なんちゃって覚者✴気づかない教.2

1神も仏も名無しさん2017/12/09(土) 06:39:12.09ID:121v+9we
悟りと非二元に関しておしゃべりしましょう!

なんちゃって覚者とは、既存の宗教、宗派の教理に適合しないのに、悟った自覚があり、自信もある人たちのことです

気づかないとは、あるがままの事実を取り上げず、そのままにあることです

悟り、非二元、等々に迷いがない人は、ここには用はないでしょう

お花畑、妄想、という批判はご遠慮ください

あと【悪魔からの批判】は受け付けておりませんので、よろしくwwwwww.

523神も仏も名無しさん2018/07/03(火) 01:46:26.78ID:vn4IMzCE
人はそれぞれ、タイプというものがある
知的で誠実な人
情緒豊かな人気者
協調性があって物静かな人
とか、いろんなタイプがある
こういうのが、まあ、22タイプくらいあるとして、その、それぞれの人が、どこかに、過度の負担をかける
意識の重点が、感覚にあったり、脳にあったり、胸にあったりする
そして、その、重点が、他の機能もカバーしてしまうと、負荷が、どこかに、かかる

524神も仏も名無しさん2018/07/03(火) 01:50:51.71ID:vn4IMzCE
気持ちというものは、胸にあるものである
もちろん、胸にある
という人もいるだろう
ところが、気持ちを頭で感じるものもいれば、気持ちを身体で感じるものもいるwwwwww
こういうことをしてると苦しみがくる
重量オーバーを起こしているからである

気持ちというのは、胸にあるのである

昔、小学校の先生が、胸に手を当てて考えてみなさいと言ったが、、、、、、

こういうのが、間違いである

胸で考えてはいけない

考えているのは、もちろん、頭でなければならない

こういうことの自覚がない

525神も仏も名無しさん2018/07/03(火) 02:03:38.79ID:vn4IMzCE
本の中の文字の意味を、頭で理解しようと、その整合性を確認しているような人
このような方向で、いく、だけの人
もしくは、瞑想、自覚のみで行こうとする人

どちらも、行けないのであるwwwww

実際の生活の中での自己と切り離して、苦しみの滅尽が、論理的に可能なわけがない

また、何のために、何の目的で、自覚や、瞑想を日常に持ち込んでいるのかを知らずに、盲目にやっていても、瞑想的である時だけに、解放があるものになり、それは、本質なるものを見抜く気づきが、まったく、訪れない

とにかく、知識と体験が、これらが、どっちも必須なのである

526神も仏も名無しさん2018/07/03(火) 02:13:17.17ID:vn4IMzCE
仏教の話をしていると
まあ、たくさんのものが、ありすぎて、纏まりが出てこない

原始仏教から般若心経、そして、あの龍樹さんの主張、そこから、禅宗、念仏などなどへ
色々派生したと言えど

やはり、根本の根本には、縁起なるものがあり、縁起、そして、それにより五蘊皆空

これから、外れることはなく

これから外れるのは、どこかに、勘違いがあのではなかろうか

しかし、この、縁起にしろ、それによって、五蘊皆空にしろ、イマイチ、ハッキリとした

ものが分からない

ところが、仏教が、分かりにくい原因ではなかろうか、、、、

527ポッタン師2018/07/03(火) 06:11:01.66ID:omo5mH1n
526.縁起している一形態が人間である。
その縁起の外側に出た人、が釈迦である。
どのようにして、か。

528神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 01:42:40.13ID:mLxDr388
>>527
ふむふむ
確かに縁起のひとつが、ボクである
どのようにして抜け出た?
縁起しているものから、抜け出るものなどありえんでしょうw
一切が、五蘊でしかない
この、五蘊、色、受、想、行、識
以外はない
そして、これらは、いろんな要素が、縁となって仮に成立しているものである
それならば、これらは、縁なのであるから、自己は仮ものであるから
全世界としての、これなのである

これらの、無常なる世界から、解脱したのは、わたしであるが、、、

それは、外に出たのではない

これら、そのもの、を見ただけである

方法は、自己、つめり、現在、自己なると規定されているもの、

普通は肉体とこころ、であるが、つまり、この、体、気持ち、を見ている

気にしている

見つめている

自己を見る

これによって、それを、見たのである

見た時に、我が、外に出るのではない

元々、我なるものが、ないと気づくのだ

我なるものがなきというのは、個別性が、ないということであり、個別性がないというのは、ありとあらゆるものが、繋がりあっている

ということである

そういう意味で、わたしは、死なないのである

529神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 01:47:02.97ID:mLxDr388
生きとし生けるもの
宇宙に存在せし、全惑星、もっと言えば、全宇宙、つまり、並行世界をも含めた、あらるゆ一切を、生きているもの、つまり、顕現せしものの

意識が

これが同一なのである

同一ということは、死なないのである

私であるものが、あなたであり、草であり、犬であり、すべて、同じくの意識に、写しあっているのである

530神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 01:50:55.07ID:mLxDr388
ひとつの球体が、ありとあらゆるものを、映し出しているのだ
これが意識である
この、球体、つまり、意識は、どのようなものにとっても、同じなのである

ところが、これを、我が意識と、つまり、意識なるものが、違うなどと言うことはありえないのである

意識の、内容が違っているだけである

そうでしょう?

そうではないですか?

あなたと、わたしの、意識が、違えば、出会うことすらないでしょうww

531神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 02:02:13.99ID:mLxDr388
だから、こういうのは、
どれだけ、熱心に学問しても
絶対に、気がつかないのであると、あちこちで主張しているのであるww

しかし、これが、悟りかどうかは、わからないし、まあ、、、

この、見てるもののことではなく

私の側の、止まることが、おそらく、悟り状態なのである

止まること

これも、文字だけ見ても、理解不能なのである

しかし、もしも、ボクと同じような状況になるものが、万が一いたとして、この、見ることと、見ることの停止について、よくわかったなら

悟りかどうかは分からないが、とにかく、

おおおおお

と、なるのであるwwwww

532神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 02:21:57.27ID:mLxDr388
うーーーむ
やはり、なんちゃって感が、ハンパないな

まあ、もうチョット、勉強しようw

533ポッタン師2018/07/04(水) 05:57:52.34ID:iG80uUf+
528.それは縁起の説明である。
529.530.それは意識の説明である。
531.見てるもののことではなく、か。見てる対象の問題ではない、か。
見ること、か。
何を見る、か、の問題である。
五蘊を見る、か。

534神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:14:38.07ID:mLxDr388
>>533
自己を見るのである
自己を観察し、感じる、練習をする

どんな時でも、自己を見るのである

自己は対象である

見られているものが、自己である

見ているものは、自己へと反転した意識、回帰した、反省する、逆転的、意識のようなものであるが、これが智慧である

自己を照らすものが、智慧である

535神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:22:53.01ID:mLxDr388
人間は、自身が、外界などとしている、つまり、世界なるものもしか見ないのである
何が見えてないかというと、自分が、見えてないのである
つまり、世界だけを見ており、我を見ることを忘れさっているのである
自分が、どのように動いているか、すら、見てはいないのである
それは、無意識に、つまり、無意識とは、意識されてないのである

私が何をしていても、見られてないのである

照らされていないのである

見られているものが、他者であり、世界となっているのである

この他者であり、世界であるものが、意識である

我が意識なのである

同一なのである

完全にまったく同じものなのである

536神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:32:01.75ID:mLxDr388
>>535
見ることとは、わたしの、働きを、見ることなのである
今現在、わたしと、されているものであり
普通一般には、
肉体活動と感情、感覚である

この、わたしが、どのように動いているのか

を、見るのである

そうすると、見ているものが、つまり、その、力の活動が、静止点として活動しだすのである

そして、この、見ているもの

このもの、が、様々に、アチコチへ、志向していることが、分かってくるのである

向う意志のようなものである

これ、この、回転しているもの

意志

が、止まることが、静止していることが

この、見ているものの、停止である

これは、ハッキリ言って

高度なことであるwwwwwwww

本だけ読んでも、絶対に、わからないのである

537神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:44:14.10ID:mLxDr388
世界も自己も、今までのようにある
ところが、この、見ているもの
の静止
が目覚めており

この、見ているもの自体が、動かなくなっているのである

すると、私なるものの活動が、停止している

見ることが、止まっているのである!

自己を見ること
そして、その、見ているものが、全体を見ており

そして、この、回転しているものが

止まったのである

そうすると、

世界は心であり、心を包むものが、見ているものであり

それら2つ、つまり、世界イコール意識と、それを包むもの、感覚、うーーん

見ているもの

やはり、見ているものである

これが、、、

この中心で、回転しているもの

これがあることに気づかすのである

正に、その、者こそが、苦しみの製造業を担うものに違いない

これが止まれば、いいのである

外にも抜けないし、内にも抜けない

ただ、静止しており、、、

それが、、、、、

変化するものの内にはないのである

538神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:48:38.63ID:mLxDr388
そこでは、何も見えていない

ところが、世界や心は、見えるようになる

見ていないことが、見ることが停止したことが

見ていることなのである

539神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:53:26.87ID:mLxDr388
見る対象
これを分離させることがなくなる
のは
見ているものの力が働くからである

見ているもの

に気づかなくてはならず

この見ているもの

志向しているもの

が、物質界と、精神の両方を、言わば

浮かび上がらすのである

そして、この、見ているものが、止まる

つまり、もはや、志向する先がないと

なって

止まるしかなくなるとき

見ているものが止まる



見えるようになるのである

540神も仏も名無しさん2018/07/04(水) 10:55:53.05ID:mLxDr388
ファンタジーの世界
夢の奇跡の世界

あるものがあり
ないものはなく

そこには、付随するものが、ない

541ポッタン師2018/07/04(水) 13:24:56.73ID:q5CbW7b8
534.自己を見る、か。
その自己を見る、主体とは何か。
そのまた、その主体を見ている主体とは何か。
その主体の段階的羅列が問題となる。その構造が問題となる。
それが宗教である。
536.私の、働きを見る、か。
それは心理学である。それは科学である。

542神も仏も名無しさん2018/07/05(木) 01:30:39.89ID:ahfjB1nY
>>541
その、見ているものは、意識である
その、意識を、意識しているもの??
そのものは、言葉にできない
それは、静寂である
停止である
沈黙である

認識不可能なものである

また、この、意識イコール世界を、また、更に包んでいるもの、これは、

愛である

愛のような
とにかく解放的な、癒し的なものである
影のようなものである

私を見る
私と世界が、意識の中にある
この意識が、この、愛の中にある
のである

これは二重丸のようなものである

しかし、この、ことが言いたいのではない

これは、前段階なのである

この意識世界と、それを、包むもの
双方が、双方の、
中心となって回転しているもの
これが意志である

動いているのである
働いているのである

この中に静止点がある

その、静止が、キモなのだ
この、ものが、苦しんでいるのである
また、怒ったり、怖がったり
そして、いつものことだが、空想三昧に、
耽っているのである

これらは、映写機のようなものである

大胆に、まあ、大袈裟に言えば、、、

自己の神

のようなものである

これを止める

543神も仏も名無しさん2018/07/05(木) 01:42:10.58ID:ahfjB1nY
私の働きを見ることが、絶対条件なのだ
しかも、無意識に、自然となってしまう時に、見ることが必要なのだ
これは、心理学とか、科学ではない

学問は、絶対に、追求していけないものである

なぜなら、この、働きを見る、観察器具は、物理的に創作することは、絶対に不可能だから、なのだ

aiがどれほど知的に進化しても、機械は機械であり続けるしかない
この、見る者は、発明できないのである

自己を照らしているもの、これが、智慧なのである

肉体、感覚、感情、意識、知性

このようなものを、見る

この、見る者

見ているものは、言葉にできない

それは、静止である

そこには、なにもないのだ、、、

なにもないもないのだwwwww

544神も仏も名無しさん2018/07/08(日) 00:22:05.73ID:uqIrOhkT
まあ、なんというか
なんちゃって覚者の、わたくしにも
宗教の勧誘にこられる方が、まあ、いるものなんですが
あのう
なんというか、個人的な人生の、幸運、不運などを取り上げて、まあ、カルマ、業なんたら
そうして、教祖は凄いなど、、、
そして、その、根拠に関しては、奇跡的要素を持ち込むが、別に偶然にも有り得そうな話だったり
しかし、信じてる本人たちは、善行をしている気持ち満々だから、気後れないし、、、
なんだかなぁ

545神も仏も名無しさん2018/07/08(日) 00:26:19.60ID:uqIrOhkT
なんかの組織に属することなんかは、別に、宗教でもなんでもない
まあ、ある目的をもって、人が集まることはあるかもしれないが、、、
それは、達したいものが、あるから、やってるわけで、会社や村みたいな、そういう、延々と群れて、利益追求してるようなのは、、、
なんかなあ

546神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 12:22:12.02ID:EWIY5Jwy
精神的に死んでこそあなたはかつてないほど
いきいきと生き始める。

とことん絶望したまえ。

あなたはあなたを失わなければならない。

何故ならあなただけが障害だからだ。

真のあなたに出合いなさい。

547神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 12:40:11.67ID:DtNhMJeM
目覚めたらどうなるか
自由になれる
自由とは何か
現世的なことはもちろん
願望は全て叶う
経済的社会的地位が高いほうがより目覚めているのか
それらは寧ろ覚醒から遠い場合が多い
例え駒でも幸せと感じるならいいのではないか
そうかもしれない
いや、昔はそれは絶対ないと思ったが
人間を経験してみて見方が変わった
人は目覚めない方が幸せな場合もある
だけどこうも思う
今更意見を変えるのは卑怯だと
私を信じた多くを裏切ることになる
それはだけは出来ない

548神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 12:41:30.86ID:i8NpoF7L
>>546
絶望する必要はありません
絶望は欲求によって起こっているのです
安心しておればいい
しかし、安心することが出来ない
なぜなら、体は滅びるし、心は欲求によって束縛されているから
安心するには我ではないものを、我がものであると執着している思いを、沈静させて
火が消えるように、消失させること

これの方法として、体と心が、意識されてないといけない

気づかれてなくてはならない

思考、感情、動作を、客体として含めてなくてはならない

つまり、今現在、自己と同一視されているもの

これは、普通、体と心であるが、

これを世界を見るように、あたかも、外界にあるもののように、区別なく、見なくてはならない

そうして、欲求と恐怖を、共に、消失点によって、癒さなくてはならない

暗いものではないwwwwwww

勝利者は、自己に打ち勝って、幸せである

絶望するものは、己の欲求に打たれたのである

549神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 12:46:24.46ID:i8NpoF7L
>>547
聖者にとって生活は難しいものであり
粗暴なものにとって生活は楽なものである

と釈迦がすでに言っているwwwww

550神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 12:58:33.63ID:i8NpoF7L
人生の願望がすべて叶うこと
そのようなもの
それが宗教なのではない
死によって瓦解する肉体の問題
つまり、皆が、置かれている境遇
このものが、自らの、行いによって、
天にまたは地獄に
ひとに、ほか様々な業に従ったところへ赴き
しかし、この、業なるものの尽きぬことには、永遠の死のループにあり続けねばならぬ
この絶望
つまり、絶望するのは、悟りへの目覚めであり
悟りではない

悟りは、安心するものである

ニルヴァーナは消失であり、恐怖の消滅であり、安心であるはずである

と、なんちゃって覚者は、イメージし

妄想しているw

551神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 13:06:57.62ID:i8NpoF7L
あたかも愛する女に抱かれた男が、すべてを忘れて幸せであるかのようである

552神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 13:41:22.29ID:i8NpoF7L
人間が顛倒している
というのは
苦痛をもたらす表面的な快楽が、自己を幸福にするものであると信じていることであろう
苦痛を生む肉体である
また束縛を与えるの心である

これら肉体と心

は、連携しており

様々に揺れ動いているのであるが、それを、止める力が働いてないのである

なぜなら、それが、幸運、幸せへの道であると信じているからである

これを逆転的にとらえて
ありとあらゆることが苦しみである

なぜなら、すべては、無常に帰するからである
という

そうであるならば、この、体、情緒、思念の動いているものの、原因

つまひ、業なるものを止めなくてはならない

これは具体的なものであり

蠢くものであり

悪魔の正体なのである

これらを制するには闘いが起こる

そうして無欲と貪欲の果てしない葛藤の中で、少しでも無欲が勝利するように

知性が働かなくてはならないのである

その、快楽という香りに、騙されているのである

それが、言われている

553神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 13:47:05.59ID:i8NpoF7L
人は、心、言葉、体を、静かにしておかなくてはならないと聞き、即座に理解する
しかし、心、言葉、体に蠢いている、過去の行いの残党、習性は、即座に収まるわけが無い

無意識のうちに悪がなされて、あとになって気がついて悔やむ

それで、今度は、気持ち新たに、我を静かにしようと務めるが、環境によって、簡単に、その目的を見失う

それらは、智慧の力、つまり、注意深くあることが、鍛えられていないからである

554神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 13:54:48.96ID:i8NpoF7L
どのような時でも、どのような場所にいようとも我を見失わないようにしておかなくてはならないが

これは、思想とか思念の問題ではないのであるwwwwwwww

だから学者のような精神で、教典にある字義の、正統性を争っていても

肝心要のニルヴァーナに達しない

ニルヴァーナを垣間見れば、ニルヴァーナに近づくことが可能であるが

それは、静寂なる瞑想だけでも行けないし
知的な研鑽だけでも行けないのである

両方がなくてはならないのである

頭も心も、働いてなくてはならないのである

そうして、もちろん、日常と、切り離されたものではありえないのである

私自身を無視して、安楽があるわけがないのである

意味がわかっても、実際に、そえであることは

五千億万倍も、難しいのである

555神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 13:59:53.82ID:i8NpoF7L
研究対象は、本ではなく
研究対象は、常に、己自身なのである

556神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 14:10:43.91ID:EWIY5Jwy
>>548
その通りだ。

欲を貪る者には苦しみが付き従う。

およそ俗世間にあっては苦しまない者はひとりもいないだろう。

私の見解では苦しみは真の自己からの絶え間ない呼び掛けなのだ。

偽りは去らねばならない。
去るべきは実に心であり、心こそが偽りの自己だ。

私にとっては絶望が導き手だったのだ。

557ポッタン師2018/07/10(火) 15:22:48.94ID:P+RpxCsx
心理学をやっている場合ではない。

558神も仏も名無しさん2018/07/10(火) 18:50:28.62ID:pyraXUu0
ワールドメイト

マヌケオナニスト

559神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 00:48:51.38ID:ew7813HT
>>556
絶望することで
こころの奥のふかぁーいところ
に触れることがある
そこは安心の点である
ヌクヌクとしている
これ、
この、ところは、世間と切り離された空間である

これは、胸にある

そして、この、胸の空間、空洞の内に、世界が、意識があり、

この意識は、球体のように感じる

そして、この球体を、包んでいるもの

が、ある

560神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 00:53:45.36ID:ew7813HT
この球体というものは
ひとつであるように感じることもある
つまり、胸の奥にある、空洞、それを包むもの
この、構造の中で
あなたは、これに、写しており
わたしも、これに、写しており

同じ世界、同じもの、同じ意識に、出来事が映写されているかのようである

わたしは、個別の、意識を、個別の世界を、有するのではなく

同じものに、各個人の、業から発されたものが、映りきたっているのだ

561神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 01:02:21.10ID:ew7813HT
>>557
心理学、生理学、脳科学wwwwww
人間の機能は複雑なものなので、まあ、ボク如きが、すべて理解することなどできない
しかし、人と人は、戦争するべきではなく
オープンで、理解し合う、互いに与え、分かち合うような関係性を実現するべきである

小さな空間での話ではなく

おおきな社会で、それを、実現すべきである

お互いの頭を叩き合う存在から、脱却すべきである

これは実現可能な夢である

562神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 01:19:47.41ID:ew7813HT
世界と敵対する
というのは
自己意識と敵対していることである

自己を愛するということは
世界を愛するということである

わたし、と、あなた

同じ意識
同じもの
同じ世界

で、見合っているwwwww

しかし、これは、悟りではあるまい

業なるもの
刺さった矢を抜く

抜くためには、まず、矢が刺さっているところを認識しなくてはならない

蠢く業を捕えなくてはならない

そして、この、習性の蓄積よりなるものを
霧散させてしまわねばならない

563神も仏も名無しさん2018/07/11(水) 12:46:36.93ID:PjYenSTR
それは体験によってしか知り得ない。

言葉の表明だけでは駄目なのだ。

564神も仏も名無しさん2018/07/12(木) 01:01:07.79ID:7wOXMAYw
>>563
うーーーむ

同意しますw

565神も仏も名無しさん2018/07/12(木) 08:05:19.93ID:m8V8+Gpz
>>564
人生そのものが恩寵であり、それは開かれている。

あなただけが障害なのだ。

たゆまず進みなさい。

566ポッタン師2018/07/12(木) 11:00:57.79ID:qhaUUDox
563.体験バカである。

567神も仏も名無しさん2018/07/13(金) 18:53:44.37ID:c6qdcrmq
「体験」は記憶であるよ

568神も仏も名無しさん2018/07/22(日) 12:49:26.27ID:9DPDPk5H
>>565
人生は苦痛である
しかし、この生命は
奇跡で
ミラクル
でもある

569神も仏も名無しさん2018/07/22(日) 12:53:55.91ID:9DPDPk5H
>>566
体験によって悟るのではないの?

まあ、よくわからんが

570ハジ2018/07/22(日) 12:55:59.23ID:9DPDPk5H
>>567
体験が記憶になる
ように、おもえるけども

571ハジ2018/07/22(日) 13:03:09.46ID:9DPDPk5H
自分を改造しても
たかだか知れているが
自分なるものの、完成度は
すばらしいものである

と知れば

それで努力はいらなくなる

まあ努力してもよいし

まあ、なんでも良い

規制をはめるからおかしくなる

自由であればいい
人によってそれぞれで

572神も仏も名無しさん2018/08/11(土) 13:49:06.10ID:KKJ4cQMY
鏡を
法の鏡を
照らす
智慧なるもの
行のあるのは
この智慧の光がないからだ

光は気をつけていないとない

ように思える

しかして気をつけていられるのは

起きている時だけである

眠っている時も

夢見ている時も

気づきはない

何がリアルと夢をわけるのだろう

不思議である

573神も仏も名無しさん2018/08/12(日) 12:14:07.05ID:WIO4zuqN
我思う ゆえは不可知に 我も不可知に 🙋

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