「人間にとって、物が実在するとは、どういうことか」を、目の前のPC、コップ、ビール瓶(その他
何でもよい)について考えて見よう。
我々人間が、日常において対象の実在を判断するのは、「(必要な場合には観測装置を
使って)己の五感で知覚されるか否か」だけ。それ以外の対象を、非実在、空想、妄想と
するね。例外は「皆無」である。神は、知覚されないから、「非実在、空想、妄想」。
「神の観測装置」を研究、開発、製造している会社など、どこにもない。費用と時間の無駄で
あることが、初めから分かっているからである。
神を含む非実在、空想、妄想の対象は、人間の生命の維持に、いかなる直接の影響も
生じない。例えば、石ころは、知覚されるから実在であり、投げつけられて当たれば、死ぬ
こともあり、積み上げれば壁にして生命を守ることもできるが、神は、煮て食うこともできず、
衣服にして寒気を防ぐこともできない。
人間は、実在に100%依存しない限り、一瞬も生存できない。目の前に見える大地が
実在でなければ、一瞬にして奈落の底である。生存できなければ、神概念も発生しえない。
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