カップルは「信じている」し、社会は「知っている」とソクラテスは語った。
社会が「信じている」のでは、東洋のように自殺者を多く出すとして「自殺」というものを
なくすために「社会は知らなければならない」ということを強烈なアイデンティティに
したのがキリスト教社会だ。
キリスト教における「自殺の禁止」は「社会は知っている」ということを推進した。
一方で、東洋は「社会も信じていた」のだ。
一方で、西洋では「若さがあった」が、東洋では「何もなかった」という区別もなされた。
「若さ」「何もない」という二つの間を揺れ動く京都大学の学生に京都銀行は目をつけたのだ。
たかが学生、しかし、彼らは「プロ」の勉強家だった。
京都大学の「教室の熱気」はこのようにして東京大学を凌いだ。