ただ、「この世的な知性や知能、インテリジェンスが高い」とか、「地位が高い」とか、「家柄がよい」とか、「名の通った会社である」とか、あるいは男女の差とか、そういうものはまったく通用しない世界があるということを知っていただきたいのです。
 この世では、いろいろな経歴があり、いろいろな仕事をしていたでしょうが、いずれ、誰もが死を迎え、あの世へ旅立ちます。
そのときに持って還れるものは、あなたがた自身の心しかないのです。そして、「その心が、正しい信仰心を持っているかどうか」ということが試されるのです。

 つまり、「人生において、神仏に対する信仰を持った生き方をしたか。それとも、神仏への信仰を妨害せんとして活動している、地獄界にうごめく悪魔たちの価値観に翻弄されて人生を生きたか」ということが、必ず問われるようになるのです。
それが、「個人としての最後の審判」に当たる部分です。
 それは、個人のみならず、組織や社会、国家においても当てはまります。要するに、「その組織や社会、国家における信仰心が、どのような色付けを持っているかによって、未来は、どのようにでも変わっていく余地がある」と私は強く信じています。