★★『幸福の科学』統合スレッドpart851★★ [無断転載禁止]©2ch.net
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お金はもっと速いスピードでなくなっていきます。
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教団にいる人々は、選民意識で自分たちを特別視していますが、上から目線で嫌われ、世間の人と話が通じない人が大量に出てきています。
職員の幹部であればあるほど、慢心して偉くなり、その一方で自己保身の固まりになっています。
そして、謙虚さ、感謝、努力精進が欠落していきます。
職員は大川隆法氏の分身です。
大川隆法氏の感化を受けて育てられた人々です。
その人々が、信者さんから尊敬されない人が、増えてきています。
これは大川隆法氏の人格の低下を反映して、起こっている現象です。
永年いる側近の方に、人格の異常性がでている人が増えてきていることを、私は悲しく思います。
私はかつて、彼らと共に仕事をした仲間であるからです。
「幹部や取り巻きはだめだ。しかし、大川隆法総裁先生だけは素晴らしい。」
これを乗り越えないと、大川隆法の呪縛が解けません。
私もずっとそう思ってきました。
そして、微力ながら、教団をよくするために、教団に自浄作用が働くことを期待して、ささやかな努力をしてきました。
しかし、やはり鯛は頭から腐っていたのです。
頭が腐って、その悪臭が周りに広がっていたのです。
私はそのことをはっきりと知りました。
一連の行動を通して知ることができました。 お金はもっと速いスピードでなくなっていきます。
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だから思います。
毒麦が抜きさられようとしている。
その時がすでに始まった、と。
これはショックなことです。
自分も毒麦の一つではないといえるのでしょうか。
なぜなら、根深く幸福の科学の思想が心に堆積しているからです。
その意味において、私のことを毒麦といわれるのなら、全く外れているとはいえないかもしれないとは思います。
その可能性は、やはり自己検証が必要だと思います。
ただし、大川隆法の強い毒性に気付いて、そこから決別しつつあるので、大川隆法の毒に対する解毒剤を自分で作り始めた麦であると思います。
この解毒剤の部分は、世の役に立つかも知れません。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_28.html 財政難の科学。一人当たりの布施料増大により大黒天信者は財政難。学生や貧乏信者の分まで回す余裕が無くなって来ました。 夢オチという感じとは、また少し違っていた。
夢とおぼしき実在界に於いて、これから未来にかけて起きる惨劇を主人公と女神が力をあわせて回避したような感じ。 >エル・カンターレは「高い橋」=「高橋」
高橋信次が生前講演でエル・カンターレと語っているから
自分の名字を直訳して神様の名前をでっち上げ
それを大川隆法がパクった(笑)
伝聞乙!!
佳子先生は東北研修で、エル・カンタラの地という言った。
真次先生は同じく「・・・ところの、カンターレ。モーセィが居ます。」と言った。
以前旅行で、エジプトから陸路でイスラエルに行った時、確かにエル・カンタラという地名が途中にあった。 >>830
伝聞乙!!
高橋信次は「エル・カンターレ」と発音している
だから大川隆法も「エル・カンターレ」と言った
単純な話だ
491 神も仏も名無しさん 2016/09/08(木) 00:57:12.07 ID:T16kmZM9
高橋信次が最初に言い出したエル・カンターラ(エル・カンターレ)は
スワヒリ語で「高橋」って言う意味については信者はどう思っているのか?
494 でつ ◆SHq47OsMUBM8 sage 2016/09/08(木) 01:48:51.37 ID:TBiOASyG
>>491
それについて支部長に話したことがある
「和歌山県の白浜研修だったと思いますが高橋信次が言葉上少しの相違もなくはっきりと、エルカンターレ、という言葉を地名として使っていましたよ」と
「そうなんですか」という返事が返ってきただけだったので、すでにレスにあるとおり思考停止状態になったと思う
497 でつ ◆SHq47OsMUBM8 sage 2016/09/08(木) 02:18:53.28 ID:TBiOASyG
>>496
その研修のDVD持ってるんだが、顔も声も板東英二似の高橋信次が、エルカンタラーでも、エルカンタレでもなく、
きっちりと、「エル・カンターレ」と発音しているのがわかる
で、大川親子もこの研修内容は録音テープが出回ってたから知ってるはずなんで、方便終了宣言のときになぜ変更しなかったのかという疑問は残る >>497
そうか、でつもGLAだったんか(笑)
アンチはほとんどGLAか
で、俺の質問に答えは?
ないなら人の金で行ったということでいいかな? >>828 様
もう少し詳しく、話して戴けませんか?
宜しくお願い致します。 >>829
そうそう
健太と巫女が夢の中で朝飛を成仏させたことで彼もおばちゃんも死ぬことを回避できたのは「君の名は。」のパクリ
しかし、リアルで描かれたのは最初と最後の数分だけであとはぜんぶ夢・・
最後、病室で健太がつぶやいた一言も「夢・・」(笑) 次男がすごい美人と結婚したのを見た。
世の中の7割が実際はブスで2、5割が普通、美人は0、5割いるかいないかの比率。
アイドルや女優ばかり見て美的感覚がおかしくなって美人のハードルを上げている人がいるけど
次男の嫁レベルの人はそんなに実際は多くない。
町を歩く人や卒業アルバムを見れば、7割以上がブスなのはよく分かる。
悟った人と言われてる人でさえも、ある程度女性を顔で判断するんだなと思えた。
ブスでは次男と結婚はできなかったはず。
中々いない美人をだから結婚したのかなと勘ぐってしまった。
やっぱり人の子じゃんと思えた。
こういうのを見るにつれ信仰心がドンドン無くなっていく しかし幸福映画で毎度毎度感じることなんだが、
「目に見えないものを信じることが大切」、といいながら、
目に見せてから信じさせる、というズルい手法に頼るのはどうにかならんもんだろうか(笑) http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2153
初めてこちらにお便りします。
初期の大川の著作である1連の霊言集(潮文社版)の編集からタッチしていましたが、
「フライデー事件」の前に辞めました。
1連の著作は大川教祖の創作でしょうね。
あと、原久子さんと共同作業で生まれた「フィクション」です。
会員の皆さんは、初期のメンバーがほとんど残ってない事を不思議に思いませんか?
みな創設期に辞めてます。
最初の挿絵を担当していた土田画伯や、幸福の科学出版の 高橋守(後にコスモ・テン)氏初め、
大川の妄想について行けなくなり、88年開設から91年ごろには退団しました。
会員NO3として、初期の事情を知っていますが、まだ布教なさっている方には、早く離れることをお勧めします。
資産を全て搾り取られ、捨てられて終わりでしょう。
また、こんな事を書くと「サタン」と言われるかな(笑)
>>836でつ ◆SHq47OsMUBM8
で、どっち?
自分のお金で見た。
知り合いの信者さんから貰った。 でつへ質問
どっち?
自分のお金で見た。
知り合いの信者さんから貰った。 でつへ質問
どっち?
自分のお金で見た。
知り合いの信者さんから貰った。 GLAって世間に全く知られてないから、
幸福の科学のスレで宣伝したいんだな?
幸福の科学の知名度が妬ましいわけかな?
この辺りも映画で表現されてたよね、でつくん
愛から始まっても執着になれば悪になると 愛から執着や恨みに変わる
よくあることだよ、でつくん
出発は正義でも悪に変わることがある、
これを摩り替えという。
アンチの姿がそこにあったでしょ、でつくん >>835
北海道でミスコンに出た在家信者が
半年後には宗務の役職者になり
次男の嫁に収まっていたってかw
ミスコン出場者や女優を宗務に集めて
大川家の男達で奪い合いとはねw 神の子は自分を責め過ぎてはいけない。
ここにもアンチ、あるあるだよね
ね、でつくん >>836
「目に見える証を求めたら信仰では無い」と言っておきながら
映画では超常現象がバンバン起こり、それで信じるとかw
これは脚本家も監督もその他スタッフも
「目に見えないものを信じさせる」事を不可能と考えているよなw 映画を見た人は、
そうやって人間は悪霊の影響を受けるようになるんだ。
という状況がよくわかってしまう。
つまりアンチがいかにしてアンチたるかの
歴史やストーリーが読めてしまう。
こうやってアンチの後ろで暗躍する悪霊の工作手順が明かされる。
そして、世間はアンチに同情するようになる。
見ていないアンチだけが自分が裸の王様である滑稽な事実に気がつかないことになる。 教団というものが、いかに人を本源の神から遠ざけてしまうか。
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真っ黒な雲の魔女
大川夫人の登場と会の変質
二人の仲は急速に発展した
第3章「裸の王様」への道
《真っ黒な雲が覆いかぶさってくる》
大川隆法の結婚前に、中原幸枝が一人の老婆を講演会に連れてきた。
人のよさそうな田舎弁丸出しのおばあさんだったが、中原によると、なかなかの霊感の持ち主であるという。
その老婆は講演会が終わってから感に堪えない様子でこう言った。
「お話は難しくてよくわからなかったが、あの先生(大川)からは金色の後光が射しとった。
いいところへ連れてきてもらって、ほんとにありがたい」
霊感とか霊能力には比較的冷淡な私も、こんなふうに自分の参加する会が褒められるのは悪い気がしなかった。
大川が結婚してから、老婆が再び講演会に顔を出したことがある。
このときも中原が連れてきたのか、自分から会場へ来たのか、そのあたりの私の記憶は曖昧である。
しかし大川について、次のように語ったのが強烈な印象となって残っている。
「前に聴かせてもらったときは、金色の光が見えたにねぇ。
今日はどうも違う。
先生の後ろに魔女がいて、まっ黒い雲を吐き出している。
それが、わしらのほうへかぶさってきて、えらく気味悪かったよ」
いま考えると不吉な言葉である。
しかしそのときは深くも考えなかった。 教団というものが、いかに人を本源の神から遠ざけてしまうか。
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日によって変わる〔老婆のたわ言〕ぐらいに受け止めていたと思う。
老婆が見たという〔魔女〕に、現在の私は思い当たる一人の女性がいる。
彼女の中高の鼻は西洋の魔女のわしっ鼻と似ていなくもない。
その女性が魔女なのだと言うつもりは、私には毛頭ない。
主宰先生のように「あの人には悪霊がついている」とか「彼は悪魔だ」などと言う趣味を私は持ち合わせていないからだ。
しょせんは老婆のたわ言である。
しかし、あのおばあさんは大川に、あるいは会に何か良からぬ変化が起きているのを直観的に感じとったのではなかったか。
それを、たまたま魔女というイメージであらわしたのではないだろうか。
問題は彼女が魔女かどうかではない。
老婆の言った〔魔女〕という言葉に、私がその女性を思い浮かべるようになったという、その事実である。
それには、もちろん理由がある。
その理由は〈幸福の科学〉を神理探究の場から、会員獲得を第一義とする宗教団体へと変質させてしまった、その原因のひとつと重なっている。
大川の結婚を境にして〈幸福の科学〉は急速に変質していったのである。
《大川夫人の登場と会の変質》
最初に申しあげておきたいと思うが、私は個人攻撃をするつもりはない。
教団というものが、いかに人を本源の神から遠ざけてしまうか。
そのことを〈幸福の科学〉という一つの集団を例として、また〈幸福の科学〉に人生を懸けた愚かな男の悩み、苦しみを通して、
一人でも多くの人にわかってほしいという願いから、こうして筆をとっているにすぎない。
私が大川主宰や、そのまわりの人に批判の目を向けるとしても、それは会の行き方を検証したいがためである。
というのは、彼らもまた私たちと同様、宗教団体という魔力の犠牲者である。 教団というものが、いかに人を本源の神から遠ざけてしまうか。
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本源の神から人を遠ざけてしまうものを検証するには、彼らにも裸になってもらわなければならない。
あの童話の幼児のように「王様は裸だ!」と、誰かが叫ばなければならない。
話は大川の結婚式の半年前にさかのぼる。
1987年11月の21日から三日間、茨城県の大洗で研修会が開かれた。
いくつかの意味で〈幸福の科学〉の今後を決定することになった特筆すべき研修会である。
三日間の研修だから、当然泊まりがけになる。
どんな集団でも、そうした合宿などでは特別な雰囲気が生まれる。
このときは若い女性グループが妙に はしゃいでいた。
ワーワーキャーキャー騒ぎながら、まるで人気タレントのように大川をあつかった。
今にして思うと、これが我が師を大いなる覚者から宗教タレントへ変貌させるきっかけであった。
佐藤真知子という20代半ばの女性会員が、そのグループの中心になっていた。
婦人部講師だった母親をはじめ、一家をあげて熱心に活動していたから、生え抜きの若手と言っていいかもしれない。
大柄な体に相応しく屈託のない天真爛漫な性格で若い女性たちのリーダー的存在だった。
もっとも、30も年の違う私から見れば、そんなところが可愛い娘さんだった。
この若い女性たちのグループ、自称アマゾネス軍団の一人が、ボランティアとして会の活動にかかわっていた東大生の木村恭子である。
以下に述べるのは直接私が見聞きしたものではないことを断っておく。
しかし最も身近にいた人間から伝え聞いたものであるから、真実と考えてもらっていいと思う。
《二人の仲は急速に発展した》
「先生に直に指導していただかなければ、霊道の開けてしまった私は死んでしまう」
手紙にはそんなことが書き連ねてあったという。
「大洗での講義のとき、先生は私を意識していましたね」ともあったらしい。
なかなか可愛いではないか。
恋愛経験の少ない自意識過剰な若い女性なら、そんなふうに思い込むのは不思議ではない。 >>831
資料を再確認したが、高橋信次の講演場所だけ訂正しとく
1976年5月2日、富士緑の国民休暇村、青年部研修会 演題「正法の流転」
以下講演の一部抜粋
本日の講演の演題は、正法の流転といいましょうか、神理がどのように伝わってきたのか、
そして現在どうあるのか、この問題について語っていきたいと思います。
ちょうど今から3億4千数百年前、私たちは、地球上よりはるか離れた、数億光年先の、
もっとも調和されたベータ星より脱出し、円盤に乗りまして、年若き、調和された、
緑に包まれた地球上に、円盤に乗って参りました。それは現代の、アフリカ、
ずーと、北の方になるところのエジプト、エルカンターレというところです。
ナイル川の三角州より少しスエズ運河に近づいたところ、その場所が、最初のエデンの園でありました。
その当時、エルランティと呼ばれる、天上界の責任者が、7人の大天使たちを連れてきました。
「エルカンターレ」はやや語尾を伸ばした「エルカンターレー」とも聞こえるけども、まあエルカンで間違いない 教団というものが、いかに人を本源の神から遠ざけてしまうか。
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ラブレターをもらったほうも、大川の本を信じる限り、デートひとつしたこともないぐらい恋愛経験に欠けていた。
学生時代には、一度しか話したことのない相手に、ラブレターを小包にして送っていたというから純情さではひけをとらない。
そういうカップルにありがちなケースだが二人の仲は急速に発展した。
まず中原が大川の指示で恭子にコンタクトをとる。
そして、キューピットさながら主宰先生の逢瀬をとりもった。
その場で、すべてが決まってしまった。
わずか一ヶ月後には吉祥寺の料亭「双葉」において、私に結婚を打ち明けている。
大川と恭子の婚約発表に、彼女を知る会員たちはさぞかしびっくりしただろう。
先日まで職員の手足となって働いていたボランティアが、しばらく顔を見せないと思ったら、なんと主宰夫人になるという。
とりわけ真知子にとっては、青天の霹靂のはずである。
結婚の縁というものは、恭子の著作『愛を与えることの幸福』によると「今世の魂修行の重要課題」に従って決まってくるという。
としたら、この結婚にこそ大川隆法の本質がハッキリと現れていると言ってもいいだろう。
大川夫人の登場と時を同じくして〈幸福の科学〉は大きく変質していった。
神理を探究する人々の集まりの場から、会員を集めることに狂奔する、ありふれた新興宗教の一つへと転落を始めたのである。
その変質は、たとえば大川父子の反目という、具体的なかたちをとって現れてきた。
〈幸福の科学〉の初期の講演会では、講師は常に大川隆法、善川三朗の二本立てだった。
それが次第に大川一人が講演するようになり、父親である善川のほうは独自で講演会を催すようになる。
同じ〈幸福の科学〉の看板を掲げて開くのだが、何万人も集める大川にくらべ、父親の講演会は今もってこじんまりしたものらしい。
あの東京ドームでのハデハデしい〔御生誕祭〕も常識人である善川の反対を押し切っておこなわれたと言われている。 つづきもちょっと書いとくか
その時に、ミカ、ガブリ、ラファ、このような人たち、ルシェ、彼らが、地上の世界において調和された、
ユートピアを造られた当時は、その功績を讃えて、ガブリエル、エルの字を全部与えました。
ラファエル、あるいはまた、ミカエル。エルというのは、神の光、神の心、そのものであります。
その大天使たちは、全部神の光を受ける、パワトロンというものを、全部つけておりました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています