すみません。ぼく、キリスト教に入りたいんです。 [無断転載禁止]©2ch.net
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僕はキリスト教にはいりたいんですが、キリスト教に入る前に知っといて欲しい事、あと、親になんて言えばいいのかわかりません。どなたか教えてください!! >>365-366
同じような葛藤はキリスト者ならばだれもが経験しています。
僕も同じようなものですよ。
生活がうまくいく、病気が治るという奇蹟があれば
それはそれで神に感謝しないといけないことですけどね。
霊魂の救済がいちばん大切なことなんですよ。
嘆きが神以外に向かうと「愚痴」になり、嘆きが神に向かうと「祈り」
になる、とカトリックの雨宮慧神父様の本に書いてあって
心に残っているのですよね。 えへん!
俺様は天台三昧王、禅定力No.1こと、
パキシルくんでおーだじょー!
\( ‘ᾥ’ )/
昨日は32レスだじょー!
http://hissi.org/read.php/psy/20170825/
施設入所者じゃないじょー!
せったんなんか怖くないじょー!
飛車抜き論破だじょー!
\( ‘ᾥ’ )/
さぁ、今日も勝利のコールだじょー!
みんなも一緒にやるんだじょー!
でおー!でおー! えいえいおー!
でおー!でおー! えいえいおー!
\( ‘ᾥ’ )/ >>365-366
とりあえず、これ以上キリスト教には深入りせず、
早くキリスト教から離れたほうがいいとおもいます。
私はカトリックの幼児洗礼を受けてずっと信徒やっていましたが、
信仰を棄てました。
恐ろしいのでなかなかやめられませんでしたが、
これ以上キリスト教を続けたら、
完全に精神が破壊されてしまうとおもいました。 まこと君
自分のトラウマで人を罵るのが癖のようだが
傷つくのは、おまえなんだぞ だからイエスやキリスト教とゆーのは福音ではなく強力な呪いだと言ってるだろ
信じると不幸になったり悪魔にとり殺されるぞ 〜エドワード・ギボン〜
宗教を
一般人は真理とみなし
賢者は偽りとみなし
支配者は便利とみなす 「彼が道を上って行くと,その都市から出て来た小さい少年たちがいて,
彼をやじりだし,彼に向かって,『はげ頭,上って行け! はげ頭,上って行け!』と
言い続けた。ついに彼は後ろを振り返り,彼らを見て,神の名によって
彼らの上に災いを呼び求めた。すると,森の中から二頭の雌熊が出て来て,
彼らのうち,四十二人の子供たちを引き裂いた。」(列王第二2:23,24) 私が自分のことセクシーって思っている以上にセクシーが私のことセクシーと思っているのよね♪👰 キリスト新聞社がキリスト教ライトノベルレーベル創刊のための小説賞
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https://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1503642143/l50
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https://egg.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1503668067/l50 キリスト教はコーカソイドが有色人種を侵略するためのツールであって
宗教ではありません? いわゆる世界宗教(布教して信者を増やせる宗教)ってのは
現世での幸せを願っているものじゃありません。
要するに死んでから天国に行くために、
毎日お祈りしたりしてるわけです。極端な話、天国に行ければ
現世がどうだろうとあまり関係ありません。天国に行ける
という希望があるから、日々、生活できているわけです。
(こういった意味で、人の役には立っている)
信仰心を持っている人は、世俗的なことは、政治や教育が行うことで、
神様とは無関係と言うでしょうね。
だって宗教の目的は天国に行くことで、 犯罪事件を防ぐことじゃないですから。 >>381
この世で霊魂にとって善いことは、実は、肉体にとっても善いこと
なのに、人間がなかなかそれを善いことであると思えないのではないか。
イエス様は、食べ物も着る物も思い煩うなと教えられた。事実、思い煩わない
方が、心の中は現世で幸せが広がるのだろう。しかし、思い煩ってしまう。 >>366
確かにそこは差し出すことが異常
神のテストだったら失格の失敗作なだけに
これは😈悪魔 ----
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
---- キリストの教えは、「敵を愛せ」。
今ある動物の肉体の性質と善悪の知識(倫理性)の衝突が罪であり、死の原因であるため、
キリストは罪の赦しと、新しい命を約束し、ここに律法の完成と罪からの解放が確約された。
もはや動物の肉体に基づく血縁や民族や国家、動物の縄張りのために争うことは許されていない。
キリスト者であるなら、敵のために死なねばならぬ。
だが、聖なるもののまえに罪があれば死ななければならないという前提は、何も変わっていない。
それが嫌だというものは、聖であることを忌避したのだ。
ところで、滅びる肉が病気かどうか、外国語の理解力が乏しいかどうかぐらいで
キリストの敵としての永遠を選ぶというのは、理解しがたいな。。。
自己正当化するかしないかについても、健康状態とは関係なく、その人の人格の問題だと思う。
今このときは個々人の選択性が明らかにされるためでもあるが、はたして本当の理由はなんであろうか。
「自分の思い通りにならないし、神の権威を認めたくない」であろうか? 世界に何があるかを決定できるのが神性だ。
その前提がある以上、神は全能だ。
物理法則や人体の仕組みを現実に運用しているしている存在が、
戦争している人間を多少ともでもどうこうできないなんて、考えられないな。
ところで、神が全能であるから、すべての決定権は神にあるのであり、人間にあるんじゃあない。
(そもそも「敵を愛せ」という命令に背いている人たちの願いを、なぜ聞かないといけないんだ)
アブラハムとて、「自分のために息子をよみがえらせるのは当然」だなんて思ってなかったんじゃないかな
少なくとも、すべての生命に対する権威は認めていたはずだが。
君たちは、自分のために神があるとでも勘違いしているのかい? >>385
俺は敵は絶対に赦さないからイエスとはあわないな
敵を赦すくらいなら死んだほうがましだ >>385
非信者がキリスト信者にキチガイ扱いされてる場面など
キリスト教スレでは日常茶飯事なのだが・・・
たとえば、教会案内スレで自演がバレて逆切れ
告発者を追いかけ回して「糖質」呼ばわりするとか 俺は敵への復讐として死と地獄堕ちを願う
何があっても赦すことはできない
イエスはキリストとして認めず違うものがキリストだと信じている
イエスとその神には従えないし信じない >>1
神の目的はあなたの愛だ。
それも、尊厳と意志に基づき、世界の何よりも価値があるとされた愛だ。
それは、今ある動物の肉体とともに全てをすて、キリストを主とし、神の愛を受け入れることで証明される。
そのために神は人をまず動物に作り、善悪の知識を与えた。
目的を定め、その是非と同一性に生死と善悪を問う能力は、自然と動物の性質に反する。故に人は服と法で動物の肉と性質を否定するが、
結果として動物の肉には勝てず、死のみが確定する。
モーセの律法により、これが明らかとされた。
旧約時代は、この罪を教え、キリストの救いを得させるためにこそ存在した。
そして、キリストは計画通りに、敵に殺されてもすべての罪を赦すこと、
ご自身の言葉が神に是とされていることの証として、罪びとに殺され、
そして神により復活された。
そのキリストは、神の権威の相続者として、まもなく来られる。
世界の目的は、神があまたの可能性の中から選んだ目的は、「キリスト」だからだ。
また、聖なるものの前に、キリストなくして人は是とされない。
人間の存在目的もまた、キリストだ。
人は、キリストにより、神と目的を共有し、すべてを超越する愛を得ることをこそ望まれている。
だがそれには、人が世界と自らの目的を自らで求めて
神の目的に反して神の敵となれるほど、自由な意思を有することが前提となる。
死を前にして人の選択は明らかにされ、キリストの敵もまた裁きのときにキリストの栄光となる。
だが実に、神はあなたの愛を得るためにこそ、この世界を作ったのだ。 神がいることと、神がキリストということは
違うのでキリストのスレで頼む >>389
人に何かを裁く権利などない。
すべて命は神のものだからだ。
たとえ神がすべての生き物を互いに殺害する動物としたからとて、なにを言えようか。
また、人の罪を赦さないものは、罪を赦されない。
そもそもいったいあなたは、自分が罪のない聖人だとでもいうのか。
聖なるものの前には、不当な殺意のみで殺人であり、情欲だけで姦淫である。
あなたは自らが罪びとであり、聖なるものの敵であり、赦しなくしては生きる権利もないというのに、
人を赦すことを拒むのか。
神は悔い改めるものに新たに命を許し与えることはしても、罪や悪をそのままに許容することはない。
必ず滅ぼされる。 >>391
「キリスト教に入る前に知っておくべきこと」と「親になんと断ればよいか」がテーマでは?
>>1
「動物の肉体を捨てるということは、その関係もすべて捨てるということだ。
死までは、今の関係は、いずれ捨て去る仮の幕屋となる。
自らの存在を成立させるものを敬うことは当然だが、
人間の権威は神とキリストの王権にまさるものではない。」
なんてことを親御さんに言ったら心配されるだろうから、
相手の理解に応じて、順を追って説明するといいと思います。
まずはまともなキリスト者の集まりを探して、
少なくとも危険や害のないことから、ご一緒に確認してみてもいいかもしれません。 >>1
そうそう、何点か注意事項を。
動物の肉体がいよいよキリストに滅ぼされますが、
キリストと生みの親のマリアとの親子の関係はキリストの死によって終わりました。
もちろん、マリアには神の権威としての人の罪を赦し、命を約束する権威はもとからありませんし、
救いそのものへの関係もありません。
「聖遺物」なんてものもありません。
洗礼に用いられる水や、パンと盃にしても、
儀式としての位置づけがあるだけで、それら自体はただの物です。
事象の順序だけで因果関係を判断するような仕方は、占いや魔術信仰に見られるように
動物の判断の領域です。
お気を付けください。 「キリスト」という目的なくしては存在が成立しない人間存在が、キリストの存在を証明する。
キリストなくしては生きられない罪びとが、キリストの栄光となる。 人間は群れで生活する生き物ですから、自分が「よい」と思ったことは
他の個体と共有したくなりますし、複雑な思考をめぐらすことができるので、
自分が「よい」と思ったことを貫きたいと考えることもあります。
そして、「自分たちが正しく、世の中が間違っているので、
我々がそれを直さなければならない」と、正義の使命感に突き動かされます。
人間は思想(イデオロギー)に感染しやすい生き物なのです。
「自分が正しい」と信じて進めていることでも、それで他人は迷惑したり
ときには犠牲になることもあるのです。それを「間違った宗教を信仰しているから」として
しまっては、オウム真理教の「ポア」の理論と本質的には変わりありません。
それを「信じるか」「信じないか」は、それに接するひとりひとりの人が決めるべきことだ
と思います。それを「正しいから」と、他宗を否定したりするからトラブルになるのです。
やっている本人からすれば「善行」なのでしょうが、はたから見れば過激派の仕業と同じです。 イエスなんて、極々普通の人間でした。
キリスト教は、ペテロとパウロが仕組んだ偶像化の賜物で、金儲けの道具です。
文明の発達していない時代に、こういうとんでもないまやかしをつくり上げた。
人は言葉で操られました。
イエスや神の名の下に、人は都合よく殺されてきたんです。
これまでの地球上で、キリスト教によって、殺されていった人たちは、天文学的な数になります。
中世の魔女狩り然り、宗教弾圧然り、十字軍然り、第一次世界大戦、第二次世界大戦。
キリスト教は、卑下し、憎悪する対象であっても、崇め敬おうなんていう対象ではありませんし、
所詮人間の造った金儲けの道具でしかありません。
宗教は、ただのアヘンに過ぎません。キリスト教の神官たちも
宗教を言葉で操っているのです。聖職者はみな、詐欺師です。
世界中の洗脳寄進で喰っている、ヤミ金の大ボスと変わりません。
その頂点にいる極悪人と言っていいでしょう。 >>385
>「自分の思い通りにならないし、神の権威を認めたくない」
クリスチャンはこの国ではマイノリティだ。
他の日本人がゆっくり過ごす日曜日に自分たちは世の流れに反して
礼拝を守り続ける。こういう状態に置かれたクリスチャンは他の日本人
を神から離れた悪人と裁き、貴重な時間を神にささげる自分たちが
そうしない日本人より恵まれないとおかしい、何か報いがあって当然と思う
ようになる。
そもそも神の姿を見たり声を聞いたりしたという人間のほうが珍しく、
天国も地獄も死んでみないことには分からないのに、死後の天国のほかは
神を信じる者と神を信じない者に対して現世で特に明確に違う恩恵を与え
ない神は薄情である。
だったら教会に行くだけ時間とエネルギーの無駄、クリスチャンになったことに
よってできたクリスチャンでない日本人との間の心の壁を取り払って仲良くす
べきだという結論になる。
私は全能の神だと言いながら、自分を信じ礼拝を守る女(>>365の母)に
病気(たぶん早期性痴呆)を持った息子を与え、50近くなっても病気を癒して
あげない神は嘘つきで悪魔だと思われても仕方がない。 神の名の下に、人は都合よく殺されてきたんです。
多くの人たちがも神の名によって、殺戮されてきた。
そのことについて、神は、一言も言及していない。
人間は神を作ろうとした。
「生きていてむなしい」「死ぬ理由が欲しい」「死が無であるのがこわい」からです。
[イスラム]は、お腹に爆弾を巻いて、「アラーを信じて」「死後の幸せを求めて」
自爆していきます。
死して行く者にとって、「神の存在」がその苦痛を和らげる「言い聞かし」に過ぎません。
神なんていうのもこの世には存在しない。
人間がつくり出した「妄想の偶像」でしかない。 >>400
戦前のこの国の「戦好き」、戦国時代はどうですか。
毛沢東やポルポトの虐殺。現在の北朝鮮。キリスト教が入ってないと、そのあと
反省もしませんよ?ただ、動物のように、そんなことがあったという事実として
流すかのようです。織田信長の「簑踊り」もそんな眼差しで眺めてきましたね。
キリスト教の入ってないこの国はモノサシがないから
反省できないのです。え?反省できますよ。それは日本国憲法から、世界に
通用する精神、はっきりいうと、キリスト教精神を戦後器用に輸入して
「あたかもそんな素晴らしい心が日本人にはもともとあった」かのように
思い込んで、反省できるのです。 ぼさーっと「かつての日本」を眺めるだけの歴史観が変わったのは戦後ですよ。
イエス様に目が「少しは」見えるようにしてもらったのです。 その祭りは、今までは「単なる祭り」にしか思えませんでした。
ところが、今では「奇祭」に見えるようになりましたね。
大きな男性器や女性器の模型を造って、練り歩くこと。これがかつては
普通だったのです。男尊女卑も、おーいお茶の家父長権が強いのも
それが当たり前であり、それが、人間として異常である、不自然である、
多くの不幸を生み出している、ことが戦前の日本人にはわかりませんでした。 今なら、見える。竹槍えいえい!の根性論、精神論がおかしいことが。
戦後、イエス様によって、どれだけ日本人の精神年齢が向上したことか。
未だに「なにかおかしい」というときには、知らず知らずのうちに
キリスト教のモノサシで測って「おかしい」と判定を出しているのが日本人
ですよ。この国には残念ながら世界に通用するモノサシはありません。
三島由紀夫が武士道のモノサシを提唱しましたが、戦後の、もう、そのころには
こんなの使えないと、日本人は投げ捨てました。 豊臣秀吉、徳川家康の頃の話。
キリスト教布教はイスパニアなどキリスト教国による
日本侵略の一手段であり、キリスト教が広まることは
日本という国家の滅亡につながる、と日本国の統治者である
豊臣秀吉、徳川家康が判断し、キリスト教の禁教を決定しました。
「キリスト教はいい宗教、キリシタンは優しいひとたち」という
思い込みは捨ててください。「当時」、「キリスト教は
ガンであり、キリシタンはガン細胞である」と決定したのは、
当時の歴史状況からみて、当然の決断です。 殺人魔であれ、大強盗であれ、強姦魔であれ、
悔い改めれば、罪を赦されて天国に行くことが
できます。その信仰によって、罪を赦され、
天国に行けるのです。 イエスの磔刑死と
復活によって懺悔すればすべての罪が贖罪されます。
罪の上に新しい永遠の生命が、上書きされ、新しい人に
生まれ変わり、洗礼を受ける前の罪は、どんな罪でも
許されます。極端な例で、失礼ですが、何人殺そうと
神の前では赦されます。 更にその後の、犯した罪も、
悔い改めれば、救われます=赦されます。そして、
信じるものは義人とされ「永遠の命」を与えらます。 戦乱と戦国とは意味が異なります。
日本の「戦国時代」を、戦争ばっかりしていた時代と思うのは誤りです。
戦国大名がまずやることは何か、戦争ではなく、国力の充実です。
戦国時代ほど「自分の領地の人口が増えてもらわなければ困る」時代はなかったのです。
そのために戦国大名は必死の努力をしました。人生のエネルギーのうち、戦争に使ったのは
1割、9割は産業育成だったんじゃないかと思います。
武田信玄が後世「エライ」と言われるのは、何々の戦いで勝ったからではなく
「信玄堤」を作ったからです。戦国時代というのは
「みんなが競争で国力を充実させていた時代」だったと言って過言ではありません。 日本の戦国時代ですが、地方の領主同士が戦う、いわば、相手に自分を認めさせ
権力を得る為の戦いでした。殺し合うと言うよりも、政治戦略的な闘争の意味が強いのです。
信長は足利義昭を擁し、その威光でより権力に近づく事を意図していました。
いわばこの国の戦いは大将の頭を取るか、ひざまずかせれば勝利なのです。
肉親を保証の代わりに相手に送ったのも、戦略の手段の一つでした。
又、キリスト教の布教に来たフランシスコザビエルは、この国の人々の事を
手紙に書いています。文字を読み書き出来、悪を憎み、盗みはまれである。
沢山の国を見てきたが、真理を示せば諸手を挙げて賛成する
この国の民には、今まで出会った事が無いと。この国ではヨーロッパ程に、
徹底して人を殺す理由はなかったと言う事になります。 国力を充実させるためには「殺し」もいい、とはなりませんね。
これも、戦後の日本人なら、イエス様のモノサシがあって、正しい判定を
出すことができるようになりました。
武田信玄も織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、今後は、ますます、評価は
下がっていくでしょう。
有史以来、日本国民(民草)のためにもっとも貢献したお上は
なんと、敵国の将、キリスト教を信仰しているマッカーサーなんですよ。
敵だった大将の方が、味方の日本人の歴代のどのお上より、
日本国民(民草)の幸せに貢献したという事実。
これを、飴玉をゆっくりなめるように味わわないといけないでしょうね。 日本の戦国時代とは世界史上に残る人の死なない時代でした。
定員 実数 減耗率
小西行長 18700 6626 64%
加藤清正 10000 4508 55%
鍋島直茂 12000 7466 36%
文禄の役の撤退直前時のデータです。戦死者、逃亡者、病死者などで
兵力は半分以下になってます。これを見て違和感を感じる人がいるのではないでしょうか?
「 文禄の役とは日本が大きく勝っていた戦の筈、なのに
なぜ日本軍の損耗がここまで激しいのだろうか」と・・・・
人間というものはそんなもので、実は異郷の地ではボロボロ死ぬものなのですよ。
水の違い、食べ物の違い、環境、温度の違い、耐性のない土地の病原菌などにより・・・
軍隊がこういう死に方をするのを「戦病死」と呼ぶのですが、
なんせ、技術の向上した日露戦争の時ですら戦病死で数万人死にました。
この時は白米飯による脚気も原因でしたが。朝鮮の役の時も
いろいろな細かい栄養欠乏あったと推測されます。
また、当時の武将の記録では「この地は思ったより大変に寒く・・・」とあります。
そう、朝鮮半島は南部の今の韓国の場所ですら北海道並に寒く、北朝鮮部分に至っては
樺太なみに寒いです。
朝鮮南部でも冬になると平気で−20℃とかになり、港に居た諸将が
雇った水夫を凍死させました。
九州のすぐ北にある朝鮮半島がこんなに寒いとは諸将は思ってなかったようです。
それで防寒のために「唐辛子」を使ったなんて逸話もありますが、気休め程度だったでしょう。 凍死や栄養不足のような戦病死で死んだ将兵は大変、多かったのです。
まあ、日本軍は戦に強く、決して、朝鮮や中国の兵に対して戦闘では負けませんでしたが、
比較的、温暖で過ごし易い日本に居た将兵は
環境が厳しい朝鮮への遠征能力に欠けていたのです。
なんていうか当時の日本軍は確かに強さ自体は世界最強でしたが、
あくまで「戦術軍」であって「戦略軍」ではなかったというか。
数週間、長くてせいぜい数ヶ月の国内での遠征かあるいは
攻城戦のような特殊な戦闘しかできない軍隊で
「外国への何年もの遠征」なんてできない軍隊だったのです。
もっとも「当時はそんなものだった」とも言えないこともありませんが。
ナポレオンのロシア遠征なんてフランスを出た時に69万だった軍隊が
ロシアに入る頃には15万人になってます。
まあ、これは猛スピード進軍が原因で特殊なケースではありますが、
どこの国でも国外への長期遠征軍は膨大な戦病死のような環境の違いによる
死者を出してます。
そういう戦病死を克服できるようになるには
保温や暖房技術、防疫や水質管理、栄養学の発展と瓶詰め、缶詰など
食料保存技術の向上が必要です。 さて、ここで話しは変わりますが、
ドイツは三十年戦争で人口が1/2〜1/10になったと言われてます。
そして、中国の古代の国家、前漢の繁栄期には
六千万人の人口を持ちながら新王朝興亡の戦乱で二千万人に減少。
それでも後漢崩壊の前は5900万人まで人口を回復しながら、
三国志で魏呉蜀が並び立つ頃には「魏一千万人、呉二百万人、蜀百万人」にまで減じてます。
ただし、こういうのは混乱による戸籍の流出という要素もあるようですが
中国では「一将功なりて万骨が枯る」と言いますが、まさにその通りで
勝ち戦だろうが兵士の生還率は50%以下が当たり前でした。負け戦だとゼロに近いです。
実際、文禄の役で明国は17万の兵を徴発して朝鮮に遠征させましたが、
帰還率はほぼゼロだったという記録があります。
さらにかなり近代のナポレオン戦争でもナポレオンが国内に数十万人の大動員をかける度に
勝ち戦だろうと、負け戦だろうと、作戦終了時にはその兵力人員は2/3程度になっている
が通例でした。
前述のロシア遠征に至っては69万の将兵でフランスまで撤退できたのは
5000人とされてます。
この差数の全員が死亡したわけではなく逃亡して現地に住み着いたり、
こっそりとフランスに逃げ帰った者も居るでしょうが相当な死者を出したのも確かです。 私の投稿で、
今まで何十年もそうだと思い込んできた歴史観が音を立てて壊れますでしょう?
意識では拒絶したくても、己の心が瞬時に、それが正しいことを見抜いてしまうのです。
この国の元年は1946年なんですよ。
1946年を境に、「戦前の日本」と「戦後の日本」に分かたれますね。
「戦後の日本」にはキリスト教精神が入っています。
日本国憲法を御旗に、G7と並んで、私たちは世界に通用する精神をもった国です!
と自信を「少し」もてているのです。 日本国内における合戦というものと、外国の国内外の戦争というものは
途轍もなく大きな違いがあるものと痛感させられます。
冒頭に見せたデータは日本の戦国史を見なれている者にとっては異常ですが、
むしろこちらのほうが国際的な戦争データとしては正常なわけです。
日本での合戦での死者は原則として「戦で討ち死にする」のに対して
海外での戦いは「病死、栄養失調、異郷の環境に適応できない、事故死」といった
「戦病死」による死因が非常に多いのです。
こういう「戦病死」による死者は非常に多く、軍の将兵の半分以上が
結局はこういう原因で体を弱らせ死んでいったようです。
そういう事を考えると日本の戦国時代の合戦が
実はいかに恵まれたものだったかわかります。
上杉家の家臣が大阪の陣の時に「謙信公に率いられた時のことを思えば
こんな戦などまるで花見のようだ」と啖呵を切った有名な逸話がありますが、
残念ながら、外国の敵兵と戦う以前にサバイバルしなければいけなかった
外国の軍隊に比べれば日本国内の戦は兵糧攻めにされた
城兵や一向一揆や島原の乱などごく一部を除いては「花見」のようなものでした。 期間・・・原則として非常に短い、長くて数ヶ月程度。
食料・・・基本的に自弁であるが、平時より食生活は工夫され恵まれている。
環境や水・・・多少の違いはあっても日本国内 の違いでしかない。
といった感じです。
やはり「戦略軍」と「戦術軍」の違いは相当に大きいですね。
欧州や中国の国内戦争なんてものは元来は途方もなく人が死ぬ暗黒期なのに対して、
日本の戦国時代は逆に人口が著しく増加し農業や経済産業なども大きく発達した期間でした。 戦国時代に入ると自領を強くし豊かにするために様々な行動を実行していきます。
関所や座の廃止(六角氏や織田氏の楽市楽座)
海外貿易(大内氏、大友氏、島津氏他)
金山・銀山の開発(武田氏、上杉氏他)
1543年に種子島にポルトガル人が初めて漂流し
これが後の南蛮貿易が始まるきっかけになります。
これにより福岡や堺の商人が台頭してきます。
貿易などの利益により一時堺は商人の自治都市となっていました。
後は異民族間の争いがほとんどなかったので、一民族殲滅などが多く なく
合戦でも戦死者の割合は多くなかった点(川中島の戦いなど)。
また黒死病(ペスト)などの超強力な伝染病の存在がなかった点もあると思います。
ペストにより14世紀のヨーロッパは全体で3割も人口が減ったそうです。
日本は四方を海に囲まれていたため、人の往来が中国やヨーロッパよりも
圧倒的に少なく外部の病原菌などがほとんど入ってこなかっただろうことが
想像されます。 戦乱の中国やヨーロッパは、他国との侵略から戦う容赦の無い戦いです。
たとえばキリスト教徒とイスラム教との戦いは、レコンキスタと言う再征服運動の流を作り、
国家を超えた規模となっています。
この戦いでは、 国王から聖職者・農民まで全ての国民が武器を持って立ち上がったとあります。
スペインとポルトガルがイスラムと戦う為、一つの国家となった経緯もあるほどです。
彼らの戦いは憎しみに根差した戦いと言ってもよいでしょうね。 繰り返しになりますが、
日本が、私たちは世界に通用する精神をもった国です!と主張するときに
掲げる御旗は「日本国憲法」なのです。
悔しいと思いますが、世界は日本のキリスト教精神を観て、平和を愛する国民なんだな
まともな判断を下せる国なのだな、と認めてくれるのです。
イエス様に助けてもらっている国ではないでしょうかね。
しらばくれるのは、もうそろ止めないといけません。あまりにもシリアスなことだから
日本人は、クリスマスを「性夜」として、茶化してきましたけれども。 一年、一年、年を改める毎に、腕相撲でじわじわと押し返されるかのように、
やはりイエス様の教えが正しいと認めざるを得ないようになってきてますでしょう。
72年間、真綿で締められるかのように、正しい神に帰依しないといけない時期が
迫ってきていますね。国も個人も。
「すみません。ぼく、キリスト教に入りたいんです。」という方が、
次から次に出てきておかしくない時期が到来したのです。
この地球で最も売れた本は聖書です。そして、日本以外の世界を動かしている
G7の欧米諸国が全てキリスト教国であり、そんな世界を動かしてきたし、世界を
動かしている精神を学ぶためにも、照れ隠しにそれを建前にして
いいではないですか、聖書を義務教育に取り入れるべきではないでしょうかね。
国を挙げてもくもくと聖書を読む日本人。なにそれ怖いの切支丹国家化です。
先に言っておきますが、メキシコもフィリピンも韓国も、かつての白人の殺戮も
キリスト教をマイナスすると、もっと酷い、未だに反省していないしもっと酷かった
と考えなければいけません。シナや北朝鮮やインドがまともな反省ができると
は思えませんね。 >>419 訂正
×シナや北朝鮮やインドがまともな反省ができるとは思えませんね。
○シナや北朝鮮やインドや「戦前のかつての日本」が、なにをしでかしたにせよ
キリスト教なしには、世界に通用するまともな反省ができるとは思えません。 そんなことを言ってたら足元を見られてナメられてしまう
白人国家は過去500年間に亙って
世界中に奴隷植民地を作り
そこから自国の国家予算の
20%〜30%に相当する搾取を
行ってきた。
この奴隷植民地政策から
逃れるために
日本が行った自衛手段が
満州などの共栄植民地政策と
大東亜戦争であるし
その奴隷植民地政策を終わらせたのも
大東亜戦争です 舐められてもいいではないですか。
プライドを捨ててもいいではないですか。大戦で、物心ともに、こてんぱんに
原点のゼロまで叩きのめされたのですよ。モノも精神もです。
モノは修復しました。次は精神でしょうね。
ところが、あわてて古ダンスをまさぐっても、出てくるものは
干からびた煮干しの「修身」や、理由無く眉毛りりしい「武士道」のような
苦笑とともに取り出すものしかありません。 第一次世界大戦では、戦闘員および民間人の犠牲者の総計として
約3700万人が記録されています。連合国(協商国)および中央同盟国(同盟国)を合わせた
犠牲者数は、戦死者1600万人、戦傷者2,000万人以上を記録しており、
これは人類の歴史上、最も犠牲者数が多い戦争の1つと位置付けられています。
そして、この犠牲者のほとんどがキリスト教信者でした。敬虔なクリスチャンでした。
上記の数値には約1,000万人の軍属と約700万人の民間人犠牲者が含まれています。
第一次世界大戦の戦死者の約3分の2は戦闘中に亡くなっており、
19世紀に行われた戦争における大部分の戦死者の死因が病死(戦病死)であったことから
その死因が大きく異なっています。スペイン風邪とキリストの戦いでしたが、
医療技術の発達があったものの、これらの犠牲者の全体の3分の1は、死んでいきました。
第二次世界大戦になるともっと悲惨で、むしろ神は人を殺戮したんです。
連合国のキリスト教信者たちは、異教徒を笑いながら殺していきました。
沖縄戦では、神のほくそ笑みの尻目に、ひめゆり隊が海に身を投じていった。
神が起したジェノサイド・・・これは、強いもの勝ちの思想です。 これまでの地球上で、キリスト教によって、殺されていった人たちは、天文学的な数になります。
中世の魔女狩り然り、宗教弾圧然り、十字軍然りです。
キリスト教は、卑下し、憎悪する対象であっても、崇め敬おうなんていう対照ではありませんし、
所詮人間の造った金儲けの「妄想の偶像」でしかありません。
宗教は、ただのアヘンに過ぎません。この宗教を言葉で操っているのが
キリスト教の神官たちです。キリスト教の聖職者たちも、詐欺師の一人です。
世界中の洗脳寄進で喰っている、ヤミ金の大ボスと変わりません。
その頂点にいる極悪人と言っていいでしょう。 大戦中、米軍が用いた資料が、「核の倫理」という項目で、
旧約・新約聖書の記述を多数引用していた。
キリスト教の聖戦論を引き合いに「旧約聖書には、戦争に従事した信者の例が多い」と
指摘したり、聖書の記述として「イエス・キリストは強い戦士」と位置づけたりしていた。
ーーー
(朝日新聞 2011-8-4)
資料はその上で、広島への原爆投下にも言及。被爆地の写真や被爆者の顔写真を掲げ
「太陽の900倍の熱線」「8万人が即死」などと威力の説明を加えた。
米空軍が、有事の核ミサイル発射を担う将校向けの訓練の一環として、
キリスト教の「聖戦」論を20年以上にわたり講義してきたことがわかった。
「憲法の政 教分離原則に違反する」との指摘を受け、今年7月末に突然、取りやめていた。
問題の講義をしていたのは、カリフォルニア州にあるバンデンバーグ空軍基地。
ミサイル発射を担当する空軍の将校は全員、この基地で核について訓練を受ける。
憂慮した複数の軍人から通報されたNPO「軍における信仰の自由財団」が情報公開制度で
資料を入手、問題が明るみに出た。 原爆投下。
デスコト国連総会議長のエノラゲイについて歴史的な発言。
エノラゲイには、公表されている12名の軍人乗組員以外に、
13人目の乗員がいたということだ。
その知られていなかった13名のうち1人は、アメリカカトリック教会の神父であったことが
知られた。アメリカカトリック教会の神父がエノラゲイに乗機していたのは、
機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにという配慮だった。 広島・長崎原爆投下の十三年後。
ベトナム戦争の時、アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。
カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。
また、プロテスタントの牧師キュンネト(Künneth)も、
原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。 第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も
日本への原爆投下のために尽力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名した
B29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離陸する直前、
牧 師 が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、
あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。
これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。
(全テキスト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957
からの引用)」と祈りました。キリスト教の神の助けにより
7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われました。
勿論、神様に感謝しました。 1959年、ローマでイエズス会士のグンドラハ
(G. Gundlach: Die Lehre Pius Xll zum atomaren Krieg, 1959) が
法王ピウス12世の原爆戦争についての意見をまとめ、出版された書籍には
「原爆戦争そのものは不道徳的ではありません。。。。どうせこの世は永遠には続きません。。。
我々人間は世の終わりには責任はない。。。神の摂理でそういう結果に導かれてしまいました。」
とあります。 聖書にも、イエスのセリフとして、
弟子たちの勧誘に耳を傾けない街はソドムとゴモラよりひどい目に合わすと
ありますからね。
マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、
その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
なので、キリスト教の聖職たちはソドムとゴモラたるヒロシマ、 ナガサキへの原爆投下に
キリスト教の神の祝福と赦しを与えたのでしょう。 >>431
「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きな御摂理である。神の恵みである。
浦上は神に感謝をささげねばならぬ」
『原子爆弾死者合同葬弔辞』 1945年11月23日
浦上カトリック信徒代表
「原爆は神の摂理によって、この地点にもち来らされた」
「世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ、
燃やされるべき子羊として選ばれた」
「戦乱の闇まさに終わり、平和の光りさし出づる八月九日、
この天主堂の大前に焔を上げたる、ああ、大いなる燔(はん)祭よ!
悲しみの極みのうちにも、私らはそれを、あな美し、あな潔し、あな尊しと仰ぎ見た」
「浦上が選ばれて燔祭に供えられたる事を感謝致します」 俺の母は今の時代と旧約聖書の時代は違うから、
神を信じない異教徒を殺しなさいとか神を呪う言葉を
吐いた者は子供でも死刑になるという教えはもう守る
必要はないと言っている。
ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされキリスト教徒も
死んだことを神による罰とは考えていない。
この世だけでなくあの世の生もあるので
神は沈黙することもあるというのだ。
そして過去のキリスト教国が行った侵略戦争はキリスト
教のイメージを悪くすることを狙ったサタンによる宣教
妨害だと考えている。でも周囲から変な目で見られなが
ら信仰を続けるのも辛くないかな。 ペテロ
「イエス様、なぜマグダラのマリアとそんなに仲良くするのですか。
何故あの女と同じように私たちを愛してくださらないのですか!?
女は救われない存在です!今すぐ追い出てください!!」
イエスとおホモだちになりたかった反フェミニスト。 キリスト教は福音ではなく呪い、呪物である
キリスト教を信じると悪魔にとりつかれ必ず不幸になる
これはマジでだ コテハンの出没時間を解析してキリスト教の自演を確認することにより
簡単にやめることが可能だぞ
ほんとに醜い自演だから クリスチャンは自演とかやってるんですか。
サンプルをここに貼ってもらえませんか。 生きる気を保たせるには嘘も方便です。今の時代、敬虔なキリスト教徒になる人は、
余り者、流れ者、です。キリスト教の教会は、その者たちを納得させるには
「神に選ばれた者」「他より優れた者」「神に導かれ、神が保証してくれる」と
宣伝するしかありません。そして不利益なことがあれば
「あなた方の行いが悪い天罰である」として納得させるしかないのです。 「イエスはキリストであり唯一絶対の神。それを信じない奴らは殺せ」 「神は存在しないのなら発明しなければなりません」
ボゥーボ ワール 原爆も震災も「神の試練」なのです。
そして死亡した人たちは皆、天国に行ったのです。
天国という楽園で永遠の命なのですから
忌ではなく祝なのです。 イエスと言う方は一言もご自身を指して神などとは宣言していません
あらゆる場面で父とご自身を分け磔刑の場ですらそうしています
イエスさんご自身を指して門と比喩されるのは、真理の体現者であるからであり
つまりイエスさんはご自身の明らかにされた真理を道として学び
歩かねば滅びは免れないと言っているのです
真理とは「十戒」と「初めと終わり」に裏打ちされる平和と自由の学びです
理無くば信仰の道も明らかには成らず
理の無い信仰は手綱の無い荒馬に乗っている様なものです
故に、イエスさんと言う方の示し体現された門と言う事が出来るのです
故に、イエスさんはご自身を指して十戒の完成の為に来たと言えるのです >>443
>死亡した人たちは皆、天国に行ったのです。
一人一人が個別で裁かれるから一概に天国に行ったかどうかはわからないよね。
だから忌の人もいれば祝の人もいたであろう、というのがより正確なんじゃね。 原爆や震災が神の試練ならば、震災は知りませんが
原爆は使用した者にも一様に試練であるでしょう
真理と言うのは、信じようが信じまいが両者にその問いを置きます
その重しは今、東アジアの番人の責任として重い負債となっている事からして明らかでしょう
それと震災に試練としての責があるならば、曲がりなりにも技術の先端を担う日本だからこそでしょう
功利主義と繁栄思考に染まり過ぎた人の招いた過ちであるからです
この事はロシアでもアメリカでも同じ事、ブレーキと舵取りを誤るなと言う事です >>438
>そして不利益なことがあれば
>「あなた方の行いが悪い天罰である」
>として納得させるしかないのです。
実はそうとは限らないんだ。不利益を悪い行い
に対する天罰ととらえるのは旧約聖書的で、
新約聖書ではむしろそこを神の試練ととらえさせ
忍耐と神への感謝を要求させることも多い。
ヨブ記もそうか? 多神教の概念があったらキリスト教は無理。
人の心が良識や信仰心でもって神様仏様が求めるのはあるあるだけど、
原理主義の概念で語られる神とやらは歪で気持ちが悪い。 熱心なキリスト教信仰者は宗教指導者による書物の加筆、修正や
解釈の付加、伝承の偽造がほかの宗教ではありえても、自分の
宗教でもそれが行われているのではないかという疑問を全くもっていない。
日本神話は嘘八百で無価値と見なしても
アダムが930歳生きた話やノアの洪水は真実なんだよ。
彼らはアブラハムやモーセの時代から今の形の旧約聖書が
完成していたと信じているからびっくりだよ。
歴史学者はバビロン捕囚から帰還後の宗教指導者による
加筆、修正、解釈の付加、伝承の偽造を認めながらも神を信仰する
ことができるが、彼らは絶対に認めない。それぐらい頑固だ。
昔の聖職者は信者や大衆をコントロールするために嘘を吐いたかも
しれないけど今は宗教の何たるかを考えたことがない、嘘を真に受
ける熱血お馬鹿さんが聖職者を務めてることも珍しくないと思う。
でも現実生活のどこかで矛盾が起きてるはずなんだよな。 キリスト教に限らんけど宗教なんて最初の頃から歪みに歪んで全く別物なんだろうな その他の邪教群の歪み方が大きいからといってキリスト教まで巻き込まないで欲しい
と思いました。
海で溺れる邪教群があたかもキリスト教に抱きついて海の中に引き摺りこもうと
している?そんな心象風景が思い浮かびましたよ。 キリスト教は福音ではなく完全に強力な洗脳力をもつ呪いだよ、呪物だ
信じると強力で邪悪な悪魔にとりつかれ干渉されることになる
もとから悪魔にとりつかれてたならそれがより酷くなる 。。。。
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
。。。。 ルカ伝口語訳
10:17七十二人が喜んで帰ってきて言った、
「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。
10:18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。
マタイ伝口語訳
12:28しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、
神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
霊によって霊を追い出す、あるいは服従させるという世界観は
イエスと弟子たちに共有されていたものと思われる。 マルコ福音書16/16 新共同訳
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、
その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。
裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
ガラテア2:16
人は律法の業によって義とされず イエス・キリストの信 によってのみ[義とされる]
ことを知って わたしたちもまたイエス・キリストを信じたのである
ヨハネの福音書3:36
御子を信じる者は永遠のを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、
神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ福音書8/24
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。
『わたしはある』ということを信じないならば、
あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
ヘブル人への手紙9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
人間は必ず死後に復活させられ、御子イエスによって審判を受けます。しかし
イエスをキリスト(救世主)と信じ、その教えに従う者は裁きを受けず、天国へと召されます。 排他的な一神教は異端狩りをするからえげつない。
難解な言い回しをさも偉そうに演出して浪々と語るけど、内容は煙のように掴みどころがない。。
その中でも頭おかしいオッサンの戯言をさもありがたい御言葉と祀り上げたのがキリスト教。
パンを食べるときはキリストの血肉だから感謝をささげよっていうのもオカシイ。
パンの材料の生産過程もパンの形にする製造過程も無視して何言ってんだかwww
「いただきます」のありがたみは、食材が口に入るまでの途中経過。
人の営みでは生産者、流通者、調理者。
自然界なら食べられるために殺生される動植物。それらが生きていたときに支えになった土中の微生物の生存活動に関わる地球の循環現象。
それらすべて関わるものなんだけどね。
そういう事象の視点での味わう感動はキリスト教には欠落しているからなぁ。 827神も仏も名無しさん2017/08/20(日) 09:46:11.41ID:aLkzo942
今日も10:50からこの教会の牧師のメッセージをライブ中継で見て
https://www.newlifechristchurch.net/
このラジオプログラムを聴いて
http://www.moriyuri.com/radio/index.html
今年は秋からコンサートも
http://www.moriyuri.com/
♪9月18日(月・祝)[香川]サンポート高松
♪9月23日(土)[釧路]釧路市民文化会館
♪9月30日(土)[静岡]静岡市清水文化会館マリナート
♪10月7日(土)[愛知]名古屋市東文化小劇場
♪10月13日(金)[東京]なかのZERO
♪10月21日(土)[関西]芦屋市民センター
これで教会に行かなくても大丈夫かな >>459
日本人の切支丹はそのような感動は当然のこととして、
それらに加えて
神への感謝と全ての人々の平和を祈って食事を終えますけどね。 あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、
ヘテびと、ギルガびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、
およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、
あなたの前から追い払われる時、すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、
これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。
彼らと何の契約もしてはならない。彼らに何のあわれみも示してはならない。
(申命記7章1〜2)
モーセと祭司エルアザルは主がモーセに命じられたとおりにした。分捕ったもの、
すなわち兵士が略奪したものの残りは、羊六十七万五千匹、牛七万二千頭、
ろば六万一千頭、人は、男と寝ず、男を知らない女が全部で三万二千人であった。
戦いに出た者の分け前は、その半数であって、羊の数は三十三万七千五百匹、
その羊のうち、主にささげる分は六百七十五匹、・・・人は一万六千人、そのうち
主にささげる分は三十二人であった。・・・部隊の指揮官である千人隊長、
百人隊長がモーセの前に進み出て、言った。「・・・わたしたちは、めいめいで
手に入れた腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなど金の飾り物を捧げ物として
主にささげ、主の御前に、わたしたち自身のあがないの儀式をしたいのです。」
モーセと祭司エルアザルは、彼らから金の飾り物をすべて受け取った。それらは
よく細工されたものであった。・・・モーセと祭司エルアザルは、千人隊長と
百人隊長から金を受け取り、臨在の幕屋に携えて行って、主の御前に、
イスラエルの人々のための記念とした。
(民数記31章31〜54) 聖書の中で神は私は妬んだり怒ったり呪ったりすると言い、
新約では人が他人を妬んだり怒ったり呪ったりすることは良くない
ことと教わる。神がすることは善や愛から出た行為だからいいんだろうか。
エサウとヤコブの場合のように人をあらかじめ神の
意思に沿う者とそうでない者を作って差別も行う。
イスラエル人という選民を持つこと自体が差別といえるだろう。
神は奴隷制度も認めている。自分を愛して従う者には
千代に及ぶ祝福を与え、自分に従わない者に対しては
父の咎を子孫四代に及ぼして呪ってやるとまで言っているから恐ろしい。
創世記の冒頭では善のみを知る神でなく人と同じく
「善悪を知る存在」だとされる。良いこともすれば悪いこともする、
一方では神、他方では悪魔の二役を使い分けているように見えなくもない。
>>462
当時はどこの民族も戦争していた。侵略という悪い目的を神によって
正当化してるが、日本の古代の支配者も同じことをやってるよ。
で、すごく気になることだが、イスラエル人が戦争で分捕ってきた人は処女だけ
なんだよね。イスラエルの男は彼女たちを自分の性処理に利用するんだろうと
けど、神が人間の女を受け取ったということは、神にも性欲があるということかな? モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、
かれらにこう言った。「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、
この女たちがバラムにそそのかされ、イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて
引き起こしたもので、そのためにヤハウェの共同体に災いが下ったではないか。
直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。
女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」
(民数記 31章14〜18) 俺は勝手に解釈させてもらう
日本人もイギリス人もユダヤとは同祖ではない
偽ユダヤ人と呼ばれているのはハザール人でもない
アダムの子とはアラブ人ではなく黒人でありユダヤ人とはアルビノだ
アフリカにいるアルビノこそユダヤ人の片割れでありユダヤ人はアフリカでアルビノと呼ばれ生まれ続けている
ユダヤ人とはアルビノがアフリカから逃げ出してきた連中だ、白人とは違う
ユダヤ人(偽ユダヤ人含む)とは日本人やイギリス人とはまったく関係のないアルビノが逃げ出してきた連中だ
アダムの子とは黒人のことである 島原の乱は日本のキリスト教へのアナフィラキシーショックだった。
当時の切支丹たちは寺社仏閣への破壊活動を良しとしていた。
廃仏毀釈を連想する行いだ。もちろん江戸幕府は警戒している。
信長も秀吉もキリスト教を利用しようとしたが、
徳川家は価値観が合わないとアレルギー反応を起こしていた。
そこに島原で大規模反乱軍が西洋からの援軍を待ちながら
篭城したんだから国家転覆の危機だ。徹底的に禍根を絶たねばならない。
復讐者を生き残らせてはならないと。
狂信者って見ていてゾッとする。まるでウイルスソフトをインストール
してしまったPCみたいな狂った思考の持ち主になる。
当時のヨーロッパのキリスト教は今の日本のキリスト教会ほどに
大人しくはなかった。内では魔女狩りを、外ではペストを流行らせて
少数民族を滅ぼしたり奴隷狩りをしていた。
動植物を乱獲しては絶滅させていた。マジで頭おかしい。
神の名の元に「キリスト教にあらずんば人にあらず」とばかりに
ブイブイしていたから関わらないように鎖国するしかなかった。
日本が島国で良かった。地続きだったらできない選択だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています