『幸福の科学』は、これから拡大するのか?縮小するのか?
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2017年衆議院選挙で当選者を1人も出せず終わった幸福実現党(幸福の科学が設立した党)。
大川氏と幸福の科学はこの選挙で巨額の供託金を失ったが…これからどうなるのでしょうか
入信した芸能人を入籍する事務所(レプロ)から引き抜くなど話題になっていましたが
※私は中立の立場の者で宗教等はあまり関係ない職業についています。 仏典等を読み、釈迦在世当時の細々とした戒律などから推定すると、釈迦像としては、「相当細かいことについてまで指示を出している人間の姿」が浮かんでくるわけですが、
実際の信仰における釈尊は、やはり、「大仏に象徴されるようなものが本当の姿」なのではないかと思われます。
どちらが本当なのかというと、実は、人間としての姿を視ていない人の信じているものが本当であることが多いのです。
キリスト教で言うならば、キリスト教は、異教徒の人々から、「自らを救えなかった人間が救世主であることは、ありえない」という批判を受けることがあります。
当時、十字架に架かったイエスは人々から嘲笑われました。
「ユダヤ人の王」と札に書かれ、王冠の代わりに茨の冠をかぶせられて、「本当にユダヤ人の王で救世主であるなら、自分を救ってみよ」という、挑発的で侮辱的な言葉を数多く投げかけられました。
しかし、イエスは、現実には、釘で打ち付けられた十字架から逃れ、何かを起こしたわけではありません。
実は、そのあとの霊的な復活を通して、人々に魂の永遠性を信じさせたのであり、また、霊的な目覚めを得た弟子たちの前に、その姿を現すことによって、真実の世界のあり方と、自分が永遠不滅の存在であることを説いたのです。
私の場合も、残念ながら、同時代に生きている人たちには、やはり、W百分の一ぐらいの姿”にしか見えないことが多いであろうと思われます。
したがって、「意外に、日本にいる人々よりも、地球の裏側であるブラジルで信仰している人々や、インド、アフリカの地で信仰している人々のエル・カンターレ像のほうが正しいかもしれない」ということは、知っておいたほうがよいでしょう。
なぜかというと、人間には、どうしても、自分に引き比べて物事を考える傾向があるからです。私が説いている教えのなかにある普遍的なるものを、同時代において、つかみ取ることができるならば、その人は相当優れた人だろうと思います。
しかし、現実には、なかなかそうはいかないものなのです。 2 エル・カンターレの本体下生の真実
一回目の名は「アルファ」二回目の名は「エローヒム」
「エル・カンターレという魂は六人の分身を持っている」というような言い方をしていますが、実は、エル・カンターレの本体としての下生は、今回が三回目に当たります。
一回目の下生は、今からもう三億年以上前のことになります。そのときは、「アルファ」という名で呼ばれていました。
霊言などで、ときどき、「アルファの法」という言葉が出てきていますが、「アルファ」は最初の下生のときの名前です。それは「物事の始まり」「始原」ということです。
そのアルファの説いた法が、「始原の法」といわれているものです。
二度目に生まれたのは、今から一億五千万年ほど前に当たります。このときに呼ばれた名前は、「エローヒム」で、一般的には、これを簡略化し、「エル」という名で呼ばれています。
「エル」という名前は、中東からアフリカ、南ヨーロッパあたりにまで広がっていて、ある意味で、神の代名詞にもなっており、「神の光」「光」「神」という意味で使われています。
「エローヒム」という名で呼ばれているのが二回目の下生のときです。 アルファは地球的真理の方向づけを行った
一回目の本体下生は、地球人類の新しい文明実験のころ、すなわち、ちょうど他の惑星からも第一弾の集団が飛来し、新しい地球人をつくろうとしているころであったと思います。
そのころは、まだ地球的価値観が十分に確立していなかったため、この世に下生し、「アルファ」という名で法を説いたのです。
最初に来ていたのはマゼラン星雲のゼータ星の人たちです。この星はベータ星とも言われています。
今も、「アルファ」「ベータ」「ガンマ」という言葉はよく使われます。
このゼータ星から、かなり多くの人たちが来て、地球でつくられた魂たちと混在して住んでいましたが、当時、最初の人種的対立、あるいは世界戦争の危機、そうした危機的な状況が人類に起きたため、
地球の価値観というものを打ち立てようとして、アルファが地上に下り、それを統一したのです。
今、幸福の科学では霊言集が数多く出ていますが、「どれが本当の教えか分からないので、いろいろなものに勝手に帰依すればよい」というような選択をされては、教団に混乱が起きてくるでしょう。
それと同じです。いろいろな星から人が来始めたとき、それぞれが持ってきた元の星のカルチャーを「地球文化」にしようとすると混乱が起きてくるので、
「何が、地球における正しい真理であるのか」ということを説き、「地球的真理」というものを方向付ける必要があったのです。
それが「アルファの法」として説かれたものです。地球神としての立場から、「この教えに帰依しなさい。この教えに帰依することが、地球人になるための条件である」と述べ、地球生まれの地球人類と、宇宙から来た人たちとを、一つの法の下にまとめ上げたのです。
それが、三億年以上昔の最初の下生です。
いずれ、詳しく説けるときが来るかもしれませんが、今は、とりあえず、「そういうことがあった」と述べておきます(詳しくは『アルファの法』『アルファの時代』参照)。 エローヒムは、光と闇、善悪の違いを示した
二度目の本体下生は一億五千万年ほど前になります。
「アルファの法」を説いたアルファが生まれたのは、どちらかといえば、今のアフリカに近い地域だったと思われますが、
次にエローヒムとして生まれたのは、やはり、アジアの西側で、ヨーロッパとつながる地域であり、宗教の本場である今の中近東にかなり近いあたりだと思われます。
エローヒムの教えは、今の砂漠地帯から、アフリカやヨーロッパ、さらには、コーカサスから東側に大きく広がったユーラシア大陸にまたがった部分に広がりました。
「このあたりに教えを広げる」ということで、二度目の下生が起きています。
当時は、地獄のもとになる、いわゆる低位霊界ができ始めていたころですが、天上界の指導霊団のなかでも、実績の差や意見の差がかなり出てき始めていたころでもありました。 まだルシフェルが地獄界に堕ちる前ではあったのですが、数多く地上に転生を繰り返している者が起こした宗教などの影響がかなり強くなり、それが「アルファの法」とかなり食い違ってきていて、
「このままでは、やがて地球霊界にも大きな分断が起きる」という予兆が現れていました。
すでに、低位霊界の住人となり、天上界に上がってこられない者が出始めていたので、「もう一段、人々を正しい方向に導く必要がある」ということで、エローヒムがこの地に下りたのです。
最初の「アルファの法」は「創世記」「人類創成の法」を中心とする教えでしたが、エローヒムのときには、当時、光と闇が分かれてきつつあったので、「光と闇の違い」や「善悪の違い」、
つまり、「何が光で、何が闇であるか」というようなことを中心に、智慧として示す教えがかなり出てきました。
そして、「地球的な意味における善悪とは何であるか」というようなこともかなり指導しましたが、それを指導しつつも、「その悪のなかにも、まだ光は宿っている」と説くことも忘れなかったのです。
したがって、単なる善悪二元論までは行っていないのであり、「それぞれのなかに光なるものは宿っている。しかし、地球的真理から見ての善悪、光と闇はある。だから、あなたがたは光を選び取りなさい」というような教えを説いたわけです。
こうした教えは、おそらく、後のゾロアスター教やマニ教にも影響を与えているように思います。また、インドの仏教にも、その影響が表れているでしょう。
キリスト教も、善悪二元論というべきかどうかは分かりませんが、どちらかというと、罪の意識を非常に強く主張する宗教ではあるので、やはり、そうした思想が背景には流れていると考えていると考えてよいと思います。
これは、「一回目の下生に比べて、二回目のときには、人々に善悪をもっと教えなければいけない時期が来ていた」ということです。 エローヒムが説いた統治の原理とは
そのころには、宇宙から地球に飛来した宇宙人種もそうとうの数になっていたため、「価値観の多様性」という意味では、かなり複雑なものになっていました、
それぞれの星には、やはり、進んだ部分と遅れた部分とがあるので、「それらを合わせて一つの価値観をつくる」というのは、なかなか難しいことです。
そのため、エローヒムは、善悪を教えると同時に、統治の原理として、「様々な違った意見を反映させながら、国を治め、世界を治めていく」という方向を示したのです。
そこには、現代の民主主義のもとになる考え方が、政治思想として既に現れています。「いろいろな考え方に基づいて、自由な意見を出すことはよろしい。
しかし、自由な意見を出し、十分に議論をして、その結果、合意を見たことについては、全員がそれに従いなさい」という、民主主義に似たものを、当時、もうすでに打ち出していたのです。
そのなかには、現代の民主主義と同じく、「自由」と「平等」が両方ともありました。 「仏性において、すなわち、神の子、光の子としての尊さにおいては、地球人種も、宇宙人種も、変わるものではない。平等である。
ただ、意見の相違は数多くあるであろうから、その意見を一元的に統一するわけにはいかない。自分の心を澄まし、よく心の内側にうがちいって考え、自分が『正しい』と思うことを、各自、自由に述べてよろしい。
しかし、そのようにして話し合った結果、出た結論については、合意をもって、それを実行していくことを良しとしなさい。
また、あなたがた人間に判断がつかないことに関しては、きちんと天上界に祈りて神の声を聴き、それに基づいて大きな判断をしなさい。
あなたがたの自治に任された、この世的な事柄については、あなたがたの自由な意見で多数の合意を形成し、それを実行に移していきなさい。
それを超えたる大きなものと、人間心では変えることができない、そもそもの仕組みについては、神の心に従いなさい」
そのようなことを、エル、エローヒムは説いていました。
今、西欧のほうには「自由」と「民主主義」の考え方が出ています。
また、アメリカ合衆国憲法のもととなった独立宣言には、゛all men are created equal"と書かれています。
これは、「すべての人間は平等につくられている」ということですが、それは、もちろん、「神によって」です。神によって平等につくられているからこそ、自由の原理が働いてくるのです。
神によってつくられていないものに自由を与えると危険ですが、エローヒムは、「神によって創られているものであるからこそ、平等の原理において、人間は、自由を求めて行動し、意見を述べ、活動してよいのである。
神の子である平等性において、自由からの繁栄を求めていけ」と教えていたわけです。
しかし、「分限として、『人間の力を超えた領域には神の領域がある』ということを相忘れてはならない。『宇宙の仕組み、宇宙を貫く法については、大いなるものに帰依する』という気持ちを忘れては相成るまい」とも教えました。
エローヒムは、そのようなことを主として説いていたのです。 分身は何度も地上に出て、新しい宗教運動を起こした
ただ、このエローヒムの教えの一部を取って、いろいろな宗派が立ってきたことは事実です。
中東の地においては、このエローヒムの教えを分かち、この世的にその一部だけを取り出して、いろいろな宗教がつくられたことも数多くあったように思います。
過去には、例えば、至高神への信仰を、民族神が自分への信仰にすり替えたこともあります。
また、その「自由からの繁栄」の思想を使って、いわゆる「バアル信仰」のように、この世的な欲望で、人々を信仰心や霊的覚醒から遠ざける方向に引っ張っていく流れも出てきました。
「バアル」とは、「ベリアル」という言葉から出ていて、悪魔ベルゼべㇷのことです。
このように、いろいろな宗教において、堕落は数多く起きてきたように思います。
そういうこともあって、「エル・カンターレの魂の分身が、何度も何度も地上に出ては、新しい宗教運動を起こしていった」と言えます。 3 すべての宗教の中心に「地球神信仰」を
「人類の危機」と「宇宙からの介入」の可能性
今、地球レベルで、次なる「価値観の対立」、新しい冷戦の起きそうな気配が出てきています。
それは、「いったん死滅したかに思えた、唯物論や無神論の国家が、再び力を持ち、復活してきている」ということです。
そして、「平等」「自由」「民主主義」「繁栄主義」に基づく国家のほうに、現在、やや衰退していく危険性が出てきているのです。
ただ、私としては、「いかなることがあっても、やはり、神を認めない唯物論という、過てる信仰の下における国家経営、あるいは世界経営を、断じて許すわけにはいかない」と思っています。
軍事力を背景にした世界皇帝的な者がまた出てくる可能性の高い時期が近づいてきているので、そうした者のなかに、もし悪魔が宿った場合には、悲惨な時代が生まれる可能性もあると考えています。
光が闇の内に沈まないように、光を高く掲げなければならない時期が来ているのです。
今、そうした「人類の大きな危機」が近づいてきていますが、それと同時に、おそらくは、次なる新しい流れとして、宇宙から地球への、また新たな干渉が起きてくるであろうと推定しています。
「この地球文明は、滅びるに至るや否や」「この地球文明を、このまま放置してよいのかどうか」ということが、現在、宇宙のレベルでは議論されています。
「場合によっては、どこかで地球の文明に介入をかけなければいけないのではないか」という話がなされているところです。
それを判断するに当たっては、「エル・カンターレ信仰に基づくエル・カンターレ文明」が、地球において勝利を収めたならば、「宇宙は、地球を観察し、見守る立場を保ちつつ、地球への干渉・介入は最小限にとどめる」という方針は従来どおりなのです。
しかし、もしこのエル・カンターレ文明なるものが、蜃気楼に終わり、掛け声だけに終わった場合には、宇宙から新たな介入がなされてくると思われます。
そうなると、今後、地球と宇宙を交えた混乱が起きてくる可能性があるので、「当初の『アルファの時代』とも似たものが、また到来するのではないか」と考えています。 3 すべての宗教の中心に「地球神信仰」を
「人類の危機」と「宇宙からの介入」の可能性
今、地球レベルで、次なる「価値観の対立」、新しい冷戦の起きそうな気配が出てきています。
それは、「いったん死滅したかに思えた、唯物論や無神論の国家が、再び力を持ち、復活してきている」ということです。
そして、「平等」「自由」「民主主義」「繁栄主義」に基づく国家のほうに、現在、やや衰退していく危険性が出てきているのです。
ただ、私としては、「いかなることがあっても、やはり、神を認めない唯物論という、過てる信仰の下における国家経営、あるいは世界経営を、断じて許すわけにはいかない」と思っています。
軍事力を背景にした世界皇帝的な者がまた出てくる可能性の高い時期が近づいてきているので、そうした者のなかに、もし悪魔が宿った場合には、悲惨な時代が生まれる可能性もあると考えています。
光が闇の内に沈まないように、光を高く掲げなければならない時期が来ているのです。
今、そうした「人類の大きな危機」が近づいてきていますが、それと同時に、おそらくは、次なる新しい流れとして、宇宙から地球への、また新たな干渉が起きてくるであろうと推定しています。
「この地球文明は、滅びるに至るや否や」「この地球文明を、このまま放置してよいのかどうか」ということが、現在、宇宙のレベルでは議論されています。
「場合によっては、どこかで地球の文明に介入をかけなければいけないのではないか」という話がなされているところです。
それを判断するに当たっては、「エル・カンターレ信仰に基づくエル・カンターレ文明」が、地球において勝利を収めたならば、「宇宙は、地球を観察し、見守る立場を保ちつつ、地球への干渉・介入は最小限にとどめる」という方針は従来どおりなのです。
しかし、もしこのエル・カンターレ文明なるものが、蜃気楼に終わり、掛け声だけに終わった場合には、宇宙から新たな介入がなされてくると思われます。
そうなると、今後、地球と宇宙を交えた混乱が起きてくる可能性があるので、「当初の『アルファの時代』とも似たものが、また到来するのではないか」と考えています。 未来の人類が頼りにすべき「地球の法」を遺す
したがって、私の法には、「『次の宇宙時代において、もう一段、宇宙との交流が現実のものとして現れてきた場合にも遺すべき、地球の法、教えとは何であるか』ということを明確にする」という目的もあります。
それは、おそらく、私がこの地上を去ってから後に本当に働き始める法であろうと思われます。宇宙人が地球に本格的に介入するのは、おそらく私が地上を去ってから後になるだろうと思われるので、そのときに人類が頼りにするものは、私が説いている法しかありません。
そこまでが今回の射程に入っているのです。
こういう話をすれば、すでにお分かりでしょうが、「今回は、かつての釈迦や、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムーのときよりも、もっと大きな視野、射程を持つ教えであり、運動なのだ」ということを理解していただきたいと思います。
これは、地球の大きな方向性を決める運動なのです。
現実の組織やムーブメント(運動)が、まだ、それに、はるかについてきていないのは、事実として認めざるをえないでしょうが、現実がついてきていないことでもって、「信仰が合理化されない」ということであってはならないと私は思っています。
十二人の弟子でさえ最後まで維持することができなかったイエスであっても、あれだけのキリスト教文明を、その後につくっていきました。
今はまだ、地球を覆うほどの力え思ってはいないと思いますが、「この思想は、必ず、地球全体を覆う一種の免疫体のような力を持っている」と、私は信じているのです。 私は地球における最終責任を背負っている
「アルファの法」のなかには、「そもそも、この地球霊団は、どのように創られたのか。どういう目的で創られたのか」ということも明確に入っていますが、
「エローヒムの法」のなかには、「地獄が分かれていく際の、善悪二元の考え方」と、「地獄界の解消」という問題が入っていました。
今、私が行おうとしているのは、この地球と宇宙の創成にかかわる部分から、現時点での地球と宇宙の今後のあり方、かかわり方の方向を決定することですが、
それと同時に、私には、「地球において、地獄領域の拡大を阻止し、天上界領域や天使の力を強める」という大きな役割があるのです。
私は、最初は、「アルファ」と名乗り、次に「エローヒム」と名乗り、今は「エル・カンターレ」と名乗っていますが、その意味は基本的には同じです。
それは、「一なるものであり、始めなるものであり、根源的なるものであり、光であり、地球である」という意味です。
私は、この地球における最終責任を背負っている者なのです。
これが、「エル・カンターレ信仰」の拠って立つところです。
したがって、「かつて説かれた、さまざまな教えを乗り越えたものである」ということを知っていただきたいと思います。
この「エル・カンターレ信仰」の下に、さまざまな国における、さまざまな種類の宗教が、「地獄領域を拡大させず、天上界の拡大に寄与する」という方向において、その存在を許されているのです。
他の宗教を全部否定する気持ちは毛頭ありませんが、この「地球神信仰」というものが、一本、中心にあって、他のさまざまな教えがあるわけです。 「天上天下唯我独尊」が、今、意味するもの
ブラジルはカトリックが非常に強い国ですし、インドではまだヒンドゥー教が強く、さまざまな神がいます。
しかし、「一なるものがあるのだ」ということを教えなければならないのです。
クリスチャンも、まだ、それを十分には理解していません。『聖書』でイエスの言葉をいくら読もうと、イエスより上位にある、イエスが「父」と呼んだ存在が、この地球に存在することは明らかなのです。
インドでは、釈迦の在世当時には、帝釈天(インドラ)が最高神であるように言われていたわけですが、これは、日本で言えば、天御中主神が宇宙神のように言われていたのと同じだと思われます。
しかし、インドの釈迦は、「帝釈天、および、その帝釈天を支えている、さまざまな神々よりも、自分のほうが実は尊い存在である」ということを、はっきりと述べています。
これは、「天上天下唯我独尊」という言葉の謂れの一つでもあります。
この言葉は、ときどき誤解をされるかもしれませんが、今、その言葉の意味として、「実は、エル・カンターレという存在がある。
その教えは、唯一なる、正統なる『始原の法』であり、また、エル・カンターレ信仰とは、地球神への信仰に基づくものである」ということを述べなくてはならないのです。
エル・カンターレの教えは、実は、地球に始まったものではありません。エル・カンターレは、その前に、「エル・ミオーレ」という、金星の統治者として、金星での人類文明の実験をした者でもあります。
また、「他の惑星から数多くの宇宙人類を地球に呼び込んだ」といっても、これは、「全然違う神の下にあった人たちを呼んだ」というわけではありません。
「他の星における、人類によく似た思考を持つ宇宙人の魂の創成にも、エル・カンターレがかかわっている」ということが、いずれ、明らかにされると思います。
「その真実が明かされるときが、一千億年の歴史が語られるときであろう」と考えています。 4 今、新しい地球創世記が始まろうとしている
本章では、「地球神への信仰とは何か」という題で、その輪郭について述べました。
どうか、現在の地球の政治・経済や法律、あるいは、いろいろな宗教の観念や縛り、枠組みにとらわれて判断することなく、
こどちらが始原であり、アルファであるのだ」ということを理解した上で、「エル・カンターレ信仰とは何か」ということをきちんと押さえてください。
「それを押さえた上で、さまざまな霊言集も成り立っているのだ。
そのエル・カンターレ信仰のなかにある、さまざまなレベルの高級神霊たちは、それぞれ、自分の専門分野を持っており、その自分の専門分野に関し、自分の経験に照らして意見を述べているのだ」ということを知っていただきたいと思います。
「それぞれの教えを、好きなように使ってよい」というわけではありません。やはり、「エル・カンターレ信仰」があって初めて、それぞれの高級神霊の言葉が意味を持ってくるのです。
また、かつて仏陀として説いた教えやヘルメスとして説いた教え、さらには、現代人にはもう追跡不能の、ラ・ムーやトス等によって古代の文明で説かれた教えもありますが、
「かつて説かれた魂の分身たちによる教えによって、拘束されるものでもないのだ」ということを知っていただきたいと思います。
「今、新しい地球創世記が始まろうとしているのだ」ということを、強く自覚していただきたいのです。
私は、以前、「法を弘めるは弟子にあり」と説きましたが、「弟子たちが、今後、この信仰を、空間的に、そして時間的に、どのように広く永く伝えていくか」ということによって、この信仰の本当の姿は、後の世の人々に知られることになるわけです。
「今は、まだその始まりにしかすぎないのだ。自分たちは、まだ本当のエル・カンターレを知ってはいないのだ」ということを、どうか分かってください。
「自分たちが見ているのは、歴史上の同時代人としてのエル・カンターレ像の一部であり、何百年、何千年たって現れてくるエル・カンターレ像が、本当のエル・カンターレ像に近いものである」ということを知っていただきたいと思います。 🌟 大川隆法著 『信仰の法』
第6章 人類の選択 ー 地球神の下に自由と民主主義を掲げよ
1 二十一世紀は「平和と安定」か「人類の淘汰」か
二十二年ぶりに東京ドームで講演をしたことの意味
二〇一七年の八月二日に、私は二十二年ぶりの東京ドームで、本章のもととなる講演をしました。
私は、一九九五年までに東京ドームで十回の講演をしましたが、そのころにはまだ生まれていなかった方々も、今では幸福の科学の職員や活動家になっています。うれしいことです。
その後は、深く静かに活動を続けながら、全国・全世界に教えを広げてきました。すでに、二千三百冊を超える著書を出版し、二千六百数十回の講演をしました(二千十七年十一月時点)。私の講演を聴いた方は数億人に上ります。
八月二日の夜には、東京ドームから全世界の約三千五百ヵ所に衛星中継がかかりましたが、国によってはすぐには届かない所もあり、本公演が最後に会場で視聴されたヴぉは十月だそうです。「世界は広いなあ」と、つくづく感じます。 「この地球全体に向けて教えを発信することは、限りなく重く強い責任感を必要とすることである」と感じています。
しかし、それをもう三十数年やってきました。
一九九一年に東京ドームで初めて講演をしたときには、それは、「新しい宗教の不思議な光景」として広く全国に知られましたが、一般の方々の理解を十分に得られないこともあって、当会の信者の皆さんにはさまざまなご心労をおかけしたこともあります。
それから、全世界で教えを弘めてきました。
今、私は、かすかな、小さな自信を持っています。
東京ドームから全世界に向けて教えを説ける人が、今、私の他に地球上にいるでしょうか。
これが、私が存在し、みなさんに教えを説いていることの意味です。
みなさんは、どうか、後々の世まで、「主は、二十一世紀の前半において、人類を見捨ててはいなかった」ということをお伝えください。
世界の人口は七十億人を超えました。教えを届けるのは大変です。
しかし、「この二十一世紀が、平和と安定の世紀となるか。それとも、増えすぎた人類が淘汰されるときとなるか」ということは、ひとえに、現在ただいまのみなさんと、みなさんに続くであろう人たちの行動にかかっているのです。
なぜ、私は二十二年ぶりに東京ドームで話をしたのでしょうか。
それは、゛今”という時が、人類にとって「未来を分ける時」であり、ちょうど山の頂に登り詰めた時にも当たるからです。 「始原の神」「創造の神」であるアルファ
私が「人類創造」を志したのは、今からもう、三億年も四億年も前のことになります。
現在の科学では認められてはいませんが、みなさんの先祖は、三憶年以上の昔、あの恐竜が地球を徘徊していた時に、この地上に生まれたのです。
ある者は霊体として存在していましたが、最初に、そのうちの数百人を実体化させて、この世に肉体を持つ存在として送り込みました。
また、違った種類の人々は他の宇宙から来た人々であり、そのなかから、この地球の環境に適合できる人たちを選んで地上に下ろしました。
もう一種類の人たちは、宇宙からこの地上に下りようとしても、そのままでは肉体として地球の環境に不適合であるため、ハイブリッド(合いの子)にし、地球に住みやすいかたちにつくり変えて地上に下ろしました。
人類の創成期には、この三種類の人間を地上に住まわせました。
そして、私はそのころ、「アルファ」という名で地上に生まれました。
これが、人類の最初の指導者の名であり、今、「エル・カンターレ」という名で呼ばれているものの、「主」といわれるようになる起源です。
その名はアルファ。「始原の神」「創造の神」です。 ここ百万年で、人類は七つの文明の興亡を見てきた
私は、初めてこの地上に下りしときより、「創造」を旨として、さまざまなものを創ってきました。
いろいろな考え方や特徴を持っている人々を融和させ、協調させ、地球人として一つにするために、たくさんの文明を起こしました。
そのなかには、私の考えを理解できず、民族の違いや肌の色の違いによって、戦争をする者も数多く生まれてきました。
しかし、私は、三億三千万年の間、寛容の心で、人類の緩やかな進化と発展を見守ってきました。
今もまだ、人種差別、レイシズム(人種主義)として、肌の色による差別は存在します。
また、国によって、経済のレベルや知的レベルに差があり人間の命の価値が百対一ぐらいに違うところも、おそらくはあるであろうと思います。
長い時間をかけて、さまざまな試みを行ってきました。
地上には、いろいろな救世主を送り込んできました。同じ時代に送ったこともあります。
そして、その周りに民族的な宗教が出来上がってきましたが、神の愛による宗教が、人々を相互不信に陥らせ、互いに疑わせたりしたため、他を排斥しようとする戦いが、過去、何度も起きました。
長い話はしません。何億年もの話は、みなさんにはおそらく不要でしょう。
しかし、少なくとも、この百万年ぐらいの間に、人類は、七つの文明を、そして、その興亡を見てきました。
私が言う文明とは、「大陸ごと、繁栄するか、消滅するか」という、大きな意味での文明です。
今、栄えているのは「第七文明」です。
この「第七文明」が、終わりを迎えるか。それとも、まだ先まで続いていくか。それが゛今”にかかっているのです。
(注。『太陽の法』では、過去百万年間の文明として、ガーナ文明、ミュートラム文明、ラムデイア文明、ムー文明、アトランティス文明があったと記憶している。
さらに加えて、アトランティス文明と現文明の間に、「アズガルド文明」とでも呼ぶべき北欧中心の文明がある。宇宙とも交流があり、キリスト教以前のヨーロッパの宗教のもとになっている。
オーデイン、マイテイ・ソー(トール)、ロキなどの起こした文明で、エジプト文明・ギリシャ文明等の現文明への影響が大きい。寒冷化で農業生産が落ちて、文明として衰退した。 世界各地にある「核戦争の危機」
今、「北朝鮮の核開発」による三回目の危機が訪れている
(現在の問題の)一つは何か、お分かりでしょう。
アジアにおいて、新しい゛火種”が持ち上がっています。
言うまでもなく、それは、北朝鮮による核開発や弾道ミサイルの実験です。彼らは、自国を「アメリカと互角に戦えるようにしよう」としています。
彼らの立場から見れば、それはもちろん、自国の防衛のためであり、アメリカからの攻撃を防ぐために軍事力を強化しているのでしょう。
しかし、アメリカの側から見れば、どうでしょうか。アメリカ本土をも攻撃できるようなICBM(大陸間弾道ミサイル)をすでに持っており、原爆実験や水爆実験にも成功した北朝鮮に対して、あの国が黙っていられるはずはありません。
まだまだ交渉する余地があるように言う人もいます。逆に、「話す時間はもう終わった」と言う人もいます。
八月二日の講演において、私は、「アメリカの本心は、おそらく、この一か月以内に決まるであろうと思います」と述べましたが、いずれにしろ、アメリカの決断が人類の未来を分けることになると思います
(注。その後、『緊急守護霊インタビュー金正恩vs.ドナルド・トランプ』〔八月二十九日収録〕でトランプ氏の守護霊が本心を語り、
九月十九日の国連総会演説で、トランプ氏本人が、「自国や同盟国の防衛を迫られれば、北朝鮮を完全に破壊する」と、守護霊と同様の強い警告をした)。 北朝鮮の核問題に関して、アメリカは、今、三回目の苦悩に陥っています。
一回目は1994年です。そのころに北朝鮮の核開発疑惑が持ち上がりました。クリントン政権のときです。
このとき、クリントン政権は北朝鮮の核施設への攻撃を真剣に検討しました。しかし、コンピュータによるシミュレーションで、「韓国人が百万人、アメリカ人が十万人は死ぬ」という予想が出ました。
当時の韓国大統領は金泳三氏で、今の文在寅大統領の(政治的な)「先生」に当たるような方です。
彼は、その予想を見て、「百万人も死ぬのだったら困るので、攻撃はやめてください」とアメリカに言いました。
アメリカは、韓国の合意が取れないので攻撃を中止し、北朝鮮と話し合いをすることにしました。その結果、北朝鮮の初代国家主席(金日成)は核開発の凍結を約束しました。
私は、そのころ、講演会で北朝鮮の核開発の危険性を指摘し、その対策が必要であることを述べました(「ユートピア創造論」参照)。
また、当会が製作した映画の第一回作品で、1994年に公開した「ノストラダムス戦慄の啓示」のなかでも、北朝鮮の核ミサイルの危機について描いています。
もうすでに、そのころから警告はしていたのです。
二回目の危機は2008年から2009年にかけてであり、金正日がトップをやっていたころです。
このころ、北朝鮮は核開発をさらに推し進めることを決定しました。しかし、残念ながら、アメリカは共和党政権から民主党政権、つまりオバマ政権へと代わり、また、同時期に、「リーマン・ショック」といわれる世界大不況が起きたため、実戦には至りませんでした。
この二回の機会をアメリカは逃していますが、北朝鮮のほうは、三代目の金正恩の代に入り、今、「仕上げ」に入っているのです。それが彼の体制だろうと思います。
いずれにしても、残念な話ではあります。 私のほうは、今、百万人以上の人が亡くなったとしても、霊界において、その人たちの魂を回収できる態勢をつくらなければいけないので、仕事を急いではいますが、それをアメリカがどのように判断するか、これから、みなさんは見ることになるでしょう。
もし、アメリカがアクション、行動を起こしたならば、北朝鮮という国は崩壊します。しかし、数多くの人が亡くなることになるでしょう。
もし、アメリカがアクションを起こさなかった場合、トランプ大統領に決断力がなかった場合には、おそらく、アメリカは「スーパー大国」の立場から降り、世界の覇権国家ではなくなるでしょう。
今後、アメリカの忠告を聞くところはなくなるはずです。 アジア、中東の核をめぐる状況
危機は、すでに、あちこちにあるのです。
例えば、中国とインドの間にも、危機はあります。ブータンという国があります。あるいは、ネパールという国があります。こういう国々も中国の侵攻を恐れています。インドは、今、カリカリきていて、いつでも核戦争が起きかねない雰囲気はあります。
このようなときに、世界にリーダーがいなかったら、止めることはできないのです。
過去を振り返れば、そうした危機は幾つかありました。
1962年ごろには、「キューバ危機」というものもありました。
キューバという島にソ連のミサイル基地がつくられ、ここに核装備をされたら、アメリカのほぼ全土が核ミサイルの射程範囲内に入るというときがあったのです。
このとき、ケネディ大統領は、一般には「海上封鎖」といわれている海上臨検を行って彼らの退去を要請し、ソ連のフルシチョフ首相がそれを呑むことによって、核戦争の危機は回避することができました。
それ以外にも、もちろん、核危機はあります。
インドとパキスタンの間にも、核戦争の勃発寸前のときはありました。
イスラエルにしても、周りのアラブ諸国に対しては、いつも核危機の恐怖を与えているはずです。イスラエルは、「小さな国なので、核兵器を使わなければ護れない」と思っているからです。
それに対抗して、今、イランという国についても、北朝鮮の゛次の核開発の問題”として出てくるであろうと考えています。 3 「世界的正義」に照らして各国の現状を観る
さまざまな国が愛国心をもって国防をするということは、その国の安定と発展のためには大事なことです。それは認めましょう。
日本の国のなかで地方自治が認められているように、地球のなかで、二百ヶ国近い国がそれぞれの国の自衛のために国防をするのは、当然のことだと思います。
しかしながら、それは一つの物差しであって、すべてではありません。もう一つの物差しは、「そうした考え方のなかに『世界的正義』があるかどうか」ということであり、これが大事な点だと思うのです。
例えば、今、北朝鮮の指導者には、世界の声は全く聞こえていません。
また、中国の国家主席には、「国内法」と「国際法」の区別が、ほぼついていません。
ロシアは、半ば「独裁国家」という側面もありますが、残りの半分では「自由」と「民主主義」を求め、ロシア正教の公式な復活を目指しているところです。
そのように、あちらにもこちらにも、たいへん難しい状況があります。
この状況を考えるに当たり、一つのたとえで述べるとすれば、次のようになります。 ・アメリカ
アメリカ合衆国では、トランプ大統領の登場に当たり、マスコミから非常に厳しい批判が続きました。大統領への就任以降も、トランプ批判は鳴りやみません。その筆頭は、CNNという国際的な大きなテレビ局です。
そこのニュース番組のメインキャスター、アンカーマンの一人などは、本当にトランプ大統領と敵対し、対立しているように見えます。しかし、彼はおそらく、生命の危機は感じていないだろうと思います。これが、アメリカ合衆国です。
・ロシア
もし、ロシアで、CNNのような代表的なテレビ局のニュースキャスターが、プーチン大統領のことをずっと批判し続けたらどうなるでしょうか。
それは、確実に暗殺されるでしょう。過去、すでにそういうことはありました。
・中国
もし、中国において、CNNのように、中国政府、あるいは習近平主席の間違いを糺したらどうなるでしょうか。もちろん、そのメインキャスターは牢獄行きとなると思われますが、劉暁波氏のような最期を迎えられれば一番よいほうでしょう。
実際にはその前に粛清されることが多く、おそらく、その会社自体も国営化され、消されていくだろうと思います。
しかし、その習近平氏も、過去に六回以上の暗殺未遂に遭っています。中国の歴代の指導者としては、最も暗殺を恐れている指導者とも言われているようです。そうであるからこそ、強い指導者を演出し続けているというのも、確かなことなのでしょう。これが中国です。
・北朝鮮
それから、北朝鮮ならどうでしょうか。そもそも、CNNのようなものなど、存在不能です。北朝鮮の映像に映っている人を見てください。たいてい、本当に笑っているのは金正恩氏ただ一人です。これは、完全なる全体主義国家です。社会主義的全体主義といってもよいでしょう。
中国の状況は、北朝鮮に次ぐものの、やや、権力闘争が許されている面もあって、少しは緩いのですが、これを変えるには、まだ時間がかかるように思います。
このようなものが、現実に置かれている状態なのです。
したがって、国防ということ、国を愛し、国を護るということは、各国の持っている権利ではあるのですが、もう一つ、「その護るべき国は、『世界正義』に照らして正しいか」という基準があることを忘れてはなりません。 ・日本
では、日本であればどうでしょうか。
日本でCNNのようなところが安倍首相の批判をし続けたらどうなるかというと、おそらく、安倍首相はCNNの代表者を会食に呼び、一緒に食事をして、何とかなだめ、ゴルフに連れていこうとするでしょう。
しかし、それでも批判をやめなかった場合は、閣僚の誰かに辞めてもらい、最後は自分自身が退陣するというかたちになると思います。これが日本です。
そのように、それぞれの国によって対応は違うわけです。したがって、「自分が、今、生まれ直すとしたら、どういう国を選ぶか」ということを、よく考えてみてください。
各国の事情を知った上で、「もう一度生まれ変わりたい」という国には、やはり、その背景に「神の正義」があると思わなければなりません。
それは、つらい選択ではあるけれども、「自国を防衛する」ということにおいては、防衛するに足る国家であるかどうかという神の目から逃れることはできないのだということです。これを、私は言っておきます。 4 人類は今、重大な岐路に立っている
「自由と民主主義」の国にある「政教分離」の問題
現在ただいま、大事な問題点は収斂されてきています。
一つは、社会主義的全体主義国家。国家が決めたルールどおりにしか、政治も経済も動かないような全体主義国家です。そして、「言論の自由」「表現の自由」「出版の自由」「報道の自由」も含めた自由が著しく制約されている国家です。
もう一つは、そういう自由もすべて認められている、自由で民主主義的な国家。問題点はまだまだたくさんあるにしても、自由で民主主義的な国家のなかで「正義」を探す試みということです。
言葉を換えて言えば、これから先、2017年以降には、日本を基調とした「自由と民主主義」の国家体制が、いまだ世界のリーダーとして引っ張り続けていくのか。
それとも、北朝鮮や中国のような、報道の自由もなく、言論の自由もない全体主義国家が、恐怖によって世界を支配するのを受け止めるのか。
今、そういう選択肢が来ています。2017年は、その「重大な年」の一つです。 これから来るものに対して、心を引き締めてください。勇気を持ってください。
いろいろな意見が飛び交います。迷うことも多いでしょう。反対の意見も数多く出るでしょう。国際世論も沸騰するでしょう。
しかし、迷ったら、最後は私の言葉を聴いてください。これが人類を率いてきた者の言葉だからです。
私は、本来、神の言葉が成就する国家の運営を実現できればよいと思っています。しかしながら、今、そういう国は世界に見当たらないのです。
確かに、自由と民主主義の国は、個人の人権を弾圧したり、人々を簡単に殺害したりする国よりは、はるかによい国かもしれません。ただ、自由と民主主義の国のなかにも、もはや神の言葉を感じず、神の教えを過去のものにしているところも数多くあることを知ってください。
そのキーワードが、「政教分離」です。政治と宗教を分けることが、自由と民主主義の国のなかでもよく行われています。
それゆえに、イエス・キリストが「人を殺すなかれ」と教えても、キリスト教国同士で戦争ができるのです。つまり、政教分離をしているために、政治をするのは神ではなく、国民に選ばれた人たちであるから、人が殺せるわけです。それが政教分離です。 「政教一致」の「一神教」が抱える問題点
その一方で、「政教一致」、「祭政一致」といって、「神の教えを国の政治と経済体制等に反映しよう」としている国家もあります。イスラム教の諸国も、おそらくそういう考えでありましょう。
もし、現在、本来の神の心がそのままに地上の政治に反映されているのならば、これは正しい結果になるはずです。
ところが、ムハンマド降臨以降、千四百年がたった今、イスラム教国の指導者には、ムハンマドの心がストレートに分からないのです。そのために、過去の経典に照らして、現在の人々が自分たちに有利な政治や経済政策を取っています。
「祭政一致」、「政教一致」といっても、ここに問題点はあるわけです。
また、イスラム教国においては、君主制との連携が強いせいで、民主主義制度を嫌うところが数多くあります。それで、イスラム教国から移民として欧米に入った人たちが、ときどきテロリストになって世界を騒がせているのです。
もちろん、イスラム教徒のなかには民主主義を認める人たちもいますが、急進的な「原理主義者」といわれる人たちは、民主主義を認めません。
彼らは、「神が言うとおりに人間は生きるべきだ」と考えているからです。しかしながら、現時点のイスラム指導者たちには、神の言葉が聞こえていません。ここが問題なのです。
もし聞こえているならば、彼らも反省したり、考えを変えたりすることもできるでしょう。ただ、聞こえていたのは古い古い「古典の時代」です。
その時代の言葉に基づいて現代の政治や経済を判断しようとしてもできません。なぜならば、何も語られていないからです。
あるいは、イスラム教徒による自爆テロがありますが、「コーラン」のなかで、神は、「人を殺すなかれ」と説いています。人を殺してはならないし、傷つけてもならないと教えているのです。
にもかかわらず、彼らはなぜ戦争をするのでしょうか。それは、「自分たちの神は本物で、それ以外の神は偽物だ」と思っているからです。 しかし、「一神教がすべてではない」ということを、どうか知ってください。
例えば、それぞれの民族や国には、歴史的にその民族や国の神といわれる方がいます。私はそれを認めています。その意味で、インドのような「多神教」というのは現実にあって、数多くの神がいるわけです。
そのときに、もし本物の神は一人だけで、あとは全部偽物だとしたら、戦争ばかりが起きるでしょう。要するに、ほかの民族、ほかの国に教えを弘めるために、外国を占領していくことが正義になるからです。
さらに言えば、キリスト教にしても「一神教です。それゆえに、かつてスペインやポルトガルも、地球を一周して植民地をたくさんつくりました。いろいろな国の宗教を潰し、植民地化していったわけです。
ただ、それでも世界を押さえられないでいます。それは神のせいではなく、神の教えを受けて活動している人の認識力の問題なのです。 5 地球神エル・カンターレからのメッセージ
今、私は、あなたがたに言う。
キリスト教に言う「主なる神」。
ユダヤ教に言う「エローヒム」。
イスラム教に言う「アッラー」。
中国の孔子が言う「天帝」。
さらには、日本神道ではその姿も知られていないが、
中心神である天御中主神の上にいる「天御祖神」。
すべては同じ存在であり、一人なのです。
確かに、それぞれの宗教は、
民族性や文化性の違いによって考え方が違っているかもしれません。
しかし、もとなるものは一つであって、
さまざまに魂を磨きながら、
この地上で修業している仲間であることに変わりはないのです。
また、民族の壁を超えるために、
「転生輪廻」という仕組みもつくりました。
今は日本人であっても、過去世は日本人ではなく、
ヨーロッパ人であったり、中国人であったり、
韓国人であったりすることもあります。
もちろん、その逆の場合もあるでしょう。
そういう魂経験をしながら、
あるいは、転生の過程で男女両方の経験もしながら、
人間は、理解する器を広げようとしているのです。
今、私は、最後の、最終の、すべての法を説くために、
この日本という国に生まれました。
私にわかる範囲で、すべてのことを明かします。 あなたがたは今後、
宗教を理由にして国際戦争をしてはならない。
あなたがたは、無神論か有神論かということで、
宗教を信じるか信じないかによって、
戦争を起こしてはならない。
金正恩よ、神を信ぜよ。
核兵器を捨て、ミサイルを捨てよ。
習近平よ、神を認めよ。
神の下の自由と民主主義を認めよ。
それが、地球神の言葉である。
また、イスラム教国よ、
あなたがたは一神教を名乗っているが、神の声が聞こえているか。
聞きたいのなら、私の言葉を聴きなさい。
そうすれば、イスラム教徒とヨーロッパの人々が、
移民を契機として、テロ合戦をすることはなくなるであろう。
私は、そんなことは勧めてはいない。
民間人が、自動車で爆弾と共に他の民間人に突っ込むことなど、許していない。
さらには、
母や子がダイナマイトを巻いて、大勢の人のなかで自爆テロを起こし、
何万人もの人を恐怖に陥れることを、認めていない。 あなたがたに言う。
真の神の言葉を知って、
人類はその違いを乗り越えて、
融和し、協調し、進化し、発展していくべきである。
これが、地球神エル・カンターレの言葉である。
二度と忘れることなかれ。
あなたがたの心に刻むのだ。
人類は一つである。
これから、地上的な争いを乗り越える神なる存在を信じ、
その下に、
自由と民主主義を掲げる世界を続けていくことを選び取るのだ。
もう一度言います。
北朝鮮に必要なのは「信仰」です。
中国に必要なのも「信仰」です。
インドに必要なのは、さまざまな神の上にいる神の存在です。
イスラム教国に必要なのは、アッラーとは誰かを知ることです。
私は、その違いを超えて人類を愛し、受け入れています。
信じることを通して、愛とは何かを学んでください。
それが、私のメッセージです。 🌟 あなたに贈る言葉@
真実の世界に目覚めよ
この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。
言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。
あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。
−「目覚めたる者となるためには」より
🌟🌟 大川隆法著 「伝道の法」より 🔥 大川隆法著 伝道の法
🔥 第一章 心の時代を生きる
ーーー人生を黄金に変える「心の力」
1 「心とは何か」が分からなくなっている現代社会
「心とは脳の一部である」とする現代の「常識」
本章では、「心の時代を生きる」という一般向けの題をつけてみました。仏法真理に初めて接する方には、「心の話」をしたほうが分かりやすいだろうと考えるからです。
やはり、宗教の使命として、第一段階はこのあたりであって、「心の話」を通じさせるところから始めないといけないでしょう。「難しい話はいろいろあろうけれども、そこまでは行けない」という人が多いのではないかと思います。
ただ、テレビドラマなどを観ていると、「心とは脳の一部なのだ」ということを平気で言っているので、それが常識になりつつあるのかもしれません。
こうなると、医学も、よいのか悪いのか分からない感じがします。人間を診ているうちに、パソコンをいじっているように見えてくるのでしょうか。まるで、そうしながら、「この部分が心だ」などと言っているようなのです。
確かに、脳が壊れたら機能が失われるので、そのようにも見えるのかもしれませんが、これは、「人間機械説」でしょう。ところが、こうしたことがけっこうまかり通っています。
また、分解的、分析的な見方をすると、電極をつけたり、電気ショックを与えたりして、「ここを押すと何が出てくるか」を調べ、「この場合は、こうなる」というようなことを言うわけです。 しかし、私たちには、どうしてもそのようには見えません。もし、そう見え始めたとしたら、いろいろなものが引っ繰り返ってきているのだと思うのです。
要するに、学問にしても、実際の仕事にしても、「引っ繰り返った世界」を見ているのではないでしょうか。
高度な学問を勉強しているうちに、「心は、頭のこのあたりにある」と感じるのであれば、ここには何かの間違いがあると思います。非常に残念でなりません。
勉強をしすぎた人が、「心というのは、頭の一部分にあって、コントロールをし、判断をしている」と思っているのであれば、やはり、何かがおかしいでしょう。
あるいは、「『心は胸のあたりにある』『もう少し下の、お腹のほうにある』などと感じる人が、゛古代人”に見える」というのであれば、何かが倒錯していると思います。
つまり、心に響くものが分からない時代に入っている可能性があるわけです。 学問の世界に流れる”汚染水”の正体
その意味では、非常に基本的であり、初歩的ではありますが、ここは、宗教としての、”最初の戦い”の部分だと思います。
もし、「心なんて、ない」と斬ってこられたら、宗教としては、「開く扉がない」に近いでしょう。
「人間には、心なんかない。何を言っているのだ。脳の作用じゃないか。あれは、神経の作用だ。そんなものは、脳のあたりに電気作用か何かが働いて、そういう風に感じているだけなのだ」
と、自分で言っているような人たちを説得し、その後の世界について説明するのは、とても難しいと思います。
ともかく、”頭がいい”という人が、だんだん、そのようになっていくわけで、仏教の言い方では、これは、「邪見」、もしくは「悪見」という言葉になるでしょう。
要は、正当な見方、正しい見方(正見)とは違う、逆の見方に染まっているわけです。
「そういう見方が、正統派の学問である」ということで固まっているのであれば、大変な間違いだと思います。
特に、日本の教育としては、「文部省」と「科学技術庁」が一体になって「文部科学省」となったため、すべての学問に対して、科学的な見方がされるようになりかねません。
その場合、いわゆる正見、正しい真理に基づく見方ができなくなる可能性があるわけです。 例えば、歴史や宗教について、「考古学的な裏付けがないものは真実ではない」というようなことになれば、「神武天皇などは、ただの伝説だ」ということになるかもしれません。あるいは、「聖徳太子はいなかった」と言い出す人もいます。
考古学的な証拠というものは、それほど簡単には見つからないからです。
しかし、聖徳太子については、本人が訳したとされる書物まであるわけで、そのほかにも、戦った相手も分かっていれば、系図も遺っています。
奥さんの名前から子供の名前まで全部出ているのですが、そういう人に対してさえ、「これは、つくられた人格であって、歴史上の存在ではない」などと言う学者が出てくるわけです。
その意味では、学問において、そうとう”汚染”が起きているでしょう。そして、流れている”汚染水”は、基本的に、心というものや魂というもの、あるいは、あの世の世界につながる考え方を否定していくものだろうと思います。
これを突破しなければいけません。
やはり、信者のみなさまがたも、伝道などにおいて、心の存在を相手にお伝えする際に、極めて難しい思いをなされていることでしょう。
例えば、「心は存在していない」とか、「コンピュータのようにキーボードを叩きさえすれば、いろいろ替わるものが心なのだ」とか思っているような人にとっては、感情的な善悪の問題などは存在しないに等しいわけです。
要するに、「操作すれば、そうなるだけのことだ」と思っているのです。
確かに、「塩をなめれば塩辛く感じ、砂糖をなめれば甘く感じる」ということはあるかもしれません。しかし、人間の精神作用は、それほど単純なものではないでしょう。
同じものを見ても、人によって違うように感じることはあります。 2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来
自分の心を変えることで未来は変えることができる 2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来
自分の心を変えることで未来は変えることができる
また、人間は、「考える力」によって、いろいろなものを変えていける存在でもあるわけです。これは、「考え方次第」ということでもあるでしょう。
例えば、人間の目には、水晶体というレンズに当たるものがあって、これを調節してピントを合わせます。ところが、それを「不随意筋」という自由意志では動かせない筋肉で行っているため、いったん目が悪くなった場合、もう治らないとされるわけです。
要するに、コンタクトレンズを入れるか、眼鏡をかけるかして、人工的に光の屈折率を変えないかぎり、ピントが合わずに字が読めないなどと言われています。だいたい、こういう考えが蔓延しているのではないでしょうか。
ところが、私のように、自分の「思いの力」で水晶体や不随意筋を、Wいじる”人が出てくると話が変わってきます。
「ああ、そうですか。じゃあ、ちょっと元に戻さなきゃいけない。戻れ、戻れ、戻れ、戻れ」と言っていると、一週間ぐらいしたら元通りに戻ってくるようなタイプです。
まるで、トカゲのしっぽの再生のようですが、そういう”再生力”がある人間が出てくると、話は変わってくるでしょう。
実際に、「自分の体で、自由にならないところがあるはずがない。早い遅いの違いはあるにしても、本人が支配者なのだから、『自分の体の一部を、このように変えたい』と思えば、そのとおりになるに決まっている」と思うことで、目が治ってしまうような人もいるわけです。
常識にとらわれている人は、かなり驚くでしょうが、現実にそういうことはあります。
したがって、よく気をつけないといけません。実は、「真実がそうなっている」というのではなくて、「そのように教え込まれて、信じ込んだために、そうなっている」ということが、さまざまな現象として起きているのです。
しかし、人間には、自分自身を変えていく力があります。もちろん、肉体も変わりますが、自分の心を変えることによって、いろいろなものが変わっていきます。
つまり、「人生が変わっていき、人間関係が変わっていき、未来が変わっていく」ということが起きるわけです。 そういう意味では、他人から断定的に、「もう、おまえは終わったのだ。駄目なのだ」などと言われて、「そうだ」と思ってしまってはいけません。「レッテル貼り」というか、スタンプでも押したように、「自分は、こんな人間なのだ」と思い込んでは駄目なのです。
例えば、「自分は貧乏人だ」というスタンプを押してしまい、「貧乏に生きるのが普通だ」と思っている人は、それ以上、変わりません。
しかし、「いや、どんな人にだってチャンスはあるのだ」と思っている人は違います。
やはり、「仕事で成功するには方法があるはずだ。例えば、野球で成功している人をよく観察して研究したら、今まで打てなかった球が打てるようになるかもしれない。
それと同じく、お金儲けが得意な人をよく観察すれば、何か秘訣があるはずだ。自分の身近なお金持ちを見て、その人と自分との違いを観察しよう。そして、違いが分かったら、そのなかで、いいところはまねをしてみよう」と思うことが大切です。
また、「まねをしていったら、五年、十年するうちに、いつの間にか自分も同じようになっていた」ということは現実にあります。そのように、人生は変えていくことができるのです。 過去に遡って人生を黄金色に変えた松下幸之助氏
なお、私もこれまでは、「基本的に、過去は変えられない。終わった歴史的事実は変えられないけれども、未来は変えられる」と説いてきました。
確かに、一般的な考えとしては、「過去は変えられないけれども、未来は変えられる」というのは、そのとおりでしょう。
しかし、宗教的には、もう一段、ジャンプする余地があって、実は、過去であっても変えられます。過去は変えることができるのです。
例えば、私の次男の大川真輝が『大川隆法名言集「創造的」になりたい”あなた”へ123の金言』の講義を横浜正心館で行った際、次のような話をしていました。
「成功者は、みな、若いころに、いろいろ苦労したり、失敗したりしています。
ところが、共通項としてあるのが、大成功したときに、自分の惨めだったはずの過去について、『そのおかげで、自分は成功できた』というような言い方をすることです。
不思議なのですが、大成功者は、みな、そうなのです。
しかし、それには理由があります。
実は、人より少しだけ成功したとか、少しだけ出世したぐらいでは、過去までが変わって見えることはないのですが、人生が根本的に違ったように大きく成功への道に入った場合、過去もすべて美化されてくるのです。
松下幸之助氏にしても、幼少時に苦労をしています。父親が投機で失敗して、小学校も卒業できなくなり、丁稚奉公で大阪に出されました。
学校も行けずに苦労して、いろいろこき使われ、雑用をしながら、だんだん、自分で会社をつくっていったわけです。
そして、三人ぐらいで始めた会社が大きくなって、やがて、何十万人も雇うような規模になり、世界に工場を出すまでになりました。
すると、今度は、「私が偉くなったのは、学歴がなかったからです。」というようなことを、彼は平気で言うわけです。 こうしたことは、普通の人であれば言えないでしょう。少しだけ成功したぐらいの人には言えません。例えば、「小学校中退だけど、やっと大学卒の人と同じぐらいの収入になった」というぐらいの人では、こうしたことは言えないのです。
そのくらいの成功で、「私は、小学校を中退したから成功しました」というのは難しいと思います。
ところが、彼は小学校中退にもかかわらず、大学卒や大学院卒の人を採用して雇い、部下にして、製品をつくらせて、ほめたりボーナスを出したりする立場になったらどうでしょう。
やはり、世界的に有名になり、「TIME」の表紙を飾ったりすれば、違うわけです。
「私は、小学校を中退して学歴がなかったから、成功できたのです。
「勉強していなくて分からないから、分からないことは人に訊いて、自分より賢い人を使おうと思いました。そして、賢い人をどんどん登用して、能力を引き出してやったら、こういう風に成功したのです」
「自分は病気がちで休んでばかりいるから、自分が休んでもできるように人に任せて事業部制でやったら発展しました。経営者がたくさん育って大きくなりました」
このような松下幸之助氏の言葉がありますが、現在がよくなるだけでなく、過去にも遡って、全部がザーッと変わってくるのです。 お宅の教祖は昔、何らかの能力があったんだろうよ。
だけど最近あきらかに顔色が悪いだろ。
それを使いすぎるとそれに値するマイナスがやってくるんだと思うぞ。
本人もわかってるけど周りがイメージチェンジを許さないんだろう。 ネズミのキャラクターで大成功したウオルト・ディズニー
ただし、こうしたことは、成功のレベルによるのかもしれません。
例えば、ウオルト・ディズニーのような方でも、あれほど大成功してしまえば、「世界のディズニー」であり、ディズニーのことを知らない人は、まずいないと思います。
電化製品が入っていない国や地域で入るかもしれませんが、普通に電化製品が入っているようなところであれば、たいがいディズニーのことは知っているでしょう。
さて、そのディズニーに関しては、「若いころに貧しくてボロアパートに住んでいたため、穴からネズミが出入りしていた。
彼は、そのネズミをジーっと見ながら、『これをキャラクターにしたら、どうなるか』と考え始め、ミッキー・マウスを思いつき、大金持ちになった」という伝説的な話があります。
しかし、普通であれば、思いついたとしても、今で言うWゆるキャラ”ぐらいではないでしょうか。「ネズミのゆるキャラを売って、お金を儲けました」という程度なら、個人で商売をしても、ありえるかもしれません。
ただ、「自分の店で、世界で初めてネズミのキャラクターの商品を売って、黒字になって儲かりました。そして、生活が楽になりました」というレベルでは、すべてが黄金色に輝くことはないでしょう。 やはり、事業が大きくなって、デイズニーランドのようなものがたくさんでき、毎年、何千万もの人を動員するようになって、関連事業も次つぎと増え、世界中に広がっていくようになると、違います。
今度は、その「貧しくて、ボロアパートに住んでいて、ネズミと友達だった」ということが、すべての成功のもとに見えてくるわけです。
もちろん、一般的には、ネズミが出入りするような部屋に住んでいれば、そうはならないでしょう。
例えば、司法試験に受からずに、司法留年をして、さらには、大学を卒業しても受からずに、三十歳まで、「また落ちた。また落ちた」とやっている人の場合、ネズミがチョロチョロしていれば、
おそらく、「このネズミに邪魔されて、勉強に集中できなかったから、また今年も落ちてしまった。このネズミのせいで、いつまでたっても受からない」というようなことを言うと思います。そのように、同じ条件でも変わるわけです。
ともかく、普通の状況をはるかに超えて大きな成功をした場合は、過去に遡ってまで、すべての経験が「光」になってくるということがあります。
例えば、広島の原爆で身内を失くした方であっても、大きな成功をしたら、「おかげさまで、私はとても頑張るようになった」というように、全部が変わるでしょう。
あるいは、東日本大震災で身内を失った方であっても、その経験を、自分が成功した原因として考えるようになるわけです。
そういう意味で、過去も現在も未来も、実は変えることができます。要するに、人間は、考えの力で、思いの力で、すべてを変えていくことができるのです。 3 「心の操縦法」を知らない現代人に伝えたいこと
心を認めないのは、ハンドルのない車に乗っているようなもの 3 「心の操縦法」を知らない現代人に伝えたいこと
心を認めないのは、ハンドルのない車に乗っているようなもの
実際に、心というものが実体としてあり、この心のあり様が、自分の人生を変え、未来を開いていきます。そして、その事実を知った人には、ちょうど、車のハンドル操作を覚えた人が道を自由に走れるようになるのと同じことが起きるわけです。
逆に言えば、「心がない」と思っている人は、ハンドルがあるのを知らずに車に乗っているようなものでしょう。
しかし、アクセルとブレーキだけで、ハンドルがない車に乗せられたら、たまらないと思います。アクセルを踏めば前には進みますが、そのままではどこかに激突するでしょうし、ブレーキを踏んでも止まるだけです。
これしかないのであれば、基本的に運転などできません。真っ直ぐな道路を走り続ける以外に、方法はないわけです。
しかし、自分の前にも後ろにも車がいるなかで、アクセルとブレーキだけしかない車で真っ直ぐに走り続けるのは「恐怖」でしょう。私も、できれば避けたいと思います。
やはり、アクセルとブレーキは要るにしても、ハンドルがあるために運転ができるようになるのです。
ところが、このハンドル部分を、「ない」と思っている人がいます。あるいは、「ハンドルを動かせるのは自分だ」ということを知らない人がいるわけです。 そのため、「あなたの思いで、今、そうなっているのですよ」と言われても、それに気がつきません。「あなたがハンドルを右に回せば車は右に曲がり、左に回せば左に曲がって、まっすぐにしたら、まっすぐ進むのですよ。
『中道』というのは、まっすぐに走ることを言うのです。仮に、ハンドルを右に回しても左に回しても、簡単に何かに激突するでしょう。どちらでもいいですが、死のうと思えば、すぐに死んでしまいますよ」と言っても分からないのです。
ただ、実際はそうであって、人間は、死のうと思えば簡単に死ねます。例えば、ハンバーガーだけを一年中食べ続けたら、体を壊して死んでしまうでしょう。あるいは、ステーキでも同じだと思います。
関係者がいたら許していただきたいのですが、たとえ、そのお店の方であっても、毎日は食べられないのではないでしょうか。それは、さすがにたまらないはずです。牛丼屋で働いているからと言って、三食とも牛丼を食べ続けていたら、やはりどこかで病気にもなるでしょう。
ともかく、たとえて言えば、「ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。もちろん、ガソリン等の燃料を入れる部分もあれば、空調等の機能も付いているけれども、基本的には、そういう感じなのだ。
そして、運転している人間が『魂』と言われる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は『肉体』である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ」ということになります。
さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる「心」という部分です。このような人生観が大切なのです。 私が数多くの霊言や教えを説き続けている理由
ところが、そうしたことを知らない人は、「オートマチックの車が、人工知能を載せて、勝手に動いている」と考えているのかもしれません。
あるいは、遠隔操作ができて、自分がその遠隔操作をしているように思っていることもあるでしょう。もしくは、「インプットされた情報に基づいて目的地まで動くような車の、その機械の部分が自分だ」と思っている人が大勢いるわけです。
しかし、これは、現代教育によって生じた間違いにほかなりません。こうした考え方を変えた方が幸福になれるのです。
どちらの選択もできますが、自分自身が、「幸福になるか、不幸になるか」の決定権を持っているのであれば、「自分にとってよいほうを選んだほうがよい」と述べているのです。
「あの世などと言っても、そこへ行って帰ってきた人などいないじゃないですか。それを信じるなど、バカげている」と言う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
私も、毎年毎年、あの世の霊人からの言葉や思想を数多く紹介しています。さらに、その収録映像を上映していますが、私は漫才師ではないので、演技であのように延々とできるものではありません。
また、過去のこととはいえ、私は東大法学部を出ており、あえて詐欺師の仲間になるようなことをしなければいけない理由はないのです。
今でいう大学入試センター試験ぐらいのものであれば、片目をつぶってでも解けるほどにはできましたし、どんな道ででもしっかりと生きていける資格や才能もあると思っています。
そのような人間が、「これは大事だ」と思い、それまでの仕事も辞め、今、教えを説いているのです。
したがって、人をだまさなければいけない理由など何もありません。それでも、そういうルートを辞めてまでも、「これを説かなければいけない」と思ったのは、「多くの人が間違った道を歩んでいて迷っているから、これを救い出さなければいけない」と思ったからです。
そのために、今、教えているわけです。そして、本を出しているわけです。 説かれた教えがすべて記録として遺っている幸福の科学
なかには、すぐに人を疑う人もいるでしょうが、私の場合、自らがしようと思って行うというよりも、本当に天命としてこの道に入っています。
新しい宗教のなかには、いわゆる詐欺、ペテンの類も数多くあるでしょう。たが、そういうところはあまり大きくならず、小さいものが多いようです。
一部には組織的な知能グループのようなところもあるでしょうが、長い間には、やはり、評判や人の信用等を通して、いろいろと明らかになる面もあるのではないかと思っています。
私の説法は、本として出しているだけでなく、CDやDVD等でも出されており、すべて記録が遺っているので、何も隠していません。本にする際には、言葉がきれいになるように、「てにをは」等の直しを入れる程度であり、基本的にはすべて遺っています。
幸福の科学の第一回座談会から今までのものが遺っているので、インチキは一切ありません。証拠があるのです。
よそのところのように、ほかの人にいろいろと書いてもらったりするようなこともなく、実体験したこと、自分で考えたことを書いています。
この実体験ということについても、昔の江戸時代のころであれば、農家のおばさんなどに、突如、霊の声が聞こえてきて、「神様がかかってきた」などと言うのがよくあるパターンでしょうが、
私の場合は、一応、この世の学問をキチッとした上で、「これは、確実にある」と、理性・知性を持って判断して出しているものなのです。
「幸福の科学から出ているものは、非常に知性的で、論理的で、合理的だ」とも言われています。その意味では、当会には理系の方も大勢来ていますし、社会的に知性のある方も数多く集ってきています。
それどころか、経営者がテキストとして使っているケースも数多くあります。経営そのものについて教えるとともに、人間の心のあり方について説いています。この「人間学」の根本のところを教えていることが役に立っているわけです。 「生き通しの人生」という真実を知る
したがって、「心などない」という人に対しては、「いや、そんなことはないですよ、そう考えるのはあなたの自由ですが、それは、自分を機械の一部のように考えることであって、ものすごく卑下した自己像なのですよ。
『人間の体は機械のようなもので、心は、そのなかのどこかで動かしている部分だろう』と思うような、そんな人生観で本当にいいのですか」と、どうか、粘り強く伝えてほしいのです。
現代には、「死んだら、もう何もかも終わりだ。あとは、亡骸を焼いて灰にして、投げ捨ててもいいし、海に撒いてくれてもいい。まあ、好きにしてくれ」というような感じで、この世だけの幸福論になっている人がたくさんいるわけです。
私が「心」というものを説く理由は、「人間の本質というのは生き通しなのだ。生き通しの人生なのだ」ということにあります。
「自分には、『生まれる前の過去』もあったけれども、『死んでから後の未来』もあるのだ、そのような、『生き通しの人生』である」ということを考えないと、これが本当だったときに、知らなかった人は大変なことになります。
一方、この事を知って人生を生きるならば、やはり、非常に価値のある人生を生きることができます。これは大事なところです。
心の存在から魂の存在のところへ考えが至らなかった人は、
「人生はこの世限りで、死んだら終わりだ」というように思っているため、「あとは、相続税対策と、遺された家族の処理だけをすれば終わり」などと考えているのかもしれませんが、それでW終わり”ではありません。
そこからが、また、W新しい始まり”になるわけです。
つまり、「生き通しの人生」なのです。 人生約三万日、この大事な一日一日で何をなすか
今世、生きている時間は二万日から三万日ぐらいです。わずか、その程度のものなのです。たくさんあるかと思えば、それほどにはありません。三万日も生きたならば、八十歳を超えます。
私も、すでに二万日ほど費やしてしまいました。「残りはあと幾日かな」と思っていますが、二万数千日ぐらいが普通の人生なのです。
「残っているのはあと何日か」と考えると、一日一日、毎日毎日、消えていくわけです。三万日はなかなか超えられません。そのように、一日一日が消えていきます。
したがって、「この一日一日で何をするか」ということは、大変重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、非常に大事なことなのです。
私と近い年齢の人は、過去、すでに二万日は使っているはずです。まだ若い人もいるでしょうし、もっと行っている人もいるでしょうが、「三万日はなかなかそう簡単に超えられない」ということは考えなければいけないと思います。
そうすると、一日一日がとても大事なものになるわけです。毎日毎日を大切にしていかなければいけないわけであり、「この毎日毎日をどう生き切るか」ということが、極めて重要なことになるのです。
そういう意味では、哲学や、仏教における禅などとも、結論的には似た考え方もあるでしょう。そういう所もあると思うのです。 4 日々、自己変革をして生きよ
「空を飛べなくなった。野、ガモ」の話
百年以上前の人になりますが、デンマークのキルケゴールという哲学者は、こんな話を紹介しています。
その国のある地方には、毎年、渡り鳥の野ガモが飛んでくる所があり、親切な老人が餌付けをしていたそうです。
ところが、栄養のある餌をもらえるものだから、野ガモたちの一部は、寒くなったら南の方へ飛んでいくという習性を忘れ、だんだん太っていき、飛べなくなってしまったといいます。
ところが、ある日、その親切な老人がコロッと亡くなってしまったのです。それで大変なことになりました。
実は、太った野ガモたちは空を飛べなくなっていたため、「さあ、困った。どうしよう」ということになったのです。彼らはすでに渡り鳥の習性を失ってしまっていたわけです。
そして、雪解け水が洪水のように流れてきたときに、溺れて死んでしまったということです。 「野ガモの話」を紹介した実存主義哲学者・キルケゴール
ちなみに、この話を紹介したキルケゴールは、生きていたときにはあまり有名ではなく、無名に近かったのですが、後に、ドイツのハイデガーという哲学者が有名にしました。哲学においては、いわゆる実存主義哲学の始まりのところになります。
キルケゴールという方は、もとは家のお手伝いさんだった女性との間に生まれた子供であり、病気も持っていたということで、ある意味では不幸な生い立ちという見方もあるかもしれません。
また、晩年には「瞬間」という題の教会批判の冊子をつくっていました。
「君たちは、もう手遅れだ。月曜日から土曜日まで、毎日、ぐうたらぐうたらと堕落した生き方をしていながら、『日曜日だけ教会でお祈りをしたり心を清めたりしたら、いいところへ行ける』などと思っているなら間違っている。
人間は、毎日毎日が大事なのだ。月曜日から土曜日まで怠けていて、日曜日だけで救われると思っているのか」などと言った調子で教会を批判していたのです。
そんなことをしていたある日、路上で生き倒れになって、悲惨な最期を遂げました。
これが実存主義哲学の始まりにいた人ですけれども、今述べた、野ガモの話などが有名です。 「飼いならされた野ガモになるな」というIBM精神
さらに、この話を、IBMという大会社をつくったトーマス・ワトソン親子のジュニア(息子)のほうが引用しています。
「飼いならされた野ガモのようになるな。人から餌をもらって食べているうちに、飛んでいけなくなるようになっては駄目だ」というように、野性味を失わないことの大切さを、IBMの精神として説いています。
要するに、「『現状で食べていけるから、これでいい』と思うような生き方をしていたら駄目だ。いつ危機が来るか分からないし、いつ潰れるか分からない。だから、危機感を持っていきなさい。
毎日毎日が真剣でなければいけないし、毎日毎日がイノベーションでなければいけない。そういう野性味、危機感を持って、毎日を生き抜かなければだめなのだ。
一生懸命生きなければ、未来はない」というようなことを言っていたわけですが、それもあって、IBMは世界的な企業になりました。 日々に精進し、自己変革し、課題に挑戦し、環境の変化に耐える
このような考え方は、みなさんにとっても大事なことであると思います。
「今、これで生活が成り立っているから大丈夫だ」と思っていたとしても、いつ、その生活が何らかの外部的事情、例えば、ライバル店の出現等、様々な状況によって変わるかは分かりません。
また、大手の企業にしても、今、どんどん潰れています。トップメーカーであっても潰れかかっているところはたくさんありますし、現に潰れたところもあります。ほかにも、外国のライバルが出てきたり、国内のライバルにやられたりすることもあるでしょう。
今、世界を席巻しつつあるユニクロのようなところにしても、もし、一ドル百五十円になれば潰れるでしょう。以前は円高だったために、外国に数多くの出店をしても安くできていたのですが、これが一ドル百五十円になったら潰れるはずです。
トヨタのように輸出で儲けられるところであれば、為替レートが一円安くなると、百億円ぐらい儲かったりすることもありますが、安売り店などは潰れ始めます。
円高対策に、海外で現地生産をするようにしたところなどは潰れるようになるので、どうなるかは分からない面があります。
したがって、「野ガモ精神」を忘れてはいけません。ここが非常に怖いところであり、そういう危機感を持って人生を生きなければいけないという所では同じだと思うのです。
やはり、みなさんも、いつもそういう気持ちを忘れてはなりません。
「日々精進する気持ち、日々自己変革をし、新しい課題に挑戦し、環境の変化に耐えていこうとするW遺伝子”を持たなければ、もはや、人間個人としても、あるいは組織としても、生き残ることはできないのです。 永遠と思われてきた宗教の世界が直面する「消滅の危機」
「宗教は永遠だ」と思われていても、いくつかの宗教を見るかぎり、消えつつあるところも多々あるようです。
今、甲府湖の科学では私の説法を全国各地で衛星中継していますが、中継地の近くにある宗教のなかには、「いつ、幸福の科学に滅ぼされるか分からない」と思って震え上がっているところもあるでしょうし、すでにW消えた宗教”もあるでしょう。
幸福の科学が立宗した1980年代は新宗教が数多く出てきた時代でした。70年代、80年代当時には次々と宗教が現れ、ライバルもたくさんいましたが、この三十年間のなかでそうとう淘汰されて消えていきました。
すなわち、世間でははっきりと評価していないものの、やはり、「残って大きくなるところ」と「消えていくところ」とが出てきているわけです。それは、厳しいことではありますが、宗教の世界でも同じなのです。
ただ、古い宗教にしても、「今、頑張らないと、なかなか生きていけない」ということを、いちおう意識はしているようです。
例えば、戦後七十年に先立ち、浅草の東本願寺(浄土真宗)のようなところでも、渡部昇一氏を呼び、入場料無料で講演を開催したりしていました。
実際、親鸞系統の教えで戦後七十年をどう評価するかといっても、全然分からないでしょう。「阿弥陀様、どうにかしてください」という以外に方法がなく、自分たちではできないからか、評論家等を呼んでタダで講演会を開いたりしているのです。
その点、当会は自前でいろいろと意見を言うことができるわけです。 「今までは大丈夫だった」というW安全神話”の見直しを
先ほど述べた、老人に餌をもらっていて跳べなくなった野ガモの話なども、国の体制に関するWたとえ話”として持っていくこともできるでしょう。
アメリカというW親切な老人”が、栄養のある餌を日本というW野ガモ”に一生懸命くれるので、日本はそれを食べるうちに、「もう、南のほうへ渡らなくてもいいな。このまま安泰で、冬も越せるだろう」と思っていた。
ところが、ある日、突然、雪解けの水が流れてきたときには、空を飛べなくなっていて、溺れ死ぬようなことはある。だから、「W安全神話”を守ってさえいれば大丈夫だ」と思っていると、ある日、突然に最後が来ることもある。
要するに、そのW親切な老人”がえさをくれなくなることがあるかもしれないので、そのときのことを考えておく必要があるわけです。
このような例をわざわざ引いたのは、今、日本の国会等でもいろいろ揉めているということもあります。
普通の鳥たちであれば、冬になると南のほうへ飛んで行って餌を取るところを、
「いやあ、私たちは普通の鳥とは違うのだ。餌をくれる人がいるから、もう、南へ渡らなくても大丈夫なのだ」と思っているのかもしれませんが、「大丈夫ではないこともあると知っておいたほうがよい」ということを述べているわけです。
ここでは難しい憲法論議には入りませんが、「今までのW安全神話”で、うまくいっているから大丈夫だ」とはいっても、基本的には、やはり、原点に戻るべきでしょう。
「国家とはどのようでなければいけないのか。ほかのところはどのようにしているのか」ということをよく見もせずに、「自分のところは、これでうまくいっているから大丈夫だ」などというのは甘いのです。
それは、国家にも言えることですし、みなさん個人にも言えることですし、会社にも言えることですし、自営業等にも言えることでしょう。
「絶対に大丈夫」と思っていたのに、ライバルが出てきたりすると、突然、駄目になるようなことはあるわけです。ライバルの店が向かいにできたりとなりにできたりしただけで、潰れることはあります。
したがって、いつも凛として張り詰めた生き方をしなければいけません。 5 心をどのように生かし、人生を生き切るか
人生で得た魂の経験は死後も続いていく
そして、人生二万日から三万日を上手に生き切った人、智慧を持って生き切った人には、その後の未来もあるのだといえます。
「その後」のことについて、さらに分かりやすく付け加えるとするならば、人間は、死んでも魂はなくならずに存続します。
某宗教のように、「人間は、死後、大海のようなところに吸収され、その粒の一つとして沈んでいるような状態になる」と言った「あの世観」を持っているところもありますが、そのようなものではありません。
人間の魂は個性を持っており、あの世でもそのまま生きています。
今世、生きたときに、男性または女性としての性を持っていますが、
この世を去ったあとの来世での姿としても、「今世の意識、名前、男性か女性かの性別、ある程度得た知識や経験等から得られた個性」を持っており、次回生まれ変わるまでは、それを自分だと認識しているのです。
すなわち、個性としての人生経験が、基本的にはあの世でも続いていくことになるわけです。だからこそ、非常に大事なことであると言えます。 人生の時間を上手に使い、十分に生き切るために
人生は二、三万日しかありませんが、その時間を上手に使い、十分に生き切って、誰のせいにするのでもなく、自分で考えていけるものについは、「自分のWハンドルとアクセルとブレーキ”」を使って上手に乗り越えていくことです。
また、未来のみならず、自分の過去さえ変えていけるのです。
「過去が不幸だったから、今も不幸だ」と、いつまだも言い続けているような国もありますが、そのように言っていること自体で、すでに「不幸」なのです。そういうことを言い続けるかぎり、絶対に幸福にはなれません。 その国の今が本当に輝いているのであれば、過去のことは許せるはずなのです。過去のことなどは言わないものです。
それを、例えば、「七十年、八十年前にこんなことがあったから、今、私たちは不幸なのだ」などと言い続けるということは、「今の政治が悪い」ということなのです。
それは間違いなくそうでしょう。今の政治が悪いために、為政者は、国民の目をそらすために、過去のせい、外国のせいにするわけです。
そのあたりのことが分からないようでは、残念ながら、現代に生きるトップの知性層とは言えません。
心の話を中心に述べてきましたが、「我々は自由にできるものを持っている」のです。百パーセント、自分の自由になるものを持っているので、これを使って、上手に生き切ることが大事です。
幸福の科学は、この「心をどのように生かし、人生を生き切るか」ということについての智慧をたくさん説いています。
2015年のベストセラーになった『智慧の法』という書籍でも、「どのようにして智慧をダイヤモンドのように磨き上げ、値打ちを出すか」ということを教えています。
このような宗教はほかにはありませんので、どうか、この違いをよく学んでくだされば幸いです。 🌟 明日を変える言葉@
信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。 51神も仏も名無しさん2018/05/01(火) 22:36:48.46ID:mnBYw17F
🌟 明日を変える言葉@
信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。
心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。
信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。
本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。
この「信じる」という力は、
通常の学校教育において教わることは決してないでしょう。
これは、宗教あるいは宗教教育においてのみ教わることです。
あなたがたの真なる父が、
天において、無限界であり、無敵であるように、
あなたがたも、
この地において、無限界であり、無敵でありなさい。
それは、「信仰において勝利せよ」ということなのです。
信ずるものの場合、病が治っていきます。
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなた方自身の肉体の設計は変わります。
あなたがたの血液のなかにある赤血球や白血球、リンパ球、
こうしたものもまた、
強い霊的な生命力を帯びて、日々、活動しています。
そういうものが、「あなたがたが、どのような思いを発信するか」
ということによって変わっていくのです。
体のなかにあるウイルスその他、
悪しき物質と戦って、それを駆逐し始めます。
体のなかにできているガン細胞や、その他の不適切な組織は、
この「思い」によって、どんどんとつくりかえらえ、
廃棄処分にされていきます。淘汰されていくのです。 🌟 大川隆法著 「伝道の法」
第3章 人類幸福化の原点
1 「宗教心」「信仰心」は、なぜ大事なのか
「大悟三十五周年」「立宗三十周年」を迎えた幸福の科学
幸福の科学にとって、二〇一六年は「大悟三十五周年」「立宗三十周年」であり、一つの区切りの年でした。
立宗して三十年がたったので、宗教団体としては、ある程度、日本のなかにおいての地位は確立してきたと考えていますし、世界においても知られつつあると思います。
海外で当会を知っている人の数を合計すれば、日本よりは、はるかに多いと思いますが、海外でも、まだまだ現在進行形で活動しているところです。 私の生誕地である徳島県が、どのくらい海外で知られているかは知りませんが、いずれ徳島県は世界の聖地になると考えています。
また、二〇一六年には、映画「天使に゛アイム・ファイン”」でも多少キャンペーンをしましたが、立宗三十周年を記念して、吉野川市の川島町に、「聖地エル・カンターレ生誕館」を建立させていただきました。
内心では、多少、恥ずかしい気持ちがないわけではないのですが、記念になるものが何か一つぐらいはあったほうがよいのではないかと思っています。きっと、世界のみなさんが参拝に来て下さるようになるのではないかと信じています。
未来の徳島県には、阿波踊りのときだけではなく、私の生誕日である七月七日あたりを中心にして、さまざまな機会に、全世界からいろいろな方が訪れるようになるのではないかと考えているので、徳島県の未来はとても明るいのです。
以上を前置きとして、本章では、主として宗教的な話をしようと思っています。 徳島県出身の「三木武夫・元総理の霊」を困らせた質問
ーー17行割愛ーー
やはり、「四国の地は、弘法大師空海が八十八箇所の霊場を定めて以来、千年以上もの間、霊的な地として護られていた」ということが大きいのではないかと考えています。
生まれ育った環境から、やはり、文化的なものの影響をそうとう受けるので、「そうした霊的な環境のなかに生まれた」ということが大きかったのではないかと考えているのです。 ●深見先生の絵画の、国内外における評価について
深見先生は、画家でもあります。一流アーティストの作品をたくさん見てきて、絵画の目利きでもある、某出版社のM氏は、
「深見先生の絵に惚れています」とおっしゃっています。
このM氏が、巨匠の絵画の条件は、純粋さ、素朴さ、稚拙さの三つであるとおっしゃっていたそうです。
深見先生は、35歳から独学で絵画を始められたそうですが、今まで、
・遊美堂刊の「2000年度優秀美術作品全集」に作品2点が選ばれる。
・中国芸術研究院より、外国人初の国家一級美術師の認定を受ける。
・日豪芸術交流祭において、330人の日本のトッププロ画家の中から選ばれ、3賞を同時受賞する。
・中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了
など、評価が高いようです。 ●ワールドメイトは自由で解放的
ワールドメイトは自由で開放的です。
ワールドメイトは、神道グループですので、神社のように、来る者拒まず、去る者追わずというように、どこの宗派の方だとしても拒むことはありません。
ふつうの宗教にはありえないはずです。
ワールドメイトの場合、神仏へのご祈願の方法や、悩みや問題を解決する方法が学べますので、
明るく幸せになったら、自分の興味のある分野をさせていただきます、と退会されていく方もおられます。
私の身近でも、
子供の不登校も収まったし我が家も平和になったのでもう大丈夫だから退会します、
仕事がハードになったので忙しくなったので、などという理由で、退会していかれた方がおられました。
このように、退会するのも自由なのです。誰かにとがめられることもありません。 ●深見先生は、どんな人でも、いつも気にかけておられます。
深見先生も、昔、頑張っておられた方のことを忘れることはないようです。
元気にしているかな?と、いつも気にかけているそうです。
ある時の先生が、昔、だれだれさんがね、と話題に出されることがありますが、
「深見先生は、お世話になった方のことや、一緒にがんばった人や、人の恩などを忘れることはないのだなあ」と感じたものです。 ●ワールドメイトは再入会が意外に多い
いったん退会された後、再入会される方がけっこうおられるのも、ワールドメイトの特徴だと思います。
先日もそのような古い知り合いに出会って話したのですが、
「なんとなく、ワールドメイト会員でいたときのほうが、充実感があったように思ったんですよ。
また、退会してから神社でご祈願しても、ワールドメイト会員だったときのような、お祈りの通った、という感触があまりなく、
祈願の成就力も違ったような気がして…。
とおっしゃっていました。
人生山あり、谷ありですから。まっすぐストレートに行く方ばかりではありません。
紆余曲折されて、ワールドメイトの素晴らしさを実感されるというのも、また味のある人生ではないかと思った次第です。 ●ワールドメイトの教え
ワールドメイトの教えは、以下の3つです。
1、実在の神を掌握する
2、神を行ずる
3、神人合一の道を極める
これは、会員なら誰でも知っている、ワールドメイトのオリジナルな教えです。
1、実在の神を掌握する
とは、実際に存在している神様を自分の思い通りに動かすということです。
つまり、神様に願いを叶えてもらう方法、法則を学ぶということなのです。
初めは、「証(あかし)」が出て、自分の個人的な願望が叶ったりすることにより、
神様が実際に存在しているということを実感されるという方が多いようです。
しかし、証が出るというのは「実在の神を掌握する」の第一歩、入り口です。
神様のご守護を感じるようになると、神様の御心というものが実感としてわかってくるようになります。
2、神を行ずる
これは、日々の生活修行を通して、自分が神様のような行いをしようと心がける段階です。
神と人とが一体になった状態を、神人合一と言います。
神人合一して、神のお取り次ぎが社会の中でできるように、自ら修養していく段階になると、「自分の願いを叶えたい」という気持ちは薄らいでいきます。
どうしたら、周りの人をもっと幸せに導ける自分になれるか、どうしたら自分がもっと向上できるか、と日々考えるようになるのです。
自分の願いが、周囲の人の幸せに直結するようになってくると、神を行ずる、に近い状態かもしれません。
神様は、どんな人にでも、合一できるわけではありません。
法則に則り、悟りの深さ、年期の長さなどによって、合一する神様は変わってきます。 3、神人合一の道を極める
究極の修養の段階です。
神人合一を極めるためには、人間としても万能で、あらゆる知識がないと達成できません。
たとえば、中国の名医と伝説高い、華佗(かだ)の神霊が来られても、
医学の知識がなければ、神示を聞いたところで、ちんぷんかんぷんです。
絵の神様が来られても、絵の技術がなければ、表現できないのです。
人間の技術や知識があって、その上に足りない一厘のポイントを教えてくれるのが、神様です。
高級神霊は、単に人間の心と体を乗っ取って、操ったりはされません。
人間の自主性を尊重されるのです。
ですから、人間的にも素晴らしい人格となり、知識や技能も素晴らしく、しかも、何年も継続できてこそ、
「神人合一の道を歩んでいる」
と言えるのです。
●ワールドメイトの教えの特徴
こうした神人合一の道が降りているのが、ワールドメイトの最大の特色です。
開運しないとか、証が出ないとか、
深見先生とお会い出来なかったとか言って、疑問を持たれる方がたまにおられますが、理解が浅い方であると思います。
神人合一の道を歩もうとしているかどうか、ということと、
以前、支部長であったとか、コミッティーであったとかいうことは全く関係ありません。
本人が、修養しようという心がけを継続しているかなのです。
しかし、ワールドメイトの被害に遭ったとネット上で批判されている方は、
ワールドメイトの教えを理解されている方は皆無であるように思います。
深見先生は、知識もあり、悟りも深く、常にお祈りをされてお話になるので、いつでも、感動的な、温かいお話をされます。 ●福祉をする理由について 1/3
ワールドメイトや深見先生が代表を務める様々な団体が、中国やカンボジア、アルバニアでの福祉、特に児童福祉や教育に力を入れている理由について、
「日本にも困った人が沢山いるのに、なぜ中国やカンボジア、アルバニアの救済に励むのかと尋ねられることがあります。
それは、カンボジアがアジアの最貧国であり、アルバニアがヨーロッパの最貧国であり、中国山間部が世界の最貧地域だからです。
中国の辺境では、年収約6000円、つまり月収が日本円で約500円の最貧農家がたくさんあります。
日本で困っている人も助けてはいますが、その困っている度合は、比べものにならない程悲惨なものです。
●福祉をする理由について 2/3
中国の辺境やカンボジアは、日本でいえば明治のはじめのような状況にあります。
その中で、日本人が建てた小学校を卒業した子供たちは、成長してからも、日本人に対して良い感情を持つようになるでしょう。
特に中国では、『井戸水を飲む時は、井戸を掘った人の恩を忘れるな』と言います。
受けた恨みも忘れないですが、受けた恩も忘れないのです。 。
この子供たちが、将来、たとえ小学校を寄付した私の団体や私の名前は忘れたとしても、
日本人全体に対して好意的な感情を持つようになり、
長い目で見た直接的な日中友好に役立つことができれば…と願っています。
●福祉をする理由について 3/3
だからこそ、いつも日本人を象徴する羽織袴で中国の公式行事に出席されるのです。
また福祉とは、そこに人的なつながりがあり、切に求められているからこそ、実行が可能となります。
ですから、インドやアフリカにはなかなか手が回りません。それゆえ、人的なつながりがあり、可能なところから支援を行っているのです
このように、しっかりとしたコンセプトを持って福祉をされているのであり、
民間人として、日本人として、また将来も見据えて、会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、決断と実行をされているのです。 ●日刊カルト新聞に欠落している真実:ワールドメイトには一切問題はない
「やや日刊カルト新聞」というブログにて、
ワールドメイトが問題のあるところだと書いてありましたが、
よく調べずに書いたのではないかと思います。
1993年頃に、別派騒動があり、
首謀者が深見先生の社会的地位を低下させるために、
ありもしない問題をあちこちにタレ込んだり、裁判を次々起こしたりなどの、破壊活動とそれへの攻防があったのは知っています。
しかし、深見先生は、最終的に、別派騒動の首謀者と仲直りしているわけです。
首謀者の人が記者会見をし、深見先生と仲直りして、平和的に解決しているわけです。
ですから、問題があったとしても、円満に平和に解決しているという真実も、書くのが、公平であると思います。 ●公安も政府も、まったく問題ないと認めているはずです。
リーダーの深見先生が、このたび、警視庁出身の亀井さんと対談されているということは、
公安が、深見先生は、問題のない人物であると、認めているのだと思います。
深見先生が、公安に問題あるといわれる人物であったら、亀井さんが対談をされるわけはありません。
公安が問題ないと判断しているからこそ、このたびの亀井さんとの対談が行われたりしているだと思います。
そして、深見先生が在福岡カンボジア王国名誉領事をされているということは、
外務省からも、問題が無いという判断でしょう。
外務省が問題ありと判断する人物が、カンボジア王国の名誉領事になどなれるわけはありませんから。 ●深見先生の人格・良識・優れた見識が認められたということです
深見先生が、公益法人を買い取ったなどという愚かな話をアンチの人がしています。
もし、公益法人をカネで買うことができるのなら、日本中の公益法人がお金で買われることでしょう。
しかし、そんな話は、聞いたことがありません。
日本国際フォーラムのようなシンクタンクの理事に、お金を出しただけで就任できるなら、
世の中、そんなラクなことはありません。
本人の見識、良識、知性、人柄などが総合的に判断されて、
みんなが「是非この人にお願いしたい」という方しかなれないに決まっています。
世の中、おカネを持っている人が多数おられるでしょうが、
その人達が、全員、日本国際フォーラムの理事になれるか、ということです。
無理に決まっています。 アホの科学学園
疑惑の偏差値
本当に東大に入ったのか?分からへんがな
数字上、合わないし
県が把握してる数字もイマイチ ●ワールドメイトを批判する情報が、偏見と悪意に満ちたものである
悪意に満ちた情報を操るそのバックには、ある組織が意図的にやっているという話もあります。
しかし、ワールドメイトや深見先生は、他宗教の攻撃や批判はしないポリシーなので、知った上で、そのままにしているのでしょう。
また、入退会を自由にしている限り、
退会した会員は、退会した自分の行為を正当化するために、
なんでもネガティブにとらえ、あらゆる批判をするのが常です。
こうした現状をよくご存じの方は、誹謗中傷を見て同情することはあっても、ほとんど信じません。2ちゃんねるとレベルが同じだからです。
世間で少々言われていることが、一方的な偏見と悪意に満ちているということは、
深見先生のお話を直接聞き、生き様にふれれば、誰にでもわかることだと思います。 ●アルバニアには小学校と職業訓練校の支援
ヨーロッパで最も貧しいと言われる国、アルバニア。
この国では、多くの子供たちが貧困のため就学できず、また学校へ行きたくともその建物もなく、
屋外や青空教室で授業を行わざるをえない状況なのです。
そこで2001年5月、アルバニアの中でも最貧地域のブトリントに、
ワールドメイトでは、最初の近代的な小学校を建設し、寄付されたのです。
開校式には、当時のアルバニア大統領メイダーニ氏も列席しました。
他にも政府高官や報道関係者、近郊の住民などが大勢詰めかけ、まるで国を挙げての慶事といった趣でした。
それは、民間の日本人が支援する最初の活動だったからです。
またアルバニアでは、社会主義政権の崩壊によって多くの頭脳が国外に流出し、
専門的な技術を持つ人材が圧倒的に不足しており、職業訓練学校の開設が求められていました。
この要請を受け、ワールドメイトでは、初の職業訓練校もジロカストロ市に建設しました。
また、ジロカストロ市の近くで、近隣8つの村の9千人の村人が使う病院が、
あまりにも荒廃していたので再建し、近代的な病院として蘇ったのです。
政府でできないこと、民間人としてできることを、ワールドメイトは率先して支援をしているのです。 ●カンボジアの福祉に関して、批判的なことを書いている人がいますけど。
1億円以上の資金を、毎年援助しているのですから、ちまたの教団はこのようなことはしていません。
また、ポルポトの被害に遭った、現地の方にも、1人100ドルを3万人に寄付しております。
実際、政府レベルでは救済できない、草の根レベルで多くの人を救っているわけです。
カンボジアの病院は、
深見先生が最初に「24時間の無料の病院を作りましょう」と言ったから始まったものなのに・・・
これに言いがかりをつけるのは、まさに2ちゃんねるレベルでの批判そのままですね。
悲しいですね。 ●神法悟得会入門篇のすばらしさ
以前、私は他教団にいましたが、「神仏を運用する」ということは、まったく教えてもらえませんでした。
※というか、「神仏を運用する」という概念すらありませんでした。
それが、このワールドメイトに入会して、「神法悟得会入門篇」を受けて心底驚きました。
教えて頂いたように、お祈りをしていると、本当に胸がポカポカして暖かくなったのです。
神仏が降りてきているのを感じました。
この教団で教えて頂けなければ、永遠に分からずじまいだったと思います。
この神法に則って
私は何かある毎に、心の底で祈りながら生活を送っています。
いつも、目に見えざる力に助けて頂いているのを感じております。
救霊も九頭龍祈願も、この「神法悟得会入門篇」が全て基になっているのです。 ●深見先生の考えと実行について
ワールドメイトに寄せられた玉串を、己の教団の、物件購入に当てることはほとんどありません。
これは、神は伽藍には降りないという、深見先生の信念によるもので、
他教団のように、大きな建物を建てて、力を誇示することは全く無いのです。
ワールドメイトの支部のほとんどが賃貸です。エリア本部もそうです。ワールドメイトの総本部も本当に小さい建物です。
見ていただければ分かりますが、総本部は、どの教団本部の建物より小さいはずです。
ワールドメイトは、最低限必要な分以外は、物件や建物に、お金を使うことはないのです。
他は、宗教活動、そして福祉、発送費、通信費、運営費等に使うのです。
会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、そして、高い次元と高い宗教的理念を持って、深見先生は、決断と実行をされているのです。 ●救霊は本当にすごい神法です。
救霊は、どこの教団にもない、最も進んだ神法でしょう。
他教団にお清めというのがあるそうですが、こちらは先祖霊が癒されるまでと伺っています。
ですが、ワールドメイトの救霊は祟りする霊まで、救うことができるのです。
この祟り霊は、人生の開運を最も邪魔する存在であり、
普通でしたら絶対救われないのが2〜3時間の救霊の取次ぎで、救われていくのです。
巷の除霊とは、まったく違う神法なのです。
この救霊で、どれだけの方が救われ、霊験を体験しているか。
よくドス黒い顔した人が、救霊を受けて、顔色が皆よくなっていきます。
また、この救霊の神法は、ワールドメイトで許可を頂ければ、どなたでも取り次ぐことができるのです。
当初、深見先生は、こんな難しい神法を人に伝授できるのだろうか?と思い悩んだそうですが、
神法を教えて、実技をさせてみたら、立派に霊を救うことができ、
霊験も表れたことから、神法伝授が始まったそうです。
私も、毎日金縛りに会って困っていたのが、この救霊を受けてから、ほとんど遭わなくなったのです。
これだけの神法を受けることができ、そして内容伝授もしている教団は、他には知りません。 ●理想に向かって、がんばっているのです!
ワールドメイトにも、中にはその民主的で自主性を重んじる精神を、よく理解してない方が、わずかながらいる可能性も否定はしません。
しかし、そのような方に対しても、会員同士で高めあえるように、根気強くいっしょに勉強したりして、
改善を図っているのが私達会員のまぎれもない事実なのです。
ですから10年前よりも、5年前よりも、確実に今現在はよりよい運営になっていると私は断言しても良いです。
ここに誹謗中傷を書いている人の多くは、あるいは2チャンネルなどを見ますと、
最近のはほとんど無く、5年、10年前の事をいろいろ持ち出して言っているような印象を受けます。
私個人として見てきた印象は、昔から一貫してワールドメイトの基本精神は変わっていません。 ●組織体系について
通常宗教団体ならば、上意下達のみで運営されるはずですが、
私が思うに、ワールドメイトの組織は、
その逆のボトムアップ方式がかなり多いのです。
深見先生は、ワールドメイト以外のあらゆる公的な活動に、
お忙しいと言うのもあるのでしょうが、基本的にはワールドメイトの運営の多くを会員である私達に任せてくださいます。
もちろん一気にそうなったわけではなく、徐々に長い時間かけて、根気よく会員やスタッフを育てて来られた結果だと思います。
すべてを組織側の都合でされようとせずに、会員の意見を常に聞き、取り入れた末に決定されています。
もちろん神事に関してのみ、神様の意志どおりにされますが、それでも会員の事を常に気遣ってくださいます。
このような民主的な運営をされる、宗教団体があると言うのは、
あとにも先にも、少なくとも私は聞いたことがありません。
ですので、いろいろな宗教団体を巡って苦労してこられた方が、
ワールドメイトの組織の運営がとても柔軟で、強要もなにもない、
会員の自主性を基本的に大事にしてくれる教団だと感心されているんですよ。 ●日本のブラインド(盲人)ゴルフ運動 2/2
ブラインドゴルフは、ベトナム戦争における米国の傷痍軍人のメンタル・リカバリーのために始まったもので、
現在では、英語圏を中心に活動は世界的に広がっています。
日本には、現在100人以上のブラインドゴルファーが育っており、
2年に1回、各国持ち回りでワールド・チャンピオンシップが開催されています。
1996年には日本でワールドチャンピオンシップが開かれ、NHKほか多くのテレビや新聞、雑誌で紹介されました。
深見先生が率いる団体では、それら全ての主催と支援を世界と日本で19年間におよび行っているのです。
こういった、草根の活動から、短年で福祉活動が終わることなく、
ブラインドの方々に少しでも生きがいを持って頂こうと、19年にもおよび支援をし続けているのです。 ●福祉活動に関して、事実無根の中傷を加える気持ちがわからない。
ワールドメイトカンボジア無料救急病院、盲人ゴルフなどを全否定し、中傷を加えている人がいます。
ワールドメイトカンボジア無料救急病院では、100万人以上もの貧しいカンボジア人が救われております。
今では、カンボジアで一番医療技術が高く、カンボジアの医療スタッフの育成の役割も担っているそうです。
事実無根の批判する人は、どうみても、一日中、インターネットで批判をするだけの非生産的な人生を送っておられるようにしか見えません。
一日中、ネット批判の暴言をするだけの生き方をしている人と、
実際に弱者を救済する活動をしているワールドメイトや深見東州先生を比べてみれば、
どちらが、世界にプラスの存在かが、自ずとわかりますよね。
●ワールドメイトのカンボジア24時間無料救急病院を批判する人は、
カンボジア人を見殺しにしたほうがいいと言っているでしょうか?
深見先生の発願により、ワールドメイトの福祉活動の柱となっている、カンボジア24時間救急病院の活動に関し、批判する方がいます。
無料で100万人以上ものカンボジアの方を救っているということ、
無料救急病院をワールドメイトが行っているということの、なにが気にくわないのでしょうか。
ワールドメイトの会費なんぞは、月額2500円くらいの微々たるものです。
それで、ご随意や3000円などで神事に参加でき、思う存分お祈りもでき、
有意義な深見東州先生のお話も聞け、十分神学びができます。
さらに、会費が、カンボジア人の命を救うとういことに貢献していると聞くと、心よりうれしいですし、誇りに思います。 ●カンボジアに小学校を10校建設しています
カンボジアでは、つい数年前までクメールルージュが武力による圧政を行い
その間、当時の全人口の約半分にあたる300万人以上の国民が殺されたのです。
特に「眼鏡をかけている人」すなわち知識階級の人間は、ことごとく命を奪われました。
その結果、カンボジアの学校や教育制度は完全に破壊され
現在、カンボジアには学校のない村が3000以上もあり、子供たちは読み書きさえ習うことができません。
また学校があるところでも、ほとんどが野外授業のため、雨風や照りつける太陽にさらされています。
こうした現状を聞き、深見先生が代表を務めるワールドメイトはカンボジア政府の方と相談をし
カンボジアの最貧地域に「屋根のある小学校」を10校寄贈したのです。
今も毎年2校ずつ建設しているのです。 ●オーストラリアではこんな支援をしています。
日本語を学ぶ学生へ、日本留学支援スカラシップ
西オーストラリア州の州都パース市にある、西オーストラリア州立カーテン工科大学では、
ワールドメイトは、17年以上にわたってスカラシップを続けています。
このスカラシップにより、日本語を学ぶオーストラリアの学生の中でも、
特に成績優秀な学生が毎年二名ずつ、日本へ留学しています。
このスカラシップはオーストラリアにおける最古、
最長の日本語学習奨学制度であり、大きな実績と高い評価を得ているのです。
余り知られていないと思い、ご紹介をさせて頂きました。
オーストラリアでは、国民の7人に1人は耳が良くないとのことです。
そこで、ワールドメイトでは、耳の不自由な子供達がもっと楽しい人生を送れるようにと、
西オーストラリア州パース市にあるスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、
専門図書館兼遠隔教育センターを設立しました。
同センターのポール・ヒギンボサム所長は
次のように感謝しています。
「このセンターができたことによって、聾唖者と関わる職業の人や家族は
一般の図書館では手に入りにくい書籍や雑誌、ビデオ、CD-ROM
その他の専門図書を手にすることができるようになりました」
深見先生は、民間人としてできる福祉は何かと常に考えられ
少しでも会員さんの玉串が有効活用されるよう、決断と実行をされているのです。 またアルバニアでは、社会主義政権の崩壊によって多くの頭脳が国外に流出し、
専門的な技術を持つ人材が圧倒的に不足しており、職業訓練学校の開設が求められていました。
この要請を受け、ワールドメイトでは、初の職業訓練校もジロカストロ市に建設しました。
また、ジロカストロ市の近くで、近隣8つの村の9千人の村人が使う病院が、
あまりにも荒廃していたので再建し、近代的な病院として蘇ったのです。
政府でできないこと、民間人としてできることを、ワールドメイトは率先して支援をしているのです。 インターネット上でワールドメイトの純真な諸活動を誹謗中傷を行なう暇がお有りならば
そのような時間はご神業に振り向けてみられてはいかがでしょうか?
深見先生は特に幸福の科学および誠成公倫会において迷妄の中にある信者の皆様のことを憐れに思われ
1分でも1秒でも早く
この迷妄から解き放たれることを願われて日々の祈りを捧げてもおられるのです。
宗教というのは、基本的に、「正しさ」とは何か、ということを
教えるものです。
「正しさ」の基準は、私たちの目には見えないけれども、
私たちを見守ってくださっている、私たちひとりひとりの
魂の親ともいうべき、神の願い、理想です。
何もかも忘れて、この世に生まれてきた私たちは、
人はなぜ生きるのか、人生の目的とは何か、
人間死んだらどうなるのか、その答えを探し求め、
そして神に出会います。
深見先生は神の代理として、この地上世界に肉体を持って
生まれ、悟りを開き、私たちに神道の教えを説かれる存在です。
深見先生の説かれたその教えは、そのほとんどすべてが
映像に記録され、経典となって、私たちはいつでも、
学ぶことができます。
ワールドメイトが真実、神の教えであるかどうか、
それは、その教えの中身にこそあります。
ぜひ、ワールドメイトの教えに触れて頂きたいと願っております。 ●神法悟得会入門篇のすばらしさ
以前、私は他教団にいましたが、「神仏を運用する」ということは、まったく教えてもらえませんでした。
※というか、「神仏を運用する」という概念さえもありませんでした。
それが、このワールドメイトに入会して、「神法悟得会入門篇」を受けて心底驚きました。
教えて頂いたように、お祈りをしていると、本当に胸がポカポカして暖かくなったのです。
神仏が降りてきているのを感じました。
この教団で教えて頂けなければ、永遠に分からずじまいだったと思います。
この神法に則って
私は何かある毎に、心の底で祈りながら生活を送っています。
いつも、目に見えざる力に助けて頂いているのを感じております。
救霊も九頭龍祈願も、この「神法悟得会入門篇」が全て基になっているのです。 ※深見先生の考えと実行について
ワールドメイトに寄せられた玉串を、己の教団の、物件購入に当てることはほとんどありません。
これは、神は伽藍には降りないという、深見先生の信念によるもので、
他教団のように、大きな建物を建てて、力を誇示することは全く無いのです。
ワールドメイトの支部のほとんどが賃貸です。エリア本部もそうです。ワールドメイトの総本部も本当に小さい建物です。
見ていただければ分かりますが、総本部は、どの教団本部の建物より小さいはずです。
ワールドメイトは、最低限必要な分以外は、物件や建物に、お金を使うことはないのです。
他は、宗教活動、そして福祉、発送費、通信費、運営費、人件費等に使うのです。
会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、そして、高い次元と高い宗教的理念を持って、深見先生は、決断と実行をされているのです。
他団体での芸術活動についてもそうです。2007年は8月の終わりまで鹿嶋神事を行いました。
9月13日には、オペラファルスタッフが控えているのです。
当然深見先生は、神事が常に優先ですから、全く何も練習をしていません。
このファルスタッフは、バリトンの難曲中の難曲と伺っています。普通なら、中止です。
それでも、人間としてできるあらゆる努力をして深見先生はやりきったのです。
開演1分前まで、練習をされていたと伺っています。本番中の裏舞台でも、練習をしていたとも伺っています。
繰り返しますが、普通なら中止です。
名誉のためとかいう、そんな次元の低い世界に生きておられないのです。
側にいたスタッフの方は、この深見先生の努力の権現のような姿に、涙を流したと伺っています。
深見先生は、すべて神の意思と会員さんの幸せのために、行動をしているのです。
根も葉も無い誹謗中傷は、悲しいこと限りないです。 今でも鹿嶋の神事続いています。そのなかで人類65億人救済の
方法がおろされました。命乞い形代の復活です。
お手元に届いているシート形の形代ならどの用紙を使ってくださっても
構いません。それに「いのちごい」と書いてください。
お玉串は1枚に付き5円です。65億人という途方も無い数なので
皆さんのご協力とお力が必要です。幽霊会員さんも、支部から離れてしまった人も
新入会で何をしたらいのかわからない人も、とにかくお力をお貸し下さい。
皆様のご協力が無ければ、いつになったら65億人に達成するか
わかりません。お心のある方は、是非ともご協力御願いします。 ●深見先生の考えと実行について
ワールドメイトに寄せられた玉串を、己の教団の、物件購入に当てることはほとんどありません。
これは、神は伽藍には降りないという、深見先生の信念によるもので、
他教団のように、大きな建物を建てて、力を誇示することは全く無いのです。
ワールドメイトの支部のほとんどが賃貸です。エリア本部もそうです。ワールドメイトの総本部も本当に小さい建物です。
見ていただければ分かりますが、総本部は、どの教団本部の建物より小さいはずです。
ワールドメイトは、最低限必要な分以外は、物件や建物に、お金を使うことはないのです。
他は、宗教活動、そして福祉、発送費、通信費、運営費等に使うのです。
会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、そして、高い次元と高い宗教的理念を持って、深見先生は、決断と実行をされているのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています