悟ったかもしれんのだけど、何か質問ある? [無断転載禁止]©2ch.net
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プチ悟りみたいな感じなんだけど、他にプチ悟った人いる? 書き込むの初めてなので、何から話して良いかもわからない。
きっとなんか話さないといけないのかな。
わたしみたいになってるひと、増えてきてると思うんだけど。 >>3
ありがとうございます。
ある日胸が開いて、
多分一部だと思うけど、宇宙の仕組みみたいなのが、急に分かるようになってしまいました。 胸が開いたとは、どういう感覚ですか?
本当に胸が開いた感覚?観音開きのように 胸が開いたとき、そこから何かを吸い込んだり吐き出したりしましたか? >>6途中ですみません。笑
突然 文字通り、真ん中辺から観音開きみたいにバリッと割れました。 割れて、真ん中から、何か質量のあるものが、右回転で出てきました。
これが1回目 >>8
2回目に開いたとき、物質の大元みたいなものが呼吸のリズムで出入りしていたのがわかりました。 2回目は開いた胸の中、、心臓辺りかな、、その辺りが雑巾を絞ったみたいな形になってて、そこが捻れをとるよう感じで開いて、細い管?みたいなのがあり、そこをとおり抜けると、銀河がありました。 私達人間の胸がポータルになっているようで、物質の大元みたいなものが胸を通じて、この世界を作っているようです。
そして、私達人間が大元の世界とこの世界を繋ぐ蝶番みたいになってます。
聖杯のシンボルとか、この形を示してる 各人の胸が大元の宇宙に繋がっているので、
私達人間の世界は、人々がその質量を使って共同で創造しているようです。 >>16
3回目は無くて、むしろ常にその状態に近いという感じです。 そうゆう世界に興味があって
何らかの勉強とかしてたんでしょうか? 2回目に開いた後、いわゆるエクスタシィという状態が3ヶ月ぐらい続き、
今まで見ていた世界が全部ひっくり返って見えました。
例えば、大が小になり、小が大になるという風に。
今まで大きいと思っていた高層ビルなんかが、小さく感じるといった感じですかね。
伝わるかなー。文才なくてすみません。 >>19
そうですね。頭があまり良くないので、勉強したといってもよくわかってなかったです。というか、頭に残ってない感じ。 もちろんこういった分野に興味があったのですが、全くわからなかったのが、急に分かるようになっていました。
何の話をしているかがわかる。 だけど、自分が思っていた悟りってもっと光がパー!と見えて、、みたいなイメージだったので、ちょっと地味だし、なんてゆうか、季節が変わるような感じで、自然に”わかっちゃった”感がある。 普通に今人間が神様と思ってるような見えない存在は、ヒトのことみたい。
神話の世界もヒトのことみたい。 人間が見てる世界が内在で、大元の世界が外在で、その接点が人間。
世界があるから人間がいるんじゃなく、人間がいるから世界かある。
意味不明だよねー。。
で、物語は内在にしか存在してない。 私も悟りを体験したくて瞑想したり
動画や本見たりしだしてから1年位に
なるけど…
うらやましいです これをやったから悟れるとか無くて
やっぱり偶然とか運なのかな? で、人間はこれから、わたしがわかったようなことを分かるようになる人と、ますます内在に沈み込む人に分かれるみたいだけど、
それは単なる宇宙を作ってる仕組みのせいみたい。 その様な状態になって、どれくらいですか?
後、伝えたい事とかありますか >>26
胸にポイントがあるので、自分の本心を感じていく延長線にあるから。”求めよ。さらば与えられん。叩け、さらば開かれん”はこのことです。 >>27
んー偶然と言うより、自分を見つめることをやり続けていた積み重ねに、強烈な感情を引き起こすショックみたいなのが重なると、パクっと開くみたいです。 >>1に質問
意地悪な質問するねw
人間界はなぜ争い事が多いのか? >>29
2013年あたりから徐々に始まっていたみたいで、2回目の胸が開いたのがひとつの分岐だとしたら 2年ぐらいですかね。 >>29
伝えたいのは、内在に閉じ込められてることに気づいて!ということと、今の苦しみや悲しみは内在だけのことで、そんなのが影響ない世界があるよ、ということ。そこに本体があるから、思い出して、、って感じです。 >>32
大丈夫。
原因は人間界ではなく、人間が神様だと思ってる世界の仕組みが影響しています。 ん?質問の意図にそぐわない返事が返ってきたねw
ところで、あなた何教? >>37
特定の宗教はないですね。
質問の意図にそぐわなかったですか??笑 >>39
「大丈夫」ときたからね・・・・・w
ではなぜそのような考えを持つようになったのですか?
なんかの本の影響?
それとも占い師とかの影響かな? ああ、大丈夫は、意地悪な質問するね、に掛かってます。 >>40
考えを持つといったことではないです。
わかってしまったので、としか言いようがない。 なんか一二三神示なんか読んでそうな雰囲気がありますね。 >>36
でもいい線言っているかもしれませんよw
発想的に。 >>43
ああ、わかっちゃってから、読んだら、わけわからなかったのが、わかるようになりました。全部じゃないけど。 神や天使の存在は否定しないみたいだね>>1さんは。 良い宇宙人と悪い宇宙人に詳しく解説してあるみたいだけどね「一二三神示」は・・・・
だけどあの予言(予定)は起らないよw
その代近じか人類は滅びる、それとYHWH(Jaohkiel)をはじめとした天使達も消えちゃうw
原因は彼ら自身にあるのよ。 >>49
訂正
>YHWH(Jaohkiel)
YHWH(Japhkiel) この世のシステムを作ったJaphkielが一番の悪党w
そのシステムはカニバリズム。 >>52
違いががわからないけど、お父様ですよね。
1人神の。 >>54
そうです。
一神教ではねw
通称:ヤーウェ(YHWH)。
本名、座天使Japhkiel グノーシス主義ではJaphkielのことをデミウルゴスと悪党の親玉認定しています。 >>56
デミウルゴスって聞いたことあります。知識が増えました。 では、話は戻りますが天使達(人間)はなにが原因で争ってるのでしょうか? >>53
弱肉強食システムの大元がカニバリズムということですか >>10
おお!同じだ同じだ!
>>11
ああっ それは私には起きなかった。
もちろん、宇宙の仕組みはわかってない。
>>12
うん、出入りは、あったんだね、私もあった。
でも、物質の大本と感じてはいなかった。
ただ、目の前にいる対象を吸い込んだり吐き出したりしてた。
ああ、私は胸が開いたけど、少し事情が有って、ありのままをありのままに感じることができなかったから
閉じてしまったのかも >>58
天使達を生み出したシステムがあるからです。
そのシステムがどうして出来たのかはわかりません。 >>60
わあ、やっぱり同じ人いますよね!嬉しいです。2回目の貫通があってから、わかるようになりました。 >>31
同じです!
私も愛情面でのショックがきっかけで開きました。
今から死ぬペットを抱いていた時に開いたんですよ。
そして、その抱いている死ぬ前のペットを胸から吸ったり吐いたりしてました。
私の場合はその時の一回だけです。
・・・1さんは、一回目と2回目の間の期間はどれぐらいでしたか? >>60
その出たり入ったりしてるルートと同じ場所で、違う次元?に抜けるところがあるんです。 >>63
わたしも実は家族の死がきっかけです!
どうも生き死にの際に、橋がかかるのかも知れないですね。ちなみに2回目はそれから半年ぐらいだったように思います。 >>64
そうなんですか。
んーーーーーーー
2回目が私にあるかないかもわからないし、そのルートとせっかく教えてもらったけど、もう解らないですねぇ
2回目はどんなきっかけで開きましたか? >>59
結果的にそうなったのです。
大元は結局天使達のお互いどうやって使役し合うかが原因です。
>>61
もともとは天使達は形を持たない化け物です。
どうやってお互いどうやって隷属的にするか争っているうちに知恵が付き天使達となったのでしょう。 どうやら皆さん霊感が強そうな方ばかりなのでしょう・・・
霊感は否定しませんが、騙されちゃうから気を付けてください。
ちなみにこの世は天使達の創造(想像力)によって出来ています。 >>65
>生き死にの際
うわ、心当たりがあります。
祖父が死ぬ前日の朝(当日だったかも)特大の丹光が見えたのを覚えています。
それが2014年の12月
胸が開いたのは2015年の11月(ペットの死)
その後、丹光に関しては徐々に見える回数が増え、今では週に3〜5回薄ぼんやりしたものを見ています。
胸が開くことは一回きりで後は無いです。 >>66
2回目は、突然始まりました。もしかしたら何らかの存在の干渉があったのかもしれません。が、精神的には敏感な状態ではありました。 >>68
その通りです。
その区別がつくようになったのです。 >>68
ありがたいことに・・というべきか、今のところ私に話しかけてくるような存在はいません・・
でも、なんか変なことは感じたり思ったりするようになっては来てます。
キチガイの妄想的な事なので、どこかで言ったりはしてないのですが >>67
ああ、なんてゆうか、実体を持たない存在で、命ではない存在のことですよね。人間に寄生する存在。 悪霊が大半だと思ってください・・・
良い霊は一人だけですがそれはイエスやヤーウェでは決してありません。 変なこと質問します。
みなさんが、宗教に入っているかどうかはお聞きしませんが、祈ったりはしますか?
瞑想とは別に、祈るという行為です。 肉体の命と霊の命(私は意識体と呼んでいる)とがあります。
聖書の黙示録に第二の死という記述がされていますがあれが意識体の事実上の死ということになります。 >>72
そういった存在が操れるのは頭だけです。
胸は操れません。良心と愛をナビゲーターにしていれば仮に影響を受けたとしても、乗っとられはしないです。 昔は私も悪霊体験が切欠でキリスト教徒に入信していましたがそのときは祈っていました。
ですが、その祈りの対象が悪魔と分かったので棄教し今は祈っていません。 >>78
胸が開くとは、そうゆうことなんですよね^_^
知識とか霊感とか関係ないです。 すんません、聞きたいことがいろいろあるのです。
キチガイじみた話をするかもしれませんが、もし狂ったことを言ってるようならそう言ってください。
天使、という言葉が出ましたが、天狗系ってありますか? >>76
わたし的に申し上げると、自我の死、です。 悪霊は自分が思っていないことを直接脳に影響をを呼ぼしてくるのです。
統合失調症の原因はまさにそれにあるのではないでしょうか。
悪霊と善霊が区別できれば大したもんです。 >>82
表現が違うんじゃないかな?
ただ、天狗系というのは何の宗教か存じませんが神学的に体系があいまいなのでそのような思想はやめた方が良いみたいですよ。 >>82
きっとメタトロンさんの方が正確に説明できると思いますが、人間が想像できるものは全てあります。ただし、実体ではないです。 >>85
はい。よくうとうとしているときに起きます。
危ないなあと思ったら無理やり気合で起きて脱出します。 >>85
いわゆる霊感みたいな感じではないですが、感じ取れることはあります。 >>80
最近はこれといって祈りに内容はありません。
自分の生きていく指針について、ただ心を静めて自分がニュートラルになる感覚を引き出そうとしてるだけです。
最近はそんな感じなのですが、自分の生き方の目標に向かっていけるように、以前は強く願っていました。
「祈り」といっても昔と今ではやってることが正反対なので・・
そうですね、まずは「強い願いを持って、自分の生き方の目標に向かっていけるよう宣言と手助けを願う」
こういうタイプの祈りについて質問します。
こういう形での祈りをしたことはありますか? 悪霊が、善霊が、という世界は内在ですよ。
外在は二元を超越しています。
全て意識の位置です。 >>87
そうだしょう。
初めの一回目でその肉の命が受け継がれて今に至ります。
それを被造物と言います。
ちなみに被造物は生き物だけを指すのではありません。
鉱物、や土、水などの物質も被造物といいます。 >>86
>表現の違い >体系が曖昧
龍とか鳥とか、私も何もきちんと分かってることはないんです。
わかりました、この考えは気にしないことにします。 >>94
エネルギーの形だとぐらいに考えてたらよいと思います。 >>91
面白い人だねw
グノーシス主義みたい。
命(霊)の構造はこうなっています。
何もないとところに意識だけが存在するところそれが霊界。
意識体は物理的表現をするならそれぞれが波動(振動数が違う意識体)となる。
それが創造(想像)しこの時間軸に比例した三次元の世界を作っているのです。 >>96
わかりました
どうも相性があるみたいなのですが、エネルギーの種類?の名前、ぐらいに思っておけばいいでしょうか? >>98
ちゃんと勉強していないので、グノーシス主義と似てるかわかんないのですが、そうなんですね。きちんとした説明ありがとうございます。 残念ながらそれは難しいね。
それは人間だからです。
使えたら魔物(悪魔)になっちゃうw >>100
それぐらいで良いと思います。
それより、ご自分の心の奥を意識されたほうが良いと思いますよ^_^ >>99
厳密にいうと、人間は、無意識的に目に見えない力を使ってはいるのですが、私欲のために意図的に使うのは黒魔術になります。 >>105
その気がないのに、ガンガン進めてくれるんですけど。 >>107
使えますよ。
霊体から特定の人からカニバリズムでよいところを抜き取る。
とられた人は努力が失われます。
それをやると必ず地獄行きとなります。 >>109
普通に宝くじとか進めて来るよ。
あとは言ったら引くレベルw 肉や野菜を食べていい代わりに抜き取る行為・・・・
これこそがカニバリズムの真骨頂。
肉を切らせて骨を断つやり口。
このシステムを作ったのがにっくきヤフキエル。 >>110
私の知ってるものは、すごくフレンドリーですよ。
全も悪も知りなさいって感じです。 堕天使だけでなく天使もやる。
下級天使ほどカニバリズムの回数が多い。 >>110
それをカニバリズムと表現されてるのですね。理解しました。 もはや天使も堕天使も区別つkないからね・・・・このご時世。
ただこれだけは言っておく。
最高天使が至高の存在なのに対しだんだんと大天使、天使、堕天使と階級が落ちていくにつれて能力が低く醜悪極まりなくなる。 >>112
何を勧めてんだwwww
すいもあまいも知れよ〜って感じで?笑 ちょwwやめてくれw
なんでそんなネガティブなことを言ってくれるんだよw
普通に楽しんでますし、そして全力で守ってくれるって言ってくれているから
それを信じたい。 カニbリズム自体の意味は一般的には共食いとされています。
また、臓器移植なんかもカニバリズムと表現します。露骨な表現をするなら。
天使たちの命のやり取りをカニバリズムと表現もできますよね。 何度もすみません。
>>80
あなた自身はあなたの方法で、祈ることはありますか?
あるとしたら、どういう祈りをしていますか? そろそろ寝ますね・・・・
ではまた。
ここのスレ面白いねw >>118
なんかもう茶化しあいなんて日常茶飯事なんで。 >>122
ありがとうございました!おやすみなさい^_^ >>122
おやすみなさい
祈りが 通じた と感じた瞬間って、ありますか? >>121
あえていうと、天意に添いますように。って感じかな。神のみ心のままに…的な。 >>127
何度もですか!
>>128
了解しました。 いつか会って話をしてあげたいなー
ここじゃ言えないことがありすぎてw >>131
聞きたい!
メールアドレス公開しよか!笑 >>132
私が昔していた祈りと今の祈りは正反対、と書きましたが、さっきは昔の祈りについて聞こうとしました。
それで、今の自分の祈りや心にあるものと、1さんのものとは共通点はあるのかと思いまして
あと、「通じた」という感覚を私は持ったことが数回だけあるのですが、それについて聞こうと思いました。
どこに通じたのかと。
ただ、私が祈って「通じた」という感覚を持ったのは、昔の祈りのときの話です。
今はただ自己を見ようとしてるだけで、特に何かに語りかけているということは無いんです。
それで、どう質問したらよいかと考えていました >>137
ありがとう。おやすみなさい^_^
明日また祈りの話にコメントしますね^_^ Donald J. Trump ドナルド・トランプ
https://twitter.com/realDonaldTrump/status/825721153142521858
Christians in the Middle-East have been executed in large numbers. We cannot allow this horror to continue!
中東のキリスト教徒がたくさん処刑された。我々はこの惨事が続くことを許せない!
聖クルアーン 5. 食卓(アル・マーイダ) 51節
http://www.way-to-allah.com/jp/quran/5.htm#51
あなたがた信仰する者よ,ユダヤ人やキリスト教徒を,仲間としてはならない。
かれらは互いに友である。あなたがたの中誰でも,かれらを仲間とする者は,かれらの同類である。
アッラーは決して不義の民を御導きになられない。
真正ハディース サヒーフ・ムスリム
モスクと礼拝場所の書 モスクを基の上に建てること、そこに絵をかかげること、また霊廟をモスクとして使用すること等は禁じられていること
http://hadith.main.jp/vol1-359.html
アブー・フライラはアッラーの使徒が次のようにいったとして伝えている
「預言者の墓を礼拝堂にしたキリスト教徒やユダヤ教徒にアッラーの呪あれ」
懺悔の書 殺人者の懺悔を受け入れることについて
http://hadith.main.jp/vol3-647.html
アブー・ムーサーは伝えている
アッラーのみ使いは言われた。
「復活の日が来ると、アッラーは全てのムスリムに対し、ユダヤ教徒やキリスト教徒を一人づつひきわたし、
“これが業火から、あなたを守るための身代りになる”といわれる(注)」
(注)ユダヤ教徒とキリスト教徒は、彼らの誤まった信仰故に、業火に投げ込まれる故、その分だけムスリムが天国に入る余地が多くなる意
聖戦と軍事遠征の書 アラビア半島からユダヤ人とキリスト教徒を追放する
http://hadith.main.jp/vol2-804.html
ウマル・ビン・ハッターブはアッラーの使徒が次のように語ったとして伝えている
私は必ずユダヤ教徒とキリスト教徒をアラビア半島から追放する。
そしてムスリム以外はそこに残さない。 >>136
おはようございます。
なんとなく仰りたいことがわかりました。精神的に昔より成長されてるでしょうから、祈り方も変わられたのに応じて、通じ方も変化しているんだと思います。 >>136
昔の通じたというのは、幼き自我に対しての高次の自分が応じたとも言えるし、内面的にいうと守護霊とかが祈りを叶えたということもあると思います。 >>136
今は私もあなたのように、自己を見てるだけで、特に具体的に祈ることは殆どないです。起こることは適切だと知っているから。だから、もし何かを変えたいときは、まず自我の内面の信念体系を調べます。原因の信念体系を見つけたら、固定を解いて、流動的なものにします。 祈りって話は興味深いけど
祈りってつまりは現状に対する不満って事だよね?
キリスト教とかでは違うのかな? 何もしなくていいなら楽チンなんだ😊🙏
ポテチ食べながら悟り開きます!ウオオオ😠 >>145
そうですね。ただ子この成長を祈るだとか、友人の幸せを祈る、といった祈りは、現状に対する不満が要因ではないですよね。 >>147
キリスト教では自分のために祈るのはダメな感じなんですか? >>146
1です。ポテチ食べてても何してもしなくても行為そのものはあんまり関係ないと思いますが、
けど、自分を見つめる必要は例外を除いてあると思います。 >>149
たまにあるんだ😌
ぼーっとして頭の中でいろんなことが結びつけられていくんだ☺️
その延長線上にあるのけ🤔? >>151
いんや。頭の中で結びつけられるねは妄想がほとんどだよ。胸に聞いてみな!の胸の声を聞くことの延長線上。 >>150
キリスト教じゃなくてもいいですけど、あなたは自分のために祈る事に反対ですか?それとも問題ない、というか良いという立場でしょうか? >>153
反対するということはありません。
成熟してくると、自分の為に祈る必要が自然となくなってきます。 >>154
悲しいときとか切ないときはどこで感じてますか? >>156
こみあげる気持ちの事け☺️
それならわかるんだ💪😠
あったかい気持ちになるんだ😢🙏
それを深く感じ取ればいいんだ😤
きっとそういう事なんだ😉👉 >>158
最初から読んだ? ざっくりいうと宇宙の仕組みって感じかなあ。 >>161
それがわかって何か良いことありましたか?
変わった事はありました? >>140 >>141 >>142
返事ありがとうございます。
その昔「通じた」と感じたところと、今私の周りにいてくれてそうな存在とは、どうやら出処が違うのではないかと感じています。
今の生活で、もちろん面倒なことやストレスはあるにしても、それで何苦しんでいるということはないので、昔のような祈りをすることはなくなったのですが あと、さらに質問してすみません。
胸が開いたように、頭が開いたことはありますか?
私は一応、これも一回だけあります。胸が開くよりも前に頭が開いています。
でも、何も悟れませんでしたが。
体感的な感覚(頭や胸が開く等)は起きてるのに、あんまり精神面で得ることができなかった人の方が、世の中には多いのかもしれません。
私を含めそういう人たちは一時の体感異常として片付けて日常に戻ります。・・ほかのみなさんも、時間が経てば少しずつ変化はあるとは思いますが
心の準備や成長と合致したタイミングで開いた人しか、悟りを得ることはないのかもしれませんね?
私は頭が開いた時も、初めての丹光(最初だけなんかすごいのを見た)、そういう現象があることすら知らずにいて、しかも仕事中になったりして、もったいなくも起きたことをきちんと確かめることができませんでした。
ただ、こういう体験が起きてから、瞑想や祈り、またはこういうスレを覗くようにはなりました。
これも変化といえば変化ではあります。
私の頭はまだまだ騒がしく、もっと胸や心の芯からくるものをきちんとつかめるようになるかどうかもまだ分かりません。
少しずつでも色々と理解できるようになりたいと思っています。
しばらくスレを読んで勉強させてくださいね。 >>162
良いこととか悪いこととか結果に支配されることからは解放されてるね。楽だし、自由だな。変わったことは、本音しか言わなくなったことかなー。 >>164
頭が開いた感覚はないです。光を見たことも。超能力もないし!笑
胸が貫通してから、ほぼ完全に、表層の情動反応、頭の思考、本心、胸奥の思考 の四つのパーツが認識できます。つまり、意識自体が運動でした。 >>167
>>168
んと、どう話したらいいかな〜。質問してくれた方が良いかも。
例えば太陽ってさ、目に見える太陽は、私達の中にあるのね。
太陽は人間の胸にあるの。
私達が外に見ている宇宙は反映であって、本質は私達の中にあるのね。
それは大きいと思ってたものが小さく
小さいと思ってたものが大きくなるの。
ミクロとマクロがひっくり返ることができる。 そのひっくり返るポイントというか、結節点が人間なんだよね。
うーん、プリズムみたいな?
私達が見てるのはプリズムによって反射された色を見ていて、それがリアルだと思ってるけど、本質は光。で、まず私達は自分を反射された色だと思ってて、見える色によって自分の姿想像してる。 で、カタチとしては光⇄プリズム⇄色が循環していて、トーラスというカタチになってる。
このトーラスというカタチが直交して2つの球を繋いでいる。この2つの球のうちのひとつが我々が住んでいると思っている世界。 抽象的だよね〜だから譬え話とかで語られてるんだろうなー。。説明下手ですまぬ。。。
よければ具体的に質問してください。 他人に説明できないようでは悟ったとは言えないのではないかな? 論理的に説明できることと悟り的なものは全然別なんだけどね。能力のことではないので。
論理的に説明することなら科学者や学者の方が得意でしょうねー。 体験に元ずくことを分かりやすく文章化するには文才が必要なのかなあ〜
私も文才がないから・・・・ がんばってみるよー。
とりあえずトーラスのカタチってこんなんね。
http://d.hatena.ne.jp/antares/touch/20120506
このブログの内容は見てないからわからんけど、とりあえずトーラスのカタチ。 こっちの方がいいかな。Attachment-1.jpeg >>183
全体のカタチはどうなんかわからないけど、こういった流れになってます。この流れの中心が人間の心臓あたりだとイメージしてほしい。 宇宙はエネルギーは呼吸をしているようなイメージではないんだな。
ただ創造者がいて初めて永久機関が成立しているんだよ。 宇宙はエネルギーは一方向しか行かない。
だがこれは物質界から観測した法則だが、創造者を加えると、永久機関と成りえるのだ。 >>185
その語りはそれこそ物語的すぎると思いますよ。呼吸のリズムそのものが宇宙だとは言ってないことをご理解ください。あくまでも仕組みシ(システム)の一部がわかったと言っています。全体を見渡すような創造主の位置は、私にはわかりません。 宇宙エネルギーを一方向しか捉えられないのが、まさに一神教の世界。1なる父が全体を管理しています。 方向があるときには、必ず潜在的に反対方向があります。ロケット噴射のイメージでいいかな。 >>170
太陽が胸の中にあるならなんで胸が焼けたり燃えたりしないの? >>170
禅でいうと魔境
坐禅やる人にはよくある事で大した事じゃないからあまり深く考えない方が良いよ
オウムとかもそうだったけど、感覚とか神秘体験ってものにつまらない解釈を加えてはいけない >>192
あんたは何もわかんないんだから黙ってなさい イッチは、悟りという概念よりは神秘体験という概念を使ったほうが
いいんでないかな。
自我的要素(自己感覚)が残っている限り、悟りや見性とは関係なさそうです。
魔境ですね。 >>190
太陽神って熱いの?燃えたりするのかな? >>194
そうか!悟りって概念をみんな間違ってるんだけどね。知らないから、すごいもんだと思ってる。 >>166
>ほぼ完全に、表層の情動反応、頭の思考、本心、胸奥の思考 の四つのパーツが認識できます。つまり、意識自体が運動でした。
なるほど・・ >>197
すごいと思ってないならどうしてこのスレ立てたの? >>199
スレッドってすごいと思って立てるものなの? >>198
神秘体験を悟り的なものと感じるより、わたしにとってはこういったことが分かるようになってることが驚きでした。 >>200
普通の事なら別に言う必要ないよね?
今日トイレ行ったけど質問ある?とか言わないよね? >>201
あなたの言ってる事は、理解できてます。
胸や頭開いても、その時に目が覚めるような精神の変化は起きなかったんだけども >>202
すごいことはないけど、トイレ行くようなこととは違うね。
何故そう言いたくなるか自分に問うてみては? >>203
ありがとうございます^ ^
嬉しいです^ ^
おそらく、今からの時代は、修行や知識、行法に関係なく、”心”の感じ方で開くと思います。
その心こそが内在神であり、太陽神であり、良心です。そこを通過しないで外部に出ることはないようです。 >>197 悟りは概念ではないので、
悟りを語る時点で概念化されてしまうということです。 >>204
つまり自分は特別だと思ってるからこんなスレを立てたんですよね?
それは魔境そのものじゃないですか? >>4
増えてきているというのは実体験からでしょうか?
自分も、人類は大きな進化の時を迎えていると思ってるクチです。
たとえばシンギュラリティはテクノロジーの話と思われてるけど、
哲学・精神面でも大きな変革をもたらすものになるでしょう。
完璧な合理性が具現化するため、非合理(不正・悪)は存在できなくなるとみております^^ >>207さん、神秘体験をするともれなく魔境に入りますね。
教えてくれる人がいないとなお長引く。
私も長かった(笑) >>205
太陽神についてはよくわかりません。
そのほかはその通りだと思います。
もしかしたら私は肝心なところを感じてないのか、それを感じられるほど成長してないのかもしれません。
太陽神に関して、話して頂けませんか? >>206
おっしゃる通りです。
ですから抽象的にならざるを得ません。 >>209
自我の欲望が無意識に陥ったままだとそうなりますよね。笑 >>210
ひとことで言うと、核になっているところです。人間に当てはめると、良心になります。 >>208
実体験と感覚からです。あと、他にも私のような経験している人がいるはず?と思い調べました。シンギュラリティってなに?と今調べましたが、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/技術的特異点
おっしゃる通りです。 >>211
わたしがそう思うんですからもちろん私自身ですよ
オウム真理教の信者がなぜあんな狂気に走ったかというと信者があなたのような体験をしたからなんです
だからそれは注意すべきなんです >>216
はい。それについては異存はありません。
体験そのものが特別なことだとは感じておりません。 >>218
だからそう思っているのはあなた自身ですよ? >>219
じゃあ何がしたいんでしょう?
わざわざ悟ったけど質問あるというスレを立ててまで。
悟りと体験は無関係です。
いわゆる神秘体験、心霊体験をする人は多い
でもそれと悟りは関係がない
何がしたいんですか? >>212 だからあなたがここで語っていることは悟りでも何でもないんですよ。
体験はただの体験でしかない。
トイレに行った話では誰も耳を貸さないかもしれないけれど
神秘体験も朝トイレ行った話も上下なく一緒なんですよ。 >>220
プチ悟ったかもしれん、と書いてるはずなんですが…。
私が何がしたいとかあなたに何の関係があるのでしょうか? >>221
悟ってない認定をあなたがするのですね?
気付きをトイレ行った話と一緒にしているのもあなただし、それを上下なく、とわざわざ言わないとおられないのもあなたなのです。 >>222
それはつまり、何かの体験を悟りだと勘違いしてるという事ですか?
それともそれとは別に何か悟りに関連した気づきがあったという事でしょうか
そもそもですがあなたにとってプチ悟りの定義とはなんですか? 神秘体験が起きて、宇宙の仕組みがわかった気になっても、
善悪の観念や、内と外、自分と他人が未だ存在するならば、
その自我意識は魔境の只中ですよ。
神秘体験も魔境から脱出することも、自分で起こしているわけではないから
どうしようもないけれど。 1さん、こういう否定のために出てくる輩は、こういう役割なんですかね >>223悟ってない認定も何も、悟る自分が居るなら、それは自我ですよね。
そこはわかりますか? 1さんのように何らかの体験や真理に触れて語ろうとすると、
危険、魔境、という言葉を繰り返しながら、否定しに回ってくる人がいるんですが、なんかそういう役ってあるんですね。 >>224
あなた、ご自身の感情の起点を見ればいいのに。笑
あなたが私を勘違い野郎だと思っているというのはわかりました。
何が引っかかってるのかしら?
前にはわからなかったこと、何故か急に人間の意識や宇宙の構造が分かるようになったのに応じて、悟ってると言われる人の言ってることがわかるから、プチ悟ったかもわからん、と言ってるのね。分かるようになった分岐点が神秘体験と表現されるものだったということ。 >>228
実際、魔境は自我の世界の中なので危険ではあるのですが、注意喚起を超えるものは、御本人の欲求がなんらかの形で捻れて出ているものだと思われます。 >>231
>注意喚起を超えるものは、御本人の欲求がなんらかの形で捻れて出ているものだと思われます。
その程度のものなんですかねw
なんかもっと大きい意味で「否定したい派」みたいなのがいるのかと思いました。
だってみんな似てるんですよ
1さんは大丈夫そうですが、負けないで頑張ってくださいね >>229
なるほど。
宇宙の構造がわかった、と。
わかったとは具体的に何がわかったんでしょうか? >>232
あはは。笑
勝ちたいわけではないので、大丈夫です。
お気遣いありがとうございます。感謝。
もっと大きな意味での否定したい派ですか!
それは意味深ですね〜〜。 >>228
否定というか質問してるだけですが?
そのためにわざわざ、悟ったから質問しろというスレを立ち上げたんですよね?
何かおかしいですか?
むしろそうやって質問してする人を否定とレッテル貼りしに回ってくるあなたはそういう役なんですか? >>225
内外、自己他者の区別がつかないものに、統合は無理よ。たんなる同一性という暴力になるだけ。自我と心の区別もつかないんでしょ?
そりゃ魔境に堕ちるわ。 例えば宇宙は色んな説があります
ビッグバン説すら確証はないんですね
宇宙がどう生まれたのかはまだ不明です
どう崩壊するかも不明です
ダークマター、ダークエネルギー、とにかく全て謎です
それを1さんがわかったというんだから是非聞きたいですね >>233
訂正してください。その一部がわかった。
フラクタル構造になっているから、予測が出来る。
もう、前にトーラス構造からなんとか語ろうとしたけど、抽象的すぎると言われたので、伝えるには能力不足を感じています。笑 >>237
多分、そうゆう科学的に整合性が取れるほどの説明は無理です。 魔境も概念だし、魔境が悪いとか危険とか言ってるわけではないのですが、
では質問を変えます。
神秘体験も起こったままほっておければいいのですが、
体験だけでは腑に落ちない部分を埋めようと其れに関する本を買い漁ったり
しませんでしたか? >>238
何がフラクタル構造になっててどう予測できるんですか? >>236
せっかくお答えをいただいたので、良ければ同一性という暴力をもう少し詳しくお願いします。
自我と心の区別についてもお願いします。 >>242
人間の身体も意識も宇宙も同じ仕組みで出来てる。目から鱗が落ちたのは、全て反転できること。 >>244
人間の体は左右対称ではないので反転できません
それから宇宙に関してはわからないのでなんとも言えないです
意識はそもそも実在しないので反転はありえないです
その認識、その直感は間違ってます >>241そうなんですね。私は神秘体験の後、本を買い漁ったりセミナー受けまわって
無駄なお金を使いました(笑)悟り体験をしたと思って、より悟りに近そうな人探しに
ネットとにらめっこでした。
次の神秘体験が起きることを期待したりしませんでしたか? >>245
ああ、左右意識しかないのですね。反転は虚軸の方です。 >>244
それから宇宙はわからないですが、意識と身体は同じ仕組みではないですね
仏教的な視点でどちらも空であり実在しないというならその意味では同じです
が、たとえば意識が不明の人間も身体は生きている事があります
が、身体が死ねば意識は消えます
つまり仕組みが全く違うわけです >>247
虚軸で身体と意識をどう反転させるんですか?
虚軸でもなんでも身体と意識は反転するのは不可能です
なぜなら一瞬として同一ではないので。 >>248
仏教的な視点という方に近いです。
身体は見えますが、意識は見えませんね。
しかし、見えないからといって存在しないわけではないですよ。意識自体は運動なので、本質ではないのは確かですが。 >>250
いえ。存在しません。
存在してるような気がするだけです。
身体も存在しません。
悟りというならそれが悟りの側からの見方ですね >>251
意識の位置とはなんですか?
脳の位置ですか? >>253
悟りの方からの見方というなら、おそらくそうだと思います。プチ悟りからは意味を成しません。 >>254
非常に物質的ですね。
うまく説明できませんが、文字通りです。
肉体意識の場合は肉体にあります。 >>256
意識はもちろん物質と電気的な作用を伴う生理学的な反応です
肉体の意識も脳内の同様の反応です
つまり意識に位置がある、と感じることも脳内の生理学的な反応ではないでしょうか?
つまり意識に位置があると判断する事は迷妄である、と
悟りとは迷妄から離れる事ではないでしょうか?
違いますか? >>249
認識の反転といったほうが正確かもわかりません。 >>257
意識を脳の作用とするとそうなると思います。
脳の意識が迷妄を作っているんですが、残念ながら私には論理的に説明することは難しいみたいです。
だから、心の意識と言っているのですが。 >>259
例えばミクロとマクロが交換可能なことです。 >>263
例えばミクロ経済とマクロ経済なら決して交換できませんね?
なんのミクロとマクロなら交換できるんでしょうか? >>264
そういう交換じゃないですね。
抽象的に捉えられたら同じものだとわかるはずですが。 >>265
何を、どのようなレベルで抽象化して捉えるんですか? 科学的、学問的にはその姿勢は正しいと思いますが、残念ながらお答えする能力がありませんし、無意味です。 >>267
質問あるかというスレを立てて、質問されると答えず、答える努力もせず、無意味だと?
それは客観的に見て正しい行為だと思いますか?
ミクロとマクロが交換可能になるとはどういう意味ですか?
何のミクロとマクロですか?
自分で言った事なんですからなんらかの意味があるんでしょう? 答えましたし、努力したのですが、無理だと思いました。
ミクロ
極小,微小,非常に小さいもの
マクロ
巨大,大きいもの,巨視(的) >>269
仏教的な見地から言えば、この世の物質は全て空ですから全てイコールですね
そういう意味においてはあらゆるモノが交換可能と言えますし、同時に不可能とも言えると思います
そういう意味ですか? >>270
空を認識するに至る過程で起こっている反転認識だと思います。 >>272
ミクロとマクロが同じだといったような認識です。 >>273
それは空を空だと知った時に、小さいモノと大きなモノが同じに思えたという事ですか? >>274
空だと予測は出来ますが、まだ空だと知ったとは言えないです。色がある裏には空があるという予測ができる、といった感じです。
ちょっと眠たいので、今日はこの辺りで失礼しますね。 >>275
空は予測できないと思いますが。どうでしょうね。
ただ、予測は完全に空です。
空である意識が空を妄想してる
そしてそのいずれも存在しない
何かも、なし。
仏教的な悟りの側に立って見るとこうでしょうね >>276おそらく、空は空なのじゃ
空とはそういうものじゃ >>277
理屈じゃないってことですね
鬼和尚さんの言うことは、いつもながらすばらしい! >>280
必要性の延長ではありますが、ありますよー。
欲が無くなるというより、欲に支配されることが無いという感じ。欲しくてたまらない!みたいなんは無いです。 >>281おまえさんは欲をなくしておらんのう
欲をなくすは境地じゃ 口では説明出来ないのじゃ
あえて言うなら、あきらめや開き直りに近いかも
しれないのじゃ ♪ ♪ \\ ♪ お〜布施は続く〜よ〜 ど〜こま・で・も〜 ♪.// ♪ ♪
♪ \\ ♪ ♪// ♪
♪ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ ♪
♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*) ♪
(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧
♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)♪
─♪──(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U
| U.| | | U | || U. | || U. | || U. | || U. | |〜♪
♪ | | U U. | | U U | | U U | | U U | | U U | | U U ♪
U U U U U U U U U U U U
>>283
その境地が自然に来た時がそれでしょう。
欲をなくすより理解していることの方が先。 >>287それくらいのことなら、誰にでも言えるのじゃ >>291
あなたも悟りには程遠いし、鬼も勿論程遠いです
偽悟りで愚か者を騙すのは良くないです
やめましょう
私達は皆、迷える衆生でいいんですよね >>291儂くらいのレベルになると、おまえさんでは
着いて来れないのじゃ >>295
この人は昔からいるクソコテでただのアホなんで相手にしなくていいです
ただのかまってちゃんだから >>294
迷える衆生でいいかどうかはあなたが思うことですね。
私は別に悟ってない認定も悟ってる認定も必要としてないんよね。 >>297
つうか、昔から知っているの間違いじゃないのか? >>296
知らないです。残念ながら私にはわからないです。 >>299迷える衆生はキリスト教じゃろう
よって、このスレに入る資格はないのじゃ >>295
着いていこうと全然思わない。笑
着いてこさせたいの? >>303着いて来れないのじゃ、と、言っているのじゃろ >>304
悟ったかもしれんのだけど、質問ある?のどこに承認しろとか判定しろ書いてる? >>307
してないよ。笑
なんかコンプレックスあるの? >>309
た、確かにあなたの奔放ぶりは悟っていますね
より自由な書き込みだ >>310
で、悟ってないと判明したという事で良いですよね?
違う、悟ってるんだ、というなら話聞きますが。
どっちでしょう?
それとも、悟ってるかわからないんですか? >>311
嘘ですよね?
してない人がわざわざスレを立てるって論理的に矛盾してます
あなたは自分のやってる事と言ってる事が乖離してますね
自分が見えてない証拠ですね。 >>314そのとおりなのじゃ
悟りは自由奔放なのじゃ >>319
逃げたり、はぐらかしたりせずに答えてください
まず>>315からお願いします >>320
あなたには基準があるみたいなんで、それには満たないかもしれませんね。
逃げるとかはぐらくすとか全然してないんですけど、したとしても私の自由ですが。 悟りたければ、しっかり座禅をするのじゃ
座禅のない寺はないじゃろう >>322
答えになってないですね
簡単な質問ですよね
また逃げるんですか?
なぜ逃げるんですか?都合が悪いからですか? >>323
アドバイスありがとう。
でもそれまだ必要性感じない。 >>326
自分に都合の悪い質問は答えないのはなぜですか?
自分の考えがわかるんですよね?
それを書けばいいのではないでしょうか?
正直になったとかも書いてましたけど、全部嘘だったという事ですか? まことよ
書き込み妨害が出来なくて残念じゃのうww >>327
>>315もう一度読みましょう
決めるのはあなたですよね?
悟ってる、悟ってない、わからない
このどれだとあなたが思うか?それを書けば良いだけです
簡単な事じゃないですか? >>328
むちゃくちゃ正直に書いてるじゃないですか。笑
あなたが自分を見てないだけですよ。 まことよ
書き込み妨害が出来なくて残念じゃのうww >>331
またはぐらかした。
本当に嘘つきなんですねぇ。自己保身ですかね。
三つのうちどれかですよ。答えられないわけがない。
どれですか?
三択ですよ? >>332
また、まことはおまえのプラウザを障害しているのか!
ひろゆきのいう「子供にネットをやらせるな」だな! >>330
プチ悟ってるような感じなんだが、と冒頭に書いてます。
何をこだわってらっしゃるのか。
ご自分の中の悪意に気付かれる方が少しは有益だと思いますけどね。 まことよ
書き込み妨害が出来なくて残念じゃのうww >>335
答えられない時点で悟ってないです。
なぜ偽の悟りを喧伝する人に厳しいのか?
放っておくのが正しい事なのか?
考えてみてください。
オウム真理教ってありました。
沢山人を殺しました。
新興宗教で人を騙してる人が沢山います
彼らはあなたのように、悟ってもいないのに自分は特別だと喧伝し、愚か者を騙し、悲劇が起きました。
オウム信者は皆、宇宙に行っただの、前世を見ただの、胸から光の玉が出た、だの様々な体験を語りました
全て無意味な体験でした
昔から偽悟りを喧伝する人に対して厳しかったのはこういう背景があります
それは仏教に限らずキリスト教でもそうです はるか昔から偽預言者、偽涅槃の問題は大きかった
十分に注意する必要があるんですね
イデオロギーや盲信は利用されるんですね
仏教では曹洞宗なら修証一如としますし、臨済宗でも公案などの形で師匠がそれを制御します
悟ったふり、感違いした人は師匠が厳しく戒めます >>338
だから特別だと言ってもないし、喧伝もしてないって。同じこと何回も繰り返して、しつこいからちょっとうんざりしてる。あのね、神秘体験なんかより、己を知ることの方が大事なの。心をね。 >>338
あなたがそういった心配をされているのはよくわかりました。私がもし、私を信じろとか私が絶対正しいとか主張しはじめたら、突っ込んでくださいな。
スレ立てしたのはそんな意図や動機ではないので。 >>339
でもあなた、自分知ってないじゃないですか。
なんでこんなスレを立てたんですか?
承認欲求ですか?
自己重要感を満たしたかったんですか?
なぜ承認されたいんですか?
本当に己を知ってるなら答えられるはずですが答えられませんでしたよね? >>341
己の全てを知り得たわけではありません。だからプチ悟りと言っていますが、少なくとも行為するにあたって、自我がどのような動機を奥で持っているのかは、気付いています。
そういった意味で、己を知り続けています。
もちろん完成形ではありません。
そしてね、承認要求などでスレ立てしたのではないのは私自身はよく分かっているし、そう思われるだろうことも予測していた。だから、あなたがそう思うことを私は変えられないし、変えようとは思わない。 >>343
で、どういう欲望でスレを立てたんですか? >>342
あなたに答える必要は何もないんだけど、答えるね。
自分が言語的に答えられることと答えられないことが何か知るため
同じような方がおられるんじゃないかと。そういう方とお話ししたかった。
あとは、理解できない状態があるかどうか、を確かめたかった。
他者へのアピールではなく、自分の為ですね。
副産物的に誰かのなんらかの気づきになればよいなとは思ってましたが。 >>344
さぞかし人の心がわからない方なんでしょうね。笑 >>345
つまり自分の欲に支配されてスレを立てたわけですね。
>>281に欲に支配されてないと書いてましたが、これも嘘でしたね。
欲に支配されてスレを立てたのに、その事に気付けず書いてしまった、と。
自分の自我に気づいてるというのもこれで感違いという事が証明されましたね
あなたは反対意見を書く人に不愉快な気持ちになってるわけですが、質問あるかというスレなのに都合の悪い質問には不愉快になるなんて独善的ですし、正しい行為とは思えませんよね? このスレッドを見る人の中には、このようにして人は、自我の信念体系の投影を世界に見ていることに気付かれた方もおられることかと思います。てか、いてほしい。
悟りとは少しずつそれらから自由になっていくことだと思います。 >>348
>>347読まれましたか?
あなたがあなたの自我を理解してない事を証明してるとおもいますが、どうですか? >>349
ある日寝てたら勝手にこのスレができた、なんてことはないわけです
あなたが欲望に支配されてこのスレを立てた
そしてそれは>>281で書いてることと矛盾するわけです。
なぜ矛盾するか?それはあなたが己を理解してないから。
違いますか? >>351
読んでますよ。
私の中では矛盾してないのね。あなたが理解できてないだけで。
論破したい族なんでしょうが、不毛なので、あなたとお話しするのはこれで終わりにしますね。 >>352
あなたはなぜ悟ってないと証明される事をそんなに嫌がるんですか? >>352
あなたの中で矛盾してないのは、あなたが自分の欲望、自我に気づいてないからだと思いますよ 結論でましたね
1は悟ったかもしれないと思ったけど完全な感違いだった
1の感違いは客観的に証明された >>353
これで最後ね。
証明したいのはあなた。
ダメ認定してもらって結構ですよ。
これでほんとに最後ね。 >>357
それは違いますね。
私は完全なニュートラルな立場でした
あなたが悟っていようといまいとどちらでもよかった。
悟ってるなら話を聞きますし、それで私は嬉しいわけですよね?
悟ってないなら、悟ってもいない人が悟ってると言って愚か者を間違った方向に導くとしたらそれは正しい事ですか?
だから、私は何度も質問したわけです
そしてその中で、あなたは矛盾を繰り返した
そして私はあなたは悟っていないという結論に達したわけです
それは私の願望ではなく、観測にすぎません
電磁波を願望でどうにかできますか?
できるのは観測だけではないでしょうか? ■■ ■■
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>>357
そして『私があなたを論破したいという願望で動いている』と思い込んでる
それはあなたの考えにすぎない
そしてここでもあなたは矛盾を証明するわけです このスレッドを見る人の中には、このようにして人は、自我の信念体系の投影を世界に見ていることに気付かれた方もおられることかと思います。てか、いてほしい。
悟りとは少しずつそれらから自由になっていくことだと思います。 >>362
それそっくりそのままブーメランであなたに当てはまるのでは?
あなたがいままで読んだ本とか記憶に支配されてるのではないですか?
そして反論を拒否して世界に閉じこもる。
科学的な論文であれば多数の人に反証されますよね?
そして長い期間をかけて嫌疑をかけられ続けます
そうして真実とはなにかを見定めていくわけですよね?
だが、あなたはそれを嫌がるわけです。なぜでしょう?
あなたの自我を守るため、ですか?
あなたの主張とあなたの自我は同一化してるんじゃないですか? このスレッドを見る人の中には、このようにして人は、自我の信念体系の投影を世界に見ていることに気付かれた方もおられることかと思います。てか、いてほしい。
悟りとは少しずつそれらから自由になっていくことだと思います。 >>364
まず一つハッキリさせておきたいのは
私はあなたの人間性やらを嫌悪してるわけでもないし、否定してるわけでもありません
あなたも私もただあなたの行為を観測してるだけです
あなたがあなた自身を他人のように客観的に見る事ができたら、と思います
それはとても難しい事なのはわかりますが 気を悪くしたとしたら謝ります
傷つける意図はありません ,. -――‐- 、
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承知いたしました。もちろんです。同意見です。わたしもあなたがそうであってほしいと思います。 あなたは知的で常識的な方だと察していますが、ただ私の言ってることの本意は伝わらないと感じています。私の言語能力の問題もありますが。学者でもないですしね。 >>366
傷ついたということはないですが、うんざりはしました。他に楽しくお話ししたい方もいらっしゃったのに。
お気遣いには感謝致します。
返信は無用です。 >>369
私も普通に楽しく話したかったのになw
宝くじ話w あらあら・・・ここも荒らされているんですか・・・
穏やかなスレだと思っていたんですけどね。 >>371
話すのは全然いいんだけど、出来れば第三者には見られたくないんですよw 自我の消失を間違った形で吹聴する人には気をつけたほうがいい。
まるで、悪い意味で自我を失って欲しいみたい。
善悪が無い、という意味も、湾曲して吹聴する人には気を付けたほうがいい。
まるで獣に還らせようとしてるみたい。
説明はしないし出来ない。
時期が来たら自分で掴んで
人数や声の大きさに惑わされないのも、表面的な自我を超えた自我のうちだから
1さん、お疲れ様
なんかいろいろお察ししますw >>280
横だけど、私は物欲はjほぼなかったけど
目に見えないないかと交信できるようになって物欲は大切だと痛感したよ。 物欲も普通にあっていいと思いますよ
欲にもよりけりだけど、あっていいですよ。
ただ、自分の芯「も」知っておけば、欲に振り回されたりはしないってだけで。
欲があるからと落ち込むのも必要なく、欲のなさを自慢するのも必要なく、
楽しめばいいけど、どうだっていいことでもあると分かりながらやってればいいと思います。
努力を伴う欲に関しては、どんどんやればいいんじゃないですかね
努力は時には面倒だけど、少なくとも努力が嫌で落ち込むという無駄な悪循環からは脱した・・・・・・いです。 >>373
takababaj@hotmail.com
良ければこちらに〜 >>374
ありがとうございます😊
伝わってるようで、心強いです^_^ カルロス・カスタネダの「ドンファンの教え」シリーズに、
どの巻だったか忘れましたが、“聖人は巻貝のような形状に
見えて、その奥から光が漏れてくるような感じ”だという
描写があります。
スレの初めのほうに、それを思わせるような記述があって驚き
ました。 >>380
わあ、そうゆう記述があるのですかー。
でも、胸にあるスポットはそんな形で、奥に別次元があるのですよ。 >>377
ほんそれですね。
抑圧が1番避けるべきものだと思っています。
潜在的にはまりこんでいるものを、見つけてあげることができれば、自然と中庸になっていくと思います。 また質問ですみません
1さんはワンネス体験、というものはしましたか? なんだろう、「自分は決して悟れない」と悟った何かが、こういった話の邪魔をしにきてるのかな
なんか話の堂々巡り見てるとファービーと話してるみたいね >>384
見聞するような体験はしてないです〜!
ただ、2つで1つの方がしっくりなので、非二元(1とはいってない)という表現に味わいを感じています。 ,. -――‐- 、
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大変っすね!(笑)
前出の方は、欲に支配されているという認識が出る時点で欲を道具として使うことを知らない方の意見だなと拝見しておりました。
自我も同様、自我を自我であると認識出来なければ自我をまともに使うことが出来ない。
どうしても自分の方が正しいと証明したい自我をお持ちだったようで…(笑)
1さんとトーンが違いすぎますね。
いやほんまお疲れ様っすw
1さんは、ほかの方のハートの開き具合がわかる時はありますか?
それはどんな時に分かりますか?
という質問を一応してみる… >>385部活の引退がそうじゃ
引退した途端、義務がなくなるのじゃ
義務がなくなれば、気がラクになって、前より
上手くなる者は多いのじゃ 興味深い話じゃないかあww
ぜんぜん知らなかったよ、このスレあるの
なんか、めちゃ批判されてるみたいやけど笑
マクロとミクロの反転て、興味深い
そんな体験は僕にはないからね
現象界の様々な個体が、ミクロに見え、見えなかった微小なものがマクロになるのかな
よくわからんところだ
この世界が内面であり、外界がこころの縁側にある
そして、その外側の世界と内側の世界をつなげる目、が、別次元と、つまり創造的力というところと接合していると感じる
この全体的な目は、心である
胸の奥の、静寂点と、世界の外側は同一
この、なんらかの不可思議な力は、己ではないにも関わらず、非常に主観的に、そして身近にわたしを取り巻いており、そこから逃れることはできない
これらの千変万仮の向こう側とこちら側、認識の残らない、そこ
が、救いの可能性を開かせるのかもしれない
もーそー満開の恥でしたww >>391
修行をやめた途端、気がラクになって悟るという
ことですか? >>389
ありがとうッス!
”欲を道具に使う” その表現イイですねー^_^
他の人のハートの開き具合ですか?
開いた人、開きかけの人は発言内容でだいたい分かりますね。たまに視覚じゃない視覚でカタチが観えることがありますが、それは対象がこちらに心を開いてくれてる時みたいです。 >>392
1です。そうそう!まさにそんな感じです。
”このなんらかの不可思議な力は〜非常に主観的に、〜〜逃れることはできない”
表現素晴らしいですね。静寂点と世界の外側は同一というより、結び目といったような感じです。 >>391
ああ、そういうことはありますよね
気が楽になる場合もあるだろうし、一回しばらくの休暇期間をおいてから再度やろうとすると、今までどうしてもダメだったものが
みるみるできるようになる、わかるようになる。
受け入れるための全身の整合が、しばらくやめて初めて整うというか。 >>392
ミクロ⇄マクロのイメージですが、動画で良いのがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=9FlIzgotFAs&sns=em
これの未知への領域〜〜ビックバンの残光
あたりの形が胸の奥の結び目と同じ感じ。 ミクロマクロの反転も興味深いですね。
見えているものがそのまま「自分」と感じられる人もいるそうですが、それとはまた違いそうですね・・?
みちろん、目が見て、それを脳内(ここでは胸?)に投影して世界を感じてるわけですから、見えたものが自分なのはその通りですよね。
長い夜道を歩いてる時に、向こうの方まで続く街灯を見ながら、目の前の景色がそのまま鏡のように自分の「脳内」に投影されて広がってるという感覚は何回かあるのですが、
そこまで止まりです。
ミクロマクロとか、自己と同一という感覚にはなれていません。
これも自己に深く潜れるようになったら、分かるようになるんですかね・・ youtbeありがとうございます。
また後で見ます。 「真実の霊能者」
【御法話開催概要】
主の36年に渡る霊的生活の秘訣を公開!
幸福の科学グループ創始者兼総裁
大川隆法先生
「真実の霊能者」
【開示日】
≪本編[74分]≫
【開催場所】
全国の支部・拠点・精舎・布教所
【各御奉納目安】
信者・一般:5千円以上
中・高・大学生:2千円以上
家族:1千円以上
◇真実の霊能者になるための心構えが説かれました。
・幸福の科学も立宗30周年を過ぎ、霊能力という側面からの修行論をお説き下さいました。
霊能力は自分には関係はないと思っていた方にも、目からウロコが落ちるような御法話です。
・主の36年に渡る霊的生活の中から紡ぎ出された珠玉の御教訓は、信者をはじめ、宗教や霊現象に興味のある方、
経営者・ビジネスパーソンなどにお勧めです。
【Point】
◆霊障者と霊能者の違いが、豊富な具体例で分かりやすく説かれます。
◆自分では霊能者の自覚がない霊能者とは?
◆これが、スピリチュアルな映画、書籍の問題点!
◆主が説かれる、正しい霊能者のあり方とは?――これは、悪霊・悪魔から身を護る法でもある!
◆これから、幸福の科学が向かうべき方向性は?
【拝聴者の声】
・(50代男性)信仰者として、人間完成への道は、主の説かれるこの世とあの世を貫く道であり自らの心を見つめ、
智慧と慈悲の心で満たすことが大事だと思いました。
・(20代女性)主のお役に立てるよう精進し続けていきたいと、心から思える説法でした。 >>389
自我を使う?誰が使うんですか?
自分が正しい事を証明したいとは書いてません
正しい事を観測したいと書いただけです 昨日、1さんを追い詰めてしまってふと気付きました
1さんの深い悲しみというか悲哀に。
そして、この人にとってはもしかするとこういうスピリチュアリズム的な何かが唯一の心の拠り所なのかもしれないと思ったんです
それを奪う事は正しいのか?
そう思うと放っておくべきかなと思いました 仏教でいう悟りとは、最後に到達するのは
悟りなんて無くて良い、という心境です
当たり前に生きている、ただそれだけで完璧なんです
何もする必要がないという事に気づく事です ハートが開いたとか開かないとか
ビジョンを見たとか見ないとか
それらは人を区別する言葉にすぎません
そしてその区別が分離を引き起こし、その分離が人間の苦を生みます ただ、ここは悟りについて議論する場では無く
単なるコミュニケーションの場にしたいらしいので、それは止めません
ただ1さんの言ってる事は多分、悟りからは離れていく考えであって余計に人を苦しめる可能性が高いという事だけ知っておいて欲しい 悟りに執着すればするほど悟りから離れていく感じがする フラれた女に未練はないと言いながら
悪口を言って回ってるような感じ 悟り狂いはほっておいて
1さんはハートが開いたということですが
チャクラというのはご存知ですかな?
ハートはチャクラで言うとアナハタチャクラですな
チャクラはそれぞれ役割がありますので調べてみることをお勧めしますよ 特別というものは無い
何か特別な道があるんじゃないか、俺や私はほかの人を差し置いて抜け駆けできるんじゃないか?
自我はそう思う。
そしてあれやこれやと手を出す
アナハタチャクラが開けば、
坐禅をすれば、
悟りとか言われてる何かを開けば、
こうやって条件をクリアーすればなんとかなると妄想する 君はフラれた女の悪口ばかり言うタイプだねえ
なぜフラれたのかをちょっとは考えた方がよいよ もしも本当に悟りとかいうものに達したならこう思う
悟る必要なんてなかったんだ、と。
そんな事の前から既に完璧だったんだ、と。
だからこそ他人に対して愛が生まれる。
その他全てのこの世に対する愛が。
付け足すものなんて何もなかったんだ、と。 今の世の中は競争、比較で洗脳されてます
人は優越感と劣等感で蝕まれている
そうして蝕まれた自我が、救いを求めてスピリチュアリズムとかその手の本や新興宗教向かわせる
が、多くの人はそこでまた競争と比較を持ち出します
俺は〜〜の行をやった、私はアナハタチャクラが開いた、俺はお前より上だ、下だ
そうやって同じ場所に帰ってしまう 君がなぜフラれた女の悪口を言って回るのかわかるかい?
他の男にとられるのが嫌だからなんだよ
他の男にとられて自分が否定された気分になるのが耐えられないんだよ 『空を飛ぶ鳥を見なさい
鳥は種もまかずに倉にもおさめない。
でも天の父は鳥を養ってるじゃないか』
とイエスキリストは言ったと聖書には書かれてます。
楽しくおしゃべりしたいだけという気持ちを否定するわけではない
が、違うものはやはり違う、と言わざるをえない
ここは宗教の板なので 仏教なのかキリスト教なのかハッキリした方がいいなあ
あ、自分教か わかる人はきっとわかるでしょう
わからない人もいつかわかる時が来るでしょう 仏教徒の中にもチャクラを否定する人がいます
そういう人はもう一度仏像をよく観察して観てください
千年以上前から伝えられている事ですよ 開きかけの人っているんだ!?
それってどんな人?
開いた人はスレで見るけど、開いた人同士は会話が弾むし、開いてない人は質問ぜめにしてるのがパターン。だから0か100みたいに、開いたらみんな向こうの世界に行ってしまうのかと思ってたw
開いたのに閉じたとか、開いたけどわからないとか、そんな人もあるんだ!? >>424
チャクラというのは大きく観て7つありますんで
ハートだけが開いたということもある訳です
最も重要なのはサハスラーラチャクラですがここが開いていないと開いてないとも言えます
仏像を観れば明確にその場所が示してありますので参考にすれば良いでしょう
所謂第三の眼はアジナチャクラで
ここも重要なチャクラです
1さんはハートが開いたと言うことですがアジナチャクラが開くともう少し理解が深まるかと思われます
アジナチャクラが開きますと光や渦巻きが観えるようになります チャクラなんて、嘘八百。
こんなものに憑りつかれると、
一生棒に振るぞ。
脳内細胞のハレーションを追いかけているだけ。 チャクラも知らんで悟りとか仏教語ってますのんか?
白毫は単なる飾りではないですよ >>424
それは、私のことでしょうか?
私は上で、胸と頭が一回だけ開いたけど、別に何も悟ってないと言ってる者です。
1さんのように、目からウロコが落ちるような体験はありませんでしたよ。
こういった予備知識もなく、仕事中に急に頭が開いたりして、びっくりしただけで終わってしまった者です。
物事に関する捉え方は徐々にかわりました。
実に言い古された言い方しかできませんが、たしかに執着はとても薄くなり、そういった意味では精神的に楽です。
ちなみに、>>428さんが言うように光も渦巻きも見えます。
しかし、光が見えることに関してはそれだけです。
たぶん、見える光にはいろいろなレベルがあるのです。
私は確かに見えますが、見えてる時にしょうもない雑念があってもリラックスさえしてれば見えてます。
正直に言うと、むしろ自己に潜りきれていない状態の時に光を見ています。
「光」と一言で言っても、本当に悟りに近い人が見る光と、単なる生理現象でしかない光の、2種類はあると言って間違いないです。 ん〜、きょうの夕飯の献立・・・・
オニオングラタンスープ
旨かったw
無論、自炊だよw >>436
覚醒まではしてません。
多少わかるようになりましたよ。
ただし、外部の気はあまり感じようとしたことがありません。
気というか、自分の体内の血流の具合や、なんかうまく説明できないけど体の中や外から触られてるような感覚とか、
そういうのは感じるようになりました。(調子のいい時だけ) 話に入れないとすぐメシの話に逃げるのも
フラれた女の悪口言うタイプだなあ笑 外部の気を感じる練習は、したほうがいいんでしょうかね・・? >>440
そういうのは必要ないですよ
チャクラの覚醒には気のエネルギーが必要なので
気を練ることですね 下腹あたりから上がってくる塊みたいなアレのことですね
私の場合、瞑想してる時とかに関係なく、それこそ仕事中や何でもないときに不意に喉元あたりまで登ってくるのですが、そこから先は上がらずにしばらくすると消えます。
気を寝るのもやってみます・・
意識してない時に勝手に塊ができるのに、意識したからといってできるわけでもないのですが、単に練習不足なだけなのでしょう・・ >>442
そうですね
もう少し気を練れるようになれば
頭まで昇りますよ まああとは外部の気というか
神社とかお寺とかいわゆるパワースポットなんかに行くといいかもです >>413
調べてみました!
確かに頷くものがありましたー。
ハートチャクラは魂と物質を繋ぐ役割って書いてました。その通りかと。 >>399
んー、何故かハートが後ろに開いてからそのあたりが急に分かるようになったんですよね。
探求の果てに…とか、思考とかじゃないです。心というか、”感じ方”の純度みたいなものが関係してると思います。 >>428
なるほど納得。頭開頂いて感じしないです。笑 チャクラの話で思ったけど、
覚醒には縦方向と奥方向があるわー。
私が強調したいのは奥のほう。
縦方向に意識行くと、どんだけ特殊能力をゲットしたかとか、ヒエラルキー構造から脱出したことにならない。そこは、どんなに高次元だろうが、”内部”方向。
ここの違いは強調したい。とても大事なこと。 >>452
うーん
少し違うなあ
基本的に覚醒は縦方向これは人間の肉体が背骨を中心に直立しているから
奥と言うのは精神とかの話だと思うのですけど
内から外へという次元もあってそういうことも覚醒しないとわからんのですよ
精神の世界には方向性はあっても方向はないのです >>403
え?
自我を誰が使うか分からないんですか?
自我を観察する意識ですよ。
ちょっとビックリ。
ではその観測していると思っているそれが自我ですね。
自我から離れていない状態では、観測しているつもりの自我がそこにあるということです。
ということは悟り以前に自我を発見していないということですね… >>454
自我を観察してるのも自我だよ。
観察するものは観察されるもの
つまり自我を使う、なんて事は自我の側にしかないわけ
使うってのは目的があるでしょ
自我から離れてるなんてのは妄想 >>454
もっとわかりやすく説明すると、あなたは他人の自我を使うことはできないでしょ?
それが理解できたら、自我を使うなんて言葉は出てこないんだ。 >>456
自我って何ですか?
意志のことなのか、欲のことなのか
見ている意識のことなのか
わたしはいるという、なんかわからんが、感覚的なものなのか
思いのことなのか
イメージのことなのか
なんのことを自我というのか、皆目わかりませんのです
基本中の基本のようにして、みなさん自我とかエゴとか、いう言葉を使うのですが
難しいのであります私にはw >>453
ああ、表現と定義の違いだとわ!
覚醒は縦方向の >>453途中で書きこんでしまいました。
貴方の表現の方が正しいと思う。
内から外へもあります。
あー、なんて言ったらよいのか!!
背骨は記憶というか。
奥に接続してなければ、縦方向に覚醒してても意味ないというか。
多分伝わらないですよね〜。 天空からの光が、この、鏡の内容物を映している、その意識に気がついた時、その鏡の外側と内側の世界があるが、その内と外は、普段とは反転している
これらの、諸対象の変化は、精神とか認知の範囲内で行われているが、その、本が胸にあり、そこが開くことを、ビックバンの光の残像のようだと表現したのだろうか
しかし、これらの内も外も、本来は、同じであると、わたしは書いたのだわいな
そして、底に沈んでいる、わたしではないにも、関わらず、わたし、の、世界を形成、創造している力は、非常に身近にあり、この、力からは逃れられない
吸収されるか、吸収するか
背中の向こうの恐怖さえ覚えるほどに巨大な、目は、おそらく別次元と繋がっている
この、アナグラに眠っている自己が目覚めて、この、いまここにある、現実、リアルなる、この、ここの空と、ソラネ
ひとつになったとき
おお、わしはワシやったんかあとww
ふう
妄想遊びしすぎると、楽しいわ爆笑 >>460
そういう飛躍した思考はこの道には禁物です
記憶は脳であり背骨は神経です
これは科学です
しかし一般的には脳から背骨、全身という方向にしか流れがないと考えますが
逆方向の流れ(気の流れ)が存在するのです
この流れが大きくなり頭頂部のチャクラを解放する
これが覚醒です
仏像を観れば頭頂がこんもり盛り上がって少し前方に印があるでしょう
これが証拠です
釈迦が発見したのはこの覚醒であり
縦方向の覚醒です
奥というのは自分という始点がなければ存在しないという事を付け加えておきましょう ちなみに内から外というのは
わかりやすく言えば真言
真言を一人唱える訳です
これは内への行為
しかし外へと影響する
不思議でしょう?
でもそういうことがあるんですよ >>463
ありがとうございます。
飛躍した思考で、科学的ではないのは認めます。
ですが、本質を捉えると、背骨は生命進化の歴史が詰まったものであり、それは記憶の象徴だと感じます。言葉の使い方が間違ってるかもしれないですけど。笑
奥というのが自分という始点がなければ存在しないというのは当たり前の話だと思います。
釈迦じゃないので、釈迦が発見したことが何かはわかりませんが、彼自身も自分という始点から発見されていったことは疑いようがないでしょう。
何事も1つの方向には必ず逆向きがあります。
常に⇄です。自分を始点に方向は四方八方に拡がり、また逆に自分に戻ってきます。が、決して見えない方向があります。それが私が奥と表現している方向です。決して上でも下でもありません。 >>465
自分という始点は概念です
これが仏教の真髄です
諸法無我というでしょう
例えば奥というとき自分という概念は手前にいるわけです
そうして奥へ進んで行くわけですが
まだ更に奥があるわけです
それは自分という概念が奥へ進んだので始点が移動した事を意味します
要するに固定される事のない自分はいくらでも奥へと進めてしまうのです
しかし自分は奥へ進んだ、成長したと思ってしまうのです
この道には多々そういうことがありますのでお気をつけください >>466
いいえ不思議ですよ
だから密教なのです なんかこのスレもたんとうはあらぬ方向に行くのか・・・・ >>471
方向は自分という始点があって初めて存在するのですよ >>458
自我の全貌を掴む事が悟りの一側面
だからあなたの疑問は正しい
そして自我の全貌を知るのはとても難しい
自我は死なない事をプログラムされた生命のOSと言っていい
あらゆる生物の生きようとする意志と言ってもいい
それは欲望や快楽に形を変えて人を支配している
或いは恐怖や不安という形で ある人がチャクラがどうしたこうしたと騒ぐ。
〜〜が見えた、空中に浮いた、超能力ができた、と騒ぐ
なぜ?
死ぬのが怖いからだ。
当たり前に生きる事ができない
普通の人として優越感なんて無関係に生きる事ができない
なぜ?
死にたくないから。
自分が人より優越すると、もしくは自分が人とは違って特別な存在と認める事ができると、人は快楽を感じる
その快楽を生むのが自我。
他人の快楽は味わえないでしょ?
そこに自我の仕組みがある
快楽原則に従ってる
その事に気づく事は難しい >>475
本当に自我が死んだら生命は死ぬ
自我を消す事はできないと思っていい
普通に生きてて俺は自我がないとか言ってる奴は解ってない事の証明だな
どのレベルで自我を定義するかによるが >>476
自我が死んでも生命は死にませんよ
赤ん坊を見てごらんなさい
生き生きとしてるではないですか >>475
例えば、あなたはニュースで毎日起きる殺人事件をみて平気でいられるだろ?
でもあなたの最愛の家族やあなた自身が目の前で強盗に八つ裂きにされて殺されて同じように平気でいられる?
いられるというならそれは単なる自己欺瞞だ
たとえそれで平気なフリしたって脈拍、血圧で変化が出るよ
抗えない。それが自我 >>477
赤ん坊は泣くだろ?あれが自我の表現だ
生きようとする、生命を続けようとする
他の赤ちゃんが腹減ってても、自分が満腹なら泣かないだろ
それが自我 >>478
ニュースを観なければいいのですよ
簡単な事です
無意味な妄想に時間を費やす必要などないですから >>479
自我の定義を変えてまで何を訴えたいのでしょうね
一般的には自我は3歳ぐらい自分を意識しだした頃に芽生えると言いますね >>480
意味があるとかないとか決めるのもあなたの自我
それはあなたの自我にとって有益かどうか 自我の話は終わりがないから、自画専用のスレでも立ててそっちでやってくれないかな >>482
毎日殺人事件のニュースを見て平気でいられなくなることが
意味のあることなんですか? >>481
難しい話だからなかなか理解できないかもしれない
上の私の書いた書き込みをよく読んでるくださいとしかいえない
あなたがそうやって頑張ってるのも自我だけど、あなたはそれを気づけないでしょ?
その仕組みが自我の持ってる不思議な機能なんだな。
自分と他人をわける、その仕組み、システム
それが自我だし、色んな問題や一方で素敵な事の根源でもある
この世の森羅万象を生み出してる仕組みと言ってもいい >>484
要するに、自分と他人を分けてるんだ
自我は分離感を生むし、自己とはその分離感 >>485
自我は森羅万象は生み出しませんよ
生み出すのは妄想です笑 悟りってのは自分が全てのあなたであるということ
自分と他人、それどころかこの世のあらゆるものとの分離がなくなる事
全てが自分自身だったとわかる事
そして自分なんていなかったとわかる事
全部が自分自身で自分自身なんていないとしたらどうして他人に優越しようなんて考えるだろう? >>486
まあ自我という概念から離れてみてはいかがでしょうか?
上の方もそうおっしゃってますし >>488
それは魔境ですよ
この板の別の悟りスレにもいますが
悟りとは自分というものが概念でしかなかったと気づくことです 自分の意見とか発言に自己同一化して、それが死なないように頑張る
そしてそうしてる人はその事に気づけない
気づいた上であえてやる人も中にはいるけど、そんな人は稀だな
殆どの人が自我に支配されている
自我とは巧妙なんだな
生理的な反応として人間を支配する
それが悪いと言ってるわけじゃない
インド的に言うならそれがこの世の遊戯を形作るわけだから >>494
それではキリが無い。
分別をするのが迷いならば、
迷いと分別するのもまた迷いとなる。 区別をしながらも分別の念を生じなければ迷いとは言えない。 簡単なクイズを出題しましょう
言葉を用いずに分別してみてください 〇=丸 △=三角 □=四角 ×=ばつ … 分別・迷い
〇=△ △=□ □=× ×=〇 … 無分別・悟り
〇=〇 △=△ □=□ ×=×
〇≠△ △≠□ □≠× ×≠〇 …無分別智・(大悟) 〇≠〇=〇 △≠△=〇 □≠□=〇 〇≠〇≠△≠□≠×=〇 △=△ □=□ ==≠ ≠≠≠…無分別智≠大悟≠無分別智 無分別智≠無分別智=無分別智
◯≠◯=◯
無分別智は無分別智ではないし、無分別智は無分別智であるから、無分別智は無分別智でない
ということだね 人間の枠組みが消える、
記憶がなくなる、なにもかもなし
自分なんていなかった。なにもかもなし。
なにもかもなし。何もかもなしという事さえなし。
なにもかもなし ありとあらゆるものが動かない絶対的な無
なにもかもなしということさえなにもない
無限の無
永遠ということさえ及ばない無限の無
何もかもなし
そんなところへ行ってみたいですか? 人はそんな無限に続く無から生まれてそこに帰っていく
触れ合うために 1さん、開いてる人、開きかけの人は見てるとわかるって書いてましたっけ?
そういう人の特徴ってありますか?
あったら教えてください。
芸能人、芸術家、スポーツ選手、小説家など
有名人で「この人開いてるかもなー」と思えるような人はいますか? >>502
では言葉をなくしてみましょう
〇= △= □= ×= …
〇=△ △=□ □=× ×=〇 …
〇=〇 △=△ □=□ ×=×
〇≠△ △≠□ □≠× ×≠〇 … 意味がある、という事に意味がないから意味があるし、同時に意味がない
もっと言うとどうでもいい >>514
見ためではわかんないかなあ。
発言内容でわかるときがあるよ。 身近な人が、例えばFBやブログなんかに心情や考えを吐露しているそのトーンでわかる。
この間、もしかしたらと思ってた人に直に会ったので、声かけてみたらやっぱりそうだったよ。有名人とかはわからないです。 >>518
ということは分別は
できているのでしょうか?
できていないのでしょうか? >>519
有名人が世間に向けて発する内容ではわからないですか
公にむけてはこんな話しないですもんね・・
見た目といっても、それこそ仏像のように頭に突起がある人は私も見たことないですしね
目つきとか、動きに特徴があるってわけではないんでしょうか? >>520
本当にその立場で答えると
モーツァルトとかいう人は今どこに住んでるんだ?
だし
違う立場で答えると
なにそれ?おいしいの?
になる
で、知的な言葉として、それを外側から捉えるとね
結局は道元さんが言う非思量になる >>521
目の色は深くなる。鋭い目つきとかではなく。
深くなるって感じ。 >>517
空智(真空、本体、真如、色即是空)が
実慧(実体、表相、如是、ありのまま、空即是色)として現れ、
智慧となりはたらく。 >>522
>>524
わたしのクイズは言葉を用いずに分別ができるのかどうかという実験です
実際にやってみられるのが一番わかりやすいと思いますが
難しいですか? このスレはもっとオカルトを楽しむスレなんだから
悟りとかは抜きにしてオーラの色が緑だとかで楽しくやるもんなんだよ
俺もアストラルトリップしてよく月に旅行行ってるよ
月はすごいぞ >>526
自我を語り出したのはあなたではなかったですかねえ
スレを読み返してみると
何か都合が悪いのですか? >>526
たのしそう!
一応アストラルの外があるよーって言ってるつもりなんだけどね。笑 >>528
もちろんある
ここの私の書き込みのいくつかはそこで聞いた事 >>525
今はそうした念が生じないので・・・
例えていうならケーキを子供2人に分けるとき、1/3と2/3にすると
1/3のケーキを与えられた子供に分別の念が生じるようだ。
その分別の念を他に対し表現するとき、大・小という言語になる。 >>532
もっと簡単なクイズですよ
言葉なしに分別が可か、否か
です 悟ってる人は何事も神に依存するけど
彼らが天啓を聞くことはない
一切の幻影を遮断しているから
つまり、この世には幻影しか無いってこと
ここでは彼らが神だ
五識で感じる全てはソースが見ている夢
空に見える月でさえ幻であることを人は知らない
本当の月は心の中にある まぁ幻が鏡に映ってるのがこの世界なんで
気づかないのが普通というか気づく方が異常なんだけどね
どちらかといえば人間として不完全なのは悟ってる人の方 神になれない人間と人間になれない神の間で起こる摩擦が
歪みとなって顕れてる >>536
それね。
方向性があるかぎり、真逆があるから、仕方がないのかもね。仕組みが⇅⇅だから。
ほんとの仕組みは✳✳みたいだけど。 >>537
いきなり、無だ、とか、幻だとか、分別なく1つだ、とか言われても、臨場感ないし、無意味に近いよね。 >>539
そうですねw
悟り自体が無意味 なのは、実際そうなのかもね。
でもそういう答えが知りたいわけじゃない。
そこに至る過程を辿っていきたいと思ってるんですよ >>533
信号が青になれば「青」と言語化しなくてもアクセルを踏むし、
信号が赤になれば「赤」と言語化しなくてもブレーキを踏む。
まぁ、無分別の分別というのかな。
この頃それに委ねてるから分別とか何だか良く分からないな… >>542
最初の頃は青とか赤とか言語化して分別してたのでしょうね
次第に無意識に分別するようになり
分別していることにすら気付かなくなる
だからあえて分別していることを意識する
そう言う手法の瞑想がヴィッパサナー瞑想でありますね 正しい分別は生きていく上で大切なことです
ただ無意識に分別していることに大抵の人は気づかない
分別を無くすのが悟りだと勘違いする人が多いのですが
無意識の分別をなくすことによって自我の本性を暴くのが悟りなのです 外道の悟りはそうかもな
仏教の言う奴は違うけど
そして仏教じゃ悟りは目的じゃないから
外道はここが勘違いされててお花畑のままなおとぎ話なんだけどね >>545
仏教は悟りが目的でなければ
何が目的なんでしょうか? >>546
何って・・・
マジで知らないの?
逆に、何の為に悟りたいのか聞きたい位だよw
他に目的があって外道の悟り研究してたんでしょうに
そうじゃ無いなら目的故に仏教選んでる筈なんだが >>543
分別に気付かなければ今頃死んでいますw >>548
知っていますよ
悟りが目的です
それ以外は外道です 先ず、悟りたいと希望するのが既に欲だし
悟りの為に色々頑張るのは執着でしょ
執着絶やさないから頑張れるんでしょ
悟りたいって願望を折らないからメゲナいんでしょ
それって分別だよね
お外道さん方は違うって言うんでしょうけどね >>549
無意識に分別していることに気づいていないということです >>551
違うでしょ
苦滅でしょ?
煩悩滅尽でしょ?
悟りは、悟ろうが悟るまいが通過点に過ぎない
分別に気付こうが気付くまいが、そこはどうでもいい事
外道はここに拘るけどね >>552
分別は問題ではありません
無意識の分別が問題なのです >>555
逆ですよ
悟ることにより無意識の行為がなくなり
苦が消滅するのです >>558
無意識の行為がなくなると苦が消滅するってのはなんでそう思ったの? >>556
あの、無意識の分別といったら、
生存本能がくっついた自我というか、沈み込んだ記憶による反射、といった意味? >>558
悟る事により無意識の行為が無くなって苦が消滅する?
って事は苦は消滅出来るって事なのかな?
君は悟ってるの? >>562
苦を滅する事を滅諦っていうわけだから釈迦は滅する事ができると思ったわけだけども
まあ、あなたの言いたい事はなんとなくわかるよ
要は苦はどうにもならんって言いたいわけでしょ? >>558
蚊に刺されたら意識化するの?
車を運転中歩行者が飛び出して来たら意識化するの? 仮に、君らが言う悟りとやらで苦が滅せられたと仮定する
では、腹は減らないのか?空腹感は苦にならないのかな?
眠気はどうかな? 悟ったら眠くならないのかな?
疲労感はどうか、悟った後は疲れる事も無く苦痛は起こらないのかな?
>>564
この上記の問題を解決出来る結論が、君らが言う悟りと呼ばれる仏教の範疇なんだよ
これが正しく理解されても、それでも腹は減るしどうするのかな?って話 釈迦は確かにヴィパッサナー冥想に近い冥想を弟子に勧めていた
アーナーパーナサティと呼ばれる
で、それで釈迦はその冥想によって完全な絶対無の世界、ニルヴァーナの世界に辿り着いた
で、釈迦はそこで死のうと思ったわけだ
解脱というのはそれ位人間とは無関係なわけ。
が、最後には立ち上がって冥想から聞いた摂理を人々のために語り始めた
それが四聖諦、八正道。
それは生きている人の役に立つ知恵
ただそれらは釈迦が解脱によって得たものであった
だから釈迦は出家した弟子には冥想をして解脱する事を目指させた
そして、亡くなる前に弟子に言うわけ。これからはお前が自己を拠り所にしろ、って ある程度修行すれば、空腹や睡眠、疲労等の欲や苦痛は禅定力で
脳内モルヒネ出せばw対応出来るようになるけど、勿論、それと
覚りは別物だよね。 良く仏教じゃ四諦と言うのを教える(初門クラスだと習わない事も多いし、宗派によっては教えないとこもあるかも)
苦集滅道という四つの真理の事を四諦と言うんだが
苦と言う事実を知る事、その一 苦諦
苦は集まる事によって成り立ってる(苦の起こり方を知る)と知る、その二 集諦
苦にはどうやら賞味期限が有って、ずっと続く訳じゃ無いと知る、その三 滅諦
苦の賞味期限を早められる方法が有る事を知る、その四 道諦
ってのが大筋
仏教が担ってるのはこの四つ目の道諦、苦滅の方法って訳
だから、悟れたとか悟れなかったとかは、お釈迦様は重要だったけど俺達にはどうでもいい事なのね
苦が滅せられれば良いのだからね
その為に瞑想する訳、悟る為じゃ決してないのよ >>569
3、4が独自解釈すぎるかな
あなたがそれで良いなら別に良いけど >>567
>そして、亡くなる前に弟子に言うわけ。これからはお前が自己を拠り所にしろ、って
ちょっと違うかな
自分と呼んでるそれと、自分を成り立たせてる法
この二つ以外は拠り所にしない事って言った筈だよ
自己を拠り所って間違ってないんだけど、言葉が足りないから誤解されちゃうんよ
ロウソクが自己ね、炎が法
ロウソクだけあっても明かりとしては意味無いよね
炎だけ現象するなんてあり得ないよね(火種や燃料は必要) >>570
みんなに分かりやすいように書いただけだよ
苦は滅すると言う真理が滅諦、苦には滅せる方法が有ると言う真理が道諦だよ >>571
自己を拠り所にできるたまには悟りがなにかわからないと無理なんだ。
四聖諦とかはその産物 >>572
うん。上の解釈は違うから注意すること。
しなくてもいいけど >>573
今悟れてるの?
出来てないの?
じゃあ、何故書き込みが出来てるの?
悟りたいなら書き込んでる場合じゃ無いと思うよ >>574
苦の賞味期限が気に入らないのかな?
消費期限が良かったかなw
いずれにしても、苦は何故滅する?
悟れてるなら簡単なんじゃないのかな? 大好きだから追いかけて、体当たりするするのが、草です。
公共の秩序とか一切きにかけてません。
立派なテロ集団 >>1さん
どれが>>1さんの書き込みかわかるようコテつけてください、お願いします。 例えば坐禅なんかして禅定に入定する
何か見えたり聞こえたりしてても気にしない気にならない
この時って何にも考えてないから何にも分からなくなる
段々深く、時間の感覚もなくなる
そう言う状態って中々進まないんだけど、ひと月もやってりゃ直ぐだよ
根気よく45分位、気が済むまで回数こなしてれば直ぐこの状態にはなれる
でも、上記で気持ちよくはなるかも知れないけど、それが悟りな訳じゃないのね
入定して、その後に出定する、ここで何かに気付けなきゃ何回も瞑想する事になる >>580
イルカと泳げばハートのチャクラ開くぞ
やってみて 外道じゃ話にならんだろうな
外道のは桃源郷の御伽噺だから >>578
コテって何や?と調べたwww
名前のとこにいれた。 >>588
そうそう。
これって毎回入力しないと駄目なの? >>582
あるいはピンクと書いてあった。
見えたことないけど。笑 >>583
プールでたびたびスイミングハイにはなるんだけど、
あの状態とチャクラは関係ある?
ただの脳内麻薬だろうなとは思ってるけど。 科学的な態度では無くオカルトな話。
五感覚は胸で統合するみたいだ。
ちょうど十字架の縦と横が交差してるとこが胸で、イエスが刺された釘方向が重要。
宗教の宗もそういえば、ムネって読むね。
日本語の不思議だなあ。 そうだね
気持ちは大事だね
気持ちの湧くところが胸だからね
そこに苦しみもあるのさ
意識のとっかえひっかえしていても、どれだけ感性を磨いても、神秘と繋がっても、まだまだ、求めるからね
深くなるのは気持ちがこもるからな
ふう
誰も助けてはくれんが、胸の奥の郷愁は、深きところへ連れていく
気分だ気分
どうしようもないとわかるのが、いい
開くのは、そこからやろな
個人的なんやわな、そーゆーのって
まあ要するに起こってくる 修行は修行の意思をもってやらなくてはいけないのじゃ 1さん。
友人関係とかどうされていますか?
友達はありがたいけど、一人でいるほうが楽だったりしませんか?
失くしたいわけではないけど、失くなるならそれもいい・・ような。
他にも、恋愛関係とかどうですか?
異性に執着したい気持ちはありますか?もう無いんじゃないですか?
人と会うときは割り切って楽しんでますけどね。 人間は記憶の束
そして他人の記憶を持つ事はできない
他人の記憶のように自分の記憶を持つ事ができる 愛とは自分が消えた時に初めて垣間見る事ができる
子孫を増やすために行われる恋愛ごっこやセックスは単なる自我のトリックにすぎない
ただ、その恋愛ごっこの中でもごく稀に本当の愛に触れる事がある
それは自己をそこに投げ出した時
自分をそこに捧げた時
自分を捧げた所に愛が生まれ、安らぎが生まれる >>595
友人関係も恋愛関係も同じですね。
ぼっちが寂しいから、「ともだち」「恋人」が必要だから付き合うとかはもう無いです。
でも友達も恋人も、信頼関係が築けたら嬉しいです。そういった関係は貴重だからすごく大事にしたい。
異性に対しての願望はあります。執着はしませんが。笑 異性間の構造は真逆になっているので、そこの方向性の一致にはロマンがあります。笑
ひとりはひとりで楽しいし、変に抑圧して人に合わせることはないですね〜。
合わせる場合は配慮からですー。 >>594
こう、出来事というものは、そういうふうにはできてないのです
対象と自己は同時に変化していくので、自分の意思など錯覚なのですよ
向こうからやってくるんです、出来事のほうが
だから何もできないんですよ人間は
創造する神秘の働きが、自己ではないのに、自己の心奥から人生を形成している
ところが普通は自分の行為が創造してあると、こう勘違いしているわけです
この苦しみは、つまり、自己が、どーしょーもないからなんですよwww
そこでコン詰まって、自我は落ちるけども、それは個人的なことで、一般的にはできない
その人だけのものなのです >>601
自由意志は、普段の知的側面にあるのではなくて、心の深い部分に関与することで、自己の態度が変わるとか、そういう内的状態で働いているのです
なにをするか、なにが起こるかではなく、起こったことに、自分がどんな気持ちでいるか等々には意志が関与する
そして、それが表層のうそっぱちではなく、心の奥底からの、ほんきのものなら、世界が変わるのです
出来事は同じでも、反応が変われば、しだいに運命に影響がでるわけです
修行は、行為することを変えるわけではなくて、自己に対する仕方が変わることです
坐禅するにしても、気持の在り方が、非常に関連するのであります
そして、それらは、決めたからできるとか、やったから何かあるとかとは関係ないんです
ただ、個人的なことです
わたしならわたしだけの問題、他の人はまた違い、それぞれの気持ちが関与するのです
だから、べつに答はないので一般的にはならないことなんです
本当にくるしいときに、落ちるといっても、それは人によって全然違う
だから、ある人の方法と、また別の方法と、いろいろあるわけだけども、問題は
己が世間から逃れたか >>598
>ぼっちが寂しいから、「ともだち」「恋人」が必要だから付き合うとかはもう無いです。
相手も一緒に、それがわかってれば問題ありませんが・・
そういう感覚がわからない人ほど、抑圧して相手に同意を求めるのですよ
でも相手の寂しさも理解できます。
今は向こうの気が済むまで聞いていようと思ってはいます。
>異性間の構造が真逆
ここはもっと詳しく教えてくださいw
もちろん、肉体構造が違うのだから、それの肉体自体が持っている意識や本能は違いますよね。
もうちょっと具体的に教えてくれると助かります ■■ ■■
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聞いたよー。ありがとう^_^
なんか、この数日かでここでワーワー言ってたこととほぼ同じだー。
このラジオ聞いて言ってたのか、このパーソナリティさんその人なのかと思うぐらい同じだ。笑 >>605
たしかに相手に同じは求められないですよね〜。
異性間の構造は陰陽だけなら凸凹ハマるはずんですが、方向性が真逆のエネルギーを出してるんですよね。だから調和しにくいのです。
イメージとしては男性の性欲を↓とすれば、女性は↑。同じ方向を向こうと思うと、どちらかが折れることになります。どちらも折れるとサークルになります。 >>605
続き
アゲマンっていうのは、女性が上向き↑の方向を持ってるからかなーと思ってるw
男性の下向き↓を引き上げるんだよねw
アゲマン女性のパートナー男性は必ず女性を尊敬していて、征服してないでしょ?
(一応具体的なつもりw) >>602
なるほど。つまり意思はあるという意見ね。
自分の意思は錯覚ではない、と。
禅の人とかは意思は全くないと見る人もいるんだよね
俺もあると思う派だけど ■■ ■■
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この世のあらゆる現象は全て単なる縁起の現象であり、人間の意思も全て反応にすぎない
って見方もある
それはそれで救われる人もいるんだよね
我々は単なる人形で自分なんて錯覚にすぎないという見方 仏教系の人よりもキリスト教系の人の方が今の世の中には合ってる気がする
仏教系は逆にエゴを深くする場合が多いな
仏教でも真宗とかだと違うんだろうが >>421
このスレであなただけまとものようだ。仏教に興味ある?悟りとは何だと思う? >>615
悟りとは観念だよ
観念だけにそんなものは実在しない
念じて観てるだけだからね >>615
仏教興味ありますよ
悟りとは、感受性
悲しみを悲しむ
喜びを喜ぶ
その深さ >>607御本人は興味もないでしょうね。
一瞥体験や見性体験された方は、同じことおっしゃってますよ。
1さんもスレタイで「悟り」は違ったかも。
とてもスピリチュアルな方だとは思うけど。 悟りは二種類あると思って良い
1つは禅的な悟り。
それは人が生きる上で役に立つ。その人らしく生きる。
もう1つはヨガ的な悟り。
クンダリーニヨガ、クンダリーニ覚醒。
これは冥想じゃなく現実的なショックによっても起こる。 >>619悟りがないのに、何で2種類あるかな〜
二つあるならそれは悟りとは無関係ですよね。
みんな、それぞれの観念を持って悟りを語るから
本質から遠ざかってしまう。 見性といっても語った時点で過去の体験談だから。
その時の感覚を思い出す事自体、既に妄想だから。
禅者は見性後は正念相続あるだけ。 禅的な悟りとか・・・
八角磨盤空裏走 (はっかくのまばんくうりをはしる) >>620
無関係ではないんだ
別にわからなくていい
そしてほとんどの人には禅的な悟りしか有用ではない >>621
うん
この人もまさにそれを言ってる
クンダリニ、つまり完全な解脱の体験ってのは人間とはかけ離れてる
確かにチャクラの覚醒によって超能力とかができたりするんだけど、それは人間本来の問題を解決しない 見性体験
自分の場合、仏教だのなんだのを知らない時から三度あった
一番強烈だったのは寝っ転がってる時に仏教でいう空がわかった。その時は空という言葉すら知らなかったと思う
不思議としか言えない
生まれてから誰にも教えられずになぜか結跏趺坐で座ってる子供だった >>622まったくそのとおりだと思います。
自我を喪失する一瞥体験や見性体験ですら悟りとは
無関係なことはわかります。 >>625は悟りの段階のことを指してるのかな?
あと
>>626あと、空が分かった自分っていましたか? >>628思う私がいる限りそもそも悟りじゃないww >>629
段階というか、方向が違うという感じ
禅は下っていうか、身心脱落でしょ
その解脱は人間的なんだ。
クンダリニによる解脱は上に飛んでいく
で、合一する。死ぬ。
時にはそれで廃人になったりする
釈迦はクンダリニによる解脱の後に死のうとしたんだけど、クンダリニによる解脱を体験した人は自殺する人が多いんだ 私の思う悟りって純粋な気づき、といった意味だと思ってる。気づきのパラダイムシフト版みたいな感じ。世界観が劇的に変わること。
延長線上から一段ジャンプして上がったら風景違いますね、ワーオ! みたいな。
大悟?しか悟りと言ってはならない常識?かわあるのか知らんけど、
大悟があるなら小悟も中悟もあるはずで。
まあ、クンダリーニとか知らんけど、
胸の奥の良心と知性がなければ、延々とどちらが正しい正しくないの宗教戦争やり続けるしかないと思う。 揚げ足取ることばかりいってるみたいで申し訳ないのですが、
禅的悟りが
>人が生きる上で役に立つ。その人らしく生きる。
というのは全く見当違い、というか、
役に立つ自分というのは、禅という宗教ととらえて発してる
言葉なのでしょうか?それならば、役に立つこともその人らしく生きることもできる
とは思いますが。 >>632
それは禅的な悟りの世界観に近いかもね
見方の次元が変わるというか、抽象度が増すというか >>631釈迦も概念ですよ。
妄執で釈迦を実際にあることにして今語ってますよね。 >>633
禅は素晴らしいと思いますよ
禅宗も素晴らしいと思いますが、宗教として信者なわけではないです
自分にとってどうか、という問題だと思うので当然、禅宗の教義からは外れてるところも多々あると思います >>632上とか下とか知性とか、大だの小だのと、
その分別が頭の中にある限り戦争はなくならないんじゃないですか? >>635
言いたい事はわかるけど、そういうレベルで話したら妄執も概念ですよね?ってなるでしょ
だから今それを持ち出すのはあんまり意味ないと思う 戦争か
イスラム教徒の人に今から無分別とか坐禅しろって言ってもしないだろうね 妄執も概念ですね。
だから>>623のように八角磨盤空裏走としかいえないのでしょうね。
私も禅についても良く知りませんが。
ひとつ言葉が起これば全て概念となるし、それは分別となる。
よって語れる全ては悟りとは無関係。ということですね。 >>641
言葉で完全に語るのは無理ってのはその通りだと思うけど全く無関係って事もないんじゃないかな >>634
禅的な悟りの世界観なんだ。
知らなかった、ありがとう。
うん。そんな感じ。抽象度が増す。 >>642言葉と関係ありますか?
概念や分別と関係ないところで、(悟りといわれる)それが起こるのなら
語る全ては分別でしかないですよね。
たとえば、赤といえば白があり色の概念に包まれる
明日、といえば昨日があり、私といえば他人がいて…
言葉や思考が消え、概念なくしては目の前に関係性というものがない。
ま、このように語ることはできますが。 >>643なんでしょうかね。なんで語ってんのかよくわからないです。 論理は愛に仕えるべきだ。そしてそうなったら、生は光の祭典になることができる。
…とインドのoshoは言っているのを、今見つけました。
愛はハートで論理はマインド。
マインドは心の意味で使ってないよ。
頭をマインドと言ってる。
ムージ?とか知らんラジオのおじさんのお話とか出すから、わたしも引用してみたw >>646
あ、そうか。ごめんなさい。
この場合の上下は方向性としての表現。
で、大中小は大をゴールとして、ゴール半ば、ゴールへの入り口、といったような意味。
それで、上が偉いとか、大がすごいとかは、無意識の信念体系だと思うな。 >>646だけどアンカ間違えかな?
>>632の事なら、比較の事ですよ。
概念で捉えるとどうしても比較が起きますよね、その比較は葛藤と争いに通じるということです。
>胸の奥の良心と知性がなければ、延々とどちら>が正しい正しくないの宗教戦争やり続けるしか>ないと思う。
ほんと、意地悪というか、あげ足取ろうって
わけじゃないんですが、
もし胸の奥に良心が本当にあるなら、
その同じ胸の奥に悪心もあります。
良心も悪心もないというなら、最早、胸の奥すらない時、争いはなくなるかもしれません。
1さんのプチ悟りは争いの只中と言えるのではないでしょうか?
上・下を凄いとか偉いなどといった価値判断を
した訳ではありませんよ。 >>650
途中でごめんなさいw
>>646で>>643にレスしてたから。文脈がよくわからなくて。
胸の奥にある良心は、良い悪いのソレではないんです。なんてゆうか、嘘がないっていったほうが良いかな。 仰りたいことはわかります。
スピリチュアルとしてなにか問題がある訳じゃないけれど
書き込みながら寝てしまったw
胸の奥ってありますか?
嘘のない、があるじゃないですか? >>652
また、まことは根拠のないことを断言しとるのう 悟りは論理学である。
何についての論理学であるか。 >>645
その通りだと思うけども、それを伝えるのもまた言葉だからね
無関係ではないんじゃないかな 愚かな自分に気付けば良いんだよ
それが悟り
その他は悟りと思ってるだけでただの妄想 大事な事はいつでも『あなたにとってどうか』、しかないでしょ
釈迦や達磨や他のどんな聖人と全く同じ悟りの境地になったとしても自分がそれに違和感あったらどうにもならない
自分がどうか、っていう事
だから究極的には何かに従うというのは間違い
誰かに従うのはある場所まで 禅でも最後に行き着くのは、素直であるということ。
天真爛漫であること
そこには比較がない。憧れがない。理想がない。
誰かが愚かだとか、賢いなんて事はないわけ。
大げさじゃない、ごく当たり前の素直さ。
それが禅的な悟り >>659-660
その御託を並べる愚かさに気付けばいいんだよ
その煩悩こそが即ち菩提なのだから
「いやいやいや違う違う、そうじゃ無くて・・・」と言うその思いも煩悩 福島県警白河署は11日までに、福島県泉崎村の神社でキツネの石像などを壊したとして、
器物損壊と建造物侵入の疑いで、
住所不定、韓国籍の無職、チョン・スンホ容疑者(35)を逮捕した。
福島県では今月に入り、泉崎村の北側に位置する須賀川市、郡山市、福島市の寺や神社などから、
仏像や地蔵像が壊されたとの被害届が相次ぎ、損壊数は少なくとも100体近くに上っている。
白河署は関連を調べる方針。
逮捕容疑は、9日夜、同県泉崎村の稲荷神社でキツネの石像2体を壊し、
さらに本殿に侵入してキツネの木像などを壊した疑い。
署には10日、稲荷神社とは別の寺と神社から石仏が倒されたり、ご神体が壊されたりしたとの届けがあり、
署員が白河市内で容疑者を職務質問。犯行を認めたため逮捕したという。
http://www.sankei.com/affairs/news/161211/afr1612110008-n1.html
______
/___ \ _____ 思った通り
( ( ))  ̄ \ \. / \ 小っさい脳みそだお
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ . \ / \
/;;:: ::;ヽ / ノ ー \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .| (●) (●) |
\ (__人__) /
__ / ` ⌒´ \
__/_;;;::ヽ___ . | ヽ
|;;:: ィ●ァ ィ●ァ::;;| . | | |
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|;;:: c{ っ ::;;| | | |
|;;:: __ ::;;;|
ヽ;;:: ー ::;;/
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|;;:: ::;;|
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|;;:: 朝鮮人 ::;;| >>658気づこうとしている自分は愚かではないんですかね?
愚かな自分と気づこうとしている自分が居るんですか?
どちらの自分も消え去ったとき、愚かさだけがあるんじゃないですか? >>664
愚かである自分に愚かな自分が自分とは愚かだったと気付くんだよ
どうして自分を除外したがるのかな?
愚かな自分以外に自分は居ないだろ
手放せられる理由は、愚かも自分も元々は存在しないからだよ
消え去ると思ってるならそれは誤り
一時的に捉われなく出来てるだけ
存在しない筈の自分を実感してしまってるから愚かなのさ
まだわかんないのかな?
煩悩即菩提だよ?
煩悩に気付けなきゃ菩提も何もありゃしない
煩悩は要するに迷いの事
迷ってるのが自分だと気付けなくて、どうやって手当出来るのさ もし、迷いが晴れたなら、そこに自分などと言う妄想は残らない
あるのは現観だけ、今までこれを自分だと勘違いしていたってだけ
「私はこう思う」と述べる奴は星の数ほど居る
これみんな「私」が解ってないから言える
「私は悟った」と言う奴も2ちゃんじゃ珍しくない
これみんな「悟り」が解ってないから言える
この両者は同じ事 認識している意識がなければ認識も存在しないからね。
釈迦は存在していたよね。
肉体を維持していたのは誰だろう? >>668
>肉体を維持していたのは誰だろう?
と考えてしまう事こそが愚の骨頂なんだよ
どうして今生きてられてるのかを忘れてる
その忘れられる作用を逆手に使うのが坐禅なんだがね >>669
愚の骨頂でもいいけどさ、気づきを得た舎利子が書いた般若心経で空即是色とかを知ることは、ただの愚の骨頂の伝言ゲームかな? >>670
舎利弗は般若心経なんか書いてないし説いてないでしょ
色即是空空即是色、受想行識亦復如是。
これがそのまま自己の事だと判ればまず一歩、でも知っただけじゃまだ愚かは免れないよ
知っただけではまだ観念だからね
観念は自分と言う妄想の副産物なんで >>653
観念と感じることの違いみたいなものかしら。
あなたの言いたいこと、聞いてみたいです。 >>661
まさに君の事だね
君は煩悩の塊だね!おめでとう!! >>673
どうして君がそこに含まないのかな?
含ませたくないそれこそが煩悩な訳だが
プライドなんて仏教じゃガラクタだよ バカにされたくない
と言う思いこそが悟りの邪魔なんだよ
自分を手放せないからバカにされたくない訳で >>671
色も空も一緒、思ってることもやってる事もこれまたぜんぶ一緒だよ、だね。
で、それを認識している意識は現観って書いてたあったっけ?私と思っているものをも含めて眺めている。
想像世界ではなく現実界にある意識だね。
それで合ってますか? >>677
俺はバカだが、君はバカじゃないのかな? >>680
大事な事は、君がどうか、それだけじゃない?
バカとか愚かは比較だから 当たり前に素直である
天真爛漫さ
平常のそのままでいい、という事
全てが順調である事がわかる
禅的な悟りはそういうもので大袈裟に捉えても仕方ない >>679
>色も空も一緒、思ってることもやってる事もこれまたぜんぶ一緒だよ、だね。
そうじゃないな
一緒なら色であり空でもある、となる
それでは空がおかしくなるんだよ
非色非非色と言うのが色即是空って事
>想像世界ではなく現実界にある意識だね。
ちょっと違うね
君自身が世界なんだよ >>685
君自身が世界って意味わかってないでしょ? >>687
うん。意味わかってないでしょ?
わかってたら多分あなたのようにはならない 別にわかる必要ないけど
いつかわかる時が来るんだろうね 生悟りはみんな口揃えてID:ELnCe1MBの様に知ったかぶるものさ
その張り合いたがる煩悩を逆手に取って教導出来れば大したものなんだが
生悟りにそれは出来ないんだよな
自分は愚かじゃないと思い込んでるし 自分があると言う時点で愚かなんですよ
それを仏教では「無明」って言うんですよ
>>691
君の事でもあるじゃーん! >>692
愚かだとなんかダメなの?
なんでそんなに愚か、愚かって騒ぐわけ?
愚かでもいいならあなたみたいに騒がないんじゃない?
愚かってのは比較でしょ? >>693
自分の愚かさに気付くのが悟りだから
生悟りだとそこが分からないんだよな >>685
君自身が世界であることを認識してる意識だよね? >>694
あなたが本心でそう思ってるなら、愚かじゃなくなろうと努力するんだろうし、してるんでしょう
で、それは悟りでもなんでもない事がいつかわかるんじゃないかな 気付くと双子を生み出すことでは?
すなわち、愚かさと賢さ。
双子を生み出す母体は如何がですか? >>695
愚か以外に無明は無いよ
逆に、無明=愚かの意味が解明したら
それこそがお望みのものだよ
自受用身の神髄を享受する事になる
>>696
違う
自分とは何だ?
五感六根に於ける情報処理の結果を云々してるのが自分なんじゃないのか?
それはつまり、一即多多即一そのままだろ
考えた事ないか |∧_∧
|・(ェ)・)
|⊂ノ.
|`J
「もしも愚者が自ら愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だと言われる。」
岩波文庫 『真理のことば 感興のことば』
だそうであります。
賢者の人は、取敢えず自分は愚者だと思っといた方が良さそうでありますね。
我は決して賢者に転じることのない愚者の中の愚者でります。 >>697
愚かは実在しない
実在しないものを愚かと思ってただけ
それこそが自分なんでしょ
その自分とは一体何なのか、が分からないと愚かのまま
分かってない自分が愚かと気付けなければ、ずっとそのままだよ
まだ分からないのかな >>699
無明と法性は双子。
双子は何処から生ずるの? >>702
法性が分からなければそれが無明なんでしょ
双子って解釈がそもそもおかしい >>703
いやいや、無明を識ること即法性を識ること。
則ち双子。
その双子は何処から生ずるのか? >>705
じゃあ、無明って何?
また、法性とは何?
真理に二は有り得ない訳で
意味を二分したらそれは誤謬か詭弁になるよ なんか盛り上がってきましたね。
>>672寝落ち前に何を書こうとしたか覚えてませんが、
胸の奥とか嘘のない、、、とか、それも分別ですよね?
分別心が争いを作ってるということを言おうとしてたのかな。
>>666確かに消え去る自分がいる訳ではないけど
愚かだったと気づく為に自分が必要ですか?
>>667>これみんな「私」が解ってないから言える
ということは悟りがわかってるんですかね? 無明とは法性の対義語なり。
無明を識ることは法性を識ること。
法性を識ることは無明を識ること。
明と暗は同時。
明暗以前は如何に? >>708は訂正
×>>667>これみんな「私」が解ってないから言える
ということは悟りがわかってるんですかね?
○>これみんな「悟り」が解ってないから言える
ということは悟りがわかってるんですかね? >>708
>愚かだったと気づく為に自分が必要ですか?
自分とは一体何だろう、と考える時に自分は不要かな?
>>>667>これみんな「私」が解ってないから言える
>ということは悟りがわかってるんですかね?
分かってたらここに書き込まないんじゃないのかな
分かってない奴が分かってない事をバネに、何かを伝えようとしてる
そういうアホなんだ、勘弁してくれ >>666議論するならその辺に焦点をあててもいいですか?
仏教学的なことを引用しても何にも分からないので
ややこしくなる。 >>710
ふーん、そうなんだ
でも、本来本法性天然自性身って言うよね
その意味が全く自身に当てはまった気がしない、腑に落ちない事が
無明なんでしょ、ひょっとして、無明と法性とは別々にあるとか思ってないか? >>712ああ、そうなんですね。分かりました。
全然問題ないです。 無明は根底ではありません。
根底の上に無明と法性が生ずるのです。
ものが生ずる時は常に一対(仏教的には)です。 >>713
仏教学は、知らないより知ってた方が役に立つが
別に知らないならそれはそれ、別に構わんと思うよ
ただ、学んだことが無いのに当てずっぽで妄想書くと
後が辛くなると思われる
そう言う意味では、一応筋道は知っといた方がいいし
俺の場合は大抵、ググってわかる範囲の用語しか使わない
ググれる範囲しか使わないから、ネット仏教とか馬鹿にされるけど
まあ関係ない罠 >>699
いや、自分とはどこにも書いてないよ。
「君が世界だ」と知るものは、あなたが現観と書いたそれの事ではないのか?と聞いています。 >>714
私は坐禅屋なので見性すれば解ります、としか。 >>718学問もあてずっぽともいえますよね。
眼鼻耳舌身意の五感も頭でやってませんか? >「君が世界だ」と知るものは、あなたが現観と書いたそれの事ではないのか
同じ事だろ
「君」と言われたら普通は、指された自分の事と考えないのかな
額面で書かれてなければ推し量れない気質の人なのかな >>706
.∧_∧
(;(∀);)
(つ旦と)
と_)_)
ありがとであります。
けど愚にかわりはないであります。
>>1さん質問です。
3回の胸の観音開きっていうのは、サマディってやつの一つとお考えでありましょうか?
その経験に至るまでにどんな取り組みをしていたのか、どんな状況で経験したのか知りたいであります。 >>718仏教を学んで妄想が分かるとか?(笑)
五感を拠り所にされれば、妄想について学ぶ必要ないですよ。
妄想という言葉の意味は辞書でもひかなきゃならないでしょうけど。 >>722
>>671
色も空も一緒、思ってることもやってる事もこれまたぜんぶ一緒だよ、だね。
で、それを認識している意識は現観って書いてあったっけ?私と思っているものをも含めて眺めている。
想像世界ではなく現実界にある意識だね。
それで合ってますか?
>>679
>色も空も一緒、思ってることもやってる事もこれまたぜんぶ一緒だよ、だね。
そうじゃないな
一緒なら色であり空でもある、となる
それでは空がおかしくなるんだよ
非色非非色と言うのが色即是空って事
>想像世界ではなく現実界にある意識だね。
ちょっと違うね
君自身が世界なんだよ
>>685
「君自身が世界である」ことを認識してる意識だよね?
>>696
違う
自分とは何だ?
五感六根に於ける情報処理の結果を云々してるのが自分なんじゃないのか?
それはつまり、一即多多即一そのままだろ
考えた事ないか
>>699
いや、自分とはどこにも書いてないよ。
「君が世界だ」と知るものは、あなたが現観と書いたそれの事ではないのか?と聞いています。
>「君が世界だ」と知るものは、あなたが現観と書いたそれの事ではないのか
同じ事だろ
「君」と言われたら普通は、指された自分の事と考えないのかな
額面で書かれてなければ推し量れない気質の人なのかな
…なんだかグルグル同じところを回ってる気がするのは気のせいでしょうか?
最初からそれを認識してるのはその意識だよねと書いたら、違うというコメントが返ってきたんだけど(笑)
結局、指してるものは同じでいいんですね? >>652
.∧_∧
(・(ェ)・)
(つ旦と)
と_)_)
ありのまま、カエルのパパってやつでありましょうか? >>723
サマディではないと思います。
2回目の貫通でエクスタシー状態に3ヶ月ほど居ましたが、快の後ろの不快を感じ、脱しました。
ゴミが美しく見えてるような感じを感じたので。
体験を得るための取り組みはしたことがありません。瞑想もマントラ?も。
ひとつだけ、心理の根っこを追求することだけ、趣味みたいにしてたかなあ。自我を信頼できなかったので。笑
どんな状況とは?その時の環境?心理的な状況? ここで煩悩とか無明とか仰ってる方は、坐禅と見性のスレで「自己の本性は煩悩である」と嘯き、
自性無性を話したら「お前、後30年掛かる」とか仰ってた方でしょ? >>727
ありがとう。
γ⌒:"-ヽ
(∪( )
∪∪∨-∨
>ゴミが美しく見えてるような感じを感じ
←ふむ。ゴミに不快感を感じないだけでなく、美しく見えたら、確かにへんでありますね。
>心理の根っこを追求することだけ、趣味みたいにしてた
←これをお聞きしたかったであります!
これって、「止観」の観とか、ラマナマハリシ「わたしは誰か?」みたいな心の観察と同じようなことと勝手に思うのでありますが、
その追求につき、その時の環境でも心理的な状況でも、何でもよいであります。
書いてくれると嬉しいであります。 ちなみに、その無明とか煩悩とか仰ってる方に「無字」を
訊ねたら「どうでもいい」が答えだった。
他宗の方ならともかく、禅宗を標榜していてこの次元だから
仏教に対する理解など推して知るべしです。 |∧_∧
|・(ェ)・)
|⊂ノ.
|`J こんなんありました!
他人のしたことと、しなかったことを見るな。ただ、自分のしたことと、しなかったことだけを見よ。
『ダンマパダ』 50(『法句経』)
岩波文庫 >>729
わたしは誰か?を心理的に絡まってるときにいきなり問うても基本意味ないと思うのね。
悟りor妄想 の議論も同じかと。笑
わたしの場合は、何が真実かわかんないから、消去法的にやっていったの。コレも違う、アレも違う、みたいに。
物事の根っこは??って辿っていったのね。 >>731
老婆心ながら、仰りたいことは 良ぉぉぉぉぉぉく 分かりますが、
それはお釈迦様の言葉(勝義帯)である事を観ておかないと妄想に
なりませんか?
不見の見、不行の行。 >>729
その過程で、自我の正当化やら嘘やら恥ずかしい自尊心やら保身やら、いっぱい見るわけよ。
死にたくなったりしたわwwww 1ちゃんさん、一つだけ教えてください。
死にたくなってる知人をあの手この手で力づけようとしているのですが、
こういう努力は、胸の奥の光の側でも何かを起こしていますよね。 >>735
はい。そう思います。
愛は方向性です。胸の奥のずーっと繋がってるところへの。 >>735
友人を力づけてあげたいその気持ちの本当の動機をしっかり観てほしいかな。
あと、友人にもその奥の光があるはずだから、そこを観てあげてほしい。見ることは愛eyeでもあるし、そこは貴方にも繋がっているから。 >>732
>心理的に絡まってるとき
>何が真実かわかんないから、消去法的にやっていったの。コレも違う、アレも違う、みたいに。
物事の根っこは??って辿っていった
←うぅ・・・これは難しそうでありますが、合理的でありますね。
私は、心理的に絡まってるとき、
まず、「止観」の止からはじめて、まず雑念を整理して、絡まりをとき、ある程度心をコントロールできるようになってから、勇気をもってありのままの観察に取り組んだでありますが、
いざ観察を始めてみると、絡まりの内訳がなかなか観察対象として浮き出てこず、
その際に、>>1 さんのように、(ちょぴっと趣旨が違うかもでありますが)いろいろ記憶を想起して、コレも違う、アレも違うとやってみたのですが、上手く行かなかったであります。
せっかく勇気をもって、自己観察に取り組んだのに、肩透かしだったであります。
で、仕方なく、呼吸に集中する瞑想を続けていたら、ある日突然潜在意識の奥底に沈められていた、自分の全て?がかたまりとして一気に吹き出して、一瞬で消え去りました。
ビックリたまげたのでありますが、何故かそれ以来、どんなに困難な状況下でも、ありのままの自分を観察することは苦にならなくなったであります。
私は、自分を観察するのが怖かったであります。思い出したくないこと、嫌なこと、不安なこと、
それらから逃げていても、奥底で苦は大きくなって行くだけとわかっていても、怖くて嫌で、なかなか取り組めなかったであります。
けど、「苦」を何とかしたくて、「止観」に取り組んだ結果、ありのままを観察できるようになったであります。
私は、ちょぴっと「気」を感じる以外は>>1さんのような特別な体験はありませんが、恐れずに心の観察ができるようになっただけでも、かなり楽になったであります。
今後もプチ悟り・・を苦の克服法の一つとして、いろいろ教えてください。
(´・(ェ)・`)/
ありがとう。 >>734
あっ!つづきがあったのでありますね。
>その過程で、自我の正当化やら嘘やら恥ずかしい自尊心やら保身やら、いっぱい見るわけよ。
死にたくなったりした
以前、2ちゃんにも書き込みしてらした、brownさんと言うかたの、自己観察の方法についての文章を参考にして、想定できる自分の隠されている本心みたいなもののシナリオを用意して問いかけたり、
自らの死を想起したりもやってみたのですが、私は上手く行かなかったです。
たまたま、一気に吹き出してくれて、ラッキーでありました。、
(´・(ェ)・`)/ありがとう。 >>738
俺はこれ自己欺瞞に見えるけど
本人は気づいてないんだろな >>733
γ⌒:"-ヽ
(∪( )
∪∪∨-∨
ありがと。気を付けるであります。 鼻詰まりがスッと治ったのをチャクラが啓いたとか
見性したとか言う奴いそうw >>740
こちらこそありがとうʕʘ‿ʘʔ
わたしの場合、そうやっていって、無意識がだんだん意識的になっていったんだけど、
ある時、苦の原因だった他者が死んだのね。
その時にショックのあまり頭が真っ白になって
、いわゆる明け渡し?みたいな状態になった。
そしたら、自分の”本心”がみえたの。
自我では、その人は苦の原因で、いろいろと辛さがあったわけなんだけど、”本心”は愛していたこと、その瞬間、自分がいた世界が鏡の中みたいな内面でその縁に自分がいることに気づいた。
そこから見ると、苦は幻想だったこと、傷なんかなかったこと、愛し合っていたことがわかり、自我の心と本心は必ずしも一致しないことがわかった。そこで苦は恩寵に変わり得ることを理解したことで、苦は苦として、苦ではなく味のように感じるようになりました。 >>741
.∧_∧
(・(ェ)・)
(つ旦と)
と_)_)
苦と現在格闘中なのであります。
本心を偽り逃げるのをやめただけであります。
ありのまま、カエルのパパであります。
けど、うっかり、自己欺瞞に陥らないように注意するであります。
ありがと。 >>745
.∧_∧
(・(ェ)・)
(つ旦と)
と_)_)
詳しく書いてくれてありがとう。
1ちゃんさんのように、徹底した自己観察をすることによりもたらされる恩寵は大きいのでありましょう。
私の場合、親しい人が死の苦しみにのたうち回っている時にも、側にいてあげることもできず、
毎日寒中水ごりなどして、 心の中で励ましておりました。
その時、罪悪感は感じず、命がけで出来る限りのことをしていたつもりでありました。
全てのことにつき、願わくは、自己欺瞞でないことを・・・・であります。 >>748
願わくは、というそのお気持ちが、たとえ無明であったとしても、明晰性より大切な良心のあらわれだと思います(*´ー`*) 苦は自らの我執や煩悩から生じてるからね^^
悟れば苦もなくなる^^
簡単なようだがとても難しい・・^^ 空海ちゃんのように・・
「森羅万象すべてが、大日如来の説法である」
と思えばなんのことはない^^ Λ,,Λ
(::::: )・゚。
(::::::::..つ
 ̄ ̄と とノ ̄ ̄ ̄
罪悪感がなければ、何ヵ月も毎日寒中水ごりなどせぬでありましょう。
もう何年も前のことでありますが、明らかな自己欺瞞であったと自覚すべきでありましょう。
ろくなもんじゃないと、のたうち回るべきでありましょう。
ありのままのくまは、ろくなもんじゃないのであります。
自業自得であります。 死ね、ゴキブリども。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12244989442.html
いい気になって、散々息巻いた奴等、今ではすっかり大人しくなった。
それどころか、金がなく、御法話拝聴の五千円を千円、二千円に誤魔化しながら、
コソ泥のように、支部でゴキブリ人生を歩んでいる。
奴等の悪事の全ては、実名で歴代支部長たちにチクりまくってやった。
今や支部では、正心宝を提げた泥棒たちがリーダー会員として認定されているから笑える。
夜、鍵を開けて入る親父どもは全員、「拝聴料金誤魔化し泥棒」会員。
「二千円で見てる」と正直に喋るからワロスww
まさか、俺にブログで曝されているとは気付くまいww
口先だけの美辞麗句、金と数字を集める為に、
喚き散らし、怒鳴り散らし、今では閑古鳥が鳴いている。
滅びてしまえ、嘘で塗り固めた邪教団。
アマリエルのキレッパシが色気をブン撒き、
ルシフェルのキレッパシが安手の教学をバラ撒く愚。
死ね、死ね、死ね。
死こそ、お前らに相応しい。 死ね、ゴキブリども。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12244989442.html
いい気になって、散々息巻いた奴等、今ではすっかり大人しくなった。
それどころか、金がなく、御法話拝聴の五千円を千円、二千円に誤魔化しながら、
コソ泥のように、支部でゴキブリ人生を歩んでいる。
奴等の悪事の全ては、実名で歴代支部長たちにチクりまくってやった。
今や支部では、正心宝を提げた泥棒たちがリーダー会員として認定されているから笑える。
夜、鍵を開けて入る親父どもは全員、「拝聴料金誤魔化し泥棒」会員。
「二千円で見てる」と正直に喋るからワロスww
まさか、俺にブログで曝されているとは気付くまいww
口先だけの美辞麗句、金と数字を集める為に、
喚き散らし、怒鳴り散らし、今では閑古鳥が鳴いている。
滅びてしまえ、嘘で塗り固めた邪教団。
アマリエルのキレッパシが色気をブン撒き、
ルシフェルのキレッパシが安手の教学をバラ撒く愚。
死ね、死ね、死ね。
死こそ、お前らに相応しい。
>>756のためだけに集まってたと仮定すると、みんなの菓子代くらいにはなるだろう。
日当五千円を分けても大したこともできないだろうし。 いいですね。
観音開きのくだりは私にはよく分かりませんが,それが真相の全てですよ。
自己観察を恐れず行えば心が澄んでくる。
心が澄んでくれば自己観察する力が強まる。
自己観察する力が強まれば,心はさらに澄みわたり明晰さの炎を持つ。
もし,完全に解き放つことができれば,自我そのものが何の問題でもなくなる。
仮にあなたに自我が何かの問題を起こすのではないか?
という恐れが生じたとするならば,その恐れの心は観察され,
そして次の観察に移るでしょう。
結局は何事も厳密な集中力によって観察され,
ただ「それはある」ということだけが続いていくでしょう。
結局は問題とは混乱のことに過ぎないと知るでしょう。
人生に問題がなくなるわけではありませんが,問題は問題ではないでしょう。
しかもそれは問題でしょう。つまり,問題そのものが自己そのものを解き放つでしょう。 1さん
1さんみたいなものを感じて理解した人は、だいたい何人に一人ぐらいの割合で居ると思いますか? >>1ちゃんさん
現在、過去、未来とかの時間って本当はどうなっているんですか? brownさん、ありがとう。(´・(ェ)・`)/
「問題」をトラブル、プロブレム、クエスチョン、サブジェクトに置き換えて理解してみました。
>結局は問題とは混乱のことに過ぎないと知る
>自我そのものが何の問題でもなくなる。
「無我」の実感まで至るというのは凡人には無理でありましょうかね? >>762は>>758 へのレスであります。
(´・(ェ)・`)ゞ
今、自己観察をすると、brownさんの名前を出した途端に、ハクション大魔王のように飛び出ていただき、超喜んでるのであります。
お見かけするのは10年ぶりくらいでありましょうか? >>758自己分析だけで心が澄みわたるはずがないのじゃ (´・(ェ)・`)/分析ではなく、ありのままの観察でありましょう。
強い集中力をもってする、徹底した観察でありましょう。
実践してみると、心がすんできて、楽になって行くのが実感できるであります。
続けてみるであります。 >>765実施したら、落ち込みのブラックホールに
陥ることもあるのじゃ
よって、心が澄みわたるだけではないのじゃ >>758
おお、噂のbrownさん、 >>763さんによると10年ぶりとか、御登場頂きありがとうございます😊
”問題そのものが自己そのものを解き放つでしょう”
仰る通りだと思います。 自己というのは「いま、ここ」の自分、一つしかないはずなのに
「見る自分」と「見られる自分」と自分が二つに分裂している、
これを意識の二重構造の錯覚、「鑑覚の病」と云うそうですよ。 >>765
頭は認識するセンター、胸は感じるセンター、この違いを識るのが案外難しいみたいです。どちらかを無くすということではなく、主従の話であり、主を胸に、従が頭になるまで、思考を観察対象にすることで、同一化していた意識は徐々に移動していきます。 >>765
落ち込みのブラックホールに陥るのは頭の方です。胸の目(愛)を羅針盤にすることで方向性を見失わずにおれます。
失礼しました。 >>768
まず肉体と同一化した意識が「見られる自分」から構築されていることに気付いてないのですよ。 未分化→(自己観察)→分化(見性)→再統一(正念相続)
ってことで。 >>765
何かに集中するのは別の何かに集中してない事だからそれは方向として違う >>774
承知。
分化を経ないと統一になりようがないですね。
同一と統一の差異。 >>777
同じものだというと、語弊があります。
2つないと成り立たないというほうが丁寧な表現かもですね。 >>779
というよりも2つともないんじゃないですか? 子供が「生まれて」、「はじめて」親になる、そんな関係ですかね。 >>781
その生まれてはじめて親になる前の親ですわ >>780
そうですね。単なる運動だとも言えるかもです。ただ、そういった結論めいたものをここで語る意義を感じていません。 自分は実は存在しない。自我は錯覚で、自分と思っていたものはただの導管のような一時的な現象にすぎない
じゃあ何があるのかというと言葉では言いづらい何かだけがあって
それを人は色々と名付けたわけですね 風定まって花猶ほ落ち、鳥鳴いて山さらに幽(かそけ)し >>760
ごめんなさい。見落としてた。
んー、わからないなあ。だからスレ立てしてみたのもある。
これからそういう人が増えていく予感があるんだよね。修行とか勉強したとか知識の有無関係なく。 >>761
こちらも見落としてた。ごめんなさい🙏
んと、ほんとは未来、過去があるというより、今から過去も未来も生まれてる。
だけど、旧来の人間は今を感じとれず、過去にしか生きてない。どういうことかというと、頭の中の知っていることって過去のデータでしょ? そこから未来も現在も夢想している。 >>792
空間には上下・左右・前後といった方向があり、その距離から時間は生まれていませんか? >>793
論理破たんしてるよ
時間は観念、事物が変化して止まらない様の事でしょ
空間はあくまでも空間、時間と空間は密接に連関があるけど
空間から時間が生まれたり言う理屈は、NASAレベルの数ある仮説の一つでしょ
仏教では時間とは縁起の別名と決着してる
それと、
>「見る自分」と「見られる自分」と自分が二つに分裂している、
自分で言っててちゃんと開示出来てないと気付いてないかい
見る自分とは、例えば「コップを見る自分」って事でしょ
見られる自分とは、例えば「コップを見る自分を観察・考察する自分」の事でしょ
仏教では後者を「自分を見るコップ」の様に表現するけどね >>793
なるほど、
物理でも似た話ありますが
確かあれは空間が生まれるには時間が必要、みたいな言い方だったと思いますが、同じ意味ですか? >>795
物理とかわかんないんで、科学的に整合性が取れてるのかどうかわからないですけど、
幾何学的に考えると、カタチになる前に線ですから、時間が先と言えるかもですね。 >>794
仏教もNASAも知らんし。教養ないから。
でも”時間は観念、事物が変化して止まらない様の事”の方が表現が正解だと思います。
>「見る自分」と「見られる自分」と自分が二つに分裂している に関しては私宛じゃないですね?私の発言じゃない。
私の言う「見られる自分」は「自分を見るコップ」のことです。 刹那に変化を繰り返す、そうですね、パラパラ漫画みたいに。
それ(非連続)を連続しているように感じる、それが時間(観念)ではありませんか?
因果律の破れとも矛盾しないような気もします。 時間は記憶の中にしか存在しない
逆に言うと、今からは決して離れる事ができない >>794
>自分で言っててちゃんと開示出来てないと気付いてないかい
前後の文書をよく読んでから言ってよw
見性後って書いてあるでしょw >>789-790
えええっ、む、むずかしい、みなさんのお話もむずかしすぎる…
時間が生まれる空間ってどこですか?脳内?
あと、初体験のことも過去のデータ(記憶?)の中にあるのですか? そして変化がないとき、つまり空間がないとき時間は測定できない、つまりあるともないとも言えない >>798
そうですね。
圧縮された面といいますか。
ただし、先程もかきましたが、
結論めいたものをここで語る意義を感じません。 AからBへの変化はAという状態の記録とBという状態の記憶からなる
そして変化には時間が必要である
つまり、この時、時間を産んでるのはAとBという記録である
人間にとっての時間も同様で
変化の認識から時間が産まれる
そして変化の認識は過去の記憶、記録から産まれる
時間を産むのは記憶であるし、記憶が消えた時には時間は測定不能な別のなにかに変わる 記憶が消えた人には時間という概念は存在しない
そしてそれが瞑想なんです >>805
>結論めいたものをここで語る意義を感じません。
じゃあ悟りの説明も意義無しだよね
プチ悟りだったっけ
自分こそが紛れもない結論でしょう
これは言葉で説明されないから疑問に出来るんでしょう
自分を見るコップとはコップが自分を見てる訳じゃないですよ
コップの事に捉われると分け分からなくなるでしょうけど
仏教がこれを言う時のコップとは「目玉の中に結んだコップ様の映像」の事
つまり、自分に起こった現象を、像視点から考察するか、観念視点から考察するか
どちらにしてもそれは妄想だ、と言う事を言うんですよ >>806
>変化の認識から時間が産まれる
認識が無ければ時間は生まれない、と言う様なものですよそれじゃ
時間と言う言葉は観念ですが、事物の変化の移り変わっていく様は事実なんでしょう
観念は人が為すのですが、宇宙の運行は人為ではないでしょう
そもそも人間が人為的産物とは言い難い宇宙の一構成要素だったでしょう >>811
オカルトですか
それもいいでしょう
しかしそれじゃメンヘラは良くならんでしょう >>802さんが”えええっ、む、むずかしい、みなさんのお話もむずかしすぎる… ”
って言ってるじゃないですか。
ほんとにもう…(~_~;)
<<761=802さん、ごめんなさいね。
なんとか難しくないように説明できたらいいのだけど…といって教養がないので、論理的にも語れないのですが。笑 >>800
時間は記憶の中にしか存在しないは名言かも。
過去も未来も記憶の中にしかないもんな。 >>814
メンヘラは、全てそうだとは言いませんが、基本的に『現状から別の何かに変わりたい、でも変われない』、というところから来てますよね?
例えば両親から毎日虐待を受けている子供がいるとします
本当は愛して可愛がってもらいたいのに、さまざまな理由でそうならないとします
逃げ出しても捕まってさらに虐待され、誰に相談することもできない、逃げ場がないとします
他の幸せそうな家を見るとどうして私だけ?とさらに苦悩は深まりますが、変わらない
その『葛藤』が精神を病むわけです
では、この子供がメンヘラから抜けるにはどうしたらいいでしょうか? >>817時間と記憶は別次元じゃ
特殊相対性理論でアインシュタインが言っているのじゃ >>819のツベ。 「今」についてアレコレ説明しているけど、
何をいっているんか、サッパリ分からん。
説明が下手におもえる。
ある悟りの境地に至った人は皆、「今しかない」と言っているから、
一度体験すれば分かるんだろうが・・・このツベは全く参考にならん
かったわ >>819うんいまいち。
至ってない人の解説はいらネ。 >>815
>認識がなければ時間は生まれません
そう言い切れる根拠は?
太陽や地球や銀河の創生に認識が関わってるのかな?
>>818
>では、この子供がメンヘラから抜けるにはどうしたらいいでしょうか?
その子は先ず、虐待に対して行動すべきだろ
精神が病んでて書き手は順序が分からないのかな? >>824
例だからそんなこと言われても仕方ないが、じゃあ別の例を、
なんでもいいけど、最愛の恋人が死んでしまったでもいい、
最愛の存在が死んでメンヘラになった人はどうすればいいか? >>802
初体験は未知と既知があるよね。
例えばセク◯スなんかは、知識としては知ってるという意味で既知。 >>825
果てしなく広がって止まないその君の妄想を即刻止めればいい >>827
その人にそう言うわけ??
それでその子が良くなると思う?
偉そうな事書いても全然話にならないな
もう少し考えた方がいい T2rhN6Tz は、必ずノコノコ出て来る薄バカの一人です。気にしないで。
おつむ弱くて暇なんです w 自分の頭のハエも追えない癖に他人の心配を妄想してる場合じゃないだろ
そんなんだから良くならんのだろ
妄想ばっかしてないで自分の事をもっと心配しろ >>762
>「無我」の実感まで至るというのは凡人には無理でありましょうかね?
まず実感はともかく理解は完全にできます。特別な経験も要りません。
じっくりと落ち着いて観察・考察すればO.K.。
もっとも「無我」=「我」が「無い」などと考えると訳が分からなくなりますが,
簡単に言えば,無我とは「必ずしも思い通りにならない」ということです。
欲望の対象,怒りの対象,心配の対象,これらのものは必ずしも思い通りにならない。
これは別の言い方をすると「超能力は存在しない」ということです。
全ての物事は物理法則やら人間関係の法則やらといった外在的な要因で動いていくので,
「私がこう思った」「私がこうあって欲しい」「こうなるべき」「べきでない」
などと思い計らうことはその対象に何ら影響を与えるものではないということです。
こんなに簡単なことなのになぜ実感でき難いかというと,
物事を認識する際に無自覚的に自我フィルター,自我による管理監督が
入ってしまうからなのですが,そのことも含めて,繰り返し,
色々な物事を感じたり,考えたりする毎に確認していけば,
段々と無自覚性がなくなっていき,やがて実感できるようになっていきます。 >>831
>無我とは「必ずしも思い通りにならない」ということ
>思い計らうことはその対象に何ら影響を与えるものではないということ
↑ 思い通りの思いは自我の思いでありますから、そもそも思い通りにしようとか、思い通りになるとかならないとか思う自我がないのが無我でありますね。
>実感でき難いかというと,
物事を認識する際に無自覚的に自我フィルター,自我による管理監督が
入ってしまうから
>繰り返し,
色々な物事を感じたり,考えたりする毎に確認していけば,
段々と無自覚性がなくなっていき,やがて実感できるようになっていきます。
↑これ、やるようにしてるであります。
できるだけ常に自覚的であろうとしてるであります。
歩くときとか、満員電車の中とかがやりやすいであります。
感情とか感覚とかイメージとか思考といった「内容」を映し出すスクリーンみたいなものが意識であるとして、そのスクリーンに何も「内容」が映し出されてない時も、そのスクリーン=意識は自分のものと感じるのでありますが、
「内容」は消したり、改編したりできるのでありますが、スクリーンの方は、内容があろうがなかろうが、自分がいようがいまいが、常にあるもののようにも思えるのです。
この事を、更に実感できたとしても、自我が消えてなくなることはないかもでありますが、
自我の幻想性に接近できるのではないかと期待してるのであります。
・・・しかし、このてのことは、期待してるときは、起こらず、ある日ある時、突然、なのでありましょうね。
無我の実感を得れるまで、もしも本当に無我だったら・・・を理解して、そのように生きようとしてみるのも悪くないかもでありますね。
(最後の一文は、直前に真逆のことを書いていました。実感できなきゃ無意味であると。)
(´・(ェ)・`)/ありがとう。 >>832おまえさんの書いていることが、ありのままじゃ
おまえさんは、無意識にありのままに生きているのじゃ
精進するのじゃ 832.831.
宗教は心理学ではない。
833.のバカ鬼和尚は何を言いたいのかや。バカ精進をすることになる。 >>834こんな簡単なこともわからんのかなのじゃ
もっと精進して悟りを開くのじゃ >>825の問題、
苦しみが苦しい時にどうしたらいいのか?
これの答えは
解決しようとせず(できないという設定なので)に苦しむしかない、どうしようもない。
これが答えです それで満足なら良いんじゃね?
別の方法が有るとしても気にしないこったな >>823 この人は「お気楽ちゃんねるの二番煎じ」というか、うん。
まんまなんだけど。
いまそういうの多いから、本人が聞いた話なのか
本人が決着付いて発する言葉なのかが問題。 ↑
>>823は>>819のてんちょう?とかいう方のことね。 例えば、龍樹の中論19章時の考察なんかを読むと
割と短くあっさりなので、逆に解りにくいが
過去現在未来の三時は「時間」と言う意味やモノとしては実在しないと解されている
一見何のことやらだろうが、仏教の十八番「縁起」は、現象の移ろい行く様を言ってるだけで
その「移ろい行く様」と言う特定の現象やモノは実在しない
そう言う意味に於いて時間も同じ事が言え、時間と言う事物は実在しない、となる
では、現在過去未来とは一体何なのか?と疑問が残ろう
要するに
過去とは「記憶」に過ぎず、未来とは「想像」に過ぎず、現在とは実感を根拠にした「思い(認識など)」
と言う事にしかならない事が、案外見過ごされてるのが日常と言うだけなんだなと 坐禅するといいよ、とはこの界隈じゃ良く見かける
しかしそれを言ってる人たちの殆どが、何故坐禅なのかがちゃんと説明出来ない
実は、坐禅じゃなくても坐禅の効用は得られるし確かめられるのだが
何しろその道のオーソリティ道元禅師が修証一如と言い切って推奨されてるので
その傘下から大声で喚いていたりする
道元禅師のそれは、自我と言う曲者を一瞬で黙らせる練習として坐禅を推奨されただけで
坐禅が一番分かりやすかっただけなのである
現に、本山永平寺の典座職は飯炊き雑用が主業務なのだが
位はペーペーの者でも修行僧より上に位置し、坐禅が修行に組み込まれていない
つまり、飯炊き雑用がそのまま彼らの坐禅修行なのである
分かり難い故に挫折しやすく、それ故に位がペーペーでも上なのである
今時の本山は、寺の後継ぎが本業に従事するために登山する通過儀礼の場所にもなってるので
そんな甘ちゃんに典座は務まらないから、元から除外されてるとも聞く
坐禅と同じ効用は日常生活にあふれている、が、分かり難いのも事実なので
小さい音を聞き分ける時に、静かにして耳をそばだてるかの如くに、坐禅は分かりやすいと言えるのである
坐禅以外に坐禅並みの効用がある他の作法としては、まあ称名念仏は有名だろうし唱題行も有名だろう
それ以外にもっと日常に近いものとしては、写経なんかが手軽に出来る
これらが求めるものは一つ、禅定なので、それが学べれば何でもいいのである
なんつってね なんでよく知りもしない事を平気で書けるんだろ??
何が目的なのやら >>832
>思い通りになるとかならないとか思う自我がないのが無我でありますね。
もう一歩踏み込んで欲しいんですね。
「思い通りになるとかならないとか思う自我がない」と考えるのではなくて,
「思い通りになるとかならないとか思う自我がある」と自覚することがポイントですね。
そこが無我を実感するポイントなんですね。
字面だけ見ると禅問答になってしまいますが。
「思い通りになるとかならないとか思う自我がある」と自覚なしに何かを認識しているとき,
2つの認識が同時に起こっているというか,ごっちゃになってるんですよ。
自我越しでしかその認識をしていない。
逆に,「思い通りになるとかならないとか思う自我がある」と自覚しているとき,
その自覚の認識と,あるもの,例えば欲望の対象,を認識する認識は別々だから,
自我越しでなくありのままの認識,裸のそれそのものの認識ができるわけ。
そのとき,その欲望の対象の認識は,自我による差し障りを受けないから,
これはもうエクスタシー,純粋な快感ですね。あるいは純粋な美。
結局,自我が悪いわけでも,快楽が悪いわけでも,まして対象が悪いわけでもなく,
犯人はどこにもいない,ということになる。
ただ,色々な認識がごちゃまぜになって,あいまいな認識が像を結んだときだけ,
暗く,重苦しく,粘っこい,執着性の実感を得ることになる。
というかそれが通常の人間の認識ですけどね。 多分わかんないと思うよ
自我があるだとね
無明ってものが別にあると思われてるんだし
煩悩って作用の事だと思ってるのも居るし
煩悩消すのに必死な人も居るし 認識は二種ある
と言うのは法住智と涅槃智の二智で説明出来るんだよね
良かったよ、孤独だと覚悟してたから >>846おまえさんは、孤独と覚悟しているのかのう >>844
おー!!
>「・・自我がある」と自覚しているとき,
その自覚の認識と,あるもの,例えば欲望の対象,を認識する認識は別々だから,
自我越しでなくありのままの認識,裸のそれそのものの認識ができる
そのとき,その欲望の対象の認識は,自我による差し障りを受けないから,
これはもうエクスタシー,純粋な快感ですね。あるいは純粋な美。
結局,自我が悪いわけでも,快楽が悪いわけでも,まして対象が悪いわけでもなく,
犯人はどこにもいない,ということになる。
私が>>832で、常に自覚的であろうとしてると言う「方法」に取り組んでみてるのは、単により多くの時間を無自覚に生活してる中で、自覚と無自覚の切りかわる瞬間を捉えられれば、「無我」の実感を得るヒントになるかもしれないと思ったからでありますが、
本日ねbqownさんのご指摘で、目から鱗が・・・・おちるかも!!
吟味するであります。
γ⌒:"-ヽ
(∪( )
∪∪∨-∨
超ありがとう。 >>847
まことの書き込みはいつも矛盾していますから >>844
れっすん1
‖ ‖‖
‖○∩_∩ ∧ /‖○
‖((´∀`)(゚Д゚‖))
○∧_∧∧_∧ ‖
.((-へ-(・(ェ)・)/‖ ∧
ヽ ( つ‖(゚*
`| | | | | ‖/ /
(_(_(_)_) ‖
早速、満員電車自覚法。
揺れる電車内で身体の反応としてバランスをとり、息苦しさの中で少しでも快適さ求めていることが自覚される。
無自覚でもその反応は、勝手に機能している。
それを今意識している自我は、
身体反応だけでなく、より多くのことを、無自覚の内に勝手にやってくれている。
それを、自覚的にやることにより、自我の色眼鏡をかけていると言う自覚をもって取り組むことにより、
>対象の認識は,自我による差し障りを受けない
に近づけるかなと思いました。 むずかしいのは、
>自我がある」と自覚しているとき,
その自覚の認識と,あるもの,例えば欲望の対象,を認識する認識は別々だから,
自我越しでなくありのままの認識,裸のそれそのものの認識ができる
←この部分であります。
(´・(ェ)・`)/ >>851
Brownさんじゃなくて、ごめんちゃいですが、
例えば、満員電車で不快を感じてる自分と、
その自分を見ている自分は別ですよね。
そうすると、不快そのものとして、もしくは満員電車そのもの、として、観察されるようになる。このとき、肉体反応とくっ付いていた意識は後ろに下がっている感じがすると思うのですが。 ホントはここには何もない、ただ真っ白な想像しかない >>852
自我意識をメンタル体に移動させるって事ね >>856人間はテリトリーを持っているのじゃ
満員電車が不快なのは、テリトリー内に人が
ウジャウジャいるからじゃ >>852ありがとう。
1)>不快を感じてる自分と、
その自分を見ている自分
2)>不快そのものとして、もしくは満員電車そのもの、として、観察される
3)>肉体反応とくっ付いていた意識は後ろに下がっている感じ
←1)本質的な違いはないように思うであります。
←2)集中してるとき、必ずしも集中対象に対してと言うわけではないですが、感覚と一体になったように思えたことならありました(再現性なし)。
←3)←2)の時がそんな感じであります。 後退して一つみたいに感じたでありました。
‖ ‖‖
‖○∩_∩ ∧ /‖○
‖((´∀`)(゚Д゚‖))
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(_(_(_)_) ‖ >>859
1)本質的な違いはないように思うであります→違いはあります。意識の位置、空間が違います。
2)集中してるとき、必ずしも集中対象に対してと言うわけではないですが、感覚と一体になったように思えたことならありました(再現性なし)。 →対象と感覚も同じものではなく、それらと一体になるより、むしろ同一化から離れて、観察点に主体を持ってください。
3)←2)の時がそんな感じであります。 後退して一つみたいに感じたでありました。
→感じている私に主体がおかれ、対象と分かれたと思われます。 それをさらに、観察する私←感じている私←感覚←対象
観察対象は必ず前にあるので、後ろに下がる感じ。 >>860
行間詰めてもた。読みにくくてごめんなさい。 >集中してるとき、必ずしも集中対象に対してと言うわけではないですが、
>感覚と一体になったように思えたことならありました
これはかなりいいですね。
感覚と一体になる,ということは,変化と一体になるということなんですね。
変化と一体になるということは,一体というより,実は,
一瞬一瞬でそこから離れるということをも含むんですね。
つまりそれが集中,ということで,瞬間瞬間に集中するんですね。
ご承知の通り,これを三昧というわけですが,全ての経験から一瞬で離れるから,
当然,無執着。しかもその一瞬に集中しているから「無」に堕することなく,
はっきりとそれを知っている。それを喜んでいる。楽しんでいる。
そのようにして,全てのものはありありとある。何も傷つけることなく,
足すことなく,差し引くことなく,あるがままで完璧。驚くべき貴重な美しさ。 ここに一つの訓練があります。
歩くんです。
それで,一瞬一瞬,脱皮するようなイメージを抱きながら歩く。
一歩一歩,次々と次の自分が次の歩みの地点に抜け出ていく。
「私」という私は常に歩みの後ろに去っていく。
どこにもとどまることなく,「私」という形成された現在は,
はっきりとそこにありながら,しかも流れてとどまることなく消えていく。
そこで,もし集中力が十分に高まっていたとするならば,
そこに,不意に,視界の片隅に,動いているものが何か横切るとする。
そうすると,その集中力,その心は,そのものを,その動きを,その変化を,
あなたの介在なしに捉える。粒々の各瞬間を厳密な知覚が余すところなく勝手に捉える。
そのとき,あるがままの裸の存在が何たるかを知る。
その言いようのない感動,言い表しがたい美しさ。完璧さ。
その瞬間にあなたは悟る。「全ての為すべきことはなし終えた」と。
そこに至る前提として必要な2つのことがあります。浄化と正しい見解の理解です。
浄化は自己観察によって得られ,
正しい見解の理解は教えを熟読することによって得られます。 >>860
ありがとう。
>>862
集中が高まった時の一体感とは、刻々と変化するありのままの感覚と、それを感じてる「私」の距離感が消失して、感覚=私でありました。
その距離感が消失していた時は、確かに、「私」は、そこから離れていたとも表現できるのだなと思います。
あったのは、感覚だけ。
私はその感覚そのものでありそれ以外に何もない。
ありのままは、あまりにも当たり前すぎるとは思いつつ、そこにおいて確かには安らいでいられる一瞬の体験でありました。
このてのことは、追い求めると逃げられてしまうので、ひたすら集中するようにします。
∧∧
(-・(ェ)・-)
_| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>863
そもそも、私が瞑想に取り組んだのは、不安や怒りで荒れる心を何とかしたかったからでありました。
集中の練習により、観念、妄想を消し去ることは容易であることを実感し、ある程度荒れる心を鎮めることができるようになりました。
歩く時に、あまり厳密な方法ではありませんが、歩みに意識をおくようにすることは、瞑想に近い有効性があるとも感じております。
書かれていることをようなことまで意識したことはありませんでしたが、吟味して、続けてみます。
そう言えば昔、browmさんが参考図書に取り上げていた本を買い揃えたことがありました。
(´・(ェ)・`)/ありがとう。 >>863
brownさん、>>865でクマさんがおっしゃってる参考図書知りたいです。よかったら教えてください。 >>865座禅と瞑想は、諸刃の剣じゃ
間違えたら、落ち込みのブラックホールじゃ 865.
心理学をやっている場合ではないよ。
867.
坐禅と瞑想をやっている場合ではない。 >>868ここは、悟りのスレッドじゃ
よって、やっている場合なのじゃ >>865
brownってあなたの自演でしょ。。。 870.
悟りもダメ、心理学もダメ、君。
早く、悟れ、や。
されば、わかる、よ。 >>874
また、ハッキングかい
16秒しか替わらんやんけ >>874
悟ったと自称して、この程度のことがこたえられんの? 878.
わかっているならば聞くな。
知らないならば学問をせよ。 いやいや
おまえがわからなくて、逃げるところを見たいんだよww 最近先進国のあちこちでノンデュアリティブームというのが起きているらしい
ようは禅の知識をマイルドにして教える
それでそこらへんの主婦とか老人を集めてお金をとってやってるニワカスピリチュアルが雨後の筍にように出現している
瞑想とか坐禅をやるところもあるらしいがやらないところもあるようだ
宗教色を排して、マインドフルネスみたいな産業になりつつあるのだろうか
それが良いことなのか悪い事なのか、よくわからない でおー、語る。
「余談だが、聖胎長養なんていう禅用語に全く関心を示さなかった俺様wだがw
俺的修行は12月から、今年の遅くても6月ぐらいを終了の目安にしているんだが、
、こういう用語に該当するんだろうなあ・・・と修行の日々で思えてきたなw」 880.
逃げるところを見たい、か。
それを変態という。女の裸でも見よ。 発達段階を無視して、結論を語っても無意味だよ。
@動物は無意識(本能)だが感じている
人間はほとんど無意識で、僅かに顕在意識がある→肉体 エーテル体 アストラル体
A内省→自己想起
(心理学的なもの 潜在意識を顕在化させる過程)→低位メンタル体の芽生え
B観察 Aを観察している”私”の発見
→高位メンタル体の芽生え
C観照 意識と心の流れを観じている
高位メンタル体 >>863
>その瞬間にあなたは悟る。「全ての為すべきことはなし終えた」と。
そこは悟りじゃないですよ
ただ見性しただけです
釈尊はそこから七日間掛かって完成させてます
この七日間はエゴ丸出しで、「どうせ話たって誰も理解できないだろう」と言う立場だったそうです
さあ、どうしましょう >>886
それは見性とは言わない
もちろん悟りとも言わない
そしてその7日間の話もデタラメ >>863
為すべきことはなしおえた、とか笑ってしまった
どっかの本で読んだ一文なんだろうけど、
なしおえた奴が夜中の2時に二ちゃんに長文とは目出度い話だ そうですか
ではこの話、あなたには無かったと言う事でお願いします
ご健闘をお祈りしてます 言葉の意味では見性は、この世の仕組みというか、仏教でいう仏性を見る事
禅宗の用語
自分の場合は見性体験というのは何度もあった
仏性とか何も知らない時に。
突然それが起きて宇宙の仕組みがわかる、自分という仕組みに気づく、など
見性は悟りとは違う。 普段生活していて、まだ貪瞋痴があるでしょ。
生老病死に関わる苦もある。
悟りはもっと先。
解脱はさらに先。 悟りについては、お釈迦さまの説明を聞くのが一番でしょう。
悟りは人間が人間意識のまま頭で考えてわかるようなものではないので、
悟っていない人同士であれこれ議論しても時間の無駄。 釈迦にも貪瞋癡はあったさ(ウダーナ110経)
苦だってあったさ
全く無くなるのが理想と思ってるのが無知の現実
仏教は桃源郷の切符じゃないんだぞ、とw まず大事な点は悟りは体験ではない、という事。
体験だとか思ってしまうとおかしな事になる
それを追体験しようとするから
過去の仏教者は悟りを言葉で語ったし悟りを態度として持つように弟子を教育した
悟りは頭で考えても無駄というのは間違い
例えば禅だって道元禅師は書物を沢山残したでしょ
キリスト教や浄土真宗のような形態では悟りなんて考えもしない、という所から入っていくからまた話は別だが 昨日の伊勢白山道では、悟ると脳内麻薬が出っぱなしになるそうですが、
羅漢さんが笑っているのもやっぱそれなんだろうか? >まず大事な点は悟りは体験ではない、という事。
はい、ダウト
実感は体験じゃねえのかと
思考も実感の一つなのに、体験じゃないとはこれ如何に
道元も書は残してるが、核心たる勝義諦自体は文字にしてなくて、体験せよと言ってる
果分不可説と言ってな、元来核心部は文字化されないんだよ、語れないからな
唯一の例外は空海だ
この人だけは果分可説を唱えた
しかし現実は人間の言葉を意味しない
如来の言語は森羅万象が言葉で説法だと言うからな >>866
・ラマ・ミパム(タルタン・トゥルク解説、林久義訳)(1992)
「静寂と明晰―チベット仏教ゾクチェン修習次第―」ダルマワークス
→必読。バイブルとして繰り返し熟読,吟味して,できれば詩頌は暗唱し,
完全な理解に努めて下さい
・ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、クンチヨック・シタル、齋藤保高
(2002)「チベットの般若心経」春秋社
→悟り,仏陀の定義を論理的に理解できる。だからちゃんと理解すれば
もはや宗教的な話に騙されることはなくなるでしょう
・ナムカイ・ノルブ(永沢哲訳)(1994)
「ゾクチェンの教え―チベットが伝承した覚醒の道」地湧社
→正しく到達した境地,というものがどういうものかが分かる
これや上の書籍の内容をよく理解しておくと,あなたが来るべき「体験」
に至ったときに本当に何もかもが分かってしまうでしょう。
こういったものは地図のようなものだから,予めしっかり頭に入れておく
のがよいんですね
・ティク・ナット・ハン(棚橋一晃訳)(1999)
「仏の教え ビーイング・ピース ほほえみが人を生かす」中公文庫
→これはすごい。エッセイ風だけど,こうしてこの同じ地球で今こうして
私たちと同じように息をしている覚者がその思いを率直に書いた貴重な本
・増谷文雄「阿含経典」@〜Aちくま学芸文庫
→釈尊の言葉に近いといわれる記録,だからしっかり読めば本当の元の教え
というものがどういうものか分かる。ちゃんと理解すればもはや
仏教的な話で騙されることはなくなる。Bは要らないかな。
とりあえずこんなもんでしょうか。 >>897
阿含経には欠点がある事をご存じだろうか?
それを知らないで有難がってるとただの偽善者にしかならないんだが 悟りは体験ではないし、悟りが体験だなどと思ってはいけない
悟りが何か想像すらつかない人は体験だと思ってしまうが、これは間違いだ
悟りは必ず態度から入らなくては行けない
そして悟りから出る答えは、悟りを得る前と何ら変わらない、という地点に立って初めて悟りと言える
その境地は態度から入らなければないだろう
例えば道元禅師だ。
道元という人はそもそもが一切衆生悉有仏性という所から入ってる
修証一如とは彼のその1つの答えである
道元は書いた
人が悟りを得るのは、水に月が宿るかのようだ。月は濡れず、水はやぶれず。
そう、人はそのままで完璧であるのになぜ修行があるのか、人生があるのか? >道元という人はそもそもが一切衆生悉有仏性という所から入ってる
何言ってんだろ
それを言うなら「本来本法性天然自性心」だろ
そして態度も体験だよ
寝言は寝てるときに言え >>900
態度と体験の違いすらわかんないか。
いいか?
悟りってのはな、この世に満ち満ちてるもんだ
悟りでないものなんてないんだよ
でも態度から入らないと狂うんだ。頭がおかしくなる
体験を求めるのは間違いなんだ >>900
こういう馬鹿はこの先も馬鹿な事をやり続ける
で、いつかその虚しさ、愚かさに気づくだろう >>901
おかしいのはお前の頭だろ
体験を否定するなら気付きは否定されるよ
気付けなきゃどうやって見性や悟達を果たすのさ
間違ってるのはお前だよ >>902
凡夫は悟れないし、悟る必要もないんだよ 悟りの結果は悟る必要はなかったという事がわかる事、なんだ
元へもどるわけ
特別な道はない。
だからこそ他人への敬意、愛が生まれる
謙遜が生まれる
この世はそのままで完璧である事がわかる >>905
それ現世涅槃論な
思いっきり邪義だから改めた方がいい >>904
凡夫と、例えば釈迦を分別する精神が変わらない限り、つまりその態度が変わらない限り悟りが何かすらわからない
それは全く同じだ 『悟りは必ず態度から入らなくては行けない 』
『一切衆生悉有仏性という所から入ってる 』
『人はそのままで完璧であるのになぜ修行があるのか』
『悟りでないものなんてない』
のに、
『こういう馬鹿はこの先も馬鹿な事をやり続ける 』
『いつかその虚しさ、愚かさに気づくだろう 』
⁇⁇⁇⁇⁇⁇
全て悟りだったらいいんじゃないの??
何ぐちゃぐちゃ言ってんの?
『だからこそ他人への敬意、愛が生まれる
謙遜が生まれる 』
えっ
人のことを
『こういう馬鹿』『愚かさ』
とか言っちゃう 『態度』に
『他人への敬意』とか『謙遜』
とかあるの!?
『凡夫と、例えば釈迦を分別する精神が変わらない限り、つまりその態度が変わらない限り悟りが何かすらわからない 』
↓ ↓↓
『こういう馬鹿はこの先も馬鹿な事をやり続ける 』
『いつかその虚しさ、愚かさに気づくだろう 』
これって
『凡夫と例えば釈迦を分別する精神』
と、どう違うの⁉
『この世はそのままで完璧である 』のに!? あっ
『悟りでないものなんてない』
から、いいのか!!
チャンチャン! ‖ ‖‖
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ひゅぅ〜んカッタンコットンデゥカンデゥカン・・・走る地下鉄の中で満員電車瞑想法である。
今に意識をとどめる練習である。
今にとどまれば、妄想に遊ぶことはないのである。
観念妄想は制御できるのである。
観念妄想のかたまりが「心」と言ってもよいのかなと思い付いてしまったくまである。 910.
悟りを求める自分がいない、
とする自覚が悟りである。
自分がいないからして悩みとか煩悩とかが発生しないことになる。
自分を否定すれば簡単に悟れる。
912.のバカ鬼和尚は救いようない。 普通の、そのままの、当たり前の心持ちでいられる事。
普通の素直さ。
当たり前の素直さというのはその場にいる事で生まれる
何かになろうとする気持ち、憧れる気持ち、理想の自分、何かを手に入れたい、積み上げたいという気持ち。
そういった理想、記憶を積み上げたい野心、憧れ、はその素直さや天真爛漫な心を損なう 本当に欲望した事はやるべきだ
そしてやるなら全力でやる
いくら仏教やら何やらの宗教で〜〜すべきでないと言われた所で、本心でそう思ってないなら意味がない
とことんまでやってそれが間違ってた事を後悔する。それでいい ビッグダディの心情吐露かよw
悟りもなにも関係ない自分話じゃん 釈迦の悟りが得る事だとか目的だなんて思ってはいけない
自分がどうなのか?
それだけ
その自分が色んな思い込みで生まれた自分であっても構わない
自己に忠実である事。 仏教の目的は漏尽解脱です
自分自分と可愛がってばかりじゃ欲界に支配されたまま
漏尽など夢物語でしょうよ 仏教の目的、なんて方便だよ
その道に本心で進みたいならそれに従えばいい
ただどの道を通ってもいい
自己に忠実に話し、自己に忠実に行動する
それが真実 禅宗とかでは本来の面目なんて言い方をするでしょう
善を思わず悪を思わず
ただ本来の面目かどうかわからなくても自己に忠実である事だ
失敗であるなら後悔すればいい
自己に忠実であること 自己愛も度が過ぎれば人格障害だから
そう言うメンヘラの勝手見解にも用はない 自己、自分がいない、というのはポッタン教の引用である。
ポッタン大先生に感謝。 自分が居るとか自分が居ないとか
どっちと思っても妄想だし >>897
ありがとうございます!まずは「静寂と明晰」注文しました。明日届きます。ドキドキ。
他の本もきっと読みます。本当にありがとうございました!
このスレ終わっちゃったら
brownさんとお話したいときはどのスレに行けばいいんでしょうか? brownとかいう奴=毎回AA貼る奴=>>927
今の所三人格 自分の知的洗練度はさておき、謙虚になるべきだ。そして、自分の心を実際に自覚することにかけてはまるで原始的だということを認めるべきだ。
(チョギャム・トゥルンパ ) 例えば「無我」であります。
例えば ただ一つの意識であります。
例えば「不二一元」であります。
例えば「唯識」であります。
ふむふむそうなのかなと思えても、それだけなのであります。
例えば、無我でありただ一つの意識しかなく、不二一元で、唯識の通りであったなら、自他の別なく、主体なく客体なく、時間もなく、
「苦」なし、でありましょう。
その事を「理解する」と言う表現も違うでありましょう。
ただ、瞑想により、雑念を少なくし、無思考に近い状況になることは容易であり、そのことにより、観念の儚さを実感する。
くまの場合、思考や感情の主体として「自我」を最も強く意識するので、
観念、思考、感情が儚く消える実感は、自我の儚さ、とも実感されている。
儚くはあっても、自我はある。
何かある毎に苦しむ自我はある。
ここまででも、充分楽にはなってるのであります。
この取り組みの入口のところで、徹底した自己観察により道はひらけると言う brownさんの文章に接し、
ビバッサナ-、止観の効果を実感してるのであります。
何かもう一歩で、「意識の変容」が起こりそうな気もするので、あります。
:::(;;: ∧_∧ '';:;;;):
: ;:::;;⊂(・(ェ)・) ;:;;))
:;;:,,,. ヽ⊂ ) ;:;;)))
(;:;;; (⌒) |どどどどど・・
三 `J 何ものにも
どんな観念にも
執着しないこと
なぜならば、
執着は束縛だから
たとえ
解脱という観念
モクシャや
ニルヴァーナ(涅槃)という
観念に
しがみついていても
人は束縛されて
しまうだろう
執着があったら
瞑想は不可能だ
なぜならば、
執着は心(マインド)―
つまり束縛であり
無執着は瞑想―
つまり自由だから
OSHO ラジニーシ >>1
本で読んだ「ドリークコンク状」とはどういう意味だか分からないので
検索してみたのですが出てきません。意味を教えてください。 >>933
>何かもう一歩で、「意識の変容」が起こりそうな気もするので、あります。
意識の変容がもしあったなら要注意ですよ
意識は変わりません、変わるのは認識に於ける
従来の捉え方が、ともすると誤りだったのかと気付くだけです
実感としては「ああそう言う事か」と再認識されるだけです
>例えば、無我でありただ一つの意識しかなく、不二一元で、唯識の通りであったなら、自他の別なく、主体なく客体なく、時間もなく、「苦」なし、でありましょう。
意識と捉えると分かり難いでしょうけど、実感と捉えれば分かるんじゃないでしょうか
実感は一つでしょう、二つも三つも無い筈です
それ故に不二一元自体は間違った事ではない訳です
唯識も上記に於ける一つしかない実感を心と捉えたなら難しいものではない事が分るでしょう
自他が無いとは、実感を主と観た場合、実感の原因・材料はただの情報であり、脳に於いては電気信号に過ぎません
つまり、実感を主(自)と観たら、その他は信号・情報なので、自と信号しかないとなり
自も信号の結果なので自他は全て信号・情報となり、自他なるものはどこにもない事になるんです
ここまで来ると、苦も単なる結果、好きか嫌いか無関心のどれかに分類される情報に過ぎないのです
ただし、不二一元では一元を言ってしまいますから中途半端になります
この場合、一元なる大きな括りは「有る」と観る訳です
仏教だとこの「有る」は「無い」とともに取りません
これを中道と言います
何故かと言うと、有も無も有であり無でありも有に非ず無に非ずでも、みんな認識して言われるからで
仏教ではこの認識とは、人や有情が使う大局的マイノリティと看做す誤認であると観るからです
不二一元を擁する人たちにこれは理解されてません >>933
無思考になってる人が儚いとか実感してる時点で無思考じゃないだろ >>935
これには賛成かな
この板ってひたすら仏教用語の自説解釈を語りたがる人って多いけど執着してるだけだと思うわ
ヴィパッサナー系の人も流行ってるらしくて多いけどそれもまた本で読んだ事に執着してるだけに見える イルミナティー(フリーメーソン)には絶対付いて行っちゃ駄目です。ごくほんの一部を除いてひどく差別された人達ばっかのひどい
格差社会が出来てしまいます。その贅沢してるごく一部の権力者も悪いことをやってその立場にいる事が多く、その罪を
邪神などを使ってごまかしてますが、ある時たががはずれたようにバレていっぺんに地獄にぶち落ちます。
東大震災はこのイルミナティ(フリーメーソン)の特に悪い奴らが、HPPPP(ハープ)で地震を起こしたとされる説もあります。
また、イルミナティを存在させておくと分け御霊の不動明王も復活し今度は全く逆に共産党が悪化したみたく地ならしするように
みんな足を引っ張られ引きずり落とされダメにされます。
安部総理はフリーメーソンにおどされ付いていってると言う説があり、その被害を食った人間もいると聞くのでダメです。 1さん、お尋ねします。
ごく平凡な宗教行為、たとえばフツーに習慣として
お経を読むことでも、例えていえば霊的な風通しを
よくしているのかなあと思うことがあります。
内容や意味は他の宗教の人や外国の人に通じるわけ
でもありませんが、何かしら響きや振動に普遍的な
力があるようにも感じております。
いかが思われますか? >>937
意識も変わるかもしれませんよ。良い方ばかりに変わるとは限りませぬが。
認識は勉強したり注意深くあったりすれば、いくらでも変わるでありましょう。
くまにとりまして、無我、不二一元、唯識等が難しいのは、あまりにも実感とかけ離れてるからであります。
例えば、今、ガラ携で文字を打ち込んでいる実感は一つであります。
打ち込んでいるのは自分であると言う実感は一つであります。
そろそろハラペコリンだなとも実感してるのであります。
これは疑いようのない実感でありまして、
>それ故に不二一元自体は間違った事ではない訳です
と言う結論は、くまには導き出せないであります。
唯識も自他が無いも同様であります。
で、「止観」の実践により、心の真相に迫りたいと愚考してる次第であります。
>実感を主(自)と観たら、その他は信号・情報なので、自と信号しかないとなり
自も信号の結果なので自他は全て信号・情報となり、自他なるものはどこにもない事になるんです
↑この部分は、吟味してみたいと思うであります。
くまの籾殻脳では、ちょびっと考える時間が必要そうでありますが、実感している主体のことをテーマとしたいのに、いきなり実感そのものが、主=自てあると結論してからはじめるのは、説明を省きすぎてるような気がするであります。
>仏教ではこの認識とは、人や有情が使う大局的マイノリティと看做す誤認であると観るからです
不二一元を擁する人たちにこれは理解されてません
↑ここはさっぱりわかりませぬ。
>>940
無思考に近い・・・でります。
雑念が少ない状態であります。
巻き込まれて苦しむような思考、感情、等は儚く消え去るのであります。
くまが実感してる瞑想の効果はほぼそれだけなのであります。
たまにちょびっと深まった時に、何かわかりかけたような気がするだけなのであります。
それだけでも、思考感情に苦しむことからはかなりの程度解放されるのであります。
心のコントロール法であり。
苦しかったりする人には、実践してみることをおすすめするのである。
苦しくなくても集中力、観察力を高める訓練として有効なのである。
.∧_∧
(・(ェ)・)
(つ@と)
と_)_) 瞑想のなかでも取り分け手軽なのが坐禅です
足を組んで手を組んで腹式呼吸して思考する事を放棄すれば良いだけなので手軽です
この坐禅を再認識して提唱した人が道元禅師です
一度普勧坐禅儀をググって読んでみるのも一考でしょう
この道元禅師が坐禅に於いて至れた境地が有名な「身心脱落」と称されます
身も心も脱け落ちた様だと禅定三昧が文字表現されています
最初はこの境地が自在に至れるように坐禅を工夫するのが常となっています
問題は、この境地が結論ではない、と言う事が門外の人々には割と知られていないと言う事実
身心脱落したら、脱落身心の事実を観るんです
これは彼岸に渡って此岸を観よと言う事です
彼岸に渡って彼岸の事だけ見て聞いて考えてれば良いのは死んだ人だけです
生きながらに坐禅をする私どもは、渡った彼岸で此岸の有り様をしっかり確認せねばいかん訳です
戻ってくるんですから >>946
突っ込むんだったらそこじゃ無いでしょw
甘い甘い >>945
それから何かの境地とか禅とは反対の方向
どこかへ向かおうとする時点で間違いだから勘違いしないように 説明と実際の区別も出来ないんじゃ仕方ないと思われ
それじゃ脱落身心がいつまでも分からない筈だよ
頑張ってね >>949
あんたはわかってないからそんな事言ってんだろ
境地とか言ってるようじゃ話にならんぞ! >>950
道元禅師は「坐禅は、禅定に習熟することではない」と確かに教えてる
しかし、そう言う説明をしてはいけない訳じゃないよ
ちゃんと坐禅出来てるなら必ず身心脱落はみんなするんだから
俺は、身心脱落したなら、それが答えなんじゃなくそこで何をすべきかを説明しただけだよ
意味が分かんないなら別にそれでいいでしょ
放って於けばいい >>950
そうそう、坐禅坐禅も結構だけど
一応時間は決めて、決めた時間にタイマー掛けると捗るよ
ダラダラ不定時で行うのは良くないから
公式は大体45分だそうだ >>945
初学者にありがちな間違いだけどこれを
自己をはこびて万法を修証する
というわけ
境地とか言ってるようじゃ話にもならない 教えて欲しいなら教えてくださいだろw
お前には教えねえけどなw >>955
ほら怒りだした
本性でたなぁ
話にならんね >>956
お前さ、あっちこっちで無字だ隻手だを聞きまくってるアホだろ?
分かってる奴はそんなのを切り札に使わないし、法論吹っ掛ける様な真似はしないんだよ
当然
>自己をはこびて万法を修証する
>というわけ
みたいな鵜呑みも、自分の言葉に直して書くんだよ
で、坐禅坐禅と連呼して布教活動とかもしないんだよ
まあ、頑張れやw ∧_∧
(*・(ェ)・)_。_
/ J つc(__アi!
しー-J 旦~旦~
もうじきご飯が炊けるであります。
本日の第一食であります。
プチ断食になってしまったであります。 初心者はダメ出しされるとすぐ発狂すんだよなぁ
こんなのが身心脱落とかジョークにもならん >>957
人違いだなぁw
無字だの隻手だの言ってるのは俺だが、それはポタ公という俺は悟ったと自称する無眼子相手の商量だし、いきなり他人に吹っかけたりしないから、貴方も安心しなw 切磋琢磨になればいいんじゃないの?
しかし、坐禅と見性のスレで坐禅しろとか当たり前だろがw
他宗のスレや他宗教のスレではそんな事してないし。
文書見ると早とちりするタイプみたいだけどw >>1 さんの体験は、坐禅の見性体験みたいなことか?
もしそうなら、正師について先に進まれた方が良いのでは。 新スレです。
坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486825130/ 2ちゃんでこんなこと言っても自己矛盾だが、
2ちゃんで悟りについて議論しているより、
正師について修行した方がずっといい。
こと悟りに関しては、議論やおしゃべりなんて時間の無駄にしかならない。 1さんに質問があります
寝ているときはどんな状態ですか?
夢を見ますか見ませんか?
熟睡している間、自分が寝ていることがわかっていますか?
意識や知覚はありますか?
脳、身体以外で起きている間と寝ている間の違いはありますか? >>971
ほとんど夢を見なくなりましたが、
夢を見るときは、夢だという自覚がだいたいありまふ。寝てるけど起きてる時もあります。
たくさんご飯を食べると愚鈍なタイプの眠りになりますね。 >>943
響きや振動に普遍的な力はあると思います。
が、用いる方の意識に影響されていると思います。 >>936
その言葉知らないので、調べてみましたが、出てきませんでした。なのでわかりません。 >>974
お釈迦さまを北極星のように目印にして進めば、正しい道を進んでいけると思っています。
いつか自分にあった法門で、師に出会えると思います。 つうか、まことは「足掻く」の意味を辞書で
調べたほうがいいんじゃないか?! 「足掻く」は、オレの座右の銘のひとつだ
幕末の志士みたいだと、思う存分、オレを誉めろ 米Microsoft Corporationは14日(現地時間)、同日リリースされる予定だった月例更新プログラムの配布を延期したことを明らかにした。
リリースの最終段階になって一部の顧客に影響を与える恐れのある問題を発見したが、修正が間に合わなかったためであるという。
なお、執筆時現在、問題に関する詳細は公表されておらず、リリースがいつになるのかも不明。 >>863
>一瞬一瞬,脱皮するようなイメージを抱きながら歩く。
一歩一歩,次々と次の自分が次の歩みの地点に抜け出ていく。
「私」という私は常に歩みの後ろに去っていく。
どこにもとどまることなく,「私」という形成された現在は,
はっきりとそこにありながら,しかも流れてとどまることなく消えていく。
←これ、その通りでありますね!
>そこで,もし集中力が十分に高まっていたとするならば,
そこに,不意に,視界の片隅に,動いているものが何か横切るとする。
そうすると,その集中力,その心は,そのものを,その動きを,その変化を,
あなたの介在なしに捉える。粒々の各瞬間を厳密な知覚が余すところなく勝手に捉える。
そのとき,あるがままの裸の存在が何たるかを知る。
←この部分の実感を得るには未だ修行不足のくまであります。
>その言いようのない感動,言い表しがたい美しさ。完璧さ。
←こんな実感に到達したいであります。
>その瞬間にあなたは悟る。「全ての為すべきことはなし終えた」と。
←いつかきっとくまも終えるでありましょう。
>そこに至る前提として必要な2つのことがあります。浄化と正しい見解の理解です。
浄化は自己観察によって得られ,
正しい見解の理解は教えを熟読することによって得られます。
←やっぱり読んだ方がよいでありましょうかね。
くまは信心銘がお気に入りであります。
‖ ‖‖
‖○∩_∩ ∧ /‖○
‖((´∀`)(゚Д゚‖))
○∧_∧∧_∧ ‖
.((-へ-(・(ェ)・)/‖ ∧
ヽ ( つ‖(゚*
`| | | | | ‖/ /
(_(_(_)_) ‖ >>863
>そこで,もし集中力が十分に高まっていたとするならば,
そこに,不意に,視界の片隅に,動いているものが何か横切るとする。
そうすると,その集中力,その心は,そのものを,その動きを,その変化を,
あなたの介在なしに捉える。粒々の各瞬間を厳密な知覚が余すところなく勝手に捉える。
そのとき,あるがままの裸の存在が何たるかを知る。
←これって、通りすぎたのが、男とか女とか車とか、視界を横切ったのが看板とか山とか雲とか、名称が付されて、認識される前(?)の知覚(視覚)そのものみたいなことでありましょうか?
くまは日常歩くとき、単に足の運びに意識をおきことにより、無思考に近い状態を維持することのみでありましたが、
brownさんが書いておられる方法は、禅の経行や上座部の歩く瞑想みたいにゆっくり歩に集中する方法でありましょうか?
.∧_∧
(・(ェ)・)
(つ旦と)
と_)_) >>987,8
「信心銘」,有難うございます。読んでみます。
歩く方法は,普通に歩きますよ。普通のスピードで。
座って集中してでもなんでもいいんですが,
動きがある方が次々に変化していく実感を捉えやすいんですね。
で,完全な集中力で変化の各瞬間を全て次々に捉えることができると,
それがありのままの認識です。
おっしゃるとおり名付けや思考,感情が働く前の知覚ですね。 oshoの講話の中に、このスレでぐたぐた言ってたオッさんらに言いたいことが書いてあた。
宗教とは、
自分自身から始めることであり、
形而上学とは、
神から始めることだ。
だから、
形而上学は狂っている・・
もちろん、
方法論を伴った狂気ではあるが。
狂人たちはみな、
方法論を伴わない
形而上学者であり、
形而上学者たちはみな、
狂っているが、
方法論を持っている。
方法論を持っているために、
彼らは辻褄の合うことを
話しているように見えはするが、
たわごとを話しつづけているだけだ。 >>990
続き
常に始めから着手すること。
決して終わりから始めてはいけない。
そんなことをすれば、
糸口すらつかめない。
始めから着手する者は
かならず終着点に辿り着く。
だが、
終わりから始める者は、
出発点に辿り着くことさえない。
終点から始めることは不可能だ。
あなたはどうどうめぐりを続けるだけだ。
神を形而上学的な観念にするのではなく、
宗教的な体験にさせるがいい。
内側に入ってゆきなさい。
神はいつもそこであなたを待っている。 >>991
続き
だが、
そうなると、
あなたは自分自身に
働きかけなければならない。
その行為が瞑想だ。
その行為がヨーガだ。
自分自身に働きかけなさい。
今のあなたは閉じている。
今のあなたは死んでいる。
今のあなたは神、
存在と語り合うことができない。
だから、
自分自身を変容させるがいい。
扉をいくつか開けなさい。
空間を少しこじ開けなさい。
窓をいくつか開けなさい。
自らのマインド、
自らの過去から飛び出しなさい。
そうすれば、
聖なるものを知るだけでなく、
それを生きることになる。 >>992
続き
神の恩寵を受けて生きることになる。
あなたはその一部に、
そのなかで起こるさざ波にすぎなくなる。
そのなかで起こるさざ波、
聖なるものの波になってしまえば、
そのとき初めて真正な神性がある。
そういうわけで、
私は形而上学者ではまったくない。
私を反―形而上学者と呼んでもいい。
宗教は実存的なものだ。
自分自身から始めなさい。
”自分の攻撃的なマインドを
変容させることから始めなさい。” >>989
γ⌒:"-ヽ
(∪( )
∪∪∨-∨
ありがとうであります。
頑張ります。 「足掻く」は、オレの座右の銘のひとつだ
幕末の志士みたいだと、思う存分、オレを誉めろ >>995すばらしいのじゃ
おまえさんが悟るのも時間の問題じゃ >>993
それもまた攻撃的なマインドだと思うが、それはまあ置いておいて。
それと殆ど同じ事を今から800年位前に道元禅師が現成公案で書いてるね
仏道をならふというは自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己を忘るるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せられるなり
万法に証せられるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
オショーって人は多分禅を学んだ人だと思う 997.
身心脱落か。
その後が、どうなるか、の問題である。
道元には答えがない。
なんでか。
坐禅バカであるからである。 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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