◇幸福の科学◇ 事の経緯を説明して、その良心を問う [無断転載禁止]©2ch.net
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事の経緯を説明して、その良心を問う
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-11511099231.html
事の経緯を説明して、その良心を問う
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-11511099231.html
事の経緯を説明して、その良心に問うと題しました。
本当に良心に問うて欲しいからです。
関係ないと思う方は、見なくていいローカル記事なので、スルーしてください。
あるブログランキングサイトのカテゴリーの問題点と事の経緯を、ごく簡単に説明したいと思います。
↓↓↓
あるカテゴリーは、皆、お互いに切磋琢磨して,平和にしてました。
そのカテゴリーに2人のブログが同時に登録してきました。
仲間が増えたと思っていたところ、あろうことか、その2人は、スピチュアルなあるブログを、急に批判(攻撃)してきたのです。
元々いたある1人のブログも、その2人とグルで、3人のブロガーで、1人のブロガーを批判とは言えないくらいの、それは言論を塞ぐ形の攻撃をしてきたのです。
口封じですね。
これらの批判で何人ものブロガーがブログを辞めてます。
私は耐えますけどね。
また、批判に当たらない揶揄そのものの記事もありました。
内容はと言うと、2点あり、簡単に言うと、
1点目は
「自称宇宙人を名乗ることは許されない。」、
2点目は
「スピチュアルな記事は許されない。」
(もう1つ同性愛者も、批判してました。)
どうしてかというと、批判された彼は、そのカテゴリーで1位だったのです。
そのカテゴリーで1番読まれていたということです。
それが、そのカテゴリーからしたら、彼らは1番に相応しくない内容と勝手に思ったのです。
要するに、
嫉妬したのだと思います。
また、スピチュアルへの理解力及び読解力がないため、ほぼ、スピチュアルの認識力に欠けた批判が多かったです。
今回みたいにです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) Ponkichi Corps All-Armed Forces Alliance Army Charge
Arrest "RO"
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2163?
犬川親子・・・
最初から、詐欺目的だった、ということ。
コックリさん程度の霊体験はあったのだろう。
しかし、ソレで商売しようと欲が嵩み
嘘に嘘を重ねて、引っ込みが付かなくなってしまった、ってとこか。
昨今のタレント霊言などは、
完全なイタコ劇場と見てよいだろう。
つまり、全てが「嘘」なのだ。
騙され続ける信者諸氏は、
そろそろ目を覚ました方がよかろう。
常軌を逸したノルマを30年間、課され
財産を搾取され続けて来たのだから。
毎年、数十万円分の本を無理矢理、買わせる仏陀、
そして、ソレを「毎回、ベスト・セラーだ」として
信者への感謝なく、自慢する仏陀、
そんな「仏陀」があろうか?
これ以上、「偽仏陀」に騙され続けてはいけない!!
http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-282.html
Assault !! Billiken Corps !!
Destroy all the dark side !!
軽井沢で「セックスは天国で光を入れるのと同じ」というセックス教義を女性職員達に語っていた。
http://6261.teacup.com/amamin/bbs/33
今日の最新記事です。
ペロポネソス戦争。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/05/post-56f7.html
文化の足並みがそろわないから王子は戦争を吹っかけられるということはマキャベリが指摘していた。
しかし、20世紀にモーゲンソーは「国家レベルでも同じだ」と指摘し、
王子こそが戦争というものをよく理解している、としている。 審神者の出来ない仏陀など、有り得ない
http://rougokugakuen.blog.fc2.com/blog-entry-347.html
熱心な信者たちが、不憫でならない。
彼らは心底、信じてしまっている。
あの「連続強姦魔」を、再誕の仏陀である、と。
あの「貪りの獣」を、根本仏の化身である、と。
教団幹部たち、職員たちに言いたい。
あなた方の多くは、アレが偽仏陀である、と既に気付いている。
愛人を侍らし、片っ端から女に手を付けるドスケベ爺である、と。
にも拘らず、素知らぬ顔で聖職者を気取る。
間違っていないか?
信者の布施で贅沢三昧に暮らし、複数の愛人を侍らし、
女性を騙して強姦まがいの犯罪行為を繰り返す。
そんなクズへの布施が、三輪清浄の布施だろうか?
布施として、植福として、決して成り立たぬ金銭を
そうと知りながら募る行為は詐欺であり、盗みである。
まさに、堕地獄の業である。
未だ信者たちは、毎年毎年、延々と続く植福ノルマに
苦しみ続けている。
経典購入ノルマ、数百万円分。
映画チケット購入ノルマ、数百万円分。
その他、延々とノルマが続く。
狂気の沙汰である。
邪教を信じて、天国に還れる筈もない。
仏陀を詐称する獣に騙されて、極楽往生はない。
疲労の極限に達しながらも、
選挙の奴隷労働に精出す信者たち。
その先に、救いなど、ありはしないのに。
堕落し切った教祖には、もう、
救済力など、微塵もない、というのに。
否、そもそも最初の原点から、
単なる創作で金儲けを目論む、
詐欺親子の猿芝居だった、というのに。
最初の最初から、既に穢れていたのだ。
最初の最初から、既に間違っていたのだ。
審神者の出来ない仏陀など、有り得ないのだ。
お父さん女。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/06/post-c779.html
俺の染色体がお前に与えたこの部分が好き。
それはメンデルの十字架だった。
もはやファミリーは愛でつながるしかなかった。
しかし、女の子は「社会に愛されたい」と思った。
2009年に美容整形の解禁が確認された。
このことは虚弱体質を人間にもたらし、最後には「知性」に人間は戻っていくと思われる。 三浦海岸の海開きを待て。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/02/post-b7a3.html
カントは「女心は海のように大きすぎる」として美しい女を愛した。
人間を冷静に見ている男の精子は気持ちがいい。
しかし、フリーセックス女を知っていたヒュームから学んだ。
1845年のアメリカ独立記念日に初めて盛大な花火大会が行われた。
男女の和解、そして、感化された部族の中にはミシシッピー川を渡るものも現れた。
私がカントを人々に伝えようと思った理由。 ヤリマン女。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/06/post-09bc.html
今の日本国には「女と話さえしていればお金に困らない」という仕組みが社会に複雑にビルトインされている。
このような発想は「恋愛が税収を増やす」とか「怒ると税金がかかる」などの哲学を
大雑把に理解しないと生まれない発想なのだ。 聖子女。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/06/post-ed20.html
女の研究が爆発した。
アメリカはゆっくりとした風を日本国に送ろうとした。
しかし、女子高生が反発したではないか。
精神科と左翼にそのフォーラムは移り、歴史のフォーラムは出来上がったのだ。 三浦海岸の海開きを待て。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/02/post-b7a3.html
新島の伝説のように「夜中の海で腰を抜かす女がいる」ということに最高裁は沈黙を守った。
昼間の海がより健康的に描ければいいではないか。
「くびれのある女は感度がいい」そのようなことを女たちは赤裸々に水着でさらした。
しかし、女たちも「筋肉質な男」を見に来ていたのだ。 レイプ女。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/06/post-5fd1.html
くつしたをはいていない女と二人きりになったら言ってみよう。
「ハーバードの大学院を出た豊田っての?面白い論文を書いてんな。
女はパートナーに価値を損なわれる行為をされても何度も同じ場所に通ってしまうとか、
二人きりなら、ディルドは拒絶しないとか(中指を立てる)」
「ハーバードもたかが知れてんな」 気まぐれ女。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/07/post-8583.html
セックスからプライベートは作られ、仕事に生かされる。
プライベートでの劇的なエピソードはみんなひとつか二つだ。
しかし、そんなものだよ。全員のエピソードなんて覚えていられないからね。
それでも「心の風景」というものは分かるんだ。
経営者必読。 核廃絶女。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2017/07/post-dbbb.html
バートランド・ラッセルはすべての哲学を「愛を求めるため、知識を求めるため、人生の苦しみと戦うため」
に用いた。
哲学には敵が必要となり、ビキニ環礁の水爆実験に照準を合わせた。
核分裂はまるで人間社会の分裂と同じ現象に思えた。
女の子たちとも話した。
みんな「好きな男」がバラバラだったのだ。 【朗報】幸福の科学・大川隆法総裁の東京ドーム講演にUFO [無断転載禁止](c)2ch.net [218667636]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1502004394/ 昨日開催の講演会もあんまり話題にもなっていないみたいだね。 ノ人,,,_
,,-‐''´;;ノ人;;;;;;;;`;‐ 、
〃;;;;;;;;;;;;;;;ノ人;;;;;;;;;;;;心、
,〃;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ人-‐'' ヾヽ
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゙i;;;;;;;;;;;;;;;;;ソ ,-‐''''´`i
. i;;;;;;;;;;;;l r‐''''' ̄`i^! 〜 .l
. r‐.v=====l 〜 .ノ .ゝ、_,,,,ノヽ
! .ヘヾ| ヽ.,,,,. -'' )ヽ. | ______________
ヽゞヘ ノ ゝ--‐'' _, ノ /
ヽ人 ---‐‐‐'''. ノ . / < 大川さん、東大の落ちこぼれ同士で一杯やりましょうよ♪
ヽ,,_ ` ‐--‐'' / \______________
`'''''‐.,,,,,,,_____,,,,ノ
https://twitter.com/shiikazuo 友達がPCで稼げた情報など。宗教ではないけど参考までに。
⇒ http://maruhi00.sblo☆jp/article/181868211.html
興味がある人たちのために書きました。
(☆を.に変更するとみられます)
LF9UWUX9AS 2018年4月1日
エイプリルフール
平成30年度 始まる 🌟 あなたに贈る言葉C
「テロ」と「革命」の違い
キリスト教とイスラム教における「十字軍戦争」は、もう結構です。キリスト教の成立にも、私はかかわりました。天上界から、明らかに、ユダヤの地におけるイエス・キリストを指導しました。
また、その同じ私が、その六百数十年後、サウジアラビアの地において天上界からムハンマドを指導したのです。私の生み落とした宗教が千年以上も憎しみを持って戦い続けているのは、見るに堪えません。
ならば、どうするか。それは、彼らに共通の理解の基盤をつくること、そして、その教えを説くことです。それが次の目標であってよいはずだと思います。
仏教においても、「慈悲」と「救済」、そして、「信仰の大切さ」が説かれました。その思想の多くは、東洋の土壌や文化的な考え方の基礎をつくっているでしょう。
「慈悲」とは、自分と同じものを他の者のなかに見つける「愛の心」です。他の人々のなかにも、神の子としてのダイヤモンドが光っていること、また、仏の子として、努力による「悟りの道」が用意されていることを、信じることなのです。
これが説けるのは、西洋と東洋を融合することのできる、この日本の地においてのみだと、私は考えています。
🌟 大川隆法著 「伝道の法」より 🌟 あなたに贈る言葉A
伝道とは何か
宗教の活動の原点は、
やはり、この「伝道」という言葉に集約される。
では、伝道とは、いったい何であるか。
伝道は「道を伝える」と書くが、
伝えるべき道とは、いったい何であるか、
それは、人として歩むべき道、真理の道である。
その真理の道を伝えられていないために、
多くの人間は、歩むべき道筋すら認識できないでいる。
そして、歩むべきでない道を歩み、
自らは、平坦なる道を楽々と旅しているつもりであって、
その実、
ある者は深い谷に下り、
ある者は沼地に下り、
ある者は断崖絶壁より海に落ちる。
それが、真なる、霊的なる目で見た、人生の真実である。
肉体の目でもって見るがゆえに、
自らが、今、
そのような危険な道を歩んでいるということを、
また、数十年後に、そして、その先に待ち構える未来が、
いかなるものであるかということを、
知らないままに生きている人が多い。
しかし、霊的なる目、
すなわち、この世を去りたる実在界の目から見れば、
いかなる道が真理の道であり、
直き道であり、真っ直ぐなる道であり、
いかなる道が人々の人生を狂わす道であるかということは、
一目瞭然である。
ただ、そのことは、
唯一、正しい宗教においてのみ教えられる真理によって
導かれるものであり、
それ以外の、いかなる学問や教育、思想においても、
その真なる道を指し示すことはできない。
ここにこそ、宗教の真なる使命がある。
−「伝道の心」より
🌟 大川隆法著 「伝道の法」より 🌟 あなたに贈る言葉@
真実の世界に目覚めよ
この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。
言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。
あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。
−「目覚めたる者となるためには」より 🔥 大川隆法著 伝道の法
🔥 第一章 心の時代を生きる
ーーー人生を黄金に変える「心の力」
1 「心とは何か」が分からなくなっている現代社会
「心とは脳の一部である」とする現代の「常識」
本章では、「心の時代を生きる」という一般向けの題をつけてみました。仏法真理に初めて接する方には、「心の話」をしたほうが分かりやすいだろうと考えるからです。
やはり、宗教の使命として、第一段階はこのあたりであって、「心の話」を通じさせるところから始めないといけないでしょう。「難しい話はいろいろあろうけれども、そこまでは行けない」という人が多いのではないかと思います。
ただ、テレビドラマなどを観ていると、「心とは脳の一部なのだ」ということを平気で言っているので、それが常識になりつつあるのかもしれません。
こうなると、医学も、よいのか悪いのか分からない感じがします。人間を診ているうちに、パソコンをいじっているように見えてくるのでしょうか。まるで、そうしながら、「この部分が心だ」などと言っているようなのです。
確かに、脳が壊れたら機能が失われるので、そのようにも見えるのかもしれませんが、これは、「人間機械説」でしょう。ところが、こうしたことがけっこうまかり通っています。
また、分解的、分析的な見方をすると、電極をつけたり、電気ショックを与えたりして、「ここを押すと何が出てくるか」を調べ、「この場合は、こうなる」というようなことを言うわけです。 しかし、私たちには、どうしてもそのようには見えません。もし、そう見え始めたとしたら、いろいろなものが引っ繰り返ってきているのだと思うのです。
要するに、学問にしても、実際の仕事にしても、「引っ繰り返った世界」を見ているのではないでしょうか。
高度な学問を勉強しているうちに、「心は、頭のこのあたりにある」と感じるのであれば、ここには何かの間違いがあると思います。非常に残念でなりません。
勉強をしすぎた人が、「心というのは、頭の一部分にあって、コントロールをし、判断をしている」と思っているのであれば、やはり、何かがおかしいでしょう。
あるいは、「『心は胸のあたりにある』『もう少し下の、お腹のほうにある』などと感じる人が、゛古代人”に見える」というのであれば、何かが倒錯していると思います。
つまり、心に響くものが分からない時代に入っている可能性があるわけです。 学問の世界に流れる”汚染水”の正体
その意味では、非常に基本的であり、初歩的ではありますが、ここは、宗教としての、”最初の戦い”の部分だと思います。
もし、「心なんて、ない」と斬ってこられたら、宗教としては、「開く扉がない」に近いでしょう。
「人間には、心なんかない。何を言っているのだ。脳の作用じゃないか。あれは、神経の作用だ。そんなものは、脳のあたりに電気作用か何かが働いて、そういう風に感じているだけなのだ」
と、自分で言っているような人たちを説得し、その後の世界について説明するのは、とても難しいと思います。
ともかく、”頭がいい”という人が、だんだん、そのようになっていくわけで、仏教の言い方では、これは、「邪見」、もしくは「悪見」という言葉になるでしょう。
要は、正当な見方、正しい見方(正見)とは違う、逆の見方に染まっているわけです。
「そういう見方が、正統派の学問である」ということで固まっているのであれば、大変な間違いだと思います。
特に、日本の教育としては、「文部省」と「科学技術庁」が一体になって「文部科学省」となったため、すべての学問に対して、科学的な見方がされるようになりかねません。
その場合、いわゆる正見、正しい真理に基づく見方ができなくなる可能性があるわけです。 例えば、歴史や宗教について、「考古学的な裏付けがないものは真実ではない」というようなことになれば、「神武天皇などは、ただの伝説だ」ということになるかもしれません。あるいは、「聖徳太子はいなかった」と言い出す人もいます。
考古学的な証拠というものは、それほど簡単には見つからないからです。
しかし、聖徳太子については、本人が訳したとされる書物まであるわけで、そのほかにも、戦った相手も分かっていれば、系図も遺っています。
奥さんの名前から子供の名前まで全部出ているのですが、そういう人に対してさえ、「これは、つくられた人格であって、歴史上の存在ではない」などと言う学者が出てくるわけです。
その意味では、学問において、そうとう”汚染”が起きているでしょう。そして、流れている”汚染水”は、基本的に、心というものや魂というもの、あるいは、あの世の世界につながる考え方を否定していくものだろうと思います。
これを突破しなければいけません。
やはり、信者のみなさまがたも、伝道などにおいて、心の存在を相手にお伝えする際に、極めて難しい思いをなされていることでしょう。
例えば、「心は存在していない」とか、「コンピュータのようにキーボードを叩きさえすれば、いろいろ替わるものが心なのだ」とか思っているような人にとっては、感情的な善悪の問題などは存在しないに等しいわけです。
要するに、「操作すれば、そうなるだけのことだ」と思っているのです。
確かに、「塩をなめれば塩辛く感じ、砂糖をなめれば甘く感じる」ということはあるかもしれません。しかし、人間の精神作用は、それほど単純なものではないでしょう。
同じものを見ても、人によって違うように感じることはあります。 2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来
自分の心を変えることで未来は変えることができる
また、人間は、「考える力」によって、いろいろなものを変えていける存在でもあるわけです。これは、「考え方次第」ということでもあるでしょう。
例えば、人間の目には、水晶体というレンズに当たるものがあって、これを調節してピントを合わせます。ところが、それを「不随意筋」という自由意志では動かせない筋肉で行っているため、いったん目が悪くなった場合、もう治らないとされるわけです。
要するに、コンタクトレンズを入れるか、眼鏡をかけるかして、人工的に光の屈折率を変えないかぎり、ピントが合わずに字が読めないなどと言われています。だいたい、こういう考えが蔓延しているのではないでしょうか。
ところが、私のように、自分の「思いの力」で水晶体や不随意筋を、Wいじる”人が出てくると話が変わってきます。
「ああ、そうですか。じゃあ、ちょっと元に戻さなきゃいけない。戻れ、戻れ、戻れ、戻れ」と言っていると、一週間ぐらいしたら元通りに戻ってくるようなタイプです。
まるで、トカゲのしっぽの再生のようですが、そういう”再生力”がある人間が出てくると、話は変わってくるでしょう。
実際に、「自分の体で、自由にならないところがあるはずがない。早い遅いの違いはあるにしても、本人が支配者なのだから、『自分の体の一部を、このように変えたい』と思えば、そのとおりになるに決まっている」と思うことで、目が治ってしまうような人もいるわけです。
常識にとらわれている人は、かなり驚くでしょうが、現実にそういうことはあります。
したがって、よく気をつけないといけません。実は、「真実がそうなっている」というのではなくて、「そのように教え込まれて、信じ込んだために、そうなっている」ということが、さまざまな現象として起きているのです。
しかし、人間には、自分自身を変えていく力があります。もちろん、肉体も変わりますが、自分の心を変えることによって、いろいろなものが変わっていきます。
つまり、「人生が変わっていき、人間関係が変わっていき、未来が変わっていく」ということが起きるわけです。 そういう意味では、他人から断定的に、「もう、おまえは終わったのだ。駄目なのだ」などと言われて、「そうだ」と思ってしまってはいけません。「レッテル貼り」というか、スタンプでも押したように、「自分は、こんな人間なのだ」と思い込んでは駄目なのです。
例えば、「自分は貧乏人だ」というスタンプを押してしまい、「貧乏に生きるのが普通だ」と思っている人は、それ以上、変わりません。
しかし、「いや、どんな人にだってチャンスはあるのだ」と思っている人は違います。
やはり、「仕事で成功するには方法があるはずだ。例えば、野球で成功している人をよく観察して研究したら、今まで打てなかった球が打てるようになるかもしれない。
それと同じく、お金儲けが得意な人をよく観察すれば、何か秘訣があるはずだ。自分の身近なお金持ちを見て、その人と自分との違いを観察しよう。そして、違いが分かったら、そのなかで、いいところはまねをしてみよう」と思うことが大切です。
また、「まねをしていったら、五年、十年するうちに、いつの間にか自分も同じようになっていた」ということは現実にあります。そのように、人生は変えていくことができるのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています