すみません。ぼく、キリスト教に入りたいんです。 [無断転載禁止]©2ch.net
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僕はキリスト教にはいりたいんですが、キリスト教に入る前に知っといて欲しい事、あと、親になんて言えばいいのかわかりません。どなたか教えてください!! イエスは
暴力団、チンピラ、ヤンキー、DQN、です。
「イエスは縄で鞭を作り、商売人らの売り物である
羊や牛をすべて境内から追い出し、
両替人の金をまき散らし、 台を倒し、
鳩を売る者の腰掛けをひっくり返した」 >>325
それはなぜか?
を考えないと。僕からするとそんなことで、鬼の首をとった気分になって
キリスト教(カトリック)を遠ざけておけるなあ、と思いますね。 ユダヤ人やキリスト教やイスラム教のやってきたことと思想を考えればとてもじゃないが受け入れられないし受け入れるべきじゃない
悪魔と何が違うのか? >>326
イエスが戦った相手は庶民を搾取の対象としか見ない「腐った官僚制度」に
アグラをかいたヤツら。ユダヤの既得権益に対抗するレジスタンスで
己の信念に生きた勇者。そもそも、当時のユダヤでは、そうした
「正しいと思ったことを貫き通した」 人々が後を絶たず相次いで処刑されていた。
イエスは彼らと激しく対立。彼らは上部だけ敬虔なユダヤ教徒に見せかけ
ユダヤ教との大切な教え 隣人愛や博愛主義をないがしろしてる偽善者だと見破った
からあれほど激しく攻撃した。
彼らの偽善的でローマ帝国への売国的態度を 愚かな者、盲目な者、蛇、蝮の子、と
糾弾した。イエスは神殿で商人襲撃事件を起こしました。
行政から許可を取って合法的に出店してたのですが
イエスからしてみれば
悪代官と利益をむさぼる商人に見えたのでしょう。
民は搾取(圧政)に苦しんでましたからね。イエスは、
「民を虫ケラと考えていて「黙って服従して貢納してくればいいんだ」
からの解放を目指してましたから。
しかし、うまく行かなくて周りからのプレッシャーもあり
だんだん精神を病んでしまいました。精神疾患による
心神喪失状態での犯行です。 >>1
私はクリスチャンですが、あなたは、何故クリスチャンになりたいのですか? >>329
クリスチャンなら、2ちゃんねるなんてやりません。
あほですね。 「天よ聞け。地よ耳を傾けよ。エホバの語りたもう言葉あり。日の昇り。また地の昇るとき。至福の地ありと。」 それ(^ν^)出典ドコかな?
とおもつたラ
カムイ伝だつた(^ν^)ワロタ >>331
教会にもトイレがあるじゃないですか。
そこに落書きが書いてあったとします。誰が清掃しますか。
クリスチャンですよ。そういうことなんですよね。 >>325
> イエスは
> 暴力団、チンピラ、ヤンキー、DQN、です。
こういう話は新約聖書の中にいくつもでてくる。
いまだったら、イエスはカルトの親玉、社会問題化しているだろう。
だから、イエスを信じるのがだんだん苦痛になってくる。
キリスト教徒になりたかったら、聖書は読まないのがおすすめ。
教会の説教で聞く美化されたイエスの話だけ知っていればいいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 看板
http://x70.peps.jp/s03r21c35/album/c_index.php?cn=8&tnum=2
イエス・キリストは空想上の生き物です 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a19afdd253d90540940c4b923ce385c1) >>340
http://x70.peps.jp/s03r21c35/album/c_index.php?cn=... 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a19afdd253d90540940c4b923ce385c1) >>340
http://x70.peps.jp/s03r21c35/album/c_index.php?cn=8&tnum=2 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a19afdd253d90540940c4b923ce385c1) 万物に対する畏敬の念を喚起させる存在であった神
は、支配者により、人間の特定の価値判断を正当化する神になってしまった。
神という文言をとおして自他を支配することになる。こうして神の文言のもとに
特定の生き方が倫理的に正しいとされ、そこからはみ出す者を排除する
という事が正当化される。 >>343
穿った見方ですね。
人類の歴史を振り返ってみて、人間が人間らしくなり始めたのは、イエス様が
登場した紀元からですよ。ここ2000年です。
イエス様は、正しい教えを、人間に教えたが、人間は試行錯誤でいろいろな
過ちを犯すこともあった。しかし、大きな流れで人類は善い方向へと
向かっていると観ないといけませんわな。
ところで、この国が「まとも」になったのはいつからでしょうか。
そうです。
キリスト教精神入りの繊維で織られた
日本国憲法という名の外套(がいとう=コート)を強制的に着せられた1946年
以降なんです。じわじわと、これでも、少しずつ善い方向へと向かっています。
キリスト様のおかげ、というのを片時も忘れてはいけません。 イエスが起こしたとされる、盲人の目を開けたり
死んだ人を蘇らせたり、精神に異常を起こしていた人から
悪霊を追い出して正気に戻す奇跡をこの目で見て確かめたことがない。
仮にこの世に人間の知識では解明できないことがあるとしても
そのような奇跡がキリスト教の神によるものと断定できるだろうか。
不幸な出来事に合わなくて済んでいるのは単なる偶然かもしれないし
個人の努力のおかげかもしれない。人はそれを神のおかげにすり替え
てるだけかもしれない。
今のキリスト教会には現代科学と妥協し神秘的なものを信じ
きれない人たちが入信している。教会で信者が増えないのは
聖職者も信者も聖書に書いてあることを一字一句信じていない
ことが周囲の日本人に伝わっているからだと俺は思う。
信じたところでご利益があるのか疑わしい、聖職者にお金を搾り
取られるだけだったら、キリスト教は神道を攻撃するだけの資格はない。
聖書も日本神話同様のおとぎ話で、日本のキリスト教は日本神道キリスト
派みたいなものではないだろうか。 >>345
>教会で信者が増えないのは
聖職者も信者も聖書に書いてあることを一字一句信じていない
ことが周囲の日本人に伝わっているからだと俺は思う。
聖書を読んで、どうなるのか?
信じて、どうなるのか?
という人間の苦悩に対する回答が無いからが中心だろう。 >>345
あなたもいずれ切支丹でしょうな。神様に捕まってるような気がする。 キリスト教では信仰の無い者は地獄に落とされるのです。
つまり、「信じるものは救われる」というよりは
「信じなければ皆殺し」ということです。
よい教義があるのも知っておりますが、聖書のこの部分のインパクトが強すぎて、
どうもキリスト教は好きになれませんでした。
日本の神を祀るようになったのは「どうか災厄をおこさないで下さい」が始まりです。
まさに「さわらぬ神に祟りなし」です。
このようにそもそもキリスト教の神とは「信じると幸せになる」ものではなく、
「信じないと不幸になる」というショバ代をとるヤクザのようなものだったのです。 キリスト教観が中世で止まってるような人はアンチ・クリスチャンになるよなw
俺はキリスト教信仰してないけれど、滑稽に見えるよ キリスト教は隣人愛、仏教は慈悲心。
「他者を幸せにするのが、(自分にとっても)もっとも幸せ」って説いているのです。
人間は群れを作る動物であり、社会的動物と言えます。
群れの中で、群れのメンバーに貢献することに喜び(幸せ)を感じるように出来ています。
あらゆることに二面性があります。
群れを作る動物は、群れの中で競争を繰り広げます。
反面、競争を度外視して群れのメンバーを助けることに
快を感じることもプログラムされています。
群れのメンバーを助ける機能のことを、「他者への共感能力」とも言います。
この他者への共感能力を「善」と見ているのが宗教の特徴です。
”神”とかは、共同幻想です。
共同体にとって共通する価値観や世界観ってのは、とても意味があることです。
極端なことを言ってしまえば、
隣人愛や慈悲心を発揮して生きるのが、もっとも充実した気持ちを味わうことが出来、
もっとも幸福感を得られます。
「勝ち負け」に拘る人生観を捨て去る道があります。 >>344
あんたの歴史感狂ってるよ
頭おかしい
2000年前から人類が良くなりだした?馬鹿かと
1946年から日本が良くなりだした?馬鹿かと
GHQに牙を抜かれ腰抜けにされ精神を腐らされたの間違いだろ
昭和天皇は売国発言したりさ 今後いつまで待ってもイエスは現れないよ
キリスト教は嘘と妄想だからね
この世から異常気象や戦争やテロや犯罪など災いは終わることはない
永遠にね 近代の世俗化の過程で生まれてた、人権思想や人として当たり前な良心が、
キリスト教に内包される暴力を抑制している。
それでも、ブッシュやレーガンやトランプが、神や聖書を用いて攻撃を正当化。
レーガン: 我々が、それに全力で反対するよう、聖書と主イエスに命じられている。
ブッシュ:十字軍と発言 聖書には勿論、良いこともたくさん書いてあり素晴らしい教えも多い。が、しかし
古代人の書いた物だから現代の価値観からすれば
ありえない部分も多々ある。
そこで聖職者の出番である。
聖職者が自分好みの解釈を「聖書」の名のもとに信者に解説することになる。
「聖書」にもとづく主張は、ただのご都合主義である。 キリスト教にとって「聖書」を受け入れない全ての者は、神によって裁かれる者とされる。
キリスト教徒は親切だから、それを知らずに裁かれては可哀想だと思い、一生懸命
宣教、伝道という運動にいそしむ。当然ながら、お断り申し上げる人もいる。すると、
神を拒絶した者とされ、断罪されてしまう。神を拒絶した者は、終末が来たら、
必ず裁かれる者である。この者たちはどうせ裁かれる者だ、と考える
キリスト教徒が出てきても不思議ではない。 そこでセカンドチャンス論ですヨ(^ν^)
まぁ(^ν^)正しいかどーかわ
わかりませんガ(^ν^) キリスト教は、権力者が弱者を支配する道具として利用されるようになった。
キリスト教の救済は最期の審判であり、これが最後で決定的な神の歴史への介入である。
救われる為には信者は「聖なる生活」をしなければならない、さもないと地獄に落ちる
とされている。結局は、教会指導者の言いなりの「聖なる生活」をするしかないし
教会指導者に気に入られない者は敗訴される。こうして「義なる神」は
教会指導者が思い通りに信者を操る便利な権威になる。 イエスは弟子たちの勧誘に耳を傾けない街は
「ソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む」と恫喝して凄んでいます。
マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、
その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。 人生が辛くてもそれは自分が引き受けなければならない世界なのです。
ほかの彼たちも彼女たちもまた自分と同じようにたくさんの自由を求め
魂を熱く熱く焦がすことを求めそれが故に深く深く傷ついた戦士たちなのです。
人を信頼することは自分自身の生きる勇気になります。
自由な戦士の苦悩と喜びを知ったことこそ自分にとって何よりも代え難い
貴重な経験になるでしょう。
それらすべてを自分の想像力の翼として生きて行って下さい。
賢い目と優しい心を持って多くの人間と出会って下さい。
人間としての力とはこの世の悲しみを全て受け止めて
尚且つ健やかな笑顔と共に生き続けていくことです。 止まない☔雨は無いじゃない。
曲がらない関節は無いじゃない。 ID:KPkRPkEQのようにキリスト教に反発する人の
気持ちも分からないでもないよ。
イエスやその弟子たちが、人間の魂が救われて
父なる神のもとに行くか地獄で永遠に苦しむかという
死後や来世についての説教ばかりしても、今をなんとか
生きていかねばならない人にとっては特にありがたみ
が感じられない。もちろんいろいろ抱え込んでる問題を
神に祈っていいんだが。
聖書が神を信じればその人の人生や子孫は祝福され、
神を信じなければその人の人生や子孫は呪われるみ
たいに聖書が述べてるのも事実で、過去に生きた人物を
こんな単純な方法で評価し分けるのは公平な視点に立って
いないと批判されてもおかしくない。 まことのハッキングの謎が、また、ひとつわかったぜww 俺には子どもの頃から発達障害の兄がいる。
もう50近いんだが、外見上五体満足に見えるのに
何回注意されても同じ失敗をする、お遣いのような雑用一つ
まともにできない、怠け者で作業所で働くこともできない、
何か分からない屁理屈を捏ねて自己正当化する、性格病とで
も言っていい病気を抱えている。
兄は私の母がキリスト教の信仰に入った後で生まれた。
弟の私も子どもの頃はてんかんや喘息で苦しみ、大学在学中
には鬱になった。兄弟ともに信仰に入ったのになぜこんな試練を
味わわなければならないのか分からなかった。俺は神を信頼でき
なくなってもがいた。それで今なんとか仕事を持ち、自分の身の
回りのことは自分でできるようになっている。
母も私も牧師を通して教会員みんなに何度も兄の病気のために祈って
くれるようお願いしたけど、牧師は兄の上に手を置いて祈ることさえ
してくれず、病気は癒されないままだ。他にも病気が癒されない人、
身内の人の病気が治らず神を信じないまま死んだ人が何人もいる。
聖書に書いてある数々の奇跡はいったい何なのだろうね。 聖書には救われた人には聖霊が注がれるとも書いてある。しかし
私には自分の中に聖霊が注がれた実感はない。外国の言語をペラペラ
話し出したり預言できるようになったという経験がない。
他にも歴代誌を引用し、ヨシャパテ王が賛美だけでモアブ人やエドム人
の連合軍に戦わずして勝った話がよく説教に出ていたが、今でもこんな
ことがあり得るのか理解できない。仮に日本国がキリスト教の神を信じる
ようになれば、中国や北朝鮮と戦争する事態になっても信仰だけで戦争に
勝てるというのは脳みそお花畑としか言えない。
アブラハムは神がイサクを復活させることができると信じていたから
イサクを奉げる信仰を持つことができたと説教する牧師の顔を殴りたい
と思ったこともある。
私は今聖書の中身も牧師が言ってることも信じられないで
教会に行けないでいる。どんな苦しい経験をしても教会に
行き続ける母の信仰にはついていけない。 >>364
私の書き込みの後にときどきその「まこと」さん?のお名前が
出てきた記憶がありますが、私はその方と何の関係もありません。 キリスト教批判を繰り返してるのは>>330さんであって、
>>346さんはここではどうか分かりませんね。IDを貼り間違えて
失礼しました。てかレスに人のIDを貼るのはまずいのか。 >>365-366
同じような葛藤はキリスト者ならばだれもが経験しています。
僕も同じようなものですよ。
生活がうまくいく、病気が治るという奇蹟があれば
それはそれで神に感謝しないといけないことですけどね。
霊魂の救済がいちばん大切なことなんですよ。
嘆きが神以外に向かうと「愚痴」になり、嘆きが神に向かうと「祈り」
になる、とカトリックの雨宮慧神父様の本に書いてあって
心に残っているのですよね。 えへん!
俺様は天台三昧王、禅定力No.1こと、
パキシルくんでおーだじょー!
\( ‘ᾥ’ )/
昨日は32レスだじょー!
http://hissi.org/read.php/psy/20170825/
施設入所者じゃないじょー!
せったんなんか怖くないじょー!
飛車抜き論破だじょー!
\( ‘ᾥ’ )/
さぁ、今日も勝利のコールだじょー!
みんなも一緒にやるんだじょー!
でおー!でおー! えいえいおー!
でおー!でおー! えいえいおー!
\( ‘ᾥ’ )/ >>365-366
とりあえず、これ以上キリスト教には深入りせず、
早くキリスト教から離れたほうがいいとおもいます。
私はカトリックの幼児洗礼を受けてずっと信徒やっていましたが、
信仰を棄てました。
恐ろしいのでなかなかやめられませんでしたが、
これ以上キリスト教を続けたら、
完全に精神が破壊されてしまうとおもいました。 まこと君
自分のトラウマで人を罵るのが癖のようだが
傷つくのは、おまえなんだぞ だからイエスやキリスト教とゆーのは福音ではなく強力な呪いだと言ってるだろ
信じると不幸になったり悪魔にとり殺されるぞ 〜エドワード・ギボン〜
宗教を
一般人は真理とみなし
賢者は偽りとみなし
支配者は便利とみなす 「彼が道を上って行くと,その都市から出て来た小さい少年たちがいて,
彼をやじりだし,彼に向かって,『はげ頭,上って行け! はげ頭,上って行け!』と
言い続けた。ついに彼は後ろを振り返り,彼らを見て,神の名によって
彼らの上に災いを呼び求めた。すると,森の中から二頭の雌熊が出て来て,
彼らのうち,四十二人の子供たちを引き裂いた。」(列王第二2:23,24) 私が自分のことセクシーって思っている以上にセクシーが私のことセクシーと思っているのよね♪👰 キリスト新聞社がキリスト教ライトノベルレーベル創刊のための小説賞
「聖書×トークメーカーライトノベル新人賞」を開催
https://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1503642143/l50
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ラノベレーベルを創刊につき新人賞を開催します!宗教不問で応募可能!
https://egg.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1503668067/l50 キリスト教はコーカソイドが有色人種を侵略するためのツールであって
宗教ではありません? いわゆる世界宗教(布教して信者を増やせる宗教)ってのは
現世での幸せを願っているものじゃありません。
要するに死んでから天国に行くために、
毎日お祈りしたりしてるわけです。極端な話、天国に行ければ
現世がどうだろうとあまり関係ありません。天国に行ける
という希望があるから、日々、生活できているわけです。
(こういった意味で、人の役には立っている)
信仰心を持っている人は、世俗的なことは、政治や教育が行うことで、
神様とは無関係と言うでしょうね。
だって宗教の目的は天国に行くことで、 犯罪事件を防ぐことじゃないですから。 >>381
この世で霊魂にとって善いことは、実は、肉体にとっても善いこと
なのに、人間がなかなかそれを善いことであると思えないのではないか。
イエス様は、食べ物も着る物も思い煩うなと教えられた。事実、思い煩わない
方が、心の中は現世で幸せが広がるのだろう。しかし、思い煩ってしまう。 >>366
確かにそこは差し出すことが異常
神のテストだったら失格の失敗作なだけに
これは😈悪魔 ----
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
---- キリストの教えは、「敵を愛せ」。
今ある動物の肉体の性質と善悪の知識(倫理性)の衝突が罪であり、死の原因であるため、
キリストは罪の赦しと、新しい命を約束し、ここに律法の完成と罪からの解放が確約された。
もはや動物の肉体に基づく血縁や民族や国家、動物の縄張りのために争うことは許されていない。
キリスト者であるなら、敵のために死なねばならぬ。
だが、聖なるもののまえに罪があれば死ななければならないという前提は、何も変わっていない。
それが嫌だというものは、聖であることを忌避したのだ。
ところで、滅びる肉が病気かどうか、外国語の理解力が乏しいかどうかぐらいで
キリストの敵としての永遠を選ぶというのは、理解しがたいな。。。
自己正当化するかしないかについても、健康状態とは関係なく、その人の人格の問題だと思う。
今このときは個々人の選択性が明らかにされるためでもあるが、はたして本当の理由はなんであろうか。
「自分の思い通りにならないし、神の権威を認めたくない」であろうか? 世界に何があるかを決定できるのが神性だ。
その前提がある以上、神は全能だ。
物理法則や人体の仕組みを現実に運用しているしている存在が、
戦争している人間を多少ともでもどうこうできないなんて、考えられないな。
ところで、神が全能であるから、すべての決定権は神にあるのであり、人間にあるんじゃあない。
(そもそも「敵を愛せ」という命令に背いている人たちの願いを、なぜ聞かないといけないんだ)
アブラハムとて、「自分のために息子をよみがえらせるのは当然」だなんて思ってなかったんじゃないかな
少なくとも、すべての生命に対する権威は認めていたはずだが。
君たちは、自分のために神があるとでも勘違いしているのかい? >>385
俺は敵は絶対に赦さないからイエスとはあわないな
敵を赦すくらいなら死んだほうがましだ >>385
非信者がキリスト信者にキチガイ扱いされてる場面など
キリスト教スレでは日常茶飯事なのだが・・・
たとえば、教会案内スレで自演がバレて逆切れ
告発者を追いかけ回して「糖質」呼ばわりするとか 俺は敵への復讐として死と地獄堕ちを願う
何があっても赦すことはできない
イエスはキリストとして認めず違うものがキリストだと信じている
イエスとその神には従えないし信じない >>1
神の目的はあなたの愛だ。
それも、尊厳と意志に基づき、世界の何よりも価値があるとされた愛だ。
それは、今ある動物の肉体とともに全てをすて、キリストを主とし、神の愛を受け入れることで証明される。
そのために神は人をまず動物に作り、善悪の知識を与えた。
目的を定め、その是非と同一性に生死と善悪を問う能力は、自然と動物の性質に反する。故に人は服と法で動物の肉と性質を否定するが、
結果として動物の肉には勝てず、死のみが確定する。
モーセの律法により、これが明らかとされた。
旧約時代は、この罪を教え、キリストの救いを得させるためにこそ存在した。
そして、キリストは計画通りに、敵に殺されてもすべての罪を赦すこと、
ご自身の言葉が神に是とされていることの証として、罪びとに殺され、
そして神により復活された。
そのキリストは、神の権威の相続者として、まもなく来られる。
世界の目的は、神があまたの可能性の中から選んだ目的は、「キリスト」だからだ。
また、聖なるものの前に、キリストなくして人は是とされない。
人間の存在目的もまた、キリストだ。
人は、キリストにより、神と目的を共有し、すべてを超越する愛を得ることをこそ望まれている。
だがそれには、人が世界と自らの目的を自らで求めて
神の目的に反して神の敵となれるほど、自由な意思を有することが前提となる。
死を前にして人の選択は明らかにされ、キリストの敵もまた裁きのときにキリストの栄光となる。
だが実に、神はあなたの愛を得るためにこそ、この世界を作ったのだ。 神がいることと、神がキリストということは
違うのでキリストのスレで頼む >>389
人に何かを裁く権利などない。
すべて命は神のものだからだ。
たとえ神がすべての生き物を互いに殺害する動物としたからとて、なにを言えようか。
また、人の罪を赦さないものは、罪を赦されない。
そもそもいったいあなたは、自分が罪のない聖人だとでもいうのか。
聖なるものの前には、不当な殺意のみで殺人であり、情欲だけで姦淫である。
あなたは自らが罪びとであり、聖なるものの敵であり、赦しなくしては生きる権利もないというのに、
人を赦すことを拒むのか。
神は悔い改めるものに新たに命を許し与えることはしても、罪や悪をそのままに許容することはない。
必ず滅ぼされる。 >>391
「キリスト教に入る前に知っておくべきこと」と「親になんと断ればよいか」がテーマでは?
>>1
「動物の肉体を捨てるということは、その関係もすべて捨てるということだ。
死までは、今の関係は、いずれ捨て去る仮の幕屋となる。
自らの存在を成立させるものを敬うことは当然だが、
人間の権威は神とキリストの王権にまさるものではない。」
なんてことを親御さんに言ったら心配されるだろうから、
相手の理解に応じて、順を追って説明するといいと思います。
まずはまともなキリスト者の集まりを探して、
少なくとも危険や害のないことから、ご一緒に確認してみてもいいかもしれません。 >>1
そうそう、何点か注意事項を。
動物の肉体がいよいよキリストに滅ぼされますが、
キリストと生みの親のマリアとの親子の関係はキリストの死によって終わりました。
もちろん、マリアには神の権威としての人の罪を赦し、命を約束する権威はもとからありませんし、
救いそのものへの関係もありません。
「聖遺物」なんてものもありません。
洗礼に用いられる水や、パンと盃にしても、
儀式としての位置づけがあるだけで、それら自体はただの物です。
事象の順序だけで因果関係を判断するような仕方は、占いや魔術信仰に見られるように
動物の判断の領域です。
お気を付けください。 「キリスト」という目的なくしては存在が成立しない人間存在が、キリストの存在を証明する。
キリストなくしては生きられない罪びとが、キリストの栄光となる。 人間は群れで生活する生き物ですから、自分が「よい」と思ったことは
他の個体と共有したくなりますし、複雑な思考をめぐらすことができるので、
自分が「よい」と思ったことを貫きたいと考えることもあります。
そして、「自分たちが正しく、世の中が間違っているので、
我々がそれを直さなければならない」と、正義の使命感に突き動かされます。
人間は思想(イデオロギー)に感染しやすい生き物なのです。
「自分が正しい」と信じて進めていることでも、それで他人は迷惑したり
ときには犠牲になることもあるのです。それを「間違った宗教を信仰しているから」として
しまっては、オウム真理教の「ポア」の理論と本質的には変わりありません。
それを「信じるか」「信じないか」は、それに接するひとりひとりの人が決めるべきことだ
と思います。それを「正しいから」と、他宗を否定したりするからトラブルになるのです。
やっている本人からすれば「善行」なのでしょうが、はたから見れば過激派の仕業と同じです。 イエスなんて、極々普通の人間でした。
キリスト教は、ペテロとパウロが仕組んだ偶像化の賜物で、金儲けの道具です。
文明の発達していない時代に、こういうとんでもないまやかしをつくり上げた。
人は言葉で操られました。
イエスや神の名の下に、人は都合よく殺されてきたんです。
これまでの地球上で、キリスト教によって、殺されていった人たちは、天文学的な数になります。
中世の魔女狩り然り、宗教弾圧然り、十字軍然り、第一次世界大戦、第二次世界大戦。
キリスト教は、卑下し、憎悪する対象であっても、崇め敬おうなんていう対象ではありませんし、
所詮人間の造った金儲けの道具でしかありません。
宗教は、ただのアヘンに過ぎません。キリスト教の神官たちも
宗教を言葉で操っているのです。聖職者はみな、詐欺師です。
世界中の洗脳寄進で喰っている、ヤミ金の大ボスと変わりません。
その頂点にいる極悪人と言っていいでしょう。 >>385
>「自分の思い通りにならないし、神の権威を認めたくない」
クリスチャンはこの国ではマイノリティだ。
他の日本人がゆっくり過ごす日曜日に自分たちは世の流れに反して
礼拝を守り続ける。こういう状態に置かれたクリスチャンは他の日本人
を神から離れた悪人と裁き、貴重な時間を神にささげる自分たちが
そうしない日本人より恵まれないとおかしい、何か報いがあって当然と思う
ようになる。
そもそも神の姿を見たり声を聞いたりしたという人間のほうが珍しく、
天国も地獄も死んでみないことには分からないのに、死後の天国のほかは
神を信じる者と神を信じない者に対して現世で特に明確に違う恩恵を与え
ない神は薄情である。
だったら教会に行くだけ時間とエネルギーの無駄、クリスチャンになったことに
よってできたクリスチャンでない日本人との間の心の壁を取り払って仲良くす
べきだという結論になる。
私は全能の神だと言いながら、自分を信じ礼拝を守る女(>>365の母)に
病気(たぶん早期性痴呆)を持った息子を与え、50近くなっても病気を癒して
あげない神は嘘つきで悪魔だと思われても仕方がない。 神の名の下に、人は都合よく殺されてきたんです。
多くの人たちがも神の名によって、殺戮されてきた。
そのことについて、神は、一言も言及していない。
人間は神を作ろうとした。
「生きていてむなしい」「死ぬ理由が欲しい」「死が無であるのがこわい」からです。
[イスラム]は、お腹に爆弾を巻いて、「アラーを信じて」「死後の幸せを求めて」
自爆していきます。
死して行く者にとって、「神の存在」がその苦痛を和らげる「言い聞かし」に過ぎません。
神なんていうのもこの世には存在しない。
人間がつくり出した「妄想の偶像」でしかない。 >>400
戦前のこの国の「戦好き」、戦国時代はどうですか。
毛沢東やポルポトの虐殺。現在の北朝鮮。キリスト教が入ってないと、そのあと
反省もしませんよ?ただ、動物のように、そんなことがあったという事実として
流すかのようです。織田信長の「簑踊り」もそんな眼差しで眺めてきましたね。
キリスト教の入ってないこの国はモノサシがないから
反省できないのです。え?反省できますよ。それは日本国憲法から、世界に
通用する精神、はっきりいうと、キリスト教精神を戦後器用に輸入して
「あたかもそんな素晴らしい心が日本人にはもともとあった」かのように
思い込んで、反省できるのです。 ぼさーっと「かつての日本」を眺めるだけの歴史観が変わったのは戦後ですよ。
イエス様に目が「少しは」見えるようにしてもらったのです。 その祭りは、今までは「単なる祭り」にしか思えませんでした。
ところが、今では「奇祭」に見えるようになりましたね。
大きな男性器や女性器の模型を造って、練り歩くこと。これがかつては
普通だったのです。男尊女卑も、おーいお茶の家父長権が強いのも
それが当たり前であり、それが、人間として異常である、不自然である、
多くの不幸を生み出している、ことが戦前の日本人にはわかりませんでした。 今なら、見える。竹槍えいえい!の根性論、精神論がおかしいことが。
戦後、イエス様によって、どれだけ日本人の精神年齢が向上したことか。
未だに「なにかおかしい」というときには、知らず知らずのうちに
キリスト教のモノサシで測って「おかしい」と判定を出しているのが日本人
ですよ。この国には残念ながら世界に通用するモノサシはありません。
三島由紀夫が武士道のモノサシを提唱しましたが、戦後の、もう、そのころには
こんなの使えないと、日本人は投げ捨てました。 豊臣秀吉、徳川家康の頃の話。
キリスト教布教はイスパニアなどキリスト教国による
日本侵略の一手段であり、キリスト教が広まることは
日本という国家の滅亡につながる、と日本国の統治者である
豊臣秀吉、徳川家康が判断し、キリスト教の禁教を決定しました。
「キリスト教はいい宗教、キリシタンは優しいひとたち」という
思い込みは捨ててください。「当時」、「キリスト教は
ガンであり、キリシタンはガン細胞である」と決定したのは、
当時の歴史状況からみて、当然の決断です。 殺人魔であれ、大強盗であれ、強姦魔であれ、
悔い改めれば、罪を赦されて天国に行くことが
できます。その信仰によって、罪を赦され、
天国に行けるのです。 イエスの磔刑死と
復活によって懺悔すればすべての罪が贖罪されます。
罪の上に新しい永遠の生命が、上書きされ、新しい人に
生まれ変わり、洗礼を受ける前の罪は、どんな罪でも
許されます。極端な例で、失礼ですが、何人殺そうと
神の前では赦されます。 更にその後の、犯した罪も、
悔い改めれば、救われます=赦されます。そして、
信じるものは義人とされ「永遠の命」を与えらます。 戦乱と戦国とは意味が異なります。
日本の「戦国時代」を、戦争ばっかりしていた時代と思うのは誤りです。
戦国大名がまずやることは何か、戦争ではなく、国力の充実です。
戦国時代ほど「自分の領地の人口が増えてもらわなければ困る」時代はなかったのです。
そのために戦国大名は必死の努力をしました。人生のエネルギーのうち、戦争に使ったのは
1割、9割は産業育成だったんじゃないかと思います。
武田信玄が後世「エライ」と言われるのは、何々の戦いで勝ったからではなく
「信玄堤」を作ったからです。戦国時代というのは
「みんなが競争で国力を充実させていた時代」だったと言って過言ではありません。 日本の戦国時代ですが、地方の領主同士が戦う、いわば、相手に自分を認めさせ
権力を得る為の戦いでした。殺し合うと言うよりも、政治戦略的な闘争の意味が強いのです。
信長は足利義昭を擁し、その威光でより権力に近づく事を意図していました。
いわばこの国の戦いは大将の頭を取るか、ひざまずかせれば勝利なのです。
肉親を保証の代わりに相手に送ったのも、戦略の手段の一つでした。
又、キリスト教の布教に来たフランシスコザビエルは、この国の人々の事を
手紙に書いています。文字を読み書き出来、悪を憎み、盗みはまれである。
沢山の国を見てきたが、真理を示せば諸手を挙げて賛成する
この国の民には、今まで出会った事が無いと。この国ではヨーロッパ程に、
徹底して人を殺す理由はなかったと言う事になります。 国力を充実させるためには「殺し」もいい、とはなりませんね。
これも、戦後の日本人なら、イエス様のモノサシがあって、正しい判定を
出すことができるようになりました。
武田信玄も織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、今後は、ますます、評価は
下がっていくでしょう。
有史以来、日本国民(民草)のためにもっとも貢献したお上は
なんと、敵国の将、キリスト教を信仰しているマッカーサーなんですよ。
敵だった大将の方が、味方の日本人の歴代のどのお上より、
日本国民(民草)の幸せに貢献したという事実。
これを、飴玉をゆっくりなめるように味わわないといけないでしょうね。 日本の戦国時代とは世界史上に残る人の死なない時代でした。
定員 実数 減耗率
小西行長 18700 6626 64%
加藤清正 10000 4508 55%
鍋島直茂 12000 7466 36%
文禄の役の撤退直前時のデータです。戦死者、逃亡者、病死者などで
兵力は半分以下になってます。これを見て違和感を感じる人がいるのではないでしょうか?
「 文禄の役とは日本が大きく勝っていた戦の筈、なのに
なぜ日本軍の損耗がここまで激しいのだろうか」と・・・・
人間というものはそんなもので、実は異郷の地ではボロボロ死ぬものなのですよ。
水の違い、食べ物の違い、環境、温度の違い、耐性のない土地の病原菌などにより・・・
軍隊がこういう死に方をするのを「戦病死」と呼ぶのですが、
なんせ、技術の向上した日露戦争の時ですら戦病死で数万人死にました。
この時は白米飯による脚気も原因でしたが。朝鮮の役の時も
いろいろな細かい栄養欠乏あったと推測されます。
また、当時の武将の記録では「この地は思ったより大変に寒く・・・」とあります。
そう、朝鮮半島は南部の今の韓国の場所ですら北海道並に寒く、北朝鮮部分に至っては
樺太なみに寒いです。
朝鮮南部でも冬になると平気で−20℃とかになり、港に居た諸将が
雇った水夫を凍死させました。
九州のすぐ北にある朝鮮半島がこんなに寒いとは諸将は思ってなかったようです。
それで防寒のために「唐辛子」を使ったなんて逸話もありますが、気休め程度だったでしょう。 凍死や栄養不足のような戦病死で死んだ将兵は大変、多かったのです。
まあ、日本軍は戦に強く、決して、朝鮮や中国の兵に対して戦闘では負けませんでしたが、
比較的、温暖で過ごし易い日本に居た将兵は
環境が厳しい朝鮮への遠征能力に欠けていたのです。
なんていうか当時の日本軍は確かに強さ自体は世界最強でしたが、
あくまで「戦術軍」であって「戦略軍」ではなかったというか。
数週間、長くてせいぜい数ヶ月の国内での遠征かあるいは
攻城戦のような特殊な戦闘しかできない軍隊で
「外国への何年もの遠征」なんてできない軍隊だったのです。
もっとも「当時はそんなものだった」とも言えないこともありませんが。
ナポレオンのロシア遠征なんてフランスを出た時に69万だった軍隊が
ロシアに入る頃には15万人になってます。
まあ、これは猛スピード進軍が原因で特殊なケースではありますが、
どこの国でも国外への長期遠征軍は膨大な戦病死のような環境の違いによる
死者を出してます。
そういう戦病死を克服できるようになるには
保温や暖房技術、防疫や水質管理、栄養学の発展と瓶詰め、缶詰など
食料保存技術の向上が必要です。 さて、ここで話しは変わりますが、
ドイツは三十年戦争で人口が1/2〜1/10になったと言われてます。
そして、中国の古代の国家、前漢の繁栄期には
六千万人の人口を持ちながら新王朝興亡の戦乱で二千万人に減少。
それでも後漢崩壊の前は5900万人まで人口を回復しながら、
三国志で魏呉蜀が並び立つ頃には「魏一千万人、呉二百万人、蜀百万人」にまで減じてます。
ただし、こういうのは混乱による戸籍の流出という要素もあるようですが
中国では「一将功なりて万骨が枯る」と言いますが、まさにその通りで
勝ち戦だろうが兵士の生還率は50%以下が当たり前でした。負け戦だとゼロに近いです。
実際、文禄の役で明国は17万の兵を徴発して朝鮮に遠征させましたが、
帰還率はほぼゼロだったという記録があります。
さらにかなり近代のナポレオン戦争でもナポレオンが国内に数十万人の大動員をかける度に
勝ち戦だろうと、負け戦だろうと、作戦終了時にはその兵力人員は2/3程度になっている
が通例でした。
前述のロシア遠征に至っては69万の将兵でフランスまで撤退できたのは
5000人とされてます。
この差数の全員が死亡したわけではなく逃亡して現地に住み着いたり、
こっそりとフランスに逃げ帰った者も居るでしょうが相当な死者を出したのも確かです。 私の投稿で、
今まで何十年もそうだと思い込んできた歴史観が音を立てて壊れますでしょう?
意識では拒絶したくても、己の心が瞬時に、それが正しいことを見抜いてしまうのです。
この国の元年は1946年なんですよ。
1946年を境に、「戦前の日本」と「戦後の日本」に分かたれますね。
「戦後の日本」にはキリスト教精神が入っています。
日本国憲法を御旗に、G7と並んで、私たちは世界に通用する精神をもった国です!
と自信を「少し」もてているのです。 日本国内における合戦というものと、外国の国内外の戦争というものは
途轍もなく大きな違いがあるものと痛感させられます。
冒頭に見せたデータは日本の戦国史を見なれている者にとっては異常ですが、
むしろこちらのほうが国際的な戦争データとしては正常なわけです。
日本での合戦での死者は原則として「戦で討ち死にする」のに対して
海外での戦いは「病死、栄養失調、異郷の環境に適応できない、事故死」といった
「戦病死」による死因が非常に多いのです。
こういう「戦病死」による死者は非常に多く、軍の将兵の半分以上が
結局はこういう原因で体を弱らせ死んでいったようです。
そういう事を考えると日本の戦国時代の合戦が
実はいかに恵まれたものだったかわかります。
上杉家の家臣が大阪の陣の時に「謙信公に率いられた時のことを思えば
こんな戦などまるで花見のようだ」と啖呵を切った有名な逸話がありますが、
残念ながら、外国の敵兵と戦う以前にサバイバルしなければいけなかった
外国の軍隊に比べれば日本国内の戦は兵糧攻めにされた
城兵や一向一揆や島原の乱などごく一部を除いては「花見」のようなものでした。 期間・・・原則として非常に短い、長くて数ヶ月程度。
食料・・・基本的に自弁であるが、平時より食生活は工夫され恵まれている。
環境や水・・・多少の違いはあっても日本国内 の違いでしかない。
といった感じです。
やはり「戦略軍」と「戦術軍」の違いは相当に大きいですね。
欧州や中国の国内戦争なんてものは元来は途方もなく人が死ぬ暗黒期なのに対して、
日本の戦国時代は逆に人口が著しく増加し農業や経済産業なども大きく発達した期間でした。 戦国時代に入ると自領を強くし豊かにするために様々な行動を実行していきます。
関所や座の廃止(六角氏や織田氏の楽市楽座)
海外貿易(大内氏、大友氏、島津氏他)
金山・銀山の開発(武田氏、上杉氏他)
1543年に種子島にポルトガル人が初めて漂流し
これが後の南蛮貿易が始まるきっかけになります。
これにより福岡や堺の商人が台頭してきます。
貿易などの利益により一時堺は商人の自治都市となっていました。
後は異民族間の争いがほとんどなかったので、一民族殲滅などが多く なく
合戦でも戦死者の割合は多くなかった点(川中島の戦いなど)。
また黒死病(ペスト)などの超強力な伝染病の存在がなかった点もあると思います。
ペストにより14世紀のヨーロッパは全体で3割も人口が減ったそうです。
日本は四方を海に囲まれていたため、人の往来が中国やヨーロッパよりも
圧倒的に少なく外部の病原菌などがほとんど入ってこなかっただろうことが
想像されます。 戦乱の中国やヨーロッパは、他国との侵略から戦う容赦の無い戦いです。
たとえばキリスト教徒とイスラム教との戦いは、レコンキスタと言う再征服運動の流を作り、
国家を超えた規模となっています。
この戦いでは、 国王から聖職者・農民まで全ての国民が武器を持って立ち上がったとあります。
スペインとポルトガルがイスラムと戦う為、一つの国家となった経緯もあるほどです。
彼らの戦いは憎しみに根差した戦いと言ってもよいでしょうね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています