2002年(主日A年) 3月3日 四旬節第3主日
出 17:3〜7  ロマ 5:1〜8  ヨハ 4:5〜42

ユダヤ人の宗教を正統的ユダヤ教と呼ぶなら、サマリア人の宗教は異端的ユダヤ教でありました。
相互に対立して、ユダヤ人はサマリア人と交際しようとはしませんでした。
ユダヤ人はエルサレムで礼拝し、サマリア人はゲリジム山で礼拝するのが正しいと主張していました。
現代のキリスト教はいくつもの陣営に分離していて、それぞれが異なる歴史的背景を持ち、独特の形式や慣習を持っています。
20世紀にはエキュメニズムと呼ばれる教会一致運動が盛んになり、ローマ・カトリック教会も “エキュメニズムに関する教令”(1964年) 以来、この運動に積極的に参加するようになりました。

主イエスはサマリアの女に言われました。

「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」(ヨハ v.21)
「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。 今がその時である。 なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
神は霊である。 だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハ vv.23-24)

この 「霊と真理をもって礼拝する」 とは、具体的にはどういうことなのかを、第二バチカン公会議は典礼憲章によって明確に宣言しました。
それは私たち21世紀の教会を導く神からの恵みの路線地図であります。
典礼憲章 第二章 48 (信者の参加) を、今朝の福音の日課のふさわしい解説として、以下に引用します。

「したがって教会は、キリスト信者がこの信仰の秘義に外来者、あるいは無言の傍観者として列席するのではなく、儀式と祈りによってこの秘義をよく理解し、聖なる行為に意識的に、敬虔に、また行動的に参加し、
神のことばによって教えられ、主のからだの食卓において養われ、神に感謝をささげ、ただ司祭の手を通してだけでなく信者も司祭とともに清い供え物を奉献して自分自身を奉献することを学び、
こうしてキリストを仲介者として日々神との一致と相互一致の完成に向かい、ついには神がすべてにおいてすべてとなるように全力を傾注しているのである。」

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より