1 :神も仏も名無しさん:2016/05/08(日) 16:35:09.84 ID:mGNFHB6S
1 :神も仏も名無しさん:2016/03/28(月) 02:04:39.49 ID:Pr+YuIny
仏教は虚無論ではないにも関わらず、虚無論として「無」を強調し、
元祖仏陀は形而上の存在論としては「有」「無」を説かなかったのにも関わらず
「無」を仏教的教えの中心として説くのは間違いだ。
「実体がない」などという表現はまさにこの無いの主張の代表的なもので間違いであり、
「実体は分からない」と正しく使うべきである〜w
「ない」と「分からない」では意味は大いに異なる。

精神的苦痛を除くのが仏陀である〜。
精神的苦痛などは元々無いのであり、それに執着しているのが苦痛の原因である。
執着を無くせ〜。 という教えは有難く承ろう〜。

が、しかし精神的苦痛は現代では脳内の病による肉体的苦痛と同義である一面もあり
2500年前と同じように精神-肉体を別に考えるわけにはいかない。
鬱や統合失調症に薬物治療が行われるのは神経伝達系に作用する薬で肉体的に治療をするのであり、
まさに精神は肉体という事になろう。
これを2500年前の仏陀のように単に執着をなくせ〜の一言で済ますのは現代においては誤りである。

さらに仏陀は肉体の苦痛については何ら解決策を述べておらず、まさか肉体的苦痛の苦痛などは無い、
気のせいだ〜と言うわけにもいかずお手上げ状態であり、ただ耐えるより無いのである。

仏陀も下痢に悩まされ体力を削がれ横たわって休むよりなかった〜。
現代においてはその道の専門家の医者にかかり治療を受ければ速やかに回復するだろうw

何でも全部一字一句2500年前の仏陀の教えに従う必要は無い。内道の仏教徒である必要などさらさら無い。
外道で外から自由に取捨選択して自分に合う教えだけを取り込めば十分である。