【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践13
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お釈迦さまの教えとヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、
体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、
更なる成長を求めて語り合いましょう。
前スレ
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践12 [転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1509847171/
※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会やそこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など多種多様な団体があります、
諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違いもあります。
そこを踏まえてご参加ください。 泡沫が大海になったとき、そこにはもはや泡沫はない。
(すでに泡沫ではない)
泡末を生み出す大海があって、
大海が泡沫を生み出す(そしてそれは滅する)が、泡沫が先にあるのではない。
自我の錯角もこれと似ている。 >>524
独学や我流ではなくて
ちゃんとしたところでやってる? >>533
>認識する働きがあるだけ。
誰が瞑想して
認識する働きがあるだけ
と認識したのだすか? 思考の外側に抜け出せば、本当の慧が分かる。
慧は人智を越えているので、人間の論理思考で捉えるのは、たぶん無理。
思考の前提に有身見があるからだと思う。
一定時間、雑念思考に流されないで居られれば、そこから抜け出せる。
抜け出すという表現自体に、何から何が抜け出すのか、主体を想定した言葉だから、正確ではない。
言語の構造自体が、自我の錯覚から発生しているせいだと思う。 生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとしいけるものの願い事が叶えられますように
生きとしいけるものにも悟りの光が現れますように >>537のレスをしているのは誰だすか?
>>537の自我がレスしているとかいったらそれは思考から抜け出してない言葉が列挙してあるだけのレスということになりますな
>>537の言い分によりますと 映画マトリックスで例えるなら、
マトリックスのなかのアバター同士が、マトリックスの外側の話をしている。
そういう状態。
>>535 >独学や我流ではなくて
ttp://www.onedhamma.com/
大乗1.0の世界観をもって
上座部 2.0を実践する
3.0のpodcast法話
15/05/24
魚川祐司氏・山下良道僧侶・藤田一照僧侶
この法話から、最新の法話も聞いちょりまつ
_ _ _
>>525 >どこの宗教宗派支持してるの?
第6のチャクラ、眉間のところが
くすぐったい、むずむずする。の実践もしてるので
六師外道系?ヒンドゥー系?チベット系?も肯定でつ
ttp://jairo.nii.ac.jp/0180/00000655
チベットに伝わる心の訓練法
…
二菩提心(勝義菩提心・世俗菩提心)
[仏そのもの]の智慧と慈悲をもって
縁起している
[諸法は(夢・幻の如く)空性である]と観照する
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
縁起している
すべて一切の諸法を「(夢・幻の如く)空性である」と観照せよ 泡沫が大海と一体になるとき、泡沫の中からなんらかの主体が大海に飛び出すのではない。
大海と泡沫とを切り離している、(泡沫の)壁を取り除けばよいだけ。
主体はない。 泡沫が、大海から生みだされた(そして滅する)ものでありながら、
泡沫のなかに大海を見いだそうとしても、それは無理。
泡沫が大海を悟るわけでもない。
泡沫であることをやめれば、そこには初めから大海があった、と気づく。
いろいろと逆。
顛倒夢想。 >>540
誰がそう認識してるのだすか?
>>543
大海は意識で泡沫が自我だすか?
誰がそう認識したのだすか? 泡沫が大海を悟るわけでもない。
泡沫であることをやめれば、そこには初めから大海があった、と気づく。
いろいろと逆。
顛倒夢想。
という>>544の意識だがこれは無常である。
無常なるものは苦である。
すべて苦なるものは無我である。
すべて無我なるものは
『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』
と、このように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。
つまり>>544のレスは>>544自身に対しても無我である >>526は自分で瞑想して思考から抜け出してどうなるか確認しているのだね? 538.
結果論である。
その過程論、方法論が問題となる。 >>542
>[諸法は(夢・幻の如く)空性である]と観照する
それは一番陥りやすい考え方だよ。
「夢・幻の如く」なら君の腕をナイフで切ってもいいかい?
嫌だろ?
なぜ嫌なのかというと、例え仮体であっても仮体として存在するからだよ。
「夢・幻の如く」でも食わなきゃ生きてはいけない。
そのことから逃避しようとするとそういう考え方になる。
>六師外道系?ヒンドゥー系?チベット系?も肯定でつ
反する教えをどうやってミックスするんだい? >>542
> 独学や我流ではなくて
というのは、本とか理論の話ではなくて、
瞑想や座禅のこと。
ちゃんとしたところで教わったの?
>>549
>>六師外道系?ヒンドゥー系?チベット系?も肯定でつ
>反する教えをどうやってミックスするんだい?
これは
ttp://www.onedhamma.com/?p=5136
15/05/24
魚川祐司氏・山下良道僧侶・藤田一照僧侶
この法話から
最新の法話を
毎週、聴いてみないと
意味がわからないかもしてない
3.0理解するには
大乗1.0原理主義の人には無理
上座部 2.0原理主義の人にも無理かもしれない
とりあえずの共通点としては
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99
宗教(religion)
(上座部 2.0も含めて)人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする
上座部 2.0の場合もとりあえず
([縁起している世界]を超えている)涅槃も(無明も)前提としている 447
来ますよ
でも、5月に入ってしまうので
もう少し時間かかりそう
夏かもね夏枯れ相場
>>551の訂正
仮設としての
縁起している世界の中の
仮の現れ(そして滅)としての
無明薫習からの依存
− これを対処するために −
苦集滅道をもって
最終的には
(縁起している世界の中からの)解脱を知覚して
(縁起している世界を手放し超えてる)涅槃に住む
と対機説法をもって導く。ということでつ
訂正して、お詫び申し上げます m(_ _)m
>>550 >本とか理論の話ではなくて
ttp://www.onedhamma.com/
2016〜2017の約1年くらいは
神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎の
一法庵に逝ってたけど
電車代が往復で
8000円くらい掛かるので
金銭的に余裕がないので
今は逝ってないでつ
ちなみに
チベット系は
往復の電車代 +
ttp://www.tibethouse.jp/event/2018/
2018年7月7日(土)〜 7月8日(日)
リン・リンポチェ師による『心を訓練する八つの教え』と観音許可灌頂
◆ 会場:大本山 護国寺 桂昌殿
◆ 冥加料:15,000円(7月7日、7月8日あわせて)
逝きたいけど↑金銭的に余裕がないので、たぶん無理 >>553
そういう屁理屈はもういい。
瞑想や座禅やマインドフルネスを、
ちゃんとした場所で教わった経験はあるのかい? >>530
説明対象と完全一致する喩えなぞ存在する筈なかろ?w
それは既に喩えでなく、同一だよ。
「喩、譬、譬喩」が、
共通部分を抽出し、強調し、焦点を合わせ、
相違点を捨象して比較する手法であるならば、
君の指摘は野次以外の何物でもない。 >>554
それなら、もっと安いところを探したら? >>545
仏教における出世間の視座は、主語の無い文法だと思ってみ?
勿論、世間の視座は「オレが私が・・・」の一択なわけだがw >>549
意味不明。
【「仮体」たること】を「夢幻」と【表現している】【評している】のだろ?
「五蘊」(の総体)という術語を、今一度学び直した方がいいんじゃないのか?
>>555
>瞑想や座禅やマインドフルネスを、
>ちゃんとした場所で教わった経験はあるのかい?
2016〜2017の約1年くらいは
神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎の
一法庵で 3.0として
上座部 2.0 パオ・セヤドーの実践をしました
ちなみに 3.0は、実践としては
上座部 2.0 パオ・セヤドーの実践をしてるけど
世界観としては、大乗1.0の世界観でつ
それが 3.0でつ
ttp://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-13592-1/
〈仏教3.0〉を哲学する
藤田一照 / 永井均 / 山下良道著
知らないんでつか?
3.0けっこう有名らしいでつよ? 一法庵はよかったですか?
もう行かれてないんですか?
行かなくなった理由とかあるんですか?
>>561
>一法庵はよかったですか?
(大乗1.0の世界観を受け入れて、それからなら)
100パーセント
そのまま
上座部 2.0のパオ・セヤドーの実践の方が良いかも?
>もう行かれてないんですか?
金銭的に余裕があるのなら
ゴータミー精舎(幡ケ谷テーラワーダ仏教センター)にも
チベット系にも逝ってみたいでつ
>行かなくなった理由とかあるんですか?
金銭的に余裕がないので
それと
とりあえずは
大乗 1.0の世界観は、わかった(ような気がする?)ので
100パーセント
そのまま
上座部 2.0のパオ・セヤドーの実践と
チャクラ、クンダリニー系と
チベット系も良い。と思っちょりまつ
マハーシ・サヤドー系も?
S.N.ゴエンカ系も?良いかもしれないけど… >>560
その本は読んでる。
>>554
場所はそのようなところでもいいし、
>>562
> 大乗 1.0の世界観は、わかった(ような気がする?)ので
自分でわかったような気がしているのであればそれでいいけど、
あとは、質ではないかな。
満足できるような瞑想や座禅は出来たかどうか。
キミは熱心だし、本もよく読んでいるけど、
本で得た知識と、自身の経験とが一致できていないようなところがある。
質の高い禅定を経験すると、理解も深まる。
そうすれば、今まで読んできたものも生かせるようになるだろう。 >>556
完全一致は求めてないだすが527が出した喩えには主語と述語があるだすから527の思考の方もせめて主語と述語は出すべきだす
深海魚が(主)海面に 飛び出した(述)
人間が(主)宇宙に 飛び出した(述)
◯◯が(主)自我から 抜け出した(述)
527の思考には主語がないのに527が出した喩えにはある
これでは喩えにはならんのです
喩えにしたいのならもとの思考の方にも主語がないとならんのです
天体観測も一緒だす
>>522も主語述語、主客が「天体が丸い」と「無我」では使い方が違ってるので「同様に」などとはならないのだすな >>559
>【「仮体」たること】を「夢幻」と【表現している】【評している】のだろ?
その「ゆめまぼろし」を勘違いする奴が多いから言っているんだ。
学者でもそういう使い方をする人がいるが、やめた方がいい。
それとも君が本気でそう思うのなら君の腕をナイフで切ってもいいかい?
本気で「ゆめまぼろし」だと思うならね。 >>565
主語のあるなしは、
「無我(非我)」及び「行為、事象に於ける主体の消去」
に関して。
喩え話で主語が不要だなどとは言っていない。
※尤も、【喩えたいこと】に於いて主語のあるなしが重要でないなら、(発話者の意図がどうなのかは知らんがw)
一方にあって一方に無くても問題ない。【比較したい箇所がそこでない】ならば。
譬喩表現に於いて、一番ありがちな祖語は、そのような
発話者は捨象して構わないと考える要素を、聞者が捨て置けないと考えるケース。
そう、今の貴方たちのようにw
レス番の返り方のチェックもさることながら、
まず、日本語の勉強から始めようやw ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない88◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173236496/683
683 素人 1/5 sage 2007/03/11(日) 19:02:38
>> 566(=>> 535=486(=酔いどれw))
> 何(だれ)が仮設するの?という突っ込みを
はい。よくわかります。
以前、「「「「「私」を見ている私」を見ている私」を見ている私」を見ている・・・・」
という無限遡及は一度で良い、と述べましたが、ほぼ同様です。
(幽体離脱ではありませんがw)<他者(外)から見た自己>という視点、
(これを哲学用語では「メタ」と言ったりするのでしょうか?)
そうした視点を採用することが不可能であるとは思いません。
『「腹減った」と思考する私』が居るとします。その時の【私】は『「腹減った」と思考している「私」』を見ます。
そして、【私】は『「私」』を、『腹減ったという思考状態にある「私」である』と見ます。
(基本的には、仏教という枠の中ではここまでですw)
さらに、【私】は『この【私】』は、『【「私」を、腹減ったという思考状態である「私」』と見做している思考状態】である』
と見ます。ここまでで十分でしょう?これ以上遡及することは徒労に他なりません。 つまり、≪ 【私】とは、【○○という状態にあること】 ≫という構図が見つけられればそれでよいのではないでしょうか?
(注:肉体としての自己等、心理(脳内)以外の状況は省いています。)
人が、過去しか認識できないとしても、時間的推移の中で只一つしか認識できないものであるなら、
≪ 【私】とは、【○○という状態にあること】 ≫と受け止めること(この場合は「受け止めている状態」と知ること)が、
人間にできる限界なんじゃないかな・・・と。
●
蛇足ながら、
≪ ≫部分に注目するなら、仏教という枠組みの中では、
初っ端から(全てを)≪ 【××】とは、【○○という状態にあること(○○という事象であること)】 ≫
と見ることが根幹でもあります。
だから、「智慧」が最重要のものとされるし、「如実に見る」「あるがままに見る」ということが強く言われるのです。
> また「私」をどのように捉えようと、捉えるという言い方をするかぎり、
> 「だれが?」との問いを受けざるをえないでしょう?
上記と同様ですね。 「言い方」については仕方がないのではないでしょうか・・・。 >>568
ああ意味が分からないんだろ、泡の先生w ◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない55◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140273935/824
824 探求者 ◆IageKhlEwc sage 2006/02/25(土) 23:03:00
>> 811
仏教系の知識がほとんどないんで、関係あるところを分かりやすく語ってくれると俺は嬉しい
>その1:デカルト的懐疑(無限遡及)に対する印籠が用意できるかどうか?
> →結局、「受け止め方だよ。」としか言えなかったら、【このスレでは】意味がない。
> →個人的には、時間を楯に「一回でいいじゃんw」と言いたいのだが・・・。
一回的な「この私」「この疑い」を数えてしまうからまずいんだよね。
"2回"起こってるように見えても、それは1回と1回でしかない。
差異を無視して、グループでくくってはじめて2回になる。ここが無限後退の原因。
って概念的な説明するか、時間的な直感に訴えるか。
私を【今まさに疑っている】「この私」を、私が【今】疑うことができるのか?
これを事後的に見て、できるとみなすことが無限後退の原因。
実際俺が経験したのは、最後の「私」が俺ではなくて一言という他人だったことを忘れて
「俺が疑えたんだ」と錯覚してしまったという、似たようでちょっと違う話だ。
時間を楯にしたほう分かりやすいかなぁ? 【私】を記述してください【私の存在性】25
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1223203692/17
17 素人 sage 2008/10/05(日) 21:05:24 0
>【私】を記述してください【私の存在性】24
>http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1222213200/994
> 994 24 sage New! 2008/10/05(日) 19:58:45 0
>>> 992
>だから、どうして「逃れられない枷、縛り」なのかということだけど。
>枷だと考えるのは例えば君は「私の身体はなぜ私の身体であって他人のそれではないのか、いや他人の身体であってもいいはずだ」とか考えているということかな?
>私の身体はなぜ私の身体であって他人のそれではないのか
>他人の身体であってもいいはずだ
そういう方向とはちょっと違うでしょうね・・・。
思考している以上、それは「私が思考している」のでしょう。
五感でもって知覚し、情報収集している以上、「私の身体」なのでしょう。
その時、「思考がある」とだけ見る。「感受がある」とだけ見る。
そのように見ている何ものかをもまた、「そのように見ている」という観察がある、とだけ見るのです。
(この無限遡及は一度或いは二度で十分です。)
掘り下げ、潜行し、余分なものを削ぎ落とし、玉葱を剥いていった時、
『見ている何者か』、『観察している何者か』、は本当に必要なんだろうか・・・?という疑問を持っているだけです。
それは、玉葱の芯を探す(確定する)ことのように愚かなことではないのか? と・・・。
>>563
>あとは、質ではないかな
>満足できるような瞑想や座禅は出来たかどうか
呼吸への観照は
9秒くらいまでなので
上座部 2.0で云うところの
canda(チャンダ)
単純な(純粋な)意欲・やる気が足らないのかもしれないでつ
大乗1.0で云うところの
(「仏そのもの」の)智慧と慈悲も足らないのかもしれないでつ
「仏の大悲・大智」と「自分(おじゃる)」との
双方の縁起の
相応一致も足らないのかもしれないでつ
縁起している世界を手放しする
その直前までは
縁起に依存しているので…
自力で往生などしようとしないで
一切の物事を阿弥陀仏にお任せする
(或いは、お任せできるのか…?) >>567
祖語ではない齟齬だす
日本語の勉強から始めることだすなw
ID:Vl73B49/師匠も
面白い師匠でつね?
これからも頑張ってくださいませ ヨロ m(_ _)m
_ _ _
隠居師匠
閻魔師匠
縁起一代師匠
みんな元気で生きてるのかしらん?
ちなみに
隠居師匠は
中論肯定派だけど
中観自立派のような立場として
中観帰謬派のようなもを否定してた師匠でつ
ちなみに
自分(おじゃる)ID:yRBuy5Ef も
[ 仮設としての ] という意味で、中観自立派のような立場でつ
>>566 ID:3INkBdtl 師匠
>「ゆめまぼろし」を勘違いする奴が多い
ttp://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗 内山興正
([仮設としての]という意味で)
([夢・幻のような空性である]というような?)
諸法無我は
倫理道徳の破壊につながってしまいます
たとえば↑こう云うことかしらん?
_ _ _
それでも、とりあえず
中観帰謬派とか?の場合は
ttps://www.tibethouse.jp/about/buddhism/text/pdfs/gomrim_barpa_201612-2.pdf
カマラシーラ
…
心そのもの〔の現われ〕である物質的存在などを
夢の中に現れる物質的存在などのように
まるで外界に切り離されて〔独立して〕存在しているかのように見ている
しかし
究極的には、これらの物質的存在などは
心の現われ以外の何ものでもない
虚妄そのもの
幻に実体がないのと同じように 夢幻というと軽視していいというニュアンスで語られやすいけどそういうことじゃないよね
夢幻として扱う
夢幻というのは無常であり執着の対象にならないって意味だろうけど、
執着しないことと軽視することは同じではないしね
夢幻としてある意味大切に扱えばいい
執着なしでもそのときそのとき大切に扱うことはできる
>>578 ID:D7DpFSUu 師匠
仮設としての
執着を手放し
無明を超えて
今この瞬間を生きている
ということなんでつね?
ご教示ありがとうございます アリガト
ttp://www.j-theravada.net/3-jihi.html
慈悲の冥想
生きとし生けるものに
般若の智慧と慈悲をもって
悟りの光が現れますように
無明している
すべて一切の物事を阿弥陀仏にお任せして
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m やたらと語尾にwをつけるのはセブンとそのお友達のパーピマンの2人
これ豆な
ちなみに昨夜のwはセブン >>580
どこの誰? セブンとかパーピマンって? 579.
バカおじゃる、は阿弥陀仏とか如来とか言ってるバカである。 >>574
> 呼吸への観照は
> 9秒くらいまでなので
これはどういうこと? >>574
> 単純な(純粋な)意欲・やる気が足らないのかもしれないでつ
>>554のようなところを複数回経験しているなら、
あとは特別なところでなくてもいいはず。
近くで普段使いできるようなところを探したり。
坐りたいと思った時に気軽に行って坐れるようだと、気づきも多い。
>>583
>> 9秒くらいまでなので
> これはどういうこと?
たとえば上座部とかの場合は
ttp://pao.hamazo.tv/c601110.html
呼吸を見るときに
30分〜1時間
この間に、他のことや妄想、思考が入らないように
というような決まりがあるけど
自分(おじゃる)の場合は
9秒くらいまでしかできない
という意味でつ
道元 普勧坐禅儀
心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐
このような妄想、思考が入らない状態を維持して
30分〜1時間
呼吸を観察せよ
という意味でつ
それが何秒?何分?できるのか?という意味でつ
>>584
>坐りたいと思った時に気軽に行って坐れるようだと、気づきも多い
手放して → 気づく
([今この瞬間]に)気づいて → そして手放していく
最終的には
仮設としての
縁起している世界を手放して → 涅槃
ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m
面倒くさいので全部読んでないけどとりあえず
ttp://science-and-buddhism.com/chapter-5/
今のあなたたちに
『四諦、八正道、十二縁起』という筏はもう必要ありません
あなたたちは科学技術という船に乗って悟りを目指しなさい
今の
これからの
『科学は正しい』と洗脳されている人なのかしらん?
もっとも
創価信者の人達も
ある特定の人物とかが『正しい』と洗脳されていると思うけど…
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
(『これからの科学は素晴らしい』というような想いも含めて)
仮設としての
縁起している世界を手放し超えて
激流を克服して
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
仮設としての
『これからの科学は素晴らしい』
というような想いも手放し超えて → 涅槃
>>587
誤爆でつ
失礼いたしました
この上座部スレに
創価信者の人は
たぶん来ないと思うけど
もし創価関係の「あらし」が来たら スマソ m(_ _)m 夢幻に拒絶反応起こしてる人には、
机との 「(一枚の)紙の表裏の喩え」 を提示した方がいいかな?
ログ漁って出てくるかわからんけど。 >>585
> 9秒くらいまでしかできない
それぐらいだろうね。
童貞並みだけど。。。
1泊のものでいいから、合宿にでも行ってみれば?
実際には、言語による思考を停止しても、大小様々な想念が生じるから、
それらもありのままに観察して受け流すようにする。
>>591
>それら(妄想、思考)もありのままに観察して受け流すようにする
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
正確に説明すると
たとえば
自分(おじゃる)の場合は
心意識・念想観を止めてるのではなくて
大乗1.0の世界観
[仏そのもの]の世界から観照する
というような感じで
雑念が出てきたことに気づいても
この雑念を自然に手放して
その辺りに漂わせておくようにして
というような感じで
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ
今のところは↑これを13秒くらいまで おじゃる
(フォーカシングは心理療法 おじゃる) >>585
道元でキミに必要なのは、「只管打坐」の先の「心身脱落」。
それにはキャパを超える経験をしないと。
キミは抱えているものが多いから。
3.0だの一切の如来の足だのクンダリーニだのと。
>>593
> 抱えているものが多いから
> 3.0だの一切の如来の足だのクンダリーニだのと
自分(おじゃる)の場合は
小学4年の頃の
『落武者の霊を見た!』と今でも引きずっていて
そして、元々は
オカルトスレから → 仏教議論スレへ
そして
今ここの上座部スレに来てるけど
なかなか
掴もうとしている『想いの手放しをするのは難しい』でつ
元々は
オカルトスレから来てるので
やはり
『チャクラだ!クンダリニーだ!』という感じでつ
_ _ _
自力で往生などしようとしないで
無明薫習している
すべて一切の物事を阿弥陀仏にお任せして
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
↓オウム信者と勘違いされるかもしれないけど
ttps://www.kosei-shuppan.co.jp/book/b274452.html
新アジア仏教史9 チベット 須弥山の仏教世界 165ページ参照
…
チャンダーリの火
臍のチャクラに宿る熱
この熱の力で風(ルン)を中央脈管の中に導き入れ
それが脈管に入り留まり溶け込むことに習熟した時
菩提心である精液が溶け出し
それが中央脈管の中を上下に移動しながら
四つのチャクラを通過する時に四段階の歓喜が生じ
最終的には
源初から存在する(倶生)
大楽を元に楽空無別の智慧を獲得する
↑チベット密教系で おじゃる クンダリニー上げるの失敗すると最悪死ぬよ。テーラワーダからすると、もともと無いとか
言いそうだけど。釈迦の頭頂の膨らみって特殊なヨーガやったから出来たとか言われてるけど。
>クンダリニー上げるの失敗すると最悪死ぬよ
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
三十二相(さんじゅうにそう)
31. 頂髻相(ちょうけいそう)
頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している。肉髻(にくけい)
↑これでつね?
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ
光り輝いている智慧と慈悲が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
[ 頭を裂け落とさせる ] ものである >>595
精液は菩提心と同一とみなされるから、一滴も漏らさないようにするんだろ?
ご苦労な話だ。
ツォンカパは、密教を、顕教の学習の後に研修すべきものとした。
高度な心身のコントロールが必要になるから。
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
ツォンカパ
アティーシャの『菩提道灯論』に範をとって主著『菩提道次第論』を著し…
アティーシャ
ヴィシュヌ派、シヴァ派、ヒンドゥー教の
タントラを始めとする多くの教義を学び…
無著、世親による弥勒菩薩の法脈(唯識派)、龍樹
月称による文殊菩薩の法脈(中観派)を学んでいる
月称(チャンドラキールティ)
帰謬論法の有効性を主張し、中観派における
中観帰謬派と中観自立派の二派対立の端緒になった
主著の『入中論』においては、克明な唯識批判を行った
そうだったんでつか↑知りませんでした
ヒンドゥー、タントラ、唯識とかの
アティーシャ師匠の勉強もしたいと思いまつ
たとえば
中観帰謬派の
世俗の次元においても自性(我)を否定する
根本仏典(上座部 2.0)も
世俗の次元においても我を否定する
それゆえに
スレチではない。ということでつ、一応念のため…
>ツォンカパは、密教を、顕教の学習の後に研修すべきものとした
↓これでつね(ツォンカパの師匠?)
ttps://www.jangchuplamrim.org/wp-content/uploads/2012/09/Lamp_Path_Japanese_MRinchen.pdf
菩提道灯論
アティーシャ・ディパンカーラ・シュリジュニャーナ
15
[仏そのもの]の世界から観照して
根本仏典(上座部 2.0)の
戒・定・慧の
三学を守りなさい
39
煩悩障と所知障をすべて滅するために
35
36
37
38
[仏そのもの]の世界から観照して
根本仏典(上座部 2.0)の
(止観の)止をもって
智慧の完成(止観の観)をもって
煩悩障・所知障とかの障りをなくす
↑密教の世界観として唯識も混ざってるけど、とりあえず… ツォンカパは、チベット仏教ゲルク派の開祖。
歴代のダライ・ラマはここに所属。
ゲルク派の僧はまず顕教を学び、それが終了した段階で意欲があり、
かつ師が認めた者だけが次の密教の研修に進めるが、それは全体の約一割だという。 仏教密教は大乗仏教にのみ生じたもので、テーラワーダ仏教にはないね。
>まず顕教を
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
とりあえず
(ウィキペディア参照)
大乗のみならず
パーリ経典も編纂されたものである
近代の文献学上は
原始経典さえも
釈迦の言説が明確に記録されているか明らかでない
それでも、とりあえず
スッタニパータ
第4〜5章
この部分がもっとも古く、元は独立した経典だった
らしいので
これからも
上座部 2.0としての導きも進めていきたいと思いまつ
戒・定・慧・解脱・解脱智見
慈悲の冥想
生きとし生けるものに
光り輝いている智慧と慈悲をもって
悟りの光が現れますように
一切の如来(衆生)の御足を礼拝し奉る m(_ _)m
(この場合の如来は「衆生でもある」という意味でつ一応、念のため…) 智慧と慈悲を持っていない、バカおじゃる、の登場である。
宣伝隊長に任命する。 佛とは嘘で在り、悪で在る。
仏教なる名目に於いて一般労働からの逃亡を謳歌せし僧侶達は常に自己と周囲を欺く。
何ぞ反動的冒険を行えど、其れすら仏道の証と決定し、粉飾に塗れた生涯の一頁に刻むのだ。
例を挙げん。特権階級は道義的な労働条件から全く逸脱した人権の蹂躙たる酷使や富の再分配を忘却した独占主義なる犯罪行為に手を労働者の血で染めては其れを「ノブレスオブリージュの代償」と呼ぶ。
労働争議で被虐者が起てば、工場は生産是れ唯一の場所に非ずと言い出す。
資本家は青春の二文字をさも金科玉条かの如くに思慕し、如何なる一般的解釈も社会通念も屈曲する。
支配層に係れば虚偽も欺瞞も、詐術も弾圧さえも青春の香辛料でしか無いのだ。
又、封建領主は其の悪行に、其の詭弁に特別性を見出す。自己の労働からの逃亡は遍く青春の一部分で在るが、労働者の逃亡は青春でなく只の叛逆にして重罪であると断じるのだ。
仮に逃亡する事が仏道の証で在るのなら、資本家化を拒絶した労働者も又青春の中軸でなければ破綻的矛盾を生む。
しかし、肥え太った僧侶共は其れを認め無いだろう。
何の事も在らぬ。全体汚らしい豚の都合主義の範疇を超え無い。畢竟、其れは欺瞞に他成らぬ。虚偽も欺瞞も詐術も弾圧も糾弾される可き物だ。
資本主義は悪の源泉だ。
演繹的にも帰納的にも前衛的に仏道(笑)を謳歌してい無い労働者の方が正当な真理的正義で在る。
結論を言おう。
共産主義こそ根本である。 もしかして…
女子児童に猥褻行為をはたらいて懲戒解雇になった西村先生? うわあ〜、まだこんな化石のような人っているんだね〜。 https://i.imgur.com/kujtfeM.jpg
https://i.imgur.com/aDV5Z9K.jpg
並川孝儀という仏教学者は、仏陀がアーラーラ・カーラーマ仙人やウッダカ・ラーマプッタ仙人から禅定を学んだというのは創作であろうとしている。 とある瞑想の会に行った。自分的に最後の方は結構いい感じと思っていたら、指導する人に、いきなりそのことを指摘されてびっくりした。
なんでわかるんだろう。 >>610
あるある
私なんて頭の中を占めていた、慕って敬愛した師匠のことを慈悲の瞑想を始める前に言い当てられた
その師匠のことなんて、指導する僧侶にも参加者にも一言たりとも話していないし、
SNSにも一切書いてないから、誰も知るよし無いことだったんだよ 瀬戸内じゃくちゅう氏も含めみんな不動明王やイルミナティー(実はおなじものなので)をとなえたり、キャラクターデザイン
に使ったりしてはいけない。まだ子供のゲームデザインなどにつかいCMしてるのを先日見た。
不動明王(シヴァも同じとする説もある)は何万年と人類、他の神仏をだましてきてることが発覚しており、
みんな知らずに被害を受けてきている。この度、抹消対象の指名手配犯になっています。
不動明王は観想してはいけない。過去空海がだまされている。 >>614
指導を受けるなら、こういう人の方がいいかも
なんか本物っぽいし >>618
熟練の僧侶は近くにいる人が考えていることとか分かることもあるみただよ
頭に浮かんだことを笑いながら指摘されたという書き込みを読んだことある >>619
心を見通す能力と、その人の人格が素晴らしいかは
別なんですよ。
視力が良い人を人格者と言わない。
人を助けるために、いかに受け取った情報を組み立てて
役立てるか?そこに個人の采配、生き方のセンスが現れちゃう。 瞑想が上手い
有名な指導者
弟子が多い
だからといって人格者とも限らない!? |lililililililililili/ .ヽlili| /:::::::,ヽ#"ヽ` "゛/ :::::|
ililililil ilili〆 /⌒ lili/ /::::::/ .,,=≡, ,,≡=, l::::::|
(ili -・=V =・- V) i::::::l゛ .,-・= ,!. =・- l::τ
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反 知 性 主 義 者 >>625
このタイミング...
書きたいこととバックグラウンドになる経験もありますが、そこは今は書かずに流れに穏和に応じて書きますね
あなたが云わんとすることも分かるので、それは胸に留めておきますの ブッダの教えや先達の長老方の教えを疑っていてすみませんでした。ここにおいて、
謝罪させていただきます。 慈悲の瞑想が好きでやっていたけど、気が付いたら慈悲もどきのエゴの瞑想になっていた
自分以外の人達の幸せを願っていたよ
幸せになってほしいと思っていたよ
でも、自分のものさしで推し量った幸せや、自分に都合の良い幸せ像の押し付けになっていた
それに気付いて微妙な気持ちになった
アーナパーナ・サティからやり直すわ >>632
360度廻って同じところ
でも、それはまた違うものだと私は思います ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています