どんなに記憶を改竄しようとも、息子の与作を見殺しにした過去が書き換えられるわけではないよ。

あくまでも己の罪を認めたくない隠居なのであるが、その為の心的補償行為が徹底したイエス批判なのである。
つまりだ、真実はイエスが狂人なのではなく隠居こそが狂人なのだ。
イエスが人殺しなのではなく隠居こそが溺れる息子を見殺しにした。 これが事実だ。