最後に、これはまだ私も今後研究していきたいテーマなのですが、ドストエフスキーと三島由紀夫というテーマを考える時、
三島が代表作の一つ『仮面の告白』にて、ドストエフスキーの「カラマーゾフの姜頼」からの言葉を引用していることが必ず指摘されます。
むしろ、ドストエフスキーの小説を思わせる哲学的議論を登場人物にさせている作品は『美しい星』なのですが、『仮面の告白』において、
私が忘れがたい一言を発していたのが、作家、中上健次でした。彼が「路地」、つまり同和地区や差別の問題にこだわり続けたことは
言うまでもありません。そして中上は、1970年代に行われた野間宏や安岡章太郎との座談会で、左翼的な建前論に終始する野間を制するように、
同和地区の文学の内容はあまりに薄い、差別語にこだわって糾弾することなど差別の本質と、あえて言えばそこから生まれる文化の豊かさに
比べたら無意味であり、今の在日朝鮮人や同和出身の作家の文学はあまりにも物足りない、と語っています。
そして中上は、差別の問題を最も深く認識していた作家として、まず谷崎潤一郎、そして三島の名をあげ、『仮面の告白』のなかで、
主人公が汚穢屋に激しく感情移入するシーンを「愛しい」と評していました。実は、ドストエフスキーの文学は、当時の差別されていた異端キリスト教、
それも過激な、去勢派、鞭身派などの、ある意味マゾヒスティックな修行を課した信仰にも深い影響を受けていることが、江川卓氏らの研究によって
裏付けられています。とても私などの読み解けるテーマではないかもしれませんが、ドストエフスキーと三島の内面の共通性として「差別」の問題も
また興味深いものかもしれません。それでは、これでまとまりのないものでしたが、本日のお話を閉じさせていただきます。どうもありがとうございました(終)
(文責;三島由紀夫研究会事務局)