なんちゃって覚者✴気づかない教.2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
悟りと非二元に関しておしゃべりしましょう!
なんちゃって覚者とは、既存の宗教、宗派の教理に適合しないのに、悟った自覚があり、自信もある人たちのことです
気づかないとは、あるがままの事実を取り上げず、そのままにあることです
悟り、非二元、等々に迷いがない人は、ここには用はないでしょう
お花畑、妄想、という批判はご遠慮ください
あと【悪魔からの批判】は受け付けておりませんので、よろしくwwwwww. さて、これで、大体、方向性はわかってきたのだが実際の生活の中でも実現するとなると、これが、まあ、できないできないw
鎖骨から頬にかけての、緊張などが、ハジは全く取れない
あがり症の人がなりやすいらしいなあ
ハジは、プライドが高すぎるww
外ヅラには、ヘコヘコしとるのに、難しいもんなんやなあー
コレ 打倒、自我の秘訣は、未だ、理解できていないのだが、メグミの光と安心の静寂が、これに取って代わるだろう
自我が怒り狂って暴れるのに、完全に勝って、メグミの光を当ててくと、スパンとスイッチが切り替わって、また心の余裕ができる
しかし、この他者の怒りは、置き土産をしていっており、この忍耐から生まれた、惨めに泣く気分が、なんと鎖骨から頬あたりの、緊張をとても和らげるエネルギーになるのだ 心からの頭を下げることが、できない
誠意がない
人の不幸を喜ぶ
怠けようとする
嫉妬深くひとを見て、嘆く
孤立を酷く恐れる
バカにされると気が狂ったように怒る
他、様々に、自我の活動はある
覚者がいるのならば、このような傾向はない
ある人は覚者と目されていても、ちょっと引っ掻いたら、猫だったとわかるwwwwwww 一見、楽しみがないと見える
メグミの光と自然の静寂が、賑やかな自我を落とすと真面目になる
個性が薄れてくる
そこでは最初、今までの自己のない寂しさのようなものを感じるだろう
今まで一緒にいて、己だと認識していた傾向が、性格がなくなっている
静かで、なにもかもが、不思議な感覚に映る
シラケる
これが、ピッタリの表現かもしれない
もう、踊ってない
嘘の笑顔もない
戯けた愛嬌もまったくない
シーンとして、slow motionの美的世界を、夢を見るかのように見ている
わたしは動いていないのに、体は、その中で動いているのを見るだろう
あなたは、安楽の質を段々と知ることになる
シラけてる
のが!
静かなる満足に変わるのだ
泣き疲れた子供が眠っているような ガランとした空き家に
静けさと、朝の太陽の光が射しており
自然の香りや、鳥の鳴き声が満ちている
夏の終わりのようなslow motionの世界を
想像してみよう
あなたは静かに佇んで、なにも思わない
シラけ切っている
そこに、あるものに、なんとも言えない趣きがあり、口を開こうとも思わない
カランと風鈴が鳴れば、静けさにハジける
なんとも言えない喜びに、あなたは、満足にしている
子供の頃の夏空の下にいるようにして ある、お坊さんは、ハジをみおくる時に、
車まで一緒に語りながら歩いてくれた
この、ただの派遣のオッさん
しかも、まったくもって、ろくでもない
ただの酔っ払いにたいして
敬意を払ってくれたのである!
帰りの心配をし、お気をつけてと
そして帰る時、
深々とお辞儀をされた
まるで貴いもの、仏さんを拝むかのように
このようなことは生涯の想い出になる
こころが籠っている
このような時に、あなたの自我は落ちる
あまりの素晴らしさに感動して 怒りが消えない
というのは、自我が落ちないということだ
怒ることと、怒りが消えることは、自己の働きとは全く関係ない
自我は怒りを捉えて、苦しんでいるのだ
捉えたら、もう、すぐには消えない
無理しなくてはならなくなる
自我を捨てれば、怒りは、なんの問題ももたらすことがない
自分にも相手にも
まるで、流れ星が一瞬見えて消えたように、どこにも微塵も残らない
自分で消そうとするのは、捉えているから、もう遅い
苦しむだろう
それは、あなたが、頭を下げていないからなのだ
胸を開けば、流れ星は、一緒にして、消えてしまうのだ 喜怒哀楽がないのではない
それが、そのまま、過ぎていく
済んでいる
喜びを捉えてそれにひたることがない
喜びはある
喜怒哀楽はすべて普通にある
そこには自己はない
自己は、取ること、その働きなのだから
見ることの根源を止めれば、苦しまない
第二の苦しみのことだwwwwww イラッとしたのは、あなたではない
相手の人のこころがtelepathy的に、あなたの意識に触れたのだ
つまり、怒っているのは、その人たちで、自分ではないのだwwww
そこで、その、怒りをドンドンいただこうではないか!
この他者の怒りは、高貴な食べ物であり、あなたはこれを通して、開放される
ど叱られたら、自我が落ちることもあるwww
マジで
笑 相手の人が怒っていて、その怒りをあなたに向けた時にイラッとするのだ
その怒りは、相手のひとも誰かからtelepathy的に受けたものなのだ!
このようにして恐怖な大魔王は、現状、世界を統治しているのだから、この怒りを呼吸して、瞬時に消してしまえば、あなたは、全世界の人な影響を与えている
マジwwww
すごいwwwwww
聖者は、闇を払い、神の王国を築く ようく観察して見ると、相手の人が怒った時に、それをキチンと受けてあげると、その人が、晴れやかに元気になるのが見える、笑
辛かったのだな
朗らかに快活になって、ワタシはそれを受けて苦しくなる
しかーーーし!!!!
この、ハジの秘宝を知ることになった賢者は
なんと!
その、邪悪なる根源の正体を見抜いている
それは相手ではないのだ
あなたの、闇、つまり、背中の、鳩尾の裏にゴソゴソしとる、悪魔なのだwwww
バシッと切ってあげましょう!
いや、八つ裂きにしてくれようwwwww
もはや無理
もはや、このことが知られたからにはねw
たった一人の、人にでも、知られてはいけなかったのだよwwwww
聞こえるか?
虫除けスプレーするぞw しかし、なんども書いているが
恵の光と心の眼と優しい気持ち、の、武器
つまり、智慧の剣、世界鏡、玉の心を、手に入れるまで、自我を傷つけてはならない
ハジの話は、めちゃめちゃんこ高度なのだw
武器がなしに、八つ裂きになんかしたら、もう、ホンマにシャレにならんほどヤバイ!!
かならず、光と剣と玉を使わないと、あなた自身が、終わる
偽の自我ではない、魂が、たいへんなことになってしまうので、必ず、武器がないとあかん なぜかというと、武器を手に入れるまでは、自我はあなたと、同一になっているので、それを八つ裂きにするのは、自分の本源を、八つ裂きにしてしまうことになるからなのだ
これは、破壊的活動である
まあ、そうと知らずに、しまくってるのが、ようけおるが、シャレにならんほどヤバイw 死が問題にならなければ、宗教はない
この自覚の程度によって、生きることの価値が認識されるのである
あなたは何気に、過ごしている刻が、二度とない非常な高価なものだと知らない
大したことないこと
普通の日常で、働いたり、悟りの勉強をしたり、飲みに出たり、女の子を追い回したり、しているのが、家族と旅行したり、何かしていることが、ありうるのは、今しかない!
光のあるうちに、光を歩め
とキリストは言ったらしい
生きているうちに、できるだけ仏縁に触れるようにとも言われる
二度とない
この二度とないことの重みを知らない
この大したことない、ことが、
非常に、とてつもなく、メグミなのだ
生きていることが、悟りなのだ
だれもが悟っている
あなたの心から、我儘が、落ちれば、、、 他人の人生の中を生きることほど空しいものはないだろう
惨めさと恐怖によって、あなたは、他者の都合よく使われているのだ
これは、ほんとうのことに思える
日本は、
完全なる洗脳社会になっている
まあ、もうすぐ、終わるがな爆笑
バレバレになっとるんだからなあ
なんかおかしい
じゃないよ、皆さん!!!!!
なんか、おかしいじゃなく、
完全に、アホにされとるんだよ、奴らにw
気づけば、気づいた時には、遅くなる
惨めさを与えるのは、あなたを、生かすためではないと知るには、
死の確実さを認識して、
この、嘘の仮面を脱ぎ去らなくてはならない
守っても確実に失われる生を
与えられているのは、今、だけであるw しつこいけど、相手じゃないからね!
奴らは闇にいるのwwwwww
問題は自分自身以外には、完全無欠に、
ない!!!!!
仏道は自己なり
相手を叩けば、悪魔の思う壺なのである
👿は、怠惰と孤立と見解、という、ものから恐怖を招聘し、それによって怒りをもたらすことで、世界を統治している
性のチカラが空想に作用する原理によって
バレバレwwww
相手は、絶対に、悪ではない
神仏なのだ! ふむう
何を熱狂するのかなぁ
醒めてないと、なのに、すぐ歓喜に、、、
ハジは悟ってないのだけは明確なので、ありまーす!
単に自分の思ったことを書いてるだけ
ほんとに悟りを、目指す方は
臨済録とか無門関?
を、て、無門関て読んでないや、そういや
チーンw 本、読んでいると、
布施の波羅蜜と、般若波羅蜜の完成
が
重要となっている
あまねくほどこす、解けた恵みによって
ものおしみ、
これがハジの悟れない原因のようだ
餓鬼に落ちている男、救われるだろうか
まあ、やるしかない
いや、やろうw といっても借金ダイオウの、わたしくに
与える
と言っても、何もないwwwwwww
うーむ
まあ無財の七施しというのがあるようだが、多過ぎて覚えきれないしなあ
行為に至るには、ちょっとハジ如きでは、まだ無理やろう
与え、与え尽くし、ものおしみ、しない
おー、キッツーwwwww だいたい、この男は昔から
せこいwww
与えるのは己のためだぞ、わかるな君
のような、ことで、よく人に指摘されてきたのだが、まさか、この歳ではじめて気づくとはw
愚かなり我 財と無畏と法を布施する
とある
まあ、財は、金とか物やろう
無畏は、恐れや迷いをとる
法は、まあ仏教のことやろな
これができたら真の覚者なのか!
ムウ
めちゃんこ厳しそうwwwww 金、安心、智慧
ふむ
怠惰、孤立、見解
おー
結構、対応しとるかもwwwww
実践的に、これするとなると
助ける
安心させる
迷いをとる
のようなことなのだろうかなあ
ものおしみ、か
確かに、これ、めちゃんこあるw
天才やなあ、お釈迦様は
打倒、恐怖から、打倒、ものおしみへw ものおしみ
これは、ヤバイほどあるw
餓鬼やったんだハジ
なんちゃって覚者は、餓鬼だった件
これに苦しむから、真我ちゃんが、来る日も来る日も、同じくの現実形成、笑笑
もの捨てる
の、話は、腐るほどあるもんな宗教じゃ
ラーマクリシュナの逸話とか
泥棒に、申し訳ないと謝る話とか
結果を求めない奉仕のヨーガ
どーなったら、なれるんだ??wwwww 奪われること、生活できなくなること
ぬくぬくした、お家に、あったかい、ご飯
家族に、友だち、仕事に、信用
こういったもの、が、無くなる恐怖
だよなあ
怖いもん
自分が、たいへんな苦境になることへの恐怖
これが、ものおしみ、かもしれん おー、出家できれば、ほぼ達成かwwww
なんとすげー人なんだ坊さんは
すべて捨てるなんて、人間ではない笑
仏さんのようだな、確かに確かに
ぬくぬくお家に、ぬくぬくご飯
身の安全
身の安全を気にしないとは、こりゃ
真の覚者になれるwwwww
なんちゃってと、真の覚者の違いを見つけた!
ハジ天才w
ぬくぬくお家に、ぬくぬくご飯
を、もってない、人に与えられる人
と
そうで無い人の違いなのだwww
だからハジは口だけ覚者なのだ笑 山川の末に流るる橡殻も
身を捨ててこそ
浮かむ瀬もあれ
空也上人は、悟っていたのだw
またもや古代日本には覚者があったことになる
なんと、すげー国だったのだ
それが今や、ものおしみしないどころか
もの探し礼賛
絶賛セールちゅうだ爆笑 あー、なるほど
命を捨てる覚悟が、あるから、覚者なのか!
うわー
マジで、無理ぽいw
考え方自慢の、悦に入って覚者を名乗るとは、なんなる、アホなんだハジという輩は
・°°・(>_<)・°°・。 並びに功徳なし
此れ但だ人天の小果にして
有漏の因なり
影の形に随うが如く
有と雖も実に非ず
浄智は妙円にして
体
自ずから空寂なり
廓然無聖なり
不識! 真実を求めることを用いず、すべからく、ただ、見を止むべし
【見えないことが、それが、見えることだ!】
眠る僧をば拳のかけなんとするほど打ちせめしなり
と道元禅師は述べたという 脱落したのは何だろうか?
解脱という、止住という
落ちたのは、我の、なんだろうか?
浄智とは、光明とは
一体全体、如何なる、メグミであるのか
なぜ覚者たちは皆
体はわたしではない
と述べるのか
影とは、闇とは、空とは光とは
一体全体なんなのかwwwwww
ハジは皆目、わからないでいる ふむう
アホ恥は、またもや何を熱狂しとるのか、、
醒めとらなあかんと言われとるのに
これやから、間違った道へ走る
熱狂が、人を、人でなしにする
のだから、ねw 武器を取ることが慄くことから起こる
集団的狂気
これを、病を、治癒させるべき聖者は
あなた自身だ
なぜなら世界は分断されない、たったひとつの、球体を生きているからなのだ
別れて見えているのは錯覚である
顛倒
で
ある >>140
観音菩薩の行に入らなければ、その必要もない。
新興宗教には狙われるけどね。 妄想に囚われて、いろんなことが、こうやって見えてしまうものなんだなあw
そのまんま、生きている
聖なるものなんて、どこにもないよ
認識して好悪するまえに、もう、脱落しとるから脱落しとるwwwwww
大安心
たくさんの知恵があっても、坐禅の功徳は、ちっともわからんもんやと笑
まあ、しかし、ゆるりとした世界もよし
まあお茶でも、どうぞ、
かw 罪があり、自分を責める
罪悪感が湧き、不安と恐怖がある
後悔をする
それから何らかのプライドにより蓋をする
すると、その嘘によって、緊張する
すると、警戒するので鎖骨から顔にかけての、つまり、Purāṇaの通りが阻害され
胸のつっかえが開かないので、生き通しの、ぶっ続きの生命、天地の流れに開かず
悟れない
と、今日は観察したw >>149
ですねー。
自らが持ってるプライドを正しく評価しないと自分を騙し続けることになりますね。
成長が出来ない。 風が吹けば飛ぶような誇りはすててしまえ。って高校の時の友人は言っていたなぁ。少々彼は大人びていたが。
いつも同じことしているのに、褒められたり貶されたり、世間様は大変だなぁと思うこの頃である。 >>151
うす、夕、ひさしぶりや、
4月までレス量減るが・・・・。
あいかかわらず、キリスト教の不思議で遊んでしまった・・・・笑・・・。 >>152
キリスト教は、本当に不思議だ。
キリストもそうだが、パウロも。死んだはずのキリストに会うのだから。
東方の三博士とは、何者だ。
幼稚園で、日曜学校行ったぐらいじゃわからん。
クリスマスだけは、よく憶えているw
>4月までレス量減るが・・・・。
座禅と、せったん和尚の書き込みでも見ている。 >>153
もーすぐクリスマスですね!
あわてんぼーのサンタクロース
クリスマス前にやってきた!
一人でルンルンルンルン🎶
キリストさんの愛は、人気ですw >>154
キリストが湖を上を歩く。きっと、常識で考えたらいけないんでしょうね。
木人まさに歌うたい、石女たって舞まう。
情識の到いたるにあらず、むしろ思慮をいれんや。
>キリストさんの愛は、人気ですw
教会の風景は、結構好きです。
愛と関係なかったw >>155
夕へ、キリスト教徒でもたまに欠陥あるが大物がいる笑。
内容が想定外故に、公案にして修行ネタになったわ笑。
想定外のクリスチャンの切ったカードを公案禅ならば・・・と修行した笑。
その恩恵を、付き合いがある話の出来る教会の役員にクリスマスプレゼントしてきた笑。
このプレゼントは霊的予感と確信で相手にキリスト爆弾になるような気がする・・・・・
後日のお楽しみ笑。
想定外のクリスチャンの切ったカードを公案禅ならば修行で・・・・・。これで決まったかなあ・・・大晦日に世話になっている坊主に土産話になるやろう・・・笑。 155.
キリストが湖上を歩く。
人間ならばあるけない。
だからして、人間ではないことになる。 >>156
>想定外のクリスチャンの切ったカードを公案禅ならば・・・と修行した笑。
なにをいわんとしているか、わかりませんが。
汝も彼も、疾風の如し。
土の人が、風にあおられて、踊っているのでしょう。
適当ですw 余談ですが、これも一種の宗教みたいなところがあるので書きますと、アミューズメントメディア
総合学院のアニメータ科の内田順久のいうことは絶対聞いてはいけません。
学べるのは本当に一部分の技術だけです。内田は過去にアダルト作品を作っていますが
どれもインポみたいな作品になり失敗しています。内田は潔癖症ではありません、インポです。
その上モテません。
アダルト作品を作ろうと考えてる人は特にこいつの言うことにしたがってはいけません。
インポにされます。 所詮は凡夫なので完璧な人にはなれない
そうなのだけれども、阿弥陀如来や、主である神様、大日如来やアマテラスによって、
もしくは、そのような偶像をおかないのならば、智慧の光によって、この、どうしようもない悪人を落ち着けていくことができるだけである
これは世を超えている笑
ハレの気持ちを運ぶ、仏様のような人たちは、世の中にたくさんいるなあ 苦しんでるのは己であって、その苦しみによって他者が、苦しんでいるわけではない
また、他者の苦しみは、その人の抱えた評価によってあるのであり、そのことを引き受けてしまう必要もない
思い煩いをとってしまうことが、宗教の目的であるのだから、それを真理かどうか、問うことも苦しみであるのなら、捨ててしまえばいい
ハレの気持ちである
ハレのこころで、過ぎ去るものを、そのままにしておいたらば、苦しみの追いかけることはないだろう
単純なことではあるが、自分を許すことは、なかなかにできないものなのだ
罪悪感さえとれれば、幸せになれる なんと愚かな人間であろうか
と、自らを責めているのが、苦しみの元であり、また失われてしまった物事を、取り返しがつかないことに思い至って、さらに苦しむのである
この精神活動に終止符を打つ
それは、自己の抵抗の終了の時刻である
自己は手放して、光をもってこよう
なぜなら、その罪悪感によって、暗く淀んでいるよりも、光によって私が何もしていない方が、周りが生きるからである
周りが明るくなることによって、少しでも罪滅ぼしになっていくかもしれない
悩んで正そうとしても、知れている
所詮、この小ちゃい頭で立てた策略など、たいしたものではないわいw
己の世界を光に満ちさせることで、周りが明るくなるならば、悩み苦しみが払われるならば、それがせめてもの、罪滅ぼしである
まあ、少しでも、償おうではないかw 悟ったなどというとよろしくない
人はそのようなことに目くじらを立てるので、争いの元になるからw
悟りなど知らんとして、その実質の、己の光の質によって、周囲を照らすのだ
悟りに悩んでいる人がいるから、悟りがいるのであって、本来は煩悩からの解放である
煩悩の休息が、悟りなのだから、悩みさえ取ってしまえば、仏さんのようなものだ
そのような活動をしている人たちは、普通の世の中でも、たくさんいらっしゃる 人が怒る
その怒りの元には、様々な原因があるだろうけれども、自分が、のこのこと、それを取りにいっても、新たな苦しみを生むだけだw
そのような意識に突き刺さる怒りを、透過させてしまうことが大切である
その透過させるのは、悟りの世界にあることで透過させてしまうのだ
つまり、認めることをしていない
すべて、投げ出して、掴むことがないことで、怒りを、溶かしてやる
このことは、悟ったなどと述べなくとも、可能であるので、争いを生まない 過去にハジが出会った教師の人たちは皆
安心させることのできる人たちであった
これは、その人の存在の質が、周囲を照らすことで、もたらされたものだった
つまり、これは、その空間における精神の流動の中で、ある存在が、重いものを、消失させてしまっていたのだろうと思うのである
このことは、ひとつの世界を生きている中では、かなりの影響を及ぼすと思われる
怒りのキャッチボールが、続く中で、一人の人間が、それをポーイと消して歩く
その分だけ世界の怒りの要素が減ってしまう
もちろん、体からくる怒りがあり続けるので、完全になくなることはないだろうけれども、少なくとも自己の周囲においては、落ち着くことが多くなるのである
そういう活動は、私が、出かけるのではなく、引っ込むことでなされるだろう >>166
まず、この光の鏡において、集中、解放、そして光度の維持と増加をすることが、明らかに、その空間の精神流動に効果を波及させる
なんの理由があろうとも、この光源を断つことをせずに、明鏡止水である
滑らかで、クリアーな、そのひとつの意識の質を保持しながら、強い怒りを、打ち消してしまうのである
元気になるだろう
つまり、あなたが、光度の維持と増加を図ることで、他の人まで、その影響を受ける
これは間違いのないことである こうであるのだから
あなたを取り巻く状況が、如何にも尤もらしく、己を闇に引きずりこもうとしても、理由を受けてはならないのである
思い煩っていることが、自然だと錯覚しているわけなので、その罪悪感を打ち消すことが必要になってくる
なにがあろうともハレであるw
ハレのこころであることが罪滅ぼしになるのだw ハレの心は自分ではもってこれない
そこで、自分が活動を休止して、その意識の光の元にいなければならない
私がやっているのではなく、その、世界の大元である意識が、この、闇の沈殿した重苦しさを晴らしてしまうのである
私は弱い
しかして、この光源は、破れることがない 意識の光と、精神の静けさが、ありとあらゆる苦しみを透過させている時には、取ることがないので、すべて、過ぎてしまうものなのだ
自己が登場して、よろしくないことに、手をつけると、もう、どうしようもなく苦しむ
自己の意思は弱いので、他者の苦しみを打ち消すことなど、とてもできるものではない
ただ、この己を超えたものだけが、怒りの流動性すら打ち消してしまうのである なにとも捉えないことで、この、光が、眼の中に輝きだす
そして、世界をひとつの意識として、抱きしめることで愛が溢れ出す
それが慈悲の力である
わたしは、別れてあると思うことが、世界を遠く離れた物としてしまっているのだ
世界は、全くわたしの心であり、その心は胸にある空洞から写っており、その、世界を包む意識が、光として世界を抱きしめるならば、ひとつにあることの至福が、あなたの存在を、消化させてしまうのである
世界はひとつであり、その同じ意識を、皆が、生きているのである わたしの意識だと思っているこれは
他の人も、全く同じ意識を生きているのであるからして、世界はひとつなのである
その生命の膨らみに映るものごとが、異なっているので、違うと錯覚しているのだ
ひとつの球体を、みなが、生きているのであり、その、内容物の違いは、意識点の場所の問題にすぎないのである
それだからして、あなたの影響が、世界にモロに現れてくるようにできているのだ ある星から宇宙を眺めるのと、他の星から眺めるのでは、その風景には、違いが出てくるのであるが、同じ宇宙を見ているのである
そのようにして、ある人から見た世界は、他の人の見る世界と異なっているのだが、全く同じ意識に映るものを目にしているのだ
全く同じものを生きているのである
それだからこそ、あなたは、全世界と同時に成道することになるのではないだろうか? 生きてあって恐れがないことなどありえようか?
生きてあって罪科のない人などひとりとしてありうるだろうか?
こころの混濁して苦しみが次々と襲うことは、普通のことなのではないだろうか
もちろんハジは普通よりも酷いことはわかる
その罪や恐れが、続々と、苦しみをもたらす、自己の働きに、光を灯す
この光は、止まることで、テラス
自己がどうにかしようとしても、どうにもならないから止まるのである
休み諦めるのである
どのようにしてみたところで、所詮は、こんな人間なのだから知れている
しかし、この光によって自己の苦しみが癒されるならば、ともかくも精神面における悩みは、軽減されることは違いない
恐怖はあるが、それが、ぞくぞくと流れて行く
不安もあるが、それが、止まらず、ゆき過ぎる
罪科もあるが、それが残らず、洗われてくる
この働きの中でわたしの混濁して、慄くこころが、刻々と、消化されつづける
消化され続けるから、明るくなってくる
消化され続けるから、静まってくる
そして、何も求めなくなれば、不完全なわたしと、不完全な世界が、そのままに、問題ではなくなってくるのだ
不完全で、そのまま、そこに光か当たる
完全なる人格は必要とされていない
わたしにはどうしようもない
もう
この止まることによってある風景の光度を増すところで、洗われているしかない
そこでは一息つけるからである
苦笑 安心して世界を抱くならば
そこには、非常に落ち着いた安らぎがある
世界と自己の敵対関係が、埋まらない心の渇きの原点だからである
不完全な世界と、不完全な自己
この誤ってあるような不完全性の中で、なんとかしようともがき苦しんでいた動きが止まる
諦めてしまった
もう苦しすぎて、その、ことには耐えられなくなったので、止まったのだ
すると、この世界は、自己の対応物ではなくて、そのまま、なんとも言えず自己である
自己そのものが、世界と別れてはいない
この心こそが、世界なのであり、世界はそのままこの自己の働きなのである
そのものを抱くというのは、自己が自己とひとつになるようなものである
このときに、不安や悲しみが消える
安らぎが訪れる
そうして月を見れば煌々と
風は清新
あらゆるものが、自ずとあって、ゆきすぎるから悪が亡び去るのである
淀みなく澄み切ってしまえ!
何かを手にしようとしなければ、不可解で、不完全なままで、悟るのである
なにも手にすることはない
あるものが不完全なままで、問題にならなくなるだけである 渾然として一体である世の中で
我とそれ以外のものごとが、すべて、不完全にして、滅び惑い、苦しみもがいている
思い通りに理解しあうことはできないし、生活も潤うことはないし、欲しいものが手に入ることもないき、愛に満たされることもなく
渇ききっている
そういうわけなので、もう、なんとかしようと働きかけることを諦めてしまった
もう、これ以上は、どうすることもできないのだから、不完全で、迷惑な自己のままで、止まってしまうことになってしまった
するとあるものは、あるがままに、そこにあるのである
なんであるのか?
なんであるのかは知らない
もうそこに自己からなにするでもなく、あるようにあるのであって、どうしようもない
なにかムッとした人がいても、それはそれで、もうそうなのだから、いけないと動き働きかけることが止む
風景の光度、が、増す
なんかこの、あるものが、あるままで、深くなる
そのまま、不完全なままで、完全なることが、通り過ぎてゆく
わたしは、それをあるがままに、生きているだけである
そうしようとしているのではない
そうしようとすることがなく、あるがままに生きられていく
もちろん完全な人格などないwwwww このようにすることが悟りである
とか
このように高められた精神が救いである
と皆さんが、言われている
そのように高められたものにはハジはなれなかったのである
そして思うに、そのような恐怖も不安もなく、罪科もないような人間はひとりもいないはずである
精神があるのだから、当たり前であるw
まるで超人のように、すべてのことを凌駕した精神などあるわけがない
恐れや不安が、あるが、それが自己を捉えることなく、過ぎていく
罪科があるが、それが、不完全なままで、受け入れられていく
ムッとした人や怒れる人たち
暴力や利権に群がっている人たち
己の欲望に振り回される人たち
もちろん、これは、わたしである
その罪人である私が、もう、どうしようもないのだから、諦めてしまう
いけないことだろうけども、いけなくても、そうでなくとも、もう、そうあるものを、どのようにしても超克できないのだ
なんとかしようとする
出来事に働きかけていた、この、わたしの働きが休んでしまう
もう手をつけることはしない
どのようにもしようとしていない
それが不完全でありながらも、そのものを許しているときなのであり
世界を抱くことなのであり
渇きが癒されることなのである
おのれが止まる
これが、起こったことなのだ
たぶん、悟った人は、止まったのである
働きかけがなくなったのである 光と書いてあるが
風景の光度が、意識の照明が
上がり
この、迷いの心が、その光によって洗われていく、洗われていることである
止まることで、そうなるのだ
見ることが止むとは、止まることなのだ
己の動きが、休むことで、そうなるのである 禄でもない人間である
迷惑千万な人間である
とても行き場のない男である
自分だけでは救われようがないのである
それだからして、お手上げするほかない
自分で自分を掬い上げるしかない
静まってからになってるしかない
たかが知れた人間なのだw >>162
面白い、せったん語録あるよw
229 :せったんmyoejoe:2005/12/17(土) 10:39:35 ID:A2xPeP3M
妄想が悪いんじゃないんですよ、妄想=世間です、いずれ自分独特の発明なんかないんです、
お客さんをどう扱うかの問題ですか、軒を貸して母屋を取られる馬鹿とかね。 >>180
妄想=世間?
軒沸かして母屋を取られる、、、
ふむう
難しいことw 嫌なことは無い方がいいし
好きなことは多い方がいい
だけれども、そのように調子よくないw
そこで悩みます
悩むのはまあ、いいんでしょうけども、あんまりにも重苦しくなって、自分を責める
これがいかんのですw
いや、ある程度ならいいんですよ
当然、反省すべきはしなければならないのだから、悩んで成長していくわけだ
このときに今の風潮は、過ちがあったら完全に自己責任とするので重くなりすぎる
そこで鬱の人も出てくる
できのいい人はいいけども、ハジみたいなんだと不味いw
そこで、もう止まるの秘儀を使うしかない
この秘儀は、再生してくる思考の渦巻きの中で、溺れないようにするのだ、笑
要するに心のなかに光を射すことである
これは、ぼくのように悩んできた傾向のある人がいたら効果覿面なのである
まず、動きを止めるのである
自分が動いているから苦しくなっている
是非や評価をまったく外して、たんに、ココロが透明にあるようにする
このココロは目の前にある世界なのだ
そして、そのココロに光を射すのである
光がなくては、救われないのだ
まあ、エリートの人は評価の世界で救われるので放っておいてもよいだろうwwww 波打っていた水面がスーッと平らになるようにして、静かにする
思いが向こう側に動いていかないように
思いはドンドン再生してくるけれども、感情を伴っているはずである
それに、気づかないかのように、ドンドンこの、水面の向こうへ消化させてしまいます
どんなに重苦しいことでも、放っておきます
放っておくことは良いのです
そして、ある程度、澄んできたら、目の前の空間全体が、少し明るみが増してきます
これは、心が落ち着いたので、そうなっているわけですが、今度は、その目の前の光が、もっと光度を増す技を使います
上空に透明な清新な、それでいて、柔らかで、微笑ましく、ニコリとしたような、そのようなイメージの門、もしくは、空間を創出して、そのところから、この目の前の全存在が、洗われて、ドンドン光を増していくようにしてくださいw
うーん、ちょい個人妄想入りすぎかなあ
まあでも、この光が、透明な心の輪にキランキラン降り注ぐ技は、使えますよwwww
悟りとかではなく、精神衛生上、非常に楽になっていくのです
それで、この、光の感覚が、わかってきたら、なんとかして、そこへ持ってきます
なかなか難しい
なぜなら、普段の取り憑いた感情が、自分のものだと錯覚しているからなのですw 負の感情は、自分で作りましたか?
たぶん、誰かの言動に接したときに、その意識の棘が、あなたの意識に刺さったのでしょう
感情の交換です
毎日毎日、感情の交換をしていて、ある人の苦しみをあなたは背負うことになる
ところが、ここで、不思議なことに、この相手の感情を自分の思いであると錯覚する
そうなると、この、感情の支配にドンドンと責められて、まあ、気力が尽きていきます
元気がなくなる
この元気というのは、舐めてはいけませんw
元気があれば、なんでもできる!
ですw
あなたは騙されているみたいなもんです
この感情の消化こそ秘儀ですw
その感情を他の人に分けてしまわずに、消してしまうことが、凄まじい偉業なのですwwww
天空から降り注ぐ光の波によって、眼前世界を洗うことと、静まって動きを止めたココロによって、消してしまえ!
悪いことではありませんw
いいことなのです!
あなたが、この感情を消して元気になるなら、世界から負の感情が、減り、良質なココロが、増したのですw
なぜなら、分断されないからです我らはw だからと言って、この感情の発露をしてしまったとしても気にしなくもいいのですw
とにかく世間のいうことは置いて、まず、ココロが静まり、眼前世界が、輝くことを優先したらいいのであります
この、ココロの質が極めて重要だからです
もちろん、つねに変わらずあるわけではありませんので、ずっと、ここに照準を合わせなくてはなりません
けっこう難しいですw
しかし、ハジが思うに、これ以上ないw
この透明な心に光が舞うことが、人生の運命にすら影響するだろう 平常心コレ道
平常心
この心が仏だという
常に平らな心だろうか?
落ち着いて静まった心のことだろうか
そのココロが眼前世界だったら
つまり、意識の光は、世界の光なのだ
そうであるからして、この、心が、どんな理由があっても、闇に支配さしてはならないのである
尤もらしく奴等はくるからねw
とにかく、光に満ちて明るい
これがあれば、
よいのであるので、それを邪魔するものはすべて悪魔たちだwwww
光こそ、己を照らし世界を照らす、この光こそが、救いになる
これは意識の光である >>183
うん。途中で妄想入ったねw
入りは整ってるよ。 >>186
不生不滅。
煩悩を"うまずめっさず"
怒りを"うまずめっさず"
平常心の維持だけでは人の想いが見えない。 どんなに、正当に思える理由があっても、心を闇に支配させてはならないのだ
それが悪魔たちたのだからw
どんな理由があっても、光にあらわれている
この理由、わけ、常識などは、こころの動揺いかんで見ればいいだけだ
あなたを迷わせて苦しめるのは、見解なのだw
そして評価は、その最もたるものである
しかして、静かに透明になったココロに照らされた眼前世界に意識の光、神々の栄光を注ぐことによって、かならず、ひかりは勝つ
光は負けたことがない
かならず、このひかりは、安らぎへ導く
あなたが苦しまないと困る存在がいるのだが、そのようなものは、悪なのだw >>188
ふむふむ
人の思いは、いきなしガツーンとやってきませんか?
鬼子さんがいたら、ガツーンともう、即座に、喋らなくとも、いきなし、ドキューンと、語りかけてきます
それでハジなんかは動揺したり、喜んだり、まあ反応しとるわけです
そこで、この動きを、無視るわけですな
無視るというと悪いことのようですが、まあ、注目しないとでもいいますか
スイッチが、人ではなくて、光になる
ひかりのオンオフ
要するに、ひかりがあるかないか
の方が人にどう対応するか、反応しているかよりも大事にする
そうすると、まあ、自分勝手のように見えますが、しかし、この心が、人の感情から影響を受けて、それを、またもや他へ当てると、悪循環なのですw >>190
書いてみる、読み直す、己を知る。
良いトライだと思うよ?
評価なんてギャラリーに任せれば良いのさ。
他人事。 書いてみましょうw
丸い円状に世界を見て、そこに写っている物事をここに見ずに、全体的に見るとき、そのようなときには、世界は私に何もできません
ところが、そのようにあるときにも、他者、つまり人間だけは、その、輪の中へ入ってくることができるのです
そこで人に注目をしてズズズーっと世界の個別的関係性へと引きずりこまれると、今度は人にばかり注目が集まるようになり、その個々の人たちとの感情の交換によって、私の精神が、流動していくようになるのです
そして、その感情の要素は、見た目や人柄などとは関係ないところで、個々人の重さをもっているようなのです
人当たりの良い悪いとは関係ありません
そこで、この、感情を受けると、即座にわたしは、それに反応して、心の中で、喜びやら悲しみなど、様々な動きを見せるのです
この動きの中にいると、わたしは、受け取った感情、または自らの肉体の調子やら、出来事の不正などから自然発生的にでてくる感情とブレンドされた、私個人の感情をもち、それをまた、他者へと還元していることになります
この輪から出られないことで、苦しみを断つことができないでいるのです 問題は、わたしが、負の感情をばら撒いてしまうことが頻繁に起こることなのです
この負の感情には確かに原因があり、そのように深刻な気持ちを発生させるのも自然なことのように思えるのですが、、、
しかし結果的に、それは他者の食べ物になってしまうのであり、他者は、またもや、それを他にも当ててしまうので、私個人の、気持ちの流れが、かなり広範囲に広まってしまうのです
まあ、体の調子やら、出来事の良し悪しなどの多様性があるので、まったく、そうなるわけではありませんが、明らかに影響しています
ですので、この負の感情を、光によって消化して、明るい、気持ちにしていることが、煩悩の滅尽にも、効果を及ぼすのですw
ハレの気持ちにさせること
悩み煩いをとってしまうことが、
良いことなのであり
それは、全体的に波及していると思うのです >>193
文章に社会的な歪みが出てますね。
鬱・不眠は外因です。
解消されない悩みやストレスが原因。
出れない輪ですが、第三者評価は所詮他人事と、切って捨ててしまえば出られませんか? そこで、心の動揺を静めることが、必要になってくるのですが、ピターッとくっついた感情くんは、なかなか剥がれませんので、技を使うしかありません
それが世界から離れ去ることであり、思いから離れ去ることであると思うのです
理由、とか、善悪の価値観が、これを阻害しているものなのです
だから思い切って、光を、最重視して、それを遮断するものは、すべて悪である
と、このように見れば、見解の悪魔たちも手を出せなくなるでしょう
どのような理由があっても、こころを乱し、悪想念から闇に引きずるものは悪である
こうすることによって、明るい気持ちを復元して、負の感情を消す
すると、なんと、この人は、相手というか、人の感情を消して歩いていることになるのです
重みに違いがあるので練習が必要でしょうが
しかし、このようにすることは、悪いことであるばかりか、とてつもなく良いことなのです
問題は、その責めている気持ちが、自分のものだと確信していることなのです >>194
負の感情の根本に小心が有りませんか?
自分がどう評価されるかを気にしすぎてる気がします。
ただ、悪意を以て心理学を使う人も居るのでしょうがないかなー。 >>196
うん。
自分で自分を騙さない様に心がけないといけませんね。
良い〆だと思います。 なあ〜〜〜〜んちゃって、なあ〜〜〜〜んちゃって、なあ〜〜〜〜んちゃって、
なあ〜〜〜〜んちゃって、なあ〜〜〜〜んちゃって、wwwwwwwww
今年も残り僅かとなりましたので、
とりあえずご挨拶をww >>199
ふむふむ
今年も終わりですかあーー!
パーピマン先生もよいお年をお迎えくだされw
お正月は神様、仏様にもご挨拶だよwwwww >>199
とりあえず言っておこう。
「良いお年を」。 新年明けましておめでとう御座います!
神社仏閣へ行く
新しい年の始まりに清新な場の力によって、穢れを祓い、または、平和を願う
非常に価値のあることでありますw
是非とも新年のお参りに行かれることをハジくんはお勧めしたいと思う
うむうむwwww 意志と欲求に応えることが布施だとして、世の人の欲とは自尊の念であろうか
そうだろう
誰もが我が存在の優秀であることを誇りたいと自己発言しているのだから
この部分を満たすには、こちらが、不動の神智によって、あらゆることを許すことが必要になってくる
このことの問題は、やはり、生命、財産に集約されてくるのである
仏教でいえば、我と法、我見と物惜みである
これを捨てようとしても、逆に、意識的になってしまい掴み恐る
蛇と蜘蛛
恐怖と想念は、悟りの二大問題である
この想念、恐怖が、自我を形成するのではないだろうか
そこで、捨てようと思うことをやめる
ただ何があっても、ひとつの、統一である安心のもとにあることで、この、存在の貢献はある
意見は、何の役にも立たない
今、恐怖と不安に駆られるのか、それとも静寂と無の安心にあるのか 外のことは、どうにもならない
みずからが、それらのはたらきに対して離れ去ってしまうしかないのだ
いつまでも苦しみは追いかけてくる
休むことはない
そのような外界のものごとを、静寂なる点から眺めることによって世界を捨てる
捨てたところから見れば、どのようなことも、もはや何事にもならないである
醜い世はひとの心のみである 自分の眼を世界から見るような方向転換した意識で、全身を照らせば、意識そのものの、円形が現れ、その中心点と、その外が現れる
この三点の連携によって、意志活動の点が、安心になる、落ちる時、世界はファンタジーになるのだw
光と音の共演
しかし、これは副次的であり、そのもの自体を維持しえないものである
肝心なところは、頭脳活動の一部、この志向する働きが休む事である
休む事で自然となるのであって、目指したり維持したりすれば消える
だれも理解しないwwwwww
まあ人気なのはわかりやすいことか >>206
苦戦ばっかりしてますよw
まあ、ある状態に固執してるからかなあ
透明な感じが好きなんだな、笑 表面上の様々な変化ではなく根本を解消しないといけないと思ってきた
根本を解決するのに表面的な外観を変えるだけで、外観がありかではないのかもね なぜ覚者と思しき人々との縁が生ぜないか、薄々とわかってきたところである
彼らの言葉を聞いたり、顔を合わせたりしても、私自身がそこから汲み出すことができず、それを受けるだけの器がないからなのだw
同じ言葉でも、聞く時期によって、まったく理解が異なってくるのであるが、その理解は苦難の量に比例してあがっていくように感ずる
のだww
しかし何が真理かは分からないし、どの事柄も一定の真理と思えるような内容があるので、ここから向かうところに迷いがある時、信頼できるものが現れない、もしくは、現れても見抜けない、見抜いていても付いて行けないというのは、どう攻略すべきか
とにかく、祈るしかないのかも知れない
笑 世俗にある喜びや大事な物がぶっ飛びかねないような苦しみに直面しないと
どうしても「世俗の向こう側」に行く覚悟な自分がつくられないってのはあるかも >>210
人生の起きてくる出来事と精神の苦悶
これらの事から抜ける努力や意志の力は、そこに挿す光の存在たちの姿によって奮い起こされていくものであると思われるのです
彼らは心の深いところに触れることで、希望や愛の感情を再生させている 静けさと清新さ
そして明るみ
無為自然な、振る舞いに
なんちゃって覚者は憧れているのです
w 仏の世界に照らされるのではありません
仏が真実、リアル
真如の世界に照らされるのです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています