聖書を根底から学ぶスレ7 [無断転載禁止]©2ch.net
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聖書を牛歩のごとく、ゆっくり学んでいくスレです。
2016年の4月になりましたので、過去に約束したとおり、
このスレを復活させました。
以後よろしくお願いいたします。
※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1471371618/l50 >>849 >パウロはもっと切迫した終末観を持っていたようです(1テサ4,13)。
ご批判、ありがとうございます。
おっしゃるとおりなのですが、ローマの教会宛に手紙を書いた頃のパウロは、すでに 「終末の遅延」 ということを明らかに前提にして、「待ち望むのです」(8:25) と言っていました。
C.H.Dodd が、「時が経つにつれて、あの期待していたことは破られることになった。 主は雲に乗って来られなかったのである。
その結果として、その宣教内容の調整が要求されるに至った」 と述べていることは、まさに当時のパウロ自身の体験だったと思います。 >>851
レスポンスありがとうございます。
ローマ書におけるパウロの終末観については、以下のような記述もあります。
「今や私たちの救いは、私たちが信仰に入った時よりも、さらに近づいて来ている」(13,11青野訳)。
フィリピ1,5でも同様のことが語られていますが、これを読む限りでは、パウロは現存する書簡では、
後期まで終末が近いという待望を抱いていたと考えざるを得ないのですが、この点はいかがでしょう?
Doddの著作は、小生は残念ながら読んだことはありませんが、Doddが基本的に主張しているのは、
「徹底的終末論(die konsequente Eschatologie)」に対する「現実された終末論(realized eschatology)」
であり、イエスと共に神の国がこの世界に進入してきているという考えだったと理解しています。
Doddの文脈では、終末がいつ完全に実現するのかは、問題ではなかったという理解でよろしいでしょうか?
これはイエスの終末観についてのDoddの理論ですが、彼がそれをどのようにパウロに適応しているのかは、
残念ながらよく存じません。 >>852
Dodd が主張している Realized Eschatology というのは、原始教会の使徒的宣教のことを言っているのではなくて、イエスの教え (これも宣教と呼ばれている) の特質を説明しているのだと、私は理解しています。
主の復活後、数年を経て、使徒的宣教 (ケリュグマ) の見通しが変わった、つまり主の復活、昇天とその再臨との間に存在すると思われた関係の理解が、変化したという理解の上で、
「差し迫った再臨の待望が、かくも長い間、原始教会の中に存続したことは注目に値する」 と、述べているからです。
Dodd は、後期のパウロがなお ロマ 13:11-12 や フィリ 1:6 で、なお再臨の待望を持ち続けていただけではなくて、さらに下って、Iヨハ 2:18 でも、なお 「終わりの時が来ています」 と書かれていることにも言及しており、
ヨハ 21:22 さえも、そのような再臨待望への原始教会の固執を示唆するものとして指摘しています。 パウロは最初は仲間たちみんなといっしょに神の国がやってきて
生きたまま救われると信じていたのだよ
でも、すぐには来なかった。
死んだ仲間たちもいるし、これから死ぬ人もいるだろうが
自分だけは生きたまま救われるはずだと最後まで信じていたのが
「怖がり」のパウロ君の生身の信仰なんですよ
神学で事実を誤魔化したらいかんな .
>>849
>>パウロは
>>もっと切迫した終末観を持っていたようです(1テサ4,13)。
>>第二パウロ書簡では「終末の遅延」についても述べられていますね(2テサ)。
>>851
>>ローマの教会宛に手紙を書いた頃のパウロは、すでに 「終末の遅延」 ということを明らかに前提にして、「待ち望むのです」(8:25) と言っていました。
>>852
>>ローマ書におけるパウロの終末観については、以下のような記述もあります。
>>「今や私たちの救いは、私たちが信仰に入った時よりも、さらに近づいて来ている」(13,11青野訳)。
>>853
>>パウロがなお ロマ 13:11-12 や フィリ 1:6 で、なお再臨の待望を持ち続けていた
---------------
グノーシス派の俺に言わせてみれば、たった一言で済む話よ。 「すべてはパウロの妄想に過ぎなかった。」(完)
. >>853
Doddについては読んだことがありませんでしたので、ご教示くださり、
ありがとうございました。
また折に触れてご紹介いただけましたら幸いです。
>>854
>>955
個性的な解釈ですね。^^ >>854-855
まず、はじめにお願いしたいことがあります。
私があなた方に意見をしたからといって
同意できず、違う意見を返して下さるのならよろしいが、
そうではなく、意見ではなく、
陥れの悪意を返し続けるというような邪悪なことは
なさらないでいただきたくお願いします。
なぜなら、もしもそれで私がショックを受けて、
自分の意見を言えなくなったとしたら、それは暴力なのです。
私は生れながら神の御加護をいただいており、また生まれた家族から
鍛え上げられたりしていますから、軸ブレしないで即効回復できるのですが、
どれほど全員才能に恵まれていたとしても、別の要素は、
さまざまで一律ではありませんので
暴力を受けると、たちまちひどい傷を受けて、回復するのに回り道が
とんでもないような、軸ブレを起こし続けて、
たとえば無意識に自分が暴力を振るような回り道を
してしまう方もいるのです。 (悪循環、悪連鎖)
そのような悪循環の中で、連鎖しているなら、尚の事
ご自分の為にも、全体を客観視して沼に足をとられたり、
人に悪連鎖させたりをしないように、一呼吸おいてみわたし
対応して下さる事を願います。
恐がりのパウロだとか、すべてパウロの妄想だとか
どうしてそのように考えらるのか。 普通に考えてパウロはちょっとおかしいと思いますよ。
パウロの権威や正当性を裏付けるものは奇跡体験だけですし、そんな事が我が身に起きたのもパウロだけ。
非常に怪しい使徒だと思います。 パウロの発言は真実からズレるのだよ。そこさえ吟味できれば十分。 恐がりのパウロだとか、すべてパウロの妄想だとか
パウロは聖書成立以前の方であり、パウロだけでなく
イエスキリストと同時代の使徒たちは、只々福音を携えて純に
生きぬいた方々ではありませんか。
どこからパウロが怖がりと判断されているのかわかりませんが、
次元の低い気持ち悪い発想をするな!といいたい。(あなたがそれで怖がりでない事にならない)
パウロは、あなたとちがい、鞭打たれることも耐え抜いているのですよ。
あなたには出来まい=自分は出来るのかというような事を考えた事もなく
不真面目に口にしていませんか 君と同じだと考えればいい。
エホバであってもカトリックと偽ることは簡単だろ? パウロは一時代を築いたね。
パウロがいなければキリスト教が世界宗教にはなりえなかったかもしれない。
主は言葉を伝える器にパウロを用いた。
その言葉を選び取るか、捨てるかは一人一人の責任による。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
私が秘書の時代に『仏陀再誕』は出されました。
この霊言テープを大川隆法氏から渡され、聴くように指示されました。
その後に書籍が出ました。
よく内容は覚えています。
私はこの教えをよく知っています。
覚えているのです。
その上で大川隆法氏は間違っていると声を上げたのです。
なぜでしょうか。
彼が女性問題を起こし、それも一過性の問題ではなく、継続的におこし続けていることが、さまざまな情報から疑えなくなって、私が直接被害者から聞いた情報を中心に手紙に書き、大川隆法氏に反省と被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては事実無根と否定し、私を除名処分とされました。
この段階で、大川隆法氏が悟りを偽る大妄語の罪を犯していることが、私には疑えなくなりました。
悟りを偽り「自分は仏陀だ」という罪は、無間地獄です。
この心境では悪魔に取りつかれてしまいます。
そうなると大川隆法氏を信仰する人々が悪魔の支配下におかれてしまいます。
だから、私は黙って見過ごすことができなかったのです。
この問題は、教義の矛盾を追及しているのではありません。
大川隆法氏の行いと教えの矛盾を問うているのです。
私が敢えて行動に出たのは、多くの人を地獄行きから救いたい、新しい地獄を決して広げてはいけないという気持ちからです。
教祖がどんな状態でも百パーセント信じなさいと言うのであれば、オーム真理教の麻原を信じて殺人を行った信者を食い止めるすべはなくなります。
自分の内なる良心に照らしてみて、どうしてもおかしいものはおかしいと、勇気を持って立ち上がるものがいなければ、間違った宗教を正すすべはなくなります。 >>863
あのね、今翻訳された聖書を読んでいる我々ですが、
パウロはあなたと違ってその時代を生きているのですよ。
ユダヤ教の社会とそこからですよ。
何をいっているのですか、パウロはユダヤ教の教えやそこに直にいたのですから
あなた以上に知っているのです。
アホチャウ。 私はパウロの宗教ではなくイエスの宗教を継承する方を選ぶよ パウロは愛を説いた。イエスも愛を説いた。
愛は何よりも最上の価値を持つ。
パウロをイエスの対極に持つ者は
イエスの宗教を持っているとは言えないよ。 愛は戒律を凌駕する。このことを隠し、イエスから引き離そうとする
エホバの証人は罪悪だと思うよ。 >>869
それは結構なことです。
ただし、あなたはパウロを悪く言うだけの何も持っていない事を
肝に命じておくことです。
そして噂話でなく、ゆっくりパウロの手紙をどういう人たちに
向けて書いているのかも充分考慮しながら読んでいける
向き合い方の気持ちの余裕がいつかできれば、良いと思います。 パウロはイエス様の語られたシンプルな真理に、ゴテゴテと自分の考えを乗せたところがダメなんですよ。
エホバの証人やパリサイ派と同じ過ちを犯しています。 >>876
よしおさん、
パウロは自分の手紙を新約聖書に載せてくれなんて言っていないし
載せられた為に、悪口までいわれるなんてね。
もうちょっと客観的に普通に考える事はできませんか。
下手な表現ですが、イエスはもちろん磔刑ですからえらいめに合われましたよ。
けれど、神と自分のことだけでいけたわけです。
使徒たちは、神とイエスキリストを、しかも現実のまったく
封建的な世の中で伝えていくのですよ。
自分の考えをゴタゴタと乗せたのではなく、
現実の社会への問題に対応しているのですよ。
仕事で一日の終了ミーティングなどしたらわかるでしょ。
どれだけ、色々な話が出て、それを集約していかなければならないか。
パウロや使徒が居た場所は現場であり
イエスキリストは天皇陛下のようにどれほどそれはそれでご苦労が
あろうとも、震災地へ出向いて励ましてくださろうとも
毎日現場に入り込んで血眼で自分の命をけずるようにして
たくさんのそれぞれの意見を聴きながら活動する人とは違うのですよ。
どちらがどうだとかというのではなく、
いえ、自分たちはパウロに近い場所にいることを、どうかどうか
傲慢にならずに受け止めたいと思うのです。 >>877
パウロが対応する必要も資格もないのです。
イエス様の語られた言葉だけで良かったのです。
パウロを推すなら「女は黙っていなさい」という言葉にも従いましょう。 >>878
>パウロを推すなら「女は黙っていなさい」という言葉にも従いましょう。
なぜ、人の言葉を切り取って使うのですか。
何か女の事で問題が生じてそれに対応されたのかもしれませんよ。
しかも
パウロは男女についてそんな単純な話だけしたのではありませんよ。
とにかくその時代の現実の人々の混乱にも様々に対応しなければならない。
宗教従事者や公務員のようなぶら下がっていればどうにかなるというような
保障内の甘い仕事しか経験がない者や
ネット暮らし観念分離ヒッキ―
には、難いことだと思いますので、
この話は次の機会に。 かつて日本の天皇には8人10代の女帝(女性天皇)が存在しました。 >>880
いつも女が問題を起こしていたと考えるのが普通ですよ。
聖書は基本的に男尊女卑ですし。 >>881
知りませんでした。
過去にもいたならOKだと思います。 女帝(女性天皇)は全て男系皇族の女性であり、かつ既婚の場合は、
即位に先立ち天皇の妻(皇后)となっておりました。
このように、日本の歴史上、女性天皇は確かに存在はしましたが、
女系天皇は存在したことが無かったのです。
イエス様自身も、すべての女の頭は男と教えられましたし、NAOさんは色々とわかっているつもりの傲慢な態度を悔い改めましょう。 >>884
それなら女性天皇はOKで、女系天皇はNGだと思います。
しかしそうなると、悠仁様一択となるところが可哀想だとは思いますね。 アブラハムの宗教は、啓蒙思想と相容れない。
「聖書の普遍的価真理」を訴えてるやつが
男女平等や民主主義を強弁するなど片腹痛い。 コリントの町は港町で、荒くれ者の船員達や彼ら目当てのキャバクラが多かったそうです。
古代のギリシャは、女の政治的発言を認めなかった文化でもあります。
少なくとも、政治的発言については、男のものだったんですね。
そのような地域文化があるコリントに、「女は黙ってれ!」とパウロは手紙を送りますた。
パウロは、現実的な折衝案を得意とする人でもありますね。
異邦人宣教において、パウロの折衝能力の高さが発揮されますた。
とりあえず男主導で教会内政治を進め、才覚のある女が出てきたら、いずれは認められるでしょうか。
パウロ自身が男尊女卑だとは思えません。
パウロの宣教の旅を支えたのは、異邦人の、しかも頭いい女達だったからです。
パウロは才覚のある女性伝道者を重用した人だったりもします。
聖書のパウロの文言は手紙ですから、
手紙を出した時代性と、相手の地域文化や状況を考慮しないと、
折衝能力に優れ、融通の利くパウロの考えたことを知るのは難しい気もします。 ユダヤ教会の異端児イエス
エルサレム教会の異端児パウロ
カトリック教会の異端児ルター
改革派の異端児ウェスレー
いつの世も異端が時代を切り拓く 何はともあれパウロの十字架に甘んじているようでは悟りは開けんということだ。 貴方は既に救われている、悟っているのです。イエスを崇めなさい。 イエスを崇めるだけで救われるのです(免罪符と同じ) >>890
男性主導と男尊女卑は、ヤヤ違う気もしますけどね。
ギリシャでは、女に政治的発言権はなかったのですが、
そりゃもう女はスンバラシイ存在でもありました。
女神万歳\(^o^)/の土地柄ですから。
パウロがいなかったらユダヤ人生活様式が必要とされたでしょうし、
ユダヤ教メシア信仰、メシアニックジューで終わっていたでしょう。
当時さまざまな宗教が混在したヨーロッパには広がらなかったでしょう。
しかしパウロが活躍した当時も、ローマでは公認されなかったですし、
パウロが頑張っただけでは、キリスト教は広まらなかったでしょうね。
キリスト教がチカラを持ったのはミラノ勅令以降です。
ローマという強力な後ろ楯、一神教ならではの排他性、
イエスの含蓄ある言葉、十字架に殉じた悲劇のドラマ性で広まるわけで、
「ローマはキリスト教で3度目の世界征服を果たした」と歴史学者は言ってます。
パウロがどうこうというより、ローマなんですよね。
パウロが新約聖書をまとめたわけではないから。 >>901
聖書は女性を創造した理由について、男の助け手となる為に創造したと教えています。
黙って男の言う事を聞いていれば良いという事です。 >>902
ヘブライ語のアバラには、横に沿うという意味がありますよね。
並列に沿うわけですから、基本的には横並びになるわけではあります。
主導権が男にあるという秩序ではあっても、
女に助けてもらえないと、どうにもならないのが男なのかもしれませんね。
ルードボーイなよしおちゃんに、タコ焼き作って売る主導権はあるものの、
ラガマフィンな嫁さんが助けてくれないと、タコ焼き屋台をやっていけないという感じでしょうか。
俺は姫の使用人ですから、どうでもいいすけど。 >>904
何れにしても、すべての女の頭は男と言い切っている時点で男尊女卑ですよ。 聖書に信仰をおくなら、男女平等というこの世の価値観に惑わされてはなりません。
悔い改められますように。 意味から入れない在家イルミナティーなどウンコ以下です >>906
そもそも聖書の神は、なんで父ちゃんなんでしょうね。
一般的には、父性愛、母性愛に分けられますよね。
古代での聖書の神は、アブラハム集団にとっての道徳の起源だったわけで、
秩序という視点からすれば、父性愛を母性愛の上に置いたような感じはありますな。 >>912
そこまで考えてないと思いますよ。
男尊女卑は数千年にわたって尊重されてきたポピュラーな価値観ですから、当たり前で支持を得やすいものだったと思います。 >>913
まあ、母子はソノマンマで母子なんだよね。
当たり前だよね、マソマソから出てくるのが子供なんだから、母子関係は確かなものなんす。
男はね、「父親という存在」にならないと、ただの精子提供者でしかないのよ。
子供を持つ上で、男は不確かなものなんだよね。
「父親という存在」「家族を持つ存在」になる必要があった。
我が子がほしい男にとって、女を囲い込む必要性もあった。
托卵の仮父なんてなりたくないわけですね。
確かな我が子が欲しい、確かなパパになりたい、という欲求が、
女を所有財産のようにする文化を作ってしもたわけです。 >>914
いいえ!違います!
神がエデンで与えられた指針です。
世がいよいよ悪に進み、男女平等などという世の価値観に毒されている人達が増えただけです。
神の基準は変わりません。
悔い改められますように。 >>915
よしおさん、その通り、
人間は男のことであり、人間の頭は男なの。
女は男でない、つまり人間ではないの。
神や守護天使と仲間の
人間を応援する者なのです。
☆ 混迷しているようなので、少しだけ霊的開闢のための
柔らか頭を提供してみました >パウロを推すなら「女は黙っていなさい」という言葉にも従いましょう。
この言葉は現在の翻訳聖書にも納められていますが、パウロの真性の言葉かどうか、
議論が分かれているということはご存知でしょうか?
これについてはいくつもの証拠がありますす。例えば、11,5では女性が教会で祈ったり、
預言したりすることが前提とされていますが、よしおさんは、11,5と14,35f.のどちらが
パウロの真性の言葉とお考えですか?
小生は14,35f.の方が後代のパウロ以外の挿入だと考えています。
それにここは教会ではなく、2chですよwww >>918
両方パウロの言葉だと思います。
手紙が書かれたとき、つまりライブアート中にうるさい女がいたのかもしれません。
女
「私達は人間じゃありません、天使とかの仲間です」
パウロ
「女は黙っていなさい」
みたいな事があったのでしょう。 鉄の女NAOちんをほんわかに霊的開闢させたのは
まぎれもなくよしおくん >>921
それ絶対ちがうとおもうわ(*^^)v
まあどうでもいいけど。
でもね、よしおさんっておもしろいよね。
大阪人って、先の戦場でも生き残り率一番だったらしい。
というのは、戦場でも戦う事よりも生き残る事を考えて
逃げる戦術にポイントを置いて。
だからね、今の大阪維新なんてニセモノよ。
なのに、大阪維新を支持する大阪人なんてね、大阪人でないですね。
しょーもないことに 命をかけるなみたいなユーモアです。
なかなか、かないませんが、そんな大阪人は減少しているかもね。
まあ、なんていうのか、よしおさん(爆笑) みなさま、気分よく 元気にまいりましょう。
しょーもないことに命をかけるな。
でも大事な事には、命をそそいで 命に輝きを。
Stevie Wonder - Sir Duke
https://www.youtube.com/watch?v=6sIjSNTS7Fs 平素は憎まれ役を演じているけど、たまさか好感を抱かれると照れくさそうにバックれる。
よしおくんは童貞並みにかわいい方ですね。
岩村印を与えましょう。 私が憎まれ役という事はないと思いますよ。
羨望と嫉妬の集中砲火を受けているといったところです。
よしおがカッコよすぎるせいで大阪やエホ証、韓国人まで叩かれる。
どやさ。 >>922
私も戦争に行っても死ぬ気がしません。
戦争行きたくないですし、行く事にもならないとは思いますが。
死ぬ死ぬと思ってる人とか、どんくさい人から死んでいくと思います。 ザイニチザイニチってバカにしやがって
ザイニチのことなめるんじゃねぇぇぇよ ! ! ! ! >>709 日本人です。
無実の罪になるとイケナイので。
> > アジア初の新ローマ法王(イエズス会初の法王)の訪問があっても
新ローマ法王(イエズス会初の法王)の[東アジア]訪問が
日本より先に韓国を訪れたのは[初]めてだった。の意味でした。
失礼いたしました。 おそらく、みなさんも悔しいと思っていることだろう。
わたしも悔しい。
フジテレビ 2016 1/5 社長新年挨拶 >>931 訂正です。
新ローマ法王(イエズス会初の法王)の[東アジア]訪問[で]
日本より先に韓国を訪れたのは[初]めてだった。の意味でした。
[再度]失礼いたしました。 韓国国内物流壊滅。
当分は備蓄分でなんとか。
経済破綻どころの話でない。ザイニチの帰還事業が始まるか。
宗教活動は祖国でやってください。 ローマ法王、帰国直後そのおい夫婦が交通事故で脂肪。Kの法則恐るべし。
「 韓 国 に は 行 く な ! ! ! 」
宜 保 愛 子
ローマ法王の訪韓の目的はあまり公表されていないが、1900年代日本では明治に入ってからのころ、
李氏朝鮮が朝鮮に来たカトリックの宣教師たちと大勢の朝鮮人クリスチャンをカロしたのを
拝みにきたんだわ。明治に入ってからのことだよ。 日本人はオマイたちの敵ではないぞよ。
オマイたちと同じ犠牲者であり被害者なんだぞよ。
だからこれ以上悲劇が出ないように思っているだけだぞよ。
私たちに攻撃するのはおかどちがいぞよ。
NAOの悪魔に ヨ ロ シ ク ・ ・ ・ >>900
イエスを崇めるだけで救われるという、パウロの手紙を正しく理解しないで
イエスの教えを捻じ曲げた信仰義認説をもっとも愛しておるのが日本人のキリスト教徒
なのだが。彼等の特徴は、まちことかいう人の書き込みのように聖書からの引用文は
取捨選択の激しい、イエスの御言葉より信仰義認説の誤謬を導けるパウロの書簡からばかり。 信仰義認を理解している人が少ないのが今のキリスト教の癌だね >>940
サーバントさん こんばんは。
だからね、私は君の家系よりも歴代でたどっても日本人でしょう。
それが、立派な事だというつもりはありませんよ、もちろん。
君のようなネトウヨネクザは、逆に日本人でない不安感が強くて
あげくに、こんなことになりました、でないの。
別に在日のサーバントを差別しようと思っている人々ばっかりでないから
落ち着いて、まず仕事についきなさいませ。
それができない精神病なら、お医者さまやカウンセラーとよく相談し、
自分の人生を大切にしてくださいね。 >>918
議論が分かれているのではなくて、聖パウロが「女性は黙っておれ」という
おそましい差別主義者である事実を教会が覆い隠したいために、だったら
これを後代の挿入してしまえという乱暴な主張を学術的良心のない護教家たちが
やっているだけの話ですよ。例えばコンツェルマン
(私はNTD補講5 「原始キリスト教史」を持っている)
この主張の根拠は西方系写本のD、F、G及び古ラテン語訳の中に
14:34,35を14:40の後に置いているという事実に注目して
14:34,35は後代の挿入だとするものだ。
なぜそういうことが起こるかというと写本家の誰かが欄外註が本文に紛れる込む
という現象がよく知られているからだ。
ただこの主張が正しいのあれば、西方系と他の写本に相違が生じたのであれば
2Cのことでないとならないし、欄外註が本文に紛れ込むという現象であれば
14:34,35を欠く諸写本が発見されているはずだがそういう事実はない。
ではなぜ14;40の後に14:34,35に置く写本があるのか。それは単に写生家が
14:34,35を14:40の後に置いた方が意味が繋がると考えて改変したと考えるのが自然だ さて中味について
「女性は黙っておれ」を削除したい学者たちは、この部分が前後と
つながらないと主張する。この部分を削除すると意味が繋がるそうだが
しかしどれだけ削除したらいいのかという議論について、削除派には
共通見解がない。
コンツェルマンは、14:33後半から36節まで削除してしまえと主張するし
バレットは14:34,35だけを削除したらええと言う。
コンツェルマンだと預言の話動詞が繋がり意味が通るが
根拠となっている西方写本とは証拠があわない
方やバレットに立つと、36節が宙に浮いてしまい話はつながらない。
所詮、この程度の水準なのだ。
さて最後に削除派は14:34,35が11:5と矛盾すると馬鹿な主張をする。
削除派によると、パウロは11:5で女性が祈ったり、預言したりする時は
頭を覆えと言っているのだから、パウロは頭を覆えば女性が教会で祈ったり
預言したりしてよいと考えているのだ。そんなパウロが教会で女性は黙れ
というはずかないという論理だ。
しかし、11:5は、第一に教会に限定されていない。
第二に11:5を教会の行為と解釈しても、この個所でパウロが問題にしているのは
「女性が人前に出る時にはベールを被れ」ということである。
ベールを被れば、祈ってよい、預言してよいということではない。
そして14:34,35は更に追い打ちをかけて女性は人前で発言するなと言っている
のだ。この古代でも珍しいほどのおぞましい女性差別がパウロの身の事実なのです。 新興宗教に集まるのって大概、中年のうるさいオバはんじゃん。
更年期障害で情緒不安定だから。
ナルミみたいなオカルトおばはんが教会でぎゃーぎゃー騒いでたらお前みたいな禿でも「女は黙っとれ!」って言うよ。 ちなみにパウロの女性差別については
日本基督教団出版局 A.C.ワイヤ著 絹川久子訳
『パウロとコリントの女性預言者たちパウロの修辞を通して再構築する』
が詳しい。10,000円(税別)
P271- パウロの、被りものについての議論がコリントの女性預言者たちに与えた
社会的神学的含蓄
パウロは彼の三重に積み重なるかしらの定義によってなんとかして制限を加えようと
する。
P309 付録 第一コリント十四章三四-三五節
我々の箇所を詳しく分析している 海津町 安立 不倫 で検索
不倫相手と会う際に幼い娘達を連れていた鬼畜 母性愛。
すべての愛はそこに始まり
そこに終わる。
Motherhood : All love . レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。