ドストエフスキー対トルストイ
「アンナ・カレーニナ」の平和主義への批判

まず、『作家の日記』におけるドストエフスキーの平和主義批判について紹介させていただきます。
ドストエフスキーは、トルストイが代表作の一つ「アンナ・カレーニナ」最終部で展開した、露土戦争に向かう
義勇兵を批判した部分について、この偉大な作品の大きな傷の一つとして反論を展開しています。
露土戦争とは、1875、76年にかけて、今のバルカン半島を中心に起きたスラブ民族の独立運動に対し、
彼らを支配していたオスマン・トルコ帝国が残酷な弾圧を加えたことに始まります。ロシア帝国政府は当初、
かってのクリミア戦争での敗北の経験などから消極的な姿勢を示していたのですが、ロシア民衆は、キリスト教徒である
同胞のスラブ人をトルコの虐殺から救え、という声が沸き上がり、義勇兵が編成され、ロシア政府の宣戦布告を待たずして戦場に向かいました。
この民衆運動を全面的に支持したのがドストエフスキーであり、批判的だったのがトルストイでした。トルストイは、
『アンナ・カレーニナ』の最終部で、アンナを失った恋人が義勇兵を志願するシーンに加えて、トルストイの分身と思しき
レ—ヴィンの反戦論を書きつけました。レ—ヴィンは簡単に言えば、戦争は忌むべきものであり、スラブ人の救援に行くというのは大義名分で、
結局、他者を殺しに行くだけのものではないか、今義勇兵に向かうのは扇動者に踊らされた一部の人間で、決して民衆全体ではない、
という趣旨のことを語ります。ドストエフスキーは直ちに、それならば、レ—ヴィンは現実のトルコ人がキリスト教徒を虐殺している現場では
どういう態度を取るというのか、という疑問を投げかけています。