碧巌録(へきがんろく)  第89則   雲巌手眼(うんがん しゅがん)

垂示

通身これ眼あれど、見倒らず。
通身これ耳なれど、聞き及ばず。
通身これ口なれど、説き着(おお)せず。
通身これ心なれど、鑑(かんが)み出(つく)せず。
通身は即ちしばらくおき、もし眼なくんば、そもさんか見ん。
耳なくんば、そもさんか聞かん。
口なくんば、そもさんか説かん。
心なくんば、そもさんか鑑(かんが)みん。
もし箇裏(ここ)において一線道を撥転し得ば、すなはち古仏と同参なり。
参はすなはちしばらくおく。しばらく言え、箇の何人にか参ぜん。



一線道を撥転し得ば:一すじの道を開くことができれば。
古仏と同参:涅槃に住せず、仏界にも居ないで、俗世間で灰頭土面して衆生を救済する者。

垂示の現代語訳

身体全部が眼であるけれど全てを見る事はできない。
身体全部が耳であるが全てを聞く事はできない。
身体全部が口であるが全てを説く事はできない。
身体全部が心であるがあらゆることを考えることはできない。
身体全部(通身)のことはこれくらいにしておく。
bアこで、もし、滑痰ェなければどb、して見ることbェできようか。
もし耳がなければどうして聞く事ができようか。
もし口がなければどうして説く事ができようか。
もし心がなければどうして考えることができようか。
もし、このような処から脱け出て一すじの道を切り開き俗世に立ち戻ることができれば、俗世間で灰頭土面して衆生を救済する古仏と同参の者と言うことができるだろう。
「古仏と同参」はさておき、そのような境涯に到るにはどのような人の参じたら良いのだろうか。
その模範を示そう。