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マインドフルネス瞑想 Part4 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
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2017/04/24(月) 18:35:07.16ID:DIR0y4Cf
マインドフルネス瞑想は、元々宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、さらなる元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。

本館(メンタルヘルス板) 【瞑想】マインドフルネス 5【気づき】
https://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1492725142/

マインドフルネス瞑想 Part3
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1489334706/
0102神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/20(土) 22:03:57.01ID:vmNO7HKD
>>96
その気持ち良さは、エゴの気も良さじゃないから、
いいんだよ

そこに執着して、それを求め始めたらエゴになるけど
もしエゴが気持ち良さを求めていたら、瞑想中に気持ち良くならないことに
イライラするはずだよね
ところが、気持ちいいとか、気持ち悪いとかにとらわれず、それは結果論として、
ただ黙々と瞑想できていれば、それはエゴの瞑想じゃないということ

よく気持ちの良い状態を感じるのはエゴだという人がいるけれど、それは違う
同じ気持ちの良さでも、二元相対を越えた気持ちの良さというものはあるし、
それはエゴの気持ちの良さとは全然種類が違う

一生懸命仕事をした後の気持ちの良さとか、勇気を振り絞って理不尽を正したときの気持ち良さとかは、
二元対立を越えたときの気持ちの良さなんだよね

その気持ちの良さを越えていくのは、更に次の段階で、ふつうはそこまで
意識する必要はないよね
二元相対を越えた気持ちの良さを感じるときは、
瞑想が上手くいってると思っていいよね
0103神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/20(土) 22:05:28.95ID:rdqkd03A
三相でしたっけ

やっと諸法無我を実感を伴って分かる瞬間を経験できました
一切行苦、諸行無常、諸法無我は三角錐のそれぞれの面で
本質的には同じことというのもなるほどなあと思いました
0104神も仏も名無しさん
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2017/05/20(土) 22:48:47.06ID:6NW/Dpmz
この間nhkで長生きに重要なテロメアの話ししてたけどやっぱりマインドフルネスの人が出てたね
0105神も仏も名無しさん
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2017/05/21(日) 18:16:15.09ID:H7zdVWDm
>>103
良かったですね。
自分はまだそこまではないけど、
苦しい感じが起こっても、生じては滅するものと心でも納得できるようになりました。
そして、今ここにあれば、苦しい感じとの分離・融解が起こるのだと実感できました。
0107神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 05:36:23.41ID:cirM2nrX
今は0秒の世界だからね

今においては、あらゆる存在が消える
そう、今さえも・・・
0108神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 05:39:02.53ID:cirM2nrX
ところでみなさん、どんなマインドフルネスをやってますか?
自分はこうやったらうまくいく、というものがあったら
教えて下さい
0109神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/22(月) 08:23:30.81ID:OQvMWxSG
>>106
それ、通ってきた。
今ってないじゃんって。
でも、テーラワーダのお坊さんの瞑想メソッドやって、
さらに深い深度での経験をしたら、そこに執着しなくなった。
0110神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 08:32:15.51ID:3YZFVeBO
>>108
私の場合は、自覚と、心を受け止める事だったかな。
認識したときにはもうそれは過去になっているけどね。
でも、それでもやっていくと集中しやすなりました。
0111神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 11:15:44.68ID:IE7BmSLt
今に気をつけて、具体的には身体に気をつけている
心を置いているとでも言うことを続けています。
0112神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 22:14:49.57ID:jAQJD1VL
ヴィパッサナーによってなんとなく気づいた智慧のようなものがあったのですが
今日読んでた本に智慧には13の洞察智ってのがあると知りました
一覧にして書き出していくと「あーあの時のはこの智だったのか」という風に確認できてとてもためになりました

やはり瞑想も続けていくとどうしても仏教を勉強してある程度の知識をつけないとそれ以上の結果は出ないんですね
たどり着くかわかりませんがやはり悟りを目指すことになるんだなと思いました
瞑想始める前の自分が聞いたら卒倒しそうです
0113神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 22:35:37.56ID:cirM2nrX
>>110
心を受け止めるって、非常にいい表現だと思う
心を受け止めるというのがまさに、仏教系で言われる「感情の観察」そのものなんだよね

受け入れるという行為が、既にマインドフルネスになっていて、同時に変化を加えることがないから、
今の自分をそのまんま観察していることになる
いいやり方ですね

>>111
なるほど、動作や自分の外のものじゃなくて、身体に意識を置くということですね
それも立派なマインドフルネスになりますね
これは結構簡単かもしれない
ちょっと試してみます
0114神も仏も名無しさん
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2017/05/23(火) 01:36:51.42ID:zMN2/7bJ
企業がマインドフルネスを導入するのは究極的には生産性の向上が目的になるんだろうが
でもなぁ、やっぱり「グローバルで勝てるビジネスパーソンを輩出するため」「生産性の向上のため」
を本分にすると、やっぱり個人は二の次でつぶされていくことになると思うんだよな
「マインドフルネスは目標達成の お役立ちツールではない」っていうリンク記事と代取の言ってることは
その点本旨が違うと思うし、
テレビに出たりしてるあちらこちらの僧侶をマインドフルネスの「コーチ」だの「プロ」だのいって
用いるのもかえって胡散臭さを感じてしまうんですよ、個人的に

ttps://www.cocokuri.com/
0115神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 06:33:02.09ID:mUQOGlDS
その僧侶たちは本当に恥ずかしいね
仮にも僧侶たるものがマスターを名乗るなら、たとえ今腕を切られても、なんの不安も恐れもないってくらいの
レベルにならないとダメだと思う

一般の人がビジネスや医療にそういうものを導入するのはいいけど、その場合は、ビジネスとか医療的に効果の出るレベルだったら、
そういうもののマスターってことでいいけど、僧侶がマインドフルネスのマスターを名乗る場合は、
悟りのレベルにまで到達していないと、何か矛盾したような感じになっちゃうと思う
0116神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 08:55:18.24ID:SVZ/ESqb
言わんとするところは分からなくも無いし、確かに胡散臭い感じではあるけども…

例えば、企業がビジネスマンのパフォーマンス維持のため健康診断やスポーツクラブと提携して定期的な運動を導入したら、全く同じ感想を抱く?
やっぱりビジネス目的だと個人は潰される流れ?
金メダリストでもないとマスターは名乗れませんとか?

マインドフルネスが高尚なものじゃないと困っちゃうの?
0117神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 09:10:14.81ID:0PSBa/tG
瞑想は3学の1つの要素に過ぎないのでそれが絶対ということはないと思います
0118神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 09:28:05.63ID:C7uhyr+5
今のマインドフルネスブームの前から地道に指導していた僧侶もいるし。
皆の心を救いたいくらいの志はあったかもしれない。
私はブーム前から指導してきたような、僧侶は評価したいな。
そういう僧侶って明らかに視点が違うし、物事の捉え方も違う。
それなりの境地なんだなと思ったよ。

最近になってマインドフルネスに乗っかった僧侶には違和感を覚えるけどね。
ブーム前から地道に指導してきた僧侶を一緒にしたくない。
0119神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 09:37:42.65ID:C7uhyr+5
>>115
私は僧侶にそこまで求めないな。
マインドフルネスを指導しておきながら、思考にすぐ呑まれるような人だったら論外だけど。
できている人が少しでも人々の心を救いたいと願って指導するなら良いと思うし。
先なも書いたけど、ブームに乗って最近になってマインドフルネスを語り始めた様な僧侶なは違和感を覚えけどね。
でも、ブーム前から地道に指導してきた僧侶を一緒にしたくない。
115さんは心を観察してみてほしい。
そこまで求めるにはそれなりの、欲求や心の叫びがあると思う。
0120神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 10:39:36.57ID:zMN2/7bJ
>>116
当然その意見が出てくるだろうことは予測してたけど
企業、があるいはコーチする側が「生産性の向上」を一義に謳う限り、
自分にとっては同じ感想ですよ

それからマインドフルネスのマスターコーチだのプロ
(「プロ」はある企業への導入記事の文中に出てきた)っていうのはね、
これ、ただの自社基準だし、あたかも一般的に認められた資格者のように呼ぶ
広告もいかがなものかと思います
0121神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/23(火) 11:31:32.51ID:wIplC6NJ
>>113
こころに先行して身体が反応しています。

2008年4月13日(米国時間)に『Nature Neuroscience』誌に発表されたドイツのマック
スプランク脳科学研究所の報告によると、fMRI(脳スキャナー)を使った研究者らは、
被験者が自分で認識するより7秒も早く、彼らの決定を予測できたそうです。私達は、
意識して決断しているようですが、実はその7秒も前から無意識脳から信号が発射され
ていたのです。
0123神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/24(水) 05:26:24.02ID:6D/FcLuC
>>106 どうゆうこと? 言葉で述べれる範囲で頼む。
つか、エックハルト・トールなんかは今を重視するよね。
0124神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/24(水) 08:58:37.24ID:3RQHRo+I
認識出来たときには、もう過去になってらからね。
今が無いように感じる段階があるんだよね。
0125神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/24(水) 18:42:45.93ID:6D/FcLuC
難しいよ。もっと具体的に言えない。
瞑想で得られるの?

>>121  7秒じゃなくて0.7秒の間違いじゃないの?
身体はトラウマを記録するっつう本だと
認識をしたら、それが視床に伝達され
判断を起すのに、大脳新皮質?(理性的な新しい脳)より
爬虫類脳(古い脳)の方が判断(闘争or逃走)が0.?秒早いと書いてあった。
0126神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/24(水) 23:11:04.19ID:3RQHRo+I
>>125
もっと書き方があるんじゃないかね。
体験して理解できるか否かは個人差あるでしょ。
でも、体験して理解できた人達は存在している。
0127神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 01:48:55.92ID:rMSaWAWk
本当に今が無いという時は、思考が全く働けない状態だから、
記憶に残らないよ

道元禅師の「覚知に交わるは証則にあらず」というのは、
まさにそのこと

たとえば、禅をたしなむ主婦が、夜座禅を組んでから5、6分もたった頃、台所から音が聞こえたので行ってみると、
既に朝になっていて、家のものが起きていたとのこと

完全に今に一致すると、(過去の)記憶をよりどころにして活動する
思考の働きがなくなる
なので、時間が飛ぶ

それでいて動作は完璧なものになる
なぜなら、個人の思考の影響を受けずに、大自然の働きが
自由に働けるようになるから
0128神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 05:36:57.69ID:DhPB76UI
>>本当に今が無いという時は、思考が全く働けない状態だから、

今があるの間違いじゃないの?
0129神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 06:49:43.63ID:rMSaWAWk
究極の「今」というものを考えてみてよ

究極の「今」って、0秒の世界だよね?
道元禅師の言う、いわゆる「前後際断」というやつ

「灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり。
前後ありといへども、前後際断せり。」

「たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」

あらゆる存在は時間の幅がないと存在できない
一瞬の流れ星と言えども、そこにわずかな時間の幅があるから、
存在として認知されるんだよね

0秒の世界ってのは、何物も存在できないんだよ
もし、「今がある」というなら、それは言葉にしろ、科学的な方法にしろ、
存在を説明できることになる
あるわずかな時間の幅を説明することになるんだよね
つまり、説明できる「今」は、時間の幅をもっているので
本当の今じゃないということ
0130神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 07:03:22.97ID:PhcIKFmP
>>129
瞬間(0.0秒)と今は違うぞ
刹那(1/68秒位)が今であり時間は今の連続しかないというのならわかるが

瞬間をいくら足しても時間にならないのはゼノンの飛ぶ矢のパラドックスで実証ずみ

3.第三のパラドックス
   飛んでいる矢をまた考えます。矢はその一瞬一瞬を考えれば止まっています。動いていません。
   したがって、その瞬間をいくら足していっても矢は動いてくれません。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8782/zenonn1.html

これは0+0+0+0+…=0だから矢が動かないのは当たり前
時間は瞬間(0)の足し算ではない
0131神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 10:25:33.08ID:RH7f1/rt
連続した認識状態(気づいた)にあると、思考が出てこられない
これをどう言えば良いのか、そういう状態がどうも存在している
0132神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 14:03:15.17ID:xfJehLER
全ての言動が欲(感情=怒り)であると知った時、何も言えなくなったな
0133神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 16:55:52.47ID:IHL4TOQQ
ちょいと窓を開けて、空を見ながらボーッとしてると鳥の声とか聴こえてきて
耳をすませてると
何物でもない「今」それでいて秩序だってる「今」を感じたりする
そういう時はいくぶん自我は薄まってるような
0134神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 17:43:15.68ID:6UlvoIan
>>127
ヒンドゥー化した中国産の禅宗は、中国思想家が無情有仏性と有情の人間より
優れていると差別し無思考の無情を目指し、無念無想、無分別、不二、一如、土着の
タオ思想と融合して一元論化、仏性内在と実体視、つまり仏を確認する禅とか無心で
そのものになる行とか、似非なる改造仏教になったと学者は指摘します 
その思想の背景に宇宙意識なる根源真実在(哲学)との梵我一如化ヴェーダーンタ化
もあり、例えば鈴木大拙は、インド仏教と異なる日本独自のヘーゲル哲学と批判する
学者もいます

集中系の三昧は、一時的で作為的なものは壊滅すると仏典で説かれ、解脱するには
無我(非我)性のある観察によって清浄化、慧の修習が必須と説いてます
慧の修習とは観行です
マインドフルネス療法の日本の第一人者の学者先生も集中でなく観察が重要と説明
しています
無心では道徳が成り立ちません、無心で人殺しをしました、無心で道徳を破り
ましたでは仏智とは異なります
毎年、禅宗の僧は犯罪者を生んでいる統計データがあり現証になっています
日本人は宗教無知ですから、伝統やイメージから禅宗に媚びるものです
けど私はテーラワーダの人間ではないので、彼らにも言いたいこともあります
0136神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 19:25:39.93ID:rMSaWAWk
>>130
まず、刹那が1/68秒位ってのは、説一切有部の主張であって、
仏教の本質的な教えじゃない
いわゆる「三世実有・法体恒有」から来てる

三世が実有であることを説明するためには、各々の一コマが必要になってくるんだよね
一コマ0秒だったら、一コマにならない
一コマが存在するためには、ほんのわずでも時間的間隔が必要になる

思うに、説一切有部は、最初に三世実有説をとなえたがゆえに、刹那に時間的間隔を設定する必要が生じたんだろう
そこで考えられたのが、1/68秒の一コマということ

ちなみに、論敵であった大乗仏教の開祖、龍樹は、
刹那に時間的間隔を設けることを、否定している

0+0+0+0+…=0  だからこそ、諸法無我が成り立つんだよね
だからこそ、空ということが成り立つ

つまり、世界が0秒の今しかないということは、我々は普段、時間の幅の中で
幻想を見ているということになる
0137神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 19:45:47.96ID:rMSaWAWk
>>134
仏教の基本的骨子は、「諸行無常」と「諸法無我」なんだよね
これは原始仏教も大乗仏教も、まったく同じ
大乗仏教になってから、替えられたってことはない

進化というのは、基本的な骨子はそのままに、表面的なものが
より効果的に変化するってことだよね
骨子を見抜くことができなければ、それはただの異質なものへの
変化と見られてしまうはずだ
大乗非仏説というのは、そういうところから来ていると思う
異質な教えに変化したんじゃなくて、
進化したということだよ

それであなたは、観察と無心がまったく別もののように言っているが、
実は観察こそ、「無心」ということなんだよね
無心でなければ、観察にはならない

観察というのは思考の働きじゃなくて、「ありのまま」ということ
「ありのまま」には、思考の働きの「介入」がない

>マインドフルネス療法の日本の第一人者の学者先生も集中でなく観察が重要と説明
>しています

この人も素晴らしくて、この人も、「マインドフルネスは思考の働きでどうこうするものじゃない」、
ってことを言ってるの
たとえば、今怒っている・・・ これを冷静に観察しよう、っていうんじゃ、
それは真の観察じゃない
それは思考の働きで観察しているんであって、怒りの自分と観察する自分、二つの自分が分離することになる
結局、分離することは出来ないから、怒りを抑圧して、冷静な観察者を装うことになる
真の観察をするには、自分のそのままの状態(今)を完全に認めないといけないんだよね
今と自分の間に、対立があってはならない
0138神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 19:59:43.88ID:rMSaWAWk
>>133
それは限りなく0秒に近い今を感じているときだと思う
今にも二種類あって、もし、その今が0秒の今じゃなく、執着の対象としての一コマだったら、
たとえば、「あの時はいい思いをした、もう一度あの時に戻りたい」、
という考えが浮かんでくるよね

本当の0秒の今を感じている時は、そういうことはなくて
過去未来、今の一コマにさえも執着はなくて、だからこそ、今が一番すばらしいってことが言えるんだよね

前にテレビでやってたけど、交通時で障碍者になった青年がいて、その人は学生のボランティから
いろいろと世話を受けていた
その人の周りには常に、複数の学生ボランティアが集まっていたんだけど、
よくみると、その人はキラキラと輝いて見える
学生がボランティアに来ているのか、それとも、学生たちがその青年を慕ってきているのか、
わからないような感じだった

交通事故の脳障害により、手足の動きがおかしくなり、ろれつも回りにくい状態だったが、
インタビュアーが、「昔の健康のときの自分に戻りたいですか?」 って聞いたら、その人は答えた
「いえ、今の自分が一番いいです」
完全に今の自分を受容している状態だよね
この人はある意味、マインドフルネスに人生を生きることができている、といっていいと思う

この人があきらかなのは、今を一コマの存在として捉えてるんじゃなくて、
ありのままの今の無い状態にあるということ

つまり、「真の今」というのは、今という時間さえない、「ありのまま」ということなんだよ
0139神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 20:12:41.74ID:6UlvoIan
>>137
>実は観察こそ、「無心」ということなんだよね
>無心でなければ、観察にはならない
同じ無心でも、集中系三昧と観行との違いについて書きました
日常での侵入思考に対応できるのも観察です 貴方も常時、無我夢中、無心で
いられず、無心であることに強迫観念になって固執しているわけです

>真の観察をするには、自分のそのままの状態(今)を完全に認めないと
>いけないんだよね 今と自分の間に、対立があってはならない
対立ではなく、無我非我性のある智慧で観るわけです、私→対象の私を含め
怒っている自分を肯定するのが、中国産思想のあるがままで智慧がありません
あるがままストーカーをしたり、あるがまま罪を犯します、それが今の曹洞禅の人に
実際に起こっていて、データ上、毎年犯罪者を生んでいる現証になっています
0141神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/25(木) 22:18:30.17ID:5E0i1Z2N
私は病気ではないのですが
世間に広まってる認識と自分の認識がまるであべこべで毎日生きることに困難を感じています

世間では悪口を是とする教えがあるようです
私は電車や街角で老若男女問わず人間から中傷めいた悪口を言われます
反応しない練習を続けていますが、最近観察によって世俗の方々の悪口は実は優しさなのだと気づきました
私を気にかけてくださっているのだと
ですので悪口を言う方々にありがとうございます。と返すようにしました
すると私が極悪人であるかのようにある種の人々はまた中傷するのです

世俗の人たちは私に悪い言葉を発させたいのでしょうか?なぜ人々は自ら傷つけあうのですか?
瞑想が進んだ方、もしよろしければお教えください
0143神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/26(金) 02:14:51.31ID:uRdPFV0m
>>141
自己に否定的な幻聴が聞こえるというのは、本当の自分と、それを規制しようする偽の自分がいて、
規制する方の自分が強くなった場合、それが他人がしゃべってるように聞こえ、
幻聴ということになるんだよね

幼少期の頃、自分の感情を素直に表に出せない環境にあった
たとえば、自己中心的な親にとって、子供の正直な怒り、悲しみ、寂しさ、不満といった感情は、
非常に不都合な場合があるんだよね

そういう親にとっては、子供の正直な感情というのは、非常に邪魔になる
そこで親は、そういう感情の発露があると、それを出す子供を強力に否定するんだよね
なので子供は、自分の感情にブレーキを掛けるようになる

そういう環境が酷ければ酷いほど、規制する力が強くなって、次第に自分の感情は弱くなり、
反対に、規制する力が他人の声として現れてくる

ためしに幻聴が聞こえるときに、耳をふさいでみるといい
自己の内から規制する声は、耳をふさいでも聞こえてくるから

こういう状態になったら、まず、自分の本当の感情を取り戻す、
何らかの方法が必要になってくるよね

"極悪人であるかのようにある種の人々はまた中傷する"

というのも、自分を極悪人であるかのように、強い規制をかけてる、
あなたの声なんだよ
そしてその規制は、かつであなたの親が、あなたの正直な感情の発露に、強い拒絶反応を示したことによって、
あなた自身が自分に強い規制をかけた結果なんだよ
自分を極悪人であるかのように扱っているわけ

"悪口を言う方々にありがとうございます。と返すようにしました"

悪口を言う人にまでありがとうございますと言わなければいけないほど、
あなたは自分に強い規制をかけているということなの

この規制は一人では外せないし、かといって、他人が無償の愛で許しを与えてくるというのも期待できない
そこで、マインドフルネスによって、本当の自分を取り戻すという作業が
必要になってくるんだよね
0144神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/26(金) 02:25:49.08ID:uRdPFV0m
>>141
あなたには日月神示の一二三の食べ方をお勧めします
これは非常に簡単なマインドフルネスになると思う
"心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ" と
日月神示では言っていますね

ふだん、人は噛むときに、一噛みごとに意識してないんだよね
それだけ間が抜けてる
それを一つ一つ意識を向けることによって、
気付きの訓練になる

噛むときに数えるって、とくだん、こちらが意識を集中しなくても、
自然に集中されるんだよね
すごくいい方法だよ

それで、こういう訓練をするときも、あまり自分に規制をかけないこと
47回きっちり噛む必要はないし、最初は10回くらい噛んだら飲み込んで、を、繰り返せばいい
一日2回でも食事のときにやれば、短期間でそれなりの効果を感じるはずだ

ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のます あせえほれけん
0145神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/26(金) 23:34:52.09ID:aHzvbhfE
>>137
>真の観察をするには、自分のそのままの状態(今)を完全に認めないと
>いけないんだよね
これ混同してますね、認めるというのは思考判断で、
解釈なしに今ここの事実の観察は、思考の物語が成り立たないわけです
無我性の智慧で観るとは、その第一人者の学者先生が言う脱フュージョンという
分離で、それは非同一化の洞察智でもあり、対立ではないのです
それによって思いに支配されず、思考を道具として使うことが可能になります

※うつ病患者の精神的な苦悩に、認めて受容しなさいでは、治療にならず、
マインドフルネス療法とは異なります
誰でも病気になったら治療しますし、泥沼にハマったら抜け出すことをします
何でも無抵抗主義で受容でなく、できる限りのことをします
これはインド仏教にない、無情のあり方を目指す中国思想家のミスリードが
曹洞禅の思想に根付いてます かつ すでに仏も中国産で、
利己的な性質そのもの,あるがままになり、毎年曹洞宗の僧侶に犯罪者が生まれる
という実状です 学者も釈迦仏教と異なると指摘していて、宗門の教えを鵜呑み
束縛された自我構築の人しかいないのだろうか
0146神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 03:30:55.68ID:/w1Wk7vX
>>145
"今ここの事実の観察は、思考の物語が成り立たないわけです "

このあなたの言ってることは正しいわけだよ
だからこそ、

"真の観察をするには、自分のそのままの状態(今)を完全に認めないといけない"

と、言ってるわけ

本来観察される側のありのままであるはずの自分が、"観察しよう"と
何らかの動きをしたら、おかしいからね

観察者が何らかの"自己"であってはおかしいわけ
なぜなら観察者は、自己とはまったく無関係のものだから

我々が出来ることは、ただありのままでいる自分に、
気付くということ
気付きとは、ただありのままの自分にパイプを突き刺すようなものなんだよ
そのパイプを通して見ているものこそ、真の観察者ということ

別の言い方をすれば、"お任せ"ということだよね
自分の感情思考を、自分でどうこうするのではなくて、そういうものは全く観察者に
影響を与えるものではないから、自分の感情思考を完全にお任せにしてしまう
もし少しでも観察思いがあったら、それは思考の働きになっちゃうよね

つまり、我々が少しも観察しようとしないで、ただありのままであることが、
真の観察に繋がるわけだ
我々がやることは、ただ気付きというパイプを刺すだけ

それで、問題になってくるのは、"思考を道具として使うことが可能になります" という部分の、
それを使う人は誰か?  ってことだよね

観察というのはわれわれの個我とは無縁のものであるから、それを使う人をもし"自分" というなら、
それは間違った答えになる

われわれは常に思考の側からしか語れないから、まるであたかも自分がしているような
"観察" という言葉は本来使えないんだよ
だからこそ、われわれはただありのままで、そこに介入しないことが必要だと言ってるわけ
0147神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 07:26:10.68ID:cNr3FLfP
>>145
>無我性の智慧で観るとは、その第一人者の学者先生が言う脱フュージョンという

無我性の智慧というのも変な表現だが智慧というのは無我であるということでいいか?
となると智慧は無常であり、無常であるから苦であり、苦であるから無我であるということだな。
そんな無常で苦である智慧で観た洞察智も無常であり苦であり無我なんだろ?
なんのアテにもできんて、その理屈じゃ。
0149神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 09:37:14.57ID:cNr3FLfP
>>148
その俺という観念を捨てることが必要なんだろ。
俺という観念は我がものではなく、我ではなく、我が本体でもない、だからそんなものに執着してはいけない。
0150神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 10:27:41.35ID:RbKNgF0f
意図しないのに幻聴が聞こえるのって
それこそ諸法無我なんじゃないの?
あらゆる概念が生じて滅しているんだから
ある意味で修行は進んでいると思う
それをただ観察すればいいんだよ
精神病なんて医者が勝手に作り出した胡散臭い分野だと俺は思う
0151神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 11:21:21.33ID:YZXMI0B9
エックハルトトールは言います

「さとり」とは、
「すべてはひとつであり、完全である」
という境地に至ることです。

これはつまり全てはブラフマン(=アートマン)であるという不二一元論を語っているのです。
0152神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 12:19:09.65ID:z4YubPqV
>>146
中国の創作思想に洗脳されてますよね
>そういうものは全く観察者に影響を与えるものではないから、
>自分の感情思考を完全にお任せにしてしまう
感情あるがまま、煩悩あるがまま、で、曹洞宗の僧侶は毎年犯罪者が生まれて
ます 智慧で観察することで、解脱しますという教えが仏教ですし  
あなたが抱く、すでに仏という思いで創られた創作思想の束縛から、まず解脱を
しないと、あるがまま、一時的無我夢中でいいという自我万歳教でしたらご自由に

道具として使うとは、例えば予約する、計画する、根拠を元に話す、事実を話す等
日常あなたは思考を使わないと、生活が成り立たないですよ
無思考主義でないのよ、、、仏典でも無思考でもなくと説かれてる
0154神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 12:38:27.59ID:z4YubPqV
>>152
智慧で観察するって書くとまた誤解されて揚げ足とり出てくるから、
観察する智慧の解脱と訂正しとくわ
0155神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 12:51:27.32ID:OrQaZpvS
なんでそこまで曹洞宗を憎むのかわからない?
何かされたの?
0156神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 13:02:41.82ID:cNr3FLfP
>>153
2号逃げるなよw
智慧というのは無我なのかそうでないのかそれだけでも答えよ、自分で書いた文章には責任取ってもらうからなw
0157神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 20:47:25.34ID:rbTjxrXc
なあ、マハーシ式ってヴィパッサナ―というより
サマタっぽくなるときないか?
やりかた間違ってんのかな
0158神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/27(土) 22:27:20.44ID:fu+PI3Jx
「アレンジ加えると変になるので、教本通りにやれ」

ってアドバイス貰ったのでその通りにしてる
0159神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 01:44:35.91ID:hNhkz376
>>152
仏教でもマインドフルネスでも、目指すところは思考の超越なんだよ

あなたは思考が無ければ生きていけないというが、
仏教はそういう主張じゃない
思考(分別・自我)こそ、苦の原因と言っているわけ

思考がなくは生きてはいけない、じゃなくて、思考があるから
真の自由を獲得できないんだよ

人間は無思考のときこそ、完璧な行動をとれる
たとえば、版画家の宗像志功が、「自分が掘ってるんじゃなくて、手が勝手に掘っている」 
というようなことを言っている。
一流のスポーツ選手でも似たような話があって、ファインプレーのときなど
体が勝手に動いているという人もいる

こういう何かに打ち込んでいる人達というのは、短い三昧に突入するようなことがあって、
その無思考状態のときにいい結果が出たりしてる

悟りの状態とは、行住坐臥、この三昧に浸りきった状態のことだよね
仏教やマインドフルネスの究極の目標はそこにあるんだよ

この自然な世界というのは、思考を挟まなくても、
すべてがうまくいくようになってる
老子の 「無為にして為さざる無し」 というのも、
そういうことを言ってるわけ

"日常あなたは思考を使わないと、生活が成り立たないですよ"

あなたの言ってることは単純に、考えることを止める、ということであって、
仏教でいうところの無分別 (無思考)とは違う

たとえば、歩いてる人がスポーツカーに乗り換えることと、
歩行を止めることは全く違う
完全な明け渡しがなければ、真の無思考(無分別)とは言えないわけ

もしも明け渡しがないのに無思考というのなら、それは思考状態の中で、
単に思考を弱めているだけで、本当に思考を脱したとはいえない
仏教的に思考(分別)というものを突き詰めていくと、
それは「無明」ということになるわけ
「我が在る」という感覚がある以上、それは思考状態にあると言ってもいい
0161神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 02:05:52.99ID:hNhkz376
>>152
煩悩あるがままで犯罪者が生まれるってのもおかしな話で、
仏教的にいう「煩悩」というのは、「欲」ということじゃなくて
我から生じる全てのもののことを言うわけ

煩悩ありのままというときは、それにタッチしないということであって、
煩悩から欲を切り取って、それを望むがままに出し
続けるってことじゃない
タッチしないということが即、「観察」ということになわるわけだ

煩悩ありのままの犯罪者というときは、それは思考の渦の中に
巻き込まれた状態であって、
仏教的にいう、真のありのままじゃないんだよね
なぜなら、思考に積極的に関わってるから

言葉のニュアンスで言えば、「出るものは仕方がない」 というニュアンスではなくて、
「積極的に出そう」 という状態だから

ありのままというのはある意味、放任ということなんだよ
放任というのは、出そうということでもなく、出すまいということでもない、
文字通り、無分別ということ

多くの犯罪者は、出そうという意思が働いてるでしょ?
0162神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 03:50:36.56ID:Fg9sGzXl
>多くの犯罪者は、出そうという意思が働いてるでしょ?

むしろ取り入れよう、自分のものにしようという意思が働いているのでは?
盗人でも詐欺でも
0163神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 07:25:25.49ID:aJLJS7qk
>>159
Sn.874「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、
想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
──このように理解した者の形態は消滅する。」

無思考であるという断定ではない(断定は限られ理由を添えてます)
某上座部長老も、私が152で書いたこと同様に著書で説いてます
診察も設計も事件捜査も科学者も思考を道具として使ってます

>思考(分別・自我)こそ、苦の原因と言っているわけ
いいえ、渇愛により苦が生じ(集諦)と、スッタにもダンマにもあります

>思考があるから真の自由を獲得できないんだよ
いいえ、我がものという囚われ、中国産の思考停止洗脳教にハマり過ぎ

>悟りの状態とは、行住坐臥、この三昧に浸りきった状態のことだよね
それは心解脱の修行半ばで、最終解脱は、集中三昧(そのものになる行)ではなく、
身、受、心、法の四処を観続けて住むことで解脱と説かれ、
作為的無思考は、濁りが沈殿するだけで、再度濁り、サティの実践によって濾過される
上座部の瞑想実践の解説書に、最後の方で非同一化の洞察智の体得がある
無思考ではなく、思考含む対象と自己の非同一化が徹底され、ただ注意を払い観察して
いる状態、これが自由で平安で心の最高の状態と説かれている
悟りは無分別無思考ですというのは、四句分別に該当し、仏典において排している
貴方は、無分別の悟り思想に固執し自我構築させ、思考分別してレスしている滑稽な
人になってますよ
0164神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 08:46:49.16ID:mIQ7f4I1
みんな解脱もしてない癖によくしったかぶってペラペラ喋るもんだわww
0166神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 22:57:05.74ID:hNhkz376
>>163
まず、仏教の基本は四方印であって、一切皆苦の「一切」とは、我を通して行う
全てのことを言うんだよ
我を通して行われるものは、全て苦だと言ってるわけ
そして、思考(価値判断)というのは、我そのものなわけ

渇愛というのは思考の働きを細かく説明したものであって、
自我思考の働きが、渇愛と言ってもいいわけ

「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、
想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
──このように理解した者の形態は消滅する。」

というのは、上でも言っている通り、自分の我に対して
一切タッチしないってこと
二元相対分別、価値判断を持ち込まない
それが「ありのまま」ということなんだよ
ありのままに思おうと、自我思考が働いてるわけじゃない

つまり仏教の言いたいのは、仏教の目指すべき場所と、
思考は全く関係ないってこと
あなたはこれがわからないから、仏教の目指す境地を
「作為的無思考」などと勘違いする

何度も言うように、意図的に思考を止めるんじゃなくて、そういう境地というのは
思考とは無縁のものだから、それを殊更どうこうしようってことじゃなくて
それはそのままに、気付きへ意識をシフトしていこう〜、ってことなの

気付きへ意識がシフトすれば、その分、思考が減るわけだ
それが最終的に気付き100%になれば、
思考する余地はなくなるよね
この道理がわからなければ、マインドフルネスをやる意味はないよ
0167神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/28(日) 23:21:28.19ID:hNhkz376
>>166
「思考含む対象と自己の非同一化が徹底され、ただ注意を払い観察して
いる状態、これが自由で平安で心の最高の状態」

まさにこれ

「思考含む対象と自己の非同一化が徹底され・・・・」

この部分は言葉が間違ってる

思考を含む対象というのがまさに「自己」であり、
観察者jというのは「自己」じゃないんだよ
上の文章だとあたかも、「自己」が観察の主体になっている
こういう考え方が、自己の力で思考を停止
させようってことにつながるんだよ

自分が思考を観察するって、どう考えてもおかしいでしょ?
観察を自分でしようとしている限り、その観察は
思考でやってることになるんだよ

正しい言葉に訂正すると、

「思考含む対象としての自己と、観察者との非同一化が徹底され、
ただありのままの自己を観察している状態 」   ということ

「ただ注意を払い観察している状態」 というのもすごくおかしな文章で、
注意を払ううというのは、まさに思考の働きなんだよ

この人の言っていることは、「思考の力で自己が自己を観察し、
自己との非同一化が徹底される」 という、珍妙なことを言っていることになる。

しかし、この人の言わんとしていることを理解するとすれば、
「注意を払う」というのがまさに、「気付き」ということだよね

この人は、「気付き」と「観察」を混同している
「気付き」は自己が主体とも言えるが、「観察」の主体が
自己であってはならない

あなたは無思考を批判しながら、「思考との非同一化を徹底する」 などという文章を引っ張りだしてきて、
しかも、その文章の中でも、「注意を払い観察する」 などと、思考の働きを容認しちゃってる

こういう人はよく見かける
物事の本質がわかっていないのに、ただ表面上の知識だけが肥大化した状態
だから言ってることが矛盾だらけになる
知識が分かっているからと、中身まで分かっていると錯覚している
だから、自分の言葉で語り始めると、途端にボロが出る
一貫した話が出来ないからだ
0168神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/29(月) 00:11:50.97ID:xoMKaSYR
横から失礼。

一法庵の山下良道師のPodcastを聴いてみると良いかもしれない。
藤田一照師と瞑想を嗜む哲学者の永井均氏もしかり。
ここで議論されているテーマについて実体験に基づいて論じている人達だから。
四禅の禅定に入ってヴィパッサナーを出来た人がいれば良いんだけどね。

私はまだ初禅にも入れてないけどさ。
まぁ、でも観察してみるだけでも心身ギアが噛み合ったかのように違う領域に飛んで、
見えなかったものが見えることはあるね。
自我での領域のことだとは分かっているよ。
それでも、心の縛りは軽減していく。
私には師と仰ぐ方がいるので、その方に話を聴いて頂いて指導を仰ぎますよ。
ではでは。
0170神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/29(月) 00:35:30.15ID:xoMKaSYR
168だけど、藤田師と永井氏はPodcast配信はしてない。
ちょっと誤解されかねない書き方だったので。
永井氏はツィッターならやっていて見られるけど。
気付きは自我だという論も分かりますよ。
でも、山下師や永井氏、藤田師が述べる気付きについて触れてみてほしいなと思いますね。
0171神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/29(月) 07:26:34.50ID:TIFk45KW
>>166-167
>まさにこれ
最後はこちらの主張に沿う方向で正当化して、肝心なことはまた避け
て、所々で混同していて読解力なく否定してきますね

>上の文章だとあたかも、「自己」が観察の主体になっている
前の方の139で私→対象の私を含めと書いたよ
表現が拙い文と書きなおしている文章に、目新しい内容はないし
例えば根拠を元に思考を使っていても非同一化は、成り立つ
で、前の方にも書いたけど、
例えば、根拠に元づいて話す、予約する、旅行を計画する、金銭管理する、
捜査して犯人を特定する、医師が診断する、、etc
これらは思考を使っていることで、人間の生活が成り立っていることは
否定しないわけでしょ?
貴方は159で、この世界は、思考しなくても、すべてがうまくいくと書き、
人間は無思考こそ、完璧であると主張したんだよ
その時点でもう思想に執着して束縛された自我に気づいてないが、
これ中国思想家の創作思想なんで、貴方がそれに沿って書いてくることは
すでに分かっているの
で、不二、一元論の問題は、智慧で説かれた道徳が成り立たなくなるわけ
仏典で智慧と道徳の関係性が深いことが説かれている
善法と不善法、そして古層仏典の釈迦は、解脱、悟りに役立つ教えと、
そうでないもの、また利益となる教えと有害となる教えを※分別していた
それは択法覚支、智慧によって、ものごとの正邪真偽を実際に※判別していた
自利と利他、道徳の説法も無思考でどう説けるの
ならブッダの慈悲の説法は、中国産の無情を目指した無思考から、どのように
生まれるのか説明してほしい
無思考化で二元相対分別と否定するのは、それら教えがどう成り立たつの
0172神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/29(月) 19:04:47.18ID:slXjsCS6
>>171
あなたは>>163で既に論理破綻をしているので、
もはや議論にならない

そして、人を中傷しながら自分の理屈をゴリ押しするところが、
非常に悪質

人の文章を拙いと言っているが、これは非常に失礼だよ
あなたは文章というか、思考方法が非常に拙いんだよ
経験と洞察力が足りなくて、しかも論理展開がまるでデタラメ
これではもう話にならない
0173神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/29(月) 20:04:02.03ID:slXjsCS6
>>171
ちなみにあなたは、>>139で「無我非我性のある智慧で観るわけです」
と言ってるわけだよね?

あなたは浅はかにも、「無我非我性のある知恵」を、
思考の働きと思ってるわけだ

もしも思考じゃないとすれば、「思考なくしては何も出来ない」という
あなたの主張と相反するからね
矛盾することになる

「無我非我性のある智慧」は思考の働きとか、子供でも
間違ってることがわかるだろ
論理破綻もはなはだしいわ
0174神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/30(火) 00:06:08.49ID:VRPOYX6c
>>172-173
拙いは、私が書いた文の表現のことだよ
妄想、雑念、主観、感情等からでない、171にも書いた有効な思考が
あるってこと、これは某上座部長老さんも説いている
すべての思考がダメと貴方が妄執しているからね

>無我非我性のある智慧
こういうのも、著名な上座部僧が説く表現の引用だけどね
主観、心のフィルターの思いでなく、そういったバイアス等の
影響を受けずに、解釈せず観る知る、って書いてもいいが
0175神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/30(火) 05:08:20.07ID:7eTv7o8l
>>174
>主観、心のフィルターの思いでなく、そういったバイアス等の
>影響を受けずに、解釈せず観る知る

これは無分別ということであって、この時の 「観る知る」 というのは
自分であってはならないよ
なぜなら、「観る知る」 の主体が自分であったら
分別が働いてることになるから

主観、心のフィルターを通さずに、自分が 「観る知る」 
ということは不可能
もし、主観のフィルターを通さずに 「観る知る」 が出来たとするならば
それをしているのは自分じゃない
ましてや、自分の思考でもない
その 「観る知る」 の主体はまさに、「観察者」ということだよ

「無我非我性のある智慧 」 というのも、自分の智慧じゃない
仏教的に言うと、「仏の智慧」 ということ

この場合の「仏」と「観察者」はイコールだよ
0176神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/30(火) 09:06:47.03ID:5NvdfkWw
一・二 ヨーガとは心のはたらき(チッタ)を止滅することである。

一・三 心のはたらきが止滅された時には、純粋観照者たる真我(プルシャ)は自己本来の態にとどまることになる。

仏の智慧とは真我のことである
0179神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/30(火) 18:44:28.26ID:4Sl/HIfl
純粋鑑賞者たるプルシャ
完全観察主体たるアートマン

ヒンドゥー教の方が仏教よりもこういうのを想定しているから分かりやすいよな
あとは己のプルシャやアートマンを信じればいい
0180神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/31(水) 12:11:10.30ID:ez9l+k5P
観察と思考については永井均氏のツィートを読むと良いかもしれない。
最近ちょうどそれをテーマにツィートをしていたんだよね。
エックハルト・トールの思考論をぶった斬ってます。
0181神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/31(水) 14:45:03.45ID:4heQxd7Z
ぶった切ってるも何も、経験の無いものが自分勝手に頭で屁理屈をこねて、
否定しているにすぎない
0184神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 01:39:18.71ID:fPgoNRfy
>>182
瞑想の経験ではなくて、瞑想で何を経験したかが重要なんだよ

瞑想を一日10時間やったって、それは瞑想の経験であって
何かを得た経験じゃないってこと
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 06:33:39.28ID:IYcFL2vn
自分以外の人間がマインドフルネスを語るのが許せないんだね
かわいそうに
0186神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 07:21:26.44ID:yf5j0NPN
迷いがあるから悟りもある。
迷いがなくてどうして悟りがあろうか?
迷いを離れて悟りなし。
悟りを離れて迷いなし。
それ故悟りに執着することも修行の妨げなのだ。
(法句経)
0187神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 08:40:48.50ID:fbs5rrSb
ブッダの瞑想にのめりこんでから、メールとか全く来なくなったなあ。
静かで良いけど、少し寂しい時もある。
0189神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 11:39:32.63ID:GOIHRs2T
>>184
仏教3.0を哲学するを読んでみたら?
そんなレベルの方じゃないから。
あなたが永井氏を知らないだけ。
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 11:45:53.66ID:GOIHRs2T
時間は存在しない。
これを理屈手はなく体験している人。>永井氏
0191神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 15:35:05.35ID:CmS4E8cT
“私たちは、永遠不滅で形の無いプルシャ(意識、気づき)と、
プラクリティ(根本的物質)の生み出した心(チッタ)とを一体化してしまう傾向にある。
ここにすべての苦の原因がある。
この一体化を離れ、プルシャのみが独立し、心のはたらきが止滅した状態が
ヨーガの目的であるサマーディと呼ばれるものである。”
0192神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 18:11:01.69ID:zRuYlKUM
永井さん調べてみたけど 言葉が多すぎるわ〜 ところでヴィパサナで議論って成り立つかね? 強いて言えば集中力が続かない時の工夫とか 行き詰まった時の観察対象の転換とか 微細な感覚の話とかぐらいじゃない?
1日3時間以上 1ヶ月やれば誰でも小悟ぐらいはすると
思うんだけど? ただやるだけだよね? 文字を読んでる
足に痒み 嫌な思い出思い出して消えた とか 延々やるだけのことでしょ?
0193神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 19:45:27.13ID:fPgoNRfy
>>189
もういいかげんにしてほしい

あなたの見識は非常に低いレベルだし、そのレベルでは
ある特定以上のレベルはわからない

あなたの中ではあなたのレベルが天井であり、それ以上は理解できない世界で
イコール、あなたの中では低レベルと判断されてしまう

目の前にある相手の足だけを見て、相手の身長が理解できないからと、
自分より低いと勝手に決めつけちゃう
そして、自分の目に見える範囲の高いものを、
レベルが高いと思っちゃう

あまりにも自分の判断が正しいと思いすぎ
こういう思い込みをする人は、全体が理解できない人に多い
自分の見える範囲が一番正しくて、自分の見えない範囲は
ずべて間違ってると判断する
中身が理解できないから、相手の肩書で判断するしかない
肩書が良ければ、中身も良いと判断しちゃう
自分自身の頭で判断することができない

自分の低いレベルの世界観ですべてを判断して、あの人は素晴らしい、あの人は間違ってる、
という自分の主観的な判断を、絶対的なように扱って、ろくに中身も理解できないまま
断定したり、議論のようなことをしたりしてはいけないよ

正しいというならそれなりの、自分の頭で考えた立証が必要だし
それも出来ないまま、わからないまま、自分はあの人が正しいと思ってる、
あの人はこういう肩書を持ってる、あの人はこういうことをやってる、じゃあ
話しにならないよ
それじゃ、アイドルに憧れてる人がその価値観を
他人に押し付けてるのと同じだ。
0194神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/01(木) 19:53:26.06ID:68HfmuyM
>>193
そう思いたければどうぞ。
私はあなたが思うような判断はしていないし、
私なりに永井氏の経験と語られてきた言葉を追ってきた。
私は私の信じた道を歩むし、信じた指導者による指導についていく。
それだけ。
じゃあね。
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 01:01:29.68ID:4ywP95BK
本当のヴィパッサナー瞑想は四禅の禅定に入らないとできないんだよ。
巷でヴィパッサナー瞑想と謳われている観察方は四界分別観という瞑想に分類されるらしい。
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 08:53:51.27ID:SgWoATlj
瞑想の時は雑念が湧かないようにと外界から心を固く閉ざす人もいますがこれは余計に心の中の意識を呼び起こし雑念を湧かせます。
逆に心身を大自然に開放し大自然と一体になると雑念が湧きません。
理想は塩で作った人形が大海に溶けてなくなるように自分は宇宙のエッセンスで出来てることを見極め宇宙に溶け込むことです。
宇宙を貫く法則と個人を貫く法則が一如であると観ずることが出来ればその時解脱しています。
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 15:22:10.33ID:9zpLFw2a
>>187
他の人と同じような社会生活を送りたいがために瞑想を始めたのに
瞑想すればするほど社会から厭離していく傾向はあるよねw
0198神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 19:30:20.88ID:jKpnJKEp
>>195
中部10経、長部22経くらい読んでないのかな
増支部経にも、三パターンあるって説かれてる
九次第定の四禅定と八正道の正定 (四禅定)の内容が異なる

なんか最近読んでると、固執して主義になることでいいのかな
この瞑想法こそ正しいと、上座部でも流派があって、異なる方法どうしで
言いあいあるし
0199神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 19:32:39.98ID:jKpnJKEp
>>196
またヒンドゥー化の大拙乗がドヤ顔で出てきたか
それならヘーゲル哲学の同一性の話でも十分でしょ
0200神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 19:34:38.20ID:jKpnJKEp
>>197
犀の角のように独り歩めは、孤立主義になることでないと某長老が説明してる
けど、在家がマネしたら反社会的とまで言ってるよね(笑)
瞑想にのめり込んで人が離れていったら、小乗と蔑称されるのも無理もない
逆に自分は人から親しまれたり、人間関係がうまくいくようになった
そして以前までの苦悩が消失した 瞑想だけでない知的準備が必要と確信してる
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