると禅定が緩み、乗ったままで坐禅が終了した。
 
それが何だったのか。ずいぶん考えて来たが、最近、
龍神様と出会ったのは、「梵天」のいる場所であることを知った。
もしかすると「梵天」だったのかもしれない。

459神も仏も名無しさん2018/09/12(水) 10:57:02.83ID:pMtho3k4
背後意識・カルマ識・霊魂  ← 爺的には区分け定義不可の不明世界領域 🙎; 

460神も仏も名無しさん2018/09/14(金) 17:53:28.39ID:PXFCPnJF
梵天を理解するための予備知識
  
仏教は、宇宙を器世間(自然界)と有情世間(生物界)に区別する。
有情世間は、下は無間地獄から上は非想非非想処に至るまで、
さまざまな生存状態で存在する。
 
この有情世間に、欲界(貪欲に束縛された世界) → 
色界(清らかな物質からできた世界) → 無色界(ただ精神的なもの
のみが存在する世界)がある。
 
欲界 → 地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天(六欲天がある)
色界 → 深まりゆく禅境を天(十六の天)に喩える。初禅〜第四禅
無色界 → 禅定が四つあり、その頂点が非想非非想処である。

461神も仏も名無しさん2018/09/14(金) 18:41:49.30ID:PXFCPnJF
梵天は色界の初禅天に登場する。 
初禅天の下から、梵衆天・梵輔天・大梵天になる。
大梵天が自在神イーシュバラであり、ヒンドゥー教のシヴァ神である。
そして宇宙の創造神、ブラフマンでもある。
 
梵天は欲界(貪欲に束縛された世界)を超えてはいるが、
色界(清らかな物質からできた世界)の最初に登場する生物である。
坐禅を開始すると初禅に現われる。
ただし、初禅から第四禅までは観禅であり、止禅(サマタ)ではない。
ーー 参考文献、三枝著『世親』講談社学術文庫

観禅(瞑想禅)であるところがミソ。
頭の中だけで、梵天との会話が可能かもしれない。
ーー 空想なのか真実なのか、はっきりしない。

462神も仏も名無しさん2018/09/14(金) 19:26:10.71ID:PXFCPnJF
わたしの場合は、数息観の止禅(サマタ)だけで非想非非想処に到達。
色界の四禅も、無色界の三定も知らず、まったく省略した。
そして、非想非非想処から魔境に入り、ここで龍神様に会っている。
 
わたしが見た世界は、清らかな物質からできた世界だったから、
そこは色界になるのだろう。しかし、非想非非想処を超えているから、
無色界でもなく、この世の世界ではないことになる。
ではどこなんだろう? たぶん「霊界」ということになるのだろう。
 
うーん、梵天が龍神様である可能性を探ってみたが違うようである。
しかし、霊界生き通しの天使であることはまちがいない。
天使には愛らしいイメージがあるのに、巨大な龍神様が天使とは!
ーー ヨブ記に出てくるレビヤタンが天使だったんだね。TT

463神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 07:32:11.24ID:4kP86yFW
では梵天とは何だろうか。
梵天は、欲界を超えた色界の最初の初禅天を居場所にしている。
色界は観禅(瞑想禅)の世界である。ということは・・・
 
わたしの最初の神秘体験は神との出会いである。
その時、あることをテーマに脳みそを絞るようにして考えていた。
そしたらその謎が解け、命の雫が一滴、頭の中に落ちて来た。
今思えば、集中して考えていたので自然と瞑想状態に入ったのだろう。
 
この体験なら、梵天が自在神イーシュバラ、ヒンドゥー教のブラフマン
などであることも理解できる。・・・ 梵天が神と言うことになる。

464神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 08:15:56.19ID:4kP86yFW
しかしこれだと、梵天勧請の梵天にイメージが重ならない。
梵天は釈尊に、教えを説いてくださいと合掌・敬礼して頼んでいる。
神なら自分でやればいいのに。それとも神ではないのか。
 
ーー そこまで言うなら、やってやろうじゃないか。 
釈尊は梵天に、「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。」
と呼びかける。by サンユッタニカーヤU、第W篇
 
ここの梵天のイメージは、行け行けと言っても三途の川の上で
ピタリと停止した龍神様のイメージに近い。
経典や諭書などでは、イメージが混乱している可能性も考えられる。
 
体験的に整理すると、
色界「初禅天」の梵天 → 神のごとき存在、命の雫
梵天勧請の梵天 → 龍神様

465神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 11:31:39.09ID:Bipt/94Z
たとえば 放射線とかは汚い物質なん? - -;

466神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 11:34:30.79ID:Bipt/94Z
汚い物質は汚い心を育てるとか? - -;

467神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 14:37:31.27ID:4kP86yFW
>>465 汚いですね。
>>466 汚い心が汚い物質を育てます。
 
神霊体験をした直後、大地のオーラが見えたよ。
太陽光線はまぶしかったのに、それよりも厳かで穏やかな光が
大地や建物を覆っていた。
それは透明だったが、明らかに太陽光線が背景に退いていた。
 
えっと思って改めて見直すと、道行く人の周囲は逆にへこんでいた。
ただし、気にしないでいたら、いつの間にやら見えなくなった。

468神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 15:18:16.66ID:4kP86yFW
🐍 と 🐉
蛇はかっては崇拝されていた、という説がある。
  
蛇は、地上を這い、水中を泳ぎ、樹木を登り、木から木へと飛ぶ。
小さな穴があればどこまでもしつこく追いかけ、
毒牙で相手を倒し、丸呑みにし、その後何日も食べないでいられる。
雌雄の性交も身体をシメ縄のようにエネルギッシュに絡ませる。
その上さらに、神秘的な脱皮までやっている。
 
人間は蛇を忌み嫌い、恐れながらも、
食と性に特化した姿や生き方や、蛇の生命力に畏れの念を抱く。
しかし、蛇に愛情を抱くのではなく、敬して遠ざけていたのではないか。
興味は抱くが、愛情をもって信仰していたわけではないだろう。

469神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 15:46:48.35ID:4kP86yFW
🐍 と 🐉
東洋には古くから龍神信仰がある。
 
龍神様は、蛇をベースにした想像の産物だという説が主流か。
実際に見たことがなければ当然である。
 
しかし、坐禅の中で龍神様に会えるとしたらどうだろう。
坐禅の伝統がある東洋では、龍神様を見た人が少なからずいた、
とすれば、龍神信仰が東洋にあっても不思議ではない。
 
釈尊をコブラの集団が護っている石像もある。
これなんかは、蛇信仰であって龍神信仰ではないだろう。

470神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 16:03:24.78ID:7fmDqTxL
臨死では酸欠の妄想に過ぎん
せめて脳死でも体験して来い

471神も仏も名無しさん2018/09/15(土) 18:41:43.54ID:7ogmeoXP
>>470
詳しくききたい!

472神も仏も名無しさん2018/09/16(日) 14:34:23.12ID:PF+tGrQG
<神秘体験は下記の順番になる>
神霊体験 → 霊魂体験 → 龍神体験
    
神霊 → 霊魂 なのは、地上へ無事生還するため。
霊魂 → 龍神 なのは、解脱したか否かの最後の試練だから。
  
神霊体験、霊魂体験をすれば悟りだが、
そこで坐禅をやめてしまうのはダメ。龍神様の試練に合格すれば、
龍神様が仕えてくれるので坐禅を継続するのが吉。
ーー 悟ってしまうと、競争社会で生きるのが困難になる。
ーー そのため龍神様に守護される必要がある。
 
守護霊・死霊体験は、死から命を守る最後の砦になっている。
いわゆる臨死体験がこれに該当する。

473神も仏も名無しさん2018/09/16(日) 14:55:02.50ID:PF+tGrQG
オーラの形
 
○ 実際のオーラ 〜 静かな光を全身から放っているかも ^^    
△ 仏像 〜 後ろに半円形の大きな光背がある
× キ教の聖者像 〜 頭の後ろだけに丸い円 ← ありえない形

474学術2018/09/16(日) 15:05:41.24ID:ImFjXi5M
帰ってこなかった人も変だが、臨死というと死に臨むと書いて、
帰ってくる人がいるだろう?別に死ぬ必要が現代にないのだが、
割合怪我や軽い病気などでも体験できるのではないかな。
僕はあるけど、何かが変わった感じはしなかったが、
色々イメージが湧いて、面白い体験ではあると思うな。

475学術2018/09/16(日) 15:06:42.41ID:ImFjXi5M
人により体験が違うんだろうな。でも共通する部分も人類にはあるというね。

476神も仏も名無しさん2018/09/17(月) 19:04:06.33ID:SVigKYwv
九次第定・・・南伝の大般涅槃経(釈尊臨終時の禅定)
  
坐禅の経過、深さを表わすものに「九次第定」というものがある。
これは色界の四禅に、無色界の四定に、想受滅を加えたものである。
無色界の頂点が非想非非想処(有の頂天)である。
 
すでに釈尊の時代には定式化されていたというから、
九次第定が古くからのヨーガ行者たちの到達点であったのだろう。
 初禅→第二禅→第三禅→第四禅→
 空無辺処→識無辺処→無所有処→非想非非想処→想受滅
 
非想非非想処までは釈尊もすぐに到達できたが、
その先の想受滅の体験者が釈尊の時代に一人もいなかったらしい。
釈尊の貢献は、その「想受滅」を体験したことにある。

477神も仏も名無しさん2018/09/17(月) 19:39:02.05ID:SVigKYwv
釈尊が想受滅を体験したことは経典にも残っているが、
想受滅を体験したからには、霊魂体験をした可能性も高いことになる。
静かな夜、ひとり林の中で坐禅をして想受滅に入れば、全身麻酔をされた
状態と同じで何の意識も働かず、そのままだと生還できない。
しかし、釈尊は想受滅から生還している。
ということは、釈尊は霊魂体験をしていたことになる。
 
釈尊はなぜ霊魂体験をしたと明確に語らなかったのか。
当時はバラモン教だけでなく、新興宗教も登場して覇を競っていた。
釈尊の高弟だったモッガラーナは敵対勢力に殺されている。
あまり明確に語って他教を刺激するのは危険だった。
 
これが釈尊を自重させ、明確に語らなかった理由ではないだろうか。
明確にしたくても、諸般の事情で明確にできなかったのだ。

478神も仏も名無しさん2018/09/17(月) 20:55:47.88ID:SVigKYwv
釈尊がもうひとつ明確にしなかったことがある。
梵天勧請に「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた」とあるが、
ここにある「甘露」とは何だろうか。
 
わたしに言わせれば、これが釈尊の神との出会い、神霊体験である。
スジャータの乳粥を受けた時、自分の誤りに気づいたのだろう。
釈尊は神霊体験をしたからこそ、その後すぐに成道し、
想受滅からも無事生還できたのである。
 
乞食や中道を修行に据えたのも、この経験があったからこそである。
釈尊はなぜそれを詳しく語らなかったのか。 

479神も仏も名無しさん2018/09/18(火) 11:35:04.08ID:qYhP/f8T
意識の成り立ちも正体も本質も科学領域の外にある
意識創発機序を語る科学論理は存在し得ない - -;

480神も仏も名無しさん2018/09/18(火) 16:51:09.40ID:WPkgiJrL
釈尊が自分自身の甘露体験を語らなかった理由
@ 個人的な苦や不幸を世間に公表する義務はない。 
A 概念化すれば苦集滅道である。→ これは説いてもよい。
B 方法論的に整理すれば、苦集滅道と縁起の理法の二つである。
C この二つは、梵天勧請の前半に要約的に記述されている。
D ゆえに、梵天勧請の話だけで「甘露の門は開かれた」ことになる。
 
十牛図がそうだったように、釈尊の悟りは二段階である。
@ 神との出会い 〜 気づき → 甘露体験
A 自分との出会い 〜 坐禅 → 想受滅からの霊魂体験
 
甘露体験をすれば → 中道の意味も明らかになる。
苦の原因は、精神それ自体の在り方に起因している。
神を知り、精神の在り方を正しくするならば苦は解決するだろう。
快楽主義も苦行主義も苦を解決することにはならない。

481神も仏も名無しさん2018/09/18(火) 17:33:56.95ID:WPkgiJrL
わたしが釈尊なら、下記のようなことを説くだろう。
 
@ 中道(○霊主体従、×足して2で割る)
A 四諦(ものごとの因果関係、結果→原因、原因→結果)
B 縁起の理法(此れがあるから彼れがある、此縁性)
C 坐禅(○数息観による止禅サマタ、×九次第定は説かない)
D 坐禅経過に魔境を追加する。
(非想非非想処→「魔境」→想受滅→霊魂体験→地上に生還)
 
八正道は説かない。
四諦は、苦集滅道の、道諦を八正道だと説明する。
しかし、武道や茶道は、武の道や茶の道である。
これと同じように、苦集滅の道が苦集滅道であると解したい。
道が八正道だというのは、後世の下手クソな追加。
ーー 解脱前には何が正しいのか不明なのだから。
従って、四諦を廃し、苦集滅道を常に使用することにする。

482神も仏も名無しさん2018/09/19(水) 13:28:46.87ID:+RiqzVjb
☕ コーヒーブレイク ☕
 
@ 阿弥陀仏とは誰ですか 〜 死霊だが、下級霊を導く教師である。
 
A イエス・キリストとは誰ですか 〜 やはり死霊だが、高級霊の一柱
  
B キリスト教によれば、人間は善悪の知識の実を食べた罪人である。
では、命の実を食べた人間はいますか 〜 釈迦が食べたかも ^^

483神も仏も名無しさん2018/09/19(水) 14:39:45.96ID:gxX2rDwt
  今日のヤホニュー >🙋

KIDさんの元夫人 MALIA悲痛 「頭も心も整理がつきません」

  三ペラには困難な 「脳と心」の識別認識! 🙌 w

484神も仏も名無しさん2018/09/20(木) 17:21:48.29ID:EQBjlsWc
夢の話〜高級霊に会う
 
三途の川の橋の上に、高級霊と低級霊を見たことがある。
高級霊を見た瞬間、非常に清らかな、聖者のような風格を感じた。
静かな光に包まれ、それが強くなったり弱くなったりしている。
そのせいか顔がよくわからない。誰なんだろうと思って、
じっーと見つめていたら目が覚めてしまった。
 
場所が場所だから、二人が死霊であることは間違いない。
問題は高級霊だが、霊界で阿弥陀仏やイエスキリストに出会えたら、
たぶんこんな感じになんだろう。スーパーサイヤ人風。

485神も仏も名無しさん2018/09/20(木) 19:08:02.79ID:EQBjlsWc
知の巨人・世親の主張は二つある。
@ 我は存在せず、煩悩と業などによって構成される法のみある。
A すべての事物はこころが作りだした表象にすぎない。〜唯識論
 
これらの主張に対しては、すでに反証が終わっている。
@ 霊魂体験は我の存在証明に他ならない。
A 世親の死後も、すべての事物はそのまま残存した。☀も🌙も★も

486神も仏も名無しさん2018/09/20(木) 20:19:05.19ID:EQBjlsWc
『中論』の根本的誤り 
残るは大乗仏教の牙城、竜樹の『中論』だが、
これを否定できれば大乗仏教は屋台骨を失って空中分解する。
 
@ 竜樹は有と無を縁起させる。しかし、無は何もないことだから、
意味のある縁起は成立しない。有がそこにあるだけである。
→ 従って、中道を意味する「非有非無」が成立しない。
 
A 見るはたらきは自らの自己を見ない。自己を見ないものが、
どうして他のものを見るのであろうか。中論V−2
→ この主張は、坐禅によって自己を見ることができるので誤り。  
 
B 竜樹は、我(アートマン)の存在を否定する。
→ これも、坐禅によって我(アートマン)を体験できるので誤り。

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