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本則

ある日塩官斉安禅師が侍者を呼んで言った、 「犀牛の扇子を持って来なさい」。
侍者は云った、「あの扇子はとっくに破れてしまいました」。

塩官は云った、 「扇子が破れているなら骨が残っているだろう。それを持って来い。」。
侍者は返事ができず無言だった。

後にこの話を聞いた翠微無学禅師の法嗣投子大同(819〜914)は侍者に代わって云った、「お望みならば出しましょう。しかし、そうすればもう姿相が変形してしまいますぞ」。

雪竇は批評して云った、 「その変形した面目を出して貰いたいものだ」。

石霜慶諸も侍者に代わって云った、 「お返ししたいが、あいにくわしの手許には一物もないよ」。


雪竇は批評して云った、「何、無いじゃと。そこにおるじゃないか」。

資福如宝は一円相を描いて、その中に一の牛の字を書いた。

雪竇は批評して云った、 「そんな立派な牛がいるならどうして早くださなかったのだ」。

保福従展は云った、 「和尚は年を取られて、どうやら認知症のご様子だ。私には侍者がつとまりかねます。他の人を侍者にして犀牛の扇子を探して貰ってください」。

雪竇は批評して云った、 「本来の面目は人々分上に豊かに具わっている。修行によって始めて生じるものではない。 苦労して功を積まなければそれを悟ることはできない」。


塩官和尚: 塩官斎安 (えんかんさいあん) ?-842年
拈 (ねん) じて: 取り上げて
全 (まつた) からざらん/全 (まつた) からざる: 完全ではない、不完全、扇子がボロボロになっている
犀牛児 (さいぎゅうじ): 犀
雪竇 (せっちょう): 碧巌録の著者