自閉的については、瞑想を始める前の性格が自閉的なら、瞑想をしても自閉的な傾向はそのままだと思う。
自閉症の人が瞑想を始めたら、リア充になりました、なんてことはあまりないと思う。

仕事ができないについては、仏教徒の仕事は三学(戒定慧)であるので、世俗の仕事ができないことが、
そのまま仕事ができないということになるかというと、それは判断する人の判断の尺度に依る。
上座仏教のお坊さんは、生産活動を仕事にはしていない。
智慧があることが、お坊さんとしての仕事の力であり、智慧を磨くことが仕事であるから。

人間は大抵の場合、自分の価値判断の尺度が正しいと思って生きている。
ところが、瞑想をやっていくと、実は、自我というもの自体がある種の錯覚であることに気づく。
自分とは違う尺度で生きている人たちを、自分たちの尺度、世俗の尺度で判断し、裁いている。

こういう事情で、瞑想修行を志す人々は出家という選択をしていくことになる。